コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月14日(水) 朝まで生国会  -スポーツ - プロ野球-

h938.jpg  大幅延長から小幅と揺れた通常国会は、未明の不信任採決から明け方の参院本会議テロ法成立を経て、急転直下の会期中閉会に回帰した。
 元より延長したところで所詮"強行"による決着を余儀無くされるのであれば都議選への影響を最小限に留めたいとの思惑故たろうし、参院側が竹下元総理以来の野党に配慮した、経世型の丁寧な運営を行ってきたからこそ、最終局面での強引な決着が可能になったとの逆説的な帰着でもあろう。
 ただ本来は議員内閣制でありながら、大統領制下において党議拘束とは無縁である筈の委員会中心主義が米国主導にて移入されたが為に、数の論理に基づく粛々たる採決が恰も与党の横暴の如くに喧伝される曲解が、"和"を重んずるわが国国民性と相俟って跋扈した帰結であるとするならば、委員会採決を合法的に割愛した今般決着は些か示唆的でもあった。
 野党側も不毛な議論であることは承知でなお攻め倦ねているのだろうが、儀式の如く採算の無い不信任案に委ねる替わりに、本当にテロ法に賛同しないなら、議席の少ない無力を詫びて粛々と反対票を投じ、次期総選挙において数という力を与えて欲しいとオーソドックスに訴えれば、却って新鮮に映るのではなかろうか。

h937.jpg  継投無安打無得点とは完投投手が絶滅危惧種と化した極めて現代的な記録だが、それが反転攻勢の契機となるかは、そもそも打てない打線が連敗の主因であるから判然としない。
 戦後間も無くには近鉄・芥田、大洋・森といった指導者が球団経営に転じた例は散見され、その最たるは三原脩日ハム社長だったが、残念ながら西武・ダイエー両球団の実質的な創業者たる根本陸夫氏を除いては成功を治めたとは言い難い。
 ゼネラル・マネジャーたる職責も、副会長兼務の王氏は別格として中村勝広氏、高田繁氏といった監督出身GMは存在感に欠け、寧ろ米国型のビジネスマン上がりの方がスポーツ紙を賑わす場面は少なくとも定着していよう。
 何と無く本邦初のGMと喧伝された廣岡達郎氏によるバレンタイン監督解任による軋轢が、GMたる役職そのものへの懐疑を斎したままの感がある。皮肉にも今般の唐突なGM交替は高橋監督の身代りに他ならず、必然的に鹿取大明神に人事権は備わっていないのだとすれば、些か中途半端だとしても、純粋にプロアマ問わず選手の編制のみ総括するわが国らしいユニフォームから背広への新しい着替え方を示唆することになるのかも知れない。

5月9日(火) ドームに散ったひとつの星  -スポーツ - プロ野球-

h918.jpg  「あじさい橋」の大叔父のフレーズも今や通用しなかろう、エースのジョーの名を聞いたのは半世紀を越えて四連続完封に挑む菅野投手の、今年もまた驚異的なピッチングの賜物である。
 本年の初ドームが見事この好カードに合致したのは強運に違いないものの、打たれることがニュースになるのは立派とはいえ、いきなり初回の失点で夢破れ、如何とも緊迫感を欠く展開だったのは残念極まりない。
 それにしてもクリーンナップ以外は全く打てない巨人打線は打率1割台の長野選手が象徴しているが、反撃の本塁打も日ハムから貰った石川選手とは育成の巨人も遠くなりにけりと嘆くべきか、或いは立岡外野手ともども埋もれた逸材の「発掘の巨人」に転向したのか。
 最終回、三割を遥かに超える代打率を誇る亀井選手の二塁打で訪れた僅かな魅せ場に、退屈そうなベンチ映像だけが存在感を斎していた村田選手が漸く顔を見せるものの、呆気なくジ・エンドであった。
 元大洋の五十嵐投手を継ぐ髭魔神と言うよりは、揃いも揃ってドレッドヘアの三つ編み魔神三兄弟、阪神自慢のドミニカン・リリーフ三人衆のうち二人を見物出来たのが救いか。誰が誰だかは判然としなかったが。

