コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

2月27日(金) 逆三角形  -政治・経済 - 経済-

e18.jpg 想像するだに製造業における派遣或いは請負制度の改廃を巡る議論が飛び火したのだろう、ヨドバシカメラがメーカーからの受入れ派遣を全廃するという。ただ製造現場におけるこうした臨時要員という存在は、所謂小泉改革に依って編み出された"弱者"が今不況下において職を失う危機に直面したからこそ制度改正にまで話が及んだのとは相当に様相が異なっており、端的に言えば公取マターに由来する。と聞くと一般的な製造業的発想-との言を用いる時点で既に重厚長大型思考に毒されているのかも知れないが-からは如何にもメーカー側の優越的地位の濫用が連想されるものの、所変われば品変わると言うべきか全くの正反対で、量販店側がメーカーに売り子の派遣を強要し、その是正勧告の果実だというから恐れ入るではないか。
 ことの良し悪しは別として、少なくとも家電業界においてはナショナル・ショップに体現されたメーカーお抱えの系列店に依る地域主義を旨とする牧歌的な時代はとうに終わりを告げ、恰も第一次産業において大きな地位を占める卸・中買い同様に小売り・流通サイドがサプライチェーンの根幹を牛耳る構図が伺える。嘗て値引き販売を巡り松下電器(現・パナソニック)と一戦を交えたダイエー創業者の中内功氏はここまで強大な力を有するに至った流通業の有り様に、草場の陰で感涙を落としているのだろうか。或いは自らが心骨を注いだGMSという形態がすっかり専門量販店に凌駕された悲哀を噛み締めているだろうか。果た又量販店ですら従来半ば容認されてきた業界慣行を改め公序良俗に目を配らざるを得なくなった姿に栄華を極めた産業の曲がり角、衰退への第一歩を見出だしているのだろうか。

2月26日(木) ソウルじゃ、ソウルジャ  -音楽 - Japanese R&B/HIP HOP-

e17.jpg フリーペーパー「風とロック」の1月号が元エイプリル・フールの細野晴臣、小坂忠、柳田ヒロ、松本隆四氏の特集と聞き付けわざわざタワー・レコードまで探索に行ったのは先月の話し。内容そのものはエイプリル・フール唯一のアルバム・ジャケットを撮影したアラーキー氏を交え、還暦前後の御仁によるほのぼのとした対談だったが、文中驚くべき発見はYMOの元エクゼクティブ・プロデューサーであり、村井邦彦氏とともに毀誉褒貶囂しいアルファ・レコードの立役者、風吹ジュン氏の元夫でもある川添象郎氏が、薬物による逮捕も何のその新進ラッパー・Soulja氏のプロデューサーとして鮮やかな腹壁を遂げている事実だった。
 道理で昨年のデビュー・アルバムからして細野さんやユキヒロ氏らビッグ・ネームが並び、昨日発売された第二弾にも浜口茂外也氏等の名が見られる訳である。そもそも青山テルマ氏との共演ヒット「ここにいるよ」の編曲、サウンド・プロデュースが実質的に後期ティン・パン・アレーのメンバーであり、細野さんのYMO初期構想にも登場する佐藤博氏の手に依るものとは如何にも"その筋"の人々を擽る造りになっている。
 勿論、失礼を省みず言上すればラップとはメロディを割愛した分創作コストの低くなる音楽ジャンルに過ぎないという想いは払拭出来ないし、そもそもバックトラックを主体とする(昨今は寧ろ主流である)楽曲製作からして嘗てメロディー・メーカーを僭称した私に取っては邪道に映らざるを得ない。百歩譲ってその手法を良しとしても寧ろラップの入るまで、インスト部分がより心地良く響く感は否めない。 ただそうした方向性こそが現下の潮流に合致しているのはSoulja氏への大衆的支持から明らかであり、恐らくは誕生間もないYMOもまた往事の先達からは大いなる忌避感を持って迎えられたであろうことに鑑みれば、年老いてなお盛んな目利きの妙は矢張りキャンティの血の為せる業と嘆ぜざるを得ないのだろう。

 家作りに漂う暗雲とPCの破壊とが相いまって昨夜は三年半振りに覚醒して眠りに就けぬ夜を過ごした。人は心理的に変調を来たすと体調に如実に現れることを身を以て再び体感するのは、得難い一経験ではあっても余り度々遭遇したくない。

