コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

2月26日(日)-28日(火) 戦の跡  -旅行 - 国内旅行-

c644.jpg  前編だけで終わるならば「視察」を装った大名旅行に過ぎないので本編に付いても改めて述べたい。
 大東亜戦争末期の特攻基地は鹿児島県内に点在していたが、最も著名なのは帝国陸軍の知覧である。"薩摩の小京都"の名に相応しく江戸期の武家屋敷群の残る(左写真)街並み程近くに旧知覧飛行場は存在し、現在は町民会館はじめ公有地となった一角に特攻平和会館が建立されている。引き上げ復元された零戦も飾られているが、若き命を散らした幾多の先達の遺書が展示され、館外には平和の鐘や観音堂の並ぶ配置は慰霊のための施設に相応しく(右写真上)、誰しも言葉少なに知覧を後にすることになるのも頷けるところである。当然最終日に訪れる旧鹿屋飛行場においても同様の展開が想定されたのだが、全く様相を異にすることになろうとはこの時点では誰も予測し得なかったただろう。

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 知名度では劣るものの帝国海軍最大の特攻基地であった旧鹿屋飛行場の知覧との最大の相違は現在も海上自衛隊鹿屋基地として現在も飛行場であることだ。従って視察のメインは対潜哨戒機P3-Cと管制塔の検分であり、実際に十数機のP3-Cが並ぶ姿を目の前にすれば(右写真中)単なる物見遊山に喜ぶ集団に過ぎず、一方官制では一体のみ残る零戦の掩体壕を眼下にエレベーターを使わず7階まで駆け上がってきた幹部自衛官氏に息を切らせながら説明戴き感慨を新たにしたのである。
 しかし圧巻はここからであった。基地を後に向かった先は史料館である。基地内での喧騒は何処、知覧同様に敬虔な面持ちとなるかと思いきや、表れた研究員氏の速射砲の如き説明の嵐に圧倒される。私は恐らく同世代の中では戦史に詳しい方だが、それでもいきなり戦艦長門の最後の艦長は問われ、「軍神・廣瀬中佐と言えば、杉野兵曹長のご子息です」と解説され、「杉野は何処」と何とか返すことは出来ても、初めからこれでは後は推して知るべし。しかも東郷元帥から始まっていざ大東亜戦争まで至るとマレー沖海戦までで後は割愛、時間が足りなかったのも事実だろうが、負けてる時のお話しは殆ど出て来ない。
 ここに至って我々は漸く理解する。この史料館は勿論先達の慰霊のための施設であるが、それ以上に輝かしき第一航空群を有する航空基地に併設される、旧帝国海軍と海上自衛隊の足跡を現代に伝える語り部なのだ。即ち、特攻に散った英霊を前に単に戦争は悲惨であり起きてはならぬという当たり前の感想を抱くに留まらず、戦争は悲惨であるが故に負ける戦争を起こしてはならず、戦を仕掛けられない為には平時の軍事力が如何に重要であるかを再認識させんが ためにこの史料館は存在しており、だからこそ戦後軍事とは切り離されストレートな慰霊施設のみを設けることの出来た知覧に対し物理的な距離以上に観光地としては後塵を拝することになったのではなかろうか。惜しむらくはその精神を了とするものの、もう少し旧軍に関心の少ない層にも訴えかける"魅せ方"を心懸けることがこれからのわが自衛隊に課せられた大きな役割のひとつでもあろう。

2月26日(日)-28日(火) 飲み道楽に風呂三昧  -旅行 - 国内旅行-

c6387.jpg 出向先の恒例の視察旅行も2泊3日の正規版は昨年5月の松山~京都以来となるが、今般は鹿児島県内を空港入~知覧~市内泊~薩摩川内市~霧島泊~鹿野~空港出と長駆車の旅路と相成った。
 中でも印象的だったのは初日夜の黒豚/牛しゃぶしゃぶ(写真)。2日目の蒸し鶏や最終日の豚カツも美味ではあったが、黒豚の柔らかさには言葉もなく久々に腹十二分目迄食い過ぎて仕舞った。更に鹿児島と言えば焼酎で2日目の宿では喉の限りに唄声高く、浴衣はだけてパンツ一丁で飲めや歌えの騒ぎが繰り広げられたのだった。なおこちらは写真を掲載しない。

