コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月4日(日) ピンポン内政  -スポーツ - 卓球-

h931.jpg  出だしは好調に連続ボギー発進も、三ホール目の左ドッグレッグで見張らしに眩惑されたかOBを乱発。決して緊張感が切れた訳ではなく、ミドルでパーも拾って挽回に努めたが、先週綺麗と誉められたドライバーが振るわず、幾分パットには救われたものの、スルー専用でトリッキーとはいえ距離が無く百が切れた筈と悔やまれるラウンドであった。

 わが家のブームから、日々世界卓球を眺めていて痛感するのは球筋の「変化」である。
 元より小さな台上で回転の掛け易い軽い球を操る卓球は変化球が生命線に他ならないが、今や野球においてもスピンの多い綺麗な球筋よりは寧ろ、ツーシームに代表される、縫い目の空気抵抗を利用して微妙に手元で変化する球種が主流になっている。 詰まりこうした個人対向色の強い球技はパワーに劣る亜細亜人向きであり、中国が対西側諸国との文化外交の先兵としてピンポンを選択したのには、矢張り先見の明があったと言わざるを得ないだろう。
h930.jpg  ただ技と力のバランスにおいて、野球やテニスは後者の占める要素がまだ大きく、わが国が戦略的に競技育成を企図するならば韓国とタッグを組んでボウリングの五輪入りを再度働き掛けるべきではないだろうか。
 そしてゴルフもまた小技に優れた亜細亜人にマッチするのは論を待たないのだが、残念ながらパワーヒッター嗜好に距離を伸ばす対応が容易に行い得るからこそ、欧米優位にルール改訂の相継ぐ水泳やスキー同様に、柔よく剛を制すが通用し難い所以なのだろう。
 しかし卓球のダブルスがテニスと異なり交替で打たなければならないとは知らなかった。ならば左打ちが増えるのも道理だが野球以外にサウスポーが重宝される競技がこんなに身近にあったとは。左の裕旭と右の公資でダブルスに挑ませようとの腹は全く無かったのだが。

1月25日(水) 一年を三十日では過ごさない  -スポーツ - 大相撲-

h807.jpg  新横綱・稀勢の里の誕生を忠心よりお祝いしたい。そもそも優勝経験の無いままに昇進した双葉黒の廃業に至る不祥事以降、横綱昇進の条件が実質的に異様に厳格化され、本来「二場所連続優勝、乃至はそれに準ずる成績」の要件が、90年の旭富士以降は八代連続で「二場所連続優勝」を摘要されていた経緯に無理があったと言うべきだろう。
 協会側も些か焦りを覚えたか、三年前の鶴竜が漸く優勝同点、優勝での昇格となったが、旧に復すには今般は寧ろよい契機になったのではないか。
 稀勢の里は大関昇進の際も慣例たる三場所33勝に満たないとの批判があったが、これとて嘗て三場所目の優勝を考慮された長谷川、優勝に次ぐ11勝で三場所前の負け越しを不問にされた魁傑らの30勝昇進に鑑みれば、数字による外形標準にのみ固執して将来性を閉ざして仕舞う蓋然性を今一度顧みるべきであろう。
h808.jpg  実際今般も次点とはいえ二差に続いての全勝を逃しての初優勝とは、横綱審議会への諮問を見送られても文句は言い難い成績とはいえ、例に挙げて申し訳ないが低迷から一転して二場所連続優勝で横綱昇進を果たしたものの、名大関で終わるべきだったと後に語られる琴櫻の様に、単に直近二場所だけの瞬発を以て判断すべきか否かが問われていたとも言える。
 勿論、国技であるからには日本人には少々甘くてもという暗黙の合意に裏付けられているのを割り引いたとしてなお、新たな指標として「年間最多勝」という外形的な裏付けを加味する苦肉の策は、結果的に従来の「二場所~」のみに拘泥しない、多面的評価を斎す大袈裟に言えば画期的な大相撲改革ではなかったか。
 だからこそ新横綱の責任は重いが、新入幕から73場所と亡き師匠、隆の里同様の遅咲きも相撲に限らず凡ゆる競技年齢、就くピーク年齢が上昇している中で、逆に新時代の力士の生き様を是非示して欲しいではないか。

