コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月31日(金) 大宮島に憧れて  -海外情報 - 南の島-

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 わが家にとって八年振り、子連れでは初めての海外旅行が決まったのは夏の海なら南の島に、出来れば沖縄をと模索しながらも、より安価な選択がグアムを導き出したが為に過ぎない。ただ決定的だったのは余りに貧相な東京国際空港国際線ターミナルからのチャーター便の存在で、加えて新橋の妻の実家という中継地を頼れば会社帰りのぶらり空の旅も可能と気付いたからに他ならない。
e266.jpg 22時過に羽田を発ちホテル着は2時半頃、如何にも南洋的なという表現は南洋を殆ど実見していない身の上として不遜ならば、東南亜細亜的な亜熱帯特有のうらぶれた外観とロビー風情に戸惑いを隠せないままに再び眠りに就き、一夜空ければ見掛けに寄らぬと言うべきか、前評判に違わぬ豊富なプール群が我々を待ち受けていた。
 そもそも乳幼児二名を伴う南の島とあらば嘗て夫婦水入らずの際訪れた沖縄の如く、リゾートとは名ばかりのハード・スケジュールなぞ論外で、価値判断はホテル併設の遊戯が如何に充実しているかに左右されざるを得ない。その段に則ればここオンワード・ビーチ・リゾートはウォーターパークと称し流れるプールあり、波のプールあり、スライダーあり、半チューブ状のカリブの海賊プール版ありとまさに親子連れ仕様。しかも水温も高めで文字通りぬるま湯に身を委ねた後にジャグジーをも待ち構えていようとは至れり尽くせりである。

e267.jpg それでも夕刻は街に出て、同巧の葛西臨海水族館と比べても些か高額なのはダンピング券を入手出来ず定価だったからかもしれないが、チューブ型で周囲が水槽たる回廊を通る水族館underwater worldを訪れる。地下には18禁のバーも併設されているためか非常に薄暗いのと、最後に登場するタッチ・プールで実際に魚類に触れられるのがわが国と異なる趣向と言うか、海外領土とはいえ米国らしさが伺われた。
 エイエイと連呼して威勢の良い人の如くありながら頴娃に興奮している公資の姿を確認するまでもなく充分に楽しんでいる子供達の素振りに、ヒト以外の異形の生き物に興味の薄い、更に言えば忌避感のある父は幾分引き気味ではあったが、リゾート地に相応しく早々にホテルに引き上げると眠りの途に就いたのであった。

7月29日(火) いざ鎌倉  -政治・経済 - 地方自治-

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高円寺PAL天蓋改装式典の
山田区長(03/4)。左は
石原信晃議員。
 橋下大阪知事の掲げた「首長連合」が山っ気ある者達の同床異夢に過ぎないことは明らかだろうが、首長のパワーを束ねて国の在り方に影響力を行使しようというのは、70年代のTOKYO(東京,大阪,京都,横浜,沖縄)革新地政にその雛形が認められるとはいえ面白い発想に他ならない。嘗て新進党の鼻息荒かりし時分に地方からドミノ倒しを狙う、或いは与野党相乗りの選挙戦を避け対決路線の象徴とすべく今に通ずる小沢戦略の一貫として、所属国会議員を次々と首長選に担ぎ上げた時期があり、その波に巧みに乗って一躍スターと化した三重の北川正恭氏や現職の神奈川・松沢成文氏の様な例もあれば、虚しく落選しそのまま引退に追い込まれた吹田幌氏など勝算は概ね五分五分であった。ただ大統領型の直接選挙であるが故に一介の国会議員よりも魅惑的な地方政治への転向が一種のブームになった割には、結局は議会で多数を占める自民党との良好な関係なくして首長は務まらないから、新進党の勢力拡張策としては余り功を奏したとは言い難かった。
 彼等に対し、今般唐突な辞任を表明した中田横浜市長はひとつ後の世代になり、折りに触れ同じ顔触れで登場する山田杉並区長、中村松山市長らとは93年日本新党初当選組という共通点がある。勿論、些か色褪せたが東国原氏よろしく野心を丸出しにすることはより高い地位にて自らの思い描く社会を構築すべく政治家たる"情熱"として間違った発露では決してないし、まさに彼等の初当選直後に成立した八党派連立内閣においては細川総理、武村官房長官の二人揃って知事出身の国会議員であった。詮のないイフではあるが横路元北海道知事もまたこの際決断して国政に回帰していれば、氏自身もまた社会民主党にも別の運命があったやも知れなかったろう。即ち大統領制的な強いリーダーシップを司どった経験則と同時に、兎角財政の逼迫した地方自治体が多いだけに、必然的に経営者的な財政運営の感覚を得て国政に舞い戻るのはひとつのコースではある。
e263.jpg ただ余程慎重に事を進めなければ地域を踏み台にしたという悪印象は拭えないし、ある日突然マニフェストは果たした、同日選が経済効率が良いと言われても、何か別の理由がと勘繰られるのは致し方ない。横浜港に怪獣が出現した際、陣頭指揮を取っていた、あの勇猛果敢な姿は幻だったのだろうか。次期総選挙に出馬しないところが余計に憶測を呼んでいるが、そもそも市長選初出馬の際から様々毀誉褒貶は存在していた同氏であり、良くも悪くも今後の展開を注視したい。