2月25日(水) 白い暴動  -コンピュータ - トラブル-

 昭和33年にピークを迎えて以来緩やかに坂を下り続けてきたわが国映画界が復調を遂げてきたのが嘗てその栄華を奪う最大の要因であったTVとのメディア・ミックスの賜物というのは皮肉な話しだが、今般の「おくりびと」のアカデミー賞獲得はまた違った意味で邦画の方向性を見出だしたものとなろう。
 納棺という非日常かつ極めて東洋的エキゾチズムを漂わせる行為にスポットを当てたストーリーは、東宝ひとり勝ちの中で奮戦する松竹らしい、小津映画の如きニュアンスも想起させるであろう、外国語映画賞に相応しい内容だったのではないか。麻生総理の漫画ではないがわが国コンテンツ産業、文化輸出の側面からも頼もしい出来事であった。

e14.jpg などと優雅に評論している筈だったところ唐突に暗転す。家探しでトラブルに見舞われた上にPCを開くと日常用いるファイルが上書き出来ない。ここで再起動したのが運の尽き、二度と再び外付HDDが読み込めなくなって仕舞ったのである。
 不幸中の幸いか、最期にアクセス出来た数ファイルは別途保存しておいたし、9年前の教訓を活かして写真を含め追加・更新したデータは小マメにバックアップに努めていたので著しく大きな被害には見舞われなかったが、中には失われたファイルもあろうし、先日賀状に基づき更新を終えたばかりの住所録は旧版に復して仕舞った。考えてみれば安価なHDDを購入したばかりに、これまでにも何度かアクセス不能になって真っ青になりかけた経緯があったから、予測し得た未来であり些か不注意だったと言える。安物買いの典型になったが、災害は忘れた頃にやって来る。形あるものは、と達観して復旧に努めるより他はないか。

2月23日(月) 有為転変  -政治・経済 - 政治家-

e13.jpg 河村たかし衆院議員と言えばわざわざ下世話にアレンジした独特の"名古屋語"を駆使してブラウン管を再三賑やかしながら、地元愛知一区では自転車で選挙区を隅々まで回って庶民性をアピールするなどしたたかな選挙巧者振りを発揮している。新議院宿舎建設に突如反対したと思ったら、母校旭ヶ丘高校の校舎保存活動に関与してみたりと話題性にはこと欠かず、「政治クイズ」の類では民主党国会議員が多数参加する中、「河村たかし議員は民主党代表選に何回出馬したでしょう」と設問に登場して仕舞う程である。因みに回答はゼロ。毎度手を挙げるものの推薦人が全く集まらず狼少年状態になるのはある種風物詩の域に達している。
 だから今般の名古屋市長選出馬表明も純粋な売名行為に過ぎず、よしんば落選したとして衆院選が任期満了近くなら丁度良い事前運動になるという程度の感覚に過ぎなかろうとたかを括っていたら、遂に正式な出馬表明に至り民主党も候補者を下ろして河村氏の知名度頼みで一本化とは驚きの展開であった。
 確かに春日一幸元民社党委員長秘書から保守系無所属、日本新党で初当選後、新進、自由を経て民主という河村氏の来歴には些か節操に欠けるとの批判が当然ある一方で、労使協調を基盤とする旧同盟系労組の牙城でありながら、寧ろ思想的には春日氏、塚本三郎氏といった自民党右派的な政治家を生み出してきた愛知県政界の今に至る"捩れ"を体現するかの如く一面を有している。果たしてこの市長選を通じて東京にも大阪にも独自性を以て対抗し得ない鬱屈した想いを河村氏の判り易いパフォームに仮託することの是非を充分に勘案した上での、名古屋市民の賢明なる判断を期待したい。

 昨日は竹島が島根県に編入されて百五年目となる「竹島の日」であった。式典に与党議員の出席はゼロ、対象的に国民新党の亀井父子が参画していたが、こうした際に想起されるのは竹下元総理が御存命であれば如何なるアプローチを採られただろうかという仮定である。あれ程韓国資本による"簒奪"の指摘された対馬も先方の景気次第で潮が引き気味と聞くし、所詮経済力次第と鷹揚に構えるべきなのか、或いは領土こそ国家の根幹であって少しでも甘い顔を見せればはいそれまでよなのか。少なくとも「待ちの政治」の妙を見せる人が居なくなったのはわが国もグローバル化した証左と受け止めるべきなのだろうか。

