コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月6日(火) やがて哀しき相撲部屋  -スポーツ - 大相撲-

i292.jpg  大相撲が興行である以上、その日常拠点たる相撲部屋もまた原則として観客に開かれており、土俵を見聞するのは然程難しいことではない。
 ただ他のスポーツ・ビジネスと異なるのは、部屋は独立の法人ではなく、力士の居住空間から土俵に至るまで多くの場合、親方の個人資産に過ぎない。従って、角界最大手の出羽海や元横綱栃錦が敢えてビルの下層にマンション経営と一帯に設けた春日野の如く、縁戚による継承にあらずとも相撲部屋そのものが代々受け継げれているケースの方が稀であり、元同僚氏の御縁で千秋楽後の打ち上げに闖入させて戴いた前二所ノ関部屋も元金剛氏の定年退職を以て相撲部屋としての使命を終え、取り壊されている。或いは、親子間の承継であっても、逆にそれが故の愛憎劇の結果として、中野の元藤島~二子山部屋が看板を外されひっそりと佇んでいることはよく知られていよう。
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在りし日の旧ニ所ノ関部屋(08/9)/境川部屋視察(12/4)
 実際、元力士の手掛けるちゃんこ料理は数知れず、その中には相撲部屋跡地を活用したものもある様だが、土俵まで維持している例は寡聞にして「吉葉」以外には知らない。横綱・白鵬擁する現・宮城野部屋も移転先も激しい稽古に依って耐震基準を満たさなくなり近年、再移転を余儀無くされているが、伊勢ヶ浜一門の雄、宮城野中興の祖たる吉葉山道場以来の建屋が両国の一等地、その名も「横網」に健在とは、経営陣の尽力に頭を垂れるとともに文化財として公費を投入してなお末代にまで伝えるべき遺構であろう。まさに相撲部屋が「残った残った!」である。
i299.jpg  なかなか訪れる機会が無く実に14年振りとなるが、日替わりの出し物は津軽三味線であった。何と無く相撲甚句の方が如何にもの関係者が居並び江戸情緒らしさが伺われるとはいえ、若き姉妹のお三味もまたちゃんこに染み入るものであったか。
 構造からして嘗てはこちらがちゃんこ場だったかと思われる空間は鮨カウンターとなっており、板張りにグランドピアノが鎮座する絵柄は幾分シュールであろう。
 残念ながら春場所は白鵬、稀勢の里の両横綱は休場の模様だし、暴行問題の決着にも時間が掛かりそうだが、わが国国技たる伝統芸能に相応しい穏便な決着を、砂被りから望みたい。

