コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月31日(木) 農内革命  -グルメ - 野菜-

d486.jpg 会社には色々な仕事があるということは理解していたとつい数日前に述べたばかりだが、時には畑違いとも思われる意外な「現場」に出会うこともある。
 以前一寸した勉強会で農業に付いて聞き齧ったことがあった。それは公共事業の逓減により建設業が衰退を余儀なくされ、地域雇用の新たな吸収源として嘗て農閑期に労働力を排出してきた農業を再活性化するというお題で、例えば休耕田の活用によるIターン受け入れと新農家立ち上がり時の所得補償などそれはそれで面白かったが、言わばマクロから見た形而上の農業研究に過ぎなかった。それに擬えれば今般は農業という第一次産業に如何に製造業的手法を移植出来るかという産業革命以来の逆位相に、突き詰めれば産品の商業サイクルが比較的短い単一の農業者をサンプルとして当て嵌める、ミクロの実践をテーマとしている。
 本日は当該農家の奮闘振りを実際に筑波まで赴いて実見するという手筈だったが、野菜に関する造詣も決して深くない私は新参者らしく事前に資料も読み込んではいたものの、参加者の全員が何度もビニールハウスに足を運んでいる前提で交わされる検討会の間は如何にもちんぷんかんぷんで、後段になって漸く農場現場にありつき話題に追い付いてきた。一次産業の生産性向上とは何を企図しているのか、その一端に触れることで判った様な気になったがが、そもそもそれが可能であるとしても如何に果てしない、雲を掴む様な幾多の改善項目をひとつひとつ実践に落とし込み潰して行く作業であって、或いは具現出来たとして本当に収益の向上に結び付くものなのか迄は皆目掌握出来なかった。ただ確実に言えるのはこの活動を行わなかったとして恐らく食べるに困る様な事態には陥らない一農場経営者が、幾分大仰に言えばわが国農業の明日に幾分でも寄与すべく地道に施行を重ねる姿には非常に感銘を受けたし、疑問か疑念かは兎に角、何等かの興味が増幅されたのは事実であるから、その謎を解くと豪語するのはおこがましくとも、取り敢えずこれからもう少し知見を増やして一翼に携わりたいと考える次第である。

d487.jpg 前職では煩雑に「視察」と称したこの種の高等社会科見学に身を投じさせて貰ったが、往々にして思わぬ副産物にも恵まれるもので、今日も偶々茨城ゴールデンゴールスの第二球場なる施設を車窓から眺めた。萩本欽一氏への好悪の情は別として、わが国野球界最大の課題であるプロアマ一元化の鍵を握る、社会人野球以上に荒波に揉まれる独立リーグと、PRに長けた著名人を頭領乃至はスポンサーに戴いた、茨城球団の如く限りなくプロに近似したクラブチームの交錯模様を観察するに当たって、たとえ一瞬であっても球場とその立地環境を垣間見た経験はひとつの材料たり得る筈である。現地に赴き体感する行為は内容の如何を問わず貴重な機会に他ならない。

