コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

8月31日(金) 一丁倫敦  -地域情報 - 東京23区-

d294.jpg 東京に働く大企業サラリーマンの圧倒的多数は丸の内界隈を根城にしているのだろうが、そうでない少数派に取っては何となく敷居が高い。それでも従前、記者対応を生業としていた時分は大手町の経団連会館には日参していたが、僅か数百メートルにも拘らず日経連事務局の存在した、今は外壁にのみその名残を留める日本工業倶楽部が活動の最南端で、三菱グループの本拠だから"経団連派"として遠慮した訳ではないが、所謂「丸の内」を闊歩する機会には殆ど恵まれなかった。
 だから本日の如く東京-有楽町間のビル地階で宴席と言われても全く土地勘に欠けるし、すっかり新装なったビル群の眺めは恰も上海浦東地区に舞い降りたも同然で、お登りさんよろしく目を奪われてもそれ以上の感慨は持ち得ない。そもそも丸の内オアゾやマイプラザではちんぷんかんぷんで、前者は旧国鉄本社、後者は第一生命とともにGHQに接収された歴史を持つ明治生命館を中心とした再開発による複合商業施設らしいが、まさに浦島太郎である。戦災で3階建てから2階に急拵えで縮小されながら辛くも生き延び、再建と建て直しで揺れ続けた東京駅も愈々辰野金吾設計の1914年竣工当時の姿に戻るし、まだまだ再開発が目白押しなので、次回訪れる際にはまた様相を一変しているのかも知れない。

 脱「ゆとり教育」で総合学習が削減され、国語・数学等の主要教科が復辟する見込みとなった。朝令暮改との批判もあろうが、"国家百年の計"に鑑みれば過ちは改むるに憚ること勿れの方が正鵠だろう。
 若干気掛かりなのは小学校高学年からの英語教育必修化を謳っていることだろう。勿論、差配に難儀した総合学習で既に英語教育を採り入れていたケースも少なくないので実質的な変容は小さいのかも知れないが、世界標準とはいえ母国語が確立される以前に英語に取り組まざるを得ない実態を自ら肯受するのは、実利的ではあっても国民国家として少々寂しい気がする。

8月28日(火) 屋台の経営学  -ビジネス - ビジネスアイディア-

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何故かまりもっこりの宝庫
 帰国直後に夕涼み会、一日おいて同じ敷地で幼稚園の経営母体である神社の祭り、阿波踊り下田で花火、更に一日挟んだ本日は近所の氷川神社と祭りフリークもここに極まれりである。しかし屋台があって顔馴染みの友人とも会える、乳幼児には適宜な交友の場なのであろう。たとえ父が小学生時代、杉並区の移動学級である富士学園で踊った際から30年を経て未だ盆踊りのメイン楽曲が「ドラえもん音頭」で、踊り子さんである地元の妙齢の女性陣からも「炭鉱節にしてよ」などと不満が上がっていたとしても、子供にとって特段の支障はないのである。
 ところで連日祭りに直面して感ずるのは屋台の販売員、所謂テキヤ業の面々は如何なる背景をお持ちなのだろうかとの疑問である。一般的に祭りの運営には伝統的にその筋の方々が関与されており、安定的な利益の源泉となっているとされる。が勿論暴対法はじめ生き難い世の中になっているのでサービス業に徹しておられるのかも知れないが、甚だ失礼ながらそうならば妙に愛想がいい。一方で近隣商店街の自主運営だとすると、射的や金魚釣りといった一定の熟練作業を要する店舗も手際が良過ぎるのである。狭いスペースに焼き蕎麦であるとかタコ焼き、カキ氷と同趣店舗が微妙な間をおいて配置されている構図には何等かの示唆が伺えるが、妙に興味深いところである。

 女子プロゴルフの不動選手がヨネックス・レディースで今季2勝目をマークした。1勝だけならフロック、或いは大横綱への引退前のご祝儀にも似た餞に過ぎないかも知れないが、確かに嘗ての様な圧倒的な強さには欠けるものの、2勝目はそんな声を吹き飛ばすに充分であろう。
 全盛時には将棋の故・村山聖九段にも似たストイックな容貌に、多分に嘗ての横綱・北の湖の如く敵役のイメージが強かったが、衰えを見せ始めると俄かに人気が高まってきたところも北の湖を彷彿とさせる。この上は更なる勝利を重ね、樋口チャコ氏に続くLPGA会長を目指して戴きたいものである。

