コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

5月30日(木) 合理化されたア行効果  -政治・経済 - 選挙-

i388.jpg  正常化以来数日の遅れこそあれ、今通常国会の最大課題たる働き方改革と、同じく昨年からの持ち越しとなるIRまで処理するとしても、外交日程の嵩みを勘案しても7月初旬までの小幅延長にて大禍なく運ぶと思われたこの期に及んで、いきなり参議院の定数増とは驚き桃の木である。
 そもそも第二院においてなお衆議院同様の一票の等価値に基づく定数配分が必要か否か自体に議論があり、だからこそその制約たる憲法改正に着手した筈である。
 元よりそれは来夏の参院選に間に合わないのは明白だったにも拘わらず、唐突に合区対応が浮上するのは些か不可解ではないか。
 わが国では政治改革が騒がれて以降、衆参ともに議員数を削減するのが当然に正義であるかの如く論調にあるが、約半数の人口である英国下院が定数650を数える様に、一国の議員数とは当該国の歴史と地域制から定められるものであり、戦後250で発足し、沖縄復帰により最大252を数え、そこから10議席減の参議院を6議席増やすことを一概に否定は出来ない。
 ただ一票の格差を三倍以内とする最高裁の現行判断に基づく限り単に合区を解消するのに必要な30以上の選挙区定数増は現実的ではないと言って、合区に依って候補者を擁立出来ない県の為に比例の一部のみ拘束名簿を復活させる今案は如何にも筋が悪い。
i390.jpg  既に二年前には合区優遇策として、非拘束ながら通常はアイウエオ順たる名簿搭載の上位に高知、鳥取の候補を並べたのだが、所謂"ア行効果"はひとりだけに限られるので、大方の予想通り高知の候補のみ当選した経緯があり、今般はこれを制度的に担保する改正と言える。
 勿論、全選挙区に候補者を擁立する大政党に特有な事情であり、自由民主党においても当選者が自動的に二人増えるとは思い難いから、当落線上と見られる他の比例候補には死活問題である。更に言えば、今後合区が増える度に定数を増やす訳にはいかないだろうから、拘束枠だけが増えるとすれば益々怨嗟の声は拡がろう。
 そもそも「出たい人より出したい人を」の観点から拘束名簿式を以て83年に比例代表を導入しながら、上位者は名簿搭載時点で当確のため選挙運動に身が入らず、逆に下位に置かれると悲観して立候補を取り止めるといった不具合が顕在化したのに加え、名簿搭載順の決め手となる党員獲得に不明瞭な事態が発覚したのを契機に、"残酷区"と揶揄された全国区時代に近い個人名投票も可とする非拘束名簿式に改めた経緯があり、再びその折衷とするのは難解の極みであろう。
 実は合区にしてなお埼玉が格差三倍を越える為、表裏二議席を増やさざるを得ない大義名分があり、どうせなら一緒にの思惑かも知れないが、法案提出の動きを示すだけで実態は合区対象県へのエクスキューズだとすれば、余計な批判を招く分高い買い物ではなかろうか。たとえ、かく技術的に陥穽を潜り抜けなければならないのならば寧ろ憲法改正すべきとの声を煽る深謀遠慮だとしても。

