コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月29日(月) ナポレオンは三時間  -スポーツ - 大相撲-

d799.jpg 昨日は運動会を終えると蜻蛉帰りでスーツに身を包み東征、一路両国へと向かった。勿論千秋楽の掃けた国技館は既に蛻の殻、お目当ての先は総武線を挟んで丁度反対側にある。もう十年近く前に友人の御成婚二次会が両国で開催され、早々に到着し時間が空いたので近辺を散策していると相撲部屋の一群に出食わした記憶があるが、今や新興部屋の大半は物理的に聖地・両国から遠く離れているから当地に土俵を構えていられるのは名門の証左に他ならない。
d800.jpg 元大関佐賀ノ花の急逝に伴い世に聞こえた二所ノ関騒動が勃発、元横綱大鵬、大関大麒麟を蹴散らし佐賀ノ花未亡人の婿養子に治まり僅か27歳の金剛が二所一門総帥の座に就いたのが1975年、直後に大麒麟の押尾川部屋が分裂し爾来30有余年、親方自身の不祥事もあり名門二所ノ関に残念ながら斜陽の感は否めないが、痩せても枯れても大企業がタニマチに付く老舗故に、袖振り合う縁で私が千秋楽後の打ち上げの御相伴に預かることも出来たのである。
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左はお酌する下戸の元小結大徹の湊川親方。
嘗ては「便所の蓋」似として一世を風靡したが、
白髪を得て今や森英介議員に酷似。
森先生が打ち上げに到来した訳ではありません
 僅か五人の取的に親方四人という頭でっかちな小部屋振りも実に没落貴族風だが、かいがいしくちゃんこを運び、飲めや歌えで場持ちに徹する相撲取り諸兄の傍ら、金馬師が登場されたり相撲漫談も繰り広げられお捻りが飛び交う構図に、相撲に限らず古式ゆかしき伝統芸能たる「興行」の打ち上げとはかくあるものかと唸らされるとともに、力士が"男芸者"と揶揄される一端を垣間見た想いだった。
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 暴行に薬、八百長疑惑と相撲協会が苦境に立たされる中、還暦にして漸く理事のポストを得た二所ノ関氏が北の湖前理事長ネタで笑いを取る姿には、失礼ながら三十年経っても「ホラ吹き金剛」のキャラクターが不変であることを痛感し、安心する反面暗然ともしたが本業は如何にと野暮なことはモハヤ言うまい。五年後、元麒麟児の北陣親方が無事部屋を継承する頃にはし打ち上げに賜杯のひとつも飾られるべく名門再興の地ならしをお願いしたい。

 明後日からノンクールビズを先取りして四ヶ月振りにネクタイを締めてみるが、俄かに気候も寒さを増していい案配である。時恰も小泉退場と歩を揃えてと言うのはこじつけでしかないが。

9月28日(日) 栄光のゴール  -育児 - パパ育児日記。-

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 日曜の朝7時半、中野区のとある小学校に恰もチケットぴあの開店前の如く、旧ソ連の配給所の如く列を為す人の群れを尻目に優雅に校門を潜る。今日は幼稚園の運動会、昨年の経験を踏まえて志願した工兵としてテント小隊に配備され設営に従事するが、同職は優先席取り権が与えられる人気の兵種であり、妻が見事高倍率を勝ち上がり獲得した金鵄勲章並の垂涎の的であった。
 ところが肉体労働と引換に得た最前列の好立地もいざ競技が始まってみると係員にまた踊りでは引率の教員に視界を遮られ、果た又徒競走はゴールが逆方向と成果が撮影に活かし切れず、折角の望遠レンズも威力を発揮出来ない。実は昨年よりも出番が少ないのではないかとも疑ってみたが、革新からエコに宗旨変えしたか元来両者が同根か定かでないが、全面芝生に張り替えられた校庭は、恐らくラインの引き直し等準備時間が短縮されたのだろう、待てども暮らせども次の競技が始まらなかった昨年に比べれば格段のスピードアップが図られ、寧ろ全体では昨年より競技数が増えているのである。
d798.jpg 嗚呼矢張り二年目ともなると親の側も運動会に懸ける気合いが欠落したかと自省したが、何事も目新しい年少、立派に統制が取れ現に出場時間もふんだんな年長に比して、そこそこスムースに振舞い得る分中間管理職的微妙な位置付けの年中という存在故かと納得してみる。
 考えてみれば父は頑丈過ぎて割れないくす玉を前に紅白の球が後頭部に直撃して鈍痛を覚え、母はと言えば恒例の踊りで「羞恥心」の振り付けに勢を出していたものの、練習では三位、本番四位と記せば美しいが何れも出走者が三名、四名という事実を前に自らの血の為せる業かと申し訳ない心持ちで一杯の父母を余処に満面の微笑と、中途で里心に溢れたかお馴染みの号泣シーンこそあれ、祐旭本人は楽しかった様だし、「小さいお友達の部」で公資も疾走を見せていたので、ひと先ずは何よりであろう。
 祐旭が貢献したかは別として組対抗では見事優勝、全員に配布された金メダルを胸に一行が会場を後にすると、父は再びの工兵かつ今度は輜重兵も兼ね幼稚園への部材運搬に汗を流し、駄賃の缶麦酒を煽って帰路に着くのだった。