2月2日(金) 相撲は相撲取りの手に  -スポーツ - 大相撲-

i261.jpg  少なくとも八年前に、貴乃花親方が初めて理事選挙に出馬した際には、勿論曾ての洗脳騒動や親族間の不和といった芳しからぬ風評こそあれ、角界の内外を問わず一定の期待があったのは、親方間の世代間闘争たる側面を割り引いてなお、浮動票を集めて当選に至った事実が雄弁に物語っていよう。
 また北の湖前理事長が健在であられば八角政権は無く、今回理事選の北の湖勇退を以て穏便に貴乃花理事長への禅譲が為されていたかも知れないのだから、焦燥感が募ったであろう内心も忖度出来ないことは無い。
 そもそも日馬富士の暴行事件に対する貴乃花親方の頑なな態度も、世論受けを狙った戦術だとすれば策士が策にの感もあろうが、善意に解釈すれば敢えて協会内部での決着よりも司直の手に委ねて膿を出することを優先したと受領することは不可能ではない。
 ただ年初に元参院議員の池坊保子氏が、素直に受け止めれば余りに唐突に現れて、貴乃花親方への処分を下した姿を見て、もし自分が相撲取りだったら素朴な疑念として、そんなに偉そうに宣うのだったら土俵に上がってから言ってみろと、怒りが湧いたのでは無かろうか。
 それは元より森山真弓元官房長官に突き付けられた問題意識とは全く別物で、要は相撲のことは相撲取りに任せて欲しいという極めて単純な論理である。
 確かに蹴球の川渕三郎氏の様に競技出身者が"エンペラー"を称される程に実権ある高位に昇るケースの方が稀であり、野球は法曹界や官界からトップを戴き、その実は親会社の実力オーナーに采配は委ねられているし、ボクシングやプロレスリングは発足時には博付けの意味でも政治家をコミッショナーに迎えていた経緯があるから、相撲だけが例外であるべきとする大義名分は小さかろう。
 ただプロアマの垣根が非常に低く、参入障壁の小さい蹴球や籠球と比較する迄も無く、中学を出てから相撲一筋という商売は余りにリスクが高過ぎて、だからこそ有望な若者ほど大学でタイトルを獲得して幕下付け出しを狙う様になるのも道理である。勿論力士になるに当たり、何れは理事長になって相撲協会を牛耳りたいと考える御仁は少なかろうが、入門の条件として幕内まで上がれば親方株は、ぐらいの約束事は容易に想像されよう。
i262.jpg  だからこそ相撲だけは相撲取りの手にと述べるのは些か暴論であるし、何事も"硝子張り"が尊ばれる現代の気風には合致しなかろうが、わが国国技という伝統芸能と捉えれば、貴重な文化継承者たる力士こそが角界を担っていくのは、歌舞伎や能、或いは将棋や囲碁同様に自明の理であるとも言える。
 詰まるところ貴乃花親方は世論に協会の"閉鎖性"を訴えることで、皮肉にも自らを断罪した外部理事とタッグを組んだ形となり、結果として力士出身の親方衆からの支持を喪い、浮動票を全く得られない二票という惨敗に至ったと考えれば、協会の運営がより外部に開かれるべきか否かを問う以前に、改めて親方間の信頼を取り戻さなければ政権の途は拓かれまい。
 緊急避難であった、傍流の高砂一門の、更に傍流たる八角政権が定年を迎えるまで続くとは考え難く、保守本流の出羽一門からの横綱理事が当面望み薄である事実に鑑みれば、病退した二所ノ関親方に替わり理事初当選した芝田山親方という対抗馬は現れたものの、氏が八角理事長の一歳上であることに鑑みても貴乃花親方の将来の理事長候補というポジションが著しく厳しくなるとは思えない。
 極めて現実的に述べれば、栃ノ心関の優勝で出羽海部屋の暴行問題への追及の声が急速に沙汰止みになった様に、貴乃花復権への途は一重に弟子の育成如何に掛かっていよう。当面は代貸したる阿武松親方に一門の差配は委ね、部屋経営に専心し望むらくは日本人の大力士を育て、親方衆から理事復帰を望まれる立派な部屋持ち親方に返り咲くのが第一だろう。
 先ずはマフラーを短くすることから始めるべきなのかも知れないが。

