コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月3日(日) エレキの祐旭  -音楽 - ギター-

i395.jpg  所謂エスカレーター型の大学直結の学校でありながら、中学は後発のためクラブ活動は部単位で中高一貫か相互独立型か色取り取りの中、祐旭の属する排球は後者で自動的に高校には持ち上がらず、公立高にサイクルを合わせているのか受験も無いのに中三の6月で引退になる。
 そこで時間に余裕が出来るからだろうか、ピアノに続いてギターにも手を染めてみたいと聞けば、ついぞ弦楽器はモノにならなかった父にしてみれば、寧ろ気の変わらぬ内に尻を推したい位である。
 善は急げと去る27日には早速新宿に繰り出したものの、かのポール・マッカートニー氏ですら初期には上下逆さまに弦を張り替えていた程に、ゴルフ以上にサウスポーには世知辛い世の中、楽器の街・御茶ノ水まで赴くべしとの御宣託を受け、谷口楽器の左専門店にて漸くあり付いた。
 わが家にはギタリストでも無いのにテレキャスにレスポール、ヘッドレスのベース、嘗てはストラトも存在したが、SGは初めてである。元より今度はどう転んでも父は弾けないのだが。

i396.jpg  さて一週間を経て愈々体験レッスンに挑む。三ピースならバンド練習も可能なスタジオに入り、鍵盤なら運指からと経験則からも容易に想像に至るものの、はて弦楽器は押さえ方なのか、クラシックなら「禁じられた遊び」でもお題に始めるのかも知れないがエレクトリックとなると何から教えられるのか興味津々のところ、結論はアンプの使い方とは意外な展開であった。
 考えてみれば極めて実利的な話しで、丁度「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」という書籍を読んで、成る程マイクやアンプの意義を改めて理解した処でもあったのだが、身近にラジカセがあってアナログで録音体験を積んでいる世代には、音を増幅するアンプリファイヤの存在は半ば自明であっても、デジタル全盛の昨今には先ずシールドを繋いで音を出すセッティングからして異質な世界に違いない。
 流石「エレキの○○」とGSの生き残りの如く異名を持つ教官、と深く頷いて仕舞ったか、勿論自称している訳ではなく単に「エレキギター担当の○○先生」の略称に過ぎない。続いてギターを抱えるとピックの持ち方に続いては、いきなりリフである。
 5弦6弦のみを用いる所謂パワーコードなのだが、三度の音が無くブルース風で、鍵盤頭の父にはG→Bフラット→Fとしか表記出来ず、既にこの時点でギターの異文化たるを改めて痛感させられる。
 体験30分は早々に終了し、そのまま入会金を払い月二回のレッスンを契約する運びとなったが、早速祐希はギターのおまけのミニ教則本で「Fはむずい」等と宣いつつわが家でも爪弾いているので、折を見て随行してここから如何に展開するのか是非見定めたい。

5月22日(火) キャラメル・ラグ  -音楽 - 懐かしい歌謡曲-

i385.jpg  嘗てはベストを出さないことで有名だったユーミン氏も先月又もや45周年豪華三枚組が発売されたが、大ヒット曲は既に40周年盤に網羅されているので流石に二番煎じの格落ち感は否めない。
 寧ろ大村雅朗氏の作編曲ばかり集めた松田聖子氏のコンピレーションを聴いても、逆にアルバムの中の一曲として捉えた方が80年代シティポップに特徴的な弦より鍵盤主体のアレンジか引き立つのと同様に、松任谷改名後のアルバムを改めて漁ってみると同時代色に溢れていて耳に入り易かったりもする。
 歌謡曲とYMO双方のフリークである私にとって、シティポップとはその両者の結接点にある楽曲とそれに近似したものが基調になっていることに鑑みれば、ユーミン氏のアルバムもYMO人脈たる観点から当時アプローチしていても可笑しくない。しきさながら実際には、 恰も馬券の如くに細野晴臣氏流しではっぴいえんど、ティンパンアレーは疎か、そのメンバーのソロまで可能な限り聴き捲っていたにも拘わらず夫君たる正隆氏までに留まり、歌謡曲として「守ってあげたい」以降のヒットだけがリアルタイムでの接点だったから、過去作は新鮮に響こう。
 周年公演は遂に第一作「ひこうき雲」をアルバム丸毎と荒井由実時代まで遡っているが、40周年同様、最大の見処はティンパンアレーとの共演であり、だからこそ五年前はわざわざ武道館まで足を運んだのだが、前進のキャラメルママ時代こそ細野、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆の四氏に違いないものの、ティンパンアレー改名後のキーボードは実質的に佐藤博氏に交替していたという解釈が正しいらしい。
i389.jpg  近年頓にシティポップ源流の親玉の如く祭られる佐藤氏もまたYMO人脈でありながら不見転に近く、未だ一部アルバムしか再発されていないので思い立ってYahoo!オークションを駆使して取り寄せてみたのだが、些かドラムに顕著に現れる音自体の古さを除いてなおどのアルバムも大差無く聞こえて仕舞うのは、詰まるところ佐藤氏の唄が今ひとつ琴線に触れないが故か。実際ユーミン氏もまた近作は声の衰えは否めず、シティポップにおけるボーカルの意義の大きさを逆説的に裏付けているのかも知れない。
 ただバンドという形態に懐疑があったのか打ち込みばかりで、細野氏が「ラグタイムの名手」と持ち上げた氏の鍵盤の妙技に預り難く、晩