コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月30日(木) 正規とは何か  -政治・経済 - 労働問題-

d846.jpg 経済対策ならぬ「生活」対策と引換に解散も正式に延期宣言かと思いきや又もや粘り腰で若手議員の悲鳴が聞こえてきそうだが、永田町は半ば心ここに非ずのままに通常シフトに戻ることになる。例年なら臨時国会への法案提出もとうに終わり与党内は税制改正に向けた税調モード、それに伴い業界側は集会・陳情合戦が始まる時分だが、何分今年は給油法の如く本来なら与野党の大きな論議となるべく法案審議のみサクサク進み、一方で通常国会からの積み残しも含めて争点の少ない施策は審判を仰いでから改めてという暗黙の合意があった。だから政調各部会も開店休業の風情で、この期に及んで模様眺めの再開に伴い今更ながら法案が上がって来たりする。
 委託元が指揮命令を行った"擬装派遣"問題等に端を発した派遣業への逆風は日雇派遣の原則禁止と企業グループ内への派遣が一定割合を超える所謂専ら派遣の制限という規制強化に結実した。勿論、社会的存在である企業が法の趣旨を曲解して労働者の分配を過度に抑制することは許されない。しかしながら日本経済を再び成長軌道に乗せるために「三つの過剰」解消を推進し、固定費なかんずく労務負担を下げるべくあの手この手を凝らして来たのに雇用調整機能を持つ派遣、臨時社員の存在そのものを否定する様な論調には到底組み出来ないだろう。ほんの少し前迄、大企業は未曾有の好業績を謳歌し、にも拘わらず給与の増大を通じた個人消費の拡大という好循環に寄与していないとの批判は確かに襟を正して受け止めるべきに違いない。ただそれが直ちに古式ゆかしきわが国労働環境の特色たる長期雇用に回帰しない責を企業のみに求められても、無いもの強請りに過ぎない。
 わが国企業は望んで長期雇用を改めたのではなく、事実上それを維持する余力を失ったのである。従って幾ら正規雇用の拡大をと叫んでも、勿論未だそれを継続出来る収益を保持している個別企業は自らの企業戦略に基づいて従来通り手垢に塗れていない-という表現には既に価値判断が入っているが-新卒層を基盤とした採用を行う一方で、基幹戦力以外の部分を間接や有期雇用で賄うという思索を実績ある大企業が持つ限り、正社員に"昇格"させるという発想は生まれて来ない。
 現実には高いパフォーマンスの持ち主がその自由度から派遣形態を望んだり、寧ろ派遣会社が関与する分、有期の直接雇用より安定性が高いという積極評価もある。その段から考えれば、現行法制度において兎角その適用を巡って駆け引きが繰り広げげられる派遣社員の三年満了後の直接雇用義務も、精神規定としての意義は今後とも有用であったとしても本来は過渡的な措置であって、雇用の流動化がより促進されていくのならばその中で解雇要件の緩和等と併せ雇用形態の流動化もまた峻別されていくことになろう。言う迄も無くわが国においてその期は未だ遠き未来であるし、果たして訪れるや否やも判然としないから、当面は雇用形態に拘わらぬ同一労働同一賃金の徹底、或いは米国における解雇時のシニオリティ・ルールの逆で、安定性の低い非長期雇用者の待遇を寧ろ高くする法的規制を設けるのが現実的ではなかろうか。
 急速な景気悪化に伴い、恐らく来年就職活動を迎える世代からは再び就職氷河期が到来しようが、最終形が見えぬままにより良き姿を目指しある時は規制緩和、またある時はその逆貼りと行きつ戻りつを繰り返すのもやむを得ないのではないか。

