コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月30日(日) バザールでゴザール  -育児 - パパ育児日記。-

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 行事の多い幼稚園の中でも大きな負荷であろうバザーの日がやって来た。勿論、園児にとってはゲームや屋台飲食に興ずる楽しい一日に過ぎないが、自発的な無償奉仕を求められる父兄には重い一日であろう。それでもわが家は園児である祐旭の下に未就園児を抱えているので、妻が半日スタンプ・ラリー担当を務めたところで無罪放免となったが、俄かレストランと化した園内を飛び回るウエイトレス諸氏、或いはその後衛たる厨房御担当は戦場さながらで、御同慶の至りであった。
 前日になっても「"もしも"大怪獣バトルがあったら」等と会の趣旨を勘違いしているとしか思えない夢想を続けていた祐旭だが、確かにいっそ同じ重労働なら父兄各位が、ある人はゴモラ、またある人はエレキングと怪獣に扮し、子供達の差配で戦う「人力大怪獣バトル」でも企画してみたら喝采を浴びること請け負いだろう。当然、火の粉が降り懸かってきては騒動なので口を噤んだのは言う迄もないが。
d901.jpg 想えばいにしえよりTVヒーローは男女を問わず低学齢・乳幼児の永遠の夢・憧れであり、だからこそ等身大のヒーローが到来するウルトラ・ショーの類は根強い人気を博し続けている。取り分け感化され易い祐旭はウルトラマン倶楽部から帰るなり、「ウルトラマンになる修業」と主張して唐突に腕立て伏せや腹筋に勤しんだり、スペシウム光線はじめ決め技ポーズの練習に余念が無かったが、その割に眼前でゼットンが咆哮し少しウルトラマンマックスが一寸劣勢になるだけで阿鼻叫喚の怖がりようである。更には「手にチャックがあった。人が入ってるのかなあと思って」と陶酔の中に奇妙な冷徹さが同居しているところが子供心の複雑さを表している。
 ただこうした友人達や親族との「ごっこ遊び」もまた、屋外での自由な遊戯場所の減少や安全面への配慮に伴い実際に"戦闘"に興ずる機会が失われ、その代替として大怪獣バトルしかりゲーム機が機能しているのだろうか。責めて家の中では今や口を開ければ「怪獣になってよ」を連呼する公資の仰せに従い、父は良き怪獣を務めよう。

 余談だが祐旭が友人達より先に帰る際に、「ごめんみんな、行かなければならないんだ」と最終回にアンヌ隊員に別れを告げるウルトラセブンの如くお断りしていたのが妙に大人びていて面白かった。人は育つ。

11月28日(金) 村落の前衛  -本・雑誌 - 書店-

d897.jpg 高円寺阿波踊り発祥の地としても名高い南口PAL商店街から書店が消えたのは、天蓋のリニューアルで各店舗の共益費が大幅に増額されたらしいとの噂が飛び交ってから間もなくだったろう。爾来、若者の耳目を集める装束、中でも古着店ばかりが増殖し、住民に取って使い勝手の良い商店街から少しまた少しと乖離しつつある。
 書店以上に衝撃的だったのはレンタルのTSUTAYAの閉店で、まだ私が学生だった時分には同業種のアコムだった店舗を継承し、歌謡曲評論家として最新ヒットの小まめなチェックに必須だった至近なレンタル店は、ビルそのものの新築とともに永久に消え失せたのであった。後釜となったラオックスも地元電器店を巻添えに14ヶ月で撤退、爾来半年間同地は空き家のままで新たな鬼門発生かと危惧されつつあったところに、今般の朗報である。
 しかし南口待望の書店復活がよりによってかのヴィレッジ・バンガードとは果たして素直に喜んでよいものなのか。「遊べる本屋」を標榜する同社は台場や池袋といった新興商業地への店舗展開のイメージが強いが、杉並ではハンバーガー・ショップも運営しており決して唐突な進出ではない。ただ書店とは言っても中身は中原中也詩集であったり、SEX&ドラッグ特集であったりと著しく偏っており、かつ実際には関連する雑貨の陳列スペースの方が遥かに多い。正直なところ今は亡き王様のアイディアに通ずる、偶さかに見物する分には楽しいが購買意欲は滅多に擽られない、際物と言わざるを得ぬ側面が強い。サブカル色を強めつつある高円寺には似つかわしいのかも知れないし、わざわざ遠出して覗きに行く迄の意欲はそそられなくとも近隣にあったら足を運ぶかもしれないが、何はともあれ先ずは継続は力なりをお願いしようか。