2月22日(日) 鍵盤の矜持  -育児 - パパ育児日記。-

e12.jpg 祐旭が週一回のヤマハ音楽教室に通い始めてはや三年目、課題にも入っていないCMでお馴染みの"ドレミファソーラファミレド"ばかり矢鱈と弾きたがるのは統制を嫌う性癖故かも知れないが、最近漸く練習を強要せずとも自ら鍵盤に向かう絵柄も見受けられるのは、演奏の楽しみを覚えた証左として非常に喜ばしい。
 こうした進歩は単調な反復練習を重ねる内に、ある日ある時恰も突然変異の如く、技術開発過程におけるブレイクスルーが如く唐突に上手くなる時期があり、今の祐旭がそれに当たっているのだろうか。右手の運指、左手の運指それぞれを固めてから両手で合わせるのが筋には違いないが、得てしてステップアップの時期には左右あやふやなまま強引に両手で弾いたら出来て仕舞ったりするもので、完璧でないからこそ心逸ってどんどん早回しになっていくのも、せっかちな性格もあろうが嘗ての父と同じ道程を歩んでいる様に見える。
 ただまだ年中なので折角上達を遂げつつある腕も発表会での披露の場が与えられず、登壇は昨年に続き唄のみに留まるというのが子供心にも面白くなかったのだろうか、確かに昨晩は二度ほど嘔吐して体調必ずしも芳しくない素振りも伺われたが、ギリギリ当日になって腹が痛いと言い出しキャンセル欠場と相い成った。その後特段ぐったりした様子も無かったから気まぐれに過ぎなかったのかも知れないが、光が丘に赴こうと意気込んでいた父には些か拍子抜けであった。来年こそは更に上達したキーボーディスト振りを惜しみなく発揮して欲しいものである。

 こどもちゃれんじDVDでは現実より一ヶ月強早くしまじろうが年長組に昇格、新たに転入生としてらむりんが登場した。兎のみみりんに対して子羊のらむりんとは直裁なネーミングだが、愈々ちゃれんじ園にも二大ヒロイン揃い踏みでしまじろうを巡り愛憎渦巻く三角関係が繰り広げられる、という展開には間違ってもなりそうにない。

2月21日(土) ウルコレ  -テレビ・ラジオ - 特撮ヒーロー-

 少しは家作りに興味をと言っていたらとんとん拍子で土地の契約まで進みまさに拍子抜けの感じもあったが、社業においても契約書の作製に携わることは滅多に無かったし、あったとしても勉強会の類の調査委託費の定型フォームに則って形を作るに近いものだったから、本来契約とはかく厳格で時間を要する行為であるとの心の準備が圧倒的に足らず、長時間で目が眩んだ。急激に大きな買い物、四十にして新たな領域に踏み出したとの実感が沸々と湧いて来る。さて相前後するがいざ建物や如何にを施工会社から何から選定しなければならない。忙しくなってきた。

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 飛んで帰りこのところ父子お出掛けシリーズも小休止だったので些かマンネリズムの嫌いは否めないものの、平成21年としては初めてのウルトラマン倶楽部に赴いた。
 祐旭がコーチのお姉さんに「家が遠いんだよねえ」と歎いてみせ、「何処から来たの」「高円寺」「まあ」と半ば真剣に呆れられていたが、まさかここ川崎に実に六度目の来訪となるヘビーリピーターであるとはお釈迦様でも気付くまい。
 本日も新たにコスモス、ネオスとの撮影が実現したが、他のイベントも含めここまで実にゾフィー、マン、セブン、新マン、パワード、ティガ、ガイア、ネオス、コスモス、ジャスティス=握手のみ、マックス、メビウス、レイモンとの邂逅に成功した。セブン上司やユリアンといったマニアックな人物を除き少なくとも現行でソフビ人形が継続発売されているウルトラ・ヒーローだけでも計28人居り、かつアストラやアグル、ゼノンの如く主役を張らなかったメンバーに単独でまみえる機会は滅多に得られないだろうから道は遠いが、可能な限り全員制覇を目指したくなってきた。早速来月はキングが降臨するようなので、この分では月イチ・ペースで通い続け、仕舞いにはコーチと顔馴染みになりそうである。

