コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月18日(祝) 月は隅田の屋形船  -スポーツ - プロ野球-

i73.jpg  評論家を僭称するには程遠いものの、所謂「五社協定」であるとか映画会社の盛衰に詳しくなったのは、嘗て映画産業華やかりし時分、その多くが職業野球の経営に携わっていたからに他ならない。取り分け今は亡き大映は"ラッパ"と称された永田雅一氏が河野一郎氏の盟友、既に死語に近い「政商」として所謂光淋の間事件はじめ度々政局に登場しており、政治・野球の二大評論分野の何れもにも大きく関わることから、長らく関心を抱いてきた。
 学生時代には友人と、打撃を極める余り常人の辿り着き得ない世界に到達し世捨て人の如くあった、大映の後進たる東京オリオンズの榎本喜八元選手宅に近寄り、庭に誂えられたバッティング用と思われる網を道すがら眺めた記憶もあるが、後に沈黙を破って氏自身が雑誌「Number」に登場され、その鳥籠を使っての自宅練習の有り様を語るのみならず、引退後も球界復帰を目指し、東京球場までランニングを続けていたという半ば神話化していたエピソードが事実であったことが明かされている。
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 その東京球場は大映の倒産後、小佐野賢治氏の手に渡りとここでも政治が見え隠れするが、72年には僅か10年の短い生涯を終え、跡地は東京都の所管する荒川総合スポーツセンターとなっている。久方振りに訪れたが、軟式野球グラウンドこそあれ往時の縁を思い起こさせる物は無い。榎本氏は解体の過程をわが身を切られるが如くと表現していたが、左中間右中間の構造がほぼ直線で本塁打量産スタジアムと揶揄はされていたものの、南千住駅から徒歩圏内たる好立地にかく舞台が今も健在なれば、と早過ぎた先駆者の叡智が偲ばる。

 今更の様に思い立って探訪に足を伸ばしたのは、古い週刊ベースボールを漁っていて遂にわが高円寺に嘗て存在したロッテ・オリオンズ合宿所の住所を突き止めたことに触発されたが故である。
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こちらは公物
 学校法人と寺院に囲まれた地域に区の集会所と覚しき施設が存在するが、既にそのものズバリの地番は住居表示から消えており、隣接するマンションが合宿所時分とは玄関口の位置を違えたのではないかと類推される。
 元より経営が傾いた大映に今で言うネーミングライツの形でロッテ製菓との業務提携の道を拓いたのは岸信介元首相とされるが、71年には正式にロッテが球団を買い取り、東京球場の閉鎖で仙台を仮フランチャイズとしつつ、所謂ジプシー・ロッテとして彷徨い、漸く川崎に安住の地を得た頃に活用されていたものだから、そもそも永田オリオンズとの直接の結び付きは無かろう。
 現在の浦和に至る前、既に二軍は青梅を本拠地としていたのだとしても決して近隣とは言い難く、或いは飛鳥田市長の肝煎りで改築新造された横浜球場への同居の可能性が残されていた時分に、双方の中間にプロットしたのだろうか。
 謎は深まるが、俄かに騒がしくなる中で忙中閑ありのノスタルジアであった。