10月29日(水) ポリティック・パワー  -スポーツ - プロ野球-

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全日本対米メジャー選抜(96/11)
 迷走を続けたWBC監督問題だが、恐らく関係者は巨人が奇跡の逆転優勝を成し遂げた僥倖の有り難みを、改めて噛み締めていることだろう。
 それにしても驚いたのはイチロー選手の巧みな政治力で、読売新聞も前任者の王氏も望み、御本人も最期には満を持して登壇を目論んでいたのではないかと推察される星野氏を、その最たる根拠である「北京の復讐」の非妥当性とともに一刀両断切り捨て、結果的にこれが星野氏の死命を制したのである。イチロー発言は星野氏と自らの商品価値を秤に掛け、読売は自分を採らざるを得ないと踏んだ上での計算ずくのものだろう。そこには愛知県出身ながら他球団にドラフトされた選手と当該地域球団の元全権監督の微妙な確執も垣間見えるが、流石にあの善玉・松井選手にも容赦なく喧嘩を売るイチロー選手の試合巧者振りが伺える。
 一旦は白紙に戻るかと思われた監督選考だが、同じく星野卸しに一役買った野村楽天監督が落合中日監督の援護を得て色気を見せると、それだけは避けたい読売側は王相談役に傷は付けられないから尖兵たる高田ヤクルト監督に反野村色を鮮明にさせ、セで優勝を決め日本シリーズの結果は出ていないという絶妙なタイミングを突いて急転直下の原監督擁立に至ったのであった。
 原監督が最も相応しいかに議論はあろうが、次回米国が覇を握らなければ大会そのものの存続も危ぶまれる微妙な立場の中で渦中の栗を拾わせ、よしんば成績が伴わなかったとしてもそこに至るプロセスで納得を得られそうという意味では的を射た人選には違いない。満場一致で選ばれる球界の顔が存在しないのは愁うべき事態だが、無いものねだりをしてみても致し方なく、今後は少なくとももう少し時間の余裕を持って手続きを進め、一選手の意向で議論をひっくり返す様な番狂わせを許さない、正当性を裏付ける外形を担保した選出を企図すべきであろう。

d844.jpg とある業界の集会で某国交大臣が「2000年住宅」と連呼。揚げ足を取りたくはないが、些か長過ぎる。それでは遺跡である。わが国の住宅寿命が極端に短く、新築至上主義、急速に落下する資産価値構造を改めるべく打ち出されたフレーズ「200年住宅」はまだ定着していない様である。

10月27日(月) キンキンぷらぷら  -政治・経済 - 為替-

d843.jpg 「キンキンぷらぷら、キンぷ~らぷら」、登記上は高円寺銀座でありながらねじめ正一氏の同名小説のヒットを機に改名した純情商店街に流れるレトロ色濃厚な宣伝スポット放送に、そんなフレーズが織り込まれてから余り時は経過していないだろう。
 一聴して夫・愛川欽也氏の女性関係華やかりしを歎くケロンパの苦悩、と誤解する向きは希少で概ねは貴金属・宝飾買取業の躍進に思いを馳せるであろう。忖度するだに嘗ては質屋業が担っていた貨幣経済における物品への流通価値の賦課作業の一部を代替特化、或いはブランド品との住み分けを図ったとも規定出来るが、脳裏に浮かぶのは果たしてわが国家庭には、宝石は兎も角、金やプラチナが箪笥の中にそんなに死蔵しているというのかという疑問である。
 百歩譲って需要はあるとしてかく貴金属を集めてどうするのか。金本位制復帰を狙う某大国の差し金というのではスパイ小説のプロットとしても成り立ちそうにない。そもそも円の価値が上がれば相対的にこのスキームには支障が生じる筈だから、わが国財政の先行きを悲観し円の暴落に備えるという壮大な野望でも秘めているのだろうか。市場経済化間もない頃のロシアとの貿易ではルーブルの価値が安定しないので沿岸部の蟹を媒介とした物々交換が盛んとなり「カニ本位制」などと揶揄されていたが、何とも不気味な金回収機構の興隆である。

