コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月31日(日) ハゲタカは禿げたか  -テレビ・ラジオ - テレビドラマ-

e523.jpg 企業の所有権が移転し、或いはその一部が売買され、新たな経営者のもとにその資源が有効活用されるというのは正しい経済原則に基づいているし、それが結果としてカネがカネを生むマネーゲームの様な状況を産み出すのもやむを得ない側面はあろう。
 ただ実際に自らが20年近く製造業に身を窶してみると、凡そ製造業らしき職責に携わってはいなかろうとも、企業は株主のものか社員のものかという合理性では割り切れない議論にも一理があるのではないかと思えて来る。
 こうしたアンビバレントな感情を抱きながら二年半前に見たNHKドラマ「ハゲタカ」は、その両義性を巧みに描き出した作品であったからこそ、続編たる映画版がDVD化されると早速借りてきたのだが、結論から言えば余り楽しめる内容とは言い難かった。
 と言うのも前作が海外マネーによる採算性のある事業のスピンオフという、夢物語ではあっても一定の現実感とわが国製造業への失われたロマンチシズムを漂わせる内容だったのに対し、乗っ取りにやって来た投資ファンドを、チキンゲームで潰すことで結果的に投資対象たる事業会社を取り戻すという今作は、取って付けた様にエピソードとして盛り込まれる派遣工の悲哀と相まって、正直なところ夢も希望も体感し辛かったのではないか。
 それが同じ「ハゲタカ」であっても、2006年というプチバブル期と、リーマン・ショック後の2009年という製作時期の差異であるならば、結局のところ劇中かの麿赤児氏の息子である主人公が最後にモノローグする様に、これもまた「カネの無い悲劇」のひとつなのだろうか。

1月29日(金) 巣立ちの日  -育児 - パパ育児日記。-

e515.jpg 嘗てサークルの月刊誌の編集長をしていた時分には組織内の人間関係の内幕を小説吉田学校に準えて実録小説として発表して物議を醸したこともあったし、そのサークルの人々との「それから」を追ったHPを経、高じてブログに至っているのだから、文章を書くことは好きな方に違いない。
 だから妻が幼稚園の卒業文集に母の辞を800字で求められていると聞いた時には血が騒がずにはいられなくなり、結果として父母ともに執筆する異例の結果に導いたのであった。
 勿論、見知らぬ人々を含め多数の目にも触れるし、幼稚園の公式な文集であるから余り偏った見解は避けなければならない。従って所々に笑いを取りつつ、思想を垣間見せながら幼稚園もまた持ち上げるのが慣用となるが、幸い神社経営という出自柄、わが国伝統を重んじる気風に強く、著しく太鼓持ちに努めなくとも共鳴出来る点が多く筆の運びもスムースであった。以下全文を示したい。
 想えば直前まで後ろを向いて友人と何かを語り合っていた祐旭が「かゆかわ・ゆうき君」と呼ばれた瞬間にくるりと振り向き、丸で国会答弁に立つ代議士のように軽く右手を挙げながら「はい」と応え、両親ともに安堵した入園式の光景からはや三年の月日が経過したとは、改めて時の流れの速さに感服せざるを得ない。
 その日が私にとってやはた幼稚園との初めての出会いであったが、日常的に幼稚園と接する母親と異なり、ともすれば父親にとっての幼稚園は縁遠い存在になりかねないところ、土曜日のプレイデーや年に一度の発表会、展示会といった数々の催しは、実際にわが子が幼稚園にてかく日常を過ごしているのか、或いは先生方や園児双方の触れ合いを通じ、如何なる「学び」を得ているのかを身近に感じ得る、貴重な機会であった。
 またかみさまへの御挨拶やプレイデーにおけるお正月等のわが国伝統的な遊戯に触れ、愉しむ試みなどは、ユニークかつ有意義な情操教育として、密やかに感服させていただいた次第である。
 自らの幼稚園期を振り返っても、確かに今やその記憶は極めて断片的なものに留まってはいるが、人生において初めて家族以外の他者と接点を持つ、「社会生活」の第一歩としての役割は非常に大きかったというのは疑いのないところであり、祐旭自身もまた三年間のやはた幼稚園生活を通じ、社会における一個の存在として、確実に成長を遂げることが出来たであろう。
 恐らくはこれからの長い人生において幾歳を重ねることにより、過ぎ去りし時は日々疎くなりゆくのは必定である。しかしながらいつの日か、自らがこの地において重ねた年月が、何か得体の知れない形で血肉たり得ていることに、ふと直面する日が訪れるのではないだろうか。
 末筆ながらこの場を借りて、やはた幼稚園の皆様方に、衷心より深く御礼申し上げたい。
 些か後段は冗長になった部分があり、本当は「やがて長づるに連れ勉学であれ受験であれ互いに友であると同時に競争の最中に巻き込まれるであろう日々を迎える前の、何等の利害関係もない無垢な幼稚園期は何物にも替え難い」などとエスプリを効かせてもと思ったが、筆を止めることとした。
 何れこの文集「巣立ち」を祐旭自身が振り返って手にする時、その胸には何が去来するのだろうか。