h917.jpg  待機モードだった黄金週間終盤戦は久々にビデオ編集に挑んでみたが、編集ソフトを立ち上げ動画を貼り付けると忽ち強制終了し、現行panasonic機の導入の際に試み、同じ現象に萎えて以来編集をサボっていた経緯が脳裡に甦る。
 ならばとpana機付属の管理ソフトはと言えば、水中やビデオを持ち歩かない時にカメラで撮ったavchd以外のファイルを認識しない。
 ところが悪戦苦闘、mp4やら変換してなお読めず投げ出しそうになったが、フリーソフトを落としてみたら案ずるよりでサクサク進み、技術の日進月歩以上に汎用化が薄利多売を斎すであろう厳しさにも直面させられた。
 嘗てはビデオ専用機でも停止する瞬間、無意識に本体を押し下げて仕舞うのだろう、映像にブレが生ずる為その部分を須く削除する地道かつ膨大な作業を擁していたが、手振れ防止機能も進化している模様でその手間も省けるではないか。
 こうして約90分のケアンズ行2016が完成した。既に充分食傷気味で改めて鑑賞しようという気には仲々ないから、自己満足に過ぎないと言えばそれ迄なのだが。

3月3日(金) The Directory  -スポーツ - プロ野球-

h845.jpg  週刊ベースボールを購入し始めたのが昭和57年、翌58年中途からは漏れ無く恒常的に買い続けているが、その過程で初めて入手した本家「ベースボール・マガジン」が奇しくも月刊としての最終号であった。
 即ち時勢に応じた報道は週刊に委ね、季刊に装いを改めた本体はドラフトや移籍、監督、本塁打といった特集を主体に、雑誌というよりは寧ろムック本の様相で生き長らえてきた。ただ2007年からは隔月刊に移行し、流石に使い回しとともに年代別名選手など興味をそそられ難いテーマが増えてきたのは否めない。そして遂にネタも尽きたのか、今般月刊に回帰したのである。
 三月初は定番の名鑑号、番号順に過去に当該番号を背負った選手も付記して、同じくルーチンの背番号の要素を合載しているが、確かに新機軸には違いなく大きな番号は期せずして矢鱈とマニア向けになっていて、その敢闘精神を賛えたい。
 同時に名鑑ラッシュにおいて、遅れる程売上に響くのだろうスポニチが他社同様の2月半ばに転向した今、殿を務めるにはひと仕掛け必要との要請も満たしていなようが、結果としてキャンプで採用された久保、大松の両選手も収載されており記録性の観点からも肯受される。
 ただそもそもが野球熱の高揚ではなく雑誌不況のなか半ば破れ被れの再月刊化であるとすれば、この混血戦術が長く命脈を保つとは到底思えない。
 連々と眺めていると、63歳での最高齢初監督就任が喧伝された森中日には新監督の西武ライオンズにおける先達たる土井正博打撃コーチに、谷繁前監督の大洋人脈と言うよりは星野明大閥由来なのか松岡功祐二軍寮長兼コーチという実に74歳のユニフォーム組がお二人、更には69歳になる加藤英司二軍打撃コーチが追随している。元より巨人にも古希を迎える内田、小谷の両名伯楽が並んでいる様に職業野球界もまた高齢化の波は加速度的に訪れているものの、中日の何れも別ルートと斟酌されるお歴々の集積は特筆されて然るべきだろう。
h846.jpg  この名鑑には登場しないもののWBCの投手コーチ権藤博氏は実に78歳である。米国には87歳まで監督を務めたコニーマック氏の例があるが、かく事例とともにそれが中日球団に集積している理屈を紐解けば立派に一本の特集が成立しそうである。
 こうした好事家の視点を如何に拾い集め得るのか、それが叶わなければ先の大戦後間もない昭和21年以来連綿と続くベースボール・マガジンも何れ歴史の中に終息を迎えることとなろう。

 男児二名のわが家には無縁だが本日は雛祭りであった。だからという訳では勿論無いが、旧赤プリの遥か上空から永田町を見下ろしながら本日は女子会に闖入する。
 存外に溶け込んでいるとご評価戴いたのは、些か雄性が磨耗している証しなのかしら。