 丁度まだ我々が大学に入るか入らないかの頃に彗星の如く現れた、浪花のジョーこと辰吉丈一郎氏の本邦ボクサーに類を見ないハードパンチャー振りは随分と話題を喚んだものである。
 時は流れ目を傷めて再三引退に追い込まれ、氏のために誂えられたと言っても過言でない特例復帰ルールの期限も切れ、タイ国で事実上の"噛ませ犬"相手に復帰戦を飾る絵柄には、見果てぬ夢を追い駆ける想いだけは伝わって来るだけに曰く言い難い感慨を覚える。

10月26日(日) ハイウェイスター  -育児 - パパ育児日記。-

d839.jpg G12というから中露にブラジル、後は何処だろう等と思いあぐねていたら、G6にジャンボエール、トリプター、ジェットラス、更にはキョウレツオーの三体を加えたエンジンオーの現時点での最終形だというのだから畏れ入る。そもそも戦隊モノは決して好みではないけれど父も合体ロボット世代、超合金に玩具箱を溢れさせたクチに加え、何事も貫徹したくなる収集癖の持ち主だから、自らの物欲を抑制するためにも報奨システムを採用し、祐旭自身が公文式やら課題に勤しむことによりシールを溜め、好きなものに替える権利を獲得する手筈には非常に合理性があった。そうすれば発売から一定期間も経過して価格も下がるし、無定見に玩具を与えないという教育的配慮にも合致するから一石二鳥とほくそ笑み、報奨代替分と誕生日、クリスマスでG12完成を目論んでいたのだが、そこは父の浅はかさ、焦らし過ぎたお陰で肝心の祐旭のゴーオンジャー熱が覚めて仕舞った様である。
d841.jpg 先ず折角溜まったシール140枚が大怪獣バトルに登場する戦闘母艦スペースペンドラゴンに化けたのがケチの付き始めで、この際は単なる気まぐれかと受け流していたが、いざ五歳の御祝い選びに玩具店を訪れても迷いに迷って一向に決断は下らず、揚句の果てにジャンクションライフル(下写真)とは意外極まりない選択であった。
d840.jpg 成る程ゴーオンジャーは単純明快で低年齢児に判り易い「クルマ」を題材にしているから、「自動車産業と道路整備は車の両輪」といった古式ゆかしいお題目を掲げる迄もなく、例えば「ロードサーベル」であるとか道路に因んだ形状・ネーミングの武器は少なくなかったが、ジャンクションライフルはETC表示のあるゲートを掲げたハイウェイバスターと組み合わせて威力を発揮する逸品で、道路財源一般財源化前であれば次世代道路ファン育成の名目で使途拡大の一策に加えてもと思える程の世に珍しき道路フリーク振りを表象していた。しかしながら同時に道路はネットワークが構築されなければ効用を最大化出来ないから高規格幹線道は完遂をと訴えるインフラ整備推進派の主張を表象するが如くに、ジャンクションライフルもまたハイウェイバスターと結び付かぬ単体では玩具として甚だ魅惑に欠ける。結果として祐旭も早々に興味を失った様で、幼稚園児にして道路族という早熟振りを発揮する暇もなく、エンジンオーもG6で終焉を迎えそうである。
 なお誕生日当日は翌27日であるが法的には前日に年齢の経過を迎えることを勘案し26日に誕生会を開催した、訳ではなく偶々日曜なので前倒ししただけであることを参考迄に付記しておく。