 今国会初の党首討論は、弁論大会としてはそこそこ楽しめたが、中身は既に党首会談を通じて明らかにされた議論を超えるものではないし、そもそも二次補正を提出するのかしないのかが最大の争点と言うのも些か技術論に偏り過ぎている。勿論、野党側とすれば政府・与党の"迷走"故に補正が出せないとの失点を付くとともに、補正審議をしないなら解散・総選挙をとの大義名分を訴えかけたいという意図だろうし、一方総理は"甘言"に乗せられて審議に入れば揉みくちゃにされた揚句に解散に追い込まれかねず、引いては本予算ともども成立が遅れることこそ国民生活に悪影響を与えるという論法だろう。
 確かに双方とも間違ったことは言っていないし、個々の法案の是非を党首同士で細かく論評する必要もない。しかしながら例えば財政の中期プログラムへの見解であるとか、或いは総理に三位一体の見直しを行う意志あるや否や、引いては「小泉改革」路線を如何に総括するかといった、文字通り「骨太な」話も聞いてみたかった。少なくとも総理の側は小沢氏の国対議論に乗るばかりでなく、政策論に誘導した方が国民へのアピールとしても有効だったのではないだろうか。或いは自由民主党の側も、民主党内に勝るとも劣らず政策の党内振幅が拡がり過ぎて迂闊に旗を掲げ難いという現実的な要請ならば、如何にも総理らしくない。

11月27日(木) 血の一滴  -政治・経済 - 環境・資源・エネルギー-

d896.jpg 平岩文庫には及ばずとも何れの日にか私も蔵書一万冊には至りそうである。当然そんな悠長なスペースは所有していないから、親の持つ倉庫もどきに搬送したりと苦肉の策を続けているが、足元も覚束なくなれば取り敢えずプラスチックの収納用ボックスに放り込み、積み重ねて置くしか収納の術はない。
 ところが昨今100円ショップからその旨ボックスが、消え失せたとは申すまいが、供用されるCD、ビデオ向けに糾合され確実にその種別を減少させているではないか。ひとつには書籍そのものの販売不振を物語っているのかも知れないが、矢張り原油高により原価が急騰し、コスト削減のために品種を削減したのだと受け止めるべきだろう。一時は所謂クリアホルダをはじめ各種ファイルも相当に品薄になっていたものである。
 勿論、過去二度に亘る石油ショック、取り分け79年には省エネルギー構造への転換により世界諸国に先立ち景気回復した経験からか、現実に原油価格が緩やかに下降しつつあることもあって、懸念された程の狂乱は巻き起こらなかったとは言えよう。
d896.jpg ただ最も煽りを食らったのが運輸関係であるのは疑い無く、現実に街中の渋滞は著しく解消されている。加えてその後に企業業績そのものが大幅に傾いたから、例えば本日は綱町という如何にも公共交通機関で訪れるには不便な場所だが、今や当然の様に麻布十番から徒歩である。考えてみればTAXIに乗るのに何となく罪悪感を覚える貧乏性であり、周囲な環境に照らせば圧倒的に電車移動比率の高い私ではあるが、それでもこれからは石油の一滴は血の一滴と胆に銘じなければならない。確かに時間的にロスの生ずる嫌いはあるが、そこは企業も人もこれで贅肉を削ぎ落とせれば儲けもの、なかんずく気候変動問題にも寄与すれば更に儲けものと発想を変えるしかあるまい。

