コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月30日(月) 君子は豹変す  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

d657.jpg 朝令暮改という決定を安易に覆すことを戒める故事もあれば、過ちは改むるに如かずということわざもある。何方が正鵠かは時と場合によりけりだろうが、さて額賀財務相が社会保障費の五年間1.1兆円抑制目標につき「3年目で挫折しては世界の信認を得られないし、国民の将来不安もぬぐえない」と述べたのは、果たして何れに照らすべきであろうか。
 勿論、言わんところは2200億の削減を継続すべしであり、財務大臣という立場からは至極当然の発言だろう。ただ確かに1.1兆円を定めた骨太2006であるが、同時にその思想は数値目標に金科玉条の如く捕われることなく、経済情勢や必要性に応じ臨機応変に転換する。但しそれは理論的には削減の緩和に限定されず、より厳しい切り込みの可能性も含め、毎年ローリングで見直していくという全体構成だった筈である。ならば社会保障の削減は現下の情勢から敢えて見送り、他方公共投資や人件費への上乗せも現実的で無いならば、総削減幅の縮小にも躊躇しないことは、骨太2006への裏切り行為ではない筈である。それを大河の一滴と受け止めるか、蟻の一穴と見做すかもまた難しい峻別だが、「最期の武器」である消費税に頼る前に絶対額の多寡みならず如何に真摯に歳出削減に取り組むかという姿勢が肝要なのではないか。

 今年も前半戦終了。会社に入って物理的にでなく心情的に最も慌ただしい半年間ではなかったか。しかも尻上がりに慌ただしさを増しているところが、成長率の高い発射台が望ましいのと正反対に非常に懸念される。後半戦の巻き返しに乞う御期待。

6月28日(土) 弔問外交

 一般的に称される弔問外交とは要人の死去に伴い弔問に訪れた参列者同士がその場を借りて外交活動に費やす行動を指しており、弔事を重んずるわが国文化には取り分け親和的な光景である。例えば昭和天皇陛下の御大葬の礼に際し、来日した各国首脳が即席或いは周到に用意された二国間外交が繰り広げられていたことをご記憶の向きもあられるのではないか。
 スケールは非常に小さいが、一族の長老の大往生に際して、普段正月に集うか集わないかといった親族同士が雁首を並べて旧交を温めるのもその一亜流と見做せよう。現に先週、享年96の義祖母の通夜に赴いた時分の、数年年長の又従兄弟との交流が祐旭には一際印象的だった様で、はしゃぎ過ぎたためか肝心の葬儀そのものは智恵熱を発して父とともに留守居を余儀なくされたが、従兄弟すらいない長男としては自らが公資にとってのそれである「兄」に類する存在を無意識に求める願望があり、だからこそ幼稚園の同級生でも最大半年の年長者に対し、憧れにも似た面持ちで半ば従者の如く接しているのだろう。
 ただ通夜・告別式とも欠礼となった父の礼節として本日改めて一家揃って義叔父宅に文字通りの弔問に赴き、若年者は誰一人居なくとも非常に楽しそうだったから、お出掛けそのものに餓えていたのかも知れない。

d656.jpg その出不精になる根源となった祐旭の風邪も漸く癒えてきたが、未だ咳が続き遂に夜中に咳込んだ揚句にゲロゲロ嘔吐して仕舞った。とは言え体調が悪化したという訳でもなく、たまさかに咳が連なった結果、胃の内容物も同時に逆流したに過ぎず、それが証拠に吐瀉物の処理に終われる父母を余処に本人は再びすやすやと眠りに就いている。
 祐旭にはより若い時分から日常茶飯事だったが、子供はすべからくゲロッパかと言うと、公資は殆ど吐かないので個体差なのだろう。飲み過ぎると軽やかに御不浄に戻し、何事も無かったかの様に飲み続ける父の体質を受け継いだのだとしたら、それは目出度いのか不幸なのか。