10月25日(土) 間、髪を入れず  -スポーツ - ゴルフ-

d838.jpg 世論調査を行った訳ではないから確証はないが、多くの30代以下の企業人がゴルフの機会に恵まれないのは、金銭や時間的制約もあろうが、周囲にラウンドを共にする同僚・友人が希少だからではなかろうか。
 その段からすれば半ば職務との大義名分の下、芝刈りに舌を舐めずり入れ食い状態の面子が並んだ昨年までの職場環境は二度と起こり得ない僥倖だったろう。時は流れ景気も俄かに悪化の一途を辿って経費も大幅に削減され、今や関係先との懇親に名を借りたラウンド設営を望むべくもなく、しかしながらなお一定のプレイ数を維持しようと企めば自ら調整の徒に預かる他はない。
 かく思い立ち九月から奔走し漸く成立したのが本日、大学時代の知人とのセッティングは実に一年八ヶ月振りになるが、その際も結局は友人の知人に助っ人を仰いだから四人全員往時のサークル関係者で固めたのは05年1月以来とは、如何に出向先の同僚諸兄の奮闘に身を委ね、ゴルフ場の予約も含め自らアレンジする労苦から免れていたかを思い知らされた。しかも丁度月イチ・ペースで98を挟んで6回連続110以下と安定感を醸し出していたのが二ヶ月空けたら途端にメロメロとは自らの技量の低さに改めて端倪せざるを得ない。同伴者に倣って日本酒を煽り過ぎたからというのは哀れな慰めに過ぎず、高麗のミニ・グリーン故とはいえもう少しでオリンピックが揃う程にパットは好調だったのだから、後は目を覆わんばかりである。
 旧来以上に翌日の筋肉痛も激しく現れたし、矢張り過度に間隔を置かず間断なくラウンドの緊張感に身を晒し、極限まで肉体に動作を覚え込ませるのが肝要か。

10月24日(金) 知らぬが仏

 眼前の人物、或いは状況を平定するために如何なる言質を弄すかは甚大なる選択である。自らの言説の一貫性を犠牲にしてもその場を凌ぐと言えば負の価値判断を盛り込み過ぎかも知れないが、如何に繕い穏便に治めるか、果た又それを潔しとせず飽く迄正攻法、愚直と称されるか馬鹿正直と笑われるかも厭わず消費税引き上げを求めるが如くに正面突破を図るか、翻って内情を吐露し情に訴えるか、方途は様々であろう。
 確かに時には全くの嘘であっても、近しい過去の自らの発言と真っ向から相反しても、他者を籠絡しなければならない局面はあろう。しかしながら中には余りに巧みかつ当意即妙に場当たり的な対処で切り抜け、なおかつ自身の言行不一致には皆目自覚しない御仁も決して少なくないばかりか、加齢に伴い周囲には一層増加している様に感じられる。それは記憶力そのものの減退に伴う所作であって、極めて主観的な善意に端を発しているのかも知れないが、かく存在の実存を容認しつつ唾棄すべきとの感性を磨耗させることなきよう改めて自らを厳に戒めなければならない。

d837.jpg 祐旭を風呂から先立って搬出し、次いで公資が上がる直前、何時もの様に一から十迄数えようとすると再三「君が、君が」と制される。父に向かって「君」とは些か言葉遣いを誤って習得していないか、わが家の教育もかく荒廃しつつあるかと早合点しそうになったが、よくよく聞き正すと「君が代」ではないのか。
 嗚呼父に追随し唱和しようと試みるに留まらず、父の模範歌唱を求め修練に余念無いとは見上げた心掛けである。ともすれば"風呂から出るための儀式"とパブロフ状態になりかねないところ、楽曲の意義を擦り込んでいくことこそ次たる父の務めたろう。

