コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月30日(金) グーグルのある生活  -コンピュータ - インターネット-

c758.jpg 巷にはGoogleの活用が情報社会を制すると言わんばかりの礼賛と、Googleに席巻されるなという警鐘と相互に明後日の方向を向いたGoogle礼賛論が溢れている。ネット検索にはyahooに代表される、HP主宰者が定めたキーワードに則るものと全文検索の二種があり、後者ではGgogleとの定評は日本版の立ち上がり直後から強く、昨年から今年に掛けてもわが国のGoogleユーザーは3割増しだという。何故Googleの天下かは警鐘論の代表策である「Google 既存のビジネスを破壊する」によれば、人為的な介在を許さず純粋に係数による検索結果の序列を付す優良なシステム開発とこれによるコスト削減であり、もうひとつは単なるバナー広告でなく、当該HPへの来訪者の嗜好に見合った広告を随時提供すべく広告主とHP主宰者を仲介する広告代理業の強みにあるとされる。
 かく言う私もgooやinfoseekといった他頁との比較の末にここ数年来はGoogle一辺倒だったのでだったので全文検索の強みはよく判るが、広告面の理解も深めるため、あわよくば一攫千金を舌なめずりしてという思惑も秘め、自身のHPをまな板の鯉としてみた。爾来一月、その間のHP来訪者15千強のうち広告のクリックは30、1日僅か一人に過ぎない。寂しいことよと内容を見ると「短期トレード成功の秘密」「オンライントレードで勝つ」といったフレーズが踊っている。
 わがHPのタイトルは「日本プロ野球 トレード・移籍大全」である。このトレードはそのトレードではない。そもそも野球関連の広告掲載需要が少ないのであろうが、金融関係が殆どなのは"トレード"の語に引き擦られているのだろう。Google・モデルの日本語読解能力もそんなものかとの思う反面、確実に30クリック分のGoogle利用者と収益を増やし王国の底辺拡大に寄与していることに鑑みれば、地図や画像検索など次々とタマを繰り出して興味を惹き付ける飽くなき吸収力に兜を脱がざるを得ない。

6月29日(木) 長い尾を踏む  -本・雑誌 - 読書-

c757.jpg 妻の入院から公資誕生後の通い夫生活で5~6月は移動時間が極端に多くなった。移動中は原則として読書に充てており、かつ夜も出来るだけ抑えたので必然的に本の消化が早くなる。5月など黄金週間の外遊があったにも拘わらず21冊とは日本船舶振興会も真っ青の"一日一冊"振りで、妙な比喩だがオールスター休暇を挟む7月に達成された南海・門田選手の月間16本塁打の新記録、の様なものか。6月後半から夜のお仕事が復活したのでペースは落ちたが、数えてみると2ヶ月で50冊も買い入れていた。いい加減本棚から溢れ、整理の仕様もない。
 うち概ね半数はアマゾン、半数を書店で購入している。学生時代にこんなサービスがあったらという取り留めのない話題の中で、例えば「松方弘樹の弟」が思い浮かばなかった際、電話すると「目黒祐樹です」と回答して呉れる万問い合わせ係があり、今ではこれはネットで検索すれば瞬時に判明するのでその歴史的意義を失っているが、もうひとつが以前にも述べたが「初期YMOが好み」と伝えると未だ名も知れぬ大量の現代テクノからポップの香りを持つものを抽出する、ニーズの具現化業だった。実際には「Yellow Magic Orchestra」を"持っています"にチェックしても、お薦めされるのは判で押した様にクラフトワークかディーボであり、アマゾンがその域に達しているとはとても言えまい。しかし既に亡くなった産経新聞の元越特派員の方が書いた「サイゴンのいちばん長い日」という様な書籍には、アマゾンの"マイストア"システムが無ければ出会うことは出来なかったろう。少数のベストセラーの大量販売から多品種少量主義への転換、これをグラフ化した姿の少量側を恐竜の尾に見做した「ロング・テール」という経済用語が一般化しつつある。即ちジャンル分けの困難な音楽の世界ではいざ知らず、書物においては嘗て描いた夢のサービスは実現しつつあるのだ。
 一方で、これはアマゾンではないが、ヤフーオークションでスポニチプロ野球手帳を買い増したが、お目当てのスカウト等の裏方一覧が掲載されているのは既に持っていた年からで、丸っ切り空振りに終わったという苦い経験があったが、幾ら分類が容易で要約や評価を掲載しているとはいえ中身を開くことは出来ないので、言わば音楽媒体におけるジャケ買いに近い状況が生まれ、いざ読み始めて二度と開きたくなくなるケースもまま生まれるのも事実である。
 単曲のネット購入がより盛んになればCDというメディア自体の存亡が問われる音楽業界に対し、書店の重要性は今後も変わらないだろう。 その中でこれからはネット購入に存在しない利点、パラパラと本を捲り感覚的に内容を吟味しながら練り歩くことの出来る空間を如何に提供するかが書店の生き残り競争の鍵となるのではないだろうか。