9月26日(金) 失言とは何か  -政治・経済 - 麻生内閣-

d791.jpg 所謂失言には大きく分ければ二つの種類が認められる。即ち、前者が先の大戦に関する見解をはじめとする思想性、イデオロギーに基づく開陳が反対陣営から疑問視されたものだとすると、後者は特定層への攻撃と見做されかねない文言を、比喩としと用いたか思わず口が滑ったかは別として吐露して結果と言え、冷静になってみると間抜けなだけに返ってユーモラスに響く場合もある。取り分け佐藤内閣期、70年前後の閣僚に相次いだ「国連は田舎の信用組合」「感謝の念を忘れると老人ホームに」の類は、槍玉に上がった当事者としては怒り心頭たろうが、後代から眺めると多分に牧歌的に聞こえるし、毛針やアッケラカンのカーといった嘗ての渡辺美智雄元副総理や兎角物議を醸しがちな森元総理、麻生総理らの発言も、時代が下るに連れ良くも悪くも唇寒しの傾向が強まってはいるものの、印象としてはこれに近い。
 それに比べ就任早々の中山国交相は、「単一民族」は他国に比べエスニックの多様性が小さいとの趣旨を安易に、敢えて言えば旧弊に属す物言いで述べたものだろうが、成田のゴネ得云々は活動に便乗した職業左翼の方々は別として、地主を一括してかく見做したのだとすれば知識に欠けると言わざるを得ない。日教組批判にしても文教族たる氏の持論であろうから先の分類に照らせば本来はイデオロギーの範疇で、筋道を立てて説けば応分の理解を得られた可能性もあった筈のところ、日教組の組織率と学力を短絡的に結び付ける床屋政談の如き物言いでは賛同も憚られる。
 森元総理の「(投票に行かず)寝ててくれれば」にしても、読み人知らずなら秀逸なブラック・ジョークだが国政を預かる立場から発せられれば忽ち問題発言という塀の上的な危うさに立脚しているからこそ、身内へのリップ・サービスとして場を湧かせる効果も発揮されるのであって、残念ながら今回の失言には記憶に残る程の諧謔性には著しく欠けている。願わくば政権与党に著しい打撃を与えたとして記録に残らんことを。

9月25日(木) 横須賀たそがれ  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 ジョージ・ワシントンがやって来たというから建国の父の名前を戴く大胆不敵な輩と思いきや横須賀を母港とすべく遥々長旅を経た米第七艦隊の空母であった。原子力船配備とは愈々わが国も非核三原則の呪縛から逃れたかと重ねて早合点しそうになったが、兵器ではないから「持ち込ませず」には当たらないらしい。現実に環境にも易しいかは兎に角、米空母は前任のキティホークの退役を最後に全て原子力船に置き換わったのだから日米安保を基軸とする限り今更目くじらは立てられないという解釈だろう。