5月8日(火) 民主と民主  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

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台湾総督府
 政権の危機が騒がれた四月には「黄金週間が明ければ雰囲気が変わる」との指摘があった。元よりそこには合理的な根拠は存在しないのだが、いざ蓋を開けてみると詰まるところ法的には瑕疵の無い事案に関わるやり取りばかりに世論も飽きが来たのだろう、確かにスワ解散・総選挙かとまで喧伝された政局が瞬く間に落ち着いているのである。
 ただ落着ムードの醸成に拍車を掛けたのが、野党新党設立のタイミングであったのもまた事実だろう。世論の逆批判を踏まえ審議拒否をしないという意気込みは責任政党として賞賛されて然るべき姿勢には違いないものの、与党は確実に野党分断が出来るのだから、極めて戦術的に捉えれば得策とは言い難い。
 しかも希望と民進の合併と言いながら、衆院では希望オリジナルや反執行部郡に加えて旧こころ層が離れ、参院では立憲と真っ二つになった上に、民進党籍を残しながら無所属だった旧民主の幹部陣は完全無所属になるという、政治フリークで無ければ到底捕捉し得ない様な複雑な経緯を経てなお野党第一党たり得ないとは、これもまた戦術的だが来年の統一地方選、参院選に向けてまたひとつハードルを高くして仕舞ったのではないか。
 果たして新党は何を目指していくのだろう。嘗て新進党が解体した際には、当初は百人規模と目された「小沢新党」=自由党が60人程度に留まったが故に、往時の言葉で言えば「保保連合」に向けた"脱出ロケット"として機能した経緯がある。
 この教訓に則れば、新党は二大政党制の中で野党結集の音頭を取るには数が足りず、一方で与党が数を減らした折の補完勢力を嗜好するには過大過ぎる。想像するだにこの双方の嗜好性が混在する同床異夢が、実に中途半端な数の新党を編み出したのではなかろうか。
 小沢新党結党時に叫ばれた「純化」路線は寧ろ左側に結集した立憲が担う形となったが、反政府リベラルを貫く限り嘗ての社会党の如くに一定の支持を確保し、しかしながら政権交替には結び付かない批判勢力に留まろう。
 勿論、無所属となった中間層も新党も野党結集を嗜好するには違いないが、純化したが故の支持を幾分放棄しても野党結集に舵を切るか、或いは一定勢力に留まることを良しとしなくても拳を降ろす契機を失ったまま純化を続けるのか、その鍵は立憲が握った形になっている。
 比例の統一名簿が覚束無ければ現実問題として支持率の低迷する政党に候補者を預けるのを躊躇する産別も現れようし、89年参院選にて猛威を震った連合型候補が当選後に社会・民主の議員の奪い合いに堕して仕舞った経緯に鑑みれば、おいそれと地方区は無所属野党連合でとも言い難く、連合の苦悩は大きかろう。
 何処かでもう一段ロケットが飛び出す展開もと想像を逞しくして仕舞うのだが。

4月28日(土) 全ての人に  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 嘗ては神保町巡りで新刊書を大量に仕入れるのが愉しみのひとつだったが、Amazonやブックオフに現をぬかして以来、書店も高円寺駅前が関の山である。
 黄金週間初日、久々にレンタルCDのジャニスを訪れてシティポップの新作を当たるものの特段の成果無く、その足で三省堂にも踏み入ってみたところ、レジが一階のみに簡略化され、店内には常設の古書フェアの他、再販価格維持対象外となった新古書コーナーも拡大されている。既に書泉ブックマートは閉店してグランドに統合されており、生き残りに向けた書店の試行錯誤が伺われるではないか。
 そのまま神保町の駅に向けて老舗の古書店の幾つかに闖入してみたが、歴史や人文科学には一定の品揃えがあっても総じて政治本は扱われていないのは、矢張り需要に乏しいのだろう。
i353.jpg  このところ今更ながらに今は亡き行政問題研究所の「全人像」シリーズを多数落札して読み漁っていたのだが、今となってはマニアックで後代に伝記が商業出版で編まれなさそうな人物の半世が浮き彫りになり、政治フリークとしては実に興味深い。元より同時代性に溢れているからこそ棺を蓋う迄は描かれず、竹下登、小渕恵三といった位人臣を極めた人物は文章に刻まれた期待感がそのまま事実に昇華されているので、なる程この記述が後々まで再三引用されることになる元ネタかと合点はいっても新たな発見には乏しい。その替わりに例えば失脚した金丸信、三光汽船を潰して仕舞った河本敏夫といった方々は、丁度大河ドラマの主人公が天下を目指すと言っても、最終的には挫折している事実を視聴者は知り得ている様に、コントラスト豊かな結末が解っているだけに却って悲哀が醸し出されて味わい深い。
 総じて政治家の伝記は死語編纂されるモノは矢鱈と分厚くて学術的に過ぎる上に、相当に大物でない限りは市販されないし、逆に叙勲パーティーのお祝いに供される類は本人の回顧録ならば当たり障りが無さ過ぎ、著者が立てられても大下英治編纂かと見紛うが如き礼賛の嵐になって仕舞うので、記録性はあっても読み物としては詰まらなくなる。
 だからこそオーラル・ヒストリーなる手法が珍重されるのだろうが、もしかしたら「全人像」は政治文学のもうひとつの有り様を提示していたのかも知れない。
 勿論、著者も各々なので文学としての出来映えには大いにバラ付きがあり、インタビューだらけの山下元利、殆んど本人の話題以外で構成されている矢野絢也など、リアルタイム故に奥歯にモノを挟まざるを得なかったのではないかと邪推出来る作品もあるのだが、細田吉蔵と国鉄、佐々木良作と電産など埋もれつつある歴史に触れられたのは幸便であった。況んや武藤山治、八百板正に至っては最早何故全人像が編まれたのかすら不思議であろう。
 ただ全人像シリーズにも前期後期があり、取り分け前者の、今や政治フリーク以外には殆んど口端に登らなくなった亀岡高夫、園田直ら流石に数万円規模に及ぶ逸品には手を出せないし、小坂徳三郎に至ってはAmazonにもヤフオクにも影も形もない。だから暫し神保町を巡ってみたのだが、当然偶然の邂逅なぞあり得なかった。
 行政問題研究所は様々な事情から跡形無い模様で復刻は望み難いし、「○○政権○○日」の政権シリーズは更に希少になっているのは残念である。何方かお譲り下さる方おられれば御一報下さい。本稿は敬称略にてお届けしました。