6月28日(水) ソシアル・キャピタル  -政治・経済 - 政策-

c756.jpg "Social Capital"とは何か。直訳すすると「社会的資本」で従来型のインフラと見分けが付かなくなって仕舞うので「社会共有資本」と訳され、要は社会における人間同士の凡ゆる繋がりの多寡を示す指標ということらしい。詰まり現代社会、取り分け都市部においてはコニュティ感が希薄になり、隣人が誰であるかも定かでない「都会の孤独」等と一昔前のCMの題材になりそうな視点を逆に捉え、地方は人の繋がりが豊かで犯罪も少なく、この「社会共有資本」を活かすことが地方の再活性化の鍵であるとの指摘で、一見して"疲弊する地方"、"格差の広がる地方"に配慮したメッセージ性を持つことが理解出来る。
 しかしながら「非都市部に繋がりが大きい」ことは理解出来るが、同時に企業城下町に代表されるように居住者の同質性が高く、人の出入りも少なので刺激に乏しいのではないかとの疑問も湧いてくる。「人脈」と言い換えるのは短絡的に過ぎるのかも知れないが、それが生かされるのは混沌とした都市部であり、地方の持つ人的連関を有機的に機能させるには中核となる人物・集団の余程の腕力か、社会共有資本の威力を発揮させるための社会資本そのものがまず必要なのではないのか。勿論、都市部において社会共有資本を満喫している方が、寧ろ幸福な一例に過ぎないとの指摘はあろう。しかしながら昨今の悲惨な事件が人目の少なくなった非都市部に寧ろ増発している感があることに鑑みれば、 それこそ社会共有資本の減退の証左であり、ソシアル・キャピタルの蓄積に注目すると同時に既に地方においては活用出来るソシアル・キャピタルの質が低下しつつあるのではないかとの視点からもこの新しい発想を練り上げていく必要があるのではなかろうか。

6月27日(火) ラーメン食べたい  -グルメ - ラーメン-

c753.jpgc754.jpg
 玩具店トイメートが店仕舞いした後にラーメン花月が誕生した。大蒜臭の強い味が売りの杉並を基盤とするチェーン店だが、嘗て小学校時代の私がLSの拳銃プラモデルを漁り、近年は倉庫と化して閉じられていた二階も席が並んでいる光景には感慨を覚えるが、これで地方発芽京都の天下一品、九州の風風、東京発がザボン(六本木)に花月とラーメン街道と言えば環七が有名だが、高南通りも負けず劣らず大手チェーンが軒を並べる展開となってきた。
 私のラーメンの好みは濃い味噌味を主眼とする。しかしながら味噌ラーメンにはもやしが入っているので必ず「もやし抜き」と指定しなければならないし、うっかりすると間違えて入れられて仕舞うケースもあるので現物が目の前に現れるまで気が抜けないのが困りもので、この観点からはもやしなし札幌味噌ラーメンだった旭龍の閉店は痛かった。もうひとつは辛味好きなので、越人が薄味のフォーに香辛料を大量に投入し好みの味に仕立てる様に、自在にトッピング出来る卓上構成が望ましい。従って、ひとつを選択するならばやはり「一蔵」であろう。旧ホープ軒の閉店後に居を構えた一蔵はホープ軒の暖簾分けを受けたのではないかと思われるほど同系統の味覚で、かつ日によって完成度にバラ付きの多かった旧ホープ軒より遥かに安定度が高い。もやしは入っているが抜き忘れはなく、豆板醤を自由に利用出来るのも嬉しい。一方、花月はバター・ベースが私の口には合わなかった様だ。
 新高円寺まで出れば阿佐ヶ谷のげんこつラーメンや、味噌系のちりめん亭も聳えるし、PAL商店街、更には北口にもラーメン店は枚挙に暇ない。問題はカウンターに足の高い椅子という店舗形態から子供が手ずから麺を口に運ぶのは難しく、家族一緒に食すことは当分出来ないということだろうか。通い夫の間に味わい尽くそう。

