コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

8月31日(月) Let's Fly Again  -政治・経済 - 衆議院選挙-

e328.jpg 極めて卑近な分析をするならば、自民党候補の勝利した数少ない選挙区の多くは、勿論地域の歴史的経緯や候補者個人の属人的な力量も大きく左右したには違いないが、対抗馬が民主党以外の連立候補と見做される政党、或いは候補者が入り乱れた結果混戦に救われたケースが少なくない。それは逆説的に言えば自民対民主という「政党選択」選挙だったことを裏付けているのだが、では選好に導かれなかった小政党が未だ一定の勢力を有していることを如何に斟酌すべきだろうか。
 20年近く前、小沢一郎氏が自由民主党の、将来を嘱望された40代の大幹事長であった時分に、その師であった今は亡き金丸信氏は政界再編の絵図面として「長男坊の経世会が家を出る」と盛んに繰り返していたものである。その心は自民党内の政策軸において寧ろ中道に近かった竹下派経世会が自民党を出て社会党右派、公明・民社と合流することで健全な二大政党制を構築しようとの意図だった筈である。その目論見は経世会の分裂と片割れである羽田・小沢派の新生党としての離党を経て、細川連立内閣という形で一応の成立を見るが、性急な社会党左派切り捨てが僅か一年も経たずに自社大連立を喚起したのは周知の通りである。
 そして今、鳩山"新総理"や岡田幹事長の出自を紐解く迄もなく、或いは雇われマダムの名を借りた揚句に「旧津島派」と化した旧経世会-平成研の成れの果てに思いを馳せる迄もなく、16年の長い時を経て小沢構想はここに結実した。ならば次たるターゲットが新連立のパートナーである社会民主党であり、また旧総評の中でも左派とされる支持母体に向くことは必定だろう。
 恐らくその総決算は来年の参院選に他ならない。従って自由民主党としては、一度は「民主党に政権担当能力はない」と言い切り、大連立を模索した小沢氏が単に四年間政権を維持して自民党を冷え上がらせるのでなく、飽く迄「左翼切り捨て」を追求すべく"良心"に一縷の望みを賭け、政策を基盤とする中道/保守の二大政党への移行を模索すべきではないか。
 そのためには寧ろ田中派七日会・木曜クラブ以来、(政治的な自由主義を追求するための「自由党」を経由したといえなお)経済的には社会民主主義との親和性の高いであろう小沢派に対し、経済的な自由主義、則ち今や悪の権現と化した構造改革路線に近似するものを再び主軸に据えることが必要との論理が導き出される。しかしながら一方で今総選挙において激戦を勝ち抜いた自由民主党の顔触れを見渡す限り、もうひとつの特色は極端な北陸、中国・四国、九州南部への偏在、則ち過剰に伝統的な保守の思想に支えられた層であり、経済的には社会民主主義とも異なったパターナリズムが如きよくも悪くも古式ゆかしい層に支えられているという現実である。
 であるからして渡辺党首の栃木を別格として東京・神奈川、更に議席を譲り渡した東海・近畿と嘗ての新自由クラブにも似たみんなの党の都市政党戦略による予想外の健闘を参考にすることは非常に難しいが、それでもなお相対的にアッパー・クラスに属する大企業のホワイトカラー層を取り込み、恐らく思想的な"保守"として共通項を持つ自営業者と双方の経済的な利得が糾合される社会を編み出すのが自由民主党の生き残る道ではないだろうか。その一方で経済的な平等を求める集合体を代表する民主党が居て、外交・安保、或いは日の丸・君が代に代表される同一の社会的価値感のもとに経済情勢に応じて双方が政権交替を繰り返すのが、成熟した二大政党制の目指すべく姿ではあるまいか。だからこそ結党以来最大の危機にある自由民主党の使命は未だ尽きていないと声を大にして、本稿を締めたい。