4月22日(日) 五人囃子の笛太鼓  -政治・経済 - 選挙-

i347.jpg  多数決原理と少数意見の尊重という二律背反する命題を最大限両立させる為に選挙制度には様々な工夫が凝らされている。 例えば嘗ての伊太利、韓国は第一党にプレミアム議席を与えて人為的に与党の議席比率を増大させていたし、逆にわが国が小選挙区制を主としながら比例代表を付加して死に票の増大を緩和させているのも然りである。
 或いは仏蘭西の様に小選挙区ながら決戦投票を設けるのも選考の多様化という意味では同じ趣旨だが、その引き換えに二回の投票の間、約二週間の制度的な政治空白を必ず齊し、即ちこれを民意の反映のコストと看做しているという帰結になる。
 恐らく先進国においては尤も投票行動の議席数への配分に忠実なのは独逸の実質的に比例代表たる小選挙区比例代表併用制であり、戦後キリスト教民主同盟と社会民主党という穏健な左右両党の二大政党制がベースにあったからこそ政治の意思決定に制約要件となる事態は免れてきたが、多党化の中で第一党が過半数を獲得出来ず再度の大連立に至るまで半年を空過したのは記憶に新しかろう。
 ただわが国の感覚に照らして奇異に映るのは、須く選挙結果を受けてから始まる選挙そのものとはフリーハンドの連立協議であり、即ち有権者に取って政権の枠組みは埒外になる制度設計だが、嘗ての細川八党派連立内閣や初期の自自公連立もそうであったし、逆説的に小選挙区制の定着が国民の政権選択の権能を著しく強化した事実を裏付けている。
 さて以上を踏まえ、多数決原理による即断即決性を果実とする筈の小選挙区制においてなお、正反対の事態に陥っていたのが市川市長選である。
 昨年の時点では五候補が乱立した為、法定得票(有効得票数の1/4)を満たさず再選挙の事態は半ば折り込み済だったが、選挙結果への異議申し立てを挟んで市長不在の政治空白が四ヶ月に至った。しかも五つ巴が続けば再々選挙すら危ぶまれる事態は直前に回避されたとはいえ、今度は自民系二候補、嘗てはみんなの党に糾合された様な保守系二候補が各々提携し、要は事前に連立協議が為されたが如き構図になりながら、蓋を開けてみればひとり立ちになった野党候補が逆転勝ちである。
i349.jpg  勿論、結果的に分裂の形となった保守サイドの戦術ミス、或いは首長選に中央の対立の絵柄を意図的に反映させ過ぎる是非も問われようが、例えば二回投票制の決戦投票だったら異なった結末もあろうかと考えると小選挙区制の誤謬とも言えよう。先週の「殺すぞ」に端を発した西宮市長選もあと2000票ずつ上位二候補が少なければ同じ命運だったのだから、衆議院の小選挙区が複数に跨がる中核市クラスに取っては今後益々由々しき事態を暗示しているとも言える。
 尤も「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けば」に倣えば、「小選挙区は最悪の選挙といえる。これまで試みられてきた、小選挙区以外の全ての選挙制度を除けば」なのかも知れないが。

