コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月28日(月) 総総分離  -政治・経済 - 自民党-

 自由民主党にとって歴代二人目の野党総裁には谷垣禎一氏が選出された。既に安倍、麻生両氏に敗れ三位とはいえ06年に総裁選に出馬、また小なりと云えども派閥を率いた実績もあり、財務相、党政調会長、国交相と経歴も申し分ない。また人格温厚にして衆目の認める人望、理路整然とした説得力ある話し振りにも定評がある。ただ非常に残念なのはその兼ね備えた特質の多くが平時の、かつ与党総裁向きということだろう。
 ただだからと言って野党として、攻撃の先兵たるに相応しい河野太郎氏を総裁にすべきだったとは思わない。成る程河野氏は比較的都市圏という選挙地盤からしても小泉構造改革路線を継承する新自由主義経済を信奉し、半ば社会民主主義たる民主党に対峙するには得難い人材に映る。しかしながら実際には企業という利得を追及する存在をヤヒナものとして否定し、恰も仙人の如く富を超越した者同士による経済競争を夢想する側面が強く、だからこそ氏の過剰な環境至上主義とNPO礼賛がある。確かに前歴を追えば他の二人の候補者もまた弁護士と官僚ではあるが、少なくとも河野氏の如く銀の匙を加えたまま永田町住まいと揶揄されても仕方ない乏しい社会経験ではなかろう。ただ怖い者知らずだけに喧嘩を売る野党には有用な存在に違いなく、良き猛獣使いたるべく新総裁と旨く役割分担のされることを期待したい。

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中央は西村議員、左筆者。
右は山際前議員。(05/6撮影)
 ではもうひとりの候補者、西村康稔氏にとっての総裁選とは何だったのか。恐らくは谷垣対河野となった際の、ガチンコの世代間闘争の絵柄を緩和させるため、有り体に言えば河野票を分散させるために担がれたという意味では「森の傀儡」との表現も、穏当ではないが強ち的外れとも言い難かろう。ただ当て馬であったとしても総裁に犠せらるのは嘱望される将来が認めらるからこそであり、将たるに足る器と見做された証しには違いない。
 少なくとも今回の出馬により全国的な知名度を飛躍的に向上させたのは間違いなく、棚ぼたの出馬を好機と捉え今後に活かせるかは紛れもなく本人次第であろう。非常に頭の回転も判断も早い替わりに悪くすると機を見るに敏でスタンドプレイ好きと受け止められがちな西村氏ではあるが、前出向先で勉強会の長と事務局という身の上でお仕えした立場から申し上げれば、確かに体よく活用されたには違いないものの、使われて不快に感じたことがなかった、苦笑させられても怒りに転化され難い存在だったのは氏の名誉のために声を大にしたいし、それこそは矢張り氏の明るさと醸し出すリーダーシップの為せる業ではないだろうか。更に言えば果たして政権与党の政策立案過程には如何なる魔法があるものかと興味津々だった時分に、最も必要なのは何をテーマとするかの感性であり、選んだ後は猛烈なスピードでヒアリングを重ね、それを精査し積み上げる地道で骨の折れる作業に他ならないということを、正に実地教育して呉れた恩義がありまた、非常に僭越に申し上げれば当方からはともに働かせて貰ったという勝手な戦友気分もある。
 だからこそ経済政策的には中道寄りの谷垣氏とユートピア自由主義の河野氏に挟まれ旗色鮮明でない印象を与えたのは残念だったが、少なくとも今総裁選にはこれ迄とはまた違った個人的な感慨も抱かせて呉れたのである。何時の日にかあの野党だった平成21年が西村康稔氏にとっての初陣、全国デビューの日であったと振り返ることの出来る時が訪れるのを切に願いたい。