1月30日(水) Bridge Over Troubled Bill  -政治・経済 - 環境・資源・エネルギー-

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錦帯橋(07/11)
 日切れ法案を暫定的に二~三ヶ月程度延長するという方策が俎上に登り出した頃は、恐らく誰もがそれはブラフに過ぎないと鷹を括っていた筈である。そもそも政府提出法案の審議が滞ったからと言って恰も本予算の成立が年度を跨ぐ際の暫定予算の如くに、あまつさえ議員立法で穴を埋めようという試みは、幾ら総理が否定しようとも奇策に他ならない。
 ただ不思議だったのはそのブリッジ或いはセイフティーネット法案の委員会審議を実力でストップさせて徹底抗戦を図っても良さそうな野党側の対応も一貫せず、補正予算を人質に取ることもなくみすみす採決まで進ませて仕舞ったことで、或いは民主党も地方からの突き上げや内部における意見の相違から果たして一時的なガソリン値下げに追い込むのが得策か否かに確信が持てず、与党に「奇策の強行」という失点を追わせて振り上げた拳を降ろせるのならば充分に元が取れ、寧ろ渡りに船だったという憶測も成り立つ。
 ただ結果的に「年度内に一定の結論を得るものとする」という当初野党側が提起した線に沿った議長斡旋で唐突に収束が図られたのは一見すると野党が得点を稼いだ様にも見えるが、「年度内に一定の結論を得るとは、衆参両院で08年度予算案および歳入関連法案の従来の審査の慣例に従う趣旨である」との河野議長の口頭補足が付随しているので話は二重にややこしい。確かにそれでも玉虫色ではあるが、事後の与党側の反応を見る限りすっかり予算関連法案の参院年度内採決イコール否決とこれに伴う衆院再議決が約束されたかの如く口振りである。勿論民主党は現時点でそれを肯定しないだろうし、世論の動向次第では単に主戦場が三月末に先送りされただけになる可能性も残されてはいるが、実のところ合意が為されたとするならば、結局チキンレースから先に降りたのは野党だったということになる。
 与党は史上初めて委員会可決した法案を本会議に上程しないという失態を演じ、野党はガソリン国会最大の武器を失ったのならば、最も男を上げたのは河野議長であり、わざわざ通常国会開幕早々にl衆参正副議長会談まで催した甲斐があったということになる。その伏線もまた与党の掌の上、と言っては三権の長に失礼だろうが、故意か未必からはいざ知らず与党側の思惑と相通じあった上での行動だとすれば、それこそが奇策の第一であったのかも知れないが。

 有耶無耶の内に"誤報"にされた昨年のダンボール騒動はまだ可愛い気があったが、科学物質が尋常でなく混入した餃子では最早洒落にもならない。勿論中国産食品の全てが判で押した様にと断じる積もりはないが、何等かの規制は必要だろう。だからこそ消費者省をというのもひとつの考え方だろうが、政府として政治的配慮からも強行措置が難しければ、市民団体、NGOといった組織が率先して"China Free"的な音頭を採ったら如何か。自国政府ばかりでなく凡ゆる強制力に厳しくあってこそこうした団体の価値も増すし、かく活動を通じて新しい消費者行政の在り方も発見されて来るのではないだろうか。

1月29日(火) 外人天国  -スポーツ - プロ野球-

d484.jpg ウェブ上のスポーツニュース面にいきなり「ソフトバンクが前巨人のパウエル選手獲得を発表」と流れた際には目を疑う前に、巨人にパウエルなんていただろうか、或いはヤクルトから来たハウエルの誤りかなどと間抜けな連想が浮かんで仕舞った。それ程パウエル投手は既にオリックスに復帰したものと脳内にインプット済だったということだろう。
 過去にもドラフト施行前には新人選手獲得を巡って二重契約騒動が持ち上がったケースは枚挙に暇なく、阪神のユニフォームを着た18歳の米田投手の写真が残されていたりするが、概ねは本人以外の親類縁者、学校企業関係者の類が蠢いた結果であり、契約書のサインが本人自筆か、交渉に本人が同席していたかといった状況証拠に依って、少なくとも形式上は機械的に判定されていた。その段に則れば今般が如何なる結末に落ち着くかは皆目不明だが、客観性の高い契約日時の先後という紳士協定に重きを置けばソフトバンク商法は批判を免れ得ないこととなろう。
 ただ事はパウエルの代理人のモラルといった個別事情のみに矮小化されることなく、外国人選手の契約体系全体の問題として捉えるべきではないだろうか。嘗ても保留選手名簿の登載如何に必ずしも拘束されない外国人選手の事実上の特権は存在していたが、それは米球団との契約に当たっては日本球界の保有権は及ばないという運用で、従って阪神球団がフィルダー選手との再契約を望みながらも一年で米タイガースに油揚げを浚われるという事態も容認されてきた訳である。しかしながらここ十年位だろうか、日本国内においても当初の契約期間満了次第に自由契約との考え方が横行し、だからこそ本年の読売巨人軍の如くグライシンガーもラミレスも、クルーンも掠めていく様な、少なくとも戦力均衡を重視する立場からは由々しき事態が生ずるに至っている。確かに今更日本人選手並の統一契約書の厳格な運用は難しいだろうが、責めて来日五年程度は当初契約球団の効力が及び、金銭面での交渉が成立せず移籍に至らざるを得ない場合でもFAに準じた補償が受けられるといった、実績のない選手を発掘したスカウトの眼力、フロントの編成機能が正当に評価される制度を構築すべきではないだろうか。
 パウエル投手のケースは戦力外後の移籍であるから本質的には上記した事態には当て嵌まらないが、権限の一元強化されるコミッショナー事務局には是非早急に議論に着手して戴きたい。

