コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月30日(水) ダンス・ダンス・ダンス  -育児 - パパ育児日記。-

d591.jpg 日が開けて朝風呂に続けてはスプリングタウンを攻めることとする。ところが寒風に乳幼児の柔肌を曝すのは望ましくないとの妻の意向に祐旭も同意し屋内からのスタートとなった。昨日のプール・ゾーンに比してこちらは水温も34度とスパの範疇で特段のギミックも無いが平日で客数も絞られたのだろう、ボール遊びに興じたりと寧ろ乳幼児は嬉しそうである。
 然らば気運も高まる頃合いを見計らって渋る人々を四階迄連れ出せば、風呂同様に屋内と露天の水槽がのれん状のビニールを仕切りに連結された構造で、寒暖の差に過敏な割に好奇心は旺盛でこうした秘密結社の通用門の如きに惹かれる祐旭の様な人物には非常に好都合ではないか。促すまでもなく「僕そとに行きたくなっちゃった」とは父の作戦勝ちであった。
 流石に園内最新設備だけあってこのパセラ地帯はスパの中ところどころに40度程度の風呂が配備され、ハワイを模したのだろうケーブバスなる施設もあって子供心を飽きさせない。しかしここでも思いも寄らぬ展開を喚んだのは祐旭の発言であった。初めてのじゃぶじゃぶ池から水を怖がらなかった公資に対し、昨日もプール脇で軽食の予定が一旦水から上がったらパンツが濡れていると大騒ぎでそのまま部屋に引き上げる羽目に陥った祐旭の神経質振りがここにも顔を出し、今日は唐突に手がふやけていると騒ぎ出すとは指定暴力団も顔負けの難癖の付け方だが、本人は真剣そのもので号泣し続けるのだから手に負えない。
d592.jpg おかげで早々に丘に上がったため連日の舞台にもお目見えしたが、昼も夜もレビューの中途に視聴者参加コーナーが織り込まれ、昨日の母に続き本日は父との登壇と相成った。一時フラダンスの練習に勤しんだところでハワイアン・フリークになる訳もあるまいが、有り難い撮影ポイントでもあり、かつ子供には良き想い出にもなろうとは気の利いた配慮である。手のふやけの完治した祐旭もまた何事も無かった様に、右に左に揺れていたのであった。

 上野動物園のパンダ、陵陵が亡くなった。前日黄金週間を前に病気療養のためやむなく公開中止に至ったとの報道に出くわしたばかりで政治家ばりの客商売振りの厳しさが伺える。蘭蘭、康康を生で見物した世代にしてみればわが国在籍パンダが消え去ることは一抹の寂寥感は否めないが、稀少種の保存という大義名分こそあれ、各国がパンダの魅力に取り憑かれたところで年間1億円のレンタルに切り替えるとは、極めて悪意に受け取ればアヘン貿易も真っ青のパンダ外交に他ならず、今更大枚を叩く必要性は薄かろう。そろそろわが国もパンダ熱から覚めざるを得ない時が来たようである。