9月26日(土) コーディネートはこうでねーと  -グルメ - お寿司-

e365.jpg 妻の従妹の勤務する家具販売のショールームを訪れる。座高の高い日本人向きでという訳でもあるまいが、比較的座面の長いソファーがなかなか快適である。しかしこうした家具類の販価とは、例えばIKEAの様な量販店がスケール・メリットと販売コストの削減により低価格化を実現する仕組みこそ理解出来るが、実際のところどの程度が実コストで、一方ブランド料見込みは如何ばかりなのだろうか。
 勿論、激安品は組立コスト、素人の手作業が耐震性等に及ぼすリスク、加えて万一不良品であっても安楽に交換に辿り着かないとの評判もあるから、ブランドには安心料も組み込まれるとの見解もあろう。だからこそ追加する本棚もまた同じ通販でもワングレード上げたものに靡きそなわが家の如く優良顧客も生まれるのだが、一方で激安家具が黒船の如く現れたことにより著しい嗜好品は兎も角、全体としてコスト或いは利幅の削減により価格帯を押し下げる効用を齎したのもまた事実である。
e366.jpg 恐らくその恩恵を最も如実に蒙っているのが、寿司ではないか。嘗て寿司屋と言えば余りに敷居が高く、おいそれと家庭で舌鼓の打てる場所ではなかった。一方で回転寿司は価格に見合う程度に味覚は満たして呉れたものの、時には回転し過ぎてネタがパサ付いたりと、それなりの領域を超えるものではなかった。
 が本日、このところ母子で何度か訪れた祐旭の「お父さんに紹介したい」とのお奨めに従い駅前の「三崎港」を訪れると、成る程そこそこに混雑もする訳である。確かに持ち帰り販売店系チェーンに比べれば幾分割高ではあるがその分美味だし、家族向けに机席があるのもポイントが高い。
 更に考えてみれば穴子ばかりの父と、イクラばかりの長男、握らぬ玉子と何故か唐揚げを所望する次男の三者三様の偏向のなかサビ抜きだけは一家仲良く全員集合という絵柄は、高級店のカウンターで摘まむには相当に似合わないし、実際そこそこの店で穴子ばかり20個近く頼んだら余り芳しくない表情を戴いた記憶もある。だからこそ回転分に加え注文も出来る今の回転寿司のあり方は却ってわが家向きなのだが、惜しむらくは三崎港の穴子はほの暖かいのが売りなので全量注文生産とは、気位の高そうな高級店と同等迄には至らなくとも、穴子穴子とマスオさんの如く連呼し続ける気恥ずかしさを感じざるを得ないことか。消費者の選択の幅が広がるという意味で、価格破壊も悪くない。

9月25日(金) 人形の家

 政権交替の効用として過去の経緯に囚われず大胆な政策変更が可能になることが挙げられるが、民間企業の側にとっても旧弊を改めるのみならず、かく相互に主張の隔たりがあれば必然的に個々の政策に対する姿勢を振り返り、また整理する好機にもなることは間違いない。
 おかげで"政策渉外の一環たる永田町担当"なる職責もお仕事の大半が民主党の動向に振り回されていると言って良い。それも選挙を挟んだ前後は、例えばゴルフ・ダイジェストにも中小企業の法人税減税や特殊法人原則廃止のゴルフ場経営への影響といった記事が掲載される程にマニフェストや政策インデックスの内容分析に明け暮れたが徐々に個々の中身、取り分け順序と真剣度合いか見えて来ると、業界や企業への影響からその対策へと話しが進んで来る。或いはこれを機会に巨大企業らしく個別案件・部局毎に「局あって省なし」状態だったのを旨く統合出来ればとの思惑も鎌首を擡げて来て、過去に例なくお題が百花繚乱嵩んでいく。
 千客万来なのは仕事が無くて無聊を託つより余程健全だが、だからと言って民主党陣営と急に仲良くなる術も無いし、紙を仕上げて上程しという作業量が増えれば必然的に内に籠る、机上の空論を駆使する内務官僚的な動きに毒されていく。同時に時間的制約から自身手づから作業せざるを得ない側面と、長年携わった挙句の漸くの出番だけに紙一枚の枝振り迄の微細な拘りが災いして、曲がりなりにも管理職面をしていたところから、単身暗躍にて賄える範囲の職人気質が顔を出して仕舞う悔恨もある。
 他方、専ら対外的な顔は広くとも禄を長年食む企業内では必ずしもそうでない、言わば外弁慶とも揶揄されるべき存在だったのが、流石にこの一月で矢鱈と企業内に顔が売れた様な錯覚に陥いれたのは、一介のサラリーマンとしては役得だったかも知れないが。さて降って沸いた政権交替の余波、引く手あまたが長引いても疲れるし、これが常態となり定着するのも仕事としては望ましいかも知れないが、果たしてわが国に取って如何ばかりかは別問題である。痛し痒し。