9月23日(金) 仕事の流儀  -スポーツ - バスケットボール-

h676.jpg  東洋の魔女の記憶は薄らいだとはいえ国際機関そのものをわが国経済が支えてきた排球にしてなお、Jリーグとの僅かなタイミングのズレが未だ完全プロ化を実現させていない事実に鑑みれば、国際的な競争力において明らかに劣る籠球が、紆余曲折のおかげで逆に先んじる結果となったのは朗報だったのだろうか。
 初のプロスポーツとして圧倒的な人気を誇る沖縄と恐らく親会社が最も裕福な、旧両リーグを代表する二者によって国立代々木競技場第一体育館というアマチュアリズムの聖地で行われた開幕戦は、今やプロ野球ですら希少となった地上波のゴールデン生放送が上々の幕開けを物語ってはいたものの、同時に却って持続性の危うさもまた強く伺われた。
 選手個々の技量では大衆へのアピールに乏しいからこそ娯楽と地域性に活路を見出だした構造は理解出来るものの、取り分け蹴球由来の地域密着が恰も営利性を否定的に捉えるが如く、併掲の認められている企業名が一律に喪われたのは象徴的だが、クラブチームと大差無くプロを標榜しても必ずしも専業は叶うまいと嘆くよりは寧ろプロとアマの一体化、更に言えばプロ化へのハードルが著しく下がったと受け止めるべきなのだろう。
h677.jpg  例えば野球の独立リーグは社会人野球の代替としての日本野球機構への選手養成機能を担いつつ独立採算のプロとして既に認知されつつある一方で、競技そのものすら未だ人口に膾炙していないe-sportsのサッカー部門にヴェルディが参入と聴いてスポッチャのそれ(左写真)を想像したら蓋を開けてみれば純然たるTVゲームとは、最早スポーツ事業の多角化の文脈で捉えるべきかも知れない。
 ただ被用者側に雇用の流動性を超え常態的な複数収入に道を拓くという意味では極めて現代的だが、プロスポーツ化の進展が逆説的に一部の超一流選手を除き職業としての運動を成立し得なくしつつある現実が、ウェーバーが政治に対して与するところと同じく職業としての運動の崇高性、すら喪わせしめない危惧は生じよう。或いは赤字が嵩んだら競技を挙げてクラブチームへの転向も辞さぬ、参入とともに退出障壁も小さいのがこれからの「プロ」の構えかも知れないが。

h678.jpg
奥はゴルフ
 物理的な拘束を極端に厭う性癖のためわが家では「裸族」の異名が与えられているが、加えて生来の甲高により靴の選択には悩まされてきた。
 長年ゴルフ・ブランドを愛用してきたが、それでもなお電車の中でも屡々靴下姿を披露していては、ブームの走りに背を向けるばかりか歩数を稼ぐことすら覚束無い。
 ところが偶さかに4Eをキーワードに浮上したお多福なる安価な品に手を染めると皮が薄くて柔らかな分、実に快適で驚いた。だからと言って急に徒歩移動に回帰する訳でも無いのだが。

