コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

5月31日(日) ピンに絡む  -スポーツ - ゴルフ-

e157.jpg 腰痛からの回復状況を図る小手調べが黄金週間の妻とのラウンドだとしたら、今日が本格復帰戦と言えよう。にも拘わらず前半は生憎の雨がホールを重ねる毎に激化し、久々の豪雨の打球となったが、前回の超弩級フック・グリップからまたフック気味に復帰する試行錯誤の中、距離の短さに助けられながらもアプローチはチョロり、パットには蹴られと些かピリッとしない風情ではあった。
 後半に入ると更にドライバーも当たらなくなり課題満載、いいところなく終わるかと思われたが、特筆すべきは何れも110~120yのふたつの短いショート・ホールを美しい放物線を描く滞空時間の長い弾道で、ドンと落ちてボールマークを刻印したすぐそばにコロリ留め、ベタピンに寄せたことだろう。長らくアイアンに悩んできた身の上としては、ここ一番で思い通りのショットが二回も出たことは望外の喜びに他ならない。地を這う様にクラブを引き、腰を起点に回転する意識が功を奏したか。パーを計4つ稼いだ割にスコア自体は平凡だったが、過去四年に計三回の百切りは何れも夏から秋に掛けての時期に出ているので、これから夏本番に向け調整していきたい。

5月30日(土) 正徳利用厚生惟和  -政治・経済 - 政治・地方自治・選挙-

 母と偶に会うとヘルパー氏と口を揃え介護保険制度について論難している光景をまま目にする。確かに制度設計が複雑で使い勝手がは良いとは言い難いし、ケアマネジャー不足により個々人に応じた対応が出来ていないのも課題もある。ただ根底には要支援という低度の範疇は少しまた少しと給付を削られているとの被害者意識であって、感情的には理解出来るものの、嘗ては合理性があったが今や既得権化した過剰配分と切り捨てられれば財政的な反論は難しい。長寿という望むべき社会の帰結として拡大し、地域や家族の賄い切れなくなった「介護」を社会化する発想は間違っていないし、民間の活力を発揮させるべく介護事業者を大量参入させ、競争の促進とともに雇用の拡大にも寄与し、今後も担っていくであろうことも事実であろう。だが同時に商行為たる当然の行動原理としとて需要を掘り起こし、結果的に国・地方の財政負荷を拡大しているとは、つくづく制度というものは試行錯誤せざるを得ないものである。
 などと介護制度に思い巡らしていてハタと気付いたのは私の年齢である。当年とって四十歳とは晴れて介護保険の第2号被保険者の仲間入りを果たしているではないか。慌て給与明細を確認すると確かに三月から新たな引き落としが加わっている。これまで遠い世界の出来事だったのが何時の間にか枠組みに組み込まれていたとは、寧ろ気付かずに数カ月を過ごしていた自らの鈍感さに恐れ入って仕舞った。実際、年齢的にある程度の所得に達していれば目鯨を立てずやり過ごす程度の負担額というのもよく出来ている。しかもどうやら妻の年齢が追い付いくとまた増額されるらしいではないか。四十から惑わず徴収というのは存外に合理的なシステムかも知れない。

 ただ如何に節減に努めたとして社会化の帰結として一定の費用が嵩んでいくのは間違いない。だからこそ社会保障財源への充当を前提に消費税上げが再三俎上に上がってきた訳だが、ここに来て雇用という別個の課題が大外から巻き返し、これに従来から社会保障の周辺居住者の如く位置してきた少子化問題等も含め「広義の社会保障」たる新たな概念が浮上して話しがややこしくなって来た。
 そこへ降って湧いた様な厚生労働省分割論である。非常に勝手な忖度をすれば、純粋に数理計算の要素が強く大蔵出身議員の牙城と化した年金と、介在する"民"のパフォーマンスに左右され、則ち"公"の差配できる範囲に限界のある医療等は別途議論したいとの感覚は肯受出来る。しかしながら折角「社会保障一体」で話しを詰めてきたところに又もやガラガラポンとは些か乱暴な技術論先行で、寧ろ本来は教育の範疇に収まるべきだが文部科学省の体たらくを見る限り到底委ねられない幼保一元化をはじめとする就学前児対応等も糾合し、まさに権力性を除いた大旧内務省的なポジションで一気呵成に絵図面を作り、その上で執行段階に至れば如何様にも実務に応じて組織替えを図れば良いのではないか。性急な分割論は選挙目当てのスローガンのみならず、行政全般の組織見直しに伴う郵政民営化の再検討に本音があるのではないかなどと痛くない腹を探られかねないだろう。