10月23日(木) Public Pressure  -学校・教育 - 小学校-

d834.jpg 「革新・杉並」のDNA故か、或いは松下政経塾三期の山田区長の新奇性か、わが杉並は義務教育改革にも積極的である。リクルート出身者を校長に文字通りリクルートし、学校主催の塾「夜スペ」で物議を醸した和田中をその嚆矢とするが、小中一貫教育の早々の実践や小学校における隣接学区校への希望越境制度等、公立校における緩やかな競争の促進にもまた抜かりない。
 中でも杉並第四小は鶏か卵かは兎に角も、恐らくは通常の小学校として建築した建屋が出来上がってみたら少子化で幼稚園も併設せざるを得なくなり、今度は怪我の功名で幼小一元のモデル校的地位が与えられた希有なケースだが、折角わが家近くに著名なサンプルがあるならばと再来年には小学校進学を迎える人の親として、平日にわざわざ休暇を取ってまで授業内覧に赴いてみた。
 迷路の如く入り組み、オープンで仕切りの少ない教室構造は一見するとゆとり教育の典型例で、ともすれば統制の効かぬ、落ち着きの無い子供ばかりが形成されるのではと危惧しそうになるが、逆にその開放感がプラスに働き、見るからにモダーンな建物から受ける刺激と嫌が応にも教員の目が行き届く20人強程度の少人数クラス編成とが相いまって、意外な安定感を見せている。勿論、今や人気が高まって逆に教室が足らず、学区外受入数も縮小に追い込まれたのは、更に環七を挟んで近在する高円寺中と連携し、未曾有の幼小中一貫を構築しつつあるからか、果たまたかの乙武洋匡氏が任期付教員として採用されたが為かは判らないが、確かに五六年の毎週金曜は終日中学校での授業に充てられるほか、逆に中学教諭の杉四遠征も少なからず実施されるなど、着実に九年制教育への火蓋が切られているのは間違いない。
 ただそこには圧倒的に多数の小学生が私立中学を志望する内実から児童を公立中学に誘導し、その復権を企図する都側の思惑が垣間見え、寧ろ旧制中学型の中高一貫を善しとするわが国教育改革全般の方向性とは必ずしも相入れない。そもそもゆとり教育第一世代がまさに就職活動を終えつつある一方で脱ゆとりに舵を切った筈の昨今においてなお、児童教育には例えば回答から問いを逆算させる様な課題構築型とも言うべき手法が過剰に尊ばれるきらいが残る。確かに論理的思考や応用の重視は兎角詰め込み式と批判されたわが国教育への反動との側面を差っ引いても有用な考え方には違いない。ただそのためには前提としてより一層の知識習得を擁するにもか拘わらず、全体の授業量が足りなければ極めて皮相的な理解のままに義務教育を通過して仕舞う児童生徒を生み出しかねない。だからこそその延長線上に小中一貫のレールが引かれているとするならば一抹の不安は禁じ得ないし、同時に実験校杉四に限らぬであろう、恰もゆとり教育と平仄を合わせたかの様な、児童の試行錯誤多きブレインストーミングにも似た授業風景は、必ずしも教則本では賄い切れない教員側の力量に依存する要素の多さをもまた示唆している。となれば公立校における教員の質を一様に否定する謂れは無くとも当たり外れの大きいことは否定出来ないから、安定感を求める"教育熱心"な親がより一層公立離れに靡く心理も一概に否定は出来ないだろう。それでも地域の意欲的な取り組みあらば、外交・防衛とともに「これまでの公」が担い続けるべき児童教育に国家としてそのエキスを吸収すべきとの観点からも、モデル校の奮闘には期待をしたい。

 何かとお騒がせな柔道・石井慧選手に園遊会で天皇陛下が問われたのは「この次も目指されますか?」。進路が俎上に登っている最中だけに、陛下御自らワイドショーのレポーターと化したかの様な絶妙の間合いだったが、「目指しません」と明言した同選手は二言なくプロ格闘家を目指して欲しい。さもなければ陛下に嘘を申し上げた逆臣として指弾されて然るべきであろう。

10月22日(水) 寝る者は追わず  -ヘルス・ダイエット - 健康-

d836.jpg 昨晩は久々に3時まで痛飲したお陰で午前中は人として機能しなかったが、こういう日に限って朝イチに役員説明とは皮肉なもので、通例以上に早々と会社に赴き所用を済ませると到底このまま耐えられそうにない。そこでホテル大蔵は望むべくなくとも診療室で仮眠してと階下に降りると、一時間経過したら引き上げる、さもなくば休暇として帰るとの誓約書を認めさせられた。
 従前はこんな杓子定規な運用は無かったから、詰まるところベットから離れぬ問題児の如く会社員が増えたということなのだろう。そう言われても今夜は偶々友人とであるが職務としての宴席があれば欠礼出来ないし、旨く出来ているというか夕刻には回復して臨戦体制に復旧するのだから、昼間が空けば少々寝かして貰っても合理的かつ罰は当たるまい。ここにも時間管理の弊害が顔を出していると言っては些か牽強付会かも知れないが、融通の効かないこと夥しい企業である。