8月30日(日) さよならの向こう側  -政治・経済 - 衆議院選挙-

e327.jpg 四年前との最大の違いが何かと問われれば、あの時は解散の瞬間には自民分裂・政界再編もやむなしもと思われながら、いざ蓋を開けてみると小泉チルドレン旋風が吹き荒れたというハプニング的展開だったのに対し、今般は既に選挙日程が決まった段階で民主党の勝利、政権交替が決まったかのムードがあったことだろう。恐らく事前に大勝が伝えられると返って判官贔屓と言うか逆バネが働くもので、自由民主党もそれを期待してわざわざ解散から投開票日迄を、史上初めて憲法に定められた最大日数である40日間に設定したに違いない。その時間稼ぎは多少なりとも功を奏した部分もあり、八月の声を聞くとともに潮目が変わったかと思われたが、いざお盆が開け公示されて正式な選挙戦が始まると寧ろ勝ち馬に乗る心理の方が強く作用したのだろうか、自由民主党に取ってみれば悲鳴にも近い状況に追い込まれていったのである。
 勿論、小泉構造改革の反動もあろうし、安倍・福田・麻生と政権がコロコロと交替したのもマイナスに作用したろう。ただ冷静に考えてみれば未曾有の大不況への対応をはじめ、現自公連立政権が著しい失政を行ったとはどう考えても思えないから、「政権交替」という魅惑的な-確かに政権交替により過去のしがらみを超えられるという大きな効用の存在することは細川政権において一定の立証は為されているが-キャッチ・フレーズに徒に魅了され過ぎた側面は否めなかろう。
 ただ非常に後講釈の如く映ろうが今更の様に振り返ってみれば、経団連の拵えたサラリーマン向け利益代表マシン(たり得てる筈だった)企業人政治フォーラム二日間に亘り開催した自民・民主両党のマニフェスト広聴会を見比べる限り、嗚呼自由民主党は矢張り負けるべくして負けたのだと天を仰がざるを得ない。自民党にとってみれば経済界は半ば内輪という気楽さがあったのかも知れないが、景気回復の数字ばかりを並べ立てる細田幹事長、得意分野の文教の話題ばかりの保利政調会長、そして極め付けが作成責任者にも拘わらず最初から最期まで原稿棒読みの菅座長であった。中身の優劣とは以前の問題として、翌日行われた民主党が岡田幹事長-直嶋政調会長の役割分担が的確だったのに対し余りの準備不足、マニフェストという言葉の魔力を嘗めていたとしか言いようがない。
 或いは選挙戦が始まる前から相手の土俵に乗り過ぎ恰も野党であるかの如くに"民主党批判"に専心し、構造改革と安全・安心のニ兎を追う余りに自らの主張が埋没したために、年来の支持者迄をも遠退けさせた嫌いはあろう。またそもそも郵政選挙で四年間命脈を繋いだ分、返って大きな反動が現れたと総括することも出来るが、その結実が党本部に現れた謎の垂れ幕「みなさん、ありがとう」であるならば最早自らを失っていたとしか言えまい。
 政治記事的に結論付けるならばこの政権選択の選挙結果がストレートに「55年体制を導き出した鳩山ブームから55年を経ての再び鳩山ブーム」に繋がるのか否か、ハネムーンを過ぎた来年前半の新政権の舵取りが、今後の日本政治を占う大きな要素になるのではなかろうか。 [続く]