d795.jpg その入港と期を一にしてという訳では決して無かろうが、横須賀を選挙区とする小泉元総理が総選挙を前に今期限りの引退を表明した。思えば私が政治担当の職責に着任したのが21世紀の開始と同時であったから、その僅か三ヶ月後には空前の小泉ブームが到来し、夏場には小泉グッズを求める来訪者のために党本部に給水機が設営されたというのも今や昔だが、安倍・福田と総理は替わっても大仰に言えば私の"政治生活"もまた小泉氏とともにあった様なものである。残念ながら折角猊下に党職員として過ごした割に直接お目に掛かる機会には恵まれず、まだ一介の"変人"に過ぎなかった98年、プロ野球日本シリーズの開催された横浜球場で邂逅したのが最初で最後であり、今にして振り返ればこの写真の撮影者は後継者の進次郎氏、ではなく長男の孝太郎氏であったと思われる。
 小泉改革の功罪に正当な評価が下されるのは恐らく相当に先のこととなろうが、時恰も前日に成立した麻生内閣においては、例えば10年振りの財金一元化も目的を共有しかつ手段を分離するという意味では必ずしも橋本行革の否定とは言えなくとも、竹中金融相が不良債権処理に金融界と軋轢を催しながら邁進していた小泉時代とは明らかに様相を異にする感が伺える。取り分け地方再生・景気回復を最大の眼目とする麻生政権においてその「罪」の部分ばかり強調される様になった改革の担い手、小泉純一郎氏が舞台を去るのは、上げ潮派やチルドレン諸兄に痛手という直截な影響を越え、非常に象徴的である。

9月23日(祝) 川崎の星また光る時  -育児 - パパ育児日記。-

d792.jpg 映画横浜探訪とこのところウルトラマン浸けで祐旭にも「お父さんもウルトラマン好きなんだね」と指摘される始末だが、些か父子行脚のネタも尽き性懲りもなく又もやウルトラマン・ベースにやって来た。新しもの好きなわが家には異例の父は三度目、祖父母と一度訪れている祐旭は四度目、公資は二度目の来訪だが、世の中未知の世界は深遠なるもので昼を越え事前には客引きも行われていた午後の公式握手・撮影会に挑んだのは初めてだったし、14時で一旦お開きになり別枠の特訓タイムが始まるとは手を変え品を変えではないか。確かにお馴染みのシューティングには流石の祐旭も飽きが見えていたし、おかげで隊員服を羽織ったまま場外の大怪獣バトルに勤しんでいたら随分と料金も嵩んで仕舞ったが、レアカードと同じ構造で年に数回唐突にスコットやエレクであるとか、余りマニアックにセブン上司でも出てきたら乳幼児は引くかも知れなくとも、責めてキングや父位のハプニング要素が無いと当地の寿命も如何ばかりと思い悩んでいたらあにはからんや朗報が。
 浅草を畳んで新規巻き直した川崎で味をしめたか、或いは都市再開発による複合型巨大商業施設が、中心市街地活性化には負の要素を齎そうとも世の流れだからか、首都圏第二弾のウルトラ遊戯場が来月にもオープンするというではないか。先達となる川崎ラゾーナ・ベースもこれを期に是非とも新機軸を打ち出し、双方相いまって円谷プロの命脈保たれるべく更なる奮闘を大いに期待したい。

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踊りにもゲームにも精力的に
 ところで相変わらず湘南新宿ラインのグリーン車の謎は解けなかった。座席指定の無い優等車だから座れない場合もあろうし、現にホーム上のグリーン券販売機にもその可能性が指摘されているが、実際には到底座席を確保出来そうに見えなくとも蓋を開けてみると席がある。
 勿論区間単位のグリーン券購入客は把握出来るから、わざわざ価格を嵩上げしてある乗車後のグリーン振替客を極微少と見做せば、満席の際は販売をストップするという需給コントロールは可能である。しかし何時見ても概ね旨く埋まる位に落ち着いているのは複雑な需要予測のアルゴリズムでも開発しているのだろうか、15分に1本というダイヤ編成がいい案配を醸し出すのだろうか。或いは単にわが家が幸運なだけなのか。