e364.jpg 最近コンビニ漫画を手にする機会が多いが、遅まきながら改めて面白みを感じたのがクレヨンしんちゃんであった。
 勿論、ちびまる子ちゃんが顕著にそうであった様に、大衆性を獲得して取り分けアニメ版は毒気が薄れたのは疑いない。また時代考証等の評価が高く異例の実写化に至った映画「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」も、しんちゃんのキャラクターを流用したスペクタクルという点では既にドラえもんやポケモンと大差ない。
 言うならば「クレヨンしんちゃん」という存在自体が既に作者、臼井義人氏の手を超えたものになっており、だからこそTVアニメはサザエさんの如く生き続けるのだろう。それを作者自身がどう感じていたかはもう判らないことだけれど。

9月23日(祝) 1/4の神話  -政治・経済 - 環境・資源・エネルギー-

 鳩山新総理の最初の大仕事は国連総会にて温暖化ガス1990年比25%削減の中期目標を世界に公言することであった。その気宇壮大な意気や良し、或いは選挙公約を飽く迄貫こうとする誠実さを称えることもまた可能であり、ハネムーン期であることを割り引いても総じて新政権に好意的なマスコミも評価ムードが強い。
 勿論百歩譲って国内的には特定の産業に懲罰的な負荷を加える様な配分の為されることないシステムを構築しかつ、競争力の劣化した産業・企業が排出量をも減少させることに依って利を得る矛盾さえ解消出来れば―それは絶望的な迄に過大な要請に違いないが―、公害問題やオイル・ショックが省エネルギー技術の著しい進展を喚起した様に、環境を尺度とした新たな技術・商品開発を促すというプラスの側面も見出だし得るだろう。
 ただ国際交渉という生き馬の眼を抜く世界を前に、恰も手の内全てをさらけ出して麻雀をするが如き挙に出れば他のプレイヤーが喜ぶのは当たり前であって、それを他国から絶賛されたと喜んでいてはお人良しに過ぎるばかりか、国益という意味では非常に利が薄い。
 確かに主要国の参加というエキュスクーズこそ附加されてはいるものの、先手を打って大見栄を切れば後に引き難いし、そもそも他国がわが国より遥かに小さい数字であったとして参加する目算があるのかも疑わしい。良くも悪くも現実主義の米国民とその意向を忖度する議会であれば自らに火の粉が降りかかりそうな国際公約には過敏に反発するだろうが、一億二千万総偽善者化しがちなわが国は、寧ろ耐乏生活が恰も地球を延命させているかの様なマゾヒスティックな愉悦に浸りかねない。
 嘗て独立より程ない時分、日本国の首相として答弁をと問われた吉田首相は「バカヤロー」と呟いて政局を招いたが、政治とは他の手段をもって行う戦争の継続、と規定するのは些か極論だとしても、日本国首相は地球よりも先ず日本国民の生命とその源泉となる富を優先させなければならないことが忘れられてはいまいか。

e363.jpg 読売巨人軍がV9期以来の三連覇を果たした。確かにクリーンナップに小笠原、ラミレス、投手陣にグライシンガー、クルーンと外様組が顔を並べる構図こそ変わらないが、同じ外国人でもゴンザレスはヤクルトをお払い箱になった再生品、オビスポに至っては紛れも無い掘り出し物に違いない。更には亀井の五番定着、坂本の躍進、山口に続く育成出身の松本の中堅奪取とヤング・ジャイアンツの進境著しきには、清原球団代表の鼻高々な顔が浮かびそうである。
 週刊ベースボール連載のコラムも新聞記者出身だけに散文調にオブラートに包むことによりアンチ巨人思想を必要以上に喚起させぬべく配慮は伺えるが、内容そのものは週を追う毎にミニ・ナベツネ氏化が進んでいると言っても強ち誤りではなかろう。ある程度強引なリーダーシップが働かなければ組織は改良されないということか。

