コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月29日(土)-30(日) 膨らむ顔  -地域情報 - 名古屋・愛知-

d330.jpg お盆前後の中華外遊をはじめ八月に行事が重なったため先送りされてきた夏の名古屋行がこの時期迄ズレ込んで挙行される。俄かに季節は秋めいても行動パターンには大差なく老父母との会食と墓参だが、言う迄もなく二人の孫の顔見世興行に他ならない。
 JR東海の巨大駅ビルに続き道を挟んで旧豊田ビル・毎日ビルの再開発が完了し人の流れが名古屋駅中心にシフトしつつあると言われる名古屋圏だが、ふと路上を見渡すとここでも歩道拡張工事が盛んな様である。違法駐車撲滅の結果最左レーンの存在意義が再検討され、車両走行に必須でない部位は歩道に割譲したというストーリーなら美しいし、高円寺のわが家周辺の如く電線共同溝構築の一環というケースもあろう。しかし全国的に公共事業予算、中でも地方負担分の捻出に四苦八苦している状況の中、流石に「道路こそ 名古屋の顔です 心です」との標語が至るところに誇らし気に貼付けてある愛知県ならではの光景とも言える。これで地下街ばかりが発達して地表から人の姿が消えて久しい名古屋の'街路'の復興に少しでも繋がれば僥倖であろう。

d331.jpg 往路、東京駅の新幹線ホームに久々に穴子寿司を発見す。駅弁の類は殆どが内容盛り沢山であるが故に単品大量主義の私には猫に小判状態で困惑する事態が多々発生するのだが、崎陽軒の焼売は周囲への独特に芳香の排出が気になるし、稲荷は三個セットしかないので殆ど唯一の選択肢が穴子になる。東京駅構内も東海道新幹線改札に入る前の領域は東日本なので矢鱈と酢飯ばかり多い安価な押し寿司が所狭しと並べられており、白飯ばかり口に運んでいる様で昨今は敬遠気味だが、JR東海キオスク物は垂れこそ少なくとも賞味に値する内容であった。継続販売に期待したい。

9月28日(金) 踊るアセトアルデヒド  -グルメ - お酒全般-

d329.jpg 久々に昼間からワインを空けるという優雅な蛮行に及んだが、何故昼の酒は回るかと言うと、アルコール分解酵素が夕方にならないと体内に排出されないから、或いは昼食後も日常活動が続くのでアルコール分解に必要な血液が肝臓に回らないから等諸説あるらしい。しかし間違いなく言えることは非常に眠くなることである。これは夜の酒は他者との会話に伴うのが殆どであるのに対し、昼間は逆に人と接しそうにない怠惰な時の経過が予想さるる際に飲酒に及ぶからだろうか。
 危惧すべくはこのところまた嘔吐に及ぶ頻度が高まってきたことである。従前は頭脳が酩酊する前に気持ち悪さに襲われる、それを以て酒に弱いと定義してきたが、同時並行に訪れる様に進化、或いは退行し果たして肝臓が鍛えられ許容量が増加したのか、単にピッチが上がったのか不文明な状態を経て、このところ脳内は覚醒したまま全く酔いの実感がないにも拘わらず唐突に猛烈な嘔吐意欲が込み上げるという現象が表れてきた。一見すると元に戻った様だが、嘗てはそろそろ気持ち悪くなるだろうとの判断の下に自発的に吐いていたのが、今は気付いた時には込み上げる想いを抑え切れない、まで堕すことは流石にないが、衝き動かされる様に便器に向かい、かつ吐くのも段スムースでなくなってきた。そろそろ強い自戒が必要か。

 日本政策投資銀行の次期総裁に室伏前伊藤忠会長とは驚いた。確かに民間の大物には違いないし海坊主系の怪異な容貌は印象的だが、まだ私が経団連担当だった時分の現役財界人で昔の名前で出ていますと言いながらクラブを振って仕舞いそうな感は否めない。
 室伏氏と言えばこれは恐らくガセだろうが日商会頭候補に名が上がった際にネガティブな要素として男色家であるというゴシップがあった。しかも何処でどう話が混同したのかお相手はSONYの大賀会長であるとの衝撃的な説さえまことしやかに囁かれたのである。余り想像したくない。