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 しかしそれにも増して今般特筆すべきは、風呂である。城山観光ホテルは高台で西南戦争の激戦地だった城山公園に立つ鹿児島随一とされる高級ホテルで、TAXI運転手氏が「こんなところにホテルを建ててはいけない」と力説されたのも然りという立地だけあって露天風呂から眺める"錦江湾とそこに浮かぶ桜島"は絶景である(写真上)。
 ところが驚くのはまだ早かった。翌日の霧島温泉・清流荘に足を踏み入れるや何と4人部屋に立派な露天が鎮座在しているではないか。早速体を濡らす私(写真中)。更に翌朝出立前には恐らく宿の名称の由来であろう川のせせらぎを耳に露天風呂(写真下)と温泉を満喫し、果たして航空券も合わせ格安で平日にかく豪奢な旅を実現している我々は何者なのかという一抹の不安も、ぬるま湯の温もりに軽やかに雲散霧消していくのであった。

 なおこれも慣例で2日目はゴルフであった。祁答院GCは東建コーポレーションカップの嘗ての主戦場にして、九州三大名門クラブのひとつとされるだけあり美しく、バンカーが巧みに配された難し目のコースだったが、予想通り新兵器パーフェクト・クラブも炸裂せず、景色は愉快爽快、スコアは不愉快極まりなくに終わったことを付記しておきたい。(続)

2月27日(月) 五輪の行方  -スポーツ - トリノオリンピック-

場所
56コンティナダンペッツォ
72札幌
80レークプラシッド
84サラエボ
88カルガリー
92アルベールビル
94リレハンメル
98長野10
02ソルトレークシティ
06トリノ
60スコーバレー,64・76インスブルック,68グルノーブル 0
 荒川静香選手の金メダル獲得にJOC関係者は一斉に胸を撫で下ろしたであろうトリノ冬季五輪が閉幕を迎えた。冬の五輪は新しい競技も多く概して決勝でもハプニングが生ずることが少なくないからTV映えはするかも知れないが、運の要素が大きくて実力を有しながらミスに泣いたり、逆にとてもメダルに届く筈もないのにマスコミに前評判だけ高められたりと出場選手に取っては一歩間違えれば受難の道になりかねない。それ故に成田・今井兄妹選手の様に、精神状態を高めるために意図的に用いているのか、或いは高揚し過ぎて半ば別の世界へ旅立ったかの如くトランス状態に陥ることがより良き演技に繋がるのか、やけに芝居掛かった弁舌を発揮する最近の若者風の選手が多いのは、重圧に打ち勝つという観点からは却って有効なのかも知れない。
 勿論繰り返す迄もなく、荒川選手の金メダルには賛辞を惜しまない。しかしながらわが国選手に余りに不利なルール改正が相次いだのは事実としても、8年前の長野開催に注力し所与の結果を残しただけに以降の若手選手育成に出遅れた面は否めない。JOC幹部は事態を深刻に受け止め、即刻次回バンクーバーに向けた強化策を打ち出さなければならないのだが、何となく荒川の金で大団円ムードが漂っているのは、皇室典範改正問題同様に、良くも悪くも実にわが国国民性を表している様で本来なら怒りを禁じ得ないと言いたいところだが、私も日本人らしく苦笑に留まって仕舞う。
 何はともあれお疲れさまでした。とこの締め方も日本的か。