5月28日(木) 雨のエアポート  -地域情報 - 静岡県-

e155.jpg 3時近く迄飲んだ翌朝が間の悪いことに8時からの打ち合わせに続き代表取締役役会長への説明とは、明らかに自らの舌が回ってないのが自覚され、安倍前総理並に悪い滑舌が会長室に響く。幸い今日はその後がヘッド・スケジュールで良かった。

 知事の辞職で降って湧いた静岡県知事選は参院の自民現職対民主前職の構図からして、一躍総選挙の前哨戦たる東京都議選、の更に前哨戦という重いポジションに座りそうである。
 しかしかの成田開港から既に30余年を経て今更空港建設がこれ程大きな政治問題に発展しようとは。恐らくはボタンの掛け違いが肥大した結果であろうし、本当に県職員の単純な測量ミスで知事の首が飛んだのならば間抜けに過ぎる。勿論、実際には辞職に至る然るべき理由が別途存在するのかも知れないが、ただこと不動産については些か私権が過剰に保護される戦後わが国法運用の有り様にも遠因はあろう。
 ただ今回のケースに限ってはそもそも本当に静岡に国際空港が必要なのか、も県西部は寧ろ中部空港の方が使い勝手が良いのではないか、新幹線が敢えて空過する空港に採算見通しが立つものか等と、非常に大きな疑問がある。折角の出直し知事選ならば今更空港建設の是非を問い直しても詮無いので、効率的なインフラ活用の在り方を争点として大いに論戦して戴きたい。

5月27日(水) 臣茂或いは素淮  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

e156.jpg だから旧同盟・民社党系は鳩山支持だったのかとあらぬ誤解を招きかねない祖父譲りの「友愛」を懲りずに再び掲げ、茫洋とした理念と猛烈に細かい具体例を引用し幾分たどたどしく言葉を繋ぐ演説は、現実的かどうかは別として他に余り見られないスタイルには違いない。恐らくは意図的な戦術ではなく、これも鳩山一郎オリジンの天然の立ち居振る舞いなのだろうか。論理の薄さ、文脈の飛躍を非難されれば反論に乏しそうだが、一方で麻生総理が「国民の最大の関心事は西松事件」と迄決め打ちして鳩山代表を攻め立てる絵柄も芳しくない。吉田茂譲りのエスプリと言うよりは、暈に掛かっての攻撃が如何にも楽しそうで、いじめっ子がそのまま大きくなった様に見えて来る。願わくはこの党首討論が一期一会に終わらず今国会中に再び相見えれば、もう少し議論も噛み合って来るのではなかろうか。

 しかしこうした場面を見せ付けられるに付け「総選挙後、日本政治は<吉田茂>に帰っていく」と題された雑誌「正論」の論文も強ち素通りすることも出来なくなって来る。勿論、タイトルそのものはセンセーショナルにディフォルメされたものだとして、吉田茂的なもの=専守防衛による経済に特化した国家へのアンチテーゼたる中曾根政権以降の民活路線の集大成として小泉構造改革があり、その揺り戻しとして再び"ヨシダ"を活用したいというのなら合点がいく。勿論、実際のところ吉田茂は緊急非難的に、占領国の作った憲法九条を逆手に取って日米安保の陰に隠れ当面の経済再興を優先させたに過ぎず、列強に互する経済力が回復すれば国際社会において応分の地位を占めるべくわが国を想起していたというのは定説であるから、戦後の「貧しいながらも楽しいわが家」的な均質で格差の小さい、かつ目標の明確だった社会を体現する存在の如く騙られるのは本意ではなかろう。
 それでも論文は、ナショナリスティックなニュアンスよりはコミューン的社会、人はひとりでは生きていけず、社会との紐帯により丸で羊水に包まれるが如く安心感をベースに戴く、との観点での社会的な再統合を視野においているが、吉田が実際に統治を行っていた時分の世相からそれを説くのでなく、果たして所得倍増を経た後に吉田学校の優等生達が首尾よく憲法改正を遂げていたのならその延長線上に如何なる国家方針とそれに基く国民統合があり得たか-そのひとつは国民相互の結び付きとは経済力からだけでは長続きし得ないとの帰結かも知れないが-を忖度し、吉田とは何であったかにケリを付ける試みであるべきではなかったか。
 こうした文脈から冒頭の光景を捉える時、我々何処に吉田なるものの残り香を見出だすべきであろうか。