 家のVDSL機が交換され50Mから100Mに昇進した。そう言われると体感でも早くなった様な気がするが、98年導入のWindows98機本体を改めない限り効用は余り発揮出来ないだろう。しかしその必要性も少ない。個人消費の拡大には更新投資に踏み切らせる何等かの契機が必要といういことか。

6月26日(月) 指導者の口数  -政治・経済 - 政治家-

 自民党による経済・財政一体改革がまとまり焦点の歳出削減策も合意を見た。消費税上げを明示すべしといった批判もあろうが、以前も述べた通り財政の健全化は"戦後"とまで大上段に振り被るのは大袈裟かも知れないが、高度成長期以降分配のパイが減少し、硬直的な財政運営を強いられたわが国経済の総決算とも言うべき大事であり、基礎的財政収支の黒字化はその一里塚に他ならない。そのための歳出削減を分配を求める側だった与党自らメスを奮い、責任も負い、かつ一律でなく軽重を付して精査し得たことには、素直に一定の評価を下しても良いのではないか。
 個人的にこの過程で再認識したのは、語呂合わせではないが党の政策立案の重職である一見全くキャラクターの異なる政調会長と税調会長に共通する姿勢だった。それはよく喋るという事実である。従来、わが国における指導者、就く政治家は「巧言令色少なし仁」ではないが、言葉少なを以て良しとなす風潮が強かった。"長"は会議においてひと亘り談論奮発させたのち最後に徐に総括を下し、取り巻きはその禅問答の如き物言いの微妙な変化を忖度して"長"の真意を解釈する潮来の役回りを務める。発信が極端に少ないだけに一言一句は重みを持ち、時には本人の思惑以上に高邁な意義を付される事態も生ずる。
 勿論饒舌な御仁は少なくない。地方講演等で観測気球を上げるのは従来から採られた手法だし、恰も超然内閣であるが如く政府に対して注文を付けることを職責と心得、官に怒りながら教えを請うている光景は飽きる程目に焼き付いている。その中で前掲両氏に特徴的なのは会議の運営だろう。積極的に指針を示し、意見には自ら回答する。トップの発言過多は兎角これまでは自由な議論を封殺するという負の側面が強調されたが、寧ろトップダウンの強いリーダーシップとともに、永田町の外にも主張の波及する「判り易い政治」という観点からも、明確な発言は現代政治家に望まれる資質であろう。

