コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月1日(日) 風呂に入って寝るだけではないが  -政治・経済 - 衆議院解散・総選挙-

 選挙が始まれば土日も無い、と宣うのは自らを鼓舞すると同時に半ばワーカホリックに陶酔するが如くでもあるが、実際休日は当然電話も少なく、事務作業が捗るとともに、関係各位へのご連絡も携帯電話という文明の利器の効用で実にスムースに進む。
 当然先方は押し並べて稼働しているから、土日に働く者同士、同病相憐れむ連帯感が生まれるが、辺りを見渡しても人影は皆無。これだから選挙の時だけ生き生きとしている等と揶揄されるのかと苦笑せざるを得ない。とは言え8時に会社に現れて、ふと気が付けば17時を回っており、最初から飛ばしても息切れするだけなので、後はマニアックな候補者一覧表作りも一段落した処で退散する。
i94.jpg  かく昨日熱中したおかげで今日は昼前に手持ち無沙汰になり、永田町経由地元を回遊する。元より電話して送って貰えば済むところわざわざ回収に赴くとはこれ見よがしで小聡明いが、暴漢でも無い限り選挙事務所を訪問すれば須く歓迎されるとの心理に導かれている。以前は休日の深夜に多摩地区を周回し、敢えて候補者との邂逅を狙っていたのに比べれば寧ろ戦術的に退行しているのは、加齢に伴い体力温存を図るべく自制が働いているのかも知れない。
 ただ胃が悲鳴を訴えていないのは、丁度一週間、ピロリ菌除去の為にアルコールを排除の論理だったのが確実に寄与していよう。便が緩くなる懸念を指摘されたが、このとこれまま柔便ならぬ硬便化してお通じの際、力まざるを得ない事態が生じているので痔疾治療経験のある身の上には却って好都合だろう。
 当面、宴席はほ簿皆無なのでこのまま続けていれば休みが無くても乗り切れそうなものだが、そうは問屋が卸すまい。肝心のピロリ菌を退治出来たかは三ヶ月たってみないと判らないのだか。

9月28日(木) プログレとロングホープ  -政治・経済 - 衆議院解散・総選挙-

i93.jpg  嘗て華々しくスタートした非自民八党派連立細川政権が一年と保たず瓦解し、社会党首班という禁じ手を以て自由民主党が政権に復帰してなお、その年末に誕生した新・新党改め新進党は、小選挙区制下における政権担当能力を持つ対抗勢力として、一定の期待を以て迎えられた筈である。
 解散と相前後して設立され、俄かに民進党の"合流"で第二党の座を得んとしている希望の党は、その新進党との類似が指摘されている。
 そもそも代表からしてパシフィコ横浜にて盛大に挙行された結党大会を党広報委員長として演出した人物であるし、労働組合を最大の支持母体とする民主~民進党に比して"保守"の様相が強いのは事実である。差別化を図る為にも民進党を丸飲みしない戦術を採ることは当然に予想され、こちらは民主党が社会党左派やさきがけ党首の武村正義氏の合流を拒んだ「排除の論理」と重なるが、細かく言えば民進党が参院の院内勢力を維持する形で資源を温存し、衆院側のみ希望移籍を図るのも、往時の公明党が翌年の参院選対応を見据えた現実的な戦略だったのに対し、今般は如何にも場当たり的な段取りに過ぎなかったとしても、先例の踏襲と言えなくも無い。
 ただ希望との決定的な相違はその公明党の不存在に他ならない。そもそも90年代の政界再編は金丸信氏の言葉を借りれば「長男坊(経世会)が家出して」民社、公明に社会党右派迄をもの糾合を目指しており、70年代に構想された野党の「社公民」路線が「江(江田)公民」と揶揄されたが如くに、公明・民社の中道両党が社共共闘から脱却出来ない社会党との協調を諦め、保革伯仲の中でまさに宮澤内閣信任案を三党で成立させたことに象徴される様に「自公民」体制が生まれつつあった、その延長線上に位置している。
 結果的には金丸氏ご本人の隠遁から盟友であった田辺誠氏率いる社会党右派の参画は殆ど叶わず、かつ家出した長男の双子の兄弟が意外に頑健だったと評すべきだろうか、新進党は僅か三年で瓦解して仕舞ったのだが、この文脈に則れば、寧ろ現在の自公政権の方が新進党のDNAを受け継いでいると言っても過言では無い。
 実際、石破・二階両氏とここ三代の幹事長のうち二者を筆頭に、自民に戻ったからこそ命脈を保っているのかも知れないが、自民に新進党出身者が点在しているのは事実であり、前原・枝野といった民進幹部は日本新党初当選は同じでもさきがけ経由のため新進党には属していない。
 要は自公政権において新進党の要素に欠けるのは民社党の有無であるが、新進党が連合内の旧同盟系をベースに社会党支持に残った旧総評系民間労組を取り込む過程にあったー村山政権下にそれは叶わぬ夢に終わったがーのに対し、恐らく希望の党は連合から旧総評系の官公労を排除するのが主眼となり、ここでも新進党と希望には異層がある。
 もしここで旧民社の友愛が独立の旗を挙げることが出来れば、或いは選挙結果如何では自公民の枠組みが生まれ、細川政権以来の政界再編の長い物語が完結するのかも知れないが、残念ながら小選挙区制下においてそれは望むべくも無かろうし、「安保は自民より右、経済は社会民主主義」に象徴される中道政党らしい現実性が、却って足枷となりダイナミックな動きを阻害してきたのは歴史が証明している。
 逆に言えば希望の党は旧同盟乃至は民間労組を配下に収めることによって、自民を鷹とすれば鳩の装いを呈した保守二大政党のポジショニングに自らを位置付けることは出来たとしても、経済的には社会民主主義に近く、社会的には自由主義という、自由民主党において最も「リベラル」であった"長男坊"は組みしていない。
 フロンティアはまだ遠い。