9月26日(水) ペンに生きる  -ブログ - ブログ-

d328.jpg 当ブログも前身のコラム時代(右図)から数えて5年目を迎えるが、大別すると身の回りの政治、お出掛けを含めた子供との生活、それと多分に重複する一方で諸国漫遊に基づく都市・地域観察、更には遅々とした歩みのゴルフにプロ野球・大相撲評論家業、音楽・芸能とよく言えば多彩、実のところ雑多極まりない内容となっている。
 写真も必要なので極力自ら足を運ぶべく努めているが、特段波瀾万丈な生活を送っている訳でもないからマスメディアのニュースに端緒を得るケースも少なくない。だからフックになるネタを元に何等かの展開が訪れたのを契機に合わせ技一本で仕立てる場合もあるし、埋め草として棚卸し出来る様、丸っ切りの暇ネタをストックしておくことも肝要である。窮すれば今般の如くネタ探しそのものをもお題にせざるを得なくなるが、一度使ったら当分は再利用出来ない。おかげで何処に行っても小洒落た発見を得ようと好奇心が更に惹起されるべく訓練されるとともに、事象もフレーズも思い付いたら小まめに携帯電話にメモする癖が付いた。ことここに至って嘗て仕事で応対していた新聞記者諸兄が、どんなに小さくてもいいからネタを寄越すまで帰らないと広報の応接に粘っていた気持ちが少しは体得されるのである。
 今後の課題は如何に掲題日と掲載のタイムラグを縮めるか、則ち速報性であろう。心したい。

 鳩山法相の、死刑執行に大臣の判断の余地を与えるべきでない旨発言が議論を喚んでいる。確かにお隣の大陸国家の如く死刑の確定から1ヶ月程度で早々に執行される構図には、万が一にも冤罪であった場合、決して取り返しの付かない死刑執行にはもう少し慎重な判断が必要ではとの見解も生まれよう。しかしながら嘗て左藤恵法相が自身が僧侶であることを理由に死刑執行のサインを拒み、一代挟み着任した後藤田法相が瞬く間に執行を再開したという歴史的経緯に鑑みれば、安易に法務大臣その人の思想信条によって法体系を崩し得る事態を防ぐ措置は検討に値するだろうし、亀井国民新党代表代行の如くあくまで死刑廃止を唱えるのならば、仮釈放のない終身刑乃至は米国の如く常軌を逸する程の長期有期刑の採用とそれを可能にする刑務所の増設をも考慮する必要があるのではないか。

9月24日(祝) 僕、参上。  -テレビ・ラジオ - 仮面ライダー電王-

d325.jpg 放送開始から8ヶ月を迎え、仮面ライダー電王も愈々難解さが増してきた。部分的な記憶喪失になった電王の実姉とゼロノスの関係や謎のピアニストのデンライナーへの搭乗と幾重にも伏線が張り巡らされ、恰もドラマ「ケイゾク」の如く全話を通じての"謎"の解明に主題が移りつつある。正直言って毎回そんなに真剣にブラウン管にへばり付いている訳ではなかったので、見れば見る程話に付いていけなくなってきた。
 そこで改めてDVDを借りてきて第1話から見直し腑に落ちた点も少なくなかったが、最大の発見は-恥ずかしながら乳幼男児を持つ男親ならば本来当然の知識なのだろうが-主人公・野上良太郎に憑依することで彼を電王たらしめているモモタロスらも敵方である"イマジン"の同種族という設定だった。偶々良太郎がイマジンをコントロール出来る"特異点"であったがために彼等は善玉になったのだが、思い起こせば仮面ライダー1号が悪の組織ショッカーに改造手術を施されながら脳改造の直前に逃げ出したために正義の味方として君臨することとなった、ライダーシリーズの基本フォーマットが踏襲されている訳である。確かにこれならば原作が今は亡き石ノ森章太郎名義になっているのも理解出来る。益々興味が深まってきたが、視聴率的には先細り気味で、流石に乳幼児の理解の範疇を超越して仕舞っているのだろう。そもそも石丸謙二郎をデンライナーのオーナーに起用したのが「世界の車窓から」のパロディーだったり、ピアニストが一心不乱に奏でる楽曲が妙に耳に残ると思ったら挿入歌のアレンジながら明らかに原曲より格好良くなっていたりと、明らかに製作者の美しい遊び心が伺われる。ただ主演男優の人気と相まって半ば本来の視聴者である若年層をなおざりにしてきた感もある昨今のライダーに比べれば笑いの要素が大きく、また電車を主たるモチーフとしたのが功を奏したのだろう、電王ベルトはじめマーチャンダイズは好調を維持しているらしいのは幸い、引き続きこの微妙な路線を維持して欲しい。