4月29日(祝) 黒いダイヤ  -旅行 - ハワイ-

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 黄金週間はハワイへ行ってきたと休み明けに祐旭が幼稚園で宣ったら如何取り繕うか気掛かりではあったが、スパリゾートハワイアンズなるCIと映画「フラ・ガール」のヒットで大分と垢抜けた感のある旧"常磐ハワイアンセンター"にやって来た。
 まず驚かされるのはその広大な施設である。石炭採掘の副産物だった温泉を活用し産業転換後を見据えた街興しとして日本のハワイを生み出した歴史は映画にも詳しいが、当然年を重ねる毎に増築しているから迷路の如き一大都市が構築されている。おかげで宿地から随分と歩かなければならないのが玉に傷だが、文字通り老若男女が一様にアロハとムームーに身を包み闊歩する姿は壮観で、総じて躍動的な分船橋ヘルスセンターに見られた頽廃、厭世観はない。
 そこで早速創業以来の大型プール「ウォーターパーク」に赴くが、確かに滑り台の類は豪奢とはいえ乳幼児には流れるプールで回転している位が関の山だから、28度という環境省が聞いたら卒倒しそうな常夏の温度設定を除けば大磯ロングビーチの類と大差ない。寧ろ温泉らしく風呂が充実しており、取り分け大江戸温泉与一は喧騒から逃れて露店で寛ぐには最適だったが、それも今では台場や後楽園で賄えそうである。
d590.jpg ここまででは遠路遥々バスで新宿から三時間半掛けていわきまで遠征した成果が無いから夕食後にはポリネシアン・ショーを鑑賞し、漸く南国ムードも漂って「フラ・ガール」と同じ踊りに与るとは直前に予習のためDVDを借りて見た甲斐があるというものだ。ただ総じて貸しタオルであるとかオプションに有料品が多く、鞄ひとつで訪れても一旦領域に入れば後はスルーというリゾート地仕様をイメージしていくと幾分の期待外れは否めないが、そこは無料送迎バス込みで一泊一万五千円程度だから文句を言う筋合いでもあるまい。
 先人の英知に敬意を払い一度は訪れてみる価値はあるが、さてリピーターたり得るかと問われれば即答しかねる。移動距離に鑑みれば一泊二日は気忙しいが周辺に観光地が無いからこそフラダンスに乾坤一擲身命を賭した訳だから、二泊したら飽きそうでもある。ひと捻りするならこれも安価にマッサージ・ストリートでも拵えてみたら如何なものかとは思うが、何のかんの言ってもそこそこ皆楽しめたから、総合評価は丸を差し上げたい。

4月28日(月) ごまめの歯磨き  -政治・経済 - 政治・時事問題-

 今では幾多の政治家がメールマガジンの類を発行しているが、恐らくは官邸メルマガよりも遥かに多くの流通量を誇り、かつ貴重な情報源として日々口端に上り続けているのは河野太郎氏の「ごまめのはぎしり」であろう。氏は三世議員らしい潔癖さ、良くも悪くも世事に捕われぬ歯切れの良さの一方で、原子力に限らず多分にエキセントリックな企業批判の物言いといい、取って食われそうなポスターの顔の怖さといい、ある種トリックスター的要素を持った存在として、取り分け玄人筋からは扱われている。
 従って"歯軋り"の中身も多分に露悪的に過ぎたり、一方の主張に著しく偏っていたりと、「監視」以上の眼で見ることは少なかったが、26日付は珍しく読物として楽しめた。所謂「思いやり予算」関連の採決があり、条約案件なので最終的には衆院の議決が優先するのだが、その過程には両院協議会が設けられる。要はその審議が如何に茶番であるかを面白可笑しく述べたものだが、そもそも両院の意思が異なった際、話し合いにより成案が得られるという憲法の想定が多分に議会制民主主義の過剰信頼というか、恐らくここにも敗戦後米国がわが国を民主主義の実験場たらんとした影響が色濃く現れているのではなかろうか。
 則ち二大政党下における衆参捩れという、幸いにも長らく経験せずに過ごして来ることの出来た事態に直面して初めてその瑕疵が顕わになった二院制そのものを直ちに否定する訳ではない。ただ河野氏曰く「コンクラーベの如く」根比べするのみが然るべき解決手段とも到底思い難かろう。少なくとも衆参同数という両院協議会の構造は民主主義の根幹である多数決原理が最終的にも全く働くことのないという点では制度的欠陥としか言い様がない。これを性善説に立ち過ぎていると看過した指摘もあったが、人間の理性を必要以上に重んじる立場と相入れぬ保守主義の信条からも容認出来ない筈だろう。或いは河野氏がそれを踏まえてなおコンクラーベによる成案を求めているのだとしたら、それはそれで三代に亘る保守の異端児、乃至はリベラルという名のレフト・ウィング、中道寄り姿勢を正当に受け継いでいるのかも知れないが。