8月26日(日)-27日(月) ペルリ提督奮戦記  -旅行 - 国内旅行-

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 漸く到達した夏の家族旅行、今年のテーマは海である。ならば沖縄か、更に足を伸ばしてマリアナ諸島でもと洒落込みたいところだが、黄金週間の熱海に続く伊豆半島とは、高度成長期のサラリーマン家庭の如し。とはいえ齢ひとつの公資は元より四歳に近付く祐旭も未だ海水浴未経験とは情操上も好ましからず、遠出して浜で待機するリスクに鑑みればまず近隣から攻めるのが常套であろう。
 とくに恐がり屋で未だ水避け用と事後の顔拭きとタオル2枚を使わなければシャンプーもままならぬ祐旭が波に顔を洗われたら、号泣して退散するのではとの危惧は否めなかった。しかし案ずるより産むが易しとはこのことだろう。未だ足が立つ領域で浮輪抱えて父に抱っこされと、幾分過剰な安全弁付きではあるが、海水の塩辛さまでも笑顔で楽しんでいるとは意外である。更には最初はお得意の口をへの字攻撃だった公資も慣れるに連れ自ら水に駆け出していく。砂遊びが関の山かとの想定も描いていただけに、これなら連れ出した甲斐があるというものだろう。乳母車が砂浜で空回りして単なる重りと化していたのには閉口したが、それは父の失策に過ぎない。
 夜は幸便に日程変更された花火大会に直面し、折角のプールサイドからの絶景は轟音に畏れをなした祐旭の強い要望で早々に切り上げざるを得なくなったが、部屋からも充分に鑑賞出来たので良しとしよう。
d292.jpg 翌日はプール、港からの湾内巡りと引き続き優雅な休日を過ごしたのだが、改めて痛感したのは下田の遠さである。18年前、新歓合宿でこの地を選定し、サークルの説明するために何で下田くんだりまで来る必要があるのだと一年生に怒られたことを鮮明に覚えているが、白浜海岸の適度な波の強さと混み具合は確かに蠱惑的としても、ホテルも子連ればかりにも拘わらず思いのほか食事は子供向けメニューに乏しかったし、乳幼児家庭にお奨め出来るかと言うと微妙なラインであった。愈々次回は南の島へ巡礼しようか。

 改造内閣の顔触れは無難であった。それは決して皮肉ではなく、新奇性に欠けるとの評価を安定感イメージに変換させていく過程が肝要である。ただ先の参院選挙を経た今となっては「官から民へ」や上げ潮成長路線は一段落することとなろう。ならば事実上の政策転換を企図するとして、それを明示し直接的に非都市居住層に訴えかけていくのが得策か、或いは改めて総理の得意分野の改革をより前面に打ち出す替わりに、経済分野は徐々に先鋭さを薄めていくべきか。後者を採用した場合、折りに触れその方向性をスポット的に発信していくことになるが、新内閣の顔触れはその一環としての有力なメッセージたり得よう。玄人筋以外に如何にその趣旨を浸透せしめるかが今後の課題となろう。

8月25日(土) 住民のための阿波踊り  -地域情報 - 阿波踊り-

 昼に用賀で野暮用の仕事、銀座まで移動して大学時代のサークルの同窓会に30分だけ顔を出し、取って返して阿波踊り鑑賞とはせわしない。この間、中泰からの腹具合が未だ完治せず腹痛のため青山で途中下車してトイレに駆け込んでいるのでなお忙しい。
d289.jpg 毎年同じ感想になるが52回を迎える高円寺阿波踊りは近年とみに集客力を増している。取り分け昨年からは二日間に凝縮した上で土日固定となったので尚更である。昨年は早朝から場所取りを試みたが結局のところ乳幼児二人連れでは到底鑑賞には及ばない。一方で減少しつつあるとはいえ幹線通り沿いの店舗では、本来絶好の好立地にも拘らず余りの人通りに営業もままならない状況が伺われる。例えば高円寺南商店街では子供向けの縁日の類を細々と開催しているが、一歩メイン会場から離れれば驚く程閑散としているのだから、公園等のスペースを活用して阿波踊りと並行して子供祭りの如きを開催すればPAL、仲通り、純情~庚申、あずまという主要4通り以外の商店街の活性化にもなお寄与するのではなかろうか。