 昨日は平河町と御成門のパーティーを梯子して新宿で会合、本日は飯田橋のパーティー、大手町で経団連関係の懇親会、西麻布で出向時代の会合であった。
 連日三階建てになる程に働いてはいないのだが。

1月27日(水) 化学の世紀  -政治・経済 - 経営-

e514.jpg 時恰も明日の関西会員懇談会を前に正式に次期経団連会長人事が発表されたが、もう十年以上も前、関西会員懇を訪れる度に百歳を超えた土井正治元副会長が最前列に陣取る姿を、歴史ドキュメンタリーのワンシーンの如くに眺めていたことを思い出す。
 こと程左様に住友化学が関西財界の名門企業であり、土井氏に始まり、佐伯近鉄会長との大商会頭争いが小説にもなった長谷川周重氏ら、新会長となる米倉氏まで都合五代の副会長を輩出しているのは間違いないし、日米財界人会議議長をも務めた米倉氏の統率力に高い評価があるのも事実だろう。
 であってしてなお、第八代豊田章一郎氏以来、60台での就任が続いてきた慣例を破り、かつ戦後間もなくの「もう君には頼まない」石坂泰三氏以来の現職副会長以外からの選出は異例と言わざるを得ない。
 或いは三井の経団連、三菱の日経連が通り相場だった財界総理に住友からの就任が実現したことこそ、新しい経済界の有り様を物語っているのかも知れないが、官房長官と連合会長とで政労使独占を、また日商会頭との財界内での重複を避けたというパナソニック、東芝の尤もらしい理由にしても、では関電以外は住金、住電で回している関経連との住友グループ内でのバッティングはと問われれば大差なかろう。
 去る24日、自民党大会への去りゆく現会長の欠席が波紋を呼んだ様に、微妙な政治情勢の中で政権との距離感を見極めながらの舵取りが求められる経済界もまた、誰しもを納得させられるようなリーダーに欠けていれのだとすれば、嘗て候補者を勝馬投票に準えて本命、対抗、大穴と丸を付け物議を醸した記事が寧ろ懐かしくなってくる。
 救いは長谷川周重90歳、土方武93歳、土井正治103歳と長命の社風から健康には懸念が小さいことだろうか。何の根拠も無い演繹に過ぎないのだが。

1月25日(月) 負けるが勝ち  -政治・経済 - 民主党・鳩山政権-

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辺野古沖(07/5)
 注目の名護市長選は移設反対派候補が勝利するに至った。そもそも米軍再編の一環として日米安保の全体構成を再整理した結果のひとつが普天間基地の辺野古移設であり、単純にこれだけを取り上げて見直すという発想自体に大きな無理があったのだと今更嘆いてみてもセンないことだろう。だが確たる採算なく選挙戦術として公約に掲げたのならば沖縄県民に必要以上の期待を抱かせたという意味で罪作りであるのみならず、日米関係に要らぬ亀裂を走らせかねない危険な賭けだったに違いない。
 当然、海兵隊はひと度有事の際には先陣を切って出撃しなければならない最前衛部隊であって、その基地は単なる隊員の居住スペースに留まらず移動手段の格納庫から日常の歓楽街まで広大な後背地を必要とする。従って単に近隣の島を宛がえば済む話しでもなければ、嘉手納への統合や或いは空港活用のための安易な本土移設論など到底成立し得ないのは火を見るより明らかだし、国として採るべきでもない。
 好むと好まざると戦後わが国外交の基軸たる日米安保を揺るがす様な事態を回避するためには、当初案に立ち返るか、若しくは普天間基地そのものの返還を諦めるかの二者択一しかなかろう。勿論パンドラの箱は開いて仕舞ったのだからそれでは沖縄県民―取り分け沖縄の実態経済に縁遠い移住者ら―の納得は最早得られまい。民主党推薦候補の勝利に最も頭を悩まされるのが民主党政権とは、運命は皮肉である。