5月25日(月) なぞの旅人  -地域情報 - 名古屋・愛知-

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(左)現在の空港、(右)開港一年前(04/4)
 地鎮祭を終えると名古屋へ飛び1時迄飲み唄い、一夜明けて視察である。と述べると如何にも優雅に映るが、僅か二年前迄は日本中でお客様だったのが今ではアテンド役だから時の移ろいは残酷である。とは言え某先生も含め見知った顔ばかりなのでこちらも半ば物見遊山気分だし、自らの身を窶す企業であっても生産現場を実見することは滅多にないから貴重な機会には違いない。
 考えてみれば国内の自動車工場を見たのは何年振りだろうか。利益に直結する生産サイドに近い同僚氏に依れば「少し見ない内にラインは刻々と変わっている」ようだが、こちらは当然気付くことも出来ない。それでも見学施設に移り次世代自動車の今後に付いて滔々と語っていたら、前出向先の現役諸兄から「車に詳しいですね」と真顔で驚かれて仕舞った。別に皮肉という訳でも無さそうだし、真剣に政治オタクで自動車には無関心との評判が飛び交っているのだろうか。しかし幾ら「環境」を最たるチャーム・ポイントとしている工場とはいえ、これ程迄に自然の採光を活用しているとは、電力会社にしてみれば驚異なのだろうか。写真が一枚も撮れないのは海外視察で他社の工場も撮り捲っていた(にも拘わらず知識が足りないのでスパイとして殆ど機能しなかった)私には欲求不満極まりなかったが、機密管理囂しき昨今は致し方ないのだろう。
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セントレアだけに「せんとくん」ではない。
 如何にも愛知県には見るべき施設が限られているが如きだが、午後にやって来た中部国際空港は実に6度目の来訪でありながら飛行機には一度も乗っていないとは、流石に航空利用客とそれ以外の来訪者が一対一に近いアミューズメント施設を標榜するに相応しい行動原理である。僅か一時間の滞在なので即座に滑走路を突き抜け海辺と呼ぶには似つかわしくない埋立の末端、外周を小型バスで闊歩する。羽田・成田両空港間のアクセスが最速でも一時間以上を空費せざるを得ない悪条件下でも圧倒的に国内ハブの地位を独占し、小回りの効く筈の中部空港が中京圏の利用に限られるのは、新幹線に完敗する中部-羽田便の不存在という絶対的なハンデを割り引いてなお、中央から地方、或いは地方から地方へとは利用が促進されないわが国の気質に依るところ大とは大きな壁である。と唸りながら一行を見送った後にリニューアルなった空港風呂に身を委ね、台湾ラーメンも賞味して又もや電車にて空港を後にしたのであった。

 退任後は政敵から不正への関与を暴露され逮捕されたり政治生命を抹殺されたりするのが何となく年中行事の如く感覚になっていたから、不謹慎だが盧前大統領は屈辱に堪えられなかったのではないかという解説を聞いても今ひとつ腹に落ちず、寧ろ墓場まで持っていかなければならない何かが存在したと言われる方がピンと来る。民主主義とはこうした大衆的スキャンダルとその犠牲を経て成熟していくと言っては酷に過ぎるのかも知れないが。