1月27日(日) もっとひかりを  -育児 - パパ育児日記。-

d481.jpg 思えば公資が生まれる前後は安静或いは自宅近辺足止めを余儀なくされる妻に替わって、土日となれば祐旭とふたり東京近郊遊び場スポットを練り歩いたものである。その後公資の成長に伴い対抗意識が芽生えたのだろうか、祐旭の母恋し熱が再燃して父子行脚は停滞に陥ったが、再び情緒安定期に入りつつあり、かつそろそろ公資も中遠征の仲間入りをしても喜びを見出だし得る年配に達しつつあろうとの解釈に基づき、父と幼子二人にバージョンアップして再開されることとなった。
 子供の遊技場と言えば矢張り乗り物が定番だし、プラレール・フリークである公資の特性に鑑みてもまず電車系が俎上に登ろう。だからこそ昨年末、一家で長躯鉄道博物館をも訪れた訳だが、実は日帰り可能な範囲内の電車博物モノは二人で概ね制覇している。勿論、公資に取ってはどれもお初なのだし、子供は寧ろ繰り返し好きであり保守派の祐旭に頓にその傾向が強く見られることからも再訪するにしくはないのだが、そこは父の我が儘として多スポットを制覇して行く末は遊び場ミシュランでも物申したいとの野望を勘案すると、ネタが尽きない内は新規開拓を目指したい。そこで選定されたのが国立はひかりプラザなのだが、最早驚くべきマニアック振りだろう。
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運転台にて/へばり付く二人
 新幹線開発に携わった国鉄鉄道技術研究所(現・鉄道総研)に因み改称された国分寺市光町には市民施設ひかりプラザが設けられ、屋外には文字通りひかり号の実験用車両が鎮座している。幾ら何でも車両一台では退屈するかと思いきや、車内は改装されボタンで動作出来るNゲージのジオラマが用意されている上、運転台にも登れるし、椅子では持参した弁当も食べ放題。人が増えれば母屋にもジオラマが誂えてあって親同士が暗黙の内に分散を図ったりと、適度に鄙びているのが幸いしたか混雑もなく二人とも思いの外楽しんでいたのは瓢箪から駒だったろう。軒先に新旧リニア車体の並ぶ鉄道総研を門外から眺め、純然たる鉄道フリークでない父も大いに食指を動かされ、嗚呼昨年までに視察対象に選定しておけば良かったと悔やまれたが、後の祭で国立を後にした。

 スーパーヒーロータイムの後は女児の定番「プリキュア5」、更に墓場の鬼太郎が日曜朝の王道とされるが、プリキュアの後に気を抜くとチャンネルを捻るのを忘れ、吸い寄せられる様に「題名のない音楽会」に突入して仕舞う。昨年6月の羽田健太郎氏急逝後、空席となっていた司会者に4月より佐渡裕氏の就任が発表された。まず妥当な選択と思われるが、残念なのは何方と言えば進歩派に類する信条の持ち主と思われることだろう。
 と言うのも番組のカラーを築いた初代司会の黛敏郎氏は、時に「建国の日」といった思想性豊かな特集を提示し、しばしば左翼全盛期らしく日放労の横槍で放送中止に追い込まれる程に、自他ともに認める民族主義者に他ならず、同時に提供は今に至るまで恐らくその思想と共鳴する要素の大きかった出光興産という会社だからである。それ程に右傾化した国家へのアンチテーゼであるならば、それはそれで頼もしい限りだが。

