コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月31日(土) run after LAN  -コンピュータ - ネットブック-

e408.jpg 五年振りに友人宅のバーベキュー・パーティーに戸塚を訪れる。
 ハロウィン当日だけに仮装を要請されれば、老いたりといえども友人達の二次会を次々と賑やかした舞踏隊隊長の地位を占めた者として、たとえ些かばかりであったとしても形作りに努めなければならない。そこで子供達にはトイザらスであぶく銭を使ったついでにウルトラ系統の装束を新調するとともに、父もまた嘗て六本木を闊歩した着包みの久々の披露の機会と相いなった。
 仮装の巧拙はさておき、男児五名中、年少側のワンツーを占める祐旭・公資も始めこそ幾分の気後れも見られたものの、終盤は年長者達に依る野球教室に大いに興味を示しており、良き近隣世代との触れ合いになったのではなかろうか。

e404.jpg さて長駆戸塚に向かうべくわが家を後にしたのが10時、相変わらずの東京西部の南北移動の渋滞に悩まされ開会予定には到底間に合わなかったが、実は父はそれ迄に片付けるべくひと仕事があったのである。
 旧家ではPCのある部屋と居間とはドアひとつ隔てただけで、例えば当コラムの執筆作業の傍ら背中越しにTVを見たり家族と会話を繰り広げることが可能であった。これに対し転居後はひと度書斎に入れば接触が遮断されかねない。従って居間のマッサージ機に身を委ねながらPCも操るという贅沢な構想を練っていたのである。
 そのプラン自体は引越の喧騒もひと段落したらと先送りして、電化製品一括購入の際にもノートPCは見送ったのだが、先週再びビックカメラを訪れたところ、場違いな音楽が辺りを席巻していようとは意外な展開であった。曰く「セブン、セブン、セブン、セブン」と。
e405.jpg Windows95から数えて七代目にあたるWindows 7の誕生は丁度年末に映画の公開と新ヒーローとしてセブンの実子であるウルトラマンゼロの降臨を迎える円谷プロにとっても渡りに船だったろう、イベントにもちゃっかり親子で出演していたらしいが、私にとってはウルトラ・フリークとしての親近感とは全くの別次元で、新しもの好きの血に火が付いたのだ。
 ひと度欲しくなれはもう止まらない。よく比較検証もせぬままに東芝のDynabookに手が伸びたのは、我ながらノートPCがまだ高値の花であった時代への憧憬、ブランド・イメージの訴求力故か。考えてみればつい先日バックアップ用に新たにハードディスクを追加したばかりなのに更にLAN対応ハードディスクを増設し、ネットブックまで導入とは消費に貢献し過ぎだろう。
 この上初の家庭内LAN環境が構築出来なければとんだ散財と、いざ作業をはじめてから不安にかられたが、幸い悪戦苦闘の末、無事マッサージ機上の人となりつつ、書斎に鎮座したHDDを操る"現代人"に昇華したのであった。結局、VISTAに比べ立ち上がり等が迅速とされるWindows 7の威力は判然としないままなのだが。