 その綱町では小柴東大名誉教授の講演を伺う。齢80歳を超えなお財団設立の苦労譚はユーモアも交えて非常に聞かせたが、肝心のニュートリノについてはさっぱり判らなかった。

11月25日(火) 古い上着よ  -ライフ - 住宅・不動産-

d894.jpg 一体眼鏡を買い替えるのは何度目になるのだろう。厳密に言えば対外的に用いる比較的高コストな嗜好品は健在なので、子供が毟り取り投げ棄てても壊れぬ耐久性を重視した、家庭用の更新である。前任は幾ら頑丈な太いフレームでも流石に公資に踏み潰されてはひとたまりもなく、天寿を全うすることなく御陀仏様となり、この度の更衣に至った。
 何時の日にかはウルトラアイにレンズを誂え実用化してみたいとの野望はあるが、家の中ならまだしも子供とのお出掛け時にも用いるので、流石に妻に眉を顰められるだろうし、とはいえ子供達がウルトラマンを卒業して仕舞ったら単なる度を超えた合マニアに堕して仕舞うので、次回新調時位には真剣に検討してみようではなかろうか。

d895.jpg 期を一にした訳ではないのだが、絨毯も到来し愈々わが家改造計画も総仕上げである。12年振りに生のままに剥いてみるとわが居間も存外に広く新たな感慨を覚えるが、いざおニューの絨毯を敷き詰め家具も戻してみると、確かに足元は爽やかになった感こそあれ、あっという間に魔法が溶けた南瓜の馬車の様で、何分拍子抜けである。
 そもそも旧絨毯の裏側に溜まったゴミ・埃に鑑みれば、衛生的にはフローリングのままが望ましいという帰結になる。ただ傷という瑕疵が果たしてどれ程の資産価値の減少を意味するのか正確には判らないが、少なくとも子供の居る家庭においては何等かの手段で床をガードするのは必定だろう。気候変動問題に民生分野から資するにも非電化の保温は欠かせないから、一年と持たなかった安物DVD再生機の新調も含め、気分一新に一定の効果は認められたのではなかろうか。

11月24日(祝) キメラの微笑  -地域情報 - 東京23区-

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 目を疑ったのはマルちゃんから新たに発売された「二度おいしいラーメン」である。途中まで食べてからカレー振り掛けを追加することで濃厚豚骨とクリーミーカレーの二種類が味わえるのが最大の売りだが、直截に言えばカップラーメン開発者の矜持であるスープに応じた微妙な麺のアンサンブルは何処に消えたのかと指摘したくなる。同時に恰もカレー粉を容れれば須くカレーであると主張するのと同意で、ベースのスープ研究意欲も阻害されるのではと他人事ながら心配になった。
 実際には懸念した程には珍妙な味ではなかったし、豚骨とカレーという取り合わせに至る過程に腕の見せ所があったのかも知れないが、個人的に過敏な反応を催したのは、缶麺の際と同様既に同趣のアイディアは「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が先駆的に取り上げており、絵空事である筈の漫画を現実が追従している光景を目の当たりにしたからだろう。

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 前置きが長くなったが「二度おいしいラーメン」に触発もされ、三連休の最終日は今月8日の銅像除幕式には首相も到来された亀有を訪ねることとした。とはいえ一人黙々と両津像に対面するのも虚しいので、こち亀には何等の関心もないが、亀有駅近辺には大怪獣バトルのゲーム機が点在するという事実を餌に、祐旭と二人旅を誂えた。
 北口に南口、更には麻生総理も練り歩いた亀有銀座に三体目の銅像とは亀有のこち亀依存度の高さが伺える。ただサザエさんの桜新町、ウルトラマンの祖師ヶ谷大蔵を見てもキャラクターによる街起こしが話題性を喚起するのは事実であっても、果たしてそれが商店街の活性化に事実如何程の効用を齎しているのだろうか。
d893.jpg ここ亀有もまた幹線道を一本渡れば複合ショッピング・モールがでんと構え、都市近郊から地方交通の結接点まで共通する意匠に、恰も昨日の川崎に舞い戻ったかの如く錯覚を覚えても夢うつつとは責められまい。実のところこれ等を分別するのは主たるテナントがジャスコかヨーカ堂かという差異でしかない。だから確かにアリオ亀有内にもこち亀を主題としたテーマパーク風スペースが設けられているがゲームセンターの域を超えるものではなく、三体の銅像との連環を通じた商店街との相互需要喚起という好循環に寄与しているかと問われれば、非常に疑わしい。恐らく次の課題は、カレーラーメン同様に漫画から花開く、荒唐無稽ではあっても大は勝鬨橋を動かすといった絵空事が眼前に現れる事例を商店街発で如何に生み出していくか、そこに大商業資本を如何にひと幕噛ませるかではなかろうか。こち亀という漫画自体対象層が年齢的に幅広いからこそ、漫画と実世界のリンクは瓢箪から駒を生み出し得るのではないか。