 当コラムは掲題当日のよしなしごとに付き論評する形態を採っており執筆と掲載には幾日かのタイムラグがあるが、通例ブログの有り様としてはリアルタイム掲載が一般的だろう。従って日付から判断して「現地執筆か」と好意的な誤解を戴くケースもまま見られるが、実際には中国漫遊の如く旅を挟むとその分掲載が遅れることになる。
 ただ今回は公的な報告書提出期限が早いのでそちらを優先し、更に自らの覚書として日誌を認めた後にコラム執筆の順番となったので、その分更に後出しにはなったが、書く度に内容が練られていく効果が齎されれるとともに、書き漏らしに後から気付く事態も大幅に軽減された。内容の充実を優先する余り、スピードに秀でるITメディアの最大の効用を減殺している感は否めないが。

8月22日(水) サーガル、サーガル  -育児 - パパ育児日記。-

 日本時間8時成田着、11時にはわが家に帰着し1500枚、4GBに及ぶ写真の整理を経て夕刻には幼稚園の夕涼み会へ出立するのだから、我ながらお父さんは元気である。
d288.jpg しかし祐旭が日夜研鑽を重ねた「八幡音頭」を披露する幼稚園の夕涼み会とあっては論を待たない。見逃すべからざるは父として自明の理であろう。
 いざ会が始まると総員での回遊に引き続き組毎に園中央に設置された舞台に登ってお披露めである。しかし祐旭はノリノリなのはいいが、どうも練習の成果が現れているとは言い難い。考えてみれば寸暇を惜しみ余念のなかった自発的な宅練でも、掛け声の一種と勘違いしているのか「下がる、下がる」と連呼しながら前へ前へと進んでみたりと"黒い白馬"状態だったし、そもそも年少児童に体系だった舞踏を期待する方が無理だろう。そこへいくと年長さんは流石に統制が取れており、拍手のタイミングも見事に一律である。
 結局祐旭は会半ばで友人達とのお遊びに興じて隊列からは離れて仕舞ったが、兄の代役との自覚には乏しかろうが、替わりに公資が年長者の輪に参画し踊りまくっていた。足元はまだ覚束ないが、腰を基盤に上体を左右に揺らす技にはことのほか巧みである。父の幼少時は祭りや盆踊りにはとんとご縁がなかったにも拘わらず息子二人の馴染み振りを見る限り、盆踊りのビートは乳幼児すら魅了するわが国に連綿と受け継がれた通奏低音なのだろうか。

 ところで二週間近く日本を離れていた割に、お盆という時期もあったろうが、わが国に特段のニュースは無かった様である。勿論台湾機の炎上や株 為替の乱高下はあったがそれらはNHKの衛星放送で概ね中国でもリアルタイムで把握出来たので、対世界に配信されない日本ローカルながら私の琴線に触れる話題には欠けたということか。在り来たりな感想だが世界は狭くなったということかも知れぬ。

8月21日(火) 末はリニアか地下鉄か  -海外情報 - 中国-

 長旅も遂に最終日を迎えたが、本日は偶然の産物で都市型電車フリークの好奇心を惹起させる行程に見舞われることとなった。まずバンコク地下鉄(①)は2004年に誕生したが、北京上海にも勝るとも決して劣らない渋滞のメッカとしては交通機能回復のための切り札に他ならない。ホームドア型の失礼だが喧騒の街バンコクとは思えない程の瀟洒な路線で、確かに日中自動車では小1時間は掛かりそうな行程を僅か15分程で走り抜けていた。
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 更にはわざわざ上空に聳えるスカイトレイン(②)にも乗り換えてみたが、驚くなかれ道路上に立体構造物を構築しながらモノレールではなく軌道線である。前回バンコク訪問時には丁度建設中で、ただでさえ酷い渋滞がより悪化していたことを覚えている。この天空軌道が2路線重なり上下二段になる絵柄は秋葉原もどきというか圧巻で、莫大な建設費を充当せざるを得ぬ過酷な渋滞事情を物語るとともに、メナム川の三角州という路盤が弱いバンコクの立地条件に鑑みれば、地下鉄よりは経済合理性も高かったのだろう。確かにTAXIの車質の著しい向上とともに、従前よりは車の動きはズムースになった気もする。一方通行の多さが最大のネックなのだから気のせいかも知れないが。