8月29日(土)-30日(日) 子供は杉の子  -育児 - パパ育児日記。-

e323.jpg 年に二日、ついに数年前までは前夜祭含め三日間の開催だったから、子供の時分から数えれば高円寺阿波踊りの見物歴も二十回は下らない筈である。ただ余りに身近であるためか、三年前にわざわざ場所取りしてスタート直後から鑑賞したのを除けば、不真面目な観客であったのは間違いない。
 ところがわが息子が出演するとなれば当然、話しは別である。残念ながら午後に野暮用があったため事前の陣取りこそ叶わなかったが、17時半集合の祐旭を見送ると、一眼レフとビデオカメラを両手に早速道端に居を構え、連と行動をともにすべくてぐすね引いて待っていたのである。
e326jpg しかしながらいざ始まると恰も高円寺銀座の路上を埋め尽くさんばかりに大量の乳幼児達が群れを為して押し寄せて来るではないか。東日本最大を誇るだけあって資格審査の厳しい高円寺阿波踊りの中で、選挙投票所としても著名な、繁華街に位置する地元杉並第四小学校に併設された幼稚園を中核とし、直近二回の練習のみで出場権の与えられる「杉の子連」は特別待遇とも言うべき存在で、その分一般の連の如く充分に演者ひとり一人の空間は微少で、寧ろ「蜂の子」状態である。しかも現住所・新居ともに杉四小と縁薄い祐旭は揃いの法被も与えられぬ"独自の戦い"扱いで、友人ともども最後尾から追随して来るところ、幸い年長児にしては上背があるだけに発見こそ容易ではあったが、シャッター・チャンスを斟酌している暇など毛頭ない。この上に子供特例で高円寺銀座からPAL商店街、更に高南通りという通常ルートとは別個運航されることも把握していなかったため早々に連を見失い、次に邂逅したのは終演間近とは悔やんでも悔やみ切れない失態であった。

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 漸く段取りも判って来て再戦を期した二日目は昼間から小雨パラ付く天候に悩まされ、それでも開幕の直前には一旦雨も上がり、天候不順の賜物か昨日よりも減少した参加者のなか、前後左右の演者とのプライベート・スペースも幾分拡がって撮影には寧ろお誂え向きかと思われた。
 しかし安直には問屋が卸さぬもの、一心不乱に腕を足を振るわが子に、公式には迂闊に声を掛けぬようとの指導のなか自然な踊りの姿勢と笑顔のベスト・ミックスを見出だすのは容易でない。しかも中途より俄かに雨足強まり他の連に先を譲られ短縮走行、中央演舞場での最終演技まで駆け抜け、帰路に着く頃には間もなく始まる開票速報に勝るとも劣らぬ暴風雨振りである。滴る雨を掻き分け、撮影ポイント為り得る交差点から交差点へと迂回して廻り込んではカメラとビデオを持ち替えながらファインダーを覗き続けるの父も、年齢制限から出場叶わぬ公資とともに伴走する母も紛うことなき濡れ鼠、随分と長い時を経たかと思いきや帰着まで一時間に満たぬ短期決戦に収斂されたのも必定だろう。
 それでも当の祐旭は雨中「全く寒くなかった」と酒井紀子氏も真っ青ならぬ真っ白、ならぬ真っ黒なトランス振りで堂々コウエンジャーの使命を果たしていた。偶々隣り合わせた見知らぬ同世代の御仁とも年来の友人の如くに社交性を発揮していたし、指導或いは運営の関係各位に御礼申し上げるとともに、わが子ながらその真剣な取り組み姿勢を大いに褒め讃えたい。

8月26日(水) 言葉は言霊  -学校・教育 - 礼儀作法-

 盆と正月が一緒にとの慣用句を用いる程に多忙ではないものの、盆に盆が来てボンボンボボン、歩く姿はヘイマンボくらいのモテ振りではある。少しは政治用語、より正確には官庁用語で言うところの「総括」たる呼称に職責も近付いてきたかと自負心も湧くが、考えてみれば「政権交替に伴うシュミレーション」なぞ十年に一度あるかどうかだし、この期に引く手数多でなければそれこそ日頃問われ続けている存在価値により赤信号が点りかねない。せいぜい賞味期限の短い花形満振りを満喫しよう。