6月29日(水) 高峰コーチは変身しない  -スポーツ - ボウリング-

h557.jpg  「りつこさ~ん」にも「美しきチャレンジャー」のビッグ4魔球にも遅れてきた世代であり、最も熱を上げた中学校時代は数多のボウリング場が淘汰され、一定規模の総合アミューズメント施設として再浮上する時分だったろうか。
 ハイスコアでも辛うじて150を超えるかという身分に留まったが、往事は最低五ゲームは投げる為にノーマルに対し90度横向きに、指をレーンに平行に手首への負担を軽減させる秘策に取り組んだこともある。
 当然、カーブもシュートも変化は掛けられない替わりにコントロールに徹することになるが、如何せんよりパワー不足が促進され、通例に復しては折に触れ再び横投げを試みと往き来し、数年に一度しか登壇しない昨今も試行錯誤は続いていたと言って良い。 しかしながら先月、サンプラザでの家族投における意外な安定に気をよくした訳でも無いのだが、会社行事の事前練習たる大仰な催しに闖入し、不可解にも好調が維持されていたのである。
 結果的に本番に向け選手を拝命したのは、元より力量を評価されたのでなく人手不足の所産に過ぎないものの、我ながら好成績にも拘わらず上には上がおり、更にハイスコアが臨めそうだったニゲームを中途で打ち切られた名残惜しさの捌け口としては挑むところとも言え、いそいそと盛岡から東京ドームシティへと駆け付けたのである。
 昭和36年にはわが国初の自動レーンが導入されたパイオニアとも言うべき後楽園が会場に選定されたのは、単に会社から至近であるが故だが、ダブルの後のガーターという著しい勝負弱さを発揮しながらも10フレでスペアを拾い、凡そ30数年振りの140台をマークして最低限の責務は果たし得たのでは無かったか。
 実は練習投球で一度ビッグ4に出会したが、魔球に挑むより確実に小瓶を狙うべきとの突っ込みは数限りなく新藤恵美氏に浴びせられているだろうから控えておこうか。

12月21日(月) 樫の木は残った残った  -スポーツ - 大相撲-

h339.jpg  歴代の日本相撲協会理事長は初代・双葉山の懐刀だった出羽花の出羽海を除けば双葉山の時津風を継いだ初の大卒大関の豊山、緊急避難だった魁傑という元大関すら例外で原則は横綱に限られている。
 従って三年前の理事選で一代年寄格の千代の富士が落選した以上、北勝海の八角が既にナンバー3の巡業部長だった元大関・琴風を飛び越えて事業部長に収まったのは順当であり、反主流の高砂一門とはいえ分家許さずだった時代の出羽から飛び出し破門された九重系の経緯に鑑みれば、出羽が理事長候補を持たない中で代替の要素も加味され、現職理事長の急逝にあたっては当然後を襲うものと思われていた。
 事実そう運んだものの内実は一月末の時期理事選までは代行でよしとの大義名分を掲げた反八角陣営が素人の外部理事含め五票を数え、僅か一票差で辛くも後継の座を得る波乱の船出となった。
h340.jpg
今は本名で評議員の元大徹関(08年)
 北の湖健在なりせば中継ぎの北勝海を経て貴乃花長期政権の図式が描かれていたとされるが、では八角に反旗を翻した五理事が貴乃花派かと言えば恐らくそれ程明快な図式ではなかろう。弱小混迷の伊勢ヶ浜一門とはいえ総帥かつ年嵩の旭富士にも野心はあろうし、次期理事選で再登板を狙う千代の富士の意向も働いているのかも知れない。そもそも実質的に保守本流の出羽の頭領だった北の湖の重しの無い九重系の理事長誕生は、96年に高砂一門内の予備選に破れ理事退任とともに廃業に至った、名解説者として今も人気の北の富士の院政を危惧する向きもあろう。
 しかしながら栃錦も北の湖も理事長就任は49歳、43歳の貴乃花には出身母体たる二所一門とも折り合いを付た上での満を持しての登壇が相応しかろう。自由民主党においても派閥の流動化著しい昨今、トランプの王の如く希少価値のある日本相撲協会には健全なる派閥政治を続けて戴きたい。

 新進党の解党以降、一時は年末の風物詩の感もあった駆け込み新党が久々に登場、しかも前身の勉強会時代から面子も替わり元維新の最低携行人数にて、改革という使い古された様な表題を掲げる辺り苦闘振りが伺われる。
 詰まるところ民主と旧維新の野党、改革結集等を含めた橋下維新のゆ党と大山鳴動の挙げ句に三年前の総選挙時の構図に戻ったに近いが、自由民主党だけが無風とはコップの中の嵐が活力の源泉であった時代が、皮肉でなく懐かしくもなる。