9月22日(月) 真夜中を突き抜けろ  -政治・経済 - 後期高齢者医療制度改革-

d790.jpg 終盤戦にリーマン・ショックで最も主張に一貫性の高かった与謝野氏が戦線離脱を余儀なくされ、そもそも地方票の圧倒的な麻生支持報道が早くから続いたこともあり混戦との大方の思惑も外れ幾分気の抜けた投開票ではあった。ただ総裁選が行われなかったという仮定に比べれば論戦も地方巡業も現に行われたのは来たるべき選挙に向け少なからず効用はあったろう。
 ただことここに至り、4月衆院補選においても与党敗退の一因となった後期高齢者医療制度の改変が唐突に俎上に上ったのには違和感を禁じ得ない。確かに過去の無謬性に拘泥せず過ちは改むるに憚ることなかれは政府の姿勢として真っ当ではあるが、そもそもこのままでは現役世代に過度の医療負担を強いることになり、国民皆保険制度自体が存立し得なくなる恐れがあったからこそ後期高齢者医療制度を導入し、高齢者自身にも一定の負担増をお願いした筈である。それが批判を浴びたからと言って新制度の「独立保険方式」に加え、高齢になっても国保や企業健保に加入し続ける「突き抜け方式」、各医療保険間で財政調整を行う「リスク構造調整方式」のミックスに移行するというのでは、勿論舛添大臣には成算があり精緻な検討が為されれば構築し得る思想なのかも知れないが、リスク構造調整だけでは賄い切れなかったから「独立保険」を導入した訳だし、「突き抜け」が認められるなら比較的財政に余裕のある企業健保加入者は退職後もその中で賄われる方が合理的であるから人気が高まるだろうが、結局は独立或いはリスク構造調整方式に「突き抜け」を抱える健保からも拠出するならば突き抜けたメリットはない。制度を複雑にして負担の実相を見え難くしただけとも疑われかねないし、かく大幅な見直しであっても民主党の主張と同じ土俵に乗ったとは見做されたくないのか「抜本的」との表現は避けるというのだから腰が座っていない。98年橋本減税の如く迷走に陥らなければ良いが。

9月21日(日) 真っ赤な嘘  -スポーツ - プロ野球-

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 トミカの軽装甲機動車が発売されたのが一昨年10月、以降続々と軍用車がラインナップに上るかと大いに期待していたら案の定と言うか全く増殖もせずはや絶版の憂き目を見ている。それでも漸く第二弾が地雷埋設車とはニッチな領域を突いて来ると思ったらそれは悪い冗談で、正反対の地雷除去機とは、海と陸の違いこせあれ機雷掃海では他の追随を許さない専守防衛のわが国に相応しいと言えようか。
 ただ純粋に軍事車両と呼べるかはさておき僅か378円のトミカの利益率が幾許かは定かでないし、或いはモデルとなる本機の製造元に表象料がキックバックされるのかも判らないが、コマツ・タカラトミー両社が台当たり5円を寄附するとあらば、一定の軍事力こそ平和の根源と確信する私としても、故ダイアナ氏の遺志の極一翼でも受け継ごうかと、珍しく義侠心を発揮して特段興味も示していない息子達に一台を贈与したのであった。
 因みにダイアナ氏が反対人地雷運動に邁進されたのは「大穴」だけにとの説があったが、勿論これも悪い冗談である。

 野球評論家の端くれとして可能な限り職業野球に関する著作には、たとえ読物としては苦痛であろうとも事実関係の把握のための参考文献の積もりで目を通す様にしているが、久々に近藤唯之氏の近著に接して感じたのは、「○○したのは一人しかいない」といった断定口調の独特の節回しが鼻に付く、と言っては失礼だが相変わらず私の感性には相入れない文章との思いだった。
 勿論はそれは好き好きであり、近藤節を評価する向きもあるから膨大な著作も存在し得るのだろうが、フジテレビのキャスター時代にも徹底した江川批判を繰り広げるなど評論家としては賛否の分かれるであろう強い主張の是非は兎に角、疑問なのは以前から指摘され続けている通り、少なからぬ事実誤認の含有率であろう。例えば戦前の連続試合安打記録の持ち主は25試合の野口二郎選手だが、氏が投手野手掛け持ちで達成したために長らく発掘されず、戦後間もなくには坪内道典氏の24試合が記録とされた時期があった。この挿話が近藤氏の筆に掛かると、坪内選手にトロフィーを渡しに来た連盟職員が野口氏の記録に気付いて慌て持ち帰ったという講釈師の如く仕立て上げられていたが、そんなことはあり得ないと元パ・リーグ記録部長の千葉功氏に一刀両断されていたのは鮮明に記憶に残っている。同様に近著を手にした人が恰も王貞治氏の双子の実姉が生後間もなく亡くなったかの如く誤解を招く表現には素人の私でも容易に到達出来る。恐らく悪意は無かろうからドラマチックに魅せんがための演出心と単純な思い込みが相まった末の瑕疵だろうが、少なくとも初歩的な確 認を怠っているとの謗りは免れ得まい。齢八十に至らんとする近藤氏を今更に責めるの酷かも知れないが、後代に誤った歴史が伝わらないよう祈りたい。