5月24日(日) 大地を鎮める  -ライフ - 家づくり日記-

e149.jpg 天照大神様が高天原から葦原中国に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)様を遣わした、所謂「天孫降臨」の際にその先導役を務めたのが猿田彦様、爾来猿田彦と言えば導きの神、転じて方位を司る神様として知られている。伊勢神宮の程近くをはじめ猿田彦様を本尊とする神社は数多くあれど帝都東京にはわが家から徒歩数分の阿佐ヶ谷南とは何かの御縁なのだろう。
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餅は撒かない替わりに
家で発砲スチロールを
 その猿田彦様が間もなく建築確認も無事終了し、愈々着工を迎えんとすわが新居予定地に降り立ったとは有り難い限りだが、これから国譲りの儀が執り行われる訳ではない。平服で設営に取り組んでおられた御仁があっという間に早変わり、一戸建を所望する大半は子育て世帯だから子供扱いも手慣れたものなのだろう、矢鱈と気さくな神主様が出現すると、愈々地鎮祭である。生憎の雨も上がり工場会社や不動産担当者も関係者一同に会しての儀式は、三角に盛った砂に施主自ら「エイ、エイ、エイ」と高らかに発声しながら鍬を入れる、些か気恥ずかしい光景を除けば、七五三やら御宮参りの類と大差ない(ように聞こえる)祝詞が響くばかりである。
 流石にカメラは義父に委ねたものの施主とビデオ担当の一人二役は忙しかったが、祐旭も公資も後数カ月でわが家の基礎として太陽には触れなくなる地面の土弄りに興じ過ぎたおかげで、折角の御神酒も杯にジャリジャリ砂だらけだったのは御愛嬌であった。
 しかし斜め45度の角度から平地を眺めていると存外に広く感じられていたが、いざロープで建屋分が仕切られてみると相当に小さく映るのはやむを得ないものか。工事が始まったら日参して印象の変化を目に焼き付けたい。

5月23日(土) 僕らも手に手に日の丸の  -趣味・実用 - 鉄道-

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 前回は一家総出で訪れたものの公資はまだ昼寝が必須だった時分でたんまりと堪能出来ず、虎視眈々と再訪を狙っていた鉄道博物館に念願叶ってやってきた。祐旭は既に鉄道は卒業気味だが、寧ろ公資は途上の湘南新宿ラインにおいてもトミカ・プラレールDVDで覚えた「近郊電車ね」を連発。嘗て父が卒業旅行にサイパンを訪れた際にわが国の委任統治時代に由来するのだろうか、たどたどしい中に言い回しだけは矢鱈と古めかしい日本語を操るガイド氏に「(古い車で)ガソリンよく食う」等と妙な違和感が笑いを誘うフレーズを連発されたのに似た趣きがあったが、果たして彼の熱い思いがこの日を選択させたのかも知れない。
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その筋には垂涎の光景だろう
 と言うのも大宮駅に到着し、通常はニューシャトルに乗り換え一駅で鉄道博物館に到着するところ、途上電車やそれに準ずるモニュメントを備えたプロムナードが続いているとの甘言に乗せられ、今般は敢えて徒歩を選択したのが運命の出会いを喚起する。東口を出ると早々にサンドイッチマンには随分とくたびれた、恐らくはJR東の職員たろう方がプラカードを掲げ佇んでいるではないか。曰く「鉄道ふれあいフェアはこちら」。それが何なのかは判らないが、行き掛けの駄賃とばかりに足を向けると、近付くに連れ"鉄分"濃厚な人々が増え、ハメルンの笛吹よろしく文字通り鉄路に引き込まれていく。いざ入口に来て判明したのはD51も製作した旧国鉄大宮工場、現在の大宮総合車両センターを開放しての一大イベントに見事遭遇したという幸福な事実であった。
e144.jpg 恰もマニアのお父さんが子供を出しに喜々到来したやに映ったろうが、既に述べた通り事実は小説より奇なり、二人とも風邪気味が続き二週連続で延期した結果がこの唯一の日の邂逅なのである。それが証拠に恐ろしくアナクロな台車組立を閲覧したり、その筋の方々は狂喜乱舞するであろう由緒ある電車の数々もひと通り目を通したが、路上から最初に目にしたミステリーツアーはやて号、平たく言えば工場の一角を周回するお猿の電車に、生まれたばかりの雛の擦り込み効果よろしく親子ともども魅せられ一時間以上並んで漸くあり付いたのをはじめ、子供メインの乗り物系ばかり制覇とは素晴らしき父親像たろう。驚くのは職員総出と思しきこのイベントが無償な事で、流石に親方日の丸だからではなく、寧ろ民間企業になったからこそ車両プレートを筆頭にオークションに並ぶ長蛇の列を以て回収が量られているのか。