8月29日(火) あなた育てます  -スポーツ - 広島東洋カープ-

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 確かに球場効果による安定収入の拡大は大きく寄与していようが、広島カープにとって所謂逆指名制度が廃止されたのは追い風になったろう。折しも元スカウト部長・宮本洋二郎氏の評伝が発表されたが、かの木庭教氏を筆頭に人材発掘に長く携わる、著名なスカウトを数多く排出してきたのがストレートに強味に直結しよう。
 取り分け木庭氏やヤクルトの片岡宏雄氏、或いは遡って太平洋の球団代表まで昇り詰めた青木一三氏、阪神の佐川和行氏ら、端から専属乃至は選手としての期間は乏しい、嘗ての"名物スカウト"の面々が、時には恫喝も辞さず権謀術数の限りを尽くすタイプであったのに対し、宮川孝雄、渡辺秀武、宮本洋二郎、苑田聡彦といった長年の選手生活を経てなおスカウト職を全うしたカープ歴代の顔触れは、寧ろ村夫子然とした地道な佇まいを醸し出しているという意味で、逆に近代的である。
 実際、本日も鈴木外野手を故障で欠いてなお、好投のマイコラス投手を伏兵、西川内野手のひと振りで逆転勝ちとは、幹部候補生以外は年齢を重ねれば流動資産へと昇華させる経営戦略故より顕著に映るとはいえ、若手の台頭が際立っていることは否定し得ないだろう。元より二年連続優勝を為し遂げた時、80年代後半以降の長期低落期の様に、地元の熱を覚まさない為には新たな戦術が必要とされるのかも知れないが。

i8.jpg  新進党初の代表選は1000円を払えば誰でも一票を投ずることが出来る、勿論有権者層自体の恣意性には多分に疑義を残すとしても、民進党の現行サポーター制より遥かに、政党の代表という公職でないポストの決定過程を、お祭り騒ぎ化して宣材に活用するという点で斬新であったろう。
 面白がって友人と二人して二人の候補者各々に投ずるという、勝敗に全く影響の無い関与を施して見事にその戦術に乗せられた記憶があるが、結果は小沢一郎氏が大勝したのは周知の事実であろう。敗れた羽田孜氏はやがて小沢氏と袂を別ち、流浪を経て新民主党の初代幹事長には就任したものの、"早過ぎた元総理のその後"を過ごすこととなった。
 歴史にifを想定しても詮無いが、もし細川退陣後、後継に儀せられた渡辺美知雄氏が多数離党者を引き連れて非自民陣営に参画し、羽田カードを温存出来ていれば、或いは少数内閣として内閣不信任案を迎えた際に、敢えて中選挙区制下のままでも強引に解散に踏み切っていれば、異なった未来が生じていたのかも知れない。美しく言えば、羽田氏はミスター政治改革の異名とともに、小選挙区制と政権交替という政治改革に殉じたということになろうか。
 政権交代の首班指名において既に病篤い羽田氏を小沢氏が肩を抱えてともに壇上に登った姿は、ひとつの時代の証しとなるシーンであったろう。御冥福をお祈りしたい。

8月8日(火) 職業としての野球  -スポーツ - プロ野球-

i18.jpg  八月の時の鐘を告げると言えば大袈裟に過ぎようが、週刊ベースボールの夏の名鑑が定番になったのは2008年よりトレードの期限が七月末に改められてからである。
 二軍で宝の持ち腐れになるよりは、クルーズ選手の如く故障者の相次いだ楽天に新天地を与える配慮は、かの近鉄ブライアント選手がデービス選手の強制送還に伴う中日二軍からの補充だった過去例を顧みる迄も無く、選手個人にとっても望ましかろうが、目を疑ったのは日ハム・谷元投手の中日への金銭譲渡では無かったか。
 元より期限を超えてなおの移籍が不可能な訳ではなく、現に6月末期限時代の2003年7月にギャラード投手が中日から横浜に移籍しているが、自由契約後のウェーバーになる為、同一リーグ内の下位球団に優先権が与えられる形になる。米国ではこの制度を流用し、下位球団の事実上の権利放棄によりポスト・シーズン目当ての移籍も横行しているが、わが国では日本シリーズへの出場登録は8月末時点での支配下選手としてこの便法にも縛りを掛けているのは、優勝を諦めた球団による選手の売り喰いを防ぐ趣旨に他ならない。
 それでも米国ではダルビッシュ投手のドジャース入りの様に、下位球団による経費節約の趣旨での二軍選手との交換は、まさに七月末の風物詩と化しているが、ついにその波がわが国にも訪れたと言えようか。しかも嘗ての広島以上に年俸の高騰した選手をほぼ自動的にFAにて排出する日ハム商法が最早市民権を得たと見え、存外に大きな批判を浴びていないとは、わが国球界も資本主義の原理に馴染んだものである。
 しかし年末にFAで売却するより確実に金銭譲渡を選択した日ハムの経営判断には一定の合理性が認められたとしても、不可解なのは今季はクライマックス出場もほぼ絶望的な中日側で、FA残留を織り込める密約でも無ければ不可解極まりなかろう。
 ところで夏の名鑑は昨年までは異動者のみの掲載だったが、今年からは全員改めて並べられることになった。それはそれで前半戦の活躍度合いを反映するという意味ではひとつの考えだが、今度は巨人では一軍投手コーチに二軍監督まで配転になったコーチの異動への言及が消滅したのは画竜点睛を欠こう。先乗りスコアラーになった田畑コーチは存在自体が抹消されているのだ。尤もシーズン末に休養する監督など頻出するから、完全版を求めるのは無い物ねだりには違いないのだが。