9月22日(祝) 大湧小湧  -旅行 - 温泉♪-

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(左)階段上のケーブルカー内、(右)ロープウェイから眼下に大涌谷を見る
 早朝から箱根ケーブルカーの終点にして箱根ロープウェイの起点、早雲山駅を基点にガラガラのケーブルカーを下って階段上の車体を堪能した後、今度は満載の上りへと往復しその足でロープウェイへと駆け付ける。
 かく複雑かつ合理的でない導線と化したのは禄を食む企業の保養所兼接待用施設がかの地に存在したからに他ならない。ただ適度に立派で、十年前ならさぞ快適であったろう風情が偲ばれるものの「強羅荘」を名乗りながら看板に偽りあって到底強羅駅からは歩けない構造が早雲山基点を喚起した。ならばケーブルカーはパスしても良さそうなところ、都市変遷評論家の父と電車好きの息子達の思惑が一致し、かつ昨夕も乗車を試みるも思いのほか彫刻の森が長引いたため終電の壁に阻まれ、想いが募った末の長旅である。
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シャワー注ぐユネッサン
 ところが頭上から眺める三千年以上前からの温泉の源流、大湧谷は確かに壮観だが、勢い勇んで中間駅たる大湧谷で再度乗り換えてのロープウェイ後半戦は芦ノ湖に向けて緩やかに下るのみ。しかも終点・桃源台に到達すると間の悪いことに丁度箱根海賊船が港に着いて帰りの便は混雑極まりない。おかげで湖畔に少しも佇む暇も無いままにとんぼ返りとは妻ならずとも呆れられて然るべきだろう。おかげで折角早朝宿を後にしたのに第二の目的地である箱根小湧園に辿り着いたのは既に昼前、入場する迄に旧ロシアの小売り業もかくやと思われる程の著しい行列振りである。
 小湧園にやって来たのは十年内外振りになるが、学生時代の友人達と卒業間もなくに訪れた際の、矢鱈と広大な露天風呂が広がっている記憶だけが残されている。それに対し水温は風呂と温水の中間に位置し、構造上も遊戯用プール風情のユネッサンの印象は薄かったが、改めて体感すると"ユネッサン"というネーミングに因んだのか、ギリシャ・ローマ風の湯船や天空の塗装は兎も角、定期的に空が光り豪雨を模したシャワーが降り注ぐギミックが時代考証として正しいのかは判らないものの、水遊び好みながら寒さに弱いわが息子達にはどんぴしゃりの施設である。一方で記憶が美化され過ぎていたのだろうか、着衣混浴の湯~とびあは絵に描いた様な芋洗い状態に気圧された分を割り引いても、この程度だったかという軽い失望と同時に、寧ろワイン風呂や珈琲風呂の新設が際物感を強めたきらいは否めない。また恐らくは建て増しに次ぐ建て増しで忍者屋敷の如く誂えられたのだから仕方ないとはいえ、施設間のアクセスに時間を要するのは肌寒さとともにマイナス点だろう。
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湯~とぴあ
 さて露天が豊富で爽快な替わりに脱衣場は猛烈に狭い森の湯でひとっ風呂浴びて急ぎ退散するも、本来昼過ぎには出ようかとの目論見が既に16時では案の定VICSは箱根湯本迄真っ赤、で箱根の山を降りるだけで二時間が経過しようとは後は推して知るべしと思われた。ところが何の配剤か、平塚から東名に入り計18kmだった渋滞表示が、いざ走ってみると大和トンネル迄11km、しかも緩やかにも流れているとなれば普段と大差ない。この日帰京ラッシュを迎えピーク時は51kmあった渋滞が既に解消モードに入っていようとは返って遅れたのが幸いした算段になる。結局往路よりも短時間で無事帰還し、終わり良ければ全て良したる感慨に浸ったのだった。
 蛇足だが、箱根湯本駅前だけでも一号線バイパス工事を、神山議員には是非お願いしたい。

