コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月31日(祝) Welcome To Shin-kan-sen  -趣味・実用 - 鉄道-

d448.jpg 行きも帰りも新幹線話しで恐縮だが、帰路は当初予定通り新型N700系の試乗を兼ねた。一見して明白なのは電光掲示板も座席標示も従来比では常軌を逸した程に大きくなっことだが、そもそも車両そのものが拡大する訳もないから、人間工学で多少なりとも座席のフィット感が増していたりはするのだろうが、体感として顕著な違いは見受けられない。寧ろ大きく変貌したのは昨今の特急等に倣ったか、緩い曲導線のフォルムを持つ水周りスペースは、多目的室やオムツ換えも出来るビッグトイレがあったり、便座も自ら上がって至れり尽くせりである。
d452.jpg 自動車もそうだが電車客車も単なる移動手段から、居住性や美観も含めたトータル・サービス業として如何に成熟していくかの過程に入ったということであり、全面禁煙と喫煙スペースの設置も、幾分なりとも座席数を犠牲にしなければならないのだから、その延長線上に位置するものだろう。勿論、車体傾斜により東海道区間での最高速度270km運転区間を増やすことがN700系の大きな眼目であるのは事実だが、スピードの代名詞である新幹線においてもまた"接遇"概念の例外ではなくなったということだろう。それは新型車が新しいナンバーを与えられず700系の改良に留まったことからも伺われるのではないか。英訳の独特のアクセント"Shin-kan-sen"(kaとseが下がる)が変わらないのは幸いであった。

 大晦日と言えば今年も紅白歌合戦だが、今年のヒット曲を年の瀬に初めて知る段階を越え、単に12チャンネルでゴールデンに日常放映している様な懐メロ番組の豪華版に過ぎなくなってきた。しかし若手の幾人かで最初から最期まで四分の一音位外しているケースが見られた。モニターの調子が悪かったのだろうか。

12月30日(日) 自由への戦い  -旅行 - 鉄道旅行-

d447.jpg 師走の人込みのなか親の家を訪ねることとなり、既に日程を固めた時点で指定は満席だったので四人でグリーン二席という、豪奢なのか貧乏臭いのか微妙な行路を抑えてあったが何たる不覚、中野での中央線の乗り換えに手間取り、タッチの差で乗り遅れて仕舞った。こうなれば自由席の確保に走る他ないが、さてここからが腕の見せ所である。
 東京駅の特性として全ての新幹線は始発であるから最大限一時間も待てば座れるのは間違いない。ただその中でも乳幼児連れの一行としては如何にロスタイムを短縮するかで子供達のテンションが大いに影響される。極意の第一は余りにも当たり前だが、飛行機に比べ新幹線に圧倒的な優越性のある東海道区間はJR東海のドル箱であり本数も多いから、この区間の搭乗であれば迷わず新大阪行きを選択しなければならない。判断に迷うのはのぞみに比べ名古屋まで20数分のタイムラグと引き換えに自由席号車が二両増えるひかりに的を絞るか否かだが、ここで気を付けなければならないのは列が短いからといってひかりの4/5号車に並ぶと一本見送った次列車がのぞみで臍を噛む事態が危惧されることだろう。こと程左様に重要なのは当該入線車のみならず一本先まで考慮に入れて、どのホームに登るかのベティングに挑むことで、迂闊に列に付いて座席を得られず次が回送だったら目も当てられない。従って、安易に順繰りに先発から抑えるのでなく、当該ホームの次車までも見据え30分内外先の発車列の、更に言えば最果ての1号車とのイメージを持って、3本6線から瞬時に判断する決断力が求められる訳だが、こうしたからくりを必ずしも掌握している人が少ないからこそ、コツを覚えれば自由でも充分対応出来るということなのだろう。
 幸い我々の並んだ新大阪行ひかりの19番線にはほぼ同時刻に名古屋に到着するのぞみが20分後に控えているというベストの選択で、どうやら先発の他のホーム上にあぶれたのだろう、あっという間に増大した後続の列を尻目に勇躍ひかりの三席を確保し車上の人となった。今では滅多に役に立たないが、幼少時に散々新横浜駅で自由を見送った経験の為せる技だろう。