   総裁選も終わって次は人事である。福田氏-伊吹氏と仕切りの旨さとシニカルな物言いがインテリ受けしそうとはいえ、大衆的人気となると疑問符を付けざるを得ないコンビに加え、敢えて古賀氏、二階氏と実力には申し分なくも"強面"という表現がこれ程適切な方々もいまいという顔触れを並べたのは劇場型政治への決別という強い意志の現れか。タイプは大いに異なるが、かくなる上は9年前、矢張り衆参異なる首班指名から両院協議会を経て成立した小渕内閣をひとつの雛型とするべきではなかろうか。
 当時、参院選大敗による橋本総理の辞任を受けた総裁選では小渕氏の圧倒的優勢が伝えられる中、世論には最大の課題であった金融処理において'ハードランディング'路線を掲げる梶山静六氏を支持する声も強かった。敢えて最大派閥の平成研を脱藩しての挑戦という構図も判官贔屓を集めるに充分だったろう。従って小渕新総理は前途を危ぶまれる船出だったが、地道に実績を重ねることにより政権後期には、勿論急な病に倒れたため所謂政権末期が存在し得なかったという事情こそあれ、高い支持を得るに至ったのである。
 現下の情勢は自自公連立で参院の過半数を回復することの出来た往事と比べてなお厳しく、まさに実績評価の場である総選挙までの時間も限られている。世論、なかんずくそれを形成すべくマスメディアは仕事師内閣の仕事振りを先入観や下馬評に捕われることなく評価を下すものと信じて、淡々と実績を重ねていく他はあるまい。

