コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月28日(木) 加重投資  -コンピュータ - 周辺機器-

c871.jpg CDをダビングするようになってから飛躍的にCD-Rの数が増えたが、このところラベル印刷が著しく汚ない。それ故に焼き直すのも馬鹿らしいし、掃除をしてもすぐまたどす黒い波線が甦る。しかしながらインクも買い増したところだしと思案投げ首取り合えず家電量販店を覗くと、プリンタ最売れ筋機種のCANON MP500が商品切替のためだろう、完売表示が相次いでいる。ないとなると欲しくなる哀しい人間の性で結局在庫あと僅かのアマゾンで衝動買いして仕舞った。
 いざ印刷してみるとCD-Rは確かに綺麗だが写真は画質が向上しているのは明らかとはいえ四年前に旧機種に更新した際も同じ感想を抱いた様に著しい感慨は覚えない。そればかりか経団連会長企業に敬意を払った訳ではないがEPSONからCANONに乗り換えたため、原写真の発色に近いのだろうが色合いが濃いというか寧ろ若干暗く見える。これならばもう一ランク上にすれば良かったのかも知れないが、本体を安価にして消耗品で稼ぐからくりのためMP950だとそれこそDPFに出すより費用が嵩んで仕舞う。加えてMP500でも充分に本体がデカくて何事かと蓋を開けるとスキャナーまで付いていることに今更ながら驚かされた。コンパクトになるのは便利だが、わが家には既に二代目のEPSONスキャナーが腰を据えているのである。何か釈然としないものを感じながら技術革新とはこんなものかと納得してみる。

 公資が愈々寝返りをはじめ、眠りそうになっては回って視界が一変するのが物珍しいのだろう、喜んで起きて仕舞い、けれどもまだ元に戻れないのでやがて疲れて頭が下がってきて泣く、という手の掛かる時期がやって来た。母は強し、と父の頭も下がる。

9月26日(火) 顔触れ  -政治・経済 - 安倍晋三-

c870.jpg 安倍新政権が成立した。"論功行賞"との指摘が喧しいが、総裁選に勝利した陣営が主流派を構成して政権の中枢に臨み、一方敗れた側は穏忍自重し以って他日を期すのは政権与党としてあるべき姿であり、旧来の"派閥順送り"よりは余程建設的であるし、"論功"された顔触れが貧弱であればそれは問題だが、今回は対象者が多過ぎたがために却って実力者を配した布陣となり、とくに柳澤氏自身が率直に語っていた通り緊縮税財政を司取る側だった氏を最も支出の嵩む社会保障担当に、一方で科学技術予算や政策減税の要望側だった尾身氏を要求される側の財務相にという配置は見応えのあるものではなかったか。"仲良し内閣"は安倍カラーの打ち出しに他ならず、補佐官の拡大など官邸機能強化、政府への議員配置増を通じての与党との一体化推進の試みは的を射ていよう。
 寧ろ塩崎氏の起用や、唯一明確に論功でないないがら元来思想・信条が安倍氏に近く、本人に取って"次"を目指すのであれば必ずしもプラスに働くかは微妙であるが、総裁選を通じて都市部層の人気が確認された麻生氏の再任に僅かにその要素が見受けられるものの、来るべき統一地方選挙、参議院通常選挙に向けの陣容とは言い難いところが不安視される。選挙は党でという仕切りかも知れないが、美しい国づくりには美しい議席数が必要なのも厳然たる事実である。