6月25日(日) 男と女  -育児 - パパ育児日記。-

c749.jpg 子供が出来ると途端にマイホーム・パパという御仁は少なくない様だが、そもそも私は夫婦二人だった折から仕事にしろ交友にしろ夜繰り出すのは事前に予定を定め、それ以外は足早に家に帰っていた。それは家が一番落ち着くからだが、一方で土日は子供が出来てからも友人達との各種「会合」に可能な限り足を運んでいたのだが、昨年には職務内容が変わってとくに年前半は土日の何方かに仕事絡みの催事が入るケースが多かったために出席率が低下し、更には物心付いてきた長男と遊ぶのが楽しくなってきて、更には二人目が臨戦態勢に入ると妻から駄目出しが入る訳ではないのだが、愈々不義理になりつつあった。
 而して本日も昨日に続き神宮外苑を攻める積もりだったが、5時に弟に泣き声に目覚めさせられた祐旭は既に眠気を催し、一旦徒歩で出立しながら本人の希望で乳母車上の人となり、駅に付く頃には既に"あむあむ"を求め始めていた。ここで脳裏に浮かんだのは既に足掛け12年37回目を数える麻雀の会が一日行程で友人宅で行われることである。しかも東京東部から程近く今から電車に乗れば待ち合わせに概ね間に合うではないか。瞬時に頭を切り換え横須賀線ホームへと下る。電車が動き始めると予想通り祐旭は眠りに付き、折角の併走する新幹線の勇姿も目に入らない。結局駅から友人宅まで送って貰う際に起きて仕舞ったが、父は一転卓の人と化したのである。
c752.jpg 到着間もなくは寝入り端を邪魔されたこともあり父の膝で愚図付いていた祐旭だが、ホストのK夫人の懸命の饗応に徐々に心を開き、同家の主である女性に導かれ手に手を取って遊びに興ずるに至ったのである。しかし考えてみれば女史は祐旭と同年、厳密に言えば2ヶ月余年少である。にも拘わらず昨日に続き喜々として女児にリードされているとは、公園友達も羊の会も圧倒的に女性の絶対量が少ない環境の為せる業か、すべからくこの世代の男児に共通する嗜好なのか。因みに雀士のひとりに寄れば祐旭が女児に腕がぶつかって仕舞った際に発した「ごめん、ごめん」の口調が父に酷似しているとの指摘があったことを付記しておこう。
 結局ホスト家には散々世話を掛けた上にお土産まで戴き、一局終了時点で早々に会場を去った。父がとても牌に手が回らなかったのはまだしも、周囲のペースまで乱して仕舞ったのは不覚であった。競技者の何れもが真摯に臨まなければゲームとしての盛り上がりは半減する。子供との遊興と、友人との遊興の両立の難しさを改めて感じさせるお出掛けであった。

c751.jpg 帰宅後、ウルトラマンのCDを借りてくる。てっきりDVDだと思い込んでいた祐旭は「絵がないの~」と不満気だったが、TVサイズ主題歌集というマニアックな内容に聞き入っている。順を追う毎に時代を遡っていくので後半になるに連れ、祐旭には馴染みの曲が並ぶのだが、マンに至って鋭い指摘があった。「ちょと違うね~。お友達が唄ってるね~」。TVサイズにはレコード版と微妙な差異のあるものが多く、Aの「いざゆけ、いざゆけ」というTV版のみの歌詞も有名だが、マンは唄っているみすず少年合唱団の声がTV版は明らかに幼いのである。音楽知識の絶対量が少ないが故に僅かな相違も知覚出来ると言えばそれ迄だが、父に替わって将来は音楽家かなどと偉大な夢を抱いてみたくなる。