i29.jpg  嘗て元軍人氏と訪ねる二百三高地があったが、今日は元プロ選手氏と観戦する巨人ー阪神戦という贅沢なひと時を過ごす。
 二宮清純氏が講演で、広島が四半世紀の低迷から脱却出来たのは放映権ビジネスから球場ビジネスへの脱皮にあると指摘していたが、確かに長年横浜市に球場の上がりを吸い上げられてきた横浜が、ブラフであっても新潟への移転を仄めかして大幅に契約条件を改善させた様に、職業野球もまた音楽同様に箱物とそれに付随するグッズ収益が鍵を握るに至ったのは事実だろう。 ただそれだけでは何故に巨人と阪神が弱くなったのかの説明にはならない。試合は日ハムからやって来た石川外野手の本塁打、適時打で巨人が快勝し、交換相手の太田外野手も漸く大砲が開花しつつあるのだから好トレードの見本ではあったが、敗戦処理に登板した、恰も余生を過ごすかの如く藤川投手の存在が、実に球場を取り巻く気だるさにマッチしていた。

6月14日(水) 朝まで生国会  -スポーツ - プロ野球-

h938.jpg  大幅延長から小幅と揺れた通常国会は、未明の不信任採決から明け方の参院本会議テロ法成立を経て、急転直下の会期中閉会に回帰した。
 元より延長したところで所詮"強行"による決着を余儀無くされるのであれば都議選への影響を最小限に留めたいとの思惑故たろうし、参院側が竹下元総理以来の野党に配慮した、経世型の丁寧な運営を行ってきたからこそ、最終局面での強引な決着が可能になったとの逆説的な帰着でもあろう。
 ただ本来は議員内閣制でありながら、大統領制下において党議拘束とは無縁である筈の委員会中心主義が米国主導にて移入されたが為に、数の論理に基づく粛々たる採決が恰も与党の横暴の如くに喧伝される曲解が、"和"を重んずるわが国国民性と相俟って跋扈した帰結であるとするならば、委員会採決を合法的に割愛した今般決着は些か示唆的でもあった。
 野党側も不毛な議論であることは承知でなお攻め倦ねているのだろうが、儀式の如く採算の無い不信任案に委ねる替わりに、本当にテロ法に賛同しないなら、議席の少ない無力を詫びて粛々と反対票を投じ、次期総選挙において数という力を与えて欲しいとオーソドックスに訴えれば、却って新鮮に映るのではなかろうか。

h937.jpg  継投無安打無得点とは完投投手が絶滅危惧種と化した極めて現代的な記録だが、それが反転攻勢の契機となるかは、そもそも打てない打線が連敗の主因であるから判然としない。
 戦後間も無くには近鉄・芥田、大洋・森といった指導者が球団経営に転じた例は散見され、その最たるは三原脩日ハム社長だったが、残念ながら西武・ダイエー両球団の実質的な創業者たる根本陸夫氏を除いては成功を治めたとは言い難い。
 ゼネラル・マネジャーたる職責も、副会長兼務の王氏は別格として中村勝広氏、高田繁氏といった監督出身GMは存在感に欠け、寧ろ米国型のビジネスマン上がりの方がスポーツ紙を賑わす場面は少なくとも定着していよう。
 何と無く本邦初のGMと喧伝された廣岡達郎氏によるバレンタイン監督解任による軋轢が、GMたる役職そのものへの懐疑を斎したままの感がある。皮肉にも今般の唐突なGM交替は高橋監督の身代りに他ならず、必然的に鹿取大明神に人事権は備わっていないのだとすれば、些か中途半端だとしても、純粋にプロアマ問わず選手の編制のみ総括するわが国らしいユニフォームから背広への新しい着替え方を示唆することになるのかも知れない。