 思えばこの旅は、総じて議員諸氏との外遊は時間よりも安全優先なので兎角バス移動の連続となりがちな割には、公共交通機関に足を踏み入れる機会が少なくなかった。
 北京では夜半天安門広場からの帰路に一駅だけ地下鉄(③)に乗ったし、既述の通り重慶モノレール(④)は視察行程に組み込まれていた。しかし白眉は矢張り上海リニア(左写真)であろう。市南西部の龍陽路駅から虹橋空港まで約30kmを結ぶ同線は世界発のリニアモーターカー営業路線である。確かに昨年試乗したわが国の山梨実験線と比べても揺れが少ない感はあるし、浮上走行とタイヤ走行との切り替わりも殆ど実感出来ない。
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 ただ起終点付近に90度近いカーブがあるため、振り子式とはいっても非常にGがかかり乗り物酔いに弱い人は苦しいのではないか。地下鉄との接続も必ずしもスムーズでないようで、存外に空いていた。出来れば市中心部への乗り入れが望ましかろうが、騒音を配慮すれば地下化せざるを得ないし、距離を伸ばせば運行も複雑化しよう。現段階では実用の足というよりは観光名所のひとつというのが本音ではなかろうか。或いはこれも大都市上海の「壮大なる実験」の一環なのかも知れない。

 桂林では丸一日食物摂取を控え回復したかと期待された胃腸はバンコクの香辛料で再びダウンし、遂に行程を消化し切れぬ羽目に陥った。矢張り人間体力勝負である。最期の夜はコカレストランでタイスキを賞味したが、時間との戦いのなか再三垂れを要求すると、大連で冒頭出会った店員氏の溜息に再び見えることとなった。どうやら王族が来臨されていた様で膝ま付いての礼拝を促されたが、普段なら貴腐フリークの私のこと何の衒いもなく喜んで頭を垂れただろうが、この店の雰囲気ではとても従う気分にはなれなかった。ユニバーシアード大会を終えなおバンコクのサービス業も前途多難な様で、高齢のプミポン陛下も頭の痛いことだろう。
 至極天候に恵まれた旅程の最期にスコールに見舞われ、深夜のスワンナプーム新空港から旅立った。明朝、成田を後にしてから実に13日目の帰国である。

8月20日(月)-21日(火) アユタヤ作戦第一号  -海外情報 - 中国-

 昨年も一昨年も海外視察はほぼ最短コースを余儀なくされたので概ね一週間強だったが、本年は三年目にして最終回、更には印伯に比べれば遥かに目的地が近い、即ち渡航費用が嵩まないという利点に鑑み、勇躍オプションも登壇することとなった。訪れたのは99年以来8年振りこれも2回目となる泰王国である。
d277.jpg 八甲田山もかくやと睡眠をとったらそのまま凍死しそうな酷寒のタイ航空機で降り立ったかの国にて特筆すべきは第一に灼熱の中のゴルフで、日射病で倒れるのではと危惧した割には、キャディー氏がひとりに一人のみならずカートも各人毎なので打っては搬送されの繰り返し、かつスルーばかりか空いたホールを探して先回りしてのプレーを重ねた結果、ワンラウンド3時間半弱とは産むが易しであった。考えてみれば日中は兎も角朝夕は東京よりも涼しい位なのだからわが国の方が異常なのだろう。寧ろ貸しクラブという悪条件下に加え、何かと世話は焼いて呉れたが本来の職務としてはティーグランドでの「右OB、まっすぐOK」くらいしか助言して呉れないキャディー氏にも拘らず、パットが嘘の様に入りまくったのが不思議というか、悩みを深くして仕舞った。
d278.jpg もうひとつは既に市内観光は妻と具に制覇したため期待の大きかったアユタヤ行だが、蓋を開けてみるとバンコクと異なると力説されたアユタヤ王朝(1351-1767)は、勿論敢えて復元を施さず時の経過に委ねるままの遺跡らしさはそれはそれで往時のよすがを偲ぶに想像力を逞しくさせられるが、ビルマ軍に首を切られた仏像の並ぶ旧王宮も、アンコールワットの如く壮大さをイメージして闖入すると不謹慎ながら相当に拍子抜けである。バンコクの即物的な煌びやかさに対比させると如何にもインパクトに欠け、象にまたがり畦道を渋滞よろしく行進した方が遥かに印象深い。象使い氏は木下大サーカス出演のため晴海に出張したほど妙に日本語が巧みで、重慶、桂林と何れもマッサージ店で全く叶わなかった意思疎通がここで図られるとは意外だった。それ程日本人観光客が多いということだろう。