 黄金週間中唯一会社へ赴く。思いのほか人は居るが異様な静けさが漂い不気味。

4月27日(日) 西へ行くんだ  -育児 - パパ育児日記。-

d585.jpg 東京西部に居を構えるわが家にとって、多摩方面は存外に縁の薄い未開の地、フロンティアに他ならない。それは一重に自家用車の不存在に起因し、従前は妻の実家から借用するという手段もあったが、マンションの来客用駐車場が消逸してからは専ら電車移動なのでどうしても公共交通機関の充実した都心に足が向きがちになる。しかしながら黄金週間は恐らく西方こそ穴場であろうとの淡い期待の下に、意を決して三蔵法師よろしく゛ニンニキニキニキニン゜を実践することとした。
 南北交通の脆弱さをつとに指摘されてきた三多摩だが取り分け中央線沿線居住者にとっては立川からのモノレールの存在は計り知れず大きく、新宿周り京王線では遥かなき走路であった多摩動物公園までも概ね一時間とは乳幼児にとってギリギリ許容範囲と言えよう。ただ嘗てまだ祐旭が公資くらいだった頃に上野を訪れた際には思いの外はしゃいでいた記憶があるのだが、果たして動物園行の適正年齢とは如何ばかりなのだろうか。
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 自身振り返ると物心付いた時分には既に「臭い」を連発して忌避していた記憶があるのだが、幸い多摩は「動物公園」を名乗るだけあって檻と檻とが密集しない構造からか、臭気は著しく緩和されている。その一方で余りに敷地が広大なだけに端から端まで闊歩して効率よく動物教育を施そうという趣旨には不向きであった。しかも歩行を嫌悪しすぐに抱っこ抱っこの四歳児と、歩きたい盛りながら当然激しくスローモーな一歳児にはより微妙で、コアラまで辿り着いた頃にはダウン寸前の祐旭と昼寝が遅れて矢鱈とハイな公資を前に父母の方がグロッキーであった。祐旭もチーターの赤ん坊には「休まないで歩け~」と三百六十五歩のマーチを小声で囁く父を余所に大いに興味を示していたのだが、幼稚園児ともなると人工物にも興味が拡散しそろそろ動物園は卒業なのかも知れない。近場であれば度々訪れてピクニック気分で佇むのも乙なものだろうが。

 補選の発端となった岩国市長選の様に沖縄駐留米軍による暴行事件があと一日ズレていたらと薄氷を踏む勝利もあれば、道路ばかりか゛時限爆弾゜ともヤユされた後期高齢者医療制度の直撃を食らった今般の大敗もある。運だけで片付けてはいけないが、矢張り選挙は水物である。

4月26日(土) 右向け左  -育児 - パパ育児日記。-

d581.jpg 黄金週間がやって来た。今年はど真ん中に三連稼が挟まっているので到底ゴールデンとは呼び難い上に租税特別措置法の衆院再可決という政治的なエポックが予定されているから、永田町方面からは怨み節が聞こえて来る。しかしながらこうした都合の良いところだけは製造業の本旨に立ち返り、旧総評系労組の戦果たるメーデーの一斉休業とも何等関係なくもゆるりとした日々を満喫出来るとは大きな声では言い難いところである。
 して初日は大人しく阿佐ヶ谷中央公園に始まった。わが高円寺の同格の中央公園が保育園の仮住まいが据えられて手狭窮まりないから出奔した、訳では勿論なく近隣で妻が爪に細工をして貰う間の男児二名との待機に過ぎない。ただ痛感したのは何故子供は等しく縁を歩くことを好むのかという疑問である。例えば砂場の類の周囲の一寸高くなっている部分に二組に別れて両端から並び、出会った部位でじゃんけんするという遊びもある位だから、通常の地面に対する突起が子供心を擽るのは理解出来るし、父もまたそうだった記憶があるが、祐旭ばかりか未だ二歳に満たぬ公資も腹這いになって迄登って走行しては転んで号泣し、なおかつ再び飽くなき好奇を示しているのだから、凡そ縁というものには老若男女を問わず人を惹き付ける要素を秘めているのだろう。
d582.jpg 更に妻の薦めで午後は親子ヨガに闖入するが、こちらは祐旭も公資も早々に飽きて仕舞い、スタジオ内を走り回ったり他の児童にチョッカイを出してみたりと明らかな問題児であった。わが家でストレッチ的に幾度が試行してみた際には存外にその効用を認めていた父も、体の堅い者にとってみれば到底曲がりもしない前屈を至極当然の如くに指令されるのも不快だったし、そもそも号令一下一糸乱れぬ行動を強要されることに非常な嫌悪を感じマイペースでポーズに興じたい性癖から、程なく退屈を覚え同病相憐れむのみで妻に呆れられた。統制による陶酔には程遠く、この分では到底軍人にはなれそうもないわが家の男性陣であった。国防に目覚めたら必ず幹部候補生を目指すべくアドバイスしたい。