 東山紀之氏ナビゲーターの深夜番組「ZONE」は野球ネタが多いが、今日はオフの定番で半ば番組枠から独立した様な「戦力外通告」であった。要はクビになった選手本人と家族に密着したドキュメントなのだが、果たしてこの手の取材対象の人選は如何に行うのだろう。容易に理解出来るのはFA移籍しても可笑しくない実績を有しながら高年俸故にロッテを解雇された左投手の藤田で合同トライアウトに参加するまでもなく巨人入りが決まったが、こうした"幸福なケース"をひとり抑えておくのは必須だろう。一方で全員目出度く再就職してもドラマ性に欠けるから当落線上、かつ物心付いて「お父さん頑張って」のひとつでも投げ掛ける子供がいなければ絵になり難いし、出来ればひとり位は巨人か阪神の、世人の記憶にまだ新しい選手を含んでおきたいが、選手側の了解もあるから必ずしも思い通りに運ぶとは限らなかろう。
 結果的にトライアウトで好成績だった前西武の柴田外野手に引く手なく、前巨人の三浦外野手に暮れも押し迫って吉報が届くと明暗を分け、TV的には理想的な展開となったが、果たしてディレクターの制作意図としては柴田選手が笑い、三浦選手が新たな人生に旅立つとの見通しではなかったか。そう思わせる幾分強引な幕切れだった。NHKの様に豊富な予算と時間のない民放の絵作りとは良くも悪くもそんなものなのだろう。

12月28日(金) さらば宝石

d442.jpg 月末や年度末を特段の区切りとしない仕事柄なので、年末もまだ会社に居た頃から多忙とは程遠く、カレンダー配りを終えると夜の忘年会以外は開店休業で、会議室に篭って年賀状を仕上げる様な日々だった。だから製造業一般の最終日に出社するなど毛頭想像するだに及ばず寧ろ休まない方が稀で、それは出向後も何等変わらなかったが、敢えて本年党本部に赴いてみたのは三年間の政党職員生活の文字通りの最終日だったからに他ならない。
 五階の片隅にあるこの部屋に初めて足を踏み入れたのは今から七年前になる。それから四年は周辺居住者として関わっていたし、現に明年からもそのポジションに戻るだけに過ぎないのだが、日常生活における精神及び肉体的な重圧、物理的な拘束の過小に留まらず、日本全土への視察の旅やら月曜の棒振りやら-と言うと丸で遊興生活に映りかねないので自らとまた組織の矜持のために付言すると、議員と行う勉強会とこれに伴うレポート作成も政策立案の末端に寄与するという意味で張り合いもあるが、何よりも比較的利害得失の競合し得ない九業種九社の同じ立ち位置の者同士による究極の異業種交流の日々は、充分に刺激的な毎日であった。
 失ってみて初めて判るその有難みという事例は多かろうが、失う前から残りの日々を指折り数えて誰もがその来し方を振り返るのは如何に黄金の日々だったのかの証左であろう。流石に三年も居れば刺激も薄れ、そろそろ玉手箱を担いで元の世界に帰らねばとの思いにも駆られてくるが、それでも年が開け三年間黙って開いていたドアをノックする時に、また感慨も湧いてくるのだろう。さようなら、また会いましょう、と最期は人の台詞を借りてお別れです。

 小学生半ばの頃、一斉を風靡したコロコロコミックはまだドラえもんブームが起きる前の第一号から読んでいたから、早撃ちが全てのゲームセンターあらしや同じく早書きが全ての受験漫画とどろけ一番など、今も記憶に焼き付いている。その復刻版を衝動的に読んでみたが、改めて不思議に思うのは、凡ゆる漫画関係誌に共通する漫画家に対する徹底した「先生」呼称である。例えばそれはアマチュア時代の入選作を振り返るといったコーナーで、長じて著名なアニメーターとして名を馳せたと思われる人物であっても、漫画家でなければ「さん」表記として一線を画す程に一貫している。文壇誌の類を手に取ったことがないから正確には比較できないが例えば作家や画家であっても、本来は内輪である筈の編集者にここまで対外的に祭り上げられるものなのだろうか。何となく、開業医の地位が非常に低かった戦後間もない頃の武見太郎日本医師会会長の涙ぐましい努力と、その結果半ば行き過ぎた特権の獲得を想起せざるを得ない。
 漫画自体は今更読み返してみるとそんなものかなの感だった。思い出は記憶の中に輝かしく留めておいた方がいいものもある。