10月29日(木) 三人寄れば  -政治・経済 - 政治・時事問題-

e401.jpg 様々な分野で「評論家・堀内一三」を僭称しているが、ジャンル内において専門分野を謳えるのはプロ野球のhttp://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/7549/「トレード・移籍」と、日本政治における「派閥」に他ならない。派閥にも移籍や離合集散の実例は多く、合理性よりは極めて属人的な要素が強いという点で両者は近似しており、他の興味領域である大相撲の一門と理事選、部屋の変遷や、芸能界の親族関係、将棋における名人の系譜等も基本的に同じ匂いの漂う世界であろう。ただその中でも派閥ほど公式には必要悪として継子扱いされながらその実政治権力の源泉であった、鵺の様な存在は珍しい。
 確かに、創世期の派閥は領袖を総理・総裁たらしめるための自然発生的な集団に過ぎず、その分構成員は流動的である一方で、中核メンバーの帰属意識には強固なものがあった。だからこそ派閥のボスが退けば必然的に分裂なり消滅に至るべき存在だったのが、やがて派閥自体が固定化し、寧ろ利益集団の右代表として会長ポストが継承される様になった。同時に嘗ては政権により、或いは同一政権においても時期に依って主流・反主流が派閥毎に明確になり、だからこそ甲政権が倒れれば反主流であった乙が取って替わる―より具体的に言えば佐藤官僚政権から今大閣田中角榮であり、田中金脈政変の後のグリーン三木の如く―ことにより疑似的な政権交替を為し遂げてきた、派閥連合政権としての特色も弱まっていく。即ち、80年代以降の総主流派体制の中で派閥は政策の対抗軸を失い、人事や選挙支援、カネといった党内資源の配分経路の側面を強めることとなった。従って小選挙区制導入によりそれら資源に対する党本部の権限が飛躍的に高まると、派閥はその存在意義を著しく失わせしめることとなったのである。
 それでも歴史的経緯からも命脈を保っていた派閥は、自由民主党が政権を失うことにより最終的な鉄槌を喰らわせられたのだろうか。そもそも小泉政権下において派閥のポスト配分機能は事実上副大臣以下と大幅に縮小されたが、野党になれば公職は国会の委員長程度に縮小される。であるから野党における派閥は利益配分よりはメンバーの出自の相違を反映した、古式ゆかしい"ムラ"集団の側面が強く、典型的なのが戦前の分党時代の色分けをそのまま継承した日本社会党の派閥であろう。社会党の場合、これにイデオロギー論争と親ソ・親中の利害関係が絡むことで派閥間闘争のエネルギーは内へ内へと向かい、党を分裂させる要素にしかならなかったが、野党時代の民主党も基本的にはこれに近く、二大政党制の中で第三党の存立が難しいがために瓦解に至らなかったのは幸いだったろう。
 その民主党は今や半数以上が小沢派とも揶揄される状況ではあるが、それこそが好むと好まざると「派閥」そのものが歴史的使命を終えたと規定すべき証左なのかも知れない。今般の中川秀直氏のケースも清和会のこれまでの歴史に照らしても少なくとも小分裂を起こして可笑しくなかったにも拘わらずたったひとりの脱派に収斂したのは、派閥にそこ迄のエネルギーが注がれなくなった、証しと看做すことも出来よう。

 民主党政権は大臣・副大臣・政務官の「政務三役」の主宰する政策会議とは別個に、国会質問のための"勉強"を目途とした「政策研究会」を設けることとした様である。
 それ自体は予想以上に英国型議会制民主主義への制度変更が進んだ余波、揺り戻しなのか、或いは国会の委員会という、政府側からすれば準公的機関を単位としている点に明らかな様に、更なる純化の一環と見るべきか、判断の分かれるところだが、「政策研究会」と聞いて嘗ての河本派「新政策研究会」(現・番町政策研究所)を想起した向きは通である。
 しかし全く同一のネーミングが過去に存在したことに思い及んだ方がおられれば相当な派閥マニアであろう。「政策研究会」とは嘗ての日本社会党における和田―勝間田派の名称に他ならない。専門調査員として政府に乗り込んだ民主党職員諸兄には旧社会党出身者も少なくないと聞くから、嘗ての所属派閥への郷愁から襲名披露した、というのは流石に深読みのし過ぎだろうが。

10月27日(火) 幸せな結末  -ライフ - 家作り日記-

e3.jpg 遥か本年初から始まった家作り狂想曲も遂に締め括り総括質疑、マンション売却代金の収受と引き渡しの日がやって来た。
 思えば端からターゲットを高円寺に絞り、近隣の出物を幾つか見る内に早々に土地買い付けに至ったアバウトかつせっかちなわが家は、不動産代理業―三井のリハウス―にすれば上客だったろう。往々にして土地を見聞すればする程に独身貴族よろしく目が肥え、毎週末に物件を尋ねながら一年以上も結論に至らないケースも多く、こうした相当なコストを払った顧客も労少なくして益あるわが家も手数料マージンは同率に他ならないのである。
 それに比べればマンション売却の方は荷物を妻の実家に運んで身綺麗にした上で週末毎に空気の如く気配で潜在的な顧客を迎える生活は決して愉快な日々ではなかったが、不動産という大きな買い物に当たって購入側が良く言えば慎重、場合によって試行錯誤を繰り返すのもやむを得なかるまい。従って売買ともに著しい労苦を負うことなく、概ね是認出来る結末を迎えられたわが家は幸運だったと規定されるべきなのだろう、と一時的に御大尽となった通帳を眺めながら今にして想う。