9月25日(月) メーテルの星崩れる時  -政治・経済 - 衆議院解散・総選挙-

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リーリーかシンシン(2011年)
 小池知事が午後名前を発表というから、スワ新党と色めきたったところパンダの子息であった。「平成」の元号を発表した小渕官房長官の如くに、恭しく額を掲げて「その名前は希望です。あ、間違えちゃった」等と危険な笑いを取ることも無く、モニターで発表されたのであった。しゃんしゃん。

 55年体制下にあっては大政党間を跨がる移籍は山口シヅエ氏の様に極めてレアケースであったが、96年総選挙後に新進党から五月雨式に自民党への復党・入党が嵩んで以来、ここ数年も民主→自民の鞍替えが散見される様になったのは、ひとつには政党間のイデオロギーの相違が小さくなった証しであろう。
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こちらは離島
 だから「離党」という響きにも半ば慣れっこになりつつあったが、与党から該当者が生まれると身を引き裂かれるが如くまでは大袈裟かも知れないが、インパクトは決して小さくない。
 勿論、大野伴睦翁ではないが、猿は木から落ちても猿だが代議士は選挙に落ちたらただの人、は覆すことの叶わぬ真理に違いない。しかしながらこれ迄築き上げてきた多くの人間関係を絶ち切って、それでも尚バッヂが無ければ仕事が出来ないという論理を優先させなければならないとは、些かの皮肉と同情を込めて、小選挙区下における議員とは世知辛い商売であると言わざるを得ない。
 元より転々とするのが当たり前の外資系企業でもあるまいし、公職も雇用の流動化が進んで働き方改革もここに極まれり等と笑っている場合ではないが、或いは国替えも地域代表より国民代表という英国型議会制民主主義の有り様を体現しようというのだろうか。
 公的機関にしろ民間企業・団体にしろ、非営利を標榜する疑似組織においても、何等かの成果が明確化してそれが個人に人事上の賞罰として返還されるには時間が掛かる。これに対し学生団体の利点は、最大四年間と期間が限定されているが故に出世が早い、との指摘があったが、幸か不幸か政治もまた選挙において短期的な明確な評価が、早々に齊される。冷静に見詰めたい。