 今般は半ば昨年10月から走り続けて来たという点でも、また事実解散から憲法の許容する最大限の40日を経過しての投開票という点でも、長い選挙である。
 左写真は勧業銀行、谷津遊園、千葉市庁舎と受け継がれ、今は千葉の民間企業の本社屋となっているものである。夏本番、見通しは不明瞭だか暑い選挙である。

7月28日(火) 動くデジタル  -写真 - ★カメラ&レンズ・機材-

e261.jpg 導入から七年余、新し物好きの性癖からとっくに更新されていて然るべき旧デジタルビデオ機にかく拘り続けたのは、万一この先テープ・メディアが再生不能になっても更新を迫られぬよう既存の撮影ストックの編集に目処を付けておきたいとの心理が働きズルズルと現役生活を長引かせたのも一因ではあるが、根源的にはデジタル・ハイビジョンたるavchd方式への懐疑の念に由来すると言って良い。何より華々しく対応機種が店頭に並ぶ一方でほんの少し前までは、撮影済映像の編集はおろか映像間のシームレス再生すら素人には覚束ない状態であったとは何をか言わんやであろう。しかもデジタルカメラに関する書籍・雑誌の類は溢れんばかりに書店を席巻しているのに対し、ことビデオとなると業務用に限りなく近いマニア性の高いものを除けば市民権を確保しているとは言い難いから、著しく情報に乏しい。
 その中でひとつの契機となったのは一月余前、旧DV機の充電漏れでディズニーランドにてカメラ付属のavchd Liteに手を染めざるを得なくなったことだろう。おかげで旧来のmpegやaviファイルとの互換性等を調査する羽目に陥り、結論として並行利用には無理があるがデジタル・ハイビジョンの利用環境もそれなりに整備されて来たことを、少なくとも自覚的には認識したのである。
 となればわが家に取って八年振り、子連れでは初の海外旅行を以て切り替えるのが自然な運びであり、悩んだ揚句再びSONYに落ち着いたのは僅かに映像分野において残る同社のブランド力故だろうか。ただ長時間よりはカット数の多い撮影スタイルからすれば寧ろカードメディア主体の製品で減量を図るべくところ、機器の切り替わりのタイミングの問題でハードディスク・タイプに収斂したのは、取り分け長く使うものだから安易に決めるべきではないとはいえ、好機を逃さないとの観点を優先したとして納得しておきたい。
 追加でバッテリーセットばかりか、画角を拡げるためのワイド・コンバージョン・レンズまで購ったので結構なお買い物となったが、取り敢えず映像自体は美しいに違いないし、何よりも気付かぬ内に録画ボタンが押されてテープが終わってましたといった事態に至らぬ設計が為されているのは勿論、万一生じたとして該当部の削除は一目瞭然簡易であるし、取り分けランダム・アクセスの効用は再生時にこそ発揮されよう。後は小まめにPCに取り込む労力と現実には体験していない編集作業如何だろうか。より繁雑な活用に向け早急に取り扱いに卓越したい。