e400.jpg 某先生を囲む恒例のおでん・新橋お多幸の会。変わったのは残念ながら主賓の胸からバッジが外れたこと、再開発によりお多幸がレンガ通りに移設されたことでだが、いきなり妻の実家から徒歩二分程度の立地で驚きの東大もと暗しである。
 因みに前店舗は新橋と銀座の境"銀座九丁目"辺りだったが、八丁目に現存するお多幸と、銀座から日本橋に移転したお多幸とも相互に別系統である。五店舗を構える"大"お多幸のHPには「他にお多幸の商標を正規に使用する店舗がありますが、サービス内容・価格等など異なりますので、ご了承下さい」とあるので君島ブランドや、バッグのキタムラの如く骨肉ではないらしい。
 時は流れ立場は違えども、お多幸の味は変わっていませんでした。

10月26日(月) アダルト・ビジュアル  -ライフ - 家作り日記-

e397.jpg 引越前に新規導入家電を先行搬入する試みは、引越当日の喧騒の中で配線等の過ちを犯すことなく早急にTV画面にあり付けるという点で有用だったのではなかろうか。
 勿論AV機器、取り分けその接続に特段の拘りが無ければ電気店の、或いはわが家であればj-comの為すがまま、胡瓜がぱぱに据え付ければ良いのだろうが、自ら思い描いた絵図面通り自ら機器の背面に身を潜ませて線を繋がなければ気が済まないタイプだけに、時間も役務も要するのである。
 それでも出来る限りマニアックな趣味に走らないよう心掛け、5.1サラウンドで背面にスピーカーを立てたりする離れ技は断念して、申し訳程度にウーハーと二つのミニ・スピーカーを配備するに留めたが、折角アンプとスピーカー・システムがあるならば音楽もこれで聞きたいし、ならば再生専用DVD機を別途用意すれば録画中に子供がDVDを見たいと言った際に便利である。この構成自体は旧家でも採用していたが、再生機の更新に再度ビックカメラを物色し、見もしないブルーレイ対応機を導入するのだから、矢張り住宅着工は経済波及効果が大きい訳である。
e402.jpg ただそのおかげでTVはSONY、中央のスピーカー・システムはDENON、j-comから借り物のチューナー録画機がパナソニック、左翼にブルーレイ/CD再生機のパイオニア、その下に唯一旧家から生き残ったシャープのハードディスク・レコーダと、細川内閣も吃驚の五社連立が成立し。配線の複雑さよりもリモコンの多彩さに音を上げそうだが、複雑になる程返って優越感が湧くのも機械好きの悪い癖かも知れないが。

e398.jpg 時を同じくしてセコムも稼働を開始した。当然導入を決める前にひと亘り営業氏から説明を受けていた筈だが、ひと度発令すれば迂闊に窓も開けられず、「外出セコム」をオンにしてから三分以内に家を出なければ空襲警報とはセコムに縛られる生活の如くで窮屈だが、だからと言って小まめに活用しなければ高い金を払っている価値が無い。
 しかし夜遅くなるお父さん用に玄関のみ解錠方法を変更するオプションがあるのならば、朝早く単身家を出ていくお父さん対応があって然るべきではないか。勿論、自らセコム・アウトして出掛ければ済む話しだし、わが家は程なく妻が長男を幼稚園に送っていくため外出セコム状態になるので必要不可欠な措置ではないが、心おきなく「セコムしてますよ」と応えるために、是非とも検討戴きたい。実はとっくに機能は備わっていて、私が無知なだけかも知れないが。