11月23日(祝) 怪童墜つ  -スポーツ - 大相撲-

h305.jpg  2001年からの永田町周辺居住者生活においても最初の四年間は潜航艇・岩風なみの潜伏助走期間だったと言ってよい。同時に職務柄と身を入れたゴルフも大半は学生時代の友人との遊興を超えるものでは無かったが、出向してからは花開き成果を得たかは別として、職務同様ゴルフも専ら関係者同伴に切り替わった。
 今や逆に職責の全く介入しない芝駆りの方が皆無だが、久々の出向時代の同僚とのラウンドが中では最も気のおけないそれに当たろう。
 加えて原則スルー固定で比較的距離も無い新武蔵丘とあらばスコアが期待出来て当然である。スタートホールに向かうトンネルを通過する瞬間に好成績だった曾ての記憶が甦えるではないか。
 ただ結論から言えば、前半こそショートとロングでパーを拾ったものの、総じてパッティングがままならず三桁に乗せていては甲斐性無しに過ぎない。リラックスして緊張感を事欠くのもまた痛し痒しなのか。

h306.jpg  横綱・北の湖と言えば憎らしい程と形容された圧倒的な強さ以上に、元関脇・高見山の引退に際し最期の金星は横綱でしたねとコメントを振られて即座に、「あれは何場所の確か七日目か八日目で」とスラスラと応え出したシーンが印象的である。
 或いは記憶力抜群との自らのイメージを維持する為に"予習"していたのかも知れないが、何方にしろ聡明さを物語るエピソードには違いない。
 ただ角界中核の出羽一門の歴史と伝統を背景に嘱望された通りに理事長の座に収まってからは愛弟子らの不祥事もあり、返り咲いてなお道半ばの現職での逝去とは、現役時代の栄光に比して苦闘の道程だったと言わざるを得ない。
 輪湖と並び称された横綱・輪島は借金苦から廃業に追い込まれ、花のニッパチ同期の横綱・若乃花は反逆児として理事会に名を連ねながら矢張り病に倒れている。極論すれば公益法人改革の中で、一年を十日で過ごしていた"お相撲さん"が公益の担い手に変貌していく過程の生みの苦しみを一身に体現した世代だったのかも知れない。
 怪我を挟んで最期となった優勝を助太刀した後輩、大関・北天祐と視線を合わせて顔を綻ばせた瞬間は、天下の敵役が見せた人間らしさだった。
 ご冥福を祈ります。

9月14日(月) 理事長に逢いたい  -スポーツ - 大相撲-

h184.jpg  長年の大相撲フリークでありながら本場所を観戦したのは幼少時に祖父母に連れられた僅かな記憶しかない。横綱が琴櫻だったというのが正しければ五歳未満だったことになる。
 だから幸運にもチケットを頂戴した本日の相撲見物は実に四十余年振りになるが、相撲評論家としての専門分野は一門、相撲部屋の変遷であって、二所一門からの高田川の反乱や記憶に新しい貴乃花グループの一門への昇格、或いは北の湖政権後を占うといった政治的な動きには敏感でも、現役力士は余り知らない。
h185.jpg  従って、腹太鼓を高らかに鳴らしたり、ハッと雄叫びを上げたり、果た又仕切りが合わず相手方に御詫びしたりと、歴史と伝統の体現する格式を逸脱しない範囲での個性の表出には微笑ましさを覚えたものの、正直一様にお相撲さんたる以上の強いインパクトは残らず、男前で人気の遠藤(左写真)に定番の永谷園に加えて東京ドームのバックスクリーン脇に抜群の広告効果を発揮している「財宝」の懸賞が連なったのが妙に印象的だった。
 対照的に眼に入るのは勝負審判の親方衆で、伊勢ヶ浜一門の総帥として理事・審判部長の旭富士、副理事の逆鉾の井筒は言うに及ばず、細面が脳裡にヒットしてCG宜しく膨らましてみると三杉磯の峰崎と判明したり、武双山の藤島審判部副部長のスキンヘッドに仰天したりとひとり悦に入る。
h186.jpg
背中の藤島、協議中
 正面三列目とは驚くべき特等席だが、枡席の御大尽振りに比べると飲まず食わずで一眼レフ禁止だから、密かにコンデジを時に掲げる位で後は一心不乱に取り組みを凝視し続けるとは、真に贅沢かつストイックな祭事に他ならない。考えてみれば平日の夕刻前から国技館に到来出来る人々で満員御礼になる時点でわが国経済の堅調振りが伺えようが、正座すれば痺れ、足を組めば腰痛、ふと気を抜けば目の前に巨体が土俵から転げ落ちてきて、なるほど相撲通を気取るのも楽ではない。
 白鵬が連敗して「座布団を投げないで下さい」のアナウンスが連呼され、弓取りが終わると高見盛の振分や琴欧州の鳴戸が場内整理係として現れたのを期に土俵を、ではなく桟敷席を後にする。
 有り難や至極の役得、唯一の心残りは打ち出し後では相撲博物館が閉まっていたことか。何時の日にか枡席に凱旋したい。