2月23日(木) メンタルヘルス  -ヘルス・ダイエット - 健康-

c633.jpg 年に一度の健康診断で会社を訪れ驚いた。何に驚いたかというと聴力検査の機械が更新されていたこと、ではなくて採尿、採血、レントゲン、心電図といったお馴染みの項目の最後に、飯は食ってるか、体の調子の悪いところはないか、酒や煙草はとメーカーらしく通り一遍の問診表への記載を見て医師が事務的に応対するだけだった「問診」と同一項目を装って、いきなりカウンセラーとの対話が盛り込まれていたことである。
 仰々しく部屋に連れ込まれ何故かまずここで血圧を図る。医師との面談の前にこれで否が応でも心を落ち着かせようという魂胆かも知れぬ。と愈々"問診"が始まるが、まずは従来通り機械的な応対で「運動は何をしますか」「ゴルフですね」「週に1回程度ですか」と間抜けな問答。幾ら愉快な出向生活とはいえ週に1回ゴルフをしていたら健康過ぎる。回答項目の第一が「週に1回」となっているのでマニュアル通りこれを読み上げて埋めなければならないという職業的義務感の表れだろう。続いては事前に記載させられた「メンタルチェック」の回答結果を見て「貴方は大変平穏に暮らしておられ、ストレスも少なくて素晴らしい」と言葉面だけ聞くと巫女さんにでも占って貰ったかと勘違いしそうな御宣託を頂戴するが、単に丸が付いてる数が少ないというだけである。悪気はないのだろうがそれを見て全くストレスがありませんと断言されると無性に天邪鬼根性が沸いてきて、いやこの問答こそが最大のストレスですとか論破してみたくなったが面倒臭いので当方も「おかげさまで」と最大級の笑顔で返答した。流石にカンセラー医師氏も気まずさに気付いたのか最後に「これは言わなくちゃいけないと言われてるんで」と申し訳なさそうに会社に設けられた心療内科のご紹介とパンフレットを差し出し、丁重に受け取って終了した。

 間抜けなカウンセリング体験だったが心のケアを必要とする程、某自動車会社のみならず現代社会は病んでいるのか、表面に現れなかった事象が現出しただけなのか、或いは現代人が弱くなりそこに新たなビジネスが誕生したに過ぎないのか。
 昨夜2時まで飲んでいたところに検診に2年に1度登場する「運動」項目で自転車漕ぎに従事させられ、疲れて休んでいたら係員が監視に来て手が抜けなくなった身としてはメンタルケアよりは太股のケアをお願いしたかった。

2月21日(火) ジャンケンポン  -育児 - パパ育児日記。-

c632.jpg 世界には4種で争うジャンケンも存在する様だが、石・鋏・紙という表象にはバリエーションがあるものの概ね鼎立構造で、三大テノールや三大ギタリスト、三国誌、果ては世界三大がっかりや昭和の三大馬鹿査定など三つを並列することを好み、かつ三竦み状態にある種の美的調和を見出そうとするわが国国民感覚に、ジャンケンという勝負方式は極めて適合しているのだろう。
 同時に「ジャンケンポン」という語感は乳児にも覚え易くかつ心地よく響くのではないか。わが息子も2歳を迎えると相前後して人差し指と中指を立てて"2歳"を示すことが出来る様になり、程なくそれがVサイン或いはピースサインとの名称を有するカメラを向けられた際に示す形であり、かつ方向を変えればジャンケンのチョキとなるということを一挙に認識した。既にグーとパーは会得していたので、ここ一月ほどは親子の対話の中で唐突に「ジャンケンポン」と叫んで腕を振り出す光景が頻出するに至ったのである。
 しかし不思議なことに常にグーしか出さない。父がパーを出して「お父さんの勝ち」と勝ち誇ってみせると一緒に「イェー」と喜んでいるし、チョキで「お父さんの負け」と泣き真似をすると矢張り泣き顔になって仕舞う。これは直接には三種の表象をランダムに選択呈示する遊戯であることを認識していないからだろうが、より根源的には物事には勝利と敗北があり、ジャンケンは勝敗を極めて簡易に決定するための最も有名な手段であるという構造そのものが理解出来ないが為ではなかろうか。ならば人はジャンケンの仕組みを掌握することで初めて勝敗という観念を体得し、自らと他者との関係において新たな一歩を踏み出すのかも知れない。