2月19日(木) ボウリング・フォー・ドームシティ  -スポーツ - ボウリング-

e9.jpg 日本企業の特色のひとつに長期雇用に基づく擬似家族主義的な企業文化があり、それが従業員の企業に対する忠誠心、愛着を高めるプラスの効用を持つとされてきた。元よりそれを否定する謂れは毛頭ないが、時代を経るに連れ必ずしも万人に受け入れられる思想ではなくなる中で、製造業なかんずく非首都圏に基盤を持つ私の身を窶す企業は古式ゆかしい特性を維持している。幸い、当該企業において出先機関に過ぎない東京セクションは比較考量すればよりドライな色合いが強いが、それでもメーカーであり続けている痕跡は随所に見られ、ドッヂボール大会やらコミュニケーションのための昼食会やら、悪く言えば懇親を"強要"されるケースも少なくない。
 ただこれも貧すれば鈍すに当たるのだろうか、お節介に過ぎるとも企業体が福利厚生の名を借り潤沢な利益からそれ等費用を排出していられる内は苦笑の範疇で済まされてきたが、地区合同で行われてきたボウリング大会を経費並びに工数低減の観点から1名1ゲーム500円分のみ配分して各部単位で実施を強制し、あまつさえ証拠としてスコアと写真提出を義務付けるとは本末転倒も甚だしく、これぞ大企業病と呆れざるを得ない。勿論ボウリングを通じて縦横の連携が図られる効能も存在しようが、ならばゴルフやテニスに補助を出してもいい筈で、相撲大会を開催したい、トライアスロンを実施すると強硬に主張する部署が現れたら果たして事務局は如何に対応するのか、ボウリングという書面上の要件に拘束されるのなら穴掘り大会ならば許されるのかと凄んでみたくなる。
 とまれボウリング自体は決して嫌いではない。ゴルフの最大の魅惑が結果が数値化され自らに生々しくフィードバックされる個人競技性にあるならば、競技場毎に条件の著しく異なるゴルフよりもより公平性の高いボウリングは更にコワク的に映っても可笑しくなかろう。実際大学卒業後は数える程度しかプレイしていないが、娯楽の少なかった中学校時代には日に6ゲームをこなした実績もある。 だからこそ心中秘かに期するところも無かった訳ではないのだが、これもゴルフ同様パワーが無いだけにコントロールが命の球筋が全く定まらず、漸く10フレになってストライクにスペアとのってきたところでノルマの1ゲーム終了、ゴルフなら百切り自己ベスト更新で万々歳なのにと散々な成績で、自費でもうひと勝負試みたくなったがそこで我に返った。来年も会社と非自発的懇親制度が存続していればリベンジに挑みたい。

 衝撃告白の元グラビアアイドルにしろ、妊婦ヌードのはしりの元モントリオール五輪選手にしろ、このところ薬で捕まる人が多いと思っていたら、「元はっぴいえんど逮捕」には非常に驚くとともに残念であった。大麻は覚醒剤と異なり形式犯に過ぎないのではないかとの指摘もあろうが他のメンバー、細野晴臣、大滝詠一、松本隆の三人がビッグネームになり過ぎたがためにどうしても比較され、従って必要以上に寂寥を感じて仕舞うのもやむを得なかろう。取り分け加藤和彦・坂崎幸之助両氏のユニット和幸のセカンド・アルバム「ひっぴいえんど」のプロモーションにゲストとして出演する、録画に向かう途上での逮捕という経緯も溜息を増して仕舞う。
 "もう、やめようよ。こんな哀しい話しを。"