9月20日(土) 飛べ日本丸  -地域情報 - 横浜!YOKOHAMA!-

d782.jpg 映画「大決戦!超ウルトラ8兄弟」の舞台は横浜である。中田市長自ら本人の役で出ていた位だから開港150年記念に因んで誘致したのかも知れないが、確かに港ヨコハマはウルトラの星というフロンティアに向けた結接点として絵になり易いには違いない。加えて重要な舞台のひとつである横浜マリタイム・ミュージアムが改装のため9月一杯で休館とあらば、ウルトラマンパークに行きたいとせがむ祐旭を又もや宥めすかして、映画ゆかりの地探訪という似て非なる旅に出掛けたのもウルトラ・フリークとしては合理的な行動と言えようか。
 いきなり台風で湘南新宿ラインが止まって出鼻を挫かれるもみなとみらい駅に到着すると早速駅構内に映画写真展が催されており、嫌が応にもウルトラ気分を盛り上げて呉れる。ところが肝心の日本丸/マリタイムミュージアムには確かに巨大なウルトラマンこそ聳えているが、わざわざ円谷プロの公式HPに記載された"グッズの特別販売"も限定モノは皆無なばかりか、如何にもイベントで余りました風情の汎用品が申し訳程度に並べられているだけとは、些か看板に偽りありではあるまいか。
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 映画ラストでは宇宙船に改造された日本丸がウルトラの星に飛び立つ宇宙戦艦ヤマトばり、宇宙開発戦略専門調査会も吃驚の展開だったが、これがその日本丸だよと促しても祐旭は特段の感慨を抱かなかった様だし、公資はそもそも映画を見ていないからちんぷんかんぷんである。二人とも日本丸船内視察自体は楽しんでいたが、当初のお題である「ウルトラマン・パーク」には程遠く、ミュージアムの「捕鯨と日本人」展と沈没したタイタニック号から脱出した細野晴臣氏の祖父正文氏の手記特別公開に父だけ頷いていては立つ瀬がない。
d785.jpg と申し訳無さを漂わせながら駅に向かうと天啓の如く遊園地が現れたではないか。大人ひとりに4歳2歳児なので祐旭は乗れても公資を置き去りにする訳にもいかずアトラクションが極めて限定されたが、恰も当初から父はこれを目途にしていたかの展開に祐旭がいたく感心していたかは定かでなくとも、その名もコスモ・ワールドとは如何にもウルトラ的、お誂え向きである。更に帰路は何本かやり過ごしてみなとみらい線の「超ウルトラ★8兄弟トレイン」に搭乗、勿論お伽話列車が走る訳もなく単に外装の広告用ペイントだけだったが、それらしくまとまって父の面目は保たれたのであった。シュワッチ。

9月19日(金) さらばスカパー  -テレビ・ラジオ - TV-

d787.jpg まだテレビ東京が東京12チャンネルだった頃、テレビ朝日がNETだった時分というのは些か遡り過ぎかも知れないが、米国では有料無料の数十チャンネルに至るケーブルTVが各お茶の間に有り触れていると聞いた時、恰も昭和30年代のわが国国民感情の如く、米国の高い経済水準に夢の様な憧れを抱いたものである。やがて時は流れ、確かにわが国にもケーブルTVは普及したが、難視聴地域対策から導入が始まったためだろうか、或いは衛星放送の普及が思いの他早かったからか、東急ケーブルTVの如く先進事例はあったものの、ネットとの融合という側面こそあれ概ね良質なアンテナの代用品の域に留まっている。
 だからこそ通信衛星放送が開始された際には大いに期待を寄せ、マードック氏やら孫氏やら大いに世間を騒がせた旧スカイとパーフェク二社が統合された98年には早速アンテナをベランダに設置し、微調整を重ねながら電波が届いた折りには感動を味わったものである。ただ契約当初こそ童心に返った様に多チャンネルを切り替えるだけで悦に浸っていられたし、ゴルフネットワーク浸けになった日々もあったが、TVばかり見ている楽隠居の身分でもないし、例えばコンドールマンやダイヤモンド・アイといったカルトなラインナップが並んでも毎週心待ちにする程の執着心は失っている。とは言えチューナー単体機だから録画するには当該チャンネルを点けっ放しにした上でビデオを外部入力で起動させるという面倒臭さは回避出来ず、BSのデジタル化で更にザッピングの対象が増えたこともあって、昨今では思い出した様にKidsStationの類を収録しておく程度の活用に留まっていた。
 そこに訪れた今般の故障である。ハイビジョン放送も始まるらしいと言っても今更チューナーを買い替えるのも馬鹿らしいし、では後発の110度CSへの転向を模索したが、受像機に表示はあっても杉並ケーブルTVとしてはCS系の数チャンネルを契約配信している手前当然対応していない。では再び自前でアンテナをとも考えたが、ややこしいことにBSデジタルと110度CSのアンテナは共用なので、折角ケーブル経由で画質の良いBSデジタルまで切り替わって仕舞う恐れがある。こうなると返ってケーブルの存在が仇にと言っては逆恨みだが、結局当面様子を見る水戸黄門スタイルで二週間、正直なところ生活に何等の支障も無い。どうやらわが家のスカパーはこのままお別れ、お払い箱となりそうである。