 プロ野球のストライク・ボールのコールが今季からボール先行に変更されることが決まった。今更とはいえWBCでも課題とされた国際化への対応の一環には違いないし、それならば先ずボールそのものの大きさの統一が先というのが筋だとしても、確かにそれも睨んで公式使用球の一社への統合も進められてはおり、先ず審判から対応という趣旨なのだろう。
 しかしながら高校野球は既にボール先行に変身しているというから二度驚かされたではないか。現実論には違いないし、「よし一本」と迄言う積もりはないが、少しは「のぼうる」らしさを残してもという気もする。

1月24日(日) 労多くして  -スポーツ - ゴルフ-

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e509.jpg 順に左上より①第二球場を流用した
神宮外苑、②一見広そうだがmax
110yの上井草、③・④・⑤は何れも
180yクラス。
 自動車所有の効用はゴルフ練習における利便性と述べた通りに、引越後は凡そ五~六年振りに、時間距離と鳥籠の距離双方のベスト・ミックスを求めて練習場行脚を続けてきた。
 ただ祐旭の自転車練習迄の待ち時間に大枚叩いて話の種に覗いてみた神宮外苑①では懐具合が寂しくなりそうだし、戦前の大東京軍の本拠地、旧上井草球場跡に隣接する上井草ゴルフセンター②ならばこれまでのホーム・グラウンド、浜田山のハイランド・センターより近い位だが、残念ながら距離がない。従って、折角足があるならば概ね練馬、武蔵野方面の150y超クラスが狙い目となるのは必定だろう。
 そこで浮かび上がったのが何れもわが家から30分圏内にある平和台のファーストゴルフ③、関町の城西ゴルフセンター④、関前のイトーゴルフガーデン⑤である。何れもバンカーやアプローチ練習場をも兼ね備えており甲乙付け難いが、敢えて難点を探すならばプリペイド・カードの存在で、必ず一度では使い切れない金額設定になっているから、嘗て船堀や葛西迄遠征した際のストックが未だに手元に残っている様に、通い詰める前提でないと方々に金銭を預託する羽目に陥りかねない。従って先ず③が脱落し、残る争いは民主党・川島議員の経営というのが些かの逡巡をば齎すものの、時間距離から④が本命となりそうな今日この頃である。

 ただ折角昨日赴いた⑤では好調でひと箱で切り上げたにも拘わらず、本日の初打ちはドライバーが僅か二度しか当たらず低迷を極めた。
 後半14番ではダイヤモンド、更に16番ショートはカラーぎりぎりのワンオンから捩じ込んで自身3年2ヶ月振りのバーディーという神憑り的なパッティングのツキを以てしてなお110超とは事態は深刻だろう。
 おかげでオリンピックでは大勝したが、どうやら厄はまだ落ちていない様である。