 ただ普段余り接触しないような幹部陣にペーパーを説明する場面が続くおかげで、初めての相手にどの程度微に入り細に亘り解説すべきなのか、明らかに先方が退屈そう、或いは自ら求める想定と異なり困惑が顔に表れている場合、どの程度端折るかの案配に大いに悩ませて呉れることとなった。
 加えて大概は平取や部長の趣旨説明に続き詳細はと促されて喋るから、中には前発言者の前振りを引用する場面もある。その際、例えば対外的に話すのなら「部長が申しました通り」が常套だが、内輪ばかりとなると上官たる部長にも敬意を払う必要があるのではなかろうか。では「部長もおっしゃいましたが」とすれば当の部長への配慮は抜群だが、上位者である専務なり最高幹部に違和感を覚えられては溜まらない。かのシチュエーションが度重なった末に「申されましたが」に落ち着いて事なきを得たと思い込んでいたのだが、余りに時宜を得て手に取ったのが「バカ丁寧化する日本語」という新書本である。
 その中に尊敬と謙譲の二重表現による二方面への敬語に付いての解説があり、まさにこのために誂えられた如くだが、「申す」だけでは直接応対者への謙譲表現にならないので「申し上げられ」が正しいとの解説があった。ただ著者も述べている通りにこれでは現代日本語として耳に馴染まないし、正確を期す余り「きこえたもう」と復古調に返っても滑稽である。「申され」程度に曖昧に済ませておくのが妥当か。そんなことまで考え過ぎか。

8月25日(火) プロパガンダ  -ブログ - ブログ-

e321.jpg 特段積極的に視聴率を高める試みに務めてはいないが、ブログ形式に移行して三年余、前身の一方向コラム時代から換算すると七年近く経過しながら、大半のコメントが商売ベースの迷惑記帳に過ぎないのは集客力の小ささに畏れ入るばかりである。ただ中には厳しい御指摘を戴くこともあるし、それらも含め岸元総理ではないが"声無き声"がどの存在しているのか。恐縮至極には違いないが、本編を目にされた方は末尾の「拍手」をクリックしては戴けないだろうか。
 などと原始的なニールセンの如く手法を模索していたら時宜をhttp://childcare-blog-ranking.com/">「育児ブログランキング」なるHPより参画のお誘いを戴いたではないか。元より当コラムは"子育てブログ"ではないが、二児の父として育児分野が総記事数の一割六分程度を占める四方山読物には違いない。これで飛躍的に知名度が高まると期待する積もりは毛頭ないが、我ながら折角高い執筆率を維持しているのだから、少しは宣伝臭を醸して読者拡大を期しても罰は当たらないだろうか。

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World Hapiness '09より
World Happinessの前振りでYMOの三人自らの述べた「従来にない、アップを多用した斬新な映像」との謳い文句に、昨年の海外公演のDVD「POSTYMO」を迷った揚句購入したが、結論から言えば騙された感無きにしもあらずである。
 そもそも完全収録版のCDが既に昨年発売されている上に、映像も揃えておきたくなるコアなファン心理に付け込んだ商魂逞しさからして恐れ入るが、倫敦公演の全曲収録に対し幸宏氏の生ドラム度も高まりより魅惑である筈のスペインは数曲のみ、足りない分はインタビューでお茶を濁すという構成からして怪しさは否めなかったろう。蓋を開けてみれば、要は現地スタッフの腕か、収録機材かの何方かが圧倒的に足りなかった様で、倫敦は毎度毎度曲はじめは引きの映像から入るワンパターンだし、スペインに至っては確かにこれまでにないアングルには違いないが、バストショットの連発で到底これ以上収録するに足る素材が得られなかったものと推察される。どうせフリークは購入するのだから「元の映像が極端だったので編集は苦労しました」位の本音は吐いて呉れなければ、悪乗りが過ぎると言われても反論は苦しかろう。お推めしない。