 竹久みち氏死去。三越の岡田社長解任「何故だ」事件の主因として"みちとの遭遇"などと揶揄されていたのも今は昔である。

7月26日(日) ロボットの見る夢  -政治・経済 - ビジネス展望-

e256.jpg 実に三年連続になるウルトラマンフェスティバルは色眼鏡かも知れないが総じて安普請で、お馴染みのゴモラ電車も例年の洞窟状の装飾が省かれ全行程丸見えとは、ウルトラ兄弟の立像達も心なしか寂し気である。テーマ「夢・ロボット怪獣研究所」からすれば何時にも増してギミックが多くて良かった筈だが、恐らく祐旭が強く拒絶したおかげで参画能わなかったショーではキングジョーの力強い活躍が伺えたのだろう。
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 それにしても幾ら主題に因んだとは言え乳幼児向けの触れ合いステージ10時半の部の主役がジャンボーグAとは、到底現代とは思い難い絵柄ではなかろうか。流れ作業で握手に及んだ祐旭にしても、父の特撮フリーク振りを継承して同世代の中では幾分の予備知識を有している部類ではあったろうが、これが立花ナオキの乗るセスナが変形したものだとは把握していなかったし、そもそもエメラルド星人から送られたサイボーグだった筈である。タイ国では国民的ヒーロー・ハヌマーンとの共演も果たした様に嘗ての円谷の一線級選手であるのは事実だが、このためにわざわざ着包みまで拵えたとしたら驚きである。

 一方展示においてキングジョーやユートムといったロボットが初演したウルトラセブンを中核とする昭和40年代近辺をロボット成長期とし、成熟期を経て現代を共生期と位置付けていたのはなかなかに鋭い指摘だったのではないか。
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(左)自動車アイランド九州の次世代産業であるロボットを
象徴するご案内メーテル(北九州空港,08/12)
 極論すればその「成長期」に幾分遅れた世代である我々にとって、ロボットに抱く第一感は既に未来への朗々たる希望であるよりは銀河鉄道999における機械の星であり、その崩壊にあたりネジと化した機械人間達の断末魔の叫び「はなれる~」に象徴される、寧ろ負のイメージの萌芽であった。それら過度の合理性の追求や文字通りの機械的な正解さといったモダン・タイムス的な要素をひとつひとつ払拭することに依り現代の共生期が生まれつつあるとの認識は正鵠であって、螺旋階段をひと回りして漸くロボットは現実の産業として輝かしい経済成長を担うべく再び脚光を浴びている。
 その過程においてアイボやアシモといった愛玩性の高い生物型ロボットの登場は無機的な産業用ロボットとの対比においてエポック・メイキングであったが、それが一足飛びに自律的な、キングジョーの域に達すると夢想するのは些か児戯に過ぎよう。従って当面は人の活動の周辺領域、則ち医療・介護支援や歩行・移動器具の延長線上としての機能への特化が予想される。
 それが如何なる産業領域として位置付けられるかは未だ不分明ではあるが、繊維や鉄といった一時代を築いたわが国基幹産業を担った名門企業は次たる産業構造の変化には必ずしも適合出来ないという過去例に照らすならば、自動車や電機業界としてはこの「ロボット」を如何に自らの産業からの敷延と位置付け、逆に自らの産業領域にかく取り込むかの争いとなるのではないだろうか。