12月11日(日) 報恩以徳  -スポーツ - プロ野球-

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重慶の人民大礼堂
(国民政府の建立ではないが)
 台湾野球と言えばライオンズの印象が強いのは、必ずしも西武グループの国際戦略に基づくものではなく、かのオリエント・エクスプレス郭泰源氏の存在故だろう。実際には往時「二郭一荘」と形容された様に西武ばかりに集中していた訳ではないが、中日・ロッテは寧ろ親会社の商売柄韓国との連関が強くなり、許銘傑氏や更には現役の郭俊麟を擁する西武も対台湾への架け橋を自認しているのか、昨年からは「台湾デー」も開催している。
 ただ台湾野球の歴史を紐解けば、嘉義農林の甲子園大会準優勝を描いた映画「Kano1931」にも呉昌征氏を敢えて一瞬登場させている様に、台湾島出身者の草分けたる氏が戦前に二度の首位打者を獲得した際に所属した読売巨人軍との縁が本来は最も深く、従って先月台中においてオール台湾対巨人OB戦が挙行されたのも伝統に基づく措置であったと言えよう。
 わざわざ昨日の放映を録画して繁々と眺めた第一感は、巨人のOB戦と言えばV9戦士がずらりと並ぶ姿が記憶にあるだけにOB会長の柴田監督を除けば80年代以降の顔触ればかりだったのには時の流れを思い知らされたが、篠塚・原・中畑各氏の藤田政権期のラインナップも懐旧の念ひと塩には違いない。
 一方、台湾サイドも先発は中日の救援投手・郭源治氏、三本塁打の鮮烈なデビューでオールスターの規約を変えて仕舞った呂明賜氏と豪奢だったが、亡くなった大豊氏は元より三宅宗源氏、荘勝雄氏らは日本に帰化したのでオール台湾には相応しくないとの解釈だったろうか。
 還暦内外の創成期メンバーよりひと世代下として締め括りに起用された阪神・郭李氏が打ち込まれ、急遽外野手が登板していたのはご愛嬌だったが、二刀流ブームの昨今だからこそこの場面には南海で投手と外野手双方を担った高英傑氏こそ相応しかったのではないか。先発捕手の李来発氏ともに来日し外国人枠に苛まれた先駆者の苦難の日々が改めて想起されて然るべきところ、少なくともTV放映には欠場した往年の名選手の今への言及が欲しいところだった。
 勿論、スタンドが最も湧いたのが郭泰源氏と王貞治氏の対決であったのは論を待たない。78歳の王氏がフルスイングして尻餅を付く絵柄自体が人智を超越しているが、まさに王氏自身が台湾の特殊な歴史を体現しているからでもある。
 母方の日本国籍にて出生した王氏は実父が中華人民共和国籍でありながら、戦後は西側諸国が正統政府として国交を持った中華民国籍を選択したことから、ルーツに鑑みれば縁の無い筈の台湾の英雄となっている。
 時恰もトランプ米新政権が「ひとつの中国」に波紋を投げつつある中、八百長問題により存在そのものを問われている台湾野球に手を差し伸べるのは、わが国スポーツ外交の観点からもひとつの試みではなかろうか。

9月10日(土) 神は合理性に宿る  -スポーツ - プロ野球-

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新井選手(8/24)
 経済原理に則れば経済規模も小さく、かつ集客性にも乏しい市場における地域拠点を維持する必要性は無く、従って90年代以降の広島カープは存在価値の極めて低い危険水域にあったのではないか。
 元より国際的なネームバリューは規模の経済を補うものであったとしても、少なくとも75年の初優勝に至る過程の苦闘の歴史を支えたのは熱狂的なファンの存在であり、幸か不幸か常勝球団として栄冠を重ねる程に「勝っても客は入らない」と指弾される迄に顧客の側が醒めて仕舞ったのが収益性を更に鈍化させる悪循環を呼び、更にはフリーエージェント制の導入以降は選手の売り喰いで細々と食い繋ぐという経営体質自体に疑問符の烙印を押されていた。
 従って、昨今のカープ・ブームが戦力的には必ずしも充実しているとも言い難い本年に優勝を齊した原動力には違い無かろうが、この長き雌伏の時はファンを覚醒させる渇望の為の四半世紀であったとも言えよう。
 ただ冷静に見れば莫大な球場使用料に音を上げて移転すら視野に入れざるを得なくなった横浜球団とは対照的に、同じ政令市所有の球場でありながら、親会社のボジションは外れながらもマツダが億単位のネーミングライツを拠出し、球団が指定管理者として球場からの上がりを相応に懐に納め得る近年の広島カープは、独立採算による黒字を達成し得る経営環境が調えられており、だからこそ前田投手の売却益を球場並びに地域整備に資する太っ腹に映る経営判断も一定の経済合理性に基づいていると言えよう。
h665.jpg  元よりだとしても中国地方から九州を母体に潜在的には比較劣位な戦力の育成の一方で、限られた資本を黒田投手に集中投下し、恩讐を超えて新井選手を再雇用するといった冷徹な経営戦略が功を奏したのは疑い無かろう。
 願わくばカープ女子の熱が醒めない様に、来年以降も程好い資産売却と補強を続けて戴きたい。