8月23日(日) 三多摩の享楽  -育児 - パパ育児日記。-

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 世の遊園地は須くディズニーランドひとり勝ちの中、万策尽きて白旗を掲げる古豪も少なくない。ここ多摩テックも自動車会社の禄を食む者として何れは訪れるに如くは無かったが、入園前の公資はおろか年長の祐旭でも早過ぎる位だからと機会を伺っていたところ、今秋閉園が発表されては先を急いで駆け付けなければならなかった。
 確かに幾分スピードの出る吊り下げ型モノレール式のガリオンは白眉であったし、他方祐旭が電車でGO!よろしく駅構内の一定の箇所に停止させ表彰カードを射止めるのに失敗して酷く落ち込んだちんちん電車であったりと非常に特色あるアトラクションが並び、取り分け小学校中高学年ともなれば自ら単身運転出来るゴーカートの類は非常に蠱惑的だろう。
e320.jpg ただであるが故にジェット・コースタの様な大仕掛けは皆無であって中学生ともなれば子供騙しに映るだろうし、そもそもモビリティというコンセプトからして女児は縁遠くなるとなれば、スイートスポットが非常に狭い。加えて多摩ニュータウンが街総ぐるみでの老齢化が危惧される中、京王線・多摩モノレール双方から微妙に距離のある立地自体も世の車離れと相まって災いをしたのだろうか。夏休みラス前の日曜かつさよならキャンペーンで今日は確かに混雑が見られたが、アミューズメント施設経営における最大の鍵、リピーターの拡大再生産には寄与し難そうな構造である。
 強く所望するプールを割愛された祐旭は替わりに露天と水風呂を相互に行き来する新しい発想でクア・ガーデンに喜びを見出だしていたが、本体は48年も温泉施設は僅か12年で閉鎖に追い込まれようとは些か勿体ない感もある。勿論、日本経済の現況に鑑みればやむを得ない措置なのだろが、今更宅地転用も見込めないし、跡地利用には苦慮せざるを得ないのではないか。風呂から上がりなお空中回遊のスカイライダーを経、目玉商品であったろう水陸両用車「アエロエックス」90分待ちのためパス、ロケ地となったウルトラQ第19話「2020年の挑戦」より11年も早い、最初で最期の永遠の別れを告げた。

8月22日(土) We Shall Overcome

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 その範疇自体がわが身を棚に上げて既存のシステムに反駁をしたがる恵まれた立ち位置なのか、学生とは古より左傾化しがちなポジションである。御他聞に漏れず私の所属したサークルにおいても「いちご白書」の如き傾倒はあり、個人的には往時から忌避感を抱いてはいたが、一方でそれが故に環境問題はじめ今にして思えば先見性のある取り組みに結び付いた側面があったのもまた事実である。
 勿論、概ね富裕層に属するからそれなりにハイソであって、昨年に続きそのOB・OG会の如く会合を訪れてみても、企業批判は兎に角積極的に所得再分配を後押ししそうな雰囲気は伺えない。そればかりかわが子もプレイヤーの一人に名を連ねた人生ゲームにバンカーという名の審判役で参画し、やれ「サラリーマンは稼ぎが少ないから手に職を」、「仕事が見付からないとフリーターになって仕舞う」など、小学生達の極めて現実的な見立てと裏腹に、世相を反映しているからだろうか、矢鱈と約束手形の登場回数が増え地味な人生航路が従来以上に立派に教育ツールとして機能している姿に、安堵すら覚えたものである。
e317.jpg 残念ながら祐旭は「フリーター」を勤め上げ辛くも最下位は免れるに留まったが、だからこそ直後のビンゴではビンゴマスター回しに従事しながら、お手盛りの様に第一位でビンゴに到達した際には、我先に父が雄叫びを挙げて仕舞ったのである。ところが一位だからと言って必ずしも豪奢な賞品だったり、金一封替わりの商品券だったりすることはなく、見事に優劣無く環境啓発グッズで取り揃えられているとは、この会合らしく平等主義の残り香を漂わせている。幾ら時節柄、或いは私の出自を皆踏まえているとはいえ、この中で近況報告に名を借りて自由民主党への支持を訴えるのは些か勇気の要る行為というのは大袈裟でも、場にそぐわないことは夥しい。
 会場となった、未来都市風の浮遊するモダニズム性が売りであった筈の六本木ヒルズも開闢から6年を経て、テレ朝ショップに君臨するドラえもんや仮面ライダーの姿に待つ迄もなく縁日の似合う、良くも悪くも土着性のある存在に変化しつつある。この段に則れば、一旦"革新"に靡いても自ら組織を差配する側に回ったりと否応なしに現実味を帯びれば、落ち着くべくところに落ち着くのではとの憶測も成り立つが、何かと考えさせられる晩夏ではあった。