7月25日(土) お祭り騒ぎが大好きで  -育児 - パパ育児日記。-

e253.jpg 朝から中野の島忠を訪ねソファやらテーブルやらをはじめ、最終的に何処で購入するかは別として、如何なる物品をリストアップすべきかを品定めした後は、上棟の際に追加された照明の確認にショールームを再訪す。次いで取って返すと祐旭の幼稚園の経営母体たる神社のお祭りに先立つ山車引きに参画。更に一旦帰着し二人のわが子は仁平に召し換えて祭り本体に赴いた。
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 お祭り騒ぎは決して嫌いではないが、車通りも決して少なくない歩車非分離の道を行きつ立ち止まりつハメルンの笛吹きよろしく練り歩くのも酷暑のなか些か体力を奪われるし、縁日を主体とする祭りそのものも好んで足を運ぶ質ではない。しかも盆踊りの主題曲が「ドラえもん音頭」とは、丁度30年前に父が杉並の移動学級「富士学園」に赴いた際の課題曲と同一で、往時はまさに時代の最先端に他ならなかった訳だが、今となってはアナクロにも程があろう。
 しかし乳幼児に取っては縄を掴んで行軍するだけでも充分に楽しめた様だし、幼稚園で散々練習した「八幡音頭」が鳴り響くと祐旭は率先して登壇し舞踊を披露していたのだから、テンコ盛りの一日にも意義があったということか。

 おかげで男性三人で風呂に入る前から父は断続的に寝入って仕舞ったが、本日ならばこそ多忙故との言い訳も成り立とうものの、このところ暑さにかまけてがんがんに冷やした寝室にて一寸ひと休みと横になるとそのまますやすやというケースが過剰に多い。勿論目覚めると朝で嗚呼無為に費やしてと歎く羽目に陥っても体力回復には寄与している筈だし、明け方に目覚めて本コラムの掲載やビデオ編集に勢を出せば早寝早起サイクルに収斂するという点で一見健全である。
 ただ逆に言えば夜更かしする不健康な体力が失せて来た証左に他ならず、迂闊に眠りに落ちないべく習慣付ける必要があろう。もう眠れる内はまだ若いと喜ぶべきかも知れないが。

7月24日(金) 胃腸に優しく  -グルメ - ラーメン-

 古からの諺・格言の類には応々にして何のことやら判然としなくとも、深刻な事態が訪れて初めてハタと膝を打つことが少なくない。例えば「食べてすぐ寝ると牛になる」とは、胃が活発に働いている内に就寝すると、寝ているから自覚症状のないままに胃酸が消化器系統を荒らし、その結果胃の4つある牛の様にゲップをし続ける羽目になるとの寓意だと、今般の胃カメラを経て漸く得心した。
 確かに寝る前に物を食べていたおかげで体重の増進に寄与するのみならず、胃液の作用に依る逆流性食道炎なる病を得ていたのだから牛よりも相当に酷い。幸い胃そのものは矢鱈と潰瘍の治癒した跡ばかり目立つ割には現時点での大きな支障は無いようで、ここはひとつ夜食を大幅に削減すべく一大決心が必要だろうか。

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片や旭川(左)、こなた札幌
 とは言えたとえ宴席で少々嘔吐しても返って小腹の空く分ラーメン店に寄ったり、ひと風呂浴びながらカップ麺を食したりする生活習慣なので実行はなかなか難しい。更には取り分け辛かったり非常に濃厚な味噌味が好みなので消化器科への負担は決して少なくないだろう。
 恐らく"味噌煮"と評するのが妥当な程に煮詰めた味噌汁を愛好する性癖とともに、濃い赤味噌への憧憬は私の味覚に継承された名古屋オリジンの刻印の為せる業であろうが、味噌煮込みうどんは兎に角、味噌ラーメン自体はラーメン不毛の地・愛知とは何等の関係もなく、札幌における単身赴任族用の軽食が発祥とされている。
 ただどうやら一般的に類型化されている札幌ラーメンなるものは必ずしも濃密でない汁に大量のモヤシと玉蜀黍が誂えられたものだが、果たしてそれが本物なのか。何度か本場札幌で食した際には、スープだけ飲めば恰も煮詰めた味噌汁の如く、そこに挽き肉を中心とするトッピングがあり、モヤシが存在したとしても極少量とのパターンが認められた。個人的にモヤシは非常に苦手であり、だからこそ味噌ラーメンを注文するに当たり逐一モヤシの有無を確認し、"モヤシ抜き"を告げても実際に現物が到来する迄不安に苛まれなければならないのだが、本場の極少量の混入であれば仮に発掘されても回避して麺だけを食することも(本意ではないが)可能なのである。業界には是非、全国的な「味噌ラーメンとは」の再定義をお願いしたい。
 [参考]「胃に優しく」(02/3)