9月13日(木) さあ、働こう内閣  -政治・経済 - 政治・時事問題-

i77.jpg  金融緩和、財政出動に続く成長戦略に兎角異論、反論百花繚乱ではあるものの、一億総活躍から働き方改革、人づくり革命と、タマとしての技術開発と並行する形で成長の根幹たる人間の数と生産性、その為の教育をと手を変え品を変え注力している姿勢は、掛け声が先行して果実が明らかになり難いとはいえ、もっと注目を浴びて良いだろう。
 ただ現実に働き方改革が政策として形を為して来ると、その経緯に鑑みればやむを得ないものの、些か長時間労働の是正という先祖帰りした様な議論にスポットが当たり過ぎたきらいは否めない。元より高度プロフェッショナル制度の様な非時間管理の拡大は有用である。ただ世の中は時間単位に基づき常に均一な生産性の求められる仕事と、芸術の如く成果が全てという世界に二分される訳ではなく、比較的勤務中の自由度はありつつも便宜上時間管理をベースとせざるを得ない職責は数多存在する。その中間層は高度プロフェッショナルに該当する外見性はあるが、裁量権の少なさに鑑みれば自律的な働き方とは言い切れない。これを時間管理以外の手法を主に据えるのは、恰も民主主義がこれまで試みられた全ての政治体制を除き最低の政治であるのと同様に、恐らく望ましくない。
 勿論、大企業の間接部門において働き方改革をと問われても、精々会議を廃止したり随行者の数を減らしたりと、生産性の分母を小さくする発想しか生まれ得ないのは、時間管理に拘泥せざるを得ない弊害なのかも知れない。
 しかし一方で同一賃金同一労働という概念を用いるならば、詰まるところ後者の「同一」の換算は時間単位が前提となろうし、ジョブ・ディスクリプションの明確でないわが国にはそもそも同一労働の範疇は稀少で、寧ろ同一賃金同一待遇こそが相応しいとの反論は、遷く時間に捕らわれない働き方が具現化しているが如き幻想を想起させて堂々巡りである。更にはそれが単に所謂正規雇用の拡大を求めるものならば、解雇規制の緩和と入れ子という極論に走らざるを得なくなろう。
 ただ詰まるところ、完全雇用の為の失対事業に終始していた独立の労働行政が、企業の尽力と相俟った労働需要の拡大を経て、供給側の質を高める人づくりに至りつつあるという論理は一貫しており、試行錯誤を重ねるのは旧弊に囚われて身動きを縛られるよりは余程建設的だろう。壮大なる実験を試みるには些か舞台が大き過ぎるきらいはあるが、頭の体操だけでは何も生まれまい。

8月4日(金) 胡蝶蘭飛び交う  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

i17.jpg  ひと口で言えば永田町的には玄人受けする堅実な顔触れであり、取り分け再入閣組が多く、就く同じポストへの再任が目立つ。抜擢に他ならない農水大臣も副大臣二年の実務者であるし、噂されたスターの目玉人事も無かったが、本来組閣とはかくあるべきなのかも知れない。
 "実力者内閣"を希求する余り、既に入閣している官房副長官経験者の再起用まで真しやかに囁かれ、実際閣僚経験者の副長官には小沢一郎、与謝野馨、鈴木宗男といっ錚錚たる顔触れの前例があるものの、直近大臣からの"降格"となると佐藤内閣において保利茂氏を大官房長官として遇する為に、官房長官から副に下がった木村俊夫の名が持ち出される程であった。
 恐らく意外性を以て受け止められたのは河野外相で、これを見る限り対米交渉の指揮官たる麻生副総理が外交担当の総理補佐官含め大蔵・外務の要職を実質的に手中にしたという意味で、かの米内大将しかり安倍・麻生連立内閣色が更に強まったとも見える。
 ただ最大の焦点は矢張り次代を担うとされる岸田前外相の党三役への転出であり、この成就により逆に宏池会と官房長官を基調に政策の軸は幾分リベラルに移り、留任の二階幹事長、或いは総裁選出馬の取り沙汰される候補の取り込み等、石破・谷垣両派こそ厚遇はされてはいないものの、一強から総主流派体制への危機管理が奏攻しているのではなかろうか。
 一時は来年末が通り相場だった次期総選挙は三分の二議席を喪うであろう可能性が高く、憲法改正の旗を掲げ続けてなお、支持率との見合いで常在戦場状態が続くことになろう。確かに、華やかさという意味で必ずしも選挙向けの布陣とは言い難いものの、或いは急展直下で代表選に至った民進党の身の振り方に依っては自民・公明・維新のこれ迄の「改憲勢力」の観念が改められ、逆説的に総選挙へのハードルが低くなるのかも知れない。
 ところで今回密かに注目を集めたのはギインズの動向ではなかったか。実際、浜田元防衛大臣の再登板説もあったのでもう少しでギインズ改メ「DaIj!nZ」誕生だったのである。
 第三次小泉改造における経産副大臣のダブルあきらや、前内閣のワンツースリー・トリオを含む山本カルテットなど、過剰に格式張ることなく政治を愉しく語るのも民主主義の習熟のひとつの証しではないか。