12月27日(木) 遥かなる鉄路  -趣味・実用 - 鉄道-

d439.jpg 10月の開館から二月を経て念願叶って遂に参上したのは、世界最大級の呼び名も高き鉄道博物館であった。旧万世橋駅のエピソードとともに語られ続け惜しまれつつ閉館した交通博物館の後継として鳴り物入りのスタートだったが、平日とはいえ学校も休暇に入った年末のこの時期にしては思ったより人が溢れていないのは場所柄か。難航した東北・上越両新幹線建設の代償として住民に与えられた、新幹線路線に付設された新交通システムがアクセス路線となるが、大宮駅での乗り換えが在来線からだと新幹線コンコースを挟むため非常に遠く、一方大宮から徒歩で向かうコアな来客用に途上には鉄道関係の構造物が設けられている様だが、子供の足では走破が難しく、JRが自ら経営するのならニューシャトルもお召し列車仕様にするなどより一層のエンターテイメント性が求められるところだろう。
 それでも旧館同様に運転シュミレーターは非常に混み合い、長蛇の列が形勢されている。残念だったのはジオラマまでも時間制で並ばなければ走行シーンを観察することが能はなくなり、予想通り立派になった分、嘗ての迷路の様なキッチュさとともに自由度が失われていることだろう。また昼食を採るのもひと苦労だったが、幾つかの列車は飲食用にも開放されており、事前に弁当の類を用意していくのが得策だろう。
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マニアックにディーゼル機関車と記念撮影/
パスはこのあと紛失しました(祐旭)
 もっとも再現された転車台に蒸気機関車を中核に所狭しと各種機関車、客車が並ぶ一階ホールは壮観であり、決して電車フリークでなく路線を中核とした都市変遷派の私に取っても、旧館を知る祐旭、更には昨今無類のプラレールおたく振りを発揮して独り黙々とレールを組んでいる公資にも目を見張るものだったに違いない。一家全員を襲った風邪の完治せぬままに強行した旅だったためマスク姿の妻に加え、眠るタイミングを失った公資は遊び続けたい思いと猛烈な睡魔の狭間で興奮の余り号泣し、お召し列車をはじめ旧館で邂逅した記憶のある展示物もその蘊蓄を確認しつつ鑑賞する余裕に全く欠けた。次回は開館までに時間が足りなかった訳でもなかろうが、未だ「調整中」の札付きだったり、ボタンはあれども「動きません」表示の多かった二階所蔵物の整理改修の進んだ頃に再び訪れてみたい。
 ところで万世橋にあったのは交通博物館で大宮は鉄道である。旧館は船や飛行機をも従え、我田引鉄が公共交通の主役だった古き良き時代の面影を引きずっていたということかも知れないが、不可解なのは帆船こそ一部展示が残ってはいるものの、はてあの巨大な飛行機の輪切りは何処に消えたのかである。一説によると全国巡業に出るための待機とは余りに不憫である。責めて所沢の航空博物館にでも移管しては如何だろうか。関係者がおられたら一考をお願いしたい。