11月25日(日) あがるや軍配  -スポーツ - 大相撲-

i165.jpg  「大相撲名門列伝」を名打ったベースボールマガジン社のムックが面白い。取り分けその四分冊目「立浪部屋」は強者どもがと言うべきか、迷走振りが際立っていよう。
 そもそも先の大戦を挟んで双葉山、羽黒山、名寄岩の三羽烏を戴いた立浪部屋は、独立した双葉山が新たに時津風一門を形成してなお今度は立浪四天王を擁し、伊勢浜一門との寄合所帯とはいえ立浪・伊勢浜連合として準主流派に位置していた。昭和43年からの理事制度導入においても五一門中唯一、三人の理事を排出し続けたのである。
 昭和57年からは派閥均衡型となり二名枠となるものの、現在に至る転落の端緒は横綱・双葉黒が二代目羽黒山夫人への暴行から廃業に至った昭和62年末であろう。双葉山・羽黒山の両横綱の四股名を戴いた後継者候補を喪った立浪部屋は、平成の世に至り六代立浪の女婿となった元小結・旭豊が継承するものの先代との対立から財産を巡っての訴訟にまで至っている。
 一方で、同盟を組んだ伊勢浜は横綱・照国から大関・清国へと順当に継承されたものの、総帥たる清国が昭和60年の日航機事故で一家を喪うと暗転し、以降の連合はモンゴル力士輩出の魁となった大関・旭国の大島親方が実質的に担うことになる。
 ところが落ち目の連合に更に追い討ちを駆けたのが飛んで平成22年、二所一門から脱派した貴乃花の理事選出馬でグループの基礎票七ながら連合から流出した二票が決め手となり逆転当選、替わりに落選の憂き目にあったのが大島で遂に連合は一議席に陥る。この際、流出した一人が既に先代と対立して総帥として機能しなくなっていた立浪である。
 従ってその二年後には更に混乱を極める。一枠に現職の友綱、名寄岩の系譜を引く春日山改メ雷、新たに総帥となった伊勢浜が名乗りを挙げ、伊勢浜は身を引いたものの選挙では友綱が落選。既に清国を継いだ八代伊勢浜の部屋は閉鎖され立浪一門に改称していたが、本家立浪が正式に貴乃花グループに移り、春日山・伊勢ヶ浜連合で漸く落ち着いたのも束の間、今度は肝腎の春日山総帥だった雷理事が不倫と不正経理問題で廃業し、伊勢浜が補任される。
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平成27年秋場所より
 ここに至り伊勢浜一門に再改称され整理された様に見えるが、新・伊勢浜は立浪系の大島部屋出身の元横綱・旭富士で安治川を経て伊勢浜を襲名して新たに部屋を興しているので、本来の伊勢浜一門から見れば傍流と二重に入り組んでいる。そこで二年後には新・伊勢浜より本家筋に近い友綱が理事復帰を果たし二枠を取り戻し丸く収まったと思いきや、記憶に新しい昨年二月には、保守本流・出羽一門の第四の候補たる北の湖部屋を継いだ山響という伏兵が現れ、下馬評では劣勢だった伊勢浜とともに理事当選を果たした鍵が貴乃花グループ改メ一門の影なる支援故だったのは、直後の理事長選で貴乃花支持がこの二票だったことからも明白であろう。哀れ替わりに友綱後継の、これも伊勢浜系の名門を継承した高島が敗れて又もや伊勢浜一門は新総帥の一人理事に転落した。
 想えば外国人力士の大量入門の魁たるトンガ騒動で部屋自体が傾いた大阪の名門・朝日山も、今をときめく横綱・白鳳擁する、横綱・吉葉山以来の宮城野部屋も北の湖部屋由来の師匠の異動の顛末こそあれ須く伊勢浜一門であり、換言すれば今般の騒動における主要なキャラクターは、貴乃花本人と後代の貴乃花政権を支持していた(とされる)北の湖前理事長以外は、悉く往年の立浪・伊勢浜連合絡みなのである。
 ただ世評囁かれる通り、同盟関係にあった貴乃花・伊勢浜の亀裂が今般の騒動をより大きくしているとしても、根元的には所帯は大きくとも纏まりの無かった立浪・伊勢浜連合に端的に表出した一門という名の派閥の崩壊があり、そこに新興集団たるモンゴル勢内の争いが派閥横断型に加算されることに依り、遂にコップの中の嵐が露呈したの成れの果てではなかったか。
 或いは本家・出羽の四理事が何れも三役・平幕止まりで、十理事のうち元横綱は本来反主流の高砂一門の中でも客分の八角理事長の他には渦中の伊勢浜、貴乃花のみという人材難も統治能力を欠く要因かも知れないが、それままた自らの取組に物言いを付け、理事長に成り代わったが如くに騒動への見解を述べる白鳳を筆頭に、モンゴル勢に番付を席巻されたが故であろう。必然的に次世代以降は更なる人手不足が見込まれるからこそ、些か奇矯であっても貴乃花頼みは致し方ないという解釈も成り立つ。
 公益社団化に伴い形式上、外部の権威者を理事に加えたとはいえ、大相撲は競技出身者に運営がほぼ独占されている極めて特異な職業競技集団である。ただそれはスポーツに分類するから希少さが目立つのであって、伝統芸能と考えれば全て内輪で完結していても不思議でない。
 今般を奇貨として、外国人力士の入門には暗に自粛を促していくとするならば、こうした国際化に逆行すると指弾されかねない方向性を粛々と阿吽の呼吸で進める為にも、相撲は相撲取りのものという伝統芸能には当然の、理屈無き不可侵性を取り戻さなければならない。伝統芸能としての相撲に必要なのは安易に外野から茶々を入れる"有識者"ではなく、寧ろクローズドな神秘性であって、極論すれば文科省所管から新たに文化庁下に法人格を取り直す位の意気込みや、錦絵から飛び出してきた様な力士の美を再構築する為の「体重制限」の導入といった異様な改革ではないのか。
 既に副理事として出番待ちの出羽勢の両元大関に期待を繋ぎたい。