6月27日(金) 人は育つ  -政治・経済 - 経営-

d651.jpg d652.jpg
d655.jpg d654.jpg
 日曜の4時起関係者とのラウンドに始まり、月曜は愛知県まで移動し何故か上官の同級生との会合に闖入、火曜の株主総会を終えて帰京し某先生との懇親会、水曜は昼から台湾からの賓客のアテンドで夜は某党の方々と。木曜は午前中レク同席の後会館巡り、そして今日は勉強会と会議で午後は試乗会のサポート要員と多忙な一週間を何とか乗り切った。ラスト二日の夜が空いていたのが救いだったがこう出奔が続いてはあれこれ思索を巡らしたり、紙を認める滞留時間が無い。
 勿論レクの同席やアテンドは面倒ではあっても他者の説得を生業とする身の上には貴重な知識習得の機会だし、熱血サラリーマンは海外出張中が最もひと息付けると言う様に、出掛けると存外に忙中閑ありで澱んだ会議体続きより余程精神衛生上は好ましいが、中間管理職の悲しい性か元来が細かい性格故か、何事も良きに計らえで済まし切れない。
 思えば嘗てまだ20代の平課員だった折りには上官が常に外を飛び回っている性分だったから半ば勝手に電話やFAXを処理して職務を進行せざるを得ず、美しく言えば自然と権限委譲の為された形態を自ら編み出していた。往事に比べれば連絡手段が発達した分容易に上官の判断を仰ぎ易いし、かつメールという特性上も個対個或いは上意下達に親和的にはなっているが、いっそ私もふらふらと外交活動により執心した方がメンバーへの教育効果は促進されるのかも知れない。単に席に座っていたくない言い訳ではありません。

 このところ臨海副都心尽いているが、永田町方面からだと新橋経由でなく寧ろ有楽町線で豊洲まで出て戻る方が早いということ、帰路は東京テレポート駅からわが家まで一時間と掛からないことを発見した。
 ただ存外なまでに東京臨海高速鉄道も混んでおり、午後を通じて立ちっ放しだったのと相まって足の疲労は甚だしかった。ただ甲高の上に恐らく足中指が平均より突出しているため爪を含めて足への負担が常人より大きいとは言えよう。これは言い訳です。

6月25日(水) 坂道、トンネル、草っぱら  -車・バイク - 自動車全般-

d650.jpg 自動車と二輪車の謳い文句を比較すると、公共交通機関に対する即時性、面的万能性は共通だが、前者には大量運搬と快適さ、後者には小回りという利点がある。ただ高度高齢化社会も見据え、足の延長という移動体の根源的な原理に立ち返るならば、一人乗りという特性を活かした上でより高速安定化させる構造物が今後求められるという目算は成り立とう。
 それが現実のものたりつつあるのは最大のネックである安全性の確保に向け路車相携えた情報化技術の進展や環境負荷低減という錦の御旗に省力化がマッチしたという環境の変化が作用していよう。養老孟司氏に「動く」ことによる脳の活性化を語られる程に、肉体は三文SFに定番の手足が退化して頭でっかちになった未来人の姿に近付いている様で、一抹の躊躇いは禁じ得ないが。
 ただその次世代自動車のデモンストレーションも、特段のルートを通じて手を回す必要もなく定められた一般公開時間帯に会場へと赴けば乗車出来る位だから、まだまだ実用化には程遠いのだろう。勿論新橋駅からゆりかもめへと登る階段に数珠繋ぎに人が連なった、過剰な迄の埋立地ブームも大分と沈静化したが為かも知れないが、自動車アミューズメント施設メガウェブも幾ら平日とは言え外国人観光客がまばらに数えられる程度では視察受け入れのイベント会場としては好都合でも経営上心配になって来る。元より隣接する商業地帯・ヴィーナスフォートが昼食時にも拘わらず閑古鳥が鳴きっ放しな方がより深刻で、矢張り事業所需要の不活性はこういう形でじわじわと首を絞めているのだろう。

 既に組合員時代から見做残業によるセミ・イクザンプション適用で原則として支給額は固定だったから給与明細を繁々と眺める機会は滅多に無かったが、今月ばかりは目を疑った。思わず三位一体による所得税から地方税への委譲は今年からだったかと錯覚しそうになったが、昨年から管理職になった影響が一年遅れで地方税に反映されたということだろう。より精緻に見れば定率減税の廃止も概ね同タイミングだから、こちらも微妙に寄与しているだろうか。
 後期高齢者問題の例を引くまでもなく結果が一定時間を置いて現出するのは予想外の誤解と言うか、何となく損をした様な錯覚を対象者に抱かせかねない。地方税も国税の申告後遅滞なく換算出来るよう納番制導入と電子納税の促進を図るべきということか。