9月23日(日) ジャムおじさんは君さ  -育児 - パパ育児日記。-

d324.jpg 三連休の行動パターンが社会的に確立されている訳ではないが、概ね遠出をするか、体を休める余裕を持って一日内至は二日程度出掛けるかの何方かに大別されよう。前者が多ければお盆や年末年始の様に都心は空いている筈である。
 と見込んだのが大いなる錯誤であった。夏休みが明け前週も三連休という環境ではお出掛け自体が控えられたのかも知れないが、横浜という地理的条件は都内居住者には中遠征程度であっても、中部・関西方面からは寧ろ観光地として数日を費やす対象なのだろう。
 かくしてみなとみらい線新高島駅から徒歩約10分を経た午前11時前、横浜アンパンマンこどもミュージアムに辿り着いたわが家に立ちはだかったのは「1時間待ち」の看板であった。端からこの日程選択に警鐘を鳴らしていた妻は、諦めてショッピングモールで買物だけしてはと提起する。しかし父は折角ここまで来たのだから入りたい。事ことに到って助け船、という自覚は全くなかろうが、局面を打開したのは祐旭の決断であった。「行きたい」。採択が下れば待つ他はない。結局丸1時間以上並ぶ羽目に陥ったが、辺りを見渡せばグズる子、もう帰りたいと泣き叫ぶ御仁も見受けられる中、祐旭が存外に忍耐強く待機していたのは意外であった。九月末とは思えぬ残暑が急に和らいだのにも救われたが、四歳を目前にしてまた少しづつ自我の征圧に長けてきたという証左だろうか。
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アンパンマン号のジオラマ/興味深い地面
 これ程の労苦を払って入館したミュージアムであったが、確かに竣工から半年を迎えんとする昨今においてなお満員御礼を重ねるのも頷ける内容であった。作者やなせたかし翁の故郷である高知の本家ミュージアム程ではない様だが、導線上最初に訪れる三階のジオラマや階下のアンパンマン絵画は紛れも無く博物館仕様で着包みのアンパンマンとバイキンマンによる公演が繰り広げらるるのだろうとしましまタウンやウルトラマン倶楽部をイメージしていくと面食らう。それでも感心するのはどのブースにも至る所に床下を掘ってショーケースが設けられており、二足歩行もままならぬ乳幼児の目線を意識した造りは、ランド建築にあたって常に腰を屈めての確認を怠らなかったというW ディズニーのエピソードを想起させる。勿論アンパンマンの主たるターゲットは幼稚園入園前後までであり、それは1歳から大人まで一律1000円という価格設定にも現れているのだから当然の配慮と言えばそれ迄だが、実際のところ兄弟揃って食い入る様に熱中する光景というのは、この種施設では余り記憶にない。館外のレストランが恒常的に満席で使い勝手に少々の不満は残るが、みなとみらいやランドマークタワーにも程近く、改めて時宜を選んで再訪を期したい。

 ところで昨年祐旭と湘南新宿ラインのグリーン席に乗った際に「乳児は当然SUICAを有していないので事前割引が効かなかったのは残念」と恰も正規料金を支払ったかの如く記載があったが、実際は車内検札がなくやむを得ずそのままやり過ごしたのであった。何となくウィーンで切符の買い方が判らず路面電車にタダ乗りして仕舞った際と同様の後ろめたさがあり、その心根が偽りの文面にも現れているのだが、今般無事検札に遭遇し祐旭の料金支払を申し出ると6歳未満は無料、席上の表示は赤いままで可とのことだった。
 積年の自責の念から解放された想いだがハテ新幹線は座席指定すれば乳幼児も半額取られた筈と確認したところまさにその'指定'が鍵であって、JR東日本旅客営業規則第73条の2に「前項の規定による幼児(引用者注:1才以上6才未満の者)又は乳児(同:1才未満の者)であつても次の各号の1に該当する場合は、これを小児とみなし、旅客運賃・料金を収受する」とあり、「(4)幼児又は乳児が、指定を行う座席又は寝台を幼児又は乳児だけで使用して旅行するとき」に該当する指定席特急券は有料だが、湘南新宿ラインのグリーン自由席は無料なのである。ひとつ大人になりました。

9月22日(土) 肘に優しく  -スポーツ - ゴルフ-

d323.jpg 肘痛も一定の回復を見せているので文字通りの腕試しに挑む。何故に肘に負担を掛けたかと言えば右手のコックを早く深くするフォーム改造に取り組んだが為であり、それは以前極度のフックグリップを試みたのと同様にスライス回避が第一の命題だったが、余りのフック振りが著しい引っ掛けに帰結することしばしばになり、ハード・コッカーに転向したところ本年最高の100が出て、打つ瞬間に手首を返すことでパワー不足を補った、未だクラブの性能覚束ぬひと世代前の先人の叡智をも拝借する利点もわが物としたのであった。
 しかしながらその代償が日常生活にも支障の生ずる負傷では本末転倒だし、練習も出来ないから徐々に安定性を欠いていく。そこで今般半ばぶっつけ本番で採用したのがハンドファーストの角度を深める戦術であった。コックによる強い打感こそ失われるが、ヘッドの開きを修整するという効果では、理論上前二者と変わらない筈である。
 而して肘も打法改造もおっかなびっくりのラウンドであったが、一応想定通りの効果は出ていることは確認された。刮目すべきはこれまでのお辞儀航法に相反してドライバーの飛距離も伸びた感があり、おかげでさして狭くもないコースにも拘わらずOBを連発してスコアは平々凡々だったが、残り3ヶ月(?)のゴルファー生活の集大成に一定の活路が見出だされたのではなかろうか。毎回そんなことを言っていて、成果は何時訪れるねかという話もあるが。
 (追記)幸い肘痛は悪化せず、湿布もお役御免の様である。素人考えの試行錯誤も偶には功を奏することもある。