1月23日(土) 本厄にさよなら  -ヘルス・ダイエット - 美容・健康-

e504jpg 数えの42歳とは恐らく身体の所々にガタが来て、これを契機に改めて自らの身の処し方を考えなさいという古来からの節目の年齢であったのだろう。ただよく考えてみれば織田信長ではなくとも「人生五十年」時代の習わしであるとするならば、さしづめ高齢化社会の昨今にはもう一度位厄が巡ってきても不思議ではないが、一朝昔日には変わらないのが伝統行事のあるべき姿なのだろう。
 時の巡り合わせとは恐ろしいもので肉体的には特段の支障は無かるまいとも、岐路に立っているのは事実なので、近場かつ厄除けで名高いスポットはと当たってみると東大もと暗しとはこのこと、自動車ならば10分もかからぬ堀ノ内は妙法寺がどんぴしゃりではないか。
e516.jpg 辿り着くと日蓮宗の寺院らしく、タイの上座部仏教を想起させるきらびやかなお堂の中に、大量の坊主達がリズミカルに大音響のお経を奏で続ける傍らで、事務僧侶が淡々とシステマチックに手続きを進めていく。矢鱈と混んでいて本厄・後厄・前厄と思しき顔触れが流れ作業でご祈祷賜り続ける光景はまさにアドレスyakuyoke.jpの名に相応しい。奮発して金壱マンエン也を納めるとお札も置き場所に困る程に立派で、厄払いの沙汰も金次第ではないが、きっと御利益あらかたなのだろう。
e506.jpg してお寺を後にすると現実に引き戻されるかと思いきや、辺りには門前町が広がり、境内には寄席も開催されているとは古式ゆかしき寺院仏閣をエポックとした中心市街地の原点を垣間見る想いであった。
e507.jpg  明日からは沖田艦長の様に生まれ変わりたい。

 振り返れば午前中も昨年に続く新年初のお父さんと一緒、幼稚園プレイデーにてわが国伝統に則った古式ゆかしいお正月遊戯に身を窶したのであった。
 凧揚げ、羽根突き、書き初め、歌留多に双六とてんこ盛りで、昨年二位だった人間双六で最下位に終わったのは忸怩たるものがあったが、大判歌留多で父子ともに奮闘し見事七枚獲得、優勝を遂げたのは、子供相手にも必要以上に手加減せず、勝負に拘る父としては満足出来る成果と言えようか。
 保守主義者に相応しい一日であった。

1月21日(木) 沈むシンクタンク  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

e503.jpg 三十路迄は毎朝全紙に7時から目を通していたのに前部局の九年間で報道はネットで浚う習性が付いたおかげですっかり解説記事に縁遠くなっていたが、一月からは部数に限りがあるので大急ぎで目を通さなければならないハンデがあるとはいえ、まとまったクリッピングに毎日アクセス出来るのは有り難い環境である。
 そこで連々と眺めていると噂には聞いていたが05年に華々しく立ち上がった自由民主党のシンクタンク2005が閉鎖の已む無きに至ったとの報に改めて接する。のみならず民主党のそれであるシンクネット21もまた時を同じゅうして幕を閉じていたとは運命は皮肉ではなかろうか。
 勿論、票と資金をバックボーンに議員個人にアプローチを図る米シンクタンクのビジネスモデルは大統領制下において党よりも議員個々の判断が優先される米国に特異の姿ではあるが、シンクタンクと名の付く機関の大半が依頼元からの発注に依存し、金融機関を中心とする企業の外郭に存在しながら株式会社として営利もまた追及しなければならないというわが国の有り様は、政策立案機能としては非常に貧困と言わざるを得ない。
 だからこそ畏敬と些かの揶揄を込めて「霞ヶ関が最大のシンクタンク」とされ、本来シンクタンク的な政策立案機能を果たして然るべき経済団体や業界団体も、官のサポートを超えるものではなく、ともすれば霞ヶ関と大手町の仲介機関以上の効用を果たしていない現状に些かの楔を打つべく誕生した政党由来の両シンクタンクの撃沈は非常に残念である。
 実際、シンクタンク2005は基金の取り崩しと自民党からの発注だけで細々と生きてきた経緯からしても命運は明らかだったのかも知れないが、職業政治家の浮沈の大き過ぎる小選挙区制下において、候補者或いは落選議員のプール先としてもシンクタンクの意義は小さくなかった筈だろう。バーゲニング・パワーを持って議員個々を超え政党そのものに働きかけ得る、霞ヶ関のオルタナティブたり得るシンクタンク機能の再構築が待たれる現在、日本経団連はその声にどう応えていくのだろうか。