 して夜はこのところめっきり御無沙汰している大学時代の友人達との会合。バブル世代なので比較的金融組が多く、卒業から十五年余も経ると各々の専門分野も隔たり会話の言語が通じなくなることもしばしばだったが、本日は役人一、マスコミ一、公的金融一、外資系金融一とバランスが取れ話しも弾む。
 多分に永田町的な選挙観測に流れがちな中、景気なかんずく株価対策に何が出来るか、アイディアは出るものの詰まるところ現下の政治情勢では総花的な追加景気対策を見ても、目を見張る様な打開策は難しかろうとの結論に落ち着いた。本日のキーワード「閉塞感」を確認してお開きになる様では、総理が文春に述べた通り「強い政治を取り戻す発射台としてまず国民の審判を仰ぐ」ことを国民もまた求めているのではないかと天を仰ぎたくなる。現実にはその機会はもう過ぎ去って仕舞った模様だが。

10月21日(火) 楽しや学芸会  -ビジネス - ビジネス-

d833.jpg 元来会社事情には疎い方だが三年も会社を離れていると種々微妙な相違に気付く。それでもサラリーマン復帰から九ヶ月を経れば流石に新奇性も一段落したと思っていたら、防災訓練とは恐れ入谷であった。
 この種行事は可能な限り外で仕事を拵えパスする旨を信条としてきたが、よろず下働き役と化した今、文字通りこれも中間管理職よろしく主催者側のお先棒を担いでかくも真剣に挑むことになろうとは夢想だにしなかった。ただ地震・火災発生の放送を受け団長以下、曰く「○○班は○○せよ」「了解」等と宇宙警備隊の一員にでもなった様な問答を繰り返すのは、幾らマニュアル通りと雖も苦痛には違いない。こういう寸劇の如く事態は周囲が苦笑する程に糞真面目に務める方が、恥ずかし気に振る舞って滑稽に映るより幾らか気が楽であるが、一方恰もこれが職責の本務であるかが如く過剰に真剣に取り組むのも常軌を逸しているから、その力加減が肝要であろう。
d835.jpg  会社のビル建立25年のリニューアルを期に災害対策室なる大仰な施設が新たに設けられ、非常時にはコントロール・タワーと化すとともにシェルター的要素も有しているのかも知れない。更には三次避難と称して道路の途絶等に依り退出が不適当と判断された場合に一旦部局毎に所定の部屋に集結し、事後方面別に徒歩帰宅との模擬演習も行われた。この種催し事の常として実際に家に帰る迄は行われない訳だが、"真剣み"を演出するには一度は旗でも立てて帰宅行軍を実施させ、所轄警察署を呆れさせてみるのも手ではないか。学生時代に電車が無くなり新宿から高円寺まで歩いて30分強だった経験則に照らせば水道橋からでも2時間あればます辿り着くだろう。等と冗談でも口にしようものなら真剣に検討しかねない企業なので、提案は自重したい。

 岡田阪神監督の退任が決まったが、その過程において横浜・大矢監督が岡田氏の辞意に触れ「色々大変だったみたい」と人事の如く感想を漏らした報には、辞める人が違うのではないかと、誰しもが疑問を禁じ得なかったろう。
 今期未曾有の弱体振りを露呈した責の全てを大矢氏に帰するのは酷だが、一方で生え抜きの斉藤、高橋等コーチ陣を解任に追い込み、確かに「昔の名前で出ています」だったり安打数は多くとも下半身に節操が無かったりと相応の理由はあったとしても功労あるベテランを斬首する。その揚句が水谷、杉村を主軸とした横浜スワローズ内閣とは、フジ・サンケイグループの影響力が顕著だったマルハ時代ならいざ知らず、TBSベイスターズとしては何等説得力を持ち得ない。指導者として有能かつ人格者と思われた大矢氏をこれ程に厚顔な人物にして仕舞う球団の体質こそ憂えよう。