11月3日(祝) THE MIX。  -スポーツ - 卓球-

i148.jpg  妻子の通う東中野の卓球スクールに数多芸能人が訪れることになった経緯は分からない。ただそれが映画の撮影の為の特訓であり、現にスクールの指導者も出演しているとあればわが家としては観賞するにしくはない、と明治節の良き日に映画「ミックス。」を早朝から新宿で見る。
 元より卓球に明るくない父はオマケであるし、技術指導員氏を発見すべくも無いものの、映画自体は輝かりし時分のフジテレビらしい、判り易いラブ・コメディであった。
 有名卓球選手がカメオ出演しているところも卓球ブームを反映していようが、監督は撮影終了後も練習に通い続けている様だから、矢張り老若男女を問わず素人を魅了するスポーツなのだろう。
 なお写真は大会で優勝した訳ではなく、お裾分け戴いた胡蝶蘭を少しだけ紐解いて撮影、の図である。

 ところがいざ朝起きてみると如何とも身体が怠く、映画から帰るとそのまま蒲団に直行となった。暖を取ってひと晩休めば快復しようと思いきや、熱こそ下がったものの直立すると鈍い頭痛に見舞われる、この典型的な風邪の症状は二年振り位の懐かしさである。
 と無駄にノスタルジアを感じていても致し方ないので、待たされる間に更に風邪が悪化しそうで二の足を踏むことの多い街医者に、咳の続いている公資ともども赴いて薬を調達して仕舞った。
 恐らくは選挙疲れで基礎体力が弱っている上に、有明通いが続いてウイルスを戴き、緊張の糸が切れたところで発祥したのだろう。日曜までに棒が振れる状態まで持ち直さなければならない。

7月28日(金) 金曜日には球を投げて  -政治・経済 - 政治・経済・社会問題なんでも-

i12.jpg  ootemoriなるビルの中のフリースペースが初めてなら、ボッチャ観戦も初めてだったが、陸のカーリングと言われてもカーリング自体のルールも覚束無いから、元より著しく複雑では無かったとしてもその真髄には到底至らない。
 ただ多くの障害者スポーツが既存の競技に器具を用いて改編したものであるのに対し、端から新たに考案され遡及的に万人に門戸が開かれたという意味で、ボッチャの立ち位置は極めて現代的である。
 他方、ジョブ・ディスクリプションがある程度明確な職責においては、既に多くの組織において時間管理を伴わない高度プロフェッショナル型の賃金形態が採用されており、第四金曜に限らず出入りは拘束されない。逆に時間と場所の固定が前提となる製造業やサービス業においては如何に推奨されようと、端から休暇にでもしない限りプレミアムにはなり得ない。
i13.jpg  従って、障害者支援の大義名分の下に、ボッチャに託つけて、大手町の一空間のみプレミアムフライデーのイベントに邁進する姿は、元より働き方改革の一助を担うべく敢えて人身御供を演じているのだとしても、椎名副総裁にはしゃぎ過ぎとお叱りを招きはしないか。
 かく言う私も議員対応を装い、宴席までの繋ぎとして、その実物見遊山で見物していただけだから多くは騙り得ないが。