7月21日(金) 忘れた時は出掛けずに  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h963.jpg  ドラマとは世相の鏡であり、たとえ歴史に題材を求めていても同時代の嗜好性が須くそこに投影される。例えば映画「バブルへGO」はかのバブル景気への憧憬に依居するものであろうが、同時にその後のリーマン・ショックで局面は一変したものの、少なくとも製作された2006年の時点では感覚的にはミニ・バブルとも言うべき経済情勢にあったことが伺われよう。
 この段に則れば漫画「疾風の勇人」の意外な人気は、元より高度経済成長期に至るダイナミズムへの郷愁が多分に作用はしていようものの、現下が景気循環の上昇期に位置しているとの認識が、暗に受け止められている証佐でもあろう。
 「吉田学校」たる枠組みをベースに置いている時点で既に小説吉田学校史観の影響が見られるが、かの戸川猪佐武氏は寧ろ三木武吉氏、河野一郎氏から田中角栄氏に至る党人派の軌跡が主眼にあり、小説吉田学校に描かれなかった池田勇人氏を筆頭とする宏池会の歩みを加味したものとも言える。
 ただ結果的に保守本流を形成することになった吉田氏から池田氏、佐藤栄作氏の流れを受容するにしろしないにしろ、須く戦後わが国の骨格を編み出したのが吉田茂総理との解釈は一致している。
 渡辺謙氏の演じた吉田茂「負けて、勝つ」が2012年のドラマである事実は、或いは"吉田"のアンチテーゼであった"鳩山"に端を発する民主党政権の崩壊を視野に入れたものと懐旧するのは些か後読みが過ぎるのかも知れまい。
 とは言え多分に本筋には余分としか表現の仕様の無い親子ドラマが混入されている点を除けば、一貫して戦力無き国家を希求して経済成長を優先した「吉田ドクトリン」が肯定的に描かれている。
 そこには勿論、タイトルにも透けて見える外交官の陸軍嫌いが強く反映されているとしても、果たして経済復旧が一定規模に達した後の自衛力に如何なる想いを馳せていたかは必ずしも窺い知れない。
h964.jpg  五年後の眼から見る時、それは多分に示唆的である。本来、憲法とは国の統治機構の在り方であるとの前提に立てば9条ばかりがクローズアップされるべきでは無いとの議論はあろうが、「負けて、勝つ」を「負けるならいくさ以外で」と読み替えるにしても、晩年の吉田茂氏の恐らくは定着し過ぎたドクトリンへの幾分の悔恨を秘めた静かなる転向に、今ならなおスポットライトが当たっていたのだろうか。

 越すに越されぬ大井川を越えず、その畔の島田駅から程近くに遠征した。永田町稼業に長らく携わっていても、企業と政治家の関係性が永田町とは一変する「地元」の日常的な光景を目の当たりにする機会は稀少なだけに、貴重な闖入であった。少し遠かったけど。

7月4日(火) 大きいことはいいことだ  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h951.jpg  確かに過去にも派閥の合併には、角福戦争における福田支持の各集団を統合した、現在の清和会の前身たる八日会や、山崎派の独立した旧中曽根派と清和会から別れた亀井グループが対等合併した志師会という実例がある。
 だから新・麻生派「志公会」も元号選定の如くに過去例と文字の重複を避けるという観点からは些か意外な命名ではあったし、八個師団の派閥第一世代から継承されてきた旧三木派の終焉という点に注目が集まってはいるものの、前例が何れも総裁選を契機としていることに鑑みれば、今回もまた単に数の論理を追う為の拡大と片付けることは出来ないだろう。
 元より都議選後たる日程は勘案したろうが、大敗を織り込んでいた訳では無かるまくとも、このタイミングではどうしても「次」を意識した策動に映らざるを得まい。
 だからこそ麻生氏の復辟が否定される訳では無いが、明確な総裁候補を抱える陣営としてはより慎重な対応が求められる局面に、「宏池会60周年シンポジウム」とは余りに時宜を得た企画であったろう。
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有隣会(6/16)
 経済成長と格差の是正、競争と協調は二律背反とは言い過ぎだとしても競合する概念には他ならない。現政権の嗜好が前者が比較優位にあるとすれば、小説吉田学校史観における保守本流たる宏池会は中道、リベラルに近いとされ、自由民主党が長年政権を維持してきた生活の智恵、疑似政権交替を可能にするチェンジ・オブ・ペースのもうひとつの雄としては最適との連想は容易に想起されよう。
 そこまで生臭く思考を巡らせずとも、少なくともシンポジウムでも語られた様に常に代替の選択肢を提起する意義は誰しも否定し得ないし、それを大平元総理の「楕円の哲学」を以て表象するのは実に巧みである。即ち同じく大平氏の掲げた「田園都市構想」の先達としての渋沢栄一氏の末裔と、多様性の一類型たる「女性の品格」をパネリストに並べる絵柄もまた秀逸であろう。
 そして時を同じくして、もうひとつの保守本流たる平成研究会の30周年が、敢えて「経世会」を看板に掲げて行われたのも符号するが如くに見えてくる。
 一部が志公会に合流した、宏池会の正当な系譜のひとつたる有隣会と近未来研究会の連衡も囁かれる中、良くも悪くも来年に向けて一挙に物事が動き出した観がある。政治の安定は言う迄も無く肝要に他ならないが、このダイナミズムもまた政権政党の強味ではないか。