4月25日(金) 同志は何処  -ビジネス - ビジネス-

d580.jpg 学生時代に所属していたサークルはバブル全盛期という時代背景もあったのだろう、"マネジメント"をひとつの旗頭とする擬似企業とも言うべき組織だったから、幾分外資系企業に被れた様な用語使いも少なくなかった。中でも最も耳に付いたのは、概括して振り返り次回への教訓を抽出するといった意なのだろう、evaluateの訳語として「総括」が盛んに用いられていたことで、女性に「総括して」等と下命を受けると何となく浅間山荘の森恒夫にでもなった様な、考え過ぎではあるのだが妙に背筋が寒くなった覚えがある。
 その因縁の「総括」たる役職に就いたのは今年の一月である。庶務担当のみならず部内人事や予算の元締でもあるから、極めて好意的に受け止めれば官房総務課は言うに及ばず三課を束ねたが如く出世ポストに映るが、残念ながら官僚機構以上に官僚的な側面を持つ組織であってもこういうところは官を見習わず現局主義なので、基本的にはベテランの閑職色が強い。勿論、案件、相手先別に構成された当該部局の中で遍く関わりを有する政治を対象とするポジションが同時に"総括"を拝命するのは美しくはあるが、その合理性を誇れる程に有機的な連動が働き得る環境に乏しいのもまた事実である。
 何よりも万請負展開業なので「三ヶ月経ったら試用期間も終わって対外活動に明け暮れる」との決意を余所に、繁雑に飛び回る必然性も生じず無理にでも用事を拵えてはいそいそと出掛ける身分である。確かに毎週三日以上が続いた宴席こそ4月に入って一段落しつつあるものの、この二ヶ月間は稼動40日中採用面接の休日出勤一日を含めても篭り切りは4日と記録上は優雅が外回り生活だが、大半は蜻蛉返りなので到底放し飼いには程遠く、良くてブーメランだろう。普通の人は思いのほか難儀であるが総括されないよう活路を見出だしたい。

d583.jpg ファンタ・ブランドから新発売された「ふるふるシェイカーオレンジ」を試飲する。確かに"振ってから飲む"ゼリー状の炭酸飲料というのは虚を突かれる発想だったし、今や殆どお目に掛かれないミリンダと同等にファンタ・フリークである私好みの味には違いないが、無理にゼリーにする必然性があるのだろうか。
 或いは幾度も食する内に病み付きになるのかも知れないが、気になるのは「10回振って」の謳い文句で振り過ぎたらゼリーが飛び出して来るのだとしたら代表訴訟ものづある。恐らくは折角の炭酸風味が薄れるだけだろうが、間違ってもゼリーと思い込んで実はら飲み物だったという事態に陥らないよう、大ヒットに至ったとしても500mlのふるふる缶は発売を控えて欲しいところである。

4月24日(木) 遠い視線

d579.jpg 眼鏡は顔の一部ですという秀逸なフレーズは東京メガネのキャッチ・コピーだが、今となって一抹の疑問を感ずるのは果たして眼鏡販売業において、遍く人口に膾炙する程大量のテレビCMを打つことが販売拡大に帰するのかという命題である。恐らくそれは価格破壊の一途を辿るべく数多の安売り眼鏡店が乱立する現況をそらんじるが故の錯覚であり、デパートメントストアから品種別量販店へという小売り店業の主役の転換期において、東京メガネは「まあるい緑の山手線」や「あ~あせんせいしょ~ん」と同様の先駆けだったということだろう。
 かくの如き回想に浸ったのは今般、テレビCMにしては妙にシンプルな眼鏡のコマーシャルを目にしたからである。忍び寄る不況の足音のなか最終消費財全般の広告費が削減され、相対的に好業績な業界が浮き彫りになった帰結なのかも知れないが、その銀座「和真」は全視界メガネなる傑物を売りにしているらしい。要は遠近両用眼鏡のレンズを上下の位置でともに固定するべくフレームに細工したものだが、今年に入って頓に眼鏡を外さないとPCの文字が見えなくなってきた私の琴線に響いて仕舞った。ということは矢張りCMの効用は未だ否定出来ないことになるが。