 今日は清澄らしい「さんずい」とバンカーに捕まり、第二打が保守派にあるまじき左巻きに悩まされ、残念ながらハーフ何方かの連続50切り記録が途絶えて仕舞った。

3月25日(日) You're King of Kings  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

i311.jpg  桜も満開に近付く陽気の中、すっかり3月が定着しつつある党大会がやって来た。カーリング娘かパラリンピック金銀銅制覇か、メダリスト登場は予想が付いたが、良い意味で期待を裏切ったのはいきなり冒頭に現れたことだろう。
 こちらは3000mでひとつ順位を上げていればまさに金銀銅鉄で揃い踏み+15点、とゴルフではないのだが、更にオールラウンダーでも金の高木美帆選手が先達たる橋本聖子氏との対話形式でスタートとは豪奢に他ならない。何よりも高木選手の受け応えが実に巧みで、立派に"陳情"まで述べておられ、スポーツで頂点を極める人物の高潔さが伺われた。
i312.jpg  政治活動に従事している訳ではないので、周辺居住者業であっても欠かさず党大会の歴史を追い続けてはいないものの、記憶を紐解いてもメダリストはスペシャル・ゲストの定番に他ならず、嘗てはアーチェリーの山本先生の漫談の如くに腹を抱えて大笑いしたり、矢鱈と弁舌爽やかと思ったら数年後には違う党からご出馬された方もおられた。
 ただ昨年は駅伝の原監督が幾ら話題を振っても、幼少の砌から目立たす控え目に振る舞うよう自制が働き過ぎているのだろう福原愛選手の如くに、弁舌が本職ではないのだから当然とはいえ、著しくエンターテイメント性に欠ける事例も生ずる。
i313.jpg  元より政党の最高意志決定機関たる党大会は興行ではないので、客寄せに膨大なエネルギーを投ずる謂れは無いのだが、折角全国から集まる年に一度お祭りの側面も当然有しているので説遇にひと捻りしたくなるのは道理だし、何よりも松崎しげる氏のインパクトが強過ぎただけに、次の一手への期待権が増殖するのは否めまい。
 そして結論として今年は谷村新司氏であった。考えてみれば"保守"政党にこれ程似つかわしい人選は無く、余りにオーソドックスには違いないが、選曲も思い切り"わが国"らしく「昴」、「群青」と来て、オーラスはまさに訪日外国人四千万を目指すに相応しい「いい日旅立ち」とは良く出来ている。
i314.jpg  世代的にはそれでも少し上になるものの、一曲ぐらいは派手に盛り上がるべくアリスの楽曲もと思わなくはなかったが、来場者の年齢に鑑みれば穏当なレパートリーであったろう。
 五輪という旬の話題性と純然たる娯楽を分割して前後に配し本題を彩る構成は天晴れ、来年は是非とも去り行く「平成」の唄メドレーでお願いしたい。

 品川で昼間からステーキと山盛りのポテトを平らげ、夜は一家で三崎港にて穴子の皿を堆く積み上げる。更に寝る前には多胡麻をひと袋。
 齢を重ねると量を食べられなくなるのが通例で、事実その通りだったのだが、このところ胃拡張気味で公資がスマートになる替わりに「でぶちん」の称号を襲名しそうである。清涼飲料水も旺盛に取得しているので寧ろ糖尿の気を懸念すべきかも知れないのだが。