 今日は終盤、2オン2パットが2ホールと久々に後半47と回復基調、漸く本年初の二桁が視野に入ってきた。継続は力なり。

8月9日(火) 今日から会社を休みます  -スポーツ - プロ野球-

h635.jpg  真夏に至り今年二度目のドームとは意外だが、復活した内海投手が大禍無きビッチングで20時半終了の予定調和的なゲームだった。

 驚いたのは寧ろ同日発表された中日・谷繁監督の休養であろう。
 中日球団には生え抜きのレギュラー級を大挙放出した昭和30年代の濃人旋風や、一族朗党首脳陣を率いて桂冠し江藤、一枝といったひと癖ある生え抜きと対立したダンディ水原といった、外様監督による政変の歴史があるのは事実だが、今般は些か様相が複雑であり、等しく生え抜きではないが選手として在籍経験のある総監督と監督が並立し、首脳陣も二系統に分立していたのは谷繁監督とともに横浜組の佐伯コーチもまた休養に追い込まれたことからも明らかである。
 問題はもう一方が代行に就任した森ヘッドコーチを筆頭とする西武組であり、外様同士の争いだったことだろう。
 谷繁監督が律儀に自らの解任会見に現れ、にも拘わらず休養扱いなのも矢張り外様だった山内一弘元監督と全く同じケースだが、過去例に準える迄も無く敢えて休養としたのは森代行は森監督ではなく、来期は別人が指揮を採るとの含意であろう。
 86年の究際は高木守道代行ではなく星野仙一新監督と生え抜き同士の跡目争いだったが、今般はこの期に及んでなお外様の小笠原二軍監督の昇格が有力とされている。
 これでは球団サイドが幾ら否定しようとも、「勝者」たる落合氏の責を問いたくなるのは中日ファンならずとも道理であろう。
 元より生え抜きに拘り続けた挙げ句、球団そのものを喪った南海電鉄の教訓に学ぶ迄も無く外様の指揮官を否定する謂れは無いし、そもそも名選手名監督ならずが枚挙に暇無いのも事実である。
 であったとしても少なくとも落合氏の説明責任は否定出来ない。バレンタイン氏の魔術に翻弄されてわが国初のGM職を全う出来なかった広岡達郎氏とは違う意味で、落合氏はわが国におけるGMとは何たるかを自ら明らかにすべきだろう。

7月26日(火) 頑鉄と次郎  -スポーツ - 野球全般-

h588.jpg  わが国における野球の振興は戦前期は第一に東京六大学を中心とする大学野球が担ってきたと言ってよい。従って商業性を否定的に捉えられた職業野球と卒業後の六大学OBの居場所となった社会人野球は、ともに後発として寧ろ相携える間柄だったと言ってよい。
 その構図が転換されるのは六大学からのプロ入りが恒常的になる昭和30年代で、昭和33年の長嶋茂雄氏の巨人入団以降、職業野球が中核に躍り出る。従って昭和36年のプロアマ断絶の引き金となった所謂「柳川事件」はプロと社会人野球の力関係の確立を象徴的に示したものとも言える。
 勿論、社会人野球における主流が初期のクラブチームから企業チームに移行していったのは、企業スポーツそのもの意義もまた従業員の福利厚生から広告宣伝、或いは社員の帰属意識、士気の高揚へと転化され、更に体育会で鍛えられた人材の確保たる現実的側面も左右していた筈である。
 ただそれでもなお社会人野球の最高峰に「都市対抗」の名が冠せられていたのは、長らく東京・大阪にフランチャイズの偏重していたプロ野球に対する僅かな優位性であったろう。
 バブル期に仕組まれた蹴球のプロ化が、遥か後発であるが故にプロを頂点とする組織の一元化とスポンサーシップを隠蔽する地域性の標榜を為し遂げたことにも感化され、今やプロ野球もまた地域分散が進み、一方で経済的基盤を喪いつつある企業チームは暗黙の住み分けとなったプロ養成機関の座を独立リーグへと委ね、クラブチームへの回帰の名の元にスポンサーシップを剥奪される一方で、僅かに生き残ったそれは一定条件下に元プロ選手を受け入れることにより、漸くヒエラルキーの傘下に自らの地位を再定義させる過程に入ったと言えよう。
 この中で豊田市と日立市という典型的な企業城下町同士で争われ、元プロ選手をレギュラー捕手に戴くチームの初優勝は実にわが国野球の今を端的に現す事例であったのではないか。