7月22日(水) アメノタヂカラヲ  -グルメ - 野菜-

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 農業生産法人の生産性向上という如何にも畑違いな活動が遂に終焉を迎え新装なったJAビルにて閉幕式が挙行される。三年余に及ぶ活動のうち私個人携わったのは大分と成熟化してきてさてどう落とし所を図るかという段階からであり、新たな試みが立ち上がる際の躍動感を共有していないので今ひとつピンと来ないものがあったが、当方側から役員五人と矢鱈と豪奢な顔触れになり、皮相な物言いをすればこの取り組みの壮大さを逆説的に物語っていたのだろう。
 全農直営店としてJAビル地下に新装開店した「ラ・カンパーニュ」から会議室まで、わざわざシェフ持ち込みで誂えられた昼食は、「和の食材」を活かしたフレンチとの触れ込みで一同口々に褒め讃えていたが、確かに悪くはないものの矢張り仏料理はベースの味付けからして口に合わないことを思い知らされた。
e249.jpg 終宴後は階上に昇り大手町の一等地を占める中空構造の模擬農場を検分す。矢張り大手町の農業ブランチとして実験的に設けられた、今は亡きパソナのO2が都市銀行の地下金庫跡という転用途を見出だし難いスペースだったのに比べると、勿論アグリ総本山JAのお膝元であるからこそアンテナ農地が聳えていても不可思議ではないが、多分にバブリーに映るのは否めない。詰まるところ"ものづくり"を標榜する企業としては今般のセレモニーは飽く迄通過点であり、改めて真の最終回として茨城の「現場」に赴かなければならない、と謳っておく必要があるのだろう。

 会合において農業生産法人へのアドバイス役として戴いて来た現・取締役の挨拶の枕は、42年振りの皆既日食に擬え、まさに天岩戸が閉じまた開いたように本会はクロージングでありまた新たな一歩の始まりであるとのフレーズであった。勿論そこには天照大神様が豊饒を司どる神という、二重の意味での農業との関わりが意図されているに違いない。
 恰も古き良き明治人のエスタブリッシュの有り様に触れた様な思いに駆られたが、当然御当人も戦後教育に育まれた世代に他ならない。自身語られている通りに、ユーモアに留まらず時には衆目を唸らせる台詞のひとつも当意即妙に捻り出す類稀なる話術は、たった一人で敵陣に乗り込む様な改善指導を積み重ねるための、生活の智恵として培われて来たものなのだろうか。

7月20日(祝) 宇宙と太陽  -育児 - パパ育児日記。-

e244.jpg 男子たるもの社会の一断面を切り取りミニチュアとして再現されたものには須らく興味を覚えるのだろうか。例えば去る五月に大河ドラマの天地人記念館を訪れた際にも祐旭も公資も食い入る様に観とれていたのだから、更に鉄道やら自動車やら飛行機やら精巧なギミックの設けられた、ここ物流博物館のジオラマに魅力されぬ訳はないとの父の見通しは正鵠であった。
 しかも単にボタンを押すと当該位置が光ったり、おざなりに模型が起動したりでなく、豊富な物流映像とのシンクロ感も巧みで乳幼児を飽きさせないばかり、パネルにタッチさせることでコンピュータ教育の初歩としても機能しているのだから秀逸である。
e245.jpg 上階は御世辞にも子供向きとは言い難い純粋な博物展示であるし、相当に小さなスペース、しかも品川駅から徒歩には辛い高輪宿舎の程近くとあってか、殆ど人っ子ひとり居ない環境も独占欲の強い乳幼児にうってつけで、下手に小振りの鉄道系博物館より余程コストパフォーマンスに富んでいる。わざわざ車の購入を待って足を運んだ甲斐があったというものではないか。