6月24日(土) 風雅な公園  -育児 - パパ育児日記。-

c748.jpg 今週は神宮外苑に旅立つ。日比谷、代々木がそうである様に広大な公共用地は旧軍施設であることが多いが、ここ外苑も嘗ての青山練兵場跡である。お目当ては寧ろ信濃町駅に程近い児童遊園で、東京東部巡りも遂にネタが尽きて原点に返って公園に回帰した訳である。しかしながら大人200円、2歳児以上50円という少額ではあるが入場料を取る隔離された公園なので当然ながら此所を住まいにする人もなく、場所柄異国の親子も散見されるなどどことなくハイソな香りが漂う。富士見台と名付けられた東家もあり、羊の会もここを会場にすれば随分と安上がりかも知れない。
 熱心に各種滑り台に興じていた祐旭だったが、唐突に現れた若干年配の女児に共に遊ぶべく誘われる。以前なら逃げまとったであろう祐旭も頓にここ昨今、社会との調和の術を会得しつつあり、積極的に手に手を携え嬉々として益々盛んに滑り捲る。「おうちごっこやろう。何やる?」「ウルトラマン!」「ウルトラマンはいないの。。。」「じゃあねこ。お父さんはワンワン」と女児との会話も立派に成立していたが、矢張りままごとが出来る程にはまだ至らず、昼食を前にお別れと相成った。
c750.jpg 帰路は道脇の花を眺めながらの風流な道行きだったが、青山通りまで出て今日こそは飲食店に入ろうと思いきや、「おにぎり食べたい」とのリクエストを貰ったので、本日もまたベンチに腰掛け青空昼食と相成った。家でうどんから人参と大根をひとつひとつ分別して食べている姿は父を彷彿とさせたが、母の教育の賜物か2歳にして非偏食度は顔に似合わず父を凌駕しつつあるので普通の親子の様に息子が食べなかったから父が片付けるという訳にはいかず、必然的に祐旭用の食物を本人が食べなかった場合の代替として父子ともに口に合うものを父用に供することとなり、その数少ない選択肢の中でコンビニで買い食い可能となると概ね稲荷寿司に限られる。結論は今般も所望した筈のおにぎりに僅かに手を付けただけで二人仲良く稲荷を頬張るワンパターンに帰結し、都心をハイソな街を後にした。

c747.jpg 夜は二ヶ月振りの中国男練習。三年前のバンド発足時に比べメンバーも、その有配偶者比率も、合計特殊子持ち率も著しく増大しているので、月イチペースだった練習もとくに今年に入ってからは二月に一度に減退し、その中で新課題曲も抱えながらひと月もなく昨年12月以来の公演を迎えるという綱渡りを演じている。従って今回は出来る限り完璧を目指していた過去3回と異なり「悪条件下でどう戦うか」という大戦後期のわが国の如く難題に挑み、如何に人前に出せる姿を取り繕うかがテーマとなろう。
 7月15日、北千住にて前回に続きトップバッターで登場する。

6月23日(金) その下には何がある  -サブカル - 都市伝説-

c746.jpg 秋庭俊氏の「新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実」を読む。同氏はこれまでに「帝都東京・隠された地下網の秘密」三部作を著しており、東京の地下には既に戦前に構築された大地下網があり、地下鉄や首都高速道路といった戦後の地下構造物の大半はその転用であるというのがその主張である。取り分け第一作は戦後に作られた筈の丸の内線にメートルでなくヤード法に基づいて計測されたカーヴがあるのは戦前の工事進捗を示すものではないか、地下鉄の建設線路断面図に後年に開通した地下鉄のトンネルが存在しているといった具体的検証に基づく説得力のある事例が示されていたが、作を重ねるに連れGHQの地図は一定の文字をヒントにした改錨であるなどと極めて独創的というか、悪く言えばこじつけとしか思えない突飛な話が繰り返されるに留まり、本作もその域を超えるものでなかったのは残念だった。
 しかしながら実際永田町に暮らしていると、議員会館が裏側は地下三階が地表面だったりと官邸や議事堂が高台を選んで建てられているために、地下なのか地表なのか定かでない通路を行き来することが少なくなく、ニ・二六事件の岡田首相や、安保の際の岸首相が官邸から秘密のトンネルで脱出したというエピソードに待つ迄もなく、何気なく歩いている地下道も普段閉じられている扉を開くと予期せぬ光景が広がっているのではないかとの探求心に捕らわれることは少なくない。実際、通常利用される地下二階の下にもうひとつの通路が存在するという話は耳にしたし、例えばほぼ上下に位置している筈の南北線と半蔵門線のホームを直接に結ぶ道筋がないのはその中間階に何等かの機構が存在しているからではないかという指摘は理解出来るところである。
 確かに東海道線と同じ線路上を走っていた横須賀線がある日忽然と地下鉄に変貌していた様に、地下は人目に付かないだけにある日忽然と現れる。今も知られぬ秘密の地下網は何処かにあるのだろうし、それを想像してみることは"都市変遷派"としては好奇心を駆り立てられる作業ではあるが、都市伝説の類のひとつとして発想を豊かにするのも一興ということだろう。