 夜はホテルのお庭で洒落たバーベキュー。焼き場に隣接した席は外気と火炎でダイバダッタも吃驚の熱気が罰ゲームの如しだったが、今日も肉と貝ばから鱈鰒詰め込んでアルコールを煽り、二次会も放談会に。

6月4日(日) ピンポン内政  -スポーツ - 卓球-

h931.jpg  出だしは好調に連続ボギー発進も、三ホール目の左ドッグレッグで見張らしに眩惑されたかOBを乱発。決して緊張感が切れた訳ではなく、ミドルでパーも拾って挽回に努めたが、先週綺麗と誉められたドライバーが振るわず、幾分パットには救われたものの、スルー専用でトリッキーとはいえ距離が無く百が切れた筈と悔やまれるラウンドであった。

 わが家のブームから、日々世界卓球を眺めていて痛感するのは球筋の「変化」である。
 元より小さな台上で回転の掛け易い軽い球を操る卓球は変化球が生命線に他ならないが、今や野球においてもスピンの多い綺麗な球筋よりは寧ろ、ツーシームに代表される、縫い目の空気抵抗を利用して微妙に手元で変化する球種が主流になっている。 詰まりこうした個人対向色の強い球技はパワーに劣る亜細亜人向きであり、中国が対西側諸国との文化外交の先兵としてピンポンを選択したのには、矢張り先見の明があったと言わざるを得ないだろう。
h930.jpg  ただ技と力のバランスにおいて、野球やテニスは後者の占める要素がまだ大きく、わが国が戦略的に競技育成を企図するならば韓国とタッグを組んでボウリングの五輪入りを再度働き掛けるべきではないだろうか。
 そしてゴルフもまた小技に優れた亜細亜人にマッチするのは論を待たないのだが、残念ながらパワーヒッター嗜好に距離を伸ばす対応が容易に行い得るからこそ、欧米優位にルール改訂の相継ぐ水泳やスキー同様に、柔よく剛を制すが通用し難い所以なのだろう。
 しかし卓球のダブルスがテニスと異なり交替で打たなければならないとは知らなかった。ならば左打ちが増えるのも道理だが野球以外にサウスポーが重宝される競技がこんなに身近にあったとは。左の裕旭と右の公資でダブルスに挑ませようとの腹は全く無かったのだが。

1月25日(水) 一年を三十日では過ごさない  -スポーツ - 大相撲-

h807.jpg  新横綱・稀勢の里の誕生を忠心よりお祝いしたい。そもそも優勝経験の無いままに昇進した双葉黒の廃業に至る不祥事以降、横綱昇進の条件が実質的に異様に厳格化され、本来「二場所連続優勝、乃至はそれに準ずる成績」の要件が、90年の旭富士以降は八代連続で「二場所連続優勝」を摘要されていた経緯に無理があったと言うべきだろう。
 協会側も些か焦りを覚えたか、三年前の鶴竜が漸く優勝同点、優勝での昇格となったが、旧に復すには今般は寧ろよい契機になったのではないか。
 稀勢の里は大関昇進の際も慣例たる三場所33勝に満たないとの批判があったが、これとて嘗て三場所目の優勝を考慮された長谷川、優勝に次ぐ11勝で三場所前の負け越しを不問にされた魁傑らの30勝昇進に鑑みれば、数字による外形標準にのみ固執して将来性を閉ざして仕舞う蓋然性を今一度顧みるべきであろう。
h808.jpg  実際今般も次点とはいえ二差に続いての全勝を逃しての初優勝とは、横綱審議会への諮問を見送られても文句は言い難い成績とはいえ、例に挙げて申し訳ないが低迷から一転して二場所連続優勝で横綱昇進を果たしたものの、名大関で終わるべきだったと後に語られる琴櫻の様に、単に直近二場所だけの瞬発を以て判断すべきか否かが問われていたとも言える。
 勿論、国技であるからには日本人には少々甘くてもという暗黙の合意に裏付けられているのを割り引いたとしてなお、新たな指標として「年間最多勝」という外形的な裏付けを加味する苦肉の策は、結果的に従来の「二場所~」のみに拘泥しない、多面的評価を斎す大袈裟に言えば画期的な大相撲改革ではなかったか。
 だからこそ新横綱の責任は重いが、新入幕から73場所と亡き師匠、隆の里同様の遅咲きも相撲に限らず凡ゆる競技年齢、就くピーク年齢が上昇している中で、逆に新時代の力士の生き様を是非示して欲しいではないか。