9月4日(金) Respect & Inspire  -ニュース - オリンピック総合-

h173.jpg  「青い珊瑚礁」を「ビーチタイム」の歌詞で唄うのか、或いはその逆かは定かで無いが、剽窃とはそんなものではないかと論評した政府高官がいたらしい。それでもマドンナの「Papa, don't Preach」をアレンジも踏襲して一部コード進行だけを入れ換えたレベッカ「Moon」の弁解の余地の無い同一性に対比すれば、冒頭の例にはまだ偶発性が働いたと類推される要素が認められようではないか。
 ただ被当事者の受け止め方に左右されるセクシャル・ハラスメントと同列に扱うべきかは別として、例えば槇原敬之氏に松本零士氏が挑んだ「裏切り」論争の様に当事者相互の動静に明らかな犯意とその根拠が認められなければ、客観的な相似性から剽窃の有無を判断する他は無かるまい。
 だからと言ってオレンジレンジの「ロコローション」の様に著作権が書き替えられる迄に酷似していれば話も早かろうが、アレンジは似通っていても楽曲としては必ずしも同一とは聴こえ難いGハリスンの「My Sweet Road」に潜在的な盗用との判決が下った例に倣うとすれば、最早1オクターブを12分割した西洋音階の世界のバリエーションの限界すら想起せざるを得ない。
h174.jpg  デザインの世界においてもまた、取り分け丸三角四角といった構成要素が事実上限定されていれば、自ずと故意か過失かを問わず外形的には盗用と看做されかねない類型も生じようし、煎じ詰めれば凡ゆる芸術は模倣に端を発すればこそ現在が存在するとも言えよう。従って、今エンブレム問題が最終的に当該デザイン以外の、責任者の人品骨相まで対象とする些か三面記事的な興味に溢れたのは多分に勇み足だったかも知れないが、少なくとも同一人物の他事案を以て犯意を類推すべく結論を導き出したのは、神学論争の本旨を回避するひとつの知恵だったのではなかろうか。

 出向時代には三人で中盆三皿を注文して入れ替わり立ち替わり店員が確認に来た四川飯店の陳麻婆を数年振りに戴く。
記憶よりは辛さが抑えられている感もあるが経年劣化した胃腸にはそれなりの刺激である。次回はこちらも出向時代定番だった、今や新装なったカレーのタージも再訪してみたいところ。