1月24日(木) 善意の人  -ビジネス - 仕事の現場-

d480.jpg 会社には色々な仕事があるということはサラリーマンと自由業の塀の上を歩んできた様な私でも茫洋とは理解していた積もりだったが、いざ自らが渦中に投げ出されてみて深く頷かざるを得ないのは、例えば昨日の如く東京では二年振りとなる積雪あらば順延される様な、予想だにしない仕事も会社には存在するということである。
 幸いか不幸にしてかは論評を避けるが本日は快晴だったのでその職務は励行された。朝8時半から30分間、一心不乱に路上のゴミを拾う-もうお判りかも知れないが厳密に言えばこれは仕事ではない。従業員の自発的な奉仕の精神に基づくボランティアー行為の結実であるから、労働時間にも積算されない勘定になっている。ただ蛇の道は蛇ではないが、ボランタリーだけに委ねていたら必ずしもお掃除に見合う人員が恒常的に確保出来るとは限らない。とは言え下命により出席を強要すれば"自発"ではなくなるから、結果的に暗黙の了解というかお約束で庶務担当の部局が自ら率先して美しい奉仕の心を発露することになる。
 ただ地域社会への応分の貢献という大企業に共通する大義名分のみならず、企業としての政策判断はいざ知らず道路財源堅持を主張する者として、道路の維持・補修の一翼を担うべく清掃作業に精を出すのは理に叶っている、と中腰スタイルを続けたが故の鈍い腰の痛みとともに納得しておこう。

 春闘始まる。意図的に時宜を合わせていたのではなかろうが、旧来からガンバローの声囂しくなるのと期を一にして円高が進んだり株が急落したりと俄かに景気の先行き不安説が鎌首を擡げてくるのが慣わしになっていたが、今年も雲行きが怪しくなってきた。
 確かに労働分配率の低下に努めた成果として現在の日本企業の収益構造が成立しているのは事実だろう。が設備投資や外需に比して個人消費の回復の遅滞が嘆かれ続ける現況に鑑みれば、わが国成長戦略に給与するためにはイノベーションやらサービス業の生産性向上と同等に、嘗ての如く業界横並びで護送船団的なベアに収斂させるのでなく、業績芳しい企業は経済社会の一翼を担うとの矜持を発揮して意図的に大盤振る舞いする覚悟が、今年こそは必要ではなかろうか。

1月22日(火) 夢よもう一度  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 ねじれ国会の時の氏神として衆参両議長が開幕早々現世に舞い降りてきた。議会が膠着状態、或いは非常な混沌に見舞われた際に、議長が調停役を買って出るのは珍しいことではないし、議長の下に協議機関を設けて幕引きを図ると同時に将来の再浮上の芽を残した消費税の様な例もある。実際には機能していないが、現在の与野党相携えた年金協議機関構想はこの例に近いだろう。一方で細川内閣の政治改革=小選挙区制導入時の様に衆参の議決が分かれ、議長が斡旋に乗り出すケースもある。即ち今回はその再現を狙ったもので、議会が混乱に陥ってからでなく先手を打って行事がまわしを締めそうになっているところが目新しいと言えようが、感慨に捕われたのはその顔触れ故であった。
 河野洋平、江田五月の両氏はともに1970年代から80年代を小数政党の指導者として辛酸を嘗めつつ過ごし、81~82年には新自由クラブ・民主連合として統一会派を組み、小規模ながら保革連携を図ったこともある、言わば因縁の間柄に他ならない。が皮肉なことにあの政治改革の際、土井衆院議長の斡旋に基づき党首会談に臨み、斡旋案の中身そのものは見事に袖にして細川総理と仲良くペンで与野党合意にサインし合った当事者もまた河野議長その人なのである。よしんば議長案そのものが採択されずとも混乱が回避されれば議長としての務めは充分果たしたことになるのかも知れないが、現段階で特段の妙案がある訳もなく、両院正副議長が雁首を並べたことが与野党に国会運営の正常化を促すプレッシャーたり得るのか、そもそも審議時間が長期化しない=正しい議会運営のあり方という既成観念に依拠して議長が仲裁に入ることが本当に望ましいのか。議会の権威を貶めることないよう、今後とも大所高所に立った行動を是非お願いしたい。