6月24日(火) 総会は爽快か  -政治・経済 - 経営-

d649.jpg 対外的な職責に長年従事してきただけに、嘗て経団連をも揺るがしかねなかった株主総会という得体の知れない存在については様々な逸話を耳にしてきたが、最も印象に残ったのは総会のリハーサルでは恰もミイラ取りがミイラにと揶揄するのは妥当な表現ではなくとも、特殊株主の担当部局がそれらしく特殊な役を演じ、ここぞとばかりに出席役員を罵倒するという、幾分滑稽に響くがその実深刻なシチュエーションであった。
 ただそうした総会屋という職業も徐々に割に合わないものと可し、昨今は恐らくより巧妙に企業から何等かの利得を得るべく進化したから、株主総会そのものへの登壇は大幅に減少したのだろう。結果として総括担当としての初の総会への参画は、噂された光景が都市伝説で無かったことこそ確認出来たが、模倣する側も大分とソフトになった様で多分に拍子抜けの感無きにしもあらずだった。
 驚いたのは都合三度に亘ったリハーサルでは、所詮勧進帳で事前に練り上げた様に立石に水の如く言葉が溢れ出す御仁は稀で、往々にして人は話している内に自ら盛り上がり収拾が付かなくなるものだから、サクラの質問で練習してみてもと半ば聞き流していたが、振り返れば恐ろしい迄に本番における質問と合致していたことだろう。最終消費財製造業であるから顧客の生の声が始終届いているので予測が立て易いという特色こそあれ、大企業の株主総会運営に賭ける情熱を裏側から拝察出来たと言えようか。
 個人的には旅先だと便秘気味になる関係上、普段以上におしっこが近くなるのでスタンバイから約三時間の缶詰は幾分辛いものがあったが。

 国家一種の倍率がまた下がる。幾ら「高級官吏を指向する根源は国家政策に寄与したいという意志であって金銭の多寡は関係ない」と大上段に振り被ってみても、確かに根源的な真理ではあるが、霞ヶ関で霞を食べて生きていける訳もないし、少なくともそう遠くない近未来に官民入り乱れたリボルビング・ドアのキャリア形態が見込まれなければ、公務員バッシングの風潮と相携えて志望者を減じせしめる効果は小さくなかろう。
 勿論、英国の如く官は定められた指針に基づき事務遂行に徹する方向性を目指すのもひとつの考え方ではあるが、だとすればそうした道筋も併せて描き官に進むであったろう人材を取り込む代替物-それが政党やシンクタンクであるとするのは些か短絡的かも知れないが-を誂えなければ、一層の外資への人材流出を招きかねないのではないか。

6月23日(月) 100分の効用  -ライフ - 日記-

d648.jpg 東京-名古屋間が2時間1分だった頃は丁度本を読んでいて軽やかな睡魔に襲われ、豊橋通過のアナウンスが入る辺りで目覚めるという絶妙な時間配分に体のリスムが即していたが、概ね1時間40分に短縮されしかもほぼ品川・新横浜停車となった現在、頻尿傾向のため通路側を好んで選択する私としては新横浜を出る迄は眠りに落ち難いし、労組の強さが未だに影響を齎している訳でもなかろうが、相変わらず相対の検札を続けるJR東海の方針もあいまって、更に短くなる純然たる自由時間の中で迂闊にうつらうつらしていると乗り越して仕舞うのではないかとの強迫観念にも駈られる。
 従って東京への帰路は兎に角、往路はなかなか睡眠に充てるのは難しくなった。反面それは好都合でもあり、出張が増えれば読破量も増加する好循環が生まれる訳だが、中には何となく字面に目を落とすには集中力に欠ける時もあり、今般は本コラムの原稿作成に費やした。
 概ねテーマは決まっていても数字や年月の確認を必要とするケースもあるから出来ればPCを前に筆ならぬ携帯電話を持つのが理想的ではあるが、案ずるより産むが易しと言うか、存外に携帯サイトを漁るだけでも一定の情報は確保出来ることが実感出来たのはまず有意義だったろう。勿論子供が寝てからわが家で机に向かえば済む話しだが、人は易きに流れるものだから可能ならばTVを見たり寛いだりと、他に代替性の薄い時間を"作家"業に転用したいと思うのも人情である。ただそうなると通勤時間も同様だが、結局のところ執筆と書見のトレードオフの関係が成立し、コラムに重きを置けば読書が減り、積載された書籍の山の低減に尽力すれば文章が薄っぺらくなるのは否めない。そもそも職務が重なって来ると、この貴重な移動時間にもふと気が付くと仕事の展開に想いを馳せていたりする。時の有効活用は何時の世も難題であるが、如何に脳裏を綺麗に分割し稼働させる部位を巧みに切り替えられるかが鍵なのだろう。