9月21日(金) 耳当たり  -政治・経済 - 社会保障-

d322.jpg 高齢者医療の負担増凍結案が新聞紙面に躍っている。勿論、負担を増加させないで済むのならそれに越したことはないが、だからと言って急に高齢者が医者通いを自粛する訳でもなければ保険料乃至は公費負担が増えることになる。75歳以上の保険料負担を凍結するのでは「後期高齢者医療制度」という枠組みそのものが揺らぎかねないし、昨年法改正された医療制度改革を踏まえ、なおかつ"公的給付の内容・範囲及び負担と給付の在り方"等を引き続き5年間において見直すことによる歳出削減の成果は、2010年代初頭のプライマリーバランス回復に組み込まれている筈である。しかも可処分所得の小さい者により効果的に響くべく広く薄く、一律に負担を下げることは、過去数年間隔絶を誓ってきた所謂"ばら撒き"と何が異なるのかとの批判はさておいても、少なくともそれが「格差の是正」であるとすれば当然逆進性の高い消費税も上げられない理屈になる。
 と思考錯誤していたらよく見ると隣の見出しは「財政再建目標堅持」ではないか。よしんば緊急避難条項の発動であるならば、堂々と緊急避難であると言えばいいのであって、その理由付けにすら労力を払わないのでは政策目標の軽視と言われかねない。何よりも民主党が多数を獲得した参院先議で耳当たりのいい法案を通し、それを与党が衆院で財政難を理由に否決せざるを得ない展開は総選挙に向け与党にとって非常に厳しかろうと踏んでいたら、その戦術を先取りして捩れ国会における法案成立の先鞭を付けようとは非常に巧みな戦術であることはよく理解出来るが、人気取り合戦の様で少々情けなさも禁じ得ない。

 総裁選も押し詰まり、事前発表厳禁だった筈の地方票の行方が次々と明らかになっている。実質的に趨勢が固まった後だから最早お咎めなしということだろうが、県連によって予備選の有無のみならず、実施されるところも50円切手は党員の実費負担だったり、「候補者はTV、新聞等でご確認下さい」と日本シリーズで一方のペナントレースがもつれた時に見切り発車で発売される"巨人対パ・リーグ優勝チーム"の如き様相を呈して如何に時間に迫られていたかが伺われる。
 ところで同じ予備選は予備選でも議員が本人の選挙区に行い、自らの議員票の行方をその判断に委ねるという方式を神奈川の6議員が採用した。有権者の審判を仰ぐと言えば美しいが、軋轢を避けるために判断を回避しているとの批判は酷だとしても、重要局面を迎える度に有権者にお伺いを立てているのでは間接民主主義における「代議」の存在する意義が薄れる。勿論、多少のコストを厭わず直接民主制の長所を取り入れることは有用であり、そのバランスも必要だろうが、地方票の存在する総裁選にその効用を注入する意義は小さいのではなかろうか。