 会社の六月株主総会時の役員人事が発表された。総じて小幅ということは明年には何等か大きな動きがあろうと安易に予測されるが、退任に比して圧倒的に新任が多く所謂"役員"がまた増殖することとなった。旧来の常務以下は執行役員という判り易いと言えば実にそのままな構成であるので新任役員と言っても文字通りBOARDでも何でもない訳だが、30年近くを費やして漸く登り詰めたと思ったら80名に至る経営者という名の新世界の最末端に辿り着くだけとは孫悟空もかくあらん、サラリーマン人生というのも夢のないものである。

4月22日(火) 堂々たる信頼  -政治・経済 - 政治・時事問題-

d578.jpg 与謝野馨氏に初めてお会いしたのはマスコミの方々との飲み会に何故か闖入させて戴いた際、次が出向先の遥か上官としての御報告の機会であったが、前者は通商産業大臣、後者は党政務調査会長という現職の重役だったためか、ともに風を切らんばかりの勢いを強く感じたことを覚えている。
 が恐らく05年の郵政選挙で久々に選挙区からの当選を果たし、満を持して党税調会長に就任されたところで病による休息を余儀なくされた経験は氏の政治生活にも大きな影響を与えたのだろう、新著「堂々たる政治」には共感出来る部分が少なくなかった。例えば、わが国は「国と国民は同義語だということを忘れがち」という指摘は歴史的経緯からもお上意識が強く、恰も国家という別の財布、国民と切り離された超然内閣が存在するが如き錯覚への戒めであろう。
 或いは公務員、取り分け中央官僚への配慮である。明らかに昨今の潮流からは選挙民受けしないであろうこの発想は、氏の国民に媚びない、若しくは国民の良識を信ずる姿勢が伺われる。しかしながら一斉を風靡した成長論争に関する見解は如何であろうか。成長重視=上げ潮派の最大の要点は決して過度な成長を見込んで財政の先行きを楽観視することになく、必要以上に長期予測をしないという一点であろう。嘗て橋本財政構造は厳格な財政構造改革法を策定したおかげで景気後退期を迎えてなお手足を縛られ、揚句減税の取扱いで迷走し参院選に大敗、同法は続く小渕内閣でひっそりと葬られることとなった。現実に幾ら歳出削減メニューを並べても社会保障費の拡大は避けようもないし、10兆円の埋蔵金の発掘は確かに大きな成果だが一過性のものであることも否定出来ない。ただ成長率と金利の関係にしても不確定要素が多過ぎるから五年程度の中期見通しに留め、その中で国民負担の増加を最小限に抑制するのが政治の眼目であり、それをローリングしながら情勢に応じて修正しつつ国民の理解を求めていくという姿勢であった筈である。
 これに対し財政重視-というレトリックを与謝野氏は肯受しないであろうが-派の論理は堅実な見通しに依拠し長期的な国民負担が明示されることによる安心感を与えるのは確かだが、一方で政治の意志は見え難くなる。
 真っ向から大幅な消費税上げを掲げるのは79年の衆院選を前に突如一般消費税を争点にするのか持ち出した大平元総理にも通ずる、国民への信頼、更に言えば国民を信頼したいというロマンの発露でもあろう。であればこそ「温かい改革」というフレーズには違和感を覚える。勿論それは、改革による"痛み"には何等かの公的な扶助ナイス再挑戦可能な仕組みを用意するという含意ではあろうが、寧ろ変革とは一定の部位には必ず「冷たさ」を伴うものであり、しかしながらそれ無くしてわが国の未来に最大幸福は齎されないのだから果敢なるアタックを求め、結果として痛みが生じた分野、地域、個々人にどう対処していくかが政治の羊蹄であると、大向うを張って良いのではないか。それを明言するのもまた国民への信頼であろう。