10月25日(日) 飢餓海峡  -テレビ・ラジオ - 仮面ライダーW(ダブル)-

 総選挙から約二月を経て迎えた二つの参議院補選は、下馬評を少しも揺るがすことの無い結果に終わった。最大の要因が総選挙を民主大勝に導いた政権交替熱が凪にあったにも拘わらず、虚脱症状で選挙戦に臨む体制すら作れなかった自由民主党そのものにあることは疑いの無いところであり、不戦敗との批判は甘んじて受け入れなければならない。
 ただ企業献金も含め産業界、企業の政党・政策支持の指針となっていた政策評価を事実上投げ出し、その判断リスクを個々の企業に押し付けた経団連や、民主支持に逸早く鞍替えした歯科医師会、或いは来年の参院選の改選候補を現職として自民党に抱えているにも拘わらず等距離外交に転じた医師会等、現に静岡の候補者のみならず民主党の参院議員に医師が増殖しているという実情を踏まえても、非常に判り易い変節である。
 勿論、寄らば大樹の部分があるのは止むを得ないし、行きつ戻りつ試行錯誤の過程であって単に表面に現れた事象だけで判断してはいけないのかも知れないが、これでは歴史上類を見ない労使一体政府が成立して二大政党制すら存立し得なくなりかねない。自らの組織維持に有益だったからに過ぎないとしても、何とかのひとつ覚えの様に一途かつかつアプリオリに組織を固定化させてきた労働組合幹部の高笑いが聞こえてきそうである。

e396.jpg 引越後のお片付けにも一応の目処が立ち、近隣の玩具店で二日早い祐旭の誕生日プレゼントを所望すると、確かに数日前迄は店頭に並んでいた仮面ライダー・ベルト、Wドライバがひとつも無いではないか。聞けば先週末に売り切れた由で、意外な人気は目出度いではないかなどと高をくくりながら、最早半ベソの祐旭にせがまれ中央沿線玩具店、量販店、デパートと片っ端から問い合わせると、恰も神隠しにでもあったかの如くに消え失せている。
 先週にベルトが大量に掃ける様な一大ストーリー展開があったのか、番組開始から一、二ヶ月で通例起こり得る展開なのか、或いは予想以上に番組開始時期をずらした効用は大きかったのか。
 何はともあれ25日にWドライバをプレゼントすると約束したのは父だから、確実に調達しなかった落ち度は覆せない。結局トイザらス迄赴き、兄のおこぼれで購入予定だった公資所望のメタルシャフト(Wの劍)と、祐旭にはひと世代前の、Wの在庫切れを見越してか値崩れを起こしていないディケイドライバを与えることになった。当然改めてWドライバは改めて購入するのだからとんだベルトのインフレである。飢餓感を煽る策略だったとしたら見事に乗せられたことになるが。