9月18日(火) 神話の在り処  -育児 - パパ育児日記。-

d320.jpg 土曜の父親参観を受け幼稚園が振休になったので、父も息子に倣って休むこととした。本末転倒の様だが園児に有給休暇はないので至極合理的な選択である。とはいえ夜が入っているので行き先は近場に限られる。そこで浮上したのが、祐旭の中耳炎に伴い公資と二人旅と洒落込みながら、曜日を間違えて退散を余儀なくされた児童施設0123再訪であった。
 既に述べた様に中島飛行機~グリーンパーク球場跡地である武蔵野中央公園に隣接する「0123はらっぱ」はそのネーミングの示す通り0~3歳児を対象とした言わば豪華版児童館で、前武蔵野市長の御推奨に基づき性懲りもなく再チャレンジを試みた次第である。
 電車とバスを乗り継ぎ辿り着くと、採光豊かでモダンな建築が渋谷の都児童会館や杉並の古式ゆかしい児童館に慣れた目には新鮮に映える。二階は会議室等なので実質平屋建て、従って決して広くないスペースを巧みに区分して読書、お絵描き、乳児コーナー、屋外には小振りながら砂場にじゃぶじゃぶ池も完備されている。中央は集会に用いられ保育士と思しき常駐者が時間帯によりお遊戯を取り仕切る。通常の児童館は放課後児童クラブをはじめ小学生もその範疇だから余程広い敷地でもない限りどうしてもコンセプトが曖昧になりがちだが、三歳までに限定したことが少量多種化を可能ならしめたのだろう。或いは武蔵野では未就学児層がなお増大傾向にあるのかも知れない。
d321.jpg 明らかにこの中では圧倒的な年長者である三歳十ヶ月の祐旭には少々物足りな気に見えたが、お眼鏡に叶ったのは絵の具による描画であった。スモッグに身を包む完全防備とはいえキャンバスから床へと極彩色が無尽蔵に垂れゆくし、果ては公資も加わって相撲取りよろしく手形を重ねていけば、程なく顔も絵の具に染まっていくのは自明の理だろう。自宅では決して出来ない行為に浸れるのが無償の公的機関-厳密に言えば市外居住者は一人当たり登録料150円を要したが-の醍醐味と言えよう。杉並からは一寸遠かったが。

d319.jpg 夕刻、六本木で時間が空いたので初めて東京ミッドタウンを訪ねてみる。服飾やブランド品も、高額料理店にも関心の薄い私に取っては六本木ヒルズ同様殆ど無用の長物に近いが、一度は見ておきたいというのも人間心理である。
 周辺の路盤と同水準に一階表記が為されているにも拘わらず、実質的に地下一階が地表という構造になっているのは西新宿淀橋浄水場跡にも似て、ここが防衛庁跡地であることを物語っている。土地の記憶というのはこうした独特な痕跡にだけ残され、あと何年かすればここに嘗て何があったのかを想い出す人物知り呼ばわりされる日が訪れよう。

9月17日(祝) 剛を制す  -スポーツ - 柔道-

 たとえわが国発祥の競技であろうとも、想えば東京五輪の無差別級で神永がヘーシンクに負けて以来、よくぞここまで日の丸を孤守し続けてきたものである。そう考えれば今般の世界柔道の惨状も、フジテレビとしては非常に困るだろうが、グローバル化の代償として甘受せざるをず、五輪種目になる前から金メダルの危機に直面している大相撲に比べれば、早期に市場開放の波に洗われたアドバンテージがあると言えよう。
 それに付けても恐ろしいのは谷亮子選手である。出産後の32歳とあらば結果が危ぶまれても当然なのに、延長戦二試合の影響を何等感じさせないスタミナは驚異的である。同時に改めて感じたのは、一見足技の寄与よりも単に体を預けて相手を倒したのではないかと、少なくとも素人目には見える動きの中でも、倒れる過程で足を跳ね上げ技の掛かり度合いを審判にアピールする巧みさ、ポイント柔道への対応力である。残念ながら夫君の谷佳知選手は折格の同点本塁打を放ちながらチームは負けで婦唱夫随とはいかなかったが。
 それに付けても柔道とは殆どご縁のなかった自動車会社が谷選手の、言わば押しかけ入社によって今や柔道着ひとつひとつにロゴの入る一大スポンサーとは、柔道界にとっても当該企業にとっても幸福なお見合いだったろう。矢張り斉藤佑樹投手が「一生何かを持っている、こういう人生なのかと思います」と自ら語っていたのと同じく星のもとに生まれた人ということか。