9月17日(水) 戻る気になりゃ  -音楽 - 懐かしい歌謡曲-

d779.jpg アイドルから演歌まで歌い手が取っ替え引っ替え到来し、喋りより先ず本業の歌謡に勢を出す音楽番組は今やわが国においてはパンダや鯨並の希少価値に堕して仕舞った。その替わりという訳でも無かろうが、比較的遅い=視聴率を過剰に問われない時間帯に、30分程度で特定の実演家・音楽家にスポットを当てる特集番組は概ね各局とも有しているものの、必然的に毎週の視聴習慣は形成されないから、今度は関心のある内容がいつ何時放送されるか、その情報収集力が音楽との身近な接点を維持出来るか否かの鍵を握ることになる。
 本日のNHK「SONGS」にジュリー現るとの報に接したのがYMO関係のHPであったのは両者の希薄な連環からすると半ば偶然の産物には違いないが、丁度レコード大賞以降のジュリー全盛期に多感な小学生期を過ごした世代からすると昨今の、ヒット曲の世界に丸で背を向け、元毎日オリオンズ・榎本喜八氏の如くという表現が適切か否かは別として、世捨て人然とした音楽活動に終始してきた沢田研二氏の姿には非常に失礼ながら勿体ないとの想いを禁じ得なかったので、久々のTV出演には色めきたったのである。
 実際、還暦を迎えたジュリーが確かに以前より高音が出難くなっているのは事実だが、相変わらずその歌唱力を保っているのには賛美の限りを尽くしたい。惜しむらくは「日本のミック・ジャガー」としては本家が薬に溺れた若かりし時分より遥かに健康的な生活で体型も維持しているのに対して、些か太り過ぎの感無きに如もあらずで、元来が8時だよ全員集合の類でコントにも盛んに取り組んでいた様に幾分滑稽さを含有していたその振り付けがよりコミカルな映りを増して仕舞った感はあったが、老体に鞭打ってステージを駆けずり回る真摯な姿勢には、その脂肪分を補って余りある感銘を受けたのである。
 とはいえ六本木で全身を緑に包んで「勝手にしやがれ」をがなり立てていた私としても、改めて接した二番サビの両手を振り振り交錯させながら頭上に掲げるアクションに嗚呼成る程そうだったと記憶を新たにするとともに、果たしてカラオケのマイクを持ちながら再現するには如何にアレンジすべきか、天啓の如く当番組に導かれたのはこの新たな課題に直面するためだったかと、心持ちを新たにしたのだった。再び大ヒットを放ち得るかは別として、現役であり続けて戴けるべくエールを送りたい。

 冷や飯が怖いようでは、改革の覚悟があるとはいえない。鍋料理の楽しみは、締めの「雑炊」だ。冷や飯を入れて食べる。具材のエキスを吸い込んで、これがうまい。
 中川秀直氏のブログ「トゥデイズアイ」の一節には異論がある。残念ながら世の中には鍋料理の楽しみとして、雑炊よりも「うどん」を好む一定の層が存在するのである。雑炊を望まない彼等に取って冷や飯の存在価値は乏しいと断ぜざるを得ないが。
 それは冗談としても、旨過ぎる比喩は時に発せられた際の寓意を越え、必要以上の意味を有して仕舞う危険性がある。小泉改革路線の継承・発展を孤塁掲げる氏の姿勢には大いに共鳴したいが、節々に散見されるルビコン川を渡りそうな表現は、果たして自由民主党という鍋のエキスたり得るのだろうか。
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