10月24日(土) 土曜大工  -ライフ - 家作り日記-

e395.jpg 昨今の引越業者はオプション・サービスが多彩で、掃除や結局利用しなかったが家電販売等、引越に伴い想定される凡ゆる付帯項目に手を染めていると言っても過言ではない。その中でも本業に近接しているのが「荷解き」サービスで、食器や衣類等梱包も業者に委ねた物品は、力仕事の猛者達に替わり、段ボールの解体も鮮やかな技師が翌日に現れ、大まかな搬入位置を示せば素早く収納して呉れるので、家庭の引越としては有り難いものだろう。
 ただ9割方が本とCD、PC周りで、到底配置を他者に委ねられない私の荷物には無縁の存在であって、単身作業を続けふと家の中を見回すと、キッチンやWICが見事に片付いている様は、小人の靴屋さんが現れたかの感覚にとらわれたのである。
 ではその間書斎でせっせと荷ホドキをしていたのかと言えば、一心不乱に前段階たる本箱作成に従事していたのだから聞くも涙の物語である。そもそも家具に拘わらず時間・労務コストは金銭で補うのを旨としているから、ひとつふたつなら偶に手を付けるのも酔狂だが、外枠二本、台車付き引出し型の内容物が計六本の大所帯を生板のまま並べられれば萎えざるを得ず、昨夜から細々と取り掛かるも螺子を回す握力が尽きて早々にダウンである。
 そこで日を改めたのだが、先ずは近隣のオリンピックの開店を待ち、電動ドライバーの購入から始めると、思いのほかスムーズに完工していくではないか。稀に部品が余ったりもしたが、存外に日曜大工に向いているのかしらなどと場違いな夢想にとらわれたのも束の間、固定棚板が中間に二枚だけだった前半三本に対し、スペースの都合上ひと回り小さくした残り三本は十一段固定、即ち飛躍的に螺子数が増えていることが明らかになり、意気消沈す。
 しかも安物だからか充電不足なのか、電動ドライバーのパワーが足りず、手動と併用で進めなければならない。それでも工作を重ねる内に半ばトランス状態になりながら夜半遂に完成に至った。勿論それはまだ序章に過ぎず、愈々肝心の書籍の運び入れが待っている。既に梱包前に度々現代型古書店のDORAMAに売却に赴いたが、いざ分野別に並べ替えると潔く別れを告げる新書が更に大量に積み上がってきた。
 その御利益だろうか、これまでマンションのあちらこちらに押し込まれていた書籍達が思いのほか収まっていくのは爽快である。固定棚十一段の三本組が苦労して組み上げた割にCDしか収まらず、段ボールも開封せずロフトに安置する筈だったCD群を並べてなお余剰が生じたのは些か誤算だったが、何とか収納に目鼻を付けて眠りに途に就いたのは午前4時。有森裕子氏の如くに自らを誉めてあげたい。

10月23日(金) 門出  -ライフ - 家作り日記-

e393.jpg 生まれてこの方、引越は都合十回経験しているが、親の実家のある名古屋から当時の居住地である大阪府茨木市へ、更に一歳そこそこでの横浜市緑区(現青葉区)への異動は記憶にないので残る八回を振り返ると、大学に受かって八年振りに帝都復帰した昭和63年と、マンションを買って四年振り三度目の高円寺居住を果たした平成八年を除けば、友人との別離であったり都落ちであったりと余り芳しい記憶がない。
 だからこそ余計に、今日の日を待ちに待った心持ちで迎えられたのは大変喜ばしい。金曜日を所望したため生憎大安には一週間に合わなかったが、ここ半月は日々詰め物に粉骨砕身していただけに、8時にアート引越センターが到来すると急ピッチで荷物が運び出されていく。家電等の大型固形物に加え既に梱包の完了していた箱の山が第一陣として新居に現れたのははや11時前、最後に嵩上げした子供部屋の押入に小箪笥がギリギリ収まらなかったり、本箱が階段を登れずトラックの荷台に積み上げられた後、ベランダ経由の原始的な搬入に供される光景を眺めている時分は余裕のよっちゃんであった。
 しかし事態は暗転、同じ経路で二階に到着した机が如何とも書斎の扉を通らない。買い替えるべきか悩んだ末に現行継続に踏み切った経緯もあり、万事休すの大失態かと臍を噛みそうになったところでアート軍団のおひと方から「この上は何ですか」との御宣託である。「(それは私が強引に望んだ)ルーフ・バルコニーです」と応えながら、流石に気休めに過ぎないのではないかと見くびっていたのだが、一旦逆ルートで地表に下ろした後、あれよあれよという間に屋上に駆け上がった一名が吊り下げ役、地面の押し上げ係が二名、それをガラスを全て外した書斎の窓から中継の二名が抱え込み、何事も無かったかの様に書斎に安置された折りには思わず拍手喝采して仕舞った。かく離れ技を用いても飽く迄顧客の要望に応じる、0123アート引越センターはプロであった。

e394.jpg 懸案も片付いた後ら一旦旧マンションに戻り、残された食器等自力梱包の難しい物品の搬出と、友人・知人に提供するべく残留物、ゴミの仕分けを指揮して退去の殿を務め、漸く17時前には新居に落ち着けるかと夢想したのである。
 ところが新たに到着した新本棚が二台総額十万円以上の大枚を叩いたにも拘わらず、手動にて組み立てられるべく大量の生板で登場するとは再び眼の前が暗闇に包まれるではないか。恐らく当方の確認ミスであり、覚悟を決めて作成に着手したが完成には遠到底い道程である。おかげで居間には本棚に収められるべく段ボールが溢れているが、幸いテレビ周りは事前に概ね組み上げておいたし、懸念されたネット環境も大禍なく開通したので、先ずは順調なスタートではないか、と自ら鼓舞しておこうか。