12月26日(水) サンタが沢山やってくる  -テレビ・ラジオ - 仮面ライダー電王-

d438.jpg サンタクロースを何時頃まで信じていたかという明確な記憶はないが、物心付いてからもなおイヴには枕元に靴下を用意して眠りに就いていたから、その虚構に目を開かされたのは比較的遅かったものと思われる。ただ自らの体験は好むと好まざるに拘わらず次世代に影響を及ぼすもので、特段の意義を知覚しなくとも何となく子供にもサンタ幻想を信じさせておきたいという意志が働く様で、過去二年は父がわざわざサンタの装束に身を包み、ベランダから大黒様よろしく袋を抱えて現れプレゼントを渡して去っていくという粋な演出を試みたが、二歳だった時分こそ感激が祐旭の両眼に溢れていたが、流石に昨年は「コレハオトウサンデハナイノカ」との疑念が全身に漲らんばかりだった。
d443.jpg だから今年はオーソドックスに、朝目覚めたら枕元にのパターンに落ち着いたが、事前に再三「サンタさんに何を頼むか」を確認し過ぎたおかげか、いざ昨朝異物に気付いて開封すると、確かに喜んでいるには違いないが、幾分腑に落ちない顔付きである。しかも直後に一家相携えて又もや街の診療所を訪れると、早速友人の母を認め「お願いしたのがひとつしか届かなかった。光るパジャマシリーズだけ届いちゃった」と訴え掛けるとは、実に直裁な反応である。とはいえその場はそれで治まったが、会食から帰る途上で眠りに就き夜半目覚めると矢庭に「仮面ライダー電王光るパジャマ」を着用したいとの要請である。しかし既に電王の光らない着包みパジャマを愛用していたから初動で出遅れ、繁雑に放映されていたTVCMを見かけなくなったと気付いた折りには既に品薄で、わざわざオークションで落札して入手したにも拘わらず、あにはからんや光らない。ビニール栽培の如く事前の光射量が足りなかったのか、在庫の間に塗料が剥げ落ちたか、そもそも不良品だったのか、真相は全く定かではないが何れであったとしても祐旭が納得する筈もない。
 結局"もうひとつのオーダー"であった電王グッズのひとつデンガッシャーをサンタに成り代わって購入する羽目に陥った。電王ベルト、ケータロスに続き番組が終盤を迎える今に至って漸く基本4フォームへの変身が叶ったことになるが、4つの部品を組み合わせて剣、釣竿、斧、銃に早変わりする構成が非常に秀逸なだけに、変身の黒子役たる父は素早く変型合体に対応しなければならない。しかし不可思議だったのはガンパーツ(写真最右)が更に二つに分解されることで、何等か追加の展開が考慮されていたのだろうか。電王の謎は尽きないが、サンタの謎は更にまた一歩解明に近付いて仕舞った様で、来年は祐旭も一緒に公資を欺くサイドに転じているかも知れない。
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上空から見た岩国基地新滑走路

 唐突に辞職を表明した岩国市長には何等かの成算があると考えるのが普通だろう。しかし艦載機の移転が覆るとは幾ら楽天家てあっても夢想出来ないだろうし、確かに米軍関係者が増えることは地域社会に望ましいとは言い難い影響を与える恐れはあろうが、一方で補助金等による国からの追加的な"思いやり"を見込むまでもなく純経済的にはブラスであろう。だから例えば岩国基地の軍民供用化への端緒を導き出すといった駆け引きの材料として、国との対立構図という姿勢を採るというのなら理解出来るが、それにしては強硬過ぎる。市民が支持するのだから仕方ないと突き放せばそれまでだが、赤いアジテータに惑わされているとすれば彼等こそ不幸であろう。

12月25日(火) 天空大作戦  -テレビ・ラジオ - 特撮ヒーロー-

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 六本木ヒルズでウルトラマン大博覧会を開催するという発想を誰が思い付いたのだろう。大規模な公園も付設され子連れ客にも適すると風評のある東京ミッドタウンに対抗し若年需要開拓の一貫という深謀遠慮が秘められているにしては今ひとつPRに欠ける感があったが、実際にはこのために新たに作成されたウルトラ警備隊基地のジオラマといった気合いの入った展示など資料性に富み子育て世代の親層を主たるターゲットにしたいとの思惑が垣間見える。
 ただ昔を懐かしんでというにはマンとセブンでは些か年配向けに過ぎるし、よく見ると「シリーズ誕生40周年を迎えた2006年夏より全国各地で大好評を博した展覧会の集大成」と名打たれており、そう言われれば岡本太郎美術館で邂逅した逸品に再開した様な気もしてくる。逆に唯一写真撮影可能な冒頭の怪獣ゾーンと最期の大怪獣バトルの放映は明らかに現代っ子向けだし、土産コーナーには通常のソフビも配備され、祐旭は昨今すっかり玩具店からもスペースを奪われつつあるウルトラ一族が久々に勢揃いする中、「これ持ってない」と数少ない未所有のコスモスを眼光鋭く抽出していたが、肝心の会場限定モノは矢鱈と高額で安易なマニアでは到底手が出ない。思いの外楽しめはしたが、こと程然様にニコンセプトのはっきりしないイベントではなかったか。これも新生円谷の試行錯誤のひとつということか。