 なおサザエさんの次回予告の最後が従来の喉に食べ物を詰まらせる「ンガング」にクレームが付きジャンケンポンに変更されたのは91年10月である。

2月19日(日) 移管完了  -ブログ - ブログ紹介-

 過去コラムの本ブログへの移管作業が漸く完了した。そもそも当「コラム堀内一三」は98年に大学時代のサークル関係者のその後を追ったHP内の一項目として初登場したが字数制限等の制約を自ら設けたこともあり数ヶ月で敢え無く断念のやむ無きに至ったものを、03年に再開し本年1月よりブログとして衣替えしたという経緯がある。今般移管にあたって期せずして全コラムを読み直す羽目に陥ったが、03年再開時は継続性を優先して日記帳スタイルでスタートしたため徐々にコラム色を増してはいるものの記述に重複が多かったり、説明不足で改めて読んでみても執筆者本人以外には判りにくい内容が少なくないことを痛感させられた。しかし今更ひとつひとつ書き直すことも出来ないので最低限言葉を補うに留め、暇を見付けては黙々とコピー&ペーストと写真のアップロードを行い今般完遂を見たものである。
 唐突な喩えではあるが「木戸幸一日記」の如く、要人の日誌・備忘録の類が公表され、本人の足跡のみならず歴史の重要な資料となることはこれまでも多々あったが、現代の偉人はwebというメディア上の公開を前提とした日記と恐らくはそのベースとなっているであろう私的な日記との両方が存在し、公開版では大人風に鷹揚に構えていた事象に私家版では恨み辛みが書き連ねてあったりという両者の格差も後世の歴史家には興味ある研究対象となろう。或いは公開版が公式記録として固定され私家版に記されるべき本音が活字として残らないという問題が生ずるのかも知れないが。果たして何れの日にか私の評伝を書いて戴ける日が訪れるならば、本ブログは第一級の資料になることは疑いないので、研究者の方には熟読をお奨めしたい。勿論冗談である。
 なおこれまでの総コラム数は805本、1本で複数の話題に言及しているものも少なくないが便宜上分類すると本業の「政治」が151本で首位、それを03/10以降の「子育て」が126本で追い、音楽79、ゴルフ51が追う形。副業の野球評論家はトレード大全頁を主たる活動の場としているため存外に少なかった。

 カーリング女子の日英戦に魅入って仕舞った。冬季五輪の度に何故カーリングが種目に入っているのか、夏の五輪にビリヤードを入れた方まだしっくり来るのではないかと訝しんでいたが、じっくり見てみると長時間の頭脳戦はスコットランド発らしい紳士・淑女の嗜みということか。国内のカーリング場は軽井沢等10箇所程度しかない様だが閑古鳥の鳴いているスケート場を改装したカーリングバーというのも新ビジネスになり得るかも知れない。

2月18日(土) 交友の輪  -育児 - パパ育児日記。-

c631.jpg このところわが家の何れかのメンバーが風邪を引いている状態が続いていたため一家で公園を来訪するのはほぼ1ヶ月以上振りとなった。タイミングよく続々と現れる祐旭の友人・知人達。少し前なら折角滑り台に昇っても後から他の人物が来ると慌てて場所を譲ったり、別の階段で下りて仕舞ったりと「人嫌い」振りが際立っていたが、今日は友人を「待て待て待て」と追い掛け、「ねえねえねえ」と呼び止めてはともに地面へのお絵描きに興じている。随分と友人との付き合い方が旨くなったものだ。
 広報部時代の記者の知り合いの方に数年振りにお会いした際に子育て談義になり、帰宅した父に全力で走り寄ってきて如何に父の帰りを待ちわびていたか、そして今この瞬間に如何に父が必要かをストレートに表現する。「デスクにも泣きながら頼まれたらもう少し働こうと思うんだけど」と巧みに笑いに包んで表現されていたが、徐々に交友の輪が広がり父母の比重が下がっていくのは成長の証左として嬉しくもあり一抹の寂しさもあり。