8月20日(木) 洞察の彼方  -車・バイク - ハイブリッド車&電気自動車-

e314.jpg 偶然の所産であるならば余りにもタイミングが良過ぎるが、恰も現実の鍔競り合いに足取りを合わせるように書籍上も合戦が繰り広げられていると言うべきだろうか。
 本体とは逆さまに先行したプリウス本、更にはそれをベースとしたTV番組が言わば"先見性と決断"とを軸に置いたプロジェクトX風の、オーソドックスなドキュメンタリ形式に則り、ただ狙った程のドラマチックさに欠けたためか血湧き肉踊る程の感慨は産み得なかったのに対し、敢えてなのか単に後出しじゃんけん故の制約なねかは不分明だが、人間にスポットを当てず客観的に見て純技術的には劣っているシステムを逆手に取ったメリット=追加設備等が少ないためのコスト安を説きつつ、イメージ戦略との併せ技で一戦交えたインサイト本のコントラストは、まさに両社の有り様そのものをも物語っている様で興味深い。
 元より当該書籍だけを鵜呑みにする積もりはないが、燃費とそれに伴うランニング・コストに鑑みれば明らかにプリウスに軍配が上がるにも拘わらず、イニシャルの本体価格こそが消費者に対する訴求力を持つと言い切る姿勢は、明確な二番手戦略でありよく言えばベンチャー的なチャレンジ精神を維持した、悪く言えばトップの影に隠れて火事場の何とやらとも揶揄されかねない社風の為せる業なのだろうか。
 同書では利点とされているホンダ式ハイブリッドの、主体としてのエンジンをモーターが補完するという特性からは、更に電気部分を増大してプラグイン・ハイブリッドとする発展形に結び付き難いと指摘することはたやすいが、電気自動車が史上何度目かのブームを迎えつつある中、過渡的な技術には違いなくともそのインターバルが長引くであろう「ハイブリッド」という存在そのものをプレイアップし、相互作用による市場活性化に繋げていくには、美しい出来レースでと言っては深読みのし過ぎか。

8月19日(水) 人生の空から  -地域情報 - 地域情報-

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 旅に出たら僅かな時間であってもその地をよく知るために人に触れ、景色に触れ食に触れるべく努めるのは、足で情報を稼ぐ職責の者として当然の責務である。だから視察尽いていた出向時代も国内外を問わず公式日程の始まる前、朝の時間帯を活用しての街巡りを欠かさなかったし、その機会が著しく減少した現下においてはなお寸暇を惜しみ、時の有効活用に勤しまなければならない。
 勿論、A候補が強い、B候補は今ひとつといった下馬評は世論調査の数字や週刊誌の類を具に捲っていれば把握出来るが、それを裏付ける寧ろ定性的な指標は生の事実に接しなければ体感し難いし、そうして始めて単なる講釈師には抱き得ない説得力を獲得するに違いない。
 だからこそ観光名所や食文化に触れるのも決して忙中閑に依る役得に留まらず、例えば当該地における生活と政治の密着度の高さは奈辺にその由来が求められるのかといった疑問に対する手掛かりを得るための貴重なフィールド・ワークと言えば多分に牽強付会に響くだろうか。
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 ただ実際に和歌山から関西国際空港まで地道で走破し、熊野古道の新道であるかのような所々狭量になったりまた美しい二車線に戻ったりの道路整備状況を実地見聞するのは移動に供する最終消費財企業の禄を食む者として正攻法の取り組みに他ならなかろう。その段に則れば先頃値下げされた関西空港連絡橋を通過し、フライト迄の時間を活用してわざわざ100円を費やしてバス移動に臨み、別個の建屋として設けられた展望ホールから空港の全貌を俯瞰する行為すら見上げた探求心として賞賛されて然るべきかも知れない。
 言い訳は兎に角、良い旅だった。これで本来の来訪目的に少しでも効用が表れれば満願成就なのだが。