d437.jpg ところで何故にわざわざ好き好んでクリスマスに六本木まで足を運んだかというとハイソな家庭だからでは当然なく、これも昨年に続き全日空ホテルのクーポン券を頂戴したものの、ANAインターコンチに更衣して民族色が薄れたがために少子化対策への配慮が覚束なくなったか、或いはミキハウスとの提携が絶たれたのか、昨年利用した玩具付き一泊プランが消滅し、責めて夕食だけでもと有効活用を図ったからに他ならない。いきなり祐旭が水を自らにぶっ掛けて母のセーター姿で会食に臨むというハプニングこそあれ、クリスマスらしさは醸し出されたのではないか。生粋の仏教徒であり、かつ幼稚園は神社の経営なのだが。

12月23日(祝) 今年もサンタ  -育児 - パパ育児日記。-

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トナカイ役は祐旭友人の友情出演
(プライバシー保護のため
メビウスに変身して貰いました)
 恒例の於児童館クリスマス会は昨年に続き父子サンタを務める。初めは喜々として菓子を配ってスター気取りだった祐旭も、皆が袋を開け始めるに連れ飽きてきて、衣装を脱ぎ捨て貰う側に早変わりしていた。しかし子供のみならずカメラを抱えた親御さんにも撮影をせがまれると、私は慰問に訪れた著名人だったかと錯覚しそうになる。
 楽屋では度々その衣装は自前かと尋ねられたが、需要が多いのだろう見栄えの割に安価だし、そもそも父が扮してわが家のベランダから闖入し、祐旭にサンタの実在を信じ込ませるための小道具の流用に過ぎない。しかし齢4つになった祐旭の眼前に今更父がサンタだと強弁して登場しても詮ないから広く万般のサンタと化したのであり、このためにわざわざ顔を白塗りしたり、更にはロバート・デ・ニーロよろしくわざわざサンタの体型に合わせるために増量したというのならそれは称賛されて然るべきだが、単なる天然の中年太りに過ぎず、殊更に労を労われると恐縮して仕舞う。
d432.jpg なおトナカイ役で出演予定だった公資は昼寝が長引き急遽降板の憂き目に見舞われた。年に一度しかないこの日に「天皇陛下 万歳」を披露しそびれたのは本人も不覚の極みだったろう。

 薬害肝炎問題は一転全員一律救済と裁断された。その是非判断以前に結果としてそこに至るのなれば世論に押されてやむを得ずという印象を与えるよりは先手を打って"決断"するのが望ましかったろうし、「これが政治決断です」と大見栄を切らされた舛添厚労相が些か不憫に感じられる。
 しかしながら根源的に疑問が残るのは、行政が範を越えられないからと言ってその責を立法府に負わせるという方便ではなかろうか。従前にも繁雑かつ時間を擁する審議会諮問、答申の手続きを省くために便宜的に議員立法が用いられた本末転倒の事例はあったが、議院内閣制下における議員立法とは野党提出、或いは脳死移植の如く党派性に馴染まない案件に必然的に限定される筈で、大統領制下の如くに政府が議会に立法をお願いする謂れはない。勿論、危急性に鑑み制度上の便法を用いざるを得なかったという事情は理解出来るが、少なくとも「政治決断」との印象とは隔てられた感がある。