6月22日(日) 自画自賛  -スポーツ - ゴルフ-

d647.jpg ここ数年、取り分け休日のゴルフは少々コースの質を落としても時間距離の近さを優先してきたから、幾ら安価かつバブリーで美しいコースとは雖も4時起床で水戸迄の遠征は些か辛かったが、台風予報のなか朝方こそ幾分雨に降られたものの、まさにラウンド中のみ概ね晴れ間が射し帰路はまた豪雨とは余程行いが良かったのだろう。
 しかも更に幸便なことに前半60近く叩いて半ば打ちひしがれながら、後半奮い立ってボギー、ボギーのスタート。以降も180yの第二打をピタリ寄せバーディー・チャンスを外しての惜しいパー、チョロに始まり顎の高いバンカーから迎えた第四打150yオンの耐えるダボ、ショートの寄せワンパーと見せ場に事欠かず、私も旨くなったものだと悦に入って仕舞った。何よりもこれまでダボのハーフ54からの上下に一喜一憂してきたが、初めてボギー・ペースから換算する緊張感を味わえたのは望外の成果であった。結果的には最終9番で第三打を池に入れて文字通り豪沈したが、それでも49で三ラウンド連続のライオン切りとは有森選手ではないが自分で自分を褒めてあげたいとはこのことだろう。
 順位は15位で五打差10位の御仁がiPod nanoを貰っていたのが非常に羨ましかったが、そこ迄欲は言うまい。課題はドライバーの飛距離とパッティングにあることは明白なので、愈々久々に新兵器導入を検討すべきか。

 しかしパッティングの秘訣とは何だろうか。アプローチは数打ちゃの類であることが朧気に体感出来てきたが、朝丹念に練習し慣れることなのか、当てずっぽうにならず慎重にラインを読むのが肝要か、或いは道具も打法も一変して気分転換すべきなのか、果た又所詮センスなのか。所詮、毎日鍛練する様な真似は覚束ないので、何方か簡易なパット上達法あらば是非小声で囁いて欲しい。

6月20日(木) 金は天下の巡りもの  -政治・経済 - 格差社会-

 このところ遠方への出立が重なり宴席の頻度が少なかったからアルコール耐性が弱まり酔い易くなっていたのか、逆に酒離れしていたから体が求めて摂取量が増えて仕舞ったか、或いは子供の風邪が移って幾分呆としていたからか、昨夜は妙に回りが早く真性の二日酔いで明朝を迎える羽目に陥った。
 本来なら半ば夢遊状態のままに義祖母の葬儀に赴くという骨の折れる行程が控えていたが、昨夜妻子三名で通夜に向かった際にはしゃぎ過ぎた報いか祐旭の風邪が振り返し、結局父は留守居子守待機に落ち着いたので期せずして骨休めの如く様相を呈したのは親族諸兄には恐縮だが体力的には僥倖であった。

 昨年参院選前にも取り沙汰された最低賃金の引き上げが漸く実現に向け動き出す。取り敢えずは高卒初任給の最低水準755円を目途とするため平均68円の引き上げとなるが、1000円までの引き上げを主張している連合並びに民主党が少なくとも高卒初任給平均927円には早急に到達すべしと主張すれば一定の説得力を持つことになろう。
 勿論、格差是正の観点から配慮する趣旨は理解出来るし、正規雇用-という文言自体派遣労働、パート・アルバイト等を「異例の」事態と見做す旧幣とも言えるが-化の促進芳しからぬなか同一賃金同一労働的発想を押し進める思惑もあろう。或いは兎角論議のある生活保護との比較考量からも然るべく水準なのかも知れない。ただ人為的に賃金だけを上げても長期的には労務費の増大分は価格転嫁されて物価上昇を招き、理論的には個人の実質手取りに影響を齎さない。恐らくは与件として最賃引き上げを掲げるからには競争原理が働くことを前提に企業による吸収を見込んでいるのだろうが、果たして民間企業が福祉的側面を何処まで担うべきかという根源的な疑問を別にしても、既に人不足で大半の求人が最低賃金を上回っている都市部より最賃張り付きが少なくない地方、なかんずく中小企業の経営に大きな打撃を与えかねないという矛盾は否定し難いのではなかろうか。それを補助金で補うならば結果的に課税最低限を引き上げるのと効果は大差なく、寧ろ国なり地公体の財政規模を増やすだけ不効率とも指摘出来る。判り易い政策ではある反面、実効には綿密な制度設計を必要としよう。