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 アユタヤの最期は日本人町跡だがお土産もの店に迷い込んだかと思ったら、片隅に現地産焼酎の見本とともにひっそりと山田長政像が佇んでいる光景は些か不憫であった。高床式住居を復元する前に資料館くらい設営した方が先達の栄に相応しいのではなかろうか。
 なおバンコク-アユタヤ間の高速道路に面して唐突に現れたのが写真のウルトラマンである。邦題「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」という74年製作の映画があり、日本ではお蔵入りになった後79年のウルトラ再ブームに乗じて公開されたが、ウルトラ6兄弟を従えてタイの英雄・ハヌマーンが怪獣と戦うという奇妙なストーリーで製作はタイのチャイヨー・プロダクションである。
d281.jpg 円谷が経営難に陥った際に海外におけるウルトラ・シリーズの版権をチャイヨー・プロに譲渡した経緯があり、後にその権利を巡って両者は訴訟沙汰となったが、円谷の敗訴に終わっている。結果チャイヨー・プロ独自仕様のウルトラマン・エリート、ミレニアムらも誕生したが、円谷側はその存在を認めていない。
 しかしタイでは必ずしもメジャーなキャラクターでないマンのお面の如き様相が街中に鎮座在している姿は一種異様で、旧ビルマ軍に切り落とされた仏頭を模していますと解説したら日本人以外の観光者ばかりか、タイ人でも信じそうである。この見物が望外にして最大の成果だったかも知れない。

8月19日(日) 作られたエキゾシズム  -海外情報 - 中国-

d273.jpg わずか半日の滞在で少々後ろ髪引かれる思いの重慶を後に、桂林に辿り着いたのは昨夕のことである。早速川水の浸食により象の鼻の如き形状となった岩で著名な象鼻山を訪れ、渡し船に戯れる。船は如何にも手漕ぎ状ながら一台にはしっかりエンジンが敷設してあり、無駆動のもう一台を紐で結わいての出立とは大らかだったが、途中でその紐がほどけ出しても船頭氏の笑顔は絶えなかったとは気分は南の島モード、体感される街の香りからして既に東南亜細亜仕様である。
d274.jpg 翌日は公式日程最終日なのかオプション初日なのか最早定かではないが漓江下りで、要は道すがら左右にカルスト地形が広がり、岩に水蒸気で幾分靄の掛かった姿はまさに水墨画の如し。しかし初めははしゃいで屋上に陣取り、手渡された地図を片手にスポット毎に構図を確認しては一眼レフのシャッターを切り捲っていた私も、20元札の絵柄に描かれた辺りを越えると、直射日光も相まって流石に疲労を覚えるのみならず、いい加減飽きてきた。何しろ所要4時間半、その間の微妙な景色の変動を楽しむのが本旨とはいえ、俳句でも捻らなければとても間が持つまい。空港からホテルへの車窓からは皆一様に熱心にファインダーを向けていたのに、終点の陽朔に着く頃にはすっかり有り難味も失せて、ゴロンと転がってるただの大きな石にしか見えなくなってきた。
 それでも流量不足でここ数年で行程が短縮された模様で、確かに渇水期とはいえ川面に映る借景の美と解説にある地点まで来ても、随分とひえ上がっていて船が通るのがやっとだったのは、桂林としては深刻な課題であろう。
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(左)一体如何なる防水構造なのか/(右)桂林の大山厳(?)を仰ぐ
 というのも銀川、重慶で空振りに終わった待望の辺境の地巡りかと最期の望みを掛けた桂林は確かに田舎風情ではあったが、それは飽くまで観光用に保存された田園風景に過ぎず、香港から空路1時間との好立地も相まって欧米人を中心に年間2000万を超える大観光地だったのである。確かに如何にも"東洋の果て"らしき光景が広がり、朝7時前から地元民と思しき人々がお世辞にも綺麗とは言えない漓江で泳ぎまくっている地方都市であるのは事実だが、道路には街路樹を挟んで自転車道が整然と整備され、広場に出れば大瀑布ホテルの壁面には文字通り幾重もの滝が流れる、欧米旅行者の鼻を擽らんばかりの演出にもこと欠かない。たとえ工業には乏しくとも、ここもまた外貨獲得の密命を帯びた、中国経済の一翼を担う立派な産業集積地なのである。
 考えてみればホテルの対応こそ今ひとつではあったが、中日友好協会幹部氏をはじめ、各寄航地における接遇者の面々は通例の外務省各位に負けず劣らずの絶好のアテンダー振りであった。勿論、「接遇」というセクションの地位の高さも介在していようが、一国に対する理解促進にはまず国に来て貰うことが肝要という真理を、冷戦を経たかの国は誰よりも痛感しているということだろうか。
 結局奥地を臨むこと叶わなかったというのは、繰り返しになるが中国の「良いところ」しか見ていないから当然かも知れないが、長征の焦土戦術に果てしなく引き込まれていく嘗ての帝国陸軍を彷彿とさせる様で、幾分の戦慄とともに、より奥深い中国に触れたいとの沸々とした再訪意欲が湧いてくるのは妨げられない。ただ漸く復活した朝の散歩では明代の王宮も覗いたし、正直なところ桂林は一度見ておけばお腹満杯の世界だった。鍾乳洞フリークでなければの話であるが。