7月2日(日)  艾がでかすぎれば火葬になる  -政治・経済 - 政治・地方自治・選挙-

h950.jpg  都議選最終日、秋葉原の遊説は総理登壇前から反安倍のシュプレヒコールが囂かった。反原発から集団的自衛権、テロ法へと繋がる一連の示意行動も、少なくとも識者の間では、職業左翼の生活の糧と若気の至りの捌け口としての御祭り騒ぎに過ぎぬと、寧ろ憐憫の情以上を斎すものでは無かったにも拘わらず、2006年の総裁選において麻生現副総理の「オタクの皆さん」発言以来、自由民主党の選挙戦術の一環に位置付けられてきた秋葉原という扇情的な舞台装置が却って、実際には少数でしかない勢力を恰も民意であるかの如くに際立たせて仕舞ったとも言える。
 元よりマスメディアの後押しが果たした役割は小さくないが、世相に受け入れ易い報道に傾斜する客商売としてのマスコミが挙って取り上げたのは、逆説的に民意の先行指標たる側面もまた否定出来まい。だからこそその場に居合わせてなお、雨模様の中に急速にスター達が輝きを喪失していく様な想いに囚われたのだろう。
 結論から言えばファーストのみならず共産や民進までもが批判票の受け皿たり得た誤算という意味では、確かに国政側の失策が左右したのも事実だろうが、後付けの論理であることを顧みず述べれば、 少なくとも昨年の知事選からの一年の間に、都知事と何等かの手打ちを果たすべきだったのではないか。
 現に敢えて日和見批判を招いても知事与党の選択を甘受した公明の勝利を観る限り、戦術としては負ける戦いには挑まないという現実路線が「失敗の本質」からの教訓であり、自由民主党が総力を挙げて挑めば逆風を反転せしめ得るとの希望的観測の下に本土決戦に突入したとすれば、少なからずその部分は驕りであったろう。
 如何な良政であろうとも長期に亘る権力には、たとえ非合理的な理屈であろうとも批判勢力が、日常的に声を挙げ難いからこそ余計に、僅かな契機を以て燎原の火の如くに立ち上るのは避け得ない通過儀礼である。
 是非は別として現代風の"透明性"に満たない要素が、それが石原都政の残照乃至は反対給付だったとしても、都議会に存在したのだとすれば必ずしも国政の被害者とばかり捉えるのは当事者意識に欠けており、政府としては御灸を据えられたのが国政選挙でなく、言わば都議選がバッファの役目を果たして呉れたと割り切る他は無かろう。
 勿論、寛容と忍耐の精神で地を低くする姿勢は必要たろうが、窮地であるからこそ「初心」である筈の憲法改正を貫く姿勢を持ち続けて欲しい。寧ろそこに党内の様々なエネルギーを凝結させる位の度量を示しても、長期政権の駆動力は持続するのでなかろうか。