5月9日(火) ドームに散ったひとつの星  -スポーツ - プロ野球-

h918.jpg  「あじさい橋」の大叔父のフレーズも今や通用しなかろう、エースのジョーの名を聞いたのは半世紀を越えて四連続完封に挑む菅野投手の、今年もまた驚異的なピッチングの賜物である。
 本年の初ドームが見事この好カードに合致したのは強運に違いないものの、打たれることがニュースになるのは立派とはいえ、いきなり初回の失点で夢破れ、如何とも緊迫感を欠く展開だったのは残念極まりない。
 それにしてもクリーンナップ以外は全く打てない巨人打線は打率1割台の長野選手が象徴しているが、反撃の本塁打も日ハムから貰った石川選手とは育成の巨人も遠くなりにけりと嘆くべきか、或いは立岡外野手ともども埋もれた逸材の「発掘の巨人」に転向したのか。
 最終回、三割を遥かに超える代打率を誇る亀井選手の二塁打で訪れた僅かな魅せ場に、退屈そうなベンチ映像だけが存在感を斎していた村田選手が漸く顔を見せるものの、呆気なくジ・エンドであった。
 元大洋の五十嵐投手を継ぐ髭魔神と言うよりは、揃いも揃ってドレッドヘアの三つ編み魔神三兄弟、阪神自慢のドミニカン・リリーフ三人衆のうち二人を見物出来たのが救いか。誰が誰だかは判然としなかったが。

h917.jpg  待機モードだった黄金週間終盤戦は久々にビデオ編集に挑んでみたが、編集ソフトを立ち上げ動画を貼り付けると忽ち強制終了し、現行panasonic機の導入の際に試み、同じ現象に萎えて以来編集をサボっていた経緯が脳裡に甦る。
 ならばとpana機付属の管理ソフトはと言えば、水中やビデオを持ち歩かない時にカメラで撮ったavchd以外のファイルを認識しない。
 ところが悪戦苦闘、mp4やら変換してなお読めず投げ出しそうになったが、フリーソフトを落としてみたら案ずるよりでサクサク進み、技術の日進月歩以上に汎用化が薄利多売を斎すであろう厳しさにも直面させられた。
 嘗てはビデオ専用機でも停止する瞬間、無意識に本体を押し下げて仕舞うのだろう、映像にブレが生ずる為その部分を須く削除する地道かつ膨大な作業を擁していたが、手振れ防止機能も進化している模様でその手間も省けるではないか。
 こうして約90分のケアンズ行2016が完成した。既に充分食傷気味で改めて鑑賞しようという気には仲々ないから、自己満足に過ぎないと言えばそれ迄なのだが。