9月21日(祝) 彫刻の魔術師  -地域情報 - 神奈川-

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 俄かドライバーとしてこのところ渋滞には泣かされ続けているにも拘わらず大型連休の最中に箱根に赴くとは無謀極まりない試みだったのかも知れない。東名川崎迄120分は流石に誇大広告擬きだったが、結局息子達は鈍重な車の流れに、我々夫婦は尿意に耐え切れず、その川崎で一般道に脱出する。当然246も流れは悪く横浜青葉で復帰、小田原厚木道路は快調で漸く落ち着きを取り戻したかに見えたが、箱根を目前に事態は再び暗転、一号線の鈍詰まりが自専道上迄固めているとは、しかもその渋滞の先頭が箱根駅前の車道を横切る人の群れであるとは、三年半前、まだ母の腹の中の公資と四人で箱根を訪れた際に全く逆の立場で臨んだ光景が甦り唖然としたのであった。
e356.jpg それでも出発から五時間余を経て漸く彫刻の森へと到着すると車酔いコンビの妻と公資も目を覚まさざるを得ぬ情景が待ち受けていた。彫刻の森美術館と言えばフジテレビの天気予報の類の背景映像として盛んにブラウン管に登場していた様に、広大な平原にこれみよがしに不可解な彫刻が居並ぶ姿を思い描いていた。しかしながら蓋を開けてみると、確かにシュールな現代アートには違いないが、子供も楽しめると言うより寧ろ子供向けの遊具そのものが多数取り揃えられ「ネットの森」(写真上)に至っては、外壁に木材を配して体裁は整えてはいるものの、最早彫刻ですらない。
 当然芸術者と芸術好きだけを相手にしていたら維持費すら賄えないだろうから、「子供と外人」をターゲットに加えた結果が、妻が看過した様に"巨大なジブリ美術館"とも形容称すべきキメラの如く存在が生まれたのかも知れない。その分子供達は歓喜に絶えない素振りでもい少し早めに到着していればと渋滞が恨まれたが、果たして彫刻の森とは従前よりかく存在だったのだろうか。鹿内家による鹿内家のための私財蓄積のみならず、メディア・グループ支配の持株会社という装置であった面影は最早PICASSOの看板が巨大過ぎる、奥まった美術ゾーンに残されるだけとなった彫刻の森に、草場の陰の信隆氏は何を想うのだろうか。

9月20日(日) 引き際  -政治・経済 - 政治家-

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静岡花博視察中の綿貫氏(中央,04/10)
 選挙結果の如何に依っては今頃は機上の人だったかも知れない。確かに北欧はストックホルムに赴く機会には早々恵まれないだろうから議員接遇役も苦痛とばかりは言えないが、流石に十年に幾度かの銀色週間を丸っ切り費やすのは費用対効果に見合わない。従って正直なところITS議員連盟なる集団の幹部陣が昨年は選挙直前(の可能性があった)、本年は選挙直後の混乱と自民党側は総裁選の最中であることから揃い欠席に落ち着いたのにはホッと胸を撫で下ろしたのである。
 ただこの結末自体は議連会長である綿貫民輔氏が比例単独出馬を選択した時点で予想された事態だったのかも知れない。富山三区で他を寄せ付けぬ圧倒的な強さを誇った綿貫氏は自民党時代には地盤の重複する橘康太郎、萩山教厳両議員を比例に従え「水子が二人乗っている」と揶揄されたものである。その強さは国民新党に衣替えしても些かの揺るぎも無かったにも拘わらずわざわざ比例単独へと身を引いたのは即ち自らの出馬が富山政界と、取り分け自由民主党に著しい混乱を与えるとの判断故であり、郵政民営化を巡り袂を分かったとはいえ古巣・自民党を慮っての配慮に他ならない。
 ならばそもそも05年選挙において他の"造反組"同様に無所属出馬としていれば自民復党に支障は無かった筈である。そこを敢えて国民新党なる政党を拵えたのは郵政民営化反対の同志であり、小選挙区では決して竹下家に勝てない亀井久興氏を救済せんがためであった。そして民主党と合併寸前に至りながら白紙撤回したのもまた亀井氏の民主党中国ブロック比例優遇を確保出来なかったためであろう。にも拘わらず最期にはその国民新党と命運をともにするかの如く道を選んだのもまた綿貫氏の美学であり矜持に違いない。今般の選挙結果を見る限り、寧ろ民国合併が成立していれば綿貫氏のみならず亀井氏の小選挙区勝利すら相当な確度だったろうとは皮肉な結末だったが、名誉ある撤退に殉じた綿貫氏自身は恬淡とこの結果を受け入れたのではないだろうか。
e353.jpg 個人的にももう五年程前、何故か静岡花博をご案内した帰路、新幹線の車内にて"政治家たる心構え"を滔々と説いていただいたことが忘れられない。完全に泥酔状態で非常に感銘を受けた記憶だけ鮮明で話しの中身を殆ど覚えていないのが口惜しいが。