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 ここ迄でもすっかり昼を回り、そろそろ河岸を変えないと肝心の鉄道博物館本体に辿り着けないとばかりに歩き始めたが、会場南端から北端まで練り歩いた上で中央出入口に戻り、再び北上してまだ1キロ以上を歩くのは5歳児と2歳児には些か難行に違いない。それでも途上かき氷とアイスクリームを調達し、嘗ては同じく大宮工場の一角だった博物館に到着すると先ずはミニ運転列車を予約する。実に三時間以上先のアポイントで、恐らくはパスになろうと予測したのは浅はかだったか。何故ならば屋上パノラマで本物の新幹線にお目に掛かった後にまたもやはやてを模したミニシャトル、次いでヒストリーゾーンの一両一両を眺め始めるるともう興味を失っした筈の祐旭も稲葉修元法相も吃驚のはしゃぎ過ぎ振りである。更にはラーニングゾーンで電車の原理や線路の意義なぞに触れていると刻々と予約時間が近付いて来るではないか。
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運転手は僕だ
 ミニ運転列車の最大の売りは子供自らが運転に携わる点に他ならない。従って運転席には祐旭が着座、ハンドルは父子で握ったが、ひとり後部座席の公資は寂しそうだったし、信号は一度として赤にならず急ブレーキを引く場面も無かったものの、確かに楽しいのである。途中幾つかの駅に敢えて停車するシュミレーションが醍醐味だったと後から聞いて、特急運転で須らく通過してきたわが方の間抜けさを怨んだが、ならば今度は平日に訪れ度々周回してみようと決意を新たにした。
 結論、私は鉄の人ではなく都市変遷評論家であるが、本物であれお猿系であれ一家揃って乗り物好きには違いないようである。

5月22日(金) 大きいことは  -コンピュータ - 最新パソコン-

e137.jpg まだ封も開けていないコンポの存在に共鳴したのか、自ら身を引いたのか、そんな超常現象の作用とは思い難いが唐突にPCのCD/DVDドライブが機能しなくなった。データの保存も音楽を聞けないのも困るが、何よりもこれではCDもDVDもダビング出来ないではないか。勿論修理に出せば済む話しだろうが、その間PCが無いのも手元不如意だし、何よりわざわざメーカーなり量販店に持ち込むのが面倒である。
 ならばどうせ引越し後にはPCも買い改めるのだから数カ月前出ししてもと内なる声が囁き始めるともう止まらない。Vista機を導入してから二年弱、確かに飛躍的に利用環境は向上したもののソフトが溜まるに連れV編集のAdobe Premiereがフリーズを繰り返す不具合も現れていただけに、折角更新するなら一度はハイエンド機とされるものに手を出してみたい。そこで22ヶ月に過ぎなかったノートPCはWin98SEに馴染んだ体を最新の技術に適合させるための授業料と割り切り、デスクトップへと回帰すべく野望が澎湃と湧き上がって来たのである。
 して故障の発覚から僅か三日後には現金を握り締め、実に11年振り三度目のNECはValuestarWと心に決めてビックカメラに参上したが、あろうことか若干スペックの落ちる富士通FMV-LX/D90Dとの価格差が余りに大きいではないか。本来なら一旦立ち帰り、他店舗も比較検討なりすべきなのだろうが、お買い物熱の高まった心根は抑えようもなく、NECのは売れ筋でなかったのだと安直に納得し即断転向、二代連続の富士通に落ち着くのだから我ながら拙速にも程がある。
 しかも当初から富士通を選択しなかった最大の要因はモニター部がデカさにあり、そのFMVが現れればノート機が身を潜めていたスペースには不釣合いな程甚大であるのは当たり前だろう。何しろ23型相当という並のTVより大きな画面を目の前に据えられては相当な威圧感である。しかもVista to Vista、富士通 to 富士通なので、大枚を叩いた割に感動が薄い。かくなる上は過去三代のデスクトップ機の如く、細く長く使い込むべく覚悟を決める他ないか。