3月3日(金) The Directory  -スポーツ - プロ野球-

h845.jpg  週刊ベースボールを購入し始めたのが昭和57年、翌58年中途からは漏れ無く恒常的に買い続けているが、その過程で初めて入手した本家「ベースボール・マガジン」が奇しくも月刊としての最終号であった。
 即ち時勢に応じた報道は週刊に委ね、季刊に装いを改めた本体はドラフトや移籍、監督、本塁打といった特集を主体に、雑誌というよりは寧ろムック本の様相で生き長らえてきた。ただ2007年からは隔月刊に移行し、流石に使い回しとともに年代別名選手など興味をそそられ難いテーマが増えてきたのは否めない。そして遂にネタも尽きたのか、今般月刊に回帰したのである。
 三月初は定番の名鑑号、番号順に過去に当該番号を背負った選手も付記して、同じくルーチンの背番号の要素を合載しているが、確かに新機軸には違いなく大きな番号は期せずして矢鱈とマニア向けになっていて、その敢闘精神を賛えたい。
 同時に名鑑ラッシュにおいて、遅れる程売上に響くのだろうスポニチが他社同様の2月半ばに転向した今、殿を務めるにはひと仕掛け必要との要請も満たしていなようが、結果としてキャンプで採用された久保、大松の両選手も収載されており記録性の観点からも肯受される。
 ただそもそもが野球熱の高揚ではなく雑誌不況のなか半ば破れ被れの再月刊化であるとすれば、この混血戦術が長く命脈を保つとは到底思えない。
 連々と眺めていると、63歳での最高齢初監督就任が喧伝された森中日には新監督の西武ライオンズにおける先達たる土井正博打撃コーチに、谷繁前監督の大洋人脈と言うよりは星野明大閥由来なのか松岡功祐二軍寮長兼コーチという実に74歳のユニフォーム組がお二人、更には69歳になる加藤英司二軍打撃コーチが追随している。元より巨人にも古希を迎える内田、小谷の両名伯楽が並んでいる様に職業野球界もまた高齢化の波は加速度的に訪れているものの、中日の何れも別ルートと斟酌されるお歴々の集積は特筆されて然るべきだろう。
h846.jpg  この名鑑には登場しないもののWBCの投手コーチ権藤博氏は実に78歳である。米国には87歳まで監督を務めたコニーマック氏の例があるが、かく事例とともにそれが中日球団に集積している理屈を紐解けば立派に一本の特集が成立しそうである。
 こうした好事家の視点を如何に拾い集め得るのか、それが叶わなければ先の大戦後間もない昭和21年以来連綿と続くベースボール・マガジンも何れ歴史の中に終息を迎えることとなろう。

 男児二名のわが家には無縁だが本日は雛祭りであった。だからという訳では勿論無いが、旧赤プリの遥か上空から永田町を見下ろしながら本日は女子会に闖入する。
 存外に溶け込んでいるとご評価戴いたのは、些か雄性が磨耗している証しなのかしら。

12月11日(日) 報恩以徳  -スポーツ - プロ野球-

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重慶の人民大礼堂
(国民政府の建立ではないが)
 台湾野球と言えばライオンズの印象が強いのは、必ずしも西武グループの国際戦略に基づくものではなく、かのオリエント・エクスプレス郭泰源氏の存在故だろう。実際には往時「二郭一荘」と形容された様に西武ばかりに集中していた訳ではないが、中日・ロッテは寧ろ親会社の商売柄韓国との連関が強くなり、許銘傑氏や更には現役の郭俊麟を擁する西武も対台湾への架け橋を自認しているのか、昨年からは「台湾デー」も開催している。
 ただ台湾野球の歴史を紐解けば、嘉義農林の甲子園大会準優勝を描いた映画「Kano1931」にも呉昌征氏を敢えて一瞬登場させている様に、台湾島出身者の草分けたる氏が戦前に二度の首位打者を獲得した際に所属した読売巨人軍との縁が本来は最も深く、従って先月台中においてオール台湾対巨人OB戦が挙行されたのも伝統に基づく措置であったと言えよう。
 わざわざ昨日の放映を録画して繁々と眺めた第一感は、巨人のOB戦と言えばV9戦士がずらりと並ぶ姿が記憶にあるだけにOB会長の柴田監督を除けば80年代以降の顔触ればかりだったのには時の流れを思い知らされたが、篠塚・原・中畑各氏の藤田政権期のラインナップも懐旧の念ひと塩には違いない。
 一方、台湾サイドも先発は中日の救援投手・郭源治氏、三本塁打の鮮烈なデビューでオールスターの規約を変えて仕舞った呂明賜氏と豪奢だったが、亡くなった大豊氏は元より三宅宗源氏、荘勝雄氏らは日本に帰化したのでオール台湾には相応しくないとの解釈だったろうか。
 還暦内外の創成期メンバーよりひと世代下として締め括りに起用された阪神・郭李氏が打ち込まれ、急遽外野手が登板していたのはご愛嬌だったが、二刀流ブームの昨今だからこそこの場面には南海で投手と外野手双方を担った高英傑氏こそ相応しかったのではないか。先発捕手の李来発氏ともに来日し外国人枠に苛まれた先駆者の苦難の日々が改めて想起されて然るべきところ、少なくともTV放映には欠場した往年の名選手の今への言及が欲しいところだった。
 勿論、スタンドが最も湧いたのが郭泰源氏と王貞治氏の対決であったのは論を待たない。78歳の王氏がフルスイングして尻餅を付く絵柄自体が人智を超越しているが、まさに王氏自身が台湾の特殊な歴史を体現しているからでもある。
 母方の日本国籍にて出生した王氏は実父が中華人民共和国籍でありながら、戦後は西側諸国が正統政府として国交を持った中華民国籍を選択したことから、ルーツに鑑みれば縁の無い筈の台湾の英雄となっている。
 時恰もトランプ米新政権が「ひとつの中国」に波紋を投げつつある中、八百長問題により存在そのものを問われている台湾野球に手を差し伸べるのは、わが国スポーツ外交の観点からもひとつの試みではなかろうか。