6月22日(木) かゆすぎる  -テレビ・ラジオ - CM-

 いきなり「俺の股間はかゆくない」とのキャッチコピーがTV画面を覆い尽くして非常に驚いた。脳裏に浮かんだのは中学時代のバンドで友人が作った「股間がかゆい」という佳曲である。
 かき出したら 止まらないぜ
 股間のかゆさは 世界一
 モノラルヘッドフォン 耳にあて
 電池の足りない カメラを持って
 そこら中 撮りまくる
 だけど  かゆみはごまかせない
 なんで  こんなにかゆいんだ
 どこでも こんなにかゆいんだろか
 股間がかゆい かゆすぎる
 ・ c745.jpg
作者はJASRAC会員ではないと思われるので歌詞掲載には支障はないと思われるが、ラストの「かゆすぎる」に伴う右手の親指と小指を立てて振りながら、左から右に風を切るアクションがポイントのこの唄は、私が股間のかゆみを訴えることが多かったというエピソードに由来している。
 そこで「俺の股間はかゆくない」だが、医薬品のCMであった。原日出子が手に掲げ"デリケートな部分に"と呟く幾分際どいCMが想起されるがそれは小林製薬のフェミニーナ軟膏で、ムヒでお馴染みの池田模範堂の直截なネーミング「デリケア」の男性版「デリケアM's」の新発売告知だったのである。しかも驚いたことにHPを見ると陰嚢のかゆみはいんきんたむしではなく、汗・蒸れのケースが殆どとの指摘がある。常々妻からいんきんではないかとの疑念を抱かれていた私には長年の疑問が氷解した様な爽快感にとらわれた。男女を問わず、股間はかゆくて当然なのである。かゆみ平均からの乖離度合いと、大手を振って股間をかくかどうかはまた別問題であるが。

 わが国のサッカーW杯における一次リーグ敗退があっさり決まった。嘗てダイエー球団スパイ疑惑の際に、最終的に追求が有耶無耶になったのは「世界の王」の存在感故の配慮ではないかとの指摘示唆があったが、"神様"のジーコの存在は残念ながら対伯戦の切り札にはならなかった様である。野球フリークとして蹴球偏重には危機感を抱かざるを得ないが、わが国の国威発揚、健全なナショナリズム育成の好機だっただけに残念である。

6月19日(月) お久しぶりね  -スポーツ - ゴルフ-

c744.jpg 昨年は3週連続が2回、最大間隔2ヶ月半が一度だったにも拘らず今年は仕事の都合で休みが取り難く、かつ公資誕生で何度か機会を逃し、実に3ヶ月振りのゴルフと相成った。この間練習も1回のみで出だしが危惧された通り、いきなりのOBスタートで赤の勝負服も生涯初のメジャー予選落ちのタイガー・ウッズの呪いが降りかかったが如く前半は撃沈の64。タイガーも実父の死で数ヶ月ロクにクラブを握っていなかったというから矢張り定期的なラウンドは重要ということだろうが、毎度の如く後半は麦酒を飲んで力が抜け好発進、調子の乗って更に麦酒を入れて破滅、プレッシャーがなくなって復調のパターンで、珍しくウッドもアイアンもチョロがなかった。近付いてからの取りこぼしで数字こそ54と平凡だったが、オリンピックで負けニアピン・ドラコンを奪って収支トントンとは私らしくなく前途に期待を持たせたろう。次回は思い切って朝から飲んでみてはどうか。

 夕張市が財政再建団体への移行申請へと報道された。正直なところ元・炭鉱の街が単独で生きていくのが苦しいのならば、観光等の経営資源と国家における同地域の意義を勘案した上で、国と住民による負担割合を定めるということになろうが、竹中ビジョンにおいて手順が不明確とされる財政再建団体制度の自治体破綻法制への鞍替えが取り沙汰される中、モデルケースとなり得るという意味では時宜を得た決断と言えるのではないか。
次のページ

FC2Ad