コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月29日(祝) 黄金週間の会

c222.jpg 昭和の日に因み(?)、本日は親子参観の会。拙宅を含め6家、成人8名男児6名女児3名。G家の通称「スターライト兄弟」がいきなりパワー全開でこの勢いで集まってきたら家が壊れて無くなるのではないかと思ったが(笑)、旨く出来たもので大人しい子、はしゃぐ子、人見知りしてたと思うと後半になってノリの良くなる子とバランスが取れ、楽しき一日となった。
 まだ動けない祐旭は数少ない芸である寝返りと飛行機ポーズを披露した後、喧騒の中お昼寝。お父さんも酒が進み過ぎ、午睡して気が付くと21時でした。

 阿部、三発の次は二発で月間16本塁打タイに。イっちゃってる。

4月28日(水) 厭戦気分

 委員会が開かれてるのに止まってるという異常事態の中、年金法案可決。民主党が「肉を切らせて」戦法で、ネクスト・キャビネットの国年支払状況を公開し、全閣僚の納付実績を明らかにさせるという戦法は、補選全敗で形振り構わず責めざるを得ないという窮状もあろうが、或いは自党からは菅氏だけというのが判って、菅降ろしを狙ってわざわざ公開に踏み切ったのではないかとも勘ぐりたくなる。
 が黄金週間近しの中、与野党とも厭戦ムード満開で深夜に及ぶこともなく、 あっさり通過は予定通り。

4月26日(月) ウズなき鳴門

c221.jpg 2001年以来3年振りの淡路訪問は農業公園内を結ぶ新交通システム実験線の某先生の視察対応にて。前回もそうだったが。僅か1時間強の対応のために遥々東京から、正規料金の飛行機で往復とは豪気というか、会社もまだまだ安泰の様だ。
 終了後、視察が長引くことも考慮し遅い飛行機を取っておいたので時間がある。元々姫路在住の旧友と夜は再会する積もりで陸路神戸まで北上する積もりだったのだが氏の日程が合わず断念、妻子は実家に泊まりに行っているので早く帰る意味もなく、偶々遭遇したTAXI運転手の方が空港まで寄り道して連れて行ってくれるとのことだったので淡路小観光と相成った。
 運転手氏は殆ど観光ガイドの様で、産業は井植氏の生地なので三洋電機関連で雇用1万人、徳島に入ると大塚製薬一色とか、淡路生まれの有名人と言えば大地真央や宮地真緒、上沼恵美子のお姉さん(漫才時代の海原万理)は、高校時代に謡曲か何かで海外遠征もしてたとか聞かなくてもがんがん語って呉れる。
 三原町の温泉に寄り、ガランとした如何にも補助金で町が建てたのだろうと思われる平凡な風呂だったが、平日の夕刻に老人の皆様とお湯に浸って一寸いい気分に。
 更に島の最南端で淡路側から渦潮見物と洒落込む。この渦潮は瀬戸内海と太平洋の干満格差により接合点が渦を巻く状態になるもので、徳島側はわざわざ海上通路を作って観光名所となっているが、淡路側も道の駅から鑑賞出来る構造になっている。丁度この時期の夕刻が最も綺麗に見える筈だったが、風が強く残念ながら渦は巻かず。しかし遙か海峡大橋を眺め、得した感あり。望外の観光小旅行となりました。

4月25日(日) 派閥とは何か

 三塚宏元蔵相が亡くなった。享年76歳。既に先の総選挙にて引退する時点で 体調を大きく崩し、後継調整にも力を発揮出来ない状況だったから、その死自体は驚くべき事象ではないが、亡くなった人には温かくなるのが常のわが国において「三塚氏を悼む」の類の論調は、一様に強く哀愁の色を帯びていた様に見えた。