9月25日(月) Left Wing'd Dream  -テレビ・ラジオ - TV-

c869.jpg 「筑紫哲也 NEWS23」が放送18年目にしてキャスターを草野満代氏から同じく元NHKの膳場貴子氏へ交替するなど大幅にリニューアルされた。同番組はテレビ朝日の「ニュースステーション」に対抗すべくTBSが社運を懸けた「プライムタイム」がキャスター・森本毅郎氏のスキャンダルもあり撃沈した後を受け、23時台に移行してスタートしたもので、Nステが久米宏氏の軽妙なコメントのもとに"ニュースショー"としてよく言えばエンターテインメント性溢れる、悪く言えば半ば意図的な偏向報道で一世を風靡したのに対し、筑紫氏の元朝日ジャーナル編集長という色合い明らかなた経歴に似合わぬバランスの取れた報道姿勢には視聴して後味の良い番組であった。しかしながら年を追う毎に筑紫氏の趣味性が顕著となり、主題曲を担当した坂本龍一氏が度々出演するなど報道ニュースというよりは芸術特番かNHKスペシャルかと見紛う如き様相を呈し、ライバルであったNステが終了してからは頓に、意識的に地を出すようにしたのか、年を重ねて怠惰になり本質が露呈したのか、或いは好意的にみれば筑紫氏自身の立ち位置は変わらなくとも日本社会全体が"右傾化"する中で何時の間にか左側になっていたという、社会民主連合に政治生活の端緒を求めながら今や社民党左派の重鎮である田英夫氏パターンなのかも知れないが、Nステの後継番組がノンポリ青年が反政府を気取る風情の惰性に陥る中、NEWS23も歴史的使命を終えたと思っていたので、今更に梃入れを図ること自体奇異に感じられた。
 第一回を見る限り、自民党三役人事、民主党党大会と小沢代表の緊急入院と政治ニュースの多い一日だったためか普通のニュース番組だったが、巷間伝えられる通り、早晩訪れる筑紫氏の引退を見据えた試行錯誤の一環だろう。勿論、謎の新キャスター・山本モナ氏は米国的な意味での"リベラル"らしいし、晩年の筑紫氏路線=Left Wingは継承されることが容易に予測されるが、マスコミは本来"反権"であって然るべきだし、メディアの左傾化が戦後民主主義史観に過剰に毒された世論の回復の裏返しであればそれはそれで喜ばしい兆しとも言えまいか。

9月23日(祝) 朝焼けの光の中に  -テレビ・ラジオ - 特撮ヒーロー-

c867.jpg 「ウルトラマンは居ますか。はい居ます。はい判りました」と受話器を手にした祐旭の声が響く。実際には電話の応対はまだまだ未熟でウルトラマン倶楽部への問い合わせを一人二役で演じているのだが、その隙に確認をとHPを見た父は驚いた。「5/31で閉鎖致しました。」
 ウルトラマン倶楽部とは浅草ROX6階に設けられた小テーマパークで、ステージとボールプールも含むジムランドという構成に顕著な様に、言わばしましまタウンのウルトラ版である。都合2回訪れたが充分に賑わっていたし、乳幼児主体なので休日に限らず需要の多いしましまタウンに比べ若干年配層、即ち学齢児が増える分だけ平日は閑古鳥なのかも知れないが、キャラクターショップの占める割合も大きかったが故に円谷プロとしてはマーチャンダイズの売上に少なからず影響を蒙るのではないか。仮面ライダーや戦隊シリーズにこの種の遊戯場が存在しないことに鑑みれば熊本や石川にテーマパークの残置されるウルトラ人気は健在との見方もあろうが、一方で円谷プロにとって虎の子かつ唯一のドル箱の東京における広告塔を失うことは斜陽の兆しと受け止められてもやむを得なかろう。

c868.jpg しかし円谷プロの将来に想いを馳せる暇もなく、「ウルトラマンに会いに行こう」と約束して仕舞った手前「星に帰りました」では父の沽券に関わる。そこで閃いたのが以前同僚に指摘された、祖師谷大蔵にお目見えしたウルトラマン商店街で、ロクに確認もせず飛び出したのであった。
 いざ駅に到着すると広場にマンが立っており、これが5月に除幕式が行われた像に違いない。しかし商店街を歩いても「お父さんはウルトラマン」の漫画を模した垂れ幕こそ到る処に掲げられているが、車通りも少なくない何の変哲も無い街道が続いており、後から調べるとグッズ販売店もあった様だが単に練り歩いているだけでは辿り着けない構造で、商店街の切れ目にゾフィーが飛んでいた(右写真)のは目を引いたが、却って町興しの難しさを痛感させられた。では何が足りないのか、桜新町のサザエさん通りには長谷川町子美術館があるではないかと思い至って再びハタと閃いた。円谷プロに行こう。急ぎ住所を調べ、商店街を反対まで取って返して空飛ぶ新マンにもお目見えし、老朽化の末建て直しの決まっている東宝撮影所を横目に迷いに迷った挙句、瀟洒な住宅街の中にそれは忽然と現れた。勿論中に入れる訳もなく、そこがウルトラマンの街の本拠であることを示すモニュメントが初代マンとU教授ならぬミラーマンの2体の立像であることは、かの地がわが国SFXの雄であるよりは第一次・第二次特撮ブーム世代の郷愁の対象たること自負を雄弁に物語っていた。
 祐旭は動かぬウルトラ兄弟達にも一応の満足を得られたようだが、これだけでは寂しかろうと帰路には新宿サクラ屋ホビー館に足を伸ばしウルトラ玩具を漁ってみる。色眼鏡かも知れないが、とくにウルトラは食玩・ガチャガチャの類よりは1万円近いジャミラ像であるとか、高年齢層を対象とした商品が目に付いた。何となく怪獣墓場に彷徨うシーボースの狭間に垣間見える円谷プロの未来図の如くで寂しさを禁じ得ない一日だった。頑張れウルトラ兄弟。