d479.jpg 偽装粉飾の絶えない御時勢に、NEWS23をはじめマスコミ各位が鬼の首を取るが如くに糾弾に勤しむのは職責故やむを得ないのかも知れないが、古紙報道がここまで甚大になってくると、誤解を恐れずに述べれば些か違和感を禁じ得ない。
 勿論数値を偽り環境基準適応と、あまつさえ業界ぐるみと疑われても抗弁し難い状況の下に標榜していたことは、重大なる背信行為に他ならない。ただ古紙配合率が低かったとしてそれ故に尻を拭いたら肛門が切れて仕舞う様な事態が生ずる訳ではなく、業界側の言い分に則れば寧ろ適正に処理していら品質の低下、乃至はコスト増による価格転嫁を余儀なくされていたという論理になる。ならば制度そのものを改編すべきという議論は一方であろうが、そもそも殺人窃盗の如く本来的な悪と法制度上の違法行為には自ずと峻別がある様に、姉葉事件に典型的な人命に関わる恐れのある偽装とそうではないものと、世間の目も異なって然るべきではなかろうか。

1月21日(月) 鏡の国からキラキラ  -就職・お仕事 - お仕事-

 昼、労働組合の職場懇談会なるものに出席する。そもそも「職場」という用語自体が左傾色が漂い「放課後児童クラブ」同様に一般名詞化した類ではないかというのは流石に穿ち過ぎだろう。勿論、製造業の生産現場の如く、厳密な時間管理に基づく労働集約的職務環境における労働組合の意義を過小評価するものではない。ただそれを企業別組合という日本的労働慣行に厳密に則り所謂ホワイトカラー、それも裁量労働引いては闇に葬られたエクザンプション制に最も合致するであろう企画型職責部局にもまた一律に適用するとなると、如何とも越え難い悪平等の矛盾を感じざるを得ない。それでも従前まだ会社に居た際には持ち回りの非専従用ポストに充当され、形式上労働時間に勘定されない昼休みを費やした職場懇談会なる労使の意見交換会の末席を汚した記憶はあるのだが、四方や自らが使用者側の最末端としてこの会に参画する日が訪れるとは思わなかった。
 更に午後は部内各課からの来年度予算のヒアリングとは、官庁に比べれば時期的に随分と遅い気もするが、査定と言えば美しくも所詮積み上げて主計局に嘆願するホッチキス止め係り、良くて官房総務課の成れの果てに過ぎない。そして昼間同様こちらも、故春日一幸氏曰く「理屈は後から貨車で付いて来る」のと同様に、予算なぞ仕事の必要性さえあらば幾らでも湧いて出てくるものと安易に構え続てきた十数年がバックボーンであるから、まさか予算要求を受けかつそれを値切る側に座ろうとは青天の霹靂であった。思えば遠くへ来たものだ。長らく会社で惰眠を貪るわが身を歎くべきなのだろうが、或いは状況に身を委ね潮の流れを愉しんでみるのも一考かも知れない。