10月22日(木) くり返す  -ライフ - 日々のできごと-

e392.jpg ゴミのリサイクルと言えば、踊り捲るゴミ達の映像がインパクトあり余る、今をときめくPefumeの出世策、「ポリリズム」が記憶に新しい。果たしてリサイクルが本当に省資源化に寄与しているのかは些か眉唾な要素もあろうが、僅か二年前と比較しても格段にゴミ分別は細分化の道を辿りつつある。嘗て江東区とのゴミ戦争に敗北し、高井戸の一等地に自前の焼却施設を誂えざるを得なくなったわが区も"革新杉並"が今も生き長らえていれば名古屋市の様に種別を増やして住民に相互監視をさせる様な手段に訴えたかも知れないが、幸い焼却枦を最大限活用すべく=焼ける物は焼くとの健全な精神を示しているのは頼もしい。
 というのもこれ迄のマンション住まいは半ば曜日に関係なく共有持分のゴミ置き場に気兼ねなく投棄出来たが、これからは当然回収日の朝しか出せない。そこで引越にあたり、改めて繁々と分別表を眺めていると微妙な勘違いに気が付いた。容器包装リサイクル法に則り昨年二月からは旧来の「不燃」が狭義の「不燃」と「資源ゴミ」に二分され、これに伴い「不燃」だったプラスチックの内リサイクルに適さないもの、即ち食品が付着し容易に洗い落とせない、紙と渾然一体となっているプラスチックは「燃えるゴミ」に移行されたのは朧気に認識していたが、他の全てのプラスチック=資源ゴミとの理解であった。
 ところが実際には燃やされる分を除いてなお、プラスチックは更に二分されていたとは大したたまげたでないか。原則として固形物は「不燃」カウント、何故ならば固いものはリサイクルが難しいので破砕して埋め立て処理に回し、プラマーク記載の包装材を中心とした柔らかいプラスチックのみ資源扱いとはややこしい。道理でわが家のゴミに不審を抱く場面にまま遭遇していたが、妻が分別の手を抜いた訳では決してなかったのである。あいすません。

 遂にわが家からも新型インフルエンザ罹患者が発生、幸い祐旭は正規にインフルと判明する前に先回りしてタミフルを処方して呉れたので大事に至らず幸いであった。
 しかし恐ろしいのは幼稚園の学級閉鎖から僅か二日で予想通り発症に追い込まれたことだろう。まさにパンデミックで、企業によっては家族が発症すれば濃厚接触者として自動的に"出社に及ばず"処置を取っていたのも理解出来る。労働集約産業ではそうは問屋が卸さないのだろうが。

10月21日(水) でんでん太鼓  -政治・経済 - 郵政民営化-

e391.jpg 政権の交替に伴い経済政策もまた大きく路線変更されるのは不思議な話ではない。例えば前政権下では外資導入目前だった日航を政府による救済に転換するなど、当事者にしてみれば溜まったものではなかろうが、左右の政権交替の度に国営化と民間売却を相互に繰り返したフランス大手企業のケースもあるから、驚くには当たらない。
 郵政民営化の白紙還元も、連立与党たる国民新党のレーゾン・デートルであることに鑑みれば予想された展開に他ならない。そもそも郵貯・簡保の民営化は合理的であっても、郵便単体では採算が取れず、このままではじり貧なので経営多角化に向け郵便事業も民営化するという論理は端から牽強付会な面は否めなかったから、見直し即改革の後退であるとも限らない。
 ただ財政投融資という"第二の予算"を、その投融資先である政府系金融機関や特殊法人の改廃とともに縮減するのを出口と看做し、その入口もまた縛ることに郵政民営化の本丸があり、だからこその「官から民へ」であった筈である。従って入口の金集めを復活させるならば、出口たる国家金融をもまた再拡張することが、行き過ぎた市場主義を戒め中小企業の白亜の天使たる民主党政権に相応しい筈だが、寧ろそれ等官業の縮小を掲げている。勿論、徒らに民営化して外貨、外国株式への投資を増やし、国富を外国金融に浚われる危険性から回避するというのはひとつの論理ではあるが、詰まるところは更なる増発が予想される国債購入に充当されるのならば余りに予定調和的ではないか。 更に言えば郵便局が恰も自治体の出先機関が如く高齢者や限界集落にも木目細かい対応を取って来たのは事実だとして、それを公的に「地域のワンストップ・サービス拠点」と規定するのでは、そのためのコストもまた郵貯・簡保の運用益から再び捻出されること、即ち形を変えた都市から地方への所得移転の黙示的な是認に他ならない。