9月21日(木) 白地に赤く  -政治・経済 - 愛国心-

 都教育委の行った入卒業式等における教職員の国旗への起立、国歌斉唱の指導・通達が「思想・良心の自由を保障した憲法に違反」とされる驚くべき判決が東京地裁で出された。そもそも公立学校において教職員に国旗・国歌への敬意を強制しなければならない事態が異常であって、個々人が長じてどう判断するか、国旗・国歌に対し否定的な思想を抱くことまでは排除する必要はないが、国民としての最低限の規律・規範は幼少時から自然に体得させることを通じて、国を想う心が自発的に醸成されるべく指導するのは当然である。
 判決にも「教職員は国旗掲揚、国家斉唱に関する指導を行う義務を負い、妨害行為や生徒に起立などの拒否を煽ることは許されない」との当然の指摘があるが、教師が起立・斉唱しない姿は特別権力関係の無言の圧力の中で事実上児童・生徒に「拒否を煽る」ことであり、「式典の妨害や国旗国歌を尊重する態度を育てる教育目標を阻害するおそれはない」との解釈は教育における教職員の果たす役割、影響力を過剰に矮小視しているのではないか。教職員としての職責と教職員個々人の思想・信条の自由は切り離されなければならない。

 小沢一郎氏に関する著作が巷に溢れている。その中で本人の書かれた二冊を読んだが、「小沢主義」は議会制民主主義における考え方、「剛腕維新」は対米追随、格差拡大、規範・モラルと現政権批判が主眼で、とくに後者はコラムを集めたものなので同じ話題が何度も出てきて幾分冗長だが、小泉構造改革を先取りしていた面もある「日本改造計画」を想像すると期待外れの感は否めない。しかしながら現段階では理解され易い理念の提示に留め、参院選に向け新政権の出方に応じて細かい施策を打ち出していくとすれば野党らしい、手強い戦略と受け止めるべきではないか。

9月20日(水) 次の日本を、貴方に。  -政治・経済 - 2006自民党総裁選-

c866.jpg 安倍新総裁が誕生した。谷垣氏は三位ながら計三桁に乗せる健闘を見せ、麻生氏は期待ほどには伸びずも議員票・党員票とも二位を確保し、安倍氏は7割には乗せなかったとはいえ大勝には違いなく、各陣営とも一定の満足感を得られる結果で、安倍氏の票数が伝えられた瞬間の場内の微妙な沈黙に示される様に、票の伸び悩みが過度の党内融和への配慮、引いてはリーダーシップの欠如に繋がりかねないとの一抹の懸念こそ残るものの、帰趨の余りにも明らかだった勝負ならば勝ち馬に乗りたい心理がもっと働いても可笑しくないところ、バランス感覚が優先されたのは矢張り政権政党の知恵と言うべきか。
 嘗てなら美しい結果には事実であるかないかに拘わらず必ず「竹下シナリオ」と論評されたものだが、恐らく今回は末端まで巧妙な絵図面を描くことの出来た人物は居なかったのではないか。オープンな時代として喜ぶべきなのか、政治のプロが居なくなった、乃至は出番が無くなったと嘆くべきなのか。「麻垣康三」が成立しなかった時点で既にプロは居なかったということかも知れないが、にも拘わらず美しい結果が生まれる底力に敬意を表すべきなのか。

 タイでクーデターが起きたが、何しろ公式なタイ大使館HPにも自国の歴史について「タイ式クーデターが繰り返されて~」と記述される程だから驚くには当たらず、クーデターが一種の政治システムとして認知されており、大方の予想通り最後は王様が登場されて何事も無かったの様に無血革命が成就するのである。それを民主主義の未成熟と非難することはたやすいが、権力への正当性の賦与には国家・地域の文化・伝統により様々な形態があり得るという希有な示唆と受け止めよう。