12月22日(土) さらばPDA  -コンピュータ - 周辺機器-

d434.jpg PDAが個人スケジュール管理のスタンダードを獲得出来なかったのは一重にクレドールという有線経由の情報共有だったが為にランニングコストを発生し得ない、即ち携帯電話の如く通信費での回収を前提に端末を極限まで低価格にして初期コストを下げるというビジネスモデルを成立し得なかったからだろう。勿論、ことここに至ってウィルコムの如くに携帯端末の側からPCとの融合を期する動きも生じているとはいえ、単体のPDAというカテゴリーは概ねわが国からは抹殺されたと言っていい。
 それでもわざわざソニーの簡易キーボード付設機を導入し、会社の部内スケジュール管理も公的には利便性という響きの良い理屈のもとに、その実PDA利用者が結託してシンクロ可能なソフトに留めおいて以来、出向し単品管理になっても性懲りもなく凡そ5年に亘って愛用者であり続けた。ある時は中国男の「次回練習までの留意点」作成のためオフィスでのmp3再生機として、ある時は街の音を拾うデンスケ替わりとして、ヤタラと時間の掛かるexcellファイル読み機として、無理に多彩な活躍を試み、一度は修理にまで出して延命を謀ったにも拘わらず、遂に出向先のPCが丸坊主と化したのを機に、時は流れ独自ソフトの採用で連動不能となった会社への復帰を前にお役御免を迎えることとなった。
 おかげでこの三ヶ月余りはPC上のoutlookのみに記載し、日常活動は手元不如意の状態が続いていたが、それは著しく卓越した記憶力に担保されているからではなく、単に予定が少なくかつ日程が完全に自己のコントロール化にあった状況を示していよう。ただ流石に社会人、ではなく会社勤めに復してなお不見転では心許なく、辿り着いたのはいきなりアナクロな手帳であった。とはいえ新し物好きとしては些か寂しいし、考えてみれば最近メモ書きに、或いは当コラムの執筆にと健闘している極端に電池の減りの速い携帯端末を、こちらも流用すればと、現に今認めながら閃いた。当面デジアナ併用で使い勝手を試してみようか。

 BSで三時間半に及ぶ「懐かしのフォーク・ロック特集」を見る。この手の番組を好んで視聴している時点で年寄り臭さは否めないが、「日本人、なかんづく我々の世代も年を経れば演歌を聞く様になるのか」という命題は、表層的には否であるが、嘗ての歌謡曲の王道が当代の耳に沿えば演歌に近く、言わば演歌というカテゴリーが狭義の演歌のみならず歌謡曲の一部も包含したという、判り難い喩えだが左翼の絶対量の減少に伴い最右派であった田英夫が何時の間にか左派にカウントされていた様な現象を踏まえれば、我々もまた演歌を聞く様になったとも言える。
 しかしそんな形而的な批評はさておき、最も感銘を受けたのは「恋に落ちて」の小林明子が人はかく変われるものかという程に痩せ、頬の膨らみが著しく消滅したためか声の張りも変貌していたことである。一字違いで、同じく一発屋で、たただでさえ間違えられ易い「あなた」の小坂明子と、ダイエット成功まで同じ道を歩んで仕舞うとは、矢張りネーミングは言霊ということか。