9月23日(金) 仕事の流儀  -スポーツ - バスケットボール-

h676.jpg  東洋の魔女の記憶は薄らいだとはいえ国際機関そのものをわが国経済が支えてきた排球にしてなお、Jリーグとの僅かなタイミングのズレが未だ完全プロ化を実現させていない事実に鑑みれば、国際的な競争力において明らかに劣る籠球が、紆余曲折のおかげで逆に先んじる結果となったのは朗報だったのだろうか。
 初のプロスポーツとして圧倒的な人気を誇る沖縄と恐らく親会社が最も裕福な、旧両リーグを代表する二者によって国立代々木競技場第一体育館というアマチュアリズムの聖地で行われた開幕戦は、今やプロ野球ですら希少となった地上波のゴールデン生放送が上々の幕開けを物語ってはいたものの、同時に却って持続性の危うさもまた強く伺われた。
 選手個々の技量では大衆へのアピールに乏しいからこそ娯楽と地域性に活路を見出だした構造は理解出来るものの、取り分け蹴球由来の地域密着が恰も営利性を否定的に捉えるが如く、併掲の認められている企業名が一律に喪われたのは象徴的だが、クラブチームと大差無くプロを標榜しても必ずしも専業は叶うまいと嘆くよりは寧ろプロとアマの一体化、更に言えばプロ化へのハードルが著しく下がったと受け止めるべきなのだろう。
h677.jpg  例えば野球の独立リーグは社会人野球の代替としての日本野球機構への選手養成機能を担いつつ独立採算のプロとして既に認知されつつある一方で、競技そのものすら未だ人口に膾炙していないe-sportsのサッカー部門にヴェルディが参入と聴いてスポッチャのそれ(左写真)を想像したら蓋を開けてみれば純然たるTVゲームとは、最早スポーツ事業の多角化の文脈で捉えるべきかも知れない。
 ただ被用者側に雇用の流動性を超え常態的な複数収入に道を拓くという意味では極めて現代的だが、プロスポーツ化の進展が逆説的に一部の超一流選手を除き職業としての運動を成立し得なくしつつある現実が、ウェーバーが政治に対して与するところと同じく職業としての運動の崇高性、すら喪わせしめない危惧は生じよう。或いは赤字が嵩んだら競技を挙げてクラブチームへの転向も辞さぬ、参入とともに退出障壁も小さいのがこれからの「プロ」の構えかも知れないが。

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奥はゴルフ
 物理的な拘束を極端に厭う性癖のためわが家では「裸族」の異名が与えられているが、加えて生来の甲高により靴の選択には悩まされてきた。
 長年ゴルフ・ブランドを愛用してきたが、それでもなお電車の中でも屡々靴下姿を披露していては、ブームの走りに背を向けるばかりか歩数を稼ぐことすら覚束無い。
 ところが偶さかに4Eをキーワードに浮上したお多福なる安価な品に手を染めると皮が薄くて柔らかな分、実に快適で驚いた。だからと言って急に徒歩移動に回帰する訳でも無いのだが。