 長躯空港まで取って返し9日間に渡った中華滞在はトランジットの香港を以って大団円を迎えた。旅はまだ終わらない。

8月18日(土) 爾後国民政府を相手にせず  -海外情報 - 中国-

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要は重慶の「人民大会堂」である
 嘗ての「軍都」たる軍需産業の大半が民転された今も自動車産業をはじめ重慶は中国有数の重工業都市である。晴天にも拘らず明らかに街中はモヤっている。それは川の街故との説明ではあったが、ならば銀川も、上海も変わらない筈で、矢張り環境汚染の証左であろう。ただ端から自転車でなく、バイクにドンガラを付けただけのミニオート三輪が発達したのは起伏のある街の形状故で、その点は東京にも似て懐かしさを覚えるが、わざわざ平坦でない土地を選定したのにはそれなりの理由があるのだろう。
 朝の人民大礼堂に続いてはモノレール試乗で、成る程環境配慮の重要性を垣間見るとともに川沿いの高架路は風光明媚で観光への寄与も期待されるが、いきなり横断幕を掲げての熱烈歓迎には恐れ入った。一車両一般客オミットでアテンダントの綺麗な女性まで付いての珍道中にODAの解説板もバッチリで単純に頬が綻んで仕舞いそうになるが、日本軍の所謂重慶爆撃により対日感情も極めて微妙なここ重慶でのこの歓待には、銀川の一件へのフォローの意図が充分に働いていたのではないかと勘繰れば、流石中国ぬかりない。
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 続いても環境対応で火力発電所の脱硫装置を忘却の彼方にある化学式なぞ伺いながら質疑応答に努めるも、昨夜の唐辛子パワー覚めやらぬわが胃腸も脱硫気味で命からがら辿り着いた昼食会場では下痢の嵐に見舞われた。

 しかし風雲急を告げていたのは私の腹に留まらず、本物の嵐に見舞われる恐れが生じていたのでは溜まったものではない。雨季に近く危惧された天候は大連で少々の雨に見舞われた以外は快調そのものであったが、ここに来て中国-泰間の中継地である香港への台風直撃が危惧される事態となったのである。
 結果として辛くもそれは回避され、旅程は無事運行されることとなったのだが、痛い腹と不安な雲行きに半ば上の空で伺った同道の国際協力銀次長氏の逸話は、にも拘らず強い印象を残した。氏は高校時代鍾乳洞フリークで中国における石灰石のメッカである都市を貧乏旅行したことが、現在の対中職務に携わる端緒だったというのである。わざわざここにそのエピソードを記したのは、広い世界にはカルストおたくが存在するという驚愕の事実を示したかったからではなく、旅の最終寄稿地がその本拠、桂林だからである。