 氏は第3代清和会会長である。即ち、妖怪・岸信介が一派を起こし、黄門・福田赳夫がこれを再編し清和会を設立、プリンス・安倍晋太郎が志半ばに病に倒れた後を継いだのだ三塚氏であった。
 清和会の足跡は正に自民党における「派閥」たるものの推移を見事に物語っている。大野・河野、池田・岸佐藤ら第一世代における派閥は総理総裁たらんとするものの傘下にこの指止まれと衆寡が集まるもので、領袖がその目的を終えれば離合集散して然るべきであり、現に三角大福中と称される第二世代への移行に当たっては、第一世代から領収ごと移行した三木派を除いては、何等かの再編を経て代替わりが行われた。言わば第二世代までの領袖は派閥という名の中小企業のオーナーの様な存在で、必然的に強い指導力を発揮し得た。
 がこの第二世代において派閥は党中党とも言うべき確固たる組織に変貌し、安竹宮の第三世代への代替わりに当たっては、最早派の利益追求を体現するための領袖、取締役会の互選で選任されたサラリーマン社長の色彩が濃くなっていた。勿論、未だ第三世代においては「派の利益追求」=「総理総裁ポストの獲得」であり、総理総裁たり得る人物を領袖として掲げるという構造は変わっていない。しかしながら第四世代に至り、領袖は対外的な組織代表に過ぎず、 総理総裁ポストは別の人物で取りにいく、小渕派における橋本総理に代表される擬似的な総総分離、或いは総領分離に至るまで機能分化が進んで仕舞った。 最早派閥は総理総裁を目指す人物の旗本にこれを支える面々が集合するのではなく、既に存在している団体の利益を最大化するために誰をどのポストに据えて党内活動を行っていくかを運営する合議制組織にまで堅牢に固定化されて仕舞ったのだ。

 その後、第四世代から明確に第五世代に移行しないままに、小選挙区制導入などの影響とともに派閥は流動化に向かいつつある。その過程に前任者の病死のより第四世代のトップバッターとして登場を余儀なくされ、先輩の加藤六月一派を放逐し、年齢は下だが当選回数は多い森喜朗を抱えながら清和会会長に就任した三塚氏は、総裁選にはただ一度オリンピック参加したのみで、自社さ政権期の河野総裁選出馬断念のウルトラ短期幹事長と、証券汚職で辞任させられた蔵相という不名誉だけ引き受けさせられ、用済みとなって会長職も森氏に追われ、遥か後輩の小泉純一郎氏が総理総裁として華々しくスポット浴びるのを眺めるという不遇の晩年を送らざるを得なかった。
 それは哀愁を持って眺めるならば、清和会の利益代表を体現する右代表としての領袖か、総理総裁を目指すべく本来の領袖か、派閥の意義の変質の中で 両者の間を揺れ動きながら、結局どちらにも徹し切れず、後任の森氏がどちらも成し遂げて仕舞ったという悲劇ではなかったか。
 ご冥福をお祈りします。

c220.jpg 三補選。埼玉も勝ったのは驚いた。都市部と非都市部の中間の様な土壌で、前任者の逮捕という著しいマイナスにも拘らず勝って仕舞うのは自公与党の尋常ならざる強さを物語っているに違いないが、少々不気味でもある。
 勿論、敗北のひとつの要因が低投票率であるのは事実だとしても、負けた途端に義務投票制を、負け犬の遠吠えの様に叫び出す民主党の不甲斐無さのなせる業でもあるのだが。

4月24日(土) バーバババババババババババー

c219.jpg 祐旭を寝かし付けるために唄っていた歌の数々が耳に馴染んだのかお気に入りとなり、今では唄うと破顔一笑喜ぶ様になった。ので興が乗ってメインの1曲である小学校時代の時代の友人の作った 「僕等のチンゲさん」の替え歌「僕等の祐旭くん」を久々にシーケンサーQY-700を箱から出してオケの打ち込みを行って仕舞った。いざカラオケに合わせて唄ってみると、最近のヒズブームである飛行機ポーズの練習に余念がない。
 因みに他のお気に入り曲は矢野顕子の「赤ちゃんのおしり」、最近は「君が代」が耳に焼き付くやう努めております。

4月23日(金) 漸くお休み

 漸く今週を乗り切った。土日も稼動していた様なものなので曜日の感覚が無くなりそうだったが、夜が少なかったのが助かった。これでは常に休日も働いている猛烈サラリーマンにはなれそうにもありません。
 ということで本コラムも漸くの一週間強振りの更新。

4月22日(木) 投壊

 一昨日は上原を引っ張って逆転、今日は桑田好投も救援陣が打たれ逆転。結局打つだけでは駄目ということか。しかし幾らリリーフ陣が不安とはいえ、「中5日」を標榜している上原を170球も投げさせるとは正気の沙汰ではない。米大リーグは移動も激しく連戦も重なる中、中4日でローテーションを回しているとよく評論家が批判するが、それは1-0の完封でもしない限りは、勝っていようと負けていようと先発投手は100球+αで交替するというシステムが出来上がっているからで、完投を前提とするならば現代野球では中6日以上にならざるを得ないだろう。