10月19日(日) ウルトラ・レフト  -育児 - パパ育児日記。-

d829.jpg 高井戸にウルトラマン現るの報を受け一家で駆け付けるも既に仮設テントは満席、周囲を取り囲む親子連れで立錐の余地もない。そもそも70年代の悪名高き杉並対江戸川ゴミ戦争の結果、清掃工場受入と引換に地域住民に対する"飴"として誕生した区民センターを舞台に開催される「環境博覧会すぎなみ2008」の客寄せパンダとして、ロハで行われるアトラクションだからウルトラマンだけ見に来るのは罰当たりという天のお達しだろうか。
 登場するは超ウルトラ8兄弟にも選出されず今や影の薄いコスモス・ジャスティスとは渋い選択だが、マニア心を擽る配慮では当然なく21世紀初のウルトラマンであるコスモスこそが円谷の水野賢一、M78星雲の河野太郎との異名を持つ環境族ウルトラの代表選手であるからに他ならない。結果的には濡れ衣とされながら主演・杉浦太陽氏の暴行問題で最終回放映が見送られた哀しい過去を持つコスモスは、怪獣を殺傷せず保護・無力化する反戦・平和主義を追求するとともに、怪獣という形態で現れた自然破壊へ如何に対応するかを基本テーマとしており、今イベントには適任に違いない。
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 いざショーが始まると毎度の通り祐旭が怖れを為し二階踊り場から遠巻きに眺めるに留まったが、お約束の如く悪役が現れ先ず環境問題に付き一席ぶつところから物語は幕を開ける。その心は地球は温暖化しているのでサウナにしたいといった壷を押さえた発言が続くが、詰まるところは地球環境悪化の最大の癌は人間であり、人間を別の惑星に移住させ当該宇宙人がこの星の支配者になれば地球環境は確実に改善するとのお達しである。
 少なくとも新たに訪れる宇宙人の絶対数が少ないのであれば、その主張は全く正しい。では成る程地球人は静かに去るべきとコスモスも納得したかと言うと、そうは問屋が卸さない。何故ならば地球という星を守ることが命題ではなく、地球人の発展をアプリオリに是としその為に地球を利用するには如何なる程度に環境に配慮すべきかが地球環境問題とされるものの眼目であるからであり、結果として地球人排斥を唱える悪の集団はコスモスらに一掃されるのである。要はこの環境に目敏い生活企業、目付きが別の意味で真剣に過ぎるNGOな方々、高校生のやる気のないボランティアまで借り出された一大イベントは、恰もウルトラマンの名を借りて子供達に環境問題を説くが如く様式を誂えながら、その実環境至上主義を説く者こそ悪であり、経済成長との両立により環境との共存を図らなければ未来は存立し得ないとの寓意を示しているのではないか。
 と妻に言ったら子供にはそういうことは言わないようにと諭された。肝心の握手会も流れ作業が早過ぎてシャッターチャンスを逃したのは痛恨だったし、矢張りウルトラ・シリーズはメビウスの様に当たり障りない勧善懲悪に留めるのが美しい様である。

 ところでエコを気取った訳でもないが、高井戸まで電動補助も無い自転車を使用して、足腰以前に漕ぎ始めの左膝とサドルに跨がる尻に多大な負担を感じ、改めて勾配の多いわが国では自転車の現況以上の普及には限界があると感じた。自転車道は道幅に余裕のある幹線道に白線を引くに留め、寧ろ安全性からも現行二輪車両と構造に大差ない電動三輪の経済性確保とイメージ向上に努めるべきではないか。
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