9月18日(祝) 歩こう歩こう私は元気  -福祉・ボランティア - バリアフリー-

c853.jpg 公資を寝かしたA型乳母車に祐旭も同乗出来るべく、バギーボード「NEOママつれてって」を購入・装着した。確かに二人乗りにはなったが前方7kg、後方14kgとアンバランス故に後ろに傾きがちな上にA型は本体それ自体が重いので運行に力技を要する。こうなると歩道と車道の微妙な段差もネックになるが、最大の難関は電車のホームに他ならない。新宿駅13/14番線ホームを例に取れば折角西口からの上りエスカレーターを設置したにも拘わらずいざ動かしてみたらホームに人が溢れて危険との間抜けな理由で下り運用に変更され、逆に南口は昨今全線エスカレーターに上下エレベーター完備と更新著しく、再開発中の南口に人の波を振ろうとの巧みな誘引行動ではないかと疑念が湧いてくる。いざその身になって痛感するバリアフリーという訳だが、閉口するのは折角のエレベーターに高齢でもなく荷物もなく軽やかに闊歩される層が多数滑り込み乳母車のスペースが消えて一台見送らざるを得ないケースがまま見られることだろう。中央線1/2番線ホームの如く貨物区域に足を踏み入れる地の果てでは困りものだが、一方で余りアクセスの良い場所よりも少々不便な位置に設置される方が利用が純粋にエレベーターを要求する層に限定され好ましいのかも知れない。

 吉野屋の牛丼が2年7ヶ月振りに飛び石の再開。安全性の問題を隣に置いておいたとしても同業他社が豪中産牛に乗り換える中、本当に米国産が飛び切り美味なのかとの疑問が残る。わが国全体も、また個々人のライフステージにおいても所得の少ない時代に噛み締めた「牛丼」というノスタルジア幻想に活路を見出すだけでは、ファーストフードの溢れる今、業界の将来は明るくないのではと丼を食べない私も人事ながら気に掛かった。

9月17日(日) 三人のしまじろう  -育児 - パパ育児日記。-

c865.jpg ベネッセに恩義がある訳ではないのだが、船橋大宮に続き三度目のしましまタウン、前二回が父子二人旅だったのに対し今回は一家四人での来訪である。
 溝ノ口に足を踏み入れたのは実に30年振り位だが、高架になった田園都市線を降りると二階のまま空中舗道でJR武蔵溝ノ口を乗り越え下界に降りぬまま丸井に直行出来るとは、嘗て雨の中、祖母と駅で待ち合わせ互いに国鉄と東急 の駅で見通しが効かず1時間以上待ち惚けしたのを思えば隔世の感がある。しましまタウン自体はステージとボールプールを両端に、中間は飯事グッズが並ぶ構造は何処も一緒で、これも嘗て小学校時代一月半ウィーンに逗留した際、 シェンブルン、ヴェルヴェデーレ、ホフブルグの順で宮殿を見たことに触れ「逆順で見ればどれも感動出来たのに」と冷静なのか可愛気がないのか微妙なコメントを旅行記に残したことがあったが、溝ノ口、大宮、船橋と回れば感慨も大きかったろう。
 祐旭はボールプールで係員の女性に愛想を振りまき纏わり付いて離れず、先方も仕事とはいえ一寸迷惑そうだった。子供も矢張り若い女性が好きということなのだろうが、一方で妻はしまじろうグッズの販売が存外に貧弱で残念そうだった。乳幼児教材市場において圧倒的に「こどもチャレンジ」が凌駕したのは、TV露出は控え、父・しまたろうに母・さくらはいざ知らず友人のみーみであるとかパペットのラインナップも揃えそうなところ敢えて手を広げず、しかも一般販売は食物等安価なものに留めて通販主体とするなど希少性を高めて消費者の飢餓感を煽る手法に勝因があるのだろうか。今や乳幼児あるところにしまじろうありなのでちっとも希少ではないのだが。