2月18日(水) 紳士は決して走らない  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

e8.jpg 少人数での勉強会というと往々にして特段強い関心が無くとも何等かの質問を編み出さざるを得ず、それはそれで部会に足繁く通い懸命なアピールを試みる一年生議員の毎く鍛練にはなるが、必ずしも心地良い朝のひと時たり得ない。
 しかしながら本日は珍しく積極的に臨んだのは講師が学習院大の野中尚人教授だったが故だが、それは必ずしも著書のタイトル「自民党政治の終わり」が時流にマッチし過ぎているからではなく、御本人曰くの原題"自民党システムの終焉"が相応しいセンセーショナルよりはアカデミックに位置する内容が、"未だ嘗て英国においてのみしか存立し得なかった"という注釈付きであったとしても英国型議会制民主主義の信奉者という自らの思想との共通性に依ろう。
 更に言えば議会制民主主義における首相の強いリーダーシップを綿々と築き上げてきた英国が、その一方で政府に参画出来ず賛成投票をするだけのマシーンと化した多数の陣笠議員を抱え、必然的にそれ等議員の属する選挙区と立方・行政両府の乖離を生んでいるとのマイナス面についても質疑を通じて共通認識が得られたこと、また英国とある意味対象的に十二分に民主主義的過ぎるわが国の源流が江戸期に記憶に求められるという著書の展開は幾分強引ではあったが、その例示として挙げられた役職就任の条件に満たない家格出身者は一代限り石高を高める制度運用や有能な人材を当用する養子の多用等は、これら研究の第一人者である笠谷和比古京都大教授にわざわざ京都まで取材に出掛けた覚えがあることも、妙に親しみを抱かせる一因であった。
 ただそれ等を超えて尚印象に残ったのは英国内閣制度におけるリーダーシップ発揮のための制度的枠組みで、並び大名が鎮座在す閣議そのもので合議を計れば必然的に角の取れた中身に収斂するか決断の先送りに陥りかねないため、個別イシューには閣内委員会制を、最高意志決定機関としてはinner cabinetを設けているとの解説であった。前者がわが国の関係閣僚会議と異なるのは政府役職に就く議員の多寡故かも知れないし、後者については高いリーダーシップと上位下達の指揮命令系統を必要とする戦時期にはわが国においても五相会議といった形で実在していた様に、著しく目新しい指摘では決してない。ただ何よりも強い感慨を抱いたのは大学時代、学生団体とも言うべきサークル活動で日本委員会National Committiiの広報局長を務め、その日本委員会を舞台にまさに閣内委員会よろしくアドホックな横断会議が設けらるのみならず、inner cabinetたる上位機関が非公式に開催され副委員長の肩書きを持たない自らには御呼びが掛からなかったことに強い憤りを抱いていた記憶がオーバーラップしてきたが為だろう。日本委員会を内閣に見立て、小説吉田学校に範を取 った「覇道への暗躍~小説日本委員会」という実録小説をサークルの会報に発表し大いに不評を買ったこともあったが、政治制度を擬似的に体感した意義が20年近くを経て甦るとは寧ろ往時はより頭を巡らせていたのではないかとの過去からの戒めかも知れない。

 更に会館へベテラン秘書の方々を訪ね、夜は某O先生と懇談、政局風雲急を告げる中、有意義な一日であった。矢張り外を練り歩くのはいい。

2月16日(月) 隣は何をする人ぞ  -政治・経済 - 労働問題-

e7.jpg 先の見えない景況、悪化する一方の雇用環境の中、ワークシェアリングの声が高まってきた。ワークシェアリングとは一口で言えば個々人の労働時間を短縮することで雇用の維持を図る試みで、更に敷延すれば短時間労働に適した職種或いは職責を開拓して雇用拡大にまで繋げることもその範疇ではあるが、わが国においては専ら前者としての活用となろう。
 こうした考え方が典型的に当て嵌まるのは厳密な時間管理に基づいた定形型の職種、例えば製造業であれば生産現場であり、サービス業における窓口業務もこれに当たろう。詰まり8時間の勤務時間を例えば7時間にして給与も比例的に切り下げられれば、理論的には商業規模が八分の七になっても同数の雇用を維持出来る計算になる。
 ではそんな妙案がわが国でも1990年代以降再三に亘り検討されながら遂に実用に至ってないのは、ひとつには社会保障負担の大きさ故に雇用維持をワークシェアの比例級数のみで捻出することは出来ないという制約故ではあるが、より根源的には日本的な労働慣行に極めてマッチし難いからではないだろうか。例えば欧州を旧宗国とする新興諸国においてはトイレであれば代金徴収役、洗った手を拭くタオルを差し出す役、紙等の付属品を交換すると役と過剰に細分化されたジョブディスクリプションが現存するケースは少なくない。それは勿論、身分制社会の発露である場合もあろうが、原始的ワークシェアリングの一形態に他ならず、部外者が非効率的であると改善を買って出るのは彼等の食い扶持を奪う行為となる。従って、たとえ紙交換者が紙の集積地まで引き取りに行く間に現に使用されているトイレの紙が切れたからといって徴収者が換えることは許されない。振り返ってわが国においてはホワイトカラーは勿論、現業においても個々人の持ち分を厳密に定めず、それが故に組織体への新規参入障壁を構成し長期雇用慣行と親和的であるのも事実としても、フレキシブルに他者をカバ ーしたり引いては組織分掌を超えて新たな職責を開拓したりといった融通が日本企業における擦り合わせの妙の源泉になってきたのは疑いない。
 だからこそ現下の不況を乗り切るために凡ゆる手段を活用するのは重要であるが、同時にそのためにわが国の強みを歪める様な試み-この例で言えばワークシェアリング導入のために個人分掌を明確に定義すること-とならないべく慎重な取り組みをお願いしたい。