5月13日(金) ゼロの焦点  -スポーツ - プロ野球-

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右はサヨナラ打の瞬間
 二リーグ分裂後唯一の防御率零点台は1970年の村山実兼任監督の0.98、圧倒的に投高だった戦前まで遡っても藤本英雄氏の0.73が最高である。従って現時点でそれすら上回る0.6点台菅野投手の常軌を逸しているとしか表現の仕様がない。
 だからこそ菅野登板に的中した今年初めてのドーム観戦はハイペースが予測されたが、相対する成瀬投手の好投も相俟ってあわや二時間以内で収束の恐れすら疑われたのである。
h489.jpg  しかしながら13日の金曜日には好事魔多しか、守備の乱れから同点とされ九回自責点零にて降板、延長に及び重なる守乱も最後は坂本選手の逆転サヨナラ打と、試合時間のみならず読売巨人軍としても結果として帳尻が合わされた形になったが、如何せん釈然としない。
 そもそもエース菅野以外は失礼ながら見慣れない顔触れになった巨人軍の先発の中で、肝心の菅野投手に勝ち星を付けられない様では前途を悲観せざるをするを得まい。にも拘わらず首位とはここ一番の華麗なる底力と讃えるべきか、色鮮やかなヤクルトはじめ他球団の不甲斐なさに以て瞑するべきなのか。

h501.jpg  「コンクリートから人へ」は民主党政権の標語だったが、その潮流は小泉政権に端を発すると言っていい。災害の連鎖を経て幾分潮目は変わりつつあるとはいえ、ザ・強靭化の藤井内閣官房参与に高度成長期と期を一にする「国土の均衡ある発展」テーゼの匂いが漂うのに対し、大石久和氏の言説は文明論から紐解かれてマクロ経済に至る、わが国の社会基盤の未だ尚脆弱性を素人にも呈示して魅せるという意味で、まさにインフラの伝道師の名が相応しかろう。
 確かに役所の現役時代から職業柄求められる政治性以上に哲学的な思索が先立つべく見受けられる方だったが、時代が人を喚んだと言うべきか。しかも講演に接する度に明らかに笑いの要素も増え、失礼ながら着実に上達されており、思わず牽き込まれて左官に勤しみたくなりそうだから恐るべしである。手元不如意の中如何なるインフラを優先すべきかというミクロの決死圏の話題はまた別の次元なのかも知れないが。