 金大中韓国元大統領が逝去された。色々な意味でわが国とは縁が深く、また漢字として非常に平易で覚え易いネーミングからも親しみ深い存在に他ならなかった。わが国としては忌々しき事態ではあるとしても、俄かに北朝鮮雪解けムードのこの時期に恰もそれを後押しするかの如くに、自らの人生にも幕を引くとはまさに波瀾の生涯と称するに相応しい最期ではないか。御冥福をお祈りしたい。

8月18日(火) ピリッと来たら安静に  -ヘルス・ダイエット - 肩こり・腰痛など・・-

 年寄りの冷や水にはまだ早過ぎるが、身動きの取り難い冷水のなか足を使わぬまま体のバランスを取ろうと右顧左眄したおかげだろうか、ピリッと鈍痛が走った直後はさ程の衝撃も感じ無かったものの、ひと度座して再び起立すると何ともはやロクに直立出来ないのである。
 確かに3月に劇的に腰が悪化した際も、疾走して間一髪滑り込んだ会議に着座している間は平静だったところ、いざ「本物は誰だ」の偽物さんの如くいち早く立ち上がろうとするとあら不思議、腰が曲がったままだったのに鑑みるまでもなく、痛くないからと長時間座り放しにするのは、確実に腰痛の治癒にマイナスの影響を与える措置に他ならない。だからと言って立ったままでは疲れるし、そもそも立つのが辛くて思わず座って腰骨を固定して仕舞うのだから悪循環である。
 膝の痛みを覚えたのも、単に発熱の所作だけでなく、矢張り腰との負担の分配における相乗効果として、先に悲鳴を挙げたものと見做すのが正しそうである。それでも昨日は腰を屈めなければ歩けなかったのが、盆休み中で整形外科の電気にも預かれなかったにも拘わらず、腰巻きをして一晩腰を伸ばして睡眠を取り何とか出張にも耐え得る程度に復調させたとは、我ながら見上げた自己療法ではなかろうか。習うより慣れろではないが、騙し騙しの使用法を体得していく他なかろう。一方で、関節への負荷削減策は真剣に検討しなければならないが。

e309.jpg 四年前は失礼ながら偶々名簿に名前が載ったおかげで一夜明けたら国会議員という然幸運児が瀕出し、良くも悪くもそれで人生が変わって仕舞った方も居ただろうが、少なくとも比例名簿の単独上位に搭載したからには、その集票力を期待したに過ぎなかったとしても、党の"顔"たるを容認したと見做されても否定は出来まい。
 勿論、自由民主党にとって背水の陣となった今選挙において、比例復活の枠をひとりでも多く確保したいという現実的な要請はよく理解出来るが、それならば一律対応が筋で東京ブロックだけまかりならないというのは些か奇異に映ろう。猪口邦子氏ならばたとえ議員を辞めても食べていけるからと好意的に解釈すべきなのかも知れないが、だとしても誰も手を挙げそうにない小選挙区に当て嵌めるなど穏便に対処する方策はあった筈だし、ぎりぎりまで至ってお払い箱では返って禍根を残しかねない。丁度反対に比例候補が殺到している民主党側にはつい最近はルビコン川のこちら側という顔触れもちらほら見受けられるし、世知辛いと言うべきか、雪崩を打つように暗い話題ばかりが聞こえるようになるのは、支持者であろうと無かろうと寂しい限りではないか。
 本日、第45回衆議院総選挙公示。
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