11月23日(日) Try Me  -育児 - パパ育児日記。-

d883.jpg 11月も後半とは思えぬ陽気と三連休の中日という絶好のお出掛け日和に父子三人、今や絶滅の危機に瀕した屋上遊園の最期の聖地ともされる蒲田東急プラザへ向かう。幾分小振りながら観覧車まで誂えた造詣は、並び称される浅草松屋と比べても遜色なく、二人とも夢中でエアークッションと戯れている。極短期間ではあるが池上線沿線に居住した際、ハブとして蒲田駅を往来することは少なくなかったが、こんな施設が空に鎮座在しているとは夢々思わなかった。
d884.jpg わざわざ帝都東南端の蒲田まで足を運んだのは、このところ風邪やら中耳炎やらで内に篭り気味だった息子達のストレス発散が目途であったのは当然だが、選定に当たってはその立地も多分に寄与している。と言えばもうお判りかも知れないが、午後は隣駅の川崎へと河岸を変えた。過去四度に亘り午前中に赴いているウルトラマン倶楽部だが、14:20からのミッション・タイムには何が行われているかを探るのが、まさに今回のミッションに他ならない。
 ところが蒲田で昼食を済ませ到着したのが13時過、漸くNEO第二弾も遍く頒布されたと見える大怪獣バトルに勤しみながらひと時の待機をと思いきや、13時半から握手・撮影会との客引きに誘われ、早々に入場したのが誤算の始まりだったろう。首尾よくマックスとフレームには収まったが、14時過ぎには退出し再度別料金のミッションに挑まなければならない。しかもお目当てのミッションも、旧浅草時代の隊員服が流用されていたのは妙に郷愁を誘ったが、三人配備された係員の人件費分値が張るのはやむを得ないととしても、午前のフリータイムで体験済のエース体操、宝捜しよろしくジムに配備された指人形探索、モニターを用いた影絵クイズと、著しく魅惑的とは言い難い演目が続く。あまつさえ轟音を従えゼットンが現れると、対峙するは予想を微塵も裏切らぬ二度のお勤めマックスではあるまいか。
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 勿論、乳幼児自身にとってみれば写真収集が目的ではないのだから同一ヒーローに二度会ってもそれ程の落胆は覚えないのかも知れないが、ミッションのラストを飾るべく撮影も集合写真で片付けられ、一度は体感すべきとの好奇心こそ満たされたものの、勘案するにフリータイムの方がコストパフォーマンスが高いと断ぜざるを得なかった。
 恐ろしいことに話しはこれで終わらない。夕刻16時半からはウルトラマン・パワードが登壇予定であり、かくマイナー・ヒーローにはなかなかお目に掛かれまいから更に腰を据えるべきと、父と祐旭の思惑が見事に合致して仕舞ったのである。そこでアイスクリームでも食して再び待機の構えに入ったが、16時半には些か間のあるところに時ならぬサイレンと「さあウルトラ・ヒーローがやって来ますよ」との謡い文句が響く。まんまと乗せられる方も学習効果を欠いているが、円谷に似合わぬ商売上手を褒めるべきだろうか、誘われるように三度の入場を果たすと、我々の眼前に現れたのは誰あろう安室奈美恵も吃驚、三度目のマックスである。
d887.jpg 要は公的な撮影時間以外に登場するハプニング扱いなのだが、流石の祐旭ももう握手すら求めないし、公資は既に遅目の昼寝に入っている。程なくパワードにも邂逅し無事所期の目的を果たして帰路に就いたが、如何に営業スケジュールを掌握し、複数ウルトラマンと遭遇すべく効率的な入場方法を編み出すかという新たな課題を残し、マックス漬けの新嘗祭は幕を閉じたのであった。