1月19日(火) It's My  -政治・経済 - 経済-

e502.jpg 遂にJALが会社更正法の已む無きに追い込まれた。出向先の同僚にライバル企業が居たので国内視察を繰り広げていた時分もJALに乗機する機会は殆どなく、必然的にANAに対するシンパシーが大きいので、心情としても特段の驚愕はない。ただ冷静に考えて、著しくウィンブルドン化が進んだ訳でもないのにナショナル・フラッグが倒産に追い込まれるとは尋常な事態ではなかろう。
 勿論、航空協定における以遠権の非対象措置も残存するわが国航空業界としては必ずしも国際競争力にも富まず、国際線を徐々に海外の低価格フライトに侵食されつつある状況では明るい経営展望ばかりは抱けないのは事実だろうし、航空という性質上、国家間の協定や国内規制に縛られて経営の自由度が小さく、政官との調整に纏わるコストが大きくなるという不可抗力もあろう。
 ただそれでも一業界に複数社が存在したからこそ競争による活力も―中には不毛な足の引っ張り合いもあったのかも知れないが―存在するのであり、僅か数年前にはANAもまた経営危機が囁かれていた記憶に鑑みても、安易な経営統合論には組みすべきではないのではないか。

 幼稚園の謝恩会の親側の出し物に使用する音楽編集に従事する。嘗て二次会幹事業務に幾度も携わった時分にはMDをタイミングが合う迄何度もファイルを分けては繋ぎを繰り返していたものだが、今では適当な有償ソフトをダウンロードして文字通り切り貼りすれば易々と完パケに至るとは時代は進歩したものである。
 他に引き受け手が居ないために請け負ったがこの程度でママ仲間に感謝された模様である。これも昔取った杵柄ということか。

1月18日(火) やさしい気持ち  -政治・経済 - 政治・時事問題-

e501.jpg 従然にも杉並区が住民基本台帳ネットから離脱していたおかげで不便益を被った経験があるが、やっと全国出揃ったと安心していたところにまたぞろ名古屋市の河村たかし市長が脱藩をぶちあげたとは如何なる思惑に基づくものなのか。
 しかも個人情報漏洩の恐れといった実務的な理屈ならまだしも、「人間に番号をつけて国が管理するのは、牛に番号をつけるのと同じ」とは単なる情緒的な決め付け以上の何者でもない。国家が国民の生命と財産を守るべく責務を負う以上、何等かの便宜的な管理を要するのは必定であり、漸く社会保障においてそれが実現の緒に付き、兎角捕捉面での著しい不公平を指摘される税の徴収においてもまた永年の懸案事項から具現に向けた検討が進みつつある昨今において全く逆行する非合理的な主張としか言い様がない。
 敢えてエモーショナルなお上批判意識に訴えかける意図ならば国は断固として指弾すべきであろう。
(追記:テレビ愛知製作の数少ない人気番組レスキューファイヤーの23日分に市長役で出演されていた。ネットに繋がるのは嫌いでも全国ネットはお好きらしい)

 「政治とカネで集中審議を自公、みんなの党が一致」との見出しに、新たな自公みんというのは詰まらぬ冗談に過ぎない。しかしながら自社さきがけ連立政権が何時の間か「自社さ」と表記されていた様に、みんなもまた「み」と略されるようになったら一人前の政党と認められたということではなかろうか。

1月16日(土) 凝縮された新年会

e499.jpg 段々と頻度も減り年に一度が定着した大学時代のサークルの新年会を今年はわが家にて開催、総勢成人17名、児童、乳幼児12名の大所帯となった。
e499.jpg 折しも受験シーズンを前にPTA対応やら教育談義が話題となっていたが、11時より始まりほぼ全員が揃った13時に集合写真を撮ったのを最期に全く記憶がなく、次に目覚めたのはベッドの上で20時。妻に伺う限り17時近く迄挙行されていたようだが、折角の新居を案内するどころか、旧交を温めるのも叶わない失態であった。
 考えてみれば子供達の写真も映さずと悔恨込み上げながらカメラを手に取ると、記憶は飛んでも記録癖だけはしっかり生きていた模様で、かつビデオにも映像が残されていたとは、習い性とは恐ろしいものと得心したが、真に驚愕したのはべろんべろんの状態でありながら最期にもう一度全員で集合写真を撮影していたことが判明した折であろう。子供達と風呂に入り、また即座に寝入って仕舞ったが、これでは写真を残すために場を提供したようなものである。日々一日を有用に過ごしましょう。
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