8月17日(金) 壮大なる実験  -海外情報 - 中国-

 国内外を問わず旅に出ると漏れなく便秘気味になる。しかもウォシュレットなしでは尚更である。そろそろ症状が悪化してきて恒例の朝の散歩もパスせざるを得なくなってきた。
d259.jpg 上海最期の日程は2010年万博会場である。黄浦江を挟んで総面積400ヘクタールとは空恐ろしいが、驚くべきは25000人に上る立ち退き者の数である。森ビルの再開発もそうだったが、漏れなく地権者には新たに瀟洒な団地を国家が与え、スラムから2LDKにランクアップして万事ハッピーとの解説だが、急にゴージャスになった彼等の今後の生計は成り立つものなのだろうか。その地上げも含めた造成に始まる建設過程から、テーマ「Best City」のあり方をイベント期間に留まらず跡地利用も含めて提起するというのは、まさに"都市とは何か"を問う、異様な開発スピードと国家の強権が並存するここ上海でしか為しえない壮大な実験たり得よう。
 しかしその条件を割り引いたとしても、イベントには大なり小なり希望に満ち満ちた「近未来図」が描かれるのが判り易く、2005年わが国における愛・地球博の「環境」に比べるまでもなく集客にも配慮された万博らしいお題の選択と言えよう。返す返すも世界都市博の中止が惜しまれる。是非ともわが国には幻の"東京大使"を日本館のメインキャラクターとして再利用して貰いたいものである。
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(左)人民大会堂にて/(右)寧夏の回族民族服
 午後のお土産タイムを経て空港までは世界発営業路線のリニアモーターカーを試乗したが、これは別項で触れたい。

 ここで団長・副団長の議員二氏とは別れ、心も体もすっかり身軽になっての夜半、重慶入りである。ああ嘗て旗鼓の勢いで首都南京を陥落せしめた帝国軍に際し、蒋介石閣下が臨時政府を置かれた重慶である。近衛公の発した「国民党政府を相手にせず」の声明は爾来34年を経て現実のものとなったのである。等という冗談は間違っても言える雰囲気はない。ここでも同行戴いた中日友好協会幹部の方が「ここは上海か~!」と驚愕されたいた様に、渋谷センター街かと見紛う大繁華街は昨今数年で築かれたものらしい。しかしその感慨も尻目に我々が向かったのは、重慶名物・火鍋料理であった。
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甕の中には陰茎が
 中国視察が毎昼毎夜中華料理だったのは当たり前である。さぞかし胃腸に負担がと思われようが、存外にカンペイ(干杯)の災渦に見舞われることも少なかったし、嘗て横浜中華街で某先生に昼飯を奢って戴いた際にも痛感したが、良質な中華料理は油分が少なく、それを時間を掛けて食べるから胃潰瘍を経た私の消化器官にも非常に優しいのであった。勿論余らせるほど次から次へと皿が運ばれるのが持成しの極意であるから量のコントロールを間違えると大変で、往々にして教訓は次回に活かされず日に日にフォアグラ症状を示すのだが、流石に人民大会堂のメニューは絶品だったし、夜は西夏、昼は宋と美しい民族衣装の給仕の方々とともに賞味した銀川も「牛の陰茎」スープのみならず非常に印象深かった。
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(左)噴水舞う重慶の109前/(右)幾ら何でも煮しめ過ぎ
 ところが重慶まで南下したところで事態は一変する。汁は明らかに常軌を逸した赤みを放っている。この種の鍋は台湾料理他の名称でわが国にも進出してきてはいるが、その辛さは段違い平行棒である。しかも内陸だから海鮮は少なく、野菜を食さない私は必然肉ばかりになる。とはいえ元来の辛いもの好きに加えて緊張感からの開放、更には便秘への良き刺激にもなろうかとパクパクあり付いたのが、文字通りウンの付きであった。大連では無用の長物であった征露丸、ならぬ正露丸のお世話に預かり、なお断続的な便意を抱えたまま後半戦に突入するのである。火鍋のわが国本土上陸の際には少なくとも麺類を増加すべく進言申し上げたい。
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