 おかげで五日間フルに予定を詰め得たものの、祐旭が幾分風邪気味で昨年に次ぐキャンプ第二弾は不参加とし、替わりに妻の運転練習に充てることとした。引越を前にニ十年来のペーパー歴より足を洗うべく、免許取得人口の激減によりすっかり腰の低くなった教習所に通い、出張練習も経て遂に一家が命運をともにする実践編である。
 三人乗り自転車で幼稚園迄送ることになった際も不安視された割に大過なくこなした妻であり、今回も主目的は同様なので大きな危惧は無かったが、存外にまともなハンドル捌きに感心した。指弾すべきがあるとすれば本人も自覚している通り、ハンドルを早くから切り過ぎるために杉並の細道では内輪が壁を削りそうになることだが、気を付けて切り返せば済む話しだろう。寧ろ右折時に対抗車を待ち受ける際にも心理的にいきなり右折モードに切り替わるためか、直進車の導線を遮るかの様に待機する傾向が見られたのが幾分気に掛かった。後何度か同乗し引越迄には完パケを期したい。

9月19日(土) 零とゼロ  -テレビ・ラジオ - ウルトラマンシリーズ-

e349.jpg 昭和41年マンの登場以来、ビデオやCMといった連続TV放映以外の形態を含めても、過去最大の「ウルトラ空白期」は所謂「第三期ウルトラ」の80から米国向けアニメ版のUSAが現れる迄の九年間ということになる。ただ平成三部作とされるティガの放映(96年~)以来、丸三年以上新しいウルトラ・ヒーローを欠いたことはない。
 その段に則ればレイモンという新たなカテゴリーと思しき存在こそ中間に挟んではいるものの、2006年のメビウスから起算してそろそろ新しいスターが現れて然るべき時期に丁度良い案配での弟の到来である。しかもセブンの息子ということはウルトラの父・母を大叔父、大叔母とする華麗なる血筋の持ち主であり、民主党からの次期総選挙出馬は難しくともM78星では二世批判は喧しくはないらしい。
 閑話休題、そのニュー・フェース=ウルトラマンゼロの初の御目見えとあらば、駆け付けねばなるまいと五連休の初日、やって来たのは川口SKIPシティである。耳馴染みの無いネーミングだが、旧NHKラジオ送信所跡地を再開発した映像センターであり、実際にウルトラ・シリーズの撮影にも活用されているという。そこに「大怪獣バトル スペシャルリサイタル」と題しゼロを筆頭にウルトラ一族が大挙して訪れるのである。
e350.jpg いきなり開演前から鎧を纏ったゼロが記念撮影に応じて呉れるとは豪奢だが、導線上には写真販売所が待ち受けているのだから抜かりない。更に開演すると早速大怪獣バトルのダイジェスト放送でこれならショーの怪獣に恐れを為す息子達も怖がるまい。
 次いで主人公たるレイ役・南・氏本人の登壇を挟みセカンド・ステージ「大怪獣バトルNEO」、更に映像にも現れたマンとセブンがマント姿で実体化すると、今度はメビウス外伝である。現時点で最期のTVシリーズであるメビウスには同僚たるヒカリも併せスピンアウト・ストーリーが大量生産されているが、完全に中継ぎ役と化したエース・タロウの殺陣舞台をショート・リリーフに、11月以降の発売が告知されている後二編に至ると何時の間にやらバトルナイザーを巡る物語に擦り換わっており、視聴者はここにウルトラ・シリーズと大怪獣バトルの世界観が統合されたことを知るのである。そしてそれは外伝DVDの宣伝のみならず、年末公開の「大怪獣バトル」の冠を掲げる映画に新たなヒーローであるゼロが登場する種明かし、前振りにもなっている秀逸な構成で、泣ける程にガラガラの客席が勿体ない。