 日中が思い切り会社員であるにも拘わらず、夜は従来通りに赤坂六本木に繰り出し、関係者と飲んで歌って乱痴気騒ぎとは、二重人格になりそうである。ペースを掴むにはもう少し時の経過が必要だろう。メリハリある生活と呼べばこれも美しく響くが、果て従前はメリメリなのかハリハリだったのか。

1月20日(日) さよならの向こう側  -育児 - パパ育児日記。-

d478.jpg 仮面ライダー電王が遂に最終回を迎えた。江戸川乱歩の探偵小説の如くに、謎が幾重にも拡散していく間は鳩尾ワクワク感が広がっていくが、予定調和的に収束に向かう過程に入るに連れ、段々と先行きが読めてくると同時によくよく考えると辻褄の合わない部分もチラホラと目に付いてくるものだが、全部の謎が解明されたとは言わないものの、判り易いエンディングだったのではないか。前半戦こそ気が向いたらチャンネルを捻る程度だったがDVDで改めて一話から見直し、3クール目以降は一時期の大河ドラマ並に真剣に見入るのみならず日曜朝を心待ちにしていた程だったから、正直非常に寂しい。
 因みにこんな中途半端、かつ同じスーパーヒーロータイムの獣拳戦隊ゲキレンジャーとも微妙にズラしたタイミングに改編期が設定されているのは、一月や四月に切り替えると正月或いは学年が上がるのを機に特撮モノからも"卒業"して仕舞う機会損失を避けるための配慮で、新規の顧客獲得は雑誌メディアにおける事前露出パブリシティ戦術に委ね、寧ろ継続視聴を促す抱え込み重視の思想に基づいているかららしい。

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(左上)小田急にはまだ大き目の簡易遊具が (右上)京王屋上(06年)
(左下)伊勢丹は空間重視 (右下)都内百貨店最大の浅草松屋
 京王百貨店に赴いたら新宿では唯一残る屋上遊園が祐旭のお気に召さなかったらしく、伊勢丹へと百貨店巡りを余儀なくされた。こちらは更に遊具が縮小されブラスチック造りの小さな滑り台の類がひっそりと安置されていて公資にはぴったりだったが、何故か祐旭も妙に盛り上がっていてこと無きを得た。
 しかし驚いたのは、当然祐旭が生まれてからだから最大でもここ四年間の微々たる比較にも拘わらず、著しい玩具売り場スペースの縮小振りである。詰まるところは少子化社会の到来がここにも影響を及ぼしているのだろうが、最早百貨店で買い物をする親の余録に子供が預かるという消費者パターンは壊滅しつつあるのだろうか。現に街のおもちゃ屋さんで買った方が安いのは事実だし、ボーネルントの類の海外ブランド玩具ばかりが目に付くことから類推すれば、中元歳暮における包装紙の価値同様に、新生児或いは七五三といった贈答品の発送元としてのみデパートメントの玩具売場は存在価値を残し、則ち"百貨"を扱う、ハレの日に訪れるべき場所としての自覚を放棄したということか。

1月19日(土) 南夕子に会いたい  -学問・文化・芸術 - 神社・神道-

d473.jpg 「お正月といえば 炬燵を囲んで お雑煮を食べながら 歌留多をしてた」というのははっぴいえんどの「春よ来い」の冒頭部分であるが、古式ゆかしいわが国の新年の迎え方をよく表している。しかし現代核家族のお正月においてはカルタや双六、或いは福笑いを実戦する機会はあっても、凧揚げとなると気合いを入れて大公園まで赴かなければならないし、父ですらベーゴマ程度しか回せないから推して知るべしである。従って今般、幼稚園において餅搗き大会が開催されるのは、祐旭に取って古き良きお正月を体感する非常に貴重な機会であったろう。
 それは幼少時から身を以って伝統行事に触れさせることでわが国の文化と伝統の継承を図るのが本旨、と述べると如何にも"右曲がりのダンディー"たる父に固有の拡大解釈に映るが、当該幼稚園は日露戦役記念碑も聳える神社が経営母体なので決して著しい誇張ではない。その証拠に〆は三々七拍子というのも伝統的日本たる演出の一貫だろうし、餅を搗く前には絵馬に願いまで一筆啓上させるのである。或いは公的に「初詣」と名打つと宗教色を帯びた行事として大嘗祭の如く物議を醸すのを避けるという高邁な配慮かも知れないが、父との触れ合いと伝統の自然なる承継を両立させる試みはこの上なく多としたい。同時に事前準備並びに園児の搗いた後に完成まで一心不乱に杵を振り続けた父兄の方々も、決して"餅は餅屋"ではなかったろうから、心から敬意を表したい。
 絵馬の願い事「わがくにねへいわとあんぜん」は異彩を放っていただろうか。妻は一寸不満顔だったが、それは政府転覆を狙うアナーキストだからではなく、「字が旨く書けますように」といった祐旭自身の願いというよりは、父の色が余りに濃過ぎたからだろう。