11月22日(土) Winner Takes  -グルメ - カレー-

d880.jpg 最近ショックだったこと、わが家に程近いカレー店、リトルスプーンの唐突な閉店である。確か先月位だろうか、「カレーが変わりました」との謡い文句に不穏な兆候を感じ、中身を確認して大変ないのに安堵したばかりだったので、尚更衝撃無限大に他ならない。
 炒飯や寿司なら稲荷・穴子の二種のみ以外、凡ゆる丼モノの類は御飯に文字通り色の付くことを理由に忌避し続けているにも拘わらず、カレーに限っては白い部位が微塵も実見されぬべく普く白米を覆う豊満なルーを所望する私にとって、再三述べている通りこのリトルスプーンは味もさることながら、日本型カレーライスに典型的な、わざわざ垂れと米を分離させる不条理な盛り付けをしないという一点において先ず非常に高評価にあった。
 ただその特色は万人に通用しなかったのだろう、必ずしも閑古鳥という訳ではなかったが、より駅に離れた劣勢な立地にある壱番屋に比べ活況を呈しているとはお世辞にも言い難い状況だったので、かく事態が訪れても文句は言えまい。
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 例えば過日、中野のはなまるうどんへと赴き、安価とその割に充分繰り返し食すに足る味合いには、父に似てかけうどん好きに誘導された二人の息子の採点も高かったが、難を言えば味薄、取り分け麺への染み込み度合いの低さが気になった。或いはレンジUFOに、麺を蒸気で温める際に粉ソースで下味を付ける画期的な更新が為されたのはカップ麺の歴史を揺るがす一大事ではないかとひとり興奮を抑え切れなかったが、あにはからんや滅多に店舗でお目に掛かることはない。これ等事例から導かれる仮説は、私は四十を前にして未だ濃厚一筋であるが、それは必ずしもと言うよりは往々にして世間一般の味覚とは相容れないということである。
 幾らロング・テールの時代でも実物在庫には限りがあるから、小数意見の尊重と引かれ者の小唄の如く非民主主義的な主張を掲げる謂れは毛頭ないが、命短し恋せよ乙女か。

 WBCと言えば拳闘の世界組織のひとつ、世界ボクシング評議会であって、ワールド・ベースボール・クラシックを思い浮かべる向きは未だ少なかろう。
 だからと言って五輪よりも価値が低いとペナント・レースを優先し、組織的なボイコットを仕掛けるのは球界に身を置く者の度を超えている。勿論、落合監督に依れば飽く迄選手個々人の事情が重なっただけとされているが、元来中日新聞社は読売のイベントに荷担したくなかろうと世間から色眼鏡で見られている中で、普通の感覚なら少しは色を付けて回答しそうなものだろう。
 北京五輪で岩瀬選手を酷使されたのが未だ腹にすえかねているのかも知れないが、落合監督が熱く語れば語る程、少なくともひとり監督に限らず企業グループとしてアンチと色付けされて一向に構わないという未必の故意が働いている様に見えてくる。実際に故障持ちの森野選手はいざ知らず、若手の二人はシーズン中に巨人戦で活躍しようものなら、要らぬ非難を喚ぶことになろう。残念極まりない。