3月14日(水) 三十年で五寸五分  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

i293.jpg  年度末を前に国会空転の中、昨日はパーティー集中日。オータニ、全日空、東プリと梯子して、これでキャピトルが加われば四大高級パーティー・メッカを制覇するところだった。
 87歳の小長元次官のご健在振りを拝見した後は、残念ながらそのシーンには間に合わなかったものの、同僚から実況中継で竹下亘平成研新会長の「六尺の身体を燃焼し尽くす」に、新会長は矢張り180センチもあるのかと違うポイントに反応して仕舞った。元より竹下登氏の経世会旗揚げの際の「五尺四寸五分」に範を採ったのは言う迄も無い。
i294.jpg  世襲という表現が正しいかは別として、派閥が親族間で継承されたのは有史以来初であり、大政奉還の絵柄はそれなりに感慨深いものだったろう。
 到着したのは既に中締め間際であったが、折角なので揚げ物と点心を戴く。この日は賃上げ対応にWデー対応と気忙しい一日だったが、東プリからは本来大手町乗り換え東西線のところ乗り越して仕舞い、幸便に乗り継いだ新宿で妻にケーキを買って帰る。

i301.jpg  さて忙中閑あり、本日の夜は火鍋である。鍋物は食べるのに忙しく、かつ辛味アウトのケースもあるので会食には使い難いのだが、個室を発見したので敢えてセットしてみた。改めて指摘されてその事実に直面したのだが、私が鍋好きなのは、往々にして鍋物は具が余るのが相場なので、好物だけ勝手に食べても支障が少ない上に、充分に出汁が出て煮詰まった余剰のスープを、汁のままに飲むという濃厚味嗜好たる原理に基づいてる。
 嘗ては鉄人の中華の店だった様で、河岸としては良い塩梅だったが、個人的には辛さがマイルドで台湾でも食した定番の天香回味の方が好みだったし、にも拘わらずお腹を壊した方もおられた。鍋奉行ならぬ鍋代官としては他の選択肢も模索しなければなるまいか。

3月1日(木) さよならの後で  -ビジネス - 企業経営-

i288.jpg  既に五年前とあらば記憶が欠落していても不可思議ではないのだが、大臣のお招きとその兵站に四苦八苦した経緯だけが未だに鮮明過ぎて、名古屋という遠隔地で行われたが為に要人の出欠は逆にほぼ捕捉が付いていたのだが、車寄せで前裁きだけに専念していた当日の動きはもう忘却の彼方に近い。
 今般は東京開催のため国会日程さえクリアされれば当日いきなり来訪も容易なため、突然音も無く、或いは電話連絡という前触れから程無く、超要人がぬっと、しかも果たしてVIP導線で現われて呉れるのか否かもホテル任せという過酷な条件の中に、受付前に立つ社葬事務員としてハンドリングの複雑さを眼前に突き付けられることとなった。
 要人には中央前方席が用意されているのだが、開場前に到来して控室で待機戴ければ整然と案内されても、当然遅れる御仁もあり、その誘導は紀章の色で判断される手筈にはなっていたものの、現実には弔辞が述べられる中にホテル側も前へ前へと押し出すのは至難の業であったろう。
 一方で最前列の指定席は急に増えた警護対象者を充てると現場で決めて仕舞ったが、先乗りSP方々から斎された情報で予期しない超要人の到来を把握出来たのは、偶然の産物とはいえ幸便であった。
 或いは自らの経験則に照らしても、時間内に訪れ得なければ開始前に献花をとの要望には柔軟に対応するなど、事前の段取りを詰めに詰めて、何事もその通りに運営する組織の美徳に注文を付ける謂れは毛頭無いものの、ハンドルの遊びの様に厳格な中にも多少の糊代を確保すべきとの教訓でもあったか。
 昨今はバッヂを外しても政治家であり続けるケースも少なくなくなったが、第一線を退いたお歴々の今の勇姿を垣間見ることが出来るのも周辺居住者歴の長い者には興味深い限りか。この知恵が次に生きるのは相応に先になりそうだとしても、記憶のみならず記録にも刻んでおきたい。