6月21日(水) なが~く愛して  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h946.jpg  コール元独逸首相が亡くなった。氏とミッテラン仏大統領の巨体と鉄の女サッチャー氏は初期サミットの代名詞であり、わが国と伊太利亜ばかりが煩雑に交替して形見の狭い想いをしていたのも今や昔、翻れば安倍総理が二番手とは隔世の感があろう。
 ただ先任首脳は矢張り独逸のメルケル氏であり、そこにはワイマールの教訓から長期政権を担保する制度設計の知恵が秘められているのだろうか。確かに後継首班を明示した上での建設的内閣信任案の否決が無い限り下院の解散権は制約されている。
 勿論、嘗てわが国においても戦後間も無く、解散権は内閣不信任案の可決に依る所謂69条解散のみ是認されるとの憲法解釈に基づき、敢えて不信任を成立させた吉田内閣の話し合い解散の例同様に、独逸においてもかく便法を用いて任期満了前に総選挙を実施した事例はあるが、英国においても等しく解散権を大幅に制約する法改正が為され、にも拘わらずメイ首相による任期半ばの総選挙が予想に反して与党の敗北に終わった事例は記憶に新しかろう。
 だからわが国も来年末任期満了に憲法改正の国民投票と同時に総選挙を設定すべきと結び付けたくなるが、実際にはそれは戯れ言に過ぎない。と言うのも戦後わが国において総選挙の結果を受けた総理の退陣は三木、宮澤、麻生、野田の四例に留まり、他方参院選の敗北に起因するケースも宇野、橋本、第一次安倍の三例を数えている。
 これに匹敵する党総裁任期の満了乃至は再選出馬の断念(中曽根・小泉、鈴木・海部)が、任期の二年から三年への延長と三選解禁によって著しく蓋然性が低くなった今、詰まるところ長期安定政権の樹立は、参議院選挙を政権選択に用いないというコンセンサスに懸かっていると結論付けるべきではないのか。
 それを与野党の意識改革という慣習法に委ねるのか、或いは憲法改正をも視野に入れた参院の権能の新たな制度設計を企図するかはさておき、畢竟、 歴史を学ぶとはそこから仮説を導き出し、現実を以て検証するのが保守の羊蹄であると、綺麗に纏めてみました。

5月16日(火) サンパは旨く揃わない  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 新たな囲碁の団体でも設立されたかと思いきや、派閥でない有隣会から分裂した小集団のネーミングだと言うのだからややこしい。わざわざ論語チックな二文字+会を用いたのは派閥らしさを演出するものであろうし、その心はひと時は四派大宏池会構想すら遡上に登りながら、本家を除く三派、更には2+αと縮小されつつなお、飽く迄三派の対等合併の形式用件を揃えて跡目争いを含む今後の人事のあり様に布石を打ちたいという思惑か。
 しかし早ければ七月にも合流が見えているにも拘わらず敢えて一派を構えるとは、恰も政治改革から新進党解党に至る過程において、雨後の筍宜しく現れては消えた新党の如しである。
 元より政党の場合は事の是非は別として、文殊の知恵ではないが五人集まれば交付金という明確な現世利益があるので意図は明瞭であるのに対し、同様の現象が派閥において発生しているのは、まさに二大政党から自民党基盤政党型に回帰した結果、党中党と揶揄された派閥のウェイトが確実に回復している証佐なのだろうか。
 ともあれ派閥全盛期の70年代から脈々と継承された第二世代・五大派閥の一角が初めて消えるのである。小選挙区導入以降、党中央の権限拡大とともに緩やかな弱体化と離合集散を繰り返した第三世代から、派閥は今新たな第四世代の時代を迎えようとしているのかも知れない。

h925.jpg  その文脈で捉えれば、安倍総理がこのタイミングで敢えて「細田派四天王」に言及したのは興味深い。
 勿論、加藤、三塚、森、塩川の「安倍派四天王」に準えているのは明らかだが、何れ訪れる「安倍後」における自派の行く末を占ったものとも言える。
 しかも国会議事堂に居並ぶ銅像の如く四人目を空白にしているのは「民主主義は完成しない」のと同様に「清和会の天下もまた終わらない」との比喩と読むのは些か牽強付会だろうか。
 三羽烏に四天王、奉行は竹下派には七人いたが佐藤派五奉行が本家である。一般論としてかく呼び名は六以上はバリエーションが減るので、吉田十三人衆はそもそも派閥揺籃期であるし、一派閥に集う実力者に七人は矢張り許容範囲を超えていたのかも知れない。

吉田十三人衆益谷秀次、林譲治、池田勇人、佐藤栄作、保利茂、大橋武夫、橋本龍伍、
愛知揆一、福永健司、小坂善太郎、田中角栄、周東英雄、小金義照
佐藤派五奉行保利茂、愛知揆一、田中角栄、橋本登美三郎、松野頼三
大平派三羽烏斎藤邦吉、伊東正義、佐々木義武
竹下派七奉行橋本龍太郎、小渕恵三、小沢一郎、羽田孜、渡部恒三、奥田敬和、梶山静六
安倍派四天王加藤六月、三塚博、森喜朗、塩川正十郎
三賢人灘尾弘吉、椎名悦三郎、前尾繁三郎
御辞儀三人衆(三木派)丹羽兵助、森山欽司、毛利松平
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