11月20日(木) マスの専横  -スポーツ - プロ野球-

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 このところの隔月刊ベースボール・マガジンの迷走振りは痛々しい。確かに季刊時代も、例えば「監督」「外国人」「背番号」といった定番のお題を数年サイクルで回しているだけに近かったものの、それなりに固定客を飽きさせぬべく毎回趣向を凝らしていた。それが年四冊から六冊に25年振りに増殖すると、"チーム愛"や"名人芸"等、ゴッタ煮で詰め込めば一冊でっちあげられそうな茫洋としたタイトルを乱発してマニアにそっぽを向かれそうな一方で、ナンバーの如く収拾性を捨て同時代の証言風にシフトする訳でもなく、読者像も散漫になっている。
 逆に週刊ベースボールは今更に速報性を求めても詮ないし、立ち位置からして過度にスキャンダラスな話題も追求出来ないからワンテーマ・マガジン色を強めているが、性懲りもなく25年も毎週欠かさず購入・保管し続けているとは我ながら惰性としか言い様が無い。「記録の手帳」を除けば大半は読み流すだけで、豊田泰光氏の連載はじめ真面目に目を通せば突っ込み所は枚挙に暇ないが、そこ迄の必要性を感じない。
 ところが今週号の石田雄太氏のコラムには珍しく反応して仕舞った。結論としては自らの意図がストレートに伝わるブログを以て発信する替わりに、記者の恣意性に左右されるマスコミ取材を忌避する取材対象を戒めようとするもので、少なくともマス媒体に組みする記者サイドの発言としては理解出来る。しかしながら勢い余ってなのか、だからこそつい本音が顔を出して仕舞ったのか、選手らが「問われてもいないのに」自ら発言するのは言い訳になる恐れと切り捨てるに至っては、騙るに落ちたと言うべきだろう。換言すればマスメディアに取って必要な、より平たく言えば記者の書きたい文脈に合致したコメント以外は報道されるに値しないとも聞こえて仕舞う。桑田・イチローといった知力においても秀でた選手の独占取材による書籍刊行という輝かしい実績を有する氏であるから、ジャーナリストとしての自負・矜持が稚拙な言質溢れる取材対象に苦言を呈したくなったのかも知れないが、マスコミの驕りと批判を浴びるならまだしも、所詮スポーツ・ジャーナリズム故の資質の貧困と捉えられるのは決して本意ではあるまい。
 忖度するだに特定のスポーツ関係者のブログに対する批判を敷延し過ぎたのだろうが、帰納には慎重を期したいものである。

11月19日(水) ハヌマーンにさよなら  -テレビ・ラジオ - 特撮ヒーロー-

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チャイヨーのウルトラ達。ソフビかと思いきやプラ製で
ダークウルトラマン(絵右上)は既に破損
 昔は本を買ったらその日の内に1~2冊は読み終えたものだが、蠱惑的な書籍が減ったのか、余分に知識が付いて感受性が衰えたのか、或いは集中する体力に欠けてきたのか、夜半に至りなお閉じるのも惜しく読破して仕舞う様な本に巡り合わなくなり久しい。しかし本日は一家揃って風邪で早々に床に就くという読書に取っての好条件も奏功し、日が変わっても読み耽り遂に頁をめくり終えて仕舞った。
 「封印作品の謎」以来既に4年近く経ち巷に溢れる"封印モノ"にも些か食傷気味だが、如何に複雑な謎が秘められ、それを良質なミステリー小説の如くに暴いてみせたとしても、所詮は当該封印作品そのものに関心が無ければ読み手にとって臨場感が湧くことはない。その論拠に鑑みれば、今作「封印作品の憂鬱」が大いに私に共鳴させたのは、題材が79年の本邦初公開時に現に映画館で見た「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」であり、かつ昨年当作品の製作会社である泰王国はチャイヨー・プロにて地場の守り神の如く据えられたマンのマスク像(下写真)を拝んだという深遠なる接点故に他ならなかろう。
 実際のところチャイヨーと円谷が訴訟合戦を繰り広げていることは仄聞していたが、背景にかく伏流があるとは到底想像出来なかった。また同時に、本書を読む限り円谷皐氏はじめ以降代々の円谷プロ経営陣も、チャイヨーのソムポート氏もそれなりに特撮に思い入れはあったものの、結局は如何にウルトラマンで食べていくかに収斂した同じ穴の狢でしか無かったということは現下の円谷プロの惨状を見る限り想像は出来たものの、改めて玉葱の皮を剥く様に現実を突き付けられると残念と言う他ない。
d877.jpg 勿論如何に興味があろうとも何故封印に至ったかの解明に留まらず、その背景に潜む愛憎劇を併せ白日の下に曝す意気込みは、謎を謎のままに終わらせる仕舞う様な凡百の封印モノと一線を画しているし、秀逸なノンフィクションに仕上がっているからこそスムースな読了に結び付いたのは疑いない。翌日は一寸眠かったが。