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 然らば品川を経由したのは他でもない、約三ヶ月振りのウルトラマン倶楽部はフリータイムのど真ん中に別料金体系で設けられた割には何時も体操と宝探しという中途半端な出し物で飽きられたのだろう、「ミッション・タイム」が廃棄され、恰も新設の如く「ウルトラヒーローと特別訓練」が喧伝されていたが、従来ハプニング扱いで登場していた体操を光線ポーズの模倣等に改変した上で事前告知扱いにしただけの微妙なリニューアルとは、迷走振りが伺える。
 しかし驚いたのは何の変哲もない料理本を上梓した杉浦太陽氏のサイン会が隣接するステージで開催されたことだろう。杉浦氏と言えば暴行問題で主演を務めたウルトラマン・コスモスの一部放映が見送られ、あと一歩で封印作品化するところだったが辛くも名誉回復が為された経緯も記憶に新しい。ただコスモスもともに登壇した絵柄こそ美しいが、その場のノリで新著を購入して列に並んだはいいものの、考えてみればウルトラ一族のようにともにフレームに収まって呉れる訳ではない。その替わりと言うべきか人は着包みより融通が効くので、本のみならずムサシ隊員のソフビにサインをねだる人が続出していた。或いはその幾つかはオークションにて高値出品されるのかも知れないが、何事にも流儀というのは存在するものだと感嘆する川崎の午後であった。

7月19日(日) 土用の夜の恋人に  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

e243.jpg 当初沖縄を想定していた夏の旅行が返って安価なグアムに更衣えすることとなり、航空券の手配に当たって息子達のローマ字標記を要求され、ハタと気付いたのはヘボン式ローマ字の不便さである。原則として長音を割愛するので幼稚園ゆき組の祐旭は韻を踏み過ぎだし、公資のKoshiに至っては人名であるかも定かでない。実際パスポート取得に赴いたら紙一枚で自在に好みの標記に鞍替え出来たことが判明したが後の祭りである。幸い幼児は最長五年なので長じて自らの好むように改変して貰おう。
 閑話休題。海外旅行には諸々の憑き物が存在するが、その最たるは保険ではなかろうか。確かに巨視的に捉えれば事前規制から事後規制型社会へとわが国もまた行きつ戻りつしながら変貌していく過程において凡ゆる事象は保険数理に還元される傾向が強まるし、嘗て松竹の若きスター・高橋貞ニが自動車事故死した際に残ったのは借金ばかりで新妻も後を追ったとの悲話を教訓に、矢張り自動車事故死した同期の佐田啓ニは多額の生命保険に入っていたがために二人の遺児は長じて俳優として大成した(中井貴恵・貴一)というエピソードは、「保険」の効用かを雄弁に物語っていよう。
 しかしながら理論的にはその意義が理解出来たとして、同時に幾ら世の中に保険ほど胡散臭いものはないと漠たる思いを抱くのもまた自然の摂理ではないか。実際、企業・団体経由、或いはカード等金融事業の付属として、一体自ら乃至は自らの親族が幾多の保険に加入しているのか定かでないケースも少なくない。
 そもそも自動車保険を除く損害保険の加入者は大前提としてその行使は滅多にされないとの暗黙の了解のもとに加入しており、則ち「安心感を買う」以上の効用を見出だしていない。だからこそ世界有数の保険好きである日本人が海外企業に付け込まれたという側面もあろうが、圧倒的にサービスにおいて劣位にあろう新興保険が異様な人気を集めるのだろう。逆に言えば旅行自体の絶対額に対しこの程度ならと財布の紐を緩ませる価格設定によって"安心料"を成立させた保険業界の策略にしてやられているのである。結果的に妻と押し問答の揚句文字通り掛け捨てに捨てて仕舞った私もまた大きな事は言えないが。