6月18日(水) 官民の別  -スポーツ - プロ野球-

 将棋の世界では同一タイトルを連続乃至は通算で一定の期数獲得すると生涯に亘ってその名を標榜出来る「永世○○」の資格が与えられる。今般、羽生善治氏が五期目の名人位に就き未だ永世位の誕生していない竜王を除く永世六冠を達成した。嘗て棋界最高峰の名人位は大山康治、中原誠、谷川浩司と一時代を築く不世出の棋士に受け継がれ、その間ライバルとされた升田幸三、米長邦雄らが短期間その座を務めるという、格の高さに相応しい継承パターンが見られたが昨今は羽生の永世名人が同世代の森内俊之の後塵を配したことに見られる様、戦国時代の様相を呈している。ただ擦った揉んだの揚句に朝毎共管となった新生名人戦第一期としては有り難い話題性に恵まれたとは言えるだろう。

d646.jpg 前任の根来泰周氏が在任中の球界問題の際の不手際で散々世論から叩かれ再任を拒否しながら代行として事実上職に留まるという不可解な状況が続いていたプロ野球の第12代コミッショナーに漸く加藤良三元駐米大使が選出された。
 本場米国の大型野球賭博/八百長であるブラックソックス事件を裁いたランディス判事が初代コミッショナーに就任した故事に倣ったのか、本邦においては過去11名中法学者二氏を含めれば実に三分の二に致る七名が法曹関係と偏った人選で、米国が第二代以降実に多彩なバックグラウンドから人材を得て組織運営乃至は経営機能を発揮しているのとは対象的に監察者の地位に留まっている。背景には実態として最高意志決定機関であるオーナー会議には逆らえぬ一代理人に過ぎず、唯一の民間出身である金子鋭氏の様に江川事件収束に「強い要望」を出すといった指導力を発揮することが求められていないという構造的要因があろう。外交官は賛否両論あった下田武三氏以来だが、野球に造詣が深いとされる加藤氏だけに、取り分け野放しになりつつある外国人選手の保有権の見直しやポスティング売却制度等、日米を股に掛ける懸案の解決に尽力して戴きたい。

6月17日(火) 終わりなきマラソン  -音楽 - 邦楽-

<d645.jpg
昨年5月の横浜公演
 YMO欧州興行の模様が伝わってきた。79、80年のワールド・ツアーから28年を経て三度目のロンドン公演が実現するとはお釈迦様でも夢想だにしなかったろうが、セットリストを見る限り昨年の横浜をベースに、既に放送されているNEWS23のテーマとそのシングルB面となる映画主題曲、また中国への抗議の意図かも知れないがYMO時代にレコーディングされた教授のチベタン・ダンスを加えて入れ替えがあった程度で優雅なスロー・ペースでの活動状況を体言した形となっている。逆に言えば切迫感がないだけに、海外ではYMOで八月の国内"凱旋"公演ではハッシモという微妙さこそあれ、93年の再生と異なり今後の継続性にも明るい見通しが伺えよう。
 一方で、と並列に論ずるのはおこがましい限りだが、わがカバー・バンド中国男も二年振りの本格始動を謳いながら幾分瞑想状態に入っている。再三述べている通り「YMOの手弾き」をコンセプトにYMO並びに関係者のソロ等のカバーにより四度の公演を行ってきたが、レパートリーが増えるに連れメンバーの捉えるYMO像にもズレが出て来るし、どんどんマニアックな領域に入っていくから義理による集客にも限度がある。そこで所謂テクノポップ-これ自身の解釈にしても個々人により相当な幅がありそうだが-から敷衍してニューウェイブなりニューロマなり対象を更に周辺領域に拡大することにより、少なくとも近しい世代の観客が懐古趣味で楽しめる汎用性を確保しようという新たな課題が浮上してきた。
 単に「世代」の断面で切っても歌謡曲か洋楽かに始まって一般受けの範疇は数限りないし、明確な連環はなくともYMOカバー・バンドが演奏して「嗚呼成程ね」とニヤリ頷いて貰える程度の拡散に留めるとなると、言うは易くも行うは簡単でない。ただ取り敢えず候補に上がったバグルスの「ラジオ・スターの悲劇」が手元にあったのでかけてみると、何と祐旭が「あーわあ」とハミングしている。最近文字通りのサントリー・"アワーズ"のCMに使われていたので耳馴染んだのかも知れないが、幼児の心も捉えて仕舞うとは恐ろしい訴求力である。トレバー・ホーンの偉大さもあろうが、期せずして一般受けへの配慮の意義が浮き彫りになる形となった。新機軸、腹を据えようか。

 今年の全米オープンは朝8時頃からの中継開始だったので三日目日曜は漫然と中継に耳目を傾けていたが、どうもピリッとしないウッズのプレイに強を煮やしてチャンネルを捻ったら、そこからタイガー・チャージが始まり結果は膝が痛くても19ホールのプレイオフの末、トリプル・グランドスラム達成。化け物だ。
次のページ

FC2Ad