9月10日(土) 神は合理性に宿る  -スポーツ - プロ野球-

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新井選手(8/24)
 経済原理に則れば経済規模も小さく、かつ集客性にも乏しい市場における地域拠点を維持する必要性は無く、従って90年代以降の広島カープは存在価値の極めて低い危険水域にあったのではないか。
 元より国際的なネームバリューは規模の経済を補うものであったとしても、少なくとも75年の初優勝に至る過程の苦闘の歴史を支えたのは熱狂的なファンの存在であり、幸か不幸か常勝球団として栄冠を重ねる程に「勝っても客は入らない」と指弾される迄に顧客の側が醒めて仕舞ったのが収益性を更に鈍化させる悪循環を呼び、更にはフリーエージェント制の導入以降は選手の売り喰いで細々と食い繋ぐという経営体質自体に疑問符の烙印を押されていた。
 従って、昨今のカープ・ブームが戦力的には必ずしも充実しているとも言い難い本年に優勝を齊した原動力には違い無かろうが、この長き雌伏の時はファンを覚醒させる渇望の為の四半世紀であったとも言えよう。
 ただ冷静に見れば莫大な球場使用料に音を上げて移転すら視野に入れざるを得なくなった横浜球団とは対照的に、同じ政令市所有の球場でありながら、親会社のボジションは外れながらもマツダが億単位のネーミングライツを拠出し、球団が指定管理者として球場からの上がりを相応に懐に納め得る近年の広島カープは、独立採算による黒字を達成し得る経営環境が調えられており、だからこそ前田投手の売却益を球場並びに地域整備に資する太っ腹に映る経営判断も一定の経済合理性に基づいていると言えよう。
h665.jpg  元よりだとしても中国地方から九州を母体に潜在的には比較劣位な戦力の育成の一方で、限られた資本を黒田投手に集中投下し、恩讐を超えて新井選手を再雇用するといった冷徹な経営戦略が功を奏したのは疑い無かろう。
 願わくばカープ女子の熱が醒めない様に、来年以降も程好い資産売却と補強を続けて戴きたい。