 それでも浪費の幾分でも回収しようかと生まれて初めてPCの買い取り店舗を訪れてみたのは、お買い物下手にしては見上げた心掛けではないか。確かにこれまで有価の状態でPCを手放した経験が無いから売却には及ばなかったが、わが家には歴代デジカメがゴロゴロしているのだから収拾癖と言えば救いもあるものの、それでは地球環境と財布には優しくない。
 しかしわざわざ会社を休んでまで足を運んだ結果が二年落ちのノート機約35千円とは甲斐があったと言うべきなのだろうか。恐らく休日ならなお混むであろうし、新宿まで運搬に伴う足腰の負担、時間コストに鑑みれば微妙である。驚いたのは表面が汚いとして2千円も削減されたlことで、企業の能力評価の帰結と同じで如何にマイナスを発掘するのかが査定者の腕の見せ所なのだろうか。しかしながら更に驚いたのは、いざ売却したら今般の買替えの根幹であったCD/DVDドライブが無事稼働しているというではないか。全てはお買い物心に囚われた私の妄想だったのだろうか。否、減税や補助金をフルに活用する分、消費拡大に貢献せよとの八百万の神様のお告げであると、理解しておこう。

5月21日(木) パトリオットに憧れて  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

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防衛白書より
 その様な機会は滅多にないが、見知らぬ人に仕事を尋ねられたら「美しく言えばロビイング活動」と応える様にしている。その後には「実態は御用聞き」と付加するのを忘れないし、厳密には社員そのものをロビイストとは呼ばないのだろうが、目指すべき相手が不在で議員会館の一階で探偵よろしく人の出入りを張っていたりすると、ロビーを行き交いながら獲物を陥落させていく職業折衝業の心持ちも少しは解ろうものである。
 では実際に如何なる局面で何処に何を働き掛けるのかと具体的に問われたら、次の回答は「ミサイル防衛を想起せよ」と法学者の常套句の如く応ずるが、こちらはすぐには同意を得られない。確かに三菱重工でもあるまいし、いきなりミサイルが出て来るのでは些か種明かしが必要だろう。
 例えば予算や優遇税制の獲得にしろ、法規制への働き掛けにしろ、アイディア、種(それらしく言えばSeeds)段階から擦り込みを図る、言うなれば官に食い込み原課段階から共に喧々囂々より良き方向性を模索、誘導出来れば互いに幸福かつコストも掛からない。次に法案であれば広く万般の声を聞く名目で審議会の類に下問されるケースも多いのでここに人を送り込んでおけば側面から弾が撃てる。兎角国家戦略に欠けるとされるわが国だが昨今は曲がりなりにも経財運営には経済財政諮問会議という司令塔が生まれたから、「骨太の方針」や「予算編成の基本方針」に忍び込ませておいてからじわじわと成案に繋げていくというのも常套手段になってきた。
 一方で税や予算は経済団体・業界団体を通じて与党に働き掛ける過程がほぼ公的に近いルートとして確立しているから、この手筈を踏みながら個別折衝に臨むことになるが、ここに至ると徐々に官から政に役者が交替していくと考えて良い。そして年末のお祭り騒ぎを経て税と予算が固まり、付随する法案も水面上に浮上すると、年明けから国会審議が始まる。この期に及んで与党内でガタ付くケースもままあるが、ここからは概ね野党の領域になり、逆に言えば野党は国家方針の、積み上げられた一番最期の微修正にしか殆どの場合タッチ出来ない。