 石川なしタイガーなしでテレビ朝日に取っては泣きそうな全英オープン最終日を救ったのは紛れも無くトム・ワトソン選手であった。
 関係者の祈る様な解説の中、出だしから危ういゴルフでヘロヘロになりながら耐えに耐えながら、対に73ホールを超えて力尽きた姿ら感動を誘わずにはいられなかったが、確かに還暦近い人にワンラウンドして即座にもう4ホール回れと言うのは酷に過ぎることからして、あの18番ホールのパーパットを外した時点で勝負ありだった。既に3時を回りTV観戦ももう限界、お互いお疲れ様でした。

7月18日(土) 92  -スポーツ - ゴルフ-

e242.jpg 年に二回の会社の部局のコンペはこれが巡り合わせというものなのだろう、丁度昨年の夏には後半44の猛チャージで98と自己新を更新したりと相性が良い。加えて今般は距離の短さ、前半パー34という変則構造、更には河川敷故に左右に溝の如くドブ川が誂えられ、そこに落ちればノーペナでラフに戻す、或いはホールによってはそれを越えても復旧可という甘いルールにも確かに助けられたし、直前に役員が欠場となり接待ゴルフよろしくの緊張感から開放されたのも奏功したかも知れない。
 ただ出だしからドライバー好調で2ホール目ロングを3オンのパーで飾ると、4つもあるショート-その構成からして相当に変則ではあるが-の3つまでがパーと何かが憑依したのではないかと疑われる程の活躍振りである。取り分け鉄パット5つとは如何にアプローチが綺麗に寄っていたかの証左であり、ふくへきしたチッパーの霊験も新かあらたかだったが、実にパー4つに、ボギー3つ、ダボ2つの7オーバー41とは驚異的に他ならない。それでもパー36換算なら43とはなお自己新に違いないが、この絶好調にしてひとつ更新が関の山とはこの先なお何を積み上げたら良いのかと逆に暗然としたのは贅沢な悩みと言うべきだろう。
 勢いは後半に入っても衰えずボギー、パー、パー、パーと来て優勝は疎か80台も疑い無いと欲が出たところで先が詰まって待たされはじめ、暑さで体力も奪われと不吉な影が襲って来る。今日初のトリプルを連続で叩いて貯金を叩き、8番でボギーと耐えたが最期は数少ないOB杭に捕まり万事休した。
 勿論、後半はロングが余計にひとつある37なので92をパー72換算しても93だから断トツの自己新には違いない。しかしながらそもそも4~5打はサバを読んだ様なスコアに過ぎないならば、もしかしたら生涯二度とお目に掛かれないかも知れぬ80台を石にカジり付いても記録しておかなければならなかったのにと思うと釈然としない気持ちばかり残るのだから人間の欲望とは果てしないものである。 結局後半も4つで半数がワンパットとは漸くアプローチ、パットの感覚が育って来たと自己規定して良いのだろうか。三位の変わりにオネストでは大敗したが、先ず良い一日であったとしよう。

 海外のマスコミに関しては寡聞にして多くの知見を得ないが、ウォルター・クロンカイト氏につしては「アンカーマン」という職責を定着させたとの評価が多かったと記憶している。
 デスクが手を加え、或いは取捨選択が為されるとしても基本的に取材をした記者本人が書いた記事が掲載される新聞に対し、TVメディアは記事本文にどうコメントするかの最終判断が委ねられているという点でアンカーマンの人選は決定的に重要である。畢竟、氏の訃報に接し、本邦マスメディアはその人選が余りに安易ではないかとの疑問を新たにした。
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