 今日は終盤、2オン2パットが2ホールと久々に後半47と回復基調、漸く本年初の二桁が視野に入ってきた。継続は力なり。

8月9日(火) 今日から会社を休みます  -スポーツ - プロ野球-

h635.jpg  真夏に至り今年二度目のドームとは意外だが、復活した内海投手が大禍無きビッチングで20時半終了の予定調和的なゲームだった。

 驚いたのは寧ろ同日発表された中日・谷繁監督の休養であろう。
 中日球団には生え抜きのレギュラー級を大挙放出した昭和30年代の濃人旋風や、一族朗党首脳陣を率いて桂冠し江藤、一枝といったひと癖ある生え抜きと対立したダンディ水原といった、外様監督による政変の歴史があるのは事実だが、今般は些か様相が複雑であり、等しく生え抜きではないが選手として在籍経験のある総監督と監督が並立し、首脳陣も二系統に分立していたのは谷繁監督とともに横浜組の佐伯コーチもまた休養に追い込まれたことからも明らかである。
 問題はもう一方が代行に就任した森ヘッドコーチを筆頭とする西武組であり、外様同士の争いだったことだろう。
 谷繁監督が律儀に自らの解任会見に現れ、にも拘わらず休養扱いなのも矢張り外様だった山内一弘元監督と全く同じケースだが、過去例に準える迄も無く敢えて休養としたのは森代行は森監督ではなく、来期は別人が指揮を採るとの含意であろう。
 86年の究際は高木守道代行ではなく星野仙一新監督と生え抜き同士の跡目争いだったが、今般はこの期に及んでなお外様の小笠原二軍監督の昇格が有力とされている。
 これでは球団サイドが幾ら否定しようとも、「勝者」たる落合氏の責を問いたくなるのは中日ファンならずとも道理であろう。
 元より生え抜きに拘り続けた挙げ句、球団そのものを喪った南海電鉄の教訓に学ぶ迄も無く外様の指揮官を否定する謂れは無いし、そもそも名選手名監督ならずが枚挙に暇無いのも事実である。
 であったとしても少なくとも落合氏の説明責任は否定出来ない。バレンタイン氏の魔術に翻弄されてわが国初のGM職を全う出来なかった広岡達郎氏とは違う意味で、落合氏はわが国におけるGMとは何たるかを自ら明らかにすべきだろう。

7月26日(火) 頑鉄と次郎  -スポーツ - 野球全般-

h588.jpg  わが国における野球の振興は戦前期は第一に東京六大学を中心とする大学野球が担ってきたと言ってよい。従って商業性を否定的に捉えられた職業野球と卒業後の六大学OBの居場所となった社会人野球は、ともに後発として寧ろ相携える間柄だったと言ってよい。
 その構図が転換されるのは六大学からのプロ入りが恒常的になる昭和30年代で、昭和33年の長嶋茂雄氏の巨人入団以降、職業野球が中核に躍り出る。従って昭和36年のプロアマ断絶の引き金となった所謂「柳川事件」はプロと社会人野球の力関係の確立を象徴的に示したものとも言える。
 勿論、社会人野球における主流が初期のクラブチームから企業チームに移行していったのは、企業スポーツそのもの意義もまた従業員の福利厚生から広告宣伝、或いは社員の帰属意識、士気の高揚へと転化され、更に体育会で鍛えられた人材の確保たる現実的側面も左右していた筈である。
 ただそれでもなお社会人野球の最高峰に「都市対抗」の名が冠せられていたのは、長らく東京・大阪にフランチャイズの偏重していたプロ野球に対する僅かな優位性であったろう。
 バブル期に仕組まれた蹴球のプロ化が、遥か後発であるが故にプロを頂点とする組織の一元化とスポンサーシップを隠蔽する地域性の標榜を為し遂げたことにも感化され、今やプロ野球もまた地域分散が進み、一方で経済的基盤を喪いつつある企業チームは暗黙の住み分けとなったプロ養成機関の座を独立リーグへと委ね、クラブチームへの回帰の名の元にスポンサーシップを剥奪される一方で、僅かに生き残ったそれは一定条件下に元プロ選手を受け入れることにより、漸くヒエラルキーの傘下に自らの地位を再定義させる過程に入ったと言えよう。
 この中で豊田市と日立市という典型的な企業城下町同士で争われ、元プロ選手をレギュラー捕手に戴くチームの初優勝は実にわが国野球の今を端的に現す事例であったのではないか。
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