7月12日(日) 佐賀の鍋  -スポーツ - 大相撲-

h118.jpg  スポークスマン大関だった貴ノ浪の音羽山親方の43歳での幾分艶やかな急逝は、持病に起因するとはいえ改めて力士リスクの高さを示す事例と言えよう。
 そもそも嘗ては中学生の内から、現代でも義務教育修了とともに入門し、取り分けアンコ型全盛のなか先ず内臓に負担を掛けて肥ることからという錬成過程は、実兄から飲めない日本酒を強要され肝機能障害で早世した元大関・貴乃花の例に待つまでも無く著しく不健康に他ならない。
h116.jpg  勿論、高度成長期を経て安定成長に入り、地方からの集団就職「金の卵」同様に職と食を求めて上京する力士予備軍が減少したのは、肉体リスクとともに相撲で芽が出なかった際にちゃんこ経営以外にも選択肢を拡げる為に、相撲という特技を活かして高学歴を求める合理的な行動であろう。
 リスクとともに果実を失った結果がモンゴル勢の席巻であったとしても、それはわが国の豊かさの証しに他ならない。従って幕下に続き三段目付けだし導入を模索する日本相撲協会の新機軸は的を射ていよう。
h123.jpg  名古屋場所初日に合わせた訳では無いのだが、猛暑のなか一昨日ちゃんこ料理にありつき大相撲の有り様に想いを馳せてみた。

 朝から忙しない公資に尋ねると、本日は妖怪ウォッチバスターズの発売日、わざわざ誕生日プレゼントの権利をひと月以上持ち越しての本日の邂逅とはこちらも合理的な行動である。
 近場に新装なって厨房が拡大された伊料理の改造デルソルで兄弟揃って興味津々。

10月19日(日) 籠に乗る人、入れる人  -スポーツ - バスケットボール(日本)-

g867.jpg  バブル期にプロ化を為し遂げた蹴球に対し、一歩乗り遅れた排球・籠球は選手個人のプロ契約化には踏み切っても実現リーグ全体としてのプロ化の歩みは混迷を極めている。
 それでも東洋の魔女程のネームバリューには欠けたとしても、今もなお視聴率を稼ぎ世界大会の大半がわが国にて挙行され、企業のバックアップもそれなりに手厚い排球はプロとアマの中間とも言うべき鵺の如く立ち位置を保っているが、籠球は企業からのスピンアウトを余儀無くされグラブチーム化した一部球団が逆に営利目途の完全プロ化により生き残りを企図し、社会人スポーツに留まる冠スポンサー球団と袂を分かち二リーグ分立ならぬ二リーグ分裂に至ったのは既に10年前である。
 社会人球団を出自としながらプロ化に際しては敢えて地域性を盾に企業名を排除したJリーグに範を取ったのかも知れないが、社会人チームの枠内に留まるべくJBLと袂を別ち、親会社を持ち得ないが故にプロ化=チーム名以外のスポンサーシップに活路を見出だすbjリーグの悲壮な決意が伺われるが、企業名を掲げるJBLが自治体主催のリーグ戦で地域経済に貢献し、地域密着を標榜するbjリーグが親会社による経営補助を宣伝費として費用処理する職業野球の智恵を放棄した替わりに、それを補填すべくユニフォームを宣伝媒体に充てることで独立採算を演ずるとは皮肉な交差に他ならない。
 個人的には、親会社名を名乗った方が経営母体の推移も明確であるのみならず、経営基盤の安定に寄与し合理的と思うが、親会社から見放された球団にしてみれば怨嗟の声にも満ちようし、こうしたわが国に特異な企業スポーツの態様が諸外国に理解され難いが故に混迷を倍化学させた側面もあろう。
g861.jpg この降って湧いた統合騒動に依って集めた世間の耳目を、籠球は災い転じて福に結び付けることが叶うだろうか。

 実質的にYS11以来となる量産型国産旅客機MRJの御目見えした昨日、そのイベントの露払いとして又もや要人を豊田市に迎える手筈だったが、政局風雲を告げるなか沙汰闇となった。
 おかげで妻の会合子守り対応にも滞りなく、定番の東京飯店から転向した韓国料理ながら国産牛の「かぶり」が思いの他ヒットであった。ビビン麺がカップ麺すら一味唐辛子で真っ赤にする私にしてなお猛烈に辛かったのは中和すべき垂れを埒外に置いたからかも知れないが。
次のページ

FC2Ad