d318.jpg 私自身便秘気味なので自らの排出した便の太さに圧倒されることは少なくないが、祐旭の排便シーンを見る限り、人間の肛門なしなやかさと言うか、こんなにも広がるものかと感心に堪えない。勿論多分に広がり過ぎであるのは、しばしば排便直後に尻の痛みを訴えていることからも明らかだが、それは父に似た非菜食主義の為せる業だろう。一方で公資はおむつなので排出後の逸品しかお目にかからないが、黄色いつぶつぶが点在していることが多いのは、写真の様に目一杯頬張る程の玉蜀黍好きだからか。
 お食事時中の方居られたら失礼しました。

9月15日(土) The Last Production  -結婚・家庭生活 - 結婚式-

d316.jpg 朝は祐旭と二人、父親参観日の幼稚園へと赴く。昼食無し時間割なので実質2時間ばかりだが、炎天下に運動会のリレー・リハやお遊戯の練習とは大儀である。しかし部屋に入ったら入ったで年少だけとはいえ揃って拝一刀の如く子連れ狼なので実にむさ苦しい。
 考えてみれば三歳児に長時間集中して単一プログラムに取り組ませることなど不可能だから、ゲバゲバ90分ではないが手を変え品を変えで飽きさせないようカリキュラムを組んでいるのだろう。年少組はほぼ全行程が4クラス合同で行われるのも担任・副担任だけで回し切れないという現実的な要請もあろう。但し帰宅前のホームルームとも言うべき僅かな時間は担任の裁量に委ねられているから、ここが腕の見せ所なのかも知れない。何れにしろ重労働には違いないのでどの教諭も極端に若い顔ばかりなのも頷ける。私には生涯出来そうにない。

d315.jpg これだけでも充分グロッキーなのに取って返して向かった先は上智大学であった。大学二年と三年の時に週に一回サークルのミーティングで通ったキャンパスなので寧ろ本郷より懐かしいが、クルトゥルハイム聖堂に足を踏み入れたのは初めてである。
 これまで友人の披露宴に出席する際は殆ど二次会幹事職を拝命していたから、宴席の進行には気もそぞろで只管時間通りお開きになるのを待ち侘び、そこからがいざ本番であった。それに引き換え今回は二次会がない替わりに披露宴の幹事長に就任したが、実質的に新郎自身がプロデューサーでディレクターに徹すれば良い上に、個々のプレイヤーが有能だと監督が何もしなくても優勝するという典型になろうと、当日を迎えても非常に気楽であった。
 結果としてその予測には何等の相違もなかったのだが、ただひとつ誤算だったのは披露宴の最期に当日の模様を走馬灯の如くスライドショーとして放映する企画があり、そのためのカメラマン職も兼務したことであった。当初の目論見では決めの場面を抑えておけばいいだけの筈だったが、前日になって上映時間が伸び、ならば一コマ当たりの秒数を延ばせば済む話にも拘わらず、そこは妙な職業意識が鎌首を擡げてきて、公式カメラマン氏にも引けを取らぬ程ファインダーを睨み続け、音楽のキュー出しやPC操作の傍ら右手人差し指はシャッターボタンに掛け続けるという忙しさ、その上イベント盛り沢山だからPCもフル稼働で編集作業を行う空き時間も僅かという状況に、好んで自らを追い込んで仕舞ったのである。
 結局私は最期まで写真を撮っているだけだったが、披露宴らしい一定の格式を保ちつつ、同時に笑いとペーソスに包まれ、新郎新婦と出席者交遊を図るとの命題は果たし得たのではなかろうか。不遜な物言いが許されるのならば、寄与度はいざ知らず、私の御成婚パーティー引受業において、恐らく最期の果実としてクレジットの残されるに相応しい会だったのではなかろうか。
 何時迄もお幸せに。
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