6月29日(水) 高峰コーチは変身しない  -スポーツ - ボウリング-

h557.jpg  「りつこさ~ん」にも「美しきチャレンジャー」のビッグ4魔球にも遅れてきた世代であり、最も熱を上げた中学校時代は数多のボウリング場が淘汰され、一定規模の総合アミューズメント施設として再浮上する時分だったろうか。
 ハイスコアでも辛うじて150を超えるかという身分に留まったが、往事は最低五ゲームは投げる為にノーマルに対し90度横向きに、指をレーンに平行に手首への負担を軽減させる秘策に取り組んだこともある。
 当然、カーブもシュートも変化は掛けられない替わりにコントロールに徹することになるが、如何せんよりパワー不足が促進され、通例に復しては折に触れ再び横投げを試みと往き来し、数年に一度しか登壇しない昨今も試行錯誤は続いていたと言って良い。 しかしながら先月、サンプラザでの家族投における意外な安定に気をよくした訳でも無いのだが、会社行事の事前練習たる大仰な催しに闖入し、不可解にも好調が維持されていたのである。
 結果的に本番に向け選手を拝命したのは、元より力量を評価されたのでなく人手不足の所産に過ぎないものの、我ながら好成績にも拘わらず上には上がおり、更にハイスコアが臨めそうだったニゲームを中途で打ち切られた名残惜しさの捌け口としては挑むところとも言え、いそいそと盛岡から東京ドームシティへと駆け付けたのである。
 昭和36年にはわが国初の自動レーンが導入されたパイオニアとも言うべき後楽園が会場に選定されたのは、単に会社から至近であるが故だが、ダブルの後のガーターという著しい勝負弱さを発揮しながらも10フレでスペアを拾い、凡そ30数年振りの140台をマークして最低限の責務は果たし得たのでは無かったか。
 実は練習投球で一度ビッグ4に出会したが、魔球に挑むより確実に小瓶を狙うべきとの突っ込みは数限りなく新藤恵美氏に浴びせられているだろうから控えておこうか。

12月21日(月) 樫の木は残った残った  -スポーツ - 大相撲-

h339.jpg  歴代の日本相撲協会理事長は初代・双葉山の懐刀だった出羽花の出羽海を除けば双葉山の時津風を継いだ初の大卒大関の豊山、緊急避難だった魁傑という元大関すら例外で原則は横綱に限られている。
 従って三年前の理事選で一代年寄格の千代の富士が落選した以上、北勝海の八角が既にナンバー3の巡業部長だった元大関・琴風を飛び越えて事業部長に収まったのは順当であり、反主流の高砂一門とはいえ分家許さずだった時代の出羽から飛び出し破門された九重系の経緯に鑑みれば、出羽が理事長候補を持たない中で代替の要素も加味され、現職理事長の急逝にあたっては当然後を襲うものと思われていた。
 事実そう運んだものの内実は一月末の時期理事選までは代行でよしとの大義名分を掲げた反八角陣営が素人の外部理事含め五票を数え、僅か一票差で辛くも後継の座を得る波乱の船出となった。
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今は本名で評議員の元大徹関(08年)
 北の湖健在なりせば中継ぎの北勝海を経て貴乃花長期政権の図式が描かれていたとされるが、では八角に反旗を翻した五理事が貴乃花派かと言えば恐らくそれ程明快な図式ではなかろう。弱小混迷の伊勢ヶ浜一門とはいえ総帥かつ年嵩の旭富士にも野心はあろうし、次期理事選で再登板を狙う千代の富士の意向も働いているのかも知れない。そもそも実質的に保守本流の出羽の頭領だった北の湖の重しの無い九重系の理事長誕生は、96年に高砂一門内の予備選に破れ理事退任とともに廃業に至った、名解説者として今も人気の北の富士の院政を危惧する向きもあろう。
 しかしながら栃錦も北の湖も理事長就任は49歳、43歳の貴乃花には出身母体たる二所一門とも折り合いを付た上での満を持しての登壇が相応しかろう。自由民主党においても派閥の流動化著しい昨今、トランプの王の如く希少価値のある日本相撲協会には健全なる派閥政治を続けて戴きたい。

 新進党の解党以降、一時は年末の風物詩の感もあった駆け込み新党が久々に登場、しかも前身の勉強会時代から面子も替わり元維新の最低携行人数にて、改革という使い古された様な表題を掲げる辺り苦闘振りが伺われる。
 詰まるところ民主と旧維新の野党、改革結集等を含めた橋下維新のゆ党と大山鳴動の挙げ句に三年前の総選挙時の構図に戻ったに近いが、自由民主党だけが無風とはコップの中の嵐が活力の源泉であった時代が、皮肉でなく懐かしくもなる。
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