 日中は、朝の永田町から今年三度目のつくば市を往復で残念ながら参画出来なかったが、自動車利用者の立場からした自動車税制についての一斉示威行為が行われた。今や一部の先鋭勢力以外にはなかなかお目に掛かれなくなった「デモ」が、日米安保から50年近くを経て、労働組合の専売特許から使用者側の手段に拡張されつつあるとは皮肉である。

11月18日(火) シーソーゲーム  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 党首討論でなく党首会談をという小沢一郎氏の主張は判り難かった。よしんば形式ばった応酬に終わりかねない公開の場でなく、本音で話し合いたいという建設的な意図だったとはいえ国会法に定められた党首討論を回避する理由にはならない。
 二次補正を出せば代表の責任で早期に通す、でなければテロ特はじめ審議拒否という戦術は確かに他の野党の述べる通り筋が通らないが、恐らく小沢氏からは一対一の密室であれば相手を落としてみせるという信心にも似た想いが伝わって来る。現に沖縄特措法を巡る橋本総理との応酬、小渕総理との自自連立、記憶に新しいところで福田総理との大連立騒動と、何れも異なる政党の党首として舞台に登場している事実が先ず小沢氏の求心力、或いは"壊し屋"たる所以を物語っているが、解散追い込み戦法が肩透かしに終わりつつある中、またぞろ与野党提携による局面の打開、より卑近に言えば与党内部の肺腑を抉る戦術と両睨みかとの邪推は、容易に想像し得る。その段から言えば国対委員長を同席させたのは与党側の保険として得策だったろう。
 ただ考えてみれば野党という立場も、嘗て55年体制下において反対をするだけで一定の得点が稼げた時代とは異なって対案を求められる迄に世間の目も肥えて来たので、となれば内容もまた量的にも政府案を凌駕しなければ評価を得られず、一方で実現性には乏しくなるので今度はそこを叩かれるという、安穏としてはいられない世の中となった。勿論、今臨時国会冒頭に「小沢所信」「麻生代表質問」とヤユされた如く、それだけ政権獲得の蓋然性が高まってきたという証左かも知れないが、このままずるずると任期満了に近付けば、一般的には自民不利の観測だったとしてもいつ何時潮目が変わるかも知れぬとの切迫感に常に苛まれているがために揺さ振りにも打ってでざるを得ないという見方はあろう。
 ただそれは決して判り易い戦術ではなく、必ずしも世論、なかんずく莫とした政権交替期待「一度やらせてみれば」を担っていた層の喝采を浴びるとも思い難い。従って当初から企図した訳ではなかるまいが、解散風を煽って民主党を法案審議に協力させ、一転して封印し対決路線に転換させた総理の綱渡り気味の作戦も、結果的には功を奏した形になっている。
 勿論、政権与党が野党の土俵で争っている様な姿はお世辞にも美しいとは言い難く、寧ろ未曾有の世界不況が"有事の"自民党回帰を後押しするとの公算に立って、正々堂々人事を尽くす姿勢が望ましい。消費税上げ批判を恐れず三年間のプログラム策定に踏み切ったのは勇断に違いなく、だからこそ残り約一年を切った任期中のスケジュールもまた、明確に打ち出すべきではないか。でなければ衆参の在り方や委員会制度等と同様に、完全フリーハンドとされて来たの解散権の公使についてもまた問われなければならない事態も何れ訪れよう。
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