e351.jpg この期に及んでDVDの主題歌を唄っている(らしい)、凡そ顔で売るには程遠い容姿ながら身振り装束はアイドル風情の謎の歌唱集団ボイジャーによる口パク歌謡ショー迄用意され、ボイジャーともども襲撃する悪役ウルトラマン・ベリアルを主軸とした着包みショーに会場は興奮の坩堝、公資は恐怖の余りボウダ一歩前である。ゴモラを従えたレイモンと鎧も脱いで本邦初登場のゼロ、更にはメビウスと番組を超えた共闘の前にベリアルが撤収したところで映画の予告編に繋がり、この続きはスクリーンでとは、既に特典付き前売りを購入済でも待ち遠しくなるではないか。御丁寧にカーテン・コール、引けにはレイの御見送り、握手付きの至れり尽くせり90分であった。この後全国興業も控えている様なので、ウルトラ・フリークの乳幼児には是非お薦めしたい。
 因みに少し凝り過ぎ気味のゼロの顔だがセブンに似ているのは疑いないとしてもうひとつの遺伝子はアンヌ隊員のものなのか、或いはM78星人と再婚(?)後の一粒種なのか、この辺りも解明が待たれるところである。

9月17日(木) 変身と変心  -スポーツ - プロ野球-

e348.jpg スポーツ・ノンフィクションの世界では沢木耕太郎氏のボクシングものがひとつの金字塔とされているが、ことプロ野球においては山際淳司氏の「江夏の21球」が当該範疇をジャンルとして定着させたメルクマールであったと規定するのは強ち的外れではないだろう。ただ多分にスポーツマンの、身体運動に臨む心理描写を主体とした氏の短編群よりは、寧ろ野球という集団競技に欠くべからざる人間関係をはじめとした生臭い部分にも着目した海老沢泰久氏の作品には文体も含め魅了されたものである。
 取り分け広岡達郎氏をモデルとした「監督」や、堀内恒夫氏の半生を綴った「ただ栄光のために」といった初期作品群には、必ずしも万人受けしそうな木口小平的な主人公でないだけ余計に、物語の配剤の妙を感じたのだろう。しかしながら名を馳せたスポーツ・ライターの誰しもが夢想するであろうストップアップの道であるが、現に直木賞作家の道を歩み徐々にスポーツ・オンリーの世界を離れていったのはスポーツ文学にとっては貴重な人材を失ったと惜しんでいたものである。
 その海老沢氏が山際氏がまたそうであったように天寿を全うすることなく鬼籍に入られたのを知ったのは遺稿とも言うべき書を手にした時だったが、氏に取っての早過ぎる晩年において、それは長編を編み為す体力が既に失われていたかがためかも知れないが、コラムニストとしてスポーツの世界に帰って来ていたこともまた知覚したのだった。
 しかしながら読み進めるに連れ、期待は大きな失望へと変わらざるを得なかった。最初から最後まで非難・批判と過去への憧憬のオンパレードで、指導者として野球界に著しく貢献した中西太、稲尾和久両氏と対照的に御託を並べるだけで称賛を浴びている豊田泰光氏の週刊ベースボール連載コラムに勝るとも劣らない不快さである。或いは病が人を変えたのかも知れないが、筆が荒れるにも程がある変貌振りではないか。正直なところ下手に「遺稿」として出版しない方が"作家"としての氏の評価を貶めなかったのではないかと迄思える。残念である。