12月21日(金) 三歩進んで二歩下がる  -スポーツ - ゴルフ-

d430.jpg 今年の、そして三年間のゴルファー生活(?)を締め括るのは名門中の名門、程ヶ谷カントリークラブである。余りにも華麗な顔触れの並ぶメンバーズボード、美しく整備された速いグリーン、慇懃無礼を絵に描いた様なフロントと名門らしさが辺り一面に漂う佇まいの中、こういう日に限って生まれて初めて靴を忘れる大失態。貸し靴はありませんと冷たく突き放され、キャディーマスター氏の「お薦めは出来ませんが」との言に辛くも救われ運動靴のまま臨んだがスコアには何の変動もなく、所詮私の技量ではそんなものなのかも知れないが、平素からの両足の踏ん張り不足が疑われた。
 しかしティーショットとFWが一定の復調を見せ、前半in13番では第三打残り110yを綺麗にパーオン、18番では寄せワンとロングをともにパーで上がる快挙を為し遂げながら57とは勿体ないお化けに襲われそうである。それだけアプローチとパットがメロメロだった訳で、後半は平凡にダボペースでトータル111という数字はいざ知らず、プレーそのものには一定の評価を与えられる内容だったのではなかろうか。
平均
0310115.9
04 9119.7
0319116.2
0314116.1
0323115.2
 しかし長の記録を振り返ると最も驚くべきは本年の頓に過剰なラウンド数、ではなく平均スコアの歩みであろう。この三年で恰も定年後の老境の如くにゴルフに精を出してきたにも拘わらず、確かに二度の二桁こそあれ押しなべればまさに原油価格もかくありたき程の安定インフレ振りである。何しろ5年を経て0.8の進歩に過ぎないとは、百前後に安定する頃には本当に定年間近であり、超高齢化が進展し70歳現役社会になってやっとボギーペース、米寿の前にはエイジシュートとは気の長い話しである。しかしその段でいけば白寿の頃にはシニアプロデビューだし、ラウンド数とスコアの相関関係が立証されなかったということは、明年以降も練習さえ真面目にこなせば悲観することはない算段になる。捕らぬ狸はさておき引き続き精進しませう。

12月20日(木) 萬流発掘塾  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

d429.jpg 予算原案が発表されたが新規国債発行額こそ昨年度比減とはいえ5年振りのプライマリー・バランス悪化は消費税アップを前に不可避な歳出増を印象付けるという意味では逆説的に財政再建派の思惑通りとも言えるし、格差、地方への配慮を裏付ける与党のアピール材料とも、些か色眼鏡ではあるが読むことは出来る。
 ただこれを見る限り埋蔵金は見付からなかった様である、というのは悪趣味に過ぎる物言いで、昨今の論争の最中に財融特会からの10兆円が登場し、スワ埋蔵金発掘かと話題にはなったが、勿論これを焼石に水等と揶揄する謂れはないし、塵も積もればの精神は肝要ではあるものの、毎年20数兆円の新規国債が発行されていく中で、フローでなくストック、即ち一過性の10兆円に如何ばかりの効用が認められるかと問われれば、国有財産をどれだけ売り捲れるかと同様に答弁に苦しむ。確かに独法、特会改革や人件費減の類で飽くなき努力を重ねるのは当然としても、必要な事業や公務員の意欲を奪っては逆効果だから自ずと限度はあるし、それを埋蔵金と見做すかは一重に感覚の問題に過ぎない。
 詰まるところ上げ潮引き潮論争と同じで、国民に淡い期待を与えぬべく埋蔵金はないと言い切って仕舞うのみならず、常に埋蔵金を発掘すべく鵜の目鷹の目で臨む姿勢を忘れるべきでないという精神規程に最大の意義があるのではないか。かのゴールドラッシュ期においても一攫千金を夢見た大方の採掘者が得たのは僅かな砂金に過ぎないのだから。

 予算は干潮でも期せずして経団連の春闘指針は家計重視イコール賃上げ容認とは随分と潮目が異なるものである。背景には設備、雇用、債務の三つの過剰に懲りて、只管その解消に努めて労働分配率の上昇を躊躇し続けてきた企業側も重い腰を上げざるを得ぬ程に収益が回復したという実状もあろうが、格差や地方の疲弊といった諸課題の元凶と糾弾される場面の増えた大企業群側からの世論へのひとつの回答との側面も有していよう。
 ただパイ全体が増えたとしても業界横並びから所謂勝ち組負け組によって賃上げ額が寧ろ拡散する方向性が推奨されるならば格差は寧ろ拡大することになるし、元より高齢者の再雇用が半ば義務付けられる状況の中では自ずと分配対象は既被用者中心となり、学卒時に正規雇用にありつけるか否かが若年者の運命を左右する環境構造そのものに根源的な変化は訪れない。そもそも大企業の社会的責任とは、国家の雇用政策の一翼を如何なる水準まで明示的に担わなければならないのかという命題に解を見出だすのは経団連の為せる範を超えているのかも知れないが。
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