9月16日(土) 金メダルへのターン  -育児 - パパ育児日記。-

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 三年連続で児童館主催の運動会に祐旭が出場、這い這い競争で優勝した一昨年(写真左)からすると大きな進歩だが、出場競技も全体プログラムも昨年(写真中)同様なので、流石に一寸飽きる。と言っても乳幼児に早々複雑な課題を与える訳にもいかないのでやむを得なかろう。一番大きな違いは昨年までは介添役だった妻が公資専属となったため父が誘導と写真・ビデオ撮影の一人二役を務め、必然的にロクに写真が撮れなかったこと。しかも前日のリハーサルを欠席した祐旭はドーナツ食い競争でドーナツを食いに引き返したため最下位に転落と記録は今ひとつだったが楽しそうで何よりだった。愈々明年からは出場二名となるが、6月生まれの公資は来秋には既に這い這いは卒業している頃なので1歳児かけっこの部での奮闘を期待したい。因みに杉並第四小学校は高円寺北幼稚園との幼小連携モデル事業対象校だが児童館は厚生労働省管轄の児童福祉施設である。一寸ややこしいが相互乗り入れの一環として支持したい。

c864.jpg 続いて午後は町内会の子供祭りだが二歳児と乳呑児では御輿は担げないのでぞろぞろと山車を引くことになり、気分は殆ど行軍である。父母も綱に携わるのでこれまた写真が撮り難く残念だったが、中途ひと休みしてガリガリ君に齧り付いたりバナナにありついたり、畢竟祭事とは行事そのものの蠱惑性は集客の方便に過ぎず、人と人との接点としての場の提供にこそ意義があるという祭りの原点を痛感した。
 と家に帰って落ち着くと再び高らかに太鼓の音が響く。祭りの続きかと思いきやニートの家賃をロハにとのとんでもないお題でサウンドデモなる示威行為が行われていた。「働け!」という怒り以前にニートという流行り言葉と職業左翼とを結び付け、若年者の焦燥感を利用する勢力に非常に腹が立つ。革新・中野、革新・杉並未だしでは済まされなかろう。

9月15日(金) こども園ではないが  -育児 - パパ育児日記。-

 朝は一家で最寄りの幼稚園見学に訪れる。二歳児と三歳児では微妙に言語形成に差異があるらしく祐旭は話し掛けてもなかなか反応が得られないので「なんでもないなんでもない」と自ら打ち消していたが、ほぼ同世代の園児と臆せず遊びに興じている姿には安心する。
 幼稚園選択には幾つか検討すべき項目があり、進学嗜好を含めた入園者の家庭環境や神社・教会といった経営母体の宗教性も大きな判断材料ではあるが、現実には車のないわが家としてはまず園までの距離であり、同時に漠とした物言いになるが教諭陣の雰囲気だろう。自らの幼稚園時の記憶は殆どないが小水に立つことが出来ずに教室内で漏らして仕舞ったことは鮮明に焼き付いているので整然と椅子に座って授業を受けるシステムが想起されるのだが、昨今はどの幼稚園でも多かれ少なかれ「自由教育」の名の下に、よく言えば子供の自主性を尊重した運営が施されており、過度の放任は小学校に上がって40分間椅子に座り続けることも出来ない学級崩壊の遠因ではないかとも疑われるが、それだけ幼稚園選びのみならず家庭教育の重要度が増しているのだし、一方で愈々幼稚園と保育園の峻別が曖昧になってきているとは言えまいか。
 そもそも幼稚園は教育、保育園は保育とその生い立ちが異なり、前者は学校教育法-文部科学省、後者は児童福祉法-厚生労働省の管轄だが、実質的には専業主婦世帯が前者、共稼ぎ世帯が後者との色分けが為されている。わが国には根強い「三歳児神話」があることからも多くの私立幼稚園が4歳児から就学前の三年間を対象にしているのだろうが、幼稚園も預かり保育を実施しているし、少子高齢化が進み園児確保のために2歳児のプレ幼稚園を開催しているケースも少なくない。確かに乳幼児期に親が自ら育児に携わることは子供の精神衛生上非常に重要であるが、等しく同世代乃至は近隣年配の子供同士の触れ合いも社会性の獲得に欠かせない要素であり、要はそのバランスを如何に取るかだろう。従って、地域子ども教室と放課後児童クラブの融合が図られる以上に、幼保一元化に向け一歩を踏み出したのは評価すべき施策であろう。

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 夜は公資の生誕百日でお食い初め。子供が一生食べ物に困らないようにとの趣旨で行われる儀式で祐旭の際(写真左、04/2)同様に定番の鯛のお頭付きである。本人は盛んに指をしゃぶって涎を垂らしているが勿論食べられない。是非野菜も食べようね。
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