 しかしこうした疑問は仰天の新社長人事で全て些末な論議と化すのだろうか。
 斎藤次郎元大蔵次官の14年振りの復権は官僚OBという点が早くも批判を喚起し、確かに財務省の立ち回りの旨さを示す傍証かも知れないが、寧ろ今回の「郵政国営化」に明確な指針を齎した、小沢人事の判り易さと読むべきではなかろうか。
 詰まりデン助社長の登壇は、国民新党的な地域振興や単なる財政投融資の復活に留まらぬ、国家財政の建て直しに向けた尖兵の役回りを、日本郵政に与えたのである。何時の日かあの真っ赤なポストがこの国を救ったのよと囁かれる時が訪れるのだろうか。

10月19日(月) 幾山河  -テレビ・ラジオ - 不毛地帯-

 会館にて雌伏四年、永田町の住民となられた御仁にお会いする。出馬以前から面識のある方だが、月並な表現とはいえ恐らく後天的に身に纏ったであろう低姿勢が、四年の浪人を経てすっかり板に付いた腰の低さの一方で、嫌味の感じられない自信に満ち溢れている様が伺われた。
 御本人曰く四年間を支えたのは「根拠の無い楽観」であると今だからこそ振り返っておられたが、誰にでも出来ることではない。何となく、少し元気を戴いた感。

e390.jpg 官僚たちの夏にしろ、沈まぬ太陽にしろ、このところ矢鱈と昭和期を振り返るドラマばかり放映されている様な錯覚に陥るのは、わが家の嗜好が中高向けにシフトしているからだろうか。
 恐らくは嘗て戦争ドラマや時代劇が担っていたポジションの代替たる位置付けであり、即ち"昭和"もまた歴史の領域に足を踏み込みつつある証左には違いないが、中でも山崎豊子氏が持て囃されるのは大河ドラマ的な適度な史実と虚構の取り合わせの妙だろうか。
 ただいきなり二時間スペシャルの「不毛地帯」第一回は録画でCMを飛ばして見ても、シベリアでは無かろうが如何にも予算を費やしました風のロケや坂本龍一氏のテーマ曲など「フジテレビ開局50周年」に懸ける意気込みは充分伝わって来るものの、その分早くもお腹一杯感は否めない。
 そもそも完全に瀬島龍三氏サイドに立脚したストーリー仕立てだから、既に語り尽くされた感のある第一次FX戦争の前半部は兎に角、まだまだ生々しい日米自動車合弁等の後半部の映像化に新味があると言っても、瀬島氏が棺を覆いたからと言って氏に不利益な新事実が顕わになる訳でもない。一方で敵役のモデルである海部八郎氏の、ダグラス・グラマン事件における国会証人喚問で宣誓書へのサインにあたり、緊張の余り手が震え続けた実際の映像が脳裏に甦るが、こうしたサイドストーリーが追加されもしないだろうから、原作の何処をピックアップして、或いはディフォルメして描くのかという偏った楽しみ方にならざるを得ない。にも拘わらず好視聴率が予想されるのは、「不毛地帯」という作品そのものを知る層が少数になっているのか、或いは予定調和の中のドラマツルギーを水戸黄門の印籠的に楽しむ人が多いのか、単に宣伝の賜物か。
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