 昨日の打ち過ぎに続いて本日夜半の中国男練習は弾き過ぎという程加重負担ではなかったが久方振りに肩と肘が痛い。本コラムの03年前半の項を見ると盛んに肘の痛みを訴えており往事は如何にゴルフ練習に精を出していたかが判るが、そろそろ調整のために軽く一汗と華麗に練習に赴きたいものである。

2月17日(金) バッグの中は  -スポーツ - ゴルフ-

 
03/2
06/2
1W
4+W
5,9,11W
7W
5-9I,PAS
w
p
XXIO(02) 45inch,R,11度
PRGR SPEED-HIT,R,18度
T・L・F ladies 18度(9,11-)

XXIO(02) R
Callaway Forged,56度
Willson(マレット)
XXIO(04) 45inch,R,10度
PRGR SPEED-HIT,R,18度
T・L・F ladies 18・24・27度
PERFECT CLUB 21度
XXIO(02) R(5I-)

Nike Blue Chip BC OZ,37inch
c625.jpg このところ土日に私か妻の何方かが出掛けるケースが多くゴルフの練習に行く機会がなかなか見付けられなかったので、思い切って金曜を休んでこれに充てることとした。それ程切羽詰まっているのは、第一に昨年の百切り以降低空飛行を続ける中、月末に本年2度目のラウンドが控えているからであり、同時にこれに合わせクラブを新調したからである。
 そもそも03年にドライバー、アイアンとも当時のXXIO最新作を購入して以来クラブの基本構成は安定している様に見えるが、実は細かいところで変遷を重ねており、既に03/2時点で1本入っているウェッジは計5本購入したが全てがお蔵入り、パターも2回交替して現在の中尺に至っている。一方で実売価格が1本5000円を切るTLFウッドは非力を考慮してわざわざレディースを選択したのが性に合ったのか実に11Wまで増殖して狭いバッグ内にひしめき合い私の飛距離不足のカバーに寄与することとなったが、おかげでアイアンは6番以降という変則セッティングで本年を迎えることとなったのである。
 して今回3年振りに大型投資に踏み切った。2年毎に更新されるXXIOの06年モデルが登場したことから値割れした04年モデルのドライバー、更にCSのゴルフチャンネルを御覧の方なら誰しも一度は食指が動いたこと疑いなき「Perfect Club」である。
 さて勇躍新クラブを抱え練習場へと向かったが、初めはそこそこ当たっていたが、パーフェクト・クラブに合わせようとしたのが祟ったのか中途からとくにドライバーが全く当たらなくなる珍しい症状が到来。スワ11度から10度に変えたのが災いしたかと焦りだしたが何とか修正して事なきを得た。考えてみれば39inch-21度のパーフェクトクラブは通常の7Wと同じ構成で折角5-7-9-11とTLFレディースで揃えていたところに闖入させる方が無謀だったのか。考えてみればラフでもライが悪くても、或いはティーショットにもチップショットにも使えるオールマイティーなクラブなど存在する訳もないし、宣伝に出てくる人達は如何にも旨い打ち手に他ならない。225球も打って肩・肘・腰に微鈍痛、指の皮も捲れて仕舞ったがまた安物買いの銭失いかも知れない。と嘆きながらもとりあえず次回はバッグに潜ませておこう。

 民主党の永田議員が"爆弾発言"したライブドアから自民党・武部幹事長二男への3000万円入金問題。事実だとすれば大変な問題だが、事実でなかったとしたら別の意味で大変な問題である。事実関係について論評出来るだけの材料はないが、幾ら情報提供者保護のためとはいえ黒く塗り潰されたメールというのは客観的に見て信憑性が高い様には映り難い。民主党は余程の材料を持ち合わせているのだろうか。