 ただでさえ郵政民営化見直しに対する小泉元総理の「笑っちゃう」発言で箍が外れるというよりは、寧ろ麻生内閣批判をすることで与党・自民党は生き残りを図る政府・与党二元論たる生活の智恵戦術が鎌首を擡げつつあるところに、財務相の泥酔疑惑である。ことここに至っては民主党の菅代表代行がいち早く懸念を示している通り、自民党内の改革主導権争いとも言うべきものに注目を集めさせ民主党の存在感を埋没させる作戦に打って出る他はなく、そのために全責任を負わせ尾羽打ち枯らせての退陣に追い込むか、体面を保つための花道を形作るのが得策か、麻生総理の存在価値はその辞め方のみにあると言っても過言ではなくなってきたのではないか。

2月15日(日) 動かざること山の如し  -ライフ - 住宅・不動産-

e5.jpg 住宅展示場に足を踏み入れるのは生まれてこの方二度目になるだろうか。但し一度目はもう十数年前、今は亡き大阪球場から南海ホークスが去り、場外馬券売場をはじめとする球場建屋内の店子の移転先と、最終的になんばパークスとなった跡地利用が固まるまで住宅展示場として老いさらばえた身を難波の一等地にさらけ出していたものだから、お目当ては野球評論家としての球場探訪であって住宅そのものを拝察した記憶はない。
 従って住宅展示場とは如何なる性格のものなのか把握する寄る辺も無かったが、一寸調べただけでもよく判ったたのは凡ゆるショールームの類の中で最も絵空事に他ならないという構造である。則ち自動車にしろ風呂やトイレ・キッチンといった水回り、或いは電化製品、家具全般に至るまで須らくショールームとは各々の商品における最高級グレードを誂えて必然的にワンランク上の物品への購買意欲を擽るのを旨としているが、少々背伸びをすれば一般家庭においても手の届く範囲を超えてはいない。これに対し住宅展示場は個々のパーツが高級仕様であるのが論を待たないに留まらず、そもそも例えば最低ラインが二階建て250平米であったりと、少なくとも都内近郊であれば代々の大地主かつバブル期に相続のタイミングが当たる憂き目も回避しましたといった非常なレアケースでない限り端から検討対象にならない巨大な構造物が並ぶばかりである。詰まり来場者の住宅に対する憧憬乃至は飢餓感を煽るには適していても、モデルハウスから家造りをスタートすれば相当な出費を覚悟するか、或いは実際に完成した家を見て彼我の差に愕然とするかの何方かを甘受しなければならない。
e6.jpg ただそんなことは誰もが先刻承知なのだろうか、久々のゴルフ練習の後に単身訪れた浜田山住宅公園にはまさに数える程の人影のみで、いい鴨に見えるのか人間ならば誰でもお構いなしなのか、ひとつ覗いてみると入れ食い状態の営業マン氏がストーカーの様に後を付けてマンツーマンディフェンスである。こちらもそれは心得たもの、連絡先を記そうものなら連日矢の如く電話やら訪問やらのアタックと事前に諭されていたから、純粋な疑問以上の問いは決して口にしない程に頑なでゴルゴ13の如くに寡黙だったので会話が弾むには程遠い。現実に中身は宮殿の如く丸い部屋が点在したり、地下にホームシアターが据え付けてあったりとリアリティのかけらもないのだから仕方ないとはいえ、矢張りこういうものは土地持ちの建て替え需要でもなければ、遠い未来への完全な冷やかしと腹を括って来るか、或いは自らの家の概要も固まりそれとの比較を常に頭に描きながら細部の参考にするかの何方かで、中途半端な状態で訪れるのは返って自らの心理にも混乱を招くので控えるべきの様である。
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