 さて翻ってミサイル防衛である。これは仮想敵の弾道弾に対し、第一には発射源において、次いで上昇局面、更には慣性飛行中、愈々落下して来てからと時系列に対抗措置を備え、可能な限り前段階で撃滅する多段階防衛システムを指している。
 発射源、則ち敵基地を直接叩くことは専守防衛を掲げるわが国には法的に乗り越えるべき壁があるとすれば上昇局面が最初の撃滅ステージとなるが、当然目視は出来ないし、敵領空内だから常に大手を振って弾を打っていると外野が煩い。しかし臭い匂いは元から絶つのが抜群に効果的で、即ちここが官への擦り込みに当たる。次に敵弾が上昇を終え管制飛行に入る。宇宙空間であるから衛星や早期警戒官制機と連携して事態に対処しなければならない。イージス艦からスタンダード・ミサイル(SM)で働き掛けるとして、日米同盟の基盤が慣用になるということは、差し詰め議員に折衝する際にドンガラを借りる経団連が米軍というところだろう。そんな軽口を叩くと比喩元にも先にも怒られそうだが。それでもなお攻撃をかい潜ひわが国に落ちて来たらパトリオットの出番になる。確かに国会審議に当たり、稀に野党側から巻き返すケースが無いとは言わないが、滅多に当たらず効用が薄いのでここ迄持ち越すのは避けなければならない。
 それでは私個人は何をしているのか。SMやパトリオットそのものです、乃至はそれを撃つ砲雷長です、というのが理想的な解答になるが、実態はパトリオットで撃墜された破片を竹槍で退治しているに近い。ミレーも吃驚の落穂拾いに過ぎないが、それでは些か聞こえが悪いし、メンバーの意欲惹起にも差し支える。
 だから他の部隊に迎撃は委ねるとして、少なくとも常に広くアンテナを張らなければならない。出番が無いのが良い便りと普段は達観していても、パトリオットのお伴として短SAM程度には機能し、アタックの一翼を担い得るためにも前工程たる迎撃状況をよくよく把握する必要があるなどと、斥候の効用を説いてみる。ただたといパトリオットたらずともAWACS、フェイズド・アレイ・レーダーたれと気張ってみるにもミサイル防衛とはから解き起こさなければならないとは迂遠に過ぎる。こうした比喩の試みは時には自らの理解をも深める効果を齎すから、頭の体操としては悪いことではないが、広誼に受け入れられるには時間が掛かりそうである。

5月19日(火) No Manager but Oba-Q  -スポーツ - プロ野球-

e132.jpg 横浜の大矢監督が"解任"された。昨年の無残な最下位を受けて生え抜きの石井琢、鈴木尚の解雇は兎も角、斉藤、高橋コーチらが責任を取り大矢氏のみ居残った構図に先ず無理があり、自業自得の面もあろう。
 ただ遥かに糾弾されるべきは球団フロントである。みすみす正捕手の相川に愛想を尽かされると38歳になる野口を調達してお茶を濁したり、牛込元理事の在籍時は掘り出し物のお買い物に長けていた外国人も今では安かろう悪かろうばかりだし、五億円費やした那須野がモノにならないのは現場の責任もあるだろうが、少なくとも最下位チームに確たる補強がなければ惨状が続くのは火を見るより明らかではないか。それでも人心一新で急場を凌ぎたいなら昨オフに解雇すべきだったし、そもそもOBでも無くフジ産経グループがマルハに次ぐ第二位株主だった時代に送り込まれてきた大矢氏を、如何に二位の実績があるとはいえTBSベイスターズが再雇用しようという発想が貧困に過ぎよう。これではコンテンツとしての価値の下がった横浜球団に愛想を尽かし始めていると見做されても文句も言えまい。
 このままでは広島カープが新球場とブラウン効果で復調する中、ここ数年のオリックスと入れ代わり形で球界のお荷物たるポジションに落ち着きかねない。今こそ親会社の財政、人的パワーに依拠せず神奈川の叡智を搾り出すが如く発想が必要であり、その象徴として豪快な川崎時代のマルハ大洋ホエールズ末期を体現する田代"代行"は打って付けの人物である。秋山登(2年)、土井淳(1年半)、江尻亮(半期のみ)、近藤昭仁(3年)、山下大輔(2年)に次ぐ、球団60年の歴史の中で僅か六人目の生え抜き監督として、フロントが安易に外国人指導者に走り、たとえ成績は上がっても金銭問題からロッテの如く醜態を曝す事態に陥らないよう、オバQ力を炸裂させて欲しい。

 NHKの美人アナとして一斉を風靡した頼近美津子氏が突然フジに移籍し、かつ僅か三年で十離れた総帥・鹿内"ジュニア"春雄氏の玉の輿に治まった際は、今程「女子アナ」というカテゴライズが定着していなかったからこそ、随分と話題を喚んだものである。
 しかしながら「楽しくなければテレビでない」フジテレビ全盛期を築きつつあった春雄氏が42歳で急逝、財界右派のイデオローグだった父・信隆氏の復帰と女婿の興銀からの唐突な転身を経て、最期はクーデターに依り鹿内家が放逐された経緯は記憶に新しい。そして今般の御本人の53歳にしての逝去、華やかではあっても不幸の陰に見舞われた夫妻だったのか、それでも太く短い人生とだったのか。
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