1月18日(金) You're King of King  -アイドル・芸能 - 芸能一般-

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旅順港を臨む二〇三高地にて(07/8)
 企業には時々思いも寄らぬ人がやって来ることがある。例えばそれはオリンピック・メダリストの凱旋御礼もあれば、著名人の講演という形を採ることもある。大概の場合、イベント開催の必要に迫られた担当部局が苦心惨憺実施に漕ぎ付けたものだったり、果た又当該人物と企業との何等かの連関に基づき特段の合理性なく誂えられた場当たり的産物に過ぎないから、一目見ゆだけでも大衆の欲望を満たす様な旬にある人物か、余程話が旨くて純粋に楽しめるのでなければパスして一向に差し支えない。しかしながら本日到来された御仁はラジオで培われた話術の巧みさのみならず、ふんだんに唄まで披露されたというのだから、後からそのスケジュールを知った身の上としては少しばかりだが残念であった。
 何しろ昨夏、大陸を訪れて痛感したのは中華人民共和国における谷村新司氏の存在感の大きさであった。バンド演奏の入るクラブの類で日本人の一団が訪れると本邦楽曲が演奏されるというのはよくある光景で、「さくらさくら」や「上を向いて歩こう」が定番だろうが、かの国では圧倒的に「昴」である。例えば国連平和大使の類でスポーツ・芸術分野に秀でた人物が民間外交の一翼を担う例は少なくないし、自国文化の海外敷衍乃至は国家のブランド・イメージ確立という観点からも有用であろう。ただ谷村氏のステータスは既にそれ等を超え、政治任用職の域に達している様に見受けられる。それは御本人の山っ気故の部分もあろうが、もてなし上手な中華の国の思惑に依るところも当然あろう。勿論、講演でその一端が垣間見られたとは思えないが、これまで以上に社会から隔離された境遇に置かれる以上、情報にはよりアンテナを研ぎ棲ませていなければならないという教訓か。

 ガソリン国会開幕、の見出しだけ読むと田中彰治が飛び出すか、譲って楢崎弥之助かと恐れ入るが、まさに火に油になるか泡の如く揮発するかは誰にも判らない。ただ恰も通年国会の様相を呈しながらも、会期を違えて参院議員各位は恐らくは大きな心境の変化に見舞まれたのではないか。即ち与野党逆転から半年を経て遂に議席指定もまた与野党が立場を替えたからである。
 しかし恥ずかしながら参議院の議席配置が伝統的なLeft-Right Wing構造になく、最大会派が中央から左翼に、次いで右舷、左舷と振り子状に描かれているとは把握していなかった。ただ移動の経路のみに着目すれば、自由民主党・無所属の会は左から右に、第一会派の民主党・新緑風会・国民新・日本は右から左へと、如何にも"ねじれ"の呼び声に相応しい左右入り乱れ振りである。戦後間もなくの最大会派が党派性の薄い「緑風会」だったことに起因する慣例かも知れないが、これも院の独自性のひとつを構成しているのだろう。
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