4月21日(月) カーボン・コピー  -コンピュータ - セキュリティ-

d577.jpg 電子メールが普及し始めた頃はまだ大学時代の延長線上で御成婚二次会やら会合やらの幹事業務に常日頃から勤しんでいたから、ひとりひとり固定電話に掛けては捕まらず折り返しを待ってと今から思えば気の遠くなる作業を繰り返していたのが、劇的な時間コストの削減に感動すら覚えたものである。
 その時分から十年以上が経ち、凡そ組織体勤めの人間は仕事先と個人、更には携帯電話と三つのアドレスを駆使するのが寧ろ一般的ですらあるが、日中の連絡先として企業・団体メールを主体として活用しているケースも多かろう。勿論それは職務上の利用を前提に組織体が設備投資したサーバー上に構築されたネットワークによって齎される恩恵であるから、目的外使用を禁じその担保としてシステム部局が常に文面を検閲しているというのは論理的には全く間違っていない。
 ただ果たしてその論理を敷延して、原則として社外へのメール送付を禁じ、職務に分類される連絡事項のやり取りが存在する社外組織、個人のみ申請により限定解除するという著しい規制は合理的なのだろうか。齢四十にも近くなれば純粋に利害関係のない付き合いと同等に、職務上の関係から飛躍して半ば職責を離れた友人に至る場合もあれば、逆に学生時代の知己との接触が仕事に活かされることも少なくない。こうした人間関係を機密管理の大義名分のもとに意識的に廃除するのが果たして組織にとって有益かという疑念は残る。上官へのコピーを条件に送付は許容されているとはいえ、保留後確認といった繁雑な手続きが挟まれる上に、次々と無関係なメールが送られきたら溜まったものではなかろうとの自己規制が働けば、自然と解除対象者以外とは疎遠になろう。
 社員を総体として信用しないという発想は大会社である限りやむを得ない。ただ突き詰めれば組織の構成員は日に八時間といった限定された労働時間の範囲内においては、全人格一挙手一動足を組織体に捧げなければならないという、ホワイトカラーエクゼンプションとは全く相入れない思想が根底に働いているのではなかろうか。恐らくこれは職責の範疇か否か微妙なやり取りは個人所有の携帯で済ますという帰結を齎すだろう。これにより確かに大規模な漏洩リスクは軽減されるだろうし負担を個人に帰責させる効用も生じるが、一方で情報流通は益々水面下に潜ることになる。ポストペットであるとか牧歌的に騒いでいた頃が懐かしい。世知辛い世の中になったものである。

4月20日(日) 短いのがお好き  -スポーツ - ゴルフ-

d576.jpg 朝7時半中野駅集合、一路ゴルフ場へ向かうとは丸で出向時代に戻った様だが、最大の相違は今日が日曜日ということだろう。一方変わらないのは好不調、しかも分野別に訪れる波の激しさで、取り分けドライバーが最初の一打以降全く当たらないばかりかチョロって数ヤードで静止したりするのだから深刻である。ただ大引っ掛けでOBと思われた打球が左サイドに突き出た演台の如くスペースに残留して見事ツーオンなど幸運にも恵まれ、そもそもアップダウン激しくも絶対的に距離のないコース設定が幸いしたのだろう、尻上がりに調子の上がる江川、上原タイプの私に取って49、即ち前半での50切りは初の快挙であった。
 好意的に解釈すればファースト・コックでスリークォーター気味に振る5Wの安定、アプローチミスの大幅軽減という一定の技量の向上も認められ、ドライバーの惨状のなかこの数字とは出向の三年間で研鑽を積んだ成果が漸く現れたということだろうか。あわよくば史上三度目の百切りもと色めきたったが、流石にそこまで世の中甘くはなく後半はダボペース。それでも最終18Hでプレッシャーも消えたか脇を締め体の近くでコンパクトに回したドライバーが漸く当たってパーを拾い52とは終わってみれば非常に惜しかったとも言える。恐らくは3Wで真っ直ぐ230y飛ぶ御仁と前半46で最期まで苦しみながら初の百切りを達成した両氏に触発された部分もあろう。矢張り達人と、そこそこに張り合える人と回り、適度な緊張感に包まれた方がスコアに結び付き易いという証左でありまた、機会が減った分単一ラウンドあたりの真剣度合いが増しているとも言える。
 こうなると次の一戦が待ち遠しくなるが、数字が出なくてもまた行きたくなるのには変わりないのだから少なくとも月イチ位は設定していきたいところ。お手合わせ願える方は是非御一報下さい。
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