 日産から下賜された首脳陣が退陣、田代代行は古巣の二軍監督に降格されと堕ちるところまで堕ちた横浜球団は仁志、工藤の両ベテラン選手と来期の契約を結ばないと発表した。
 成績から見れば当然の判断だが、来期47歳を迎える工藤投手は球界彦三・故浜崎真二氏の最年長勝利48歳、更には本邦史上初の50歳現役という手に届きそうな指標が存在しただけに非常に残念である。戦後間もなく野球選手自体の払底していた時分の元阪神・若林投手や浜崎翁以降長きに亘り投手には40歳の壁が立ちはだかっていたが、平成年代に入りオリックスの佐藤義則、広島の大野豊等の実証により不惑を超えなお第一線を保ち続け得ると、選手寿命の観念が変革されてきた、その集大成としての工藤投手である。客寄せパンダとしても有用だろうし、工藤投手の側に取っても寧ろ地方税分を賄える程度の低年俸で選手生活が継続されれば、著しく金銭に煩いという定着したイメージを一新する好機となろうから、万一戦力になれば非常にお買い得である。球界としての旨いアレンジを期待したい。

9月16日(水) 不易と流行  -政治・経済 - 民主党・鳩山政権-

 遂に誕生した鳩山内閣はオールスターキャストで編制され、細川八党派連立時には所謂"一・一ライン"が政府の外で政党間折衝を担ったのに対し、閣内に上級閣僚委の形で連立協議機関が設営されるなど、名実ともに政府与党一元化を旨としていることは評価に値する。自身英国型議会制民主主義の提唱者である小沢幹事長の存在が最大の例外となるが、党務を一心に預かると解釈して整合が図られたかの如く曲解がまかり通るのはハネムーン期の御愛嬌かも知れない。
 ただ与野党挙げて度が過ぎる官僚叩きの一方で、亀井・福島両党首には直接の担当省庁を預けず、国家戦略局に予算編成を奪われそうな大蔵には出身の藤井氏を配し、また政策的にも商工族の小沢鋭仁氏を環境相に据えするなど、人事の妙も伺える。最期に"ミスター年金"に差し替わった厚生省がターゲットとなり寧ろ高速無料消極派の前原大臣が着任した国交省と明暗を分けた形だが、実際に組織の長となった際に如何なる采配を振るうかは真価を試されるところだろう。(追記:難を逃れたと思いき国交省だが結局副大臣で臍を噛むことなった)
 ただ何れにしろ新しい政権が実際に政権運営を担う中で現実主義により開眼し、"緩やかな衰退"の遥か先達たる英国の様に旧植民地の果実で食べていけないわが国には経済発展が必定であって、左翼を廃し中道にシフトしていく方向性を採択するならば非常に望ましい方向ではあるが、本質的に経済的困窮者、比較弱者のための政権に他ならないことは留意しておかければならない。従って経済の回復する過程で必ず競争を主眼とし寧ろ弱者救済よりは弱肉強食を旨とする政権の出番は必ず必要とされる。それが健全なる二大政党制の一翼を担う自由民主党であるのか、肥大化した民主党を機軸政党とする、丁度55年体制のネガの姿が描かれるに留まるのかもまた、よくも悪くも新政権の結果に依る部分は多くなろう。
 しかしながら「若林正俊」という首班指名を見る限り、自由民主党の再生には暗澹たる想いを禁じ得ない。敗軍の将である麻生総裁でなく新総裁の名を認めたくとも物理的に間に合わないというのなら、副総理か副総裁格の人物を選択すれば良かろう。勿論、与謝野氏に投票すれば恰も与謝野次期総裁であるかの如く映るのを是が非でも避けたい勢力が存在したのなら、与謝野氏が自ら総裁選に出馬しないことを事前に表明すれば済むことである。
 御本人が一番吃驚したであろう"ミスター・リリーフ"に責がある訳ではないが、物事には「格」がある。変わるべきことと変わらぬべきことと、何方も難しい。
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