2月19日(月) もっと光を  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

i285.jpg  パーティの多い一日、朝は毎度のルポールにてだったが、昼は主役が「日本を明るくする会」に言及されていた。
 両院の規則には「議場に入る者は、帽子、外套、襟巻、かさ、つえの類を着用または携帯してはならない」とあり、嘗て社会党の長谷百合子議員がベレー帽を被ったまま本会議場に入ろうとして物議を醸し、果ては議運委で「そんなこと言うなら自民党だって一杯被ってるじゃないか!」と議論が飛び火して、それを言っちゃお仕舞いよ状態で沙汰止みになったのは語り草だが、永田町では鬘の話題は今も変わらぬタブーであっても禿頭そのものは寧ろ市民権を得てきたのかも知れない。
i286.jpg  尊族に禿頭者があり潜在的に明るくなる素質がある、名前や選挙区に禿頭に関わる名称を有する等も入会資格がある模様だが、「なぜグリーン車にはハゲが多いのか」を必読書に掲げ、禿頭者はアグレッシブで成功者が多いからこそ、和を以て尊しと為すわが国には寧ろかく人材が求められる、とは旨い纏め方であった。
 段々と他人事では無くなってきたのだが。

 そして夜は着席パーティの梯子とは、効率的とも言えようが、どのタイミングで移動すべきかばかりが気になって、腹は二重に膨れても些か精神衛生上芳しくない。
 ふた駒目は二年前にもお邪魔したバスゴリ御大の集いで、お笑いの方々が次々と登場されるのだが、パロディは元ネタを知らなければ愉しめないという摂理を重々思い知らされた。
 そこはプロなので年配層多数の客席に充分配慮して、演者の側も解説を付しながら披露して呉れるのだが、矢張り笑いとは博学のベースを要求するものと痛み入らざるを得ない。

2月8日(木) 参議院を制するものは  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

i257.jpg  想えば現在の平成研究会に至る「保守本流」最大派閥の歴史は参議院とともにあったと言っても過言ではない。
 佐藤派周山会は同じ山口出身の重宗参院議長の退任が、田中・福田両派に別れる遠因となっているし、竹下派経世会から羽田・小沢派が新生党として独立した際も、衆院側は真っ二つに割れながら、八人しか同調者を出さなかった参院が力の源泉となって、小渕派平成研は再び最大派閥に返り咲くのである。
 また小泉総理が再選を図った総裁選では自派の藤井候補支援は衆院だけの片肺飛行となるなど参院平成研は独立王国の様相を呈し、現に今もなお参議院は平成研、宏池会、清和会による三派体制が磐石で、清和会一頭支配が喧伝される衆院とは全く異なる世界が繰り広げられている。
 元より第二院が下院と殆ど変わらぬ権能を有するわが国二院制自体の是非は別建てで論じられるべきとしても、厳然としてその制度が存在する以上、大半の法案の出口となる参院の多数を握って党内に影響力を行使するのも生活の知恵に他ならず、皮肉にも重宗議長を蹴落とした河野謙三氏宜しく、寧ろ野党寄りに七・三の構えを採る参院平成研の議会運営が、与野党問わず長年の信頼を集めているのも事実なのである。
 更に言えば、今でこそ大宏会構想が唱えられる程に三分されたものの、嘗ての宏池会が、前尾→大平交替劇にクーデター的要素があったとはいえ、領袖の禅譲を繰り返してきたのも、裏返せは"お公家様"と揶揄される闘争下手の為せる業であって、佐藤→田中→竹下→小渕とトップの簒奪と分裂を繰り返してきた平成研、より正確に言えば経世会の歴史には、業の深さを感じざるを得ない一方で、分裂出来るだけのエネルギー、活力があったと指摘することも出来よう。
i265.jpg  だとすれば今般の一定の決着は、何故このタイミングなのかと、恰も派閥パーティーを人質に取った様な捨て身の戦法が必ずしも洗練されていたとは言い難いものの、参議院の反乱が契機となったという意味では極めて歴史に則った展開であり、同時に分裂回避が至上の目途となった点で、最早分裂も辞さずという活力の根幹たる「数」を失っている事実をもまた、冷徹に露呈していると言っても良い。
 現在建て替え中の砂防会館本館は5月に竣工するが、歴代会長の居城でもあったTBRビル跡にはアパホテルか建造中である。
 角福戦争の怨念を自ら進んで背負った小泉元総理の「ぶっこわす」べき自民党とは経世会支配であり、少なくとも現時点では衆院側は見事にその仕掛けに一敗地に塗れたのだが、折しも一方当事者であった野中弘務氏も大往生を遂げられた。
 保守本流というブランドが今もなお一定の説得力を有するのか、最早永田町界隈においても定かではないが、野球は巨人、相撲は出羽一門、歌舞伎なら市川一派が、憎まれ役であったとしても元気で無ければその世界は活性化しまい。「一致団結箱弁当」の強靭さに、まさに共に弁当を戴かず鰻重で亀裂を示したのは象徴的だったが、時ならぬ田中角栄ブームの中、平成研究会には経世会のみならず、七日会・木曜クラブの歴史まで紐解いて、保守本流の矜持を自認して是非とも再び中枢を歩むべく一致団結して戴きたい。