4月21日(水) 踏絵

c218.jpg 夕刻は某有名派閥のパーティー。例年この時期に密集するが、今年は最大派閥が日程設定後に某日の出の勢いの派閥がぶつけて来た(?)ために関係者は芝・赤坂間の梯子に苦労されたろうが、何のことはない蓋を開けてみれば双方とも売上、出席者とも例年と変わらないという。一見不思議な様だが買う人と出る人は同一とは限らないので話は旨く出来ているということ。
 引き続き20:30より勉強会というか作業部会。新しいお題になったので、フリートーク風にあれやこれやと話題が広がり構想を練ってる内は楽しいだが、これが実作業に入ると苦行になってくる。0時過終了。

 祐ちゃん、足しゃぶりも激しくなってきました。

4月19日(月) 静かな工場

c217.jpg 二日目は豊田市の車両組立工場。何度か来ているが毎度微妙に変わっている所が面白い。高級車生産を担うここは生産力を持て余し気味で、やけに検査ラインに人が多いのが目立つがどうやら従前以上に消費者がキズに煩くなっている模様。
 事後は会社の人事制度をご説明して2日間の工程終了。別件打ち合わせを終え帰路に着く。流石に土曜に勉強会、日月出張は疲れたが、勉強になりました。何方かを仕立てて視察を組むというのも続くと難行だが、ポツポツとやりましょうと改めて認識した。繰り返すがいざやろうと思うと、当日に至る迄が大変なのだが。ご対応戴きました皆様、有難うございました。
 因みに写真は上空から見た名古屋駅前の旧毎日ビル/豊田ビル跡地。

4月18日(日) 人生二度目の万博だ

c215.jpg 朝7時前発で視察同行。2005年万博とこれに先立ち開港する中部国際空港という、これが終わったら愛知県が燃え尽きて仕舞うのではとも危惧される(?)国家プロジェクトの進捗状況を実地検分する、というと聞こえがいいが、日程を組んで各所に依頼するまでは厄介だが当日になって仕舞えば物見遊山気分。
 名古屋駅より車で旧青少年公園まで向かう。2005年日本国際博覧会は当初、瀬戸市の海上(かいしょ)の森をメイン会場として開催される予定だったが、オオダカという生き物の生息が見付かったこと、跡地を大阪万博同様に住宅開発する計画等が自然破壊として非難され規模を縮小し、約2km離れた公園を主会場に改めることとなった経緯がある。
 青少年公園は高校時代に弁論部の合宿で何度か訪れ、弁護士時代の現知事が OBとして練習を見に来られたことも幾度とあった地だが、すっかり往時の面影もなくと思いきや開催まで後1年を切ったにも拘らず、存外に変わっていない。テーマの「自然の叡智」に沿うために意図的に元来の地形や草花等を残し、かつ公園時代の建物もリニューアル活用するという質素さ。矢張り財布が乏しいからかと窮状が愁われるも、終了後は駐車場用地として借り受けた田畑も含め原状回復するというのだから、手を加えず、魅せるものをという要求は並大抵ではあるまい。産業見本市だった万国博も「環境」の時代を迎え肩身を狭くしながら転身を続けている様だ。

c216.jpg 続いては中部空港セントレア。一転してこちらは海だったところに既に立派な陸地と管制塔はじめ空港施設が建っている。沖合からの距離とこれに順ずる埋め立て高、更にはバブル期と低金利期という有利な比較条件が重なったとはいえ、関空の"反省"を活かし、コスト低減・工期短縮に励んでいる様だ。
 とくに建築法規の隙間を突いて、一部埋め立てが完了時点では本来土地として認められないにも拘らずこれを巨大な護岸、曰く「スーパー護岸」として上物の整備に取り掛かるなど、抜け目ない"民間の叡智"がフル回転されているとのこと。
 幸か不幸か国際・国内線とも中規模なため、羽田-成田、伊丹-関空の乗り継ぎ不順を回避し、かつ成田・関空への直接航路ない地方からの国際ハブ空港を目途に準備万端、後は本当に国際線が沢山飛んで呉れるかだろうか。

 産業技術記念館を経て夕食、宿泊と優雅に過ごす。ワインを飲み過ぎました。
次のページ

FC2Ad