3月10日(木) 霧は晴れたか  -スポーツ - プロ野球-

h414.jpg  1970年の週刊ベースボールを読み進めてむと、当初こそ強く否定を繰り返しながら芋弦式にクロ判定が増えていく、所謂「黒い霧」恐慌の様が伺われる。
 元よりオートレースという公営ギャンブルにおける不正即ち刑法犯と、野球協約上の違反たる敗退行為=八百長の並走した70年と、賭博の対象でないプロ野球に賭けを持ち込んだノミ行為に準ずる今般とを同一の視点で解釈することは出来ない。しかしながら野球の競技そのものを賭けに供している時点で、嘗て処罰者を排出した額の多寡が罪刑を構成する麻雀賭博と異なり、俗に反社会的とされる分野の介在という観点から野球協約上の裁断が下されるのはやむを得ない。
 ただ不可解なのは昨年、三選手の処分で幕引きが図られたにも拘わらず、何故に今更唐突に新顔が現れたかであり、更には敢えて当該高木投手のみ記者会見を設営した、その様式の意味するところであろう。
 確かに万事おおっぴらだった70年代の様に次々と灰色高官宜しく五月雨式に報道に名が踊る展開は人権に煩くなった現代では考え難く、従って唐突感溢れる発表に収斂しただけかも知れないが、首謀者とも言うべき前三者と高木投手とを切り離し、言わば被害者モードのポジションに据える意図は明確に見出だせよう。
 「黒い霧」においては事態発覚以前に内々に疑義のある選手を処理した近鉄はフロントに逮捕者まで出しながら大きな被害を免れた一方で西鉄がスケープゴートとなり、中でも金銭を預かっただけで八百長行為に荷担していない池永投手は、他の追放二選手と明らかに差異があるとの指摘にも拘わらず、力量の大きさ故に象徴的に追放処分が下されたという二重の見せしめ効果が働いたと言える。
 高木投手はそこまでの大物ではないものの一軍戦力には違いなく、だからこそ実行し得る立場にあった八百長には荷担していないことを明示するとともに、半世紀近く前の教訓を踏まえて明瞭に共同正犯にすら当たらないとの峻別を企図したのではないか。それはコンプライアンス天国の現世においてはともすれば鼻白まれる画策かも知れないが、少なくとも敗退行為そのものに及んでいない限りにおいては、開幕前に打ち止めを図るのは日本プロ野球界にとって有益な処置であろう。
 替わりに読売巨人軍は自主的に今季の栄達を過度に希求しないという日本的な阿吽の呼吸は八百長とは呼ばない、とは些か踏み込み過ぎかも知れないが。

1月11日(祝) 昭和も遠くなりにけり  -スポーツ - プロ野球-

h357.jpg  腰痛のおかげで珍しく特段の目当ても無くTVを付けると飛び込んで来たのは名球会のチャリティ野球であった。
 創始者であり長らく同会に君臨してきた金田正一氏の退陣を挟んで久々のイベントだったが、驚いたのは投手陣の層の薄さである。元より捕手の二千本安打達成者に人材を得ない為に、嘗てもセの捕手は万能野手の松原が務めるケースが多かったので、パの和田、小笠原という元捕手の起用に違和感は無い。しかしながら寧ろ投手は多彩な重鎮陣からコーチとしてユニフォームを纏う中堅まで次々に現れ、体力的に早々に若手に切り替わる野手よりも重厚な布陣だった記憶がある。
 確かにパ側は山田、東尾と還暦を超えた大物登板こそあれ51歳の工藤、47歳の野茂が二イニングずつの重労働で、六回までに短縮したにも拘わらず締め括りは野手の中村紀に委ねる始末、逆にセは年齢こそ大差無いとはいえ山本昌、佐々木、高津、岩瀬と現役に近いか現役の顔触ればかりと、中間層に著しい人手不足である。
 勿論、八十路に近い小山、米田の御老体に鞭は奮えまいし物故者も増えと会員名簿を眺めてみると、金田氏に殉じたと見られる退会者の影響もあろうが、そもそも200勝というハードルが今や高きに過ぎ新入会員の補充に乏しい実態が浮かび上がる。
 ただこの中で白眉だったのは矢張り世界の王ではなかったか。始球式では甲子園に続いてマウンドに登り長嶋茂雄氏が左手一本で打ち返せる好球を揃え、捕手まで届くかという特別出演・江夏の球を思い切り身体を引いて右前に運ぶ技術は到底75歳とは想い難い。逆に言えば名球会のタレント不足を露呈した形だが、僅かに真っ向勝負に強い清原の打棒が救いだったか。

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在りし日の広島市民球場
 ショートリリーフなら現役でも通用しそうだった工藤監督とともにセで光ったのは果敢にスライダーを投じた先発の北別府投手だろう。
 その北別府氏を発掘した広島カープの宮川元スカウトが8日亡くなった。現在も日本記録の通算代打安打187本の宮川氏は亡くなった津田投手はじめ首脳陣の緒方監督、高ヘッドコーチ、チャリティ野球では現役時代の仏頂面と一変していた前田外野手と教え子を並べてみると、熊本生まれで日鉄二瀬出身の古葉元監督の経歴に由来すると解釈されがちな「九州カープ」が、実は宮川氏が築き上げたと言って過言ではないことが明らかになる。
 黒田・前田二枚エースの揃った千載一遇の昨年の好機を逃したのが改めて悔やまれよう。
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