2月15日(水) 甦るYMO  -音楽 - YMO-

c629.jpg 先週発売されたHASのDVDを購入・鑑賞した。HASとはHuman Audio Spongeの略で細野晴臣・高橋幸宏のSketch Showに坂本龍一が加わった、形を変えた再々結成YMOで、04年にバルセロナと東京で行われた2公演がこの度DVD化されたのである。
 バルセロナ編は概ねTV放送された内容と同一で、三人ともラップトップを操る時間が長く正直退屈だった。とくにSketch Showの曲では教授が、教授の曲では細野さんとユキヒロ氏が、昨年の教授公演のサポートメンバー達と同様に居ても居なくても一緒としか思えない形ばかりの演奏に留まっている。
 従って東京編も余り期待してはいなかったのだが、中途に真に唐突にユキヒロ氏がドラム・セットに座り既にベースを抱えている細野さんとリズム隊を組んで演奏された「Wonderful To Me」が圧巻であった。この曲は教授がコード進行はじめベースのトラックを作成した、94年の再生YMO以来の三人の共作としてSketch Showのファースト・アルバムに収録されていたが、02年のSketch Show公演では折角教授もゲスト出演していながら、演奏には殆ど参加し無かった佳曲である。
 今回は教授は弾いていた。しかもYMOフリークにはWinter LiveのMassの如くと言えば通ずるだろうか、原曲を相当崩して教授の手癖としか喩え様のないフレーズを織り交ぜながら、エレピを軽やかに、かつ相当に怪しいタッチで弾き捲るのである。それは02年公演の際に私が夢想した演奏であり、「Wild Sketch Show」の続編としてたった1曲だけ成立した再々成YMOなのだと、そしてこの1曲を聞くだけでも2枚組6000円を支払う価値はあったのではないかと確信した。Sketch Showの活動も徐々にヒートダウンしつつあるが、今年はユキヒロ氏に続き細野さんのソロ・アルバム構想もあるらしい。或いはまたそう遠く無い日に第四のYMOを見る日も訪れるのではないか。

 藤田元巨人軍監督葬儀。ここ数年体を患っていた藤田氏の逝去よりも、ほぼひと回り上の川上哲治氏が矍鑠と葬儀でコメントしている姿をTVが捉えていることに驚いた。政界同様最後は体力に他ならない。

2月13日(月) Happy Biryhday To Me

c627.jpg 誕生日。妻がケーキを焼いて呉れて、祐旭とともに蝋燭の灯を吹き消す。有り難い一日に。

 ここ一月程で祐旭が急速に喋る様になってきた。昨日も妻の友人を前にマン・セブン・新マンと赤鼻のトナカイを熱唱して得意気だったが、ウルトラマンの本を開いては「ねぇねぇこりは?」と名称を尋ね、驚くことに余り長いものでない限りは徐々に記憶して、バルタン星人を見付けると「むほほほほほ」、ゾfヒーが出れば「ぞふぃぞふぃぞふぃ、ワチハワチハワチハ」である。前者はバルタル星人の鳴き声で、後者はウルトラマン最終回、ゼットンに倒されたウルトラマンが新しい命を与えにやってきたゾフィーと対面した際の第一声で強いディレイ効果が掛かっているため「ゾフィゾフィゾフィゾフィ、ワタシはワタシはワタシは」と聞こえる有名なシーンの一節である。説明が長くなったが何れも父が無意識に何度か繰り返していたら覚えて仕舞ったのである。 c628.jpg或いは余りにウルトラ漬けでは悪影響もあろうかとYMOを聞かせていたら「Behind The Mask」の冒頭の特徴あるシーケンスが流れた瞬間に「あ、オトウサン」と驚いている。昨年末の中国男公演のCDを2回、DVDを1回祐旭とともに鑑賞したが、その1曲目が「Behind The Mask」であり、お父さんの曲と認識していたらしい。
 微笑ましいエピソードでがあるが、"学ぶは真似ぶ"と言う様に真に子は親の言動をストレートに反映するのであり、詰まりは迂闊なことは言えないのである。安易に「お父さんちんちん」とか教えていたら母親に向かって「ちんちんな~い」と正しい指摘をして仕舞ったりするのである。子どもには心して接しよう。
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