1月5日(金) 男は三度勝負する  -政治・経済 - 選挙-

i208.jpg  昨日は慣らし運転で仕事始めは実質的に恒例の新年互礼会からとなる。ところが稼働二日のみの金曜午後という悪条件に加え、総選挙から間もない正月は妄りに上京せず御礼周りに専念すべしとの御触れが効果覿面に過ぎ、閣僚級を除けば到来するのは政府役職者か関東近郊選出者に限られ、毎度受付近辺に屯しての新年御挨拶一網打尽攻撃も、立ちっ放しで例年通り足腰に痛みを覚えた割には多分に空振り気味であった。

 書籍「黙殺」は、新聞紙上に"独自の戦い"と切り捨てられる泡沫候補にスポットを当てたものである。しかしながらメディアは彼等を文字通り"黙殺"せず主要候補と同等に取り扱うのが民主主義であるとの筆者の主張には全く以て賛同出来ない。
i209.jpg  現実に五回目の挑戦でバッジを射止め、衆院選通算3勝6敗ながら異彩を放った田中秀世氏の例を挙げるまでもなく、最初は保守系無所属の「泡沫」扱いでも出馬の度に票を積み上げていった候補者は少なくない。書籍にも登場する中川暢三氏は地元の加西市長になっているし、典型的な記念受験派と見られていた故・羽柴誠三氏が夕張市長選で次点に輝いたのは記憶に新しい。
 彼等に共通しているのは、特定の選挙に的を絞っているか、そうでなくとも当選の蓋然性のある選挙戦に狙いを定めている戦術性であり、少なくとも当選しようという意志と努力の跡が伺えるのである。
 他方で多くの泡沫候補には、選挙活動をアピールの場とする意図は明快だが、その主張を以て当選に結び付けるべくステップを踏んでいるとは言い難かろう。
 それは映画「立候補」を見ればより明らかで、最早選挙運動という錦の御旗を掲げることで示威行為の大義名分を確保する手段にしか見えない。供託金を納めた引換の権利と看做したとしても、それをメディアが報道素材として採用するか否かは当選可能性を以て判断されて然るべきだろう。
 嘗て東京の選挙における風物詩と言えば赤尾敏氏と東郷健氏という時代があり、戦前に衆院議員だった前者を同列に並べるのは失礼かも知れないが、大川総裁が彼等を「インディーズ候補」と名付けて一冊に纏めていた様に、ユニークな存在としてスポットを当てるのは、選挙をハレの場と捉え政治への親しみを醸成するという意味で、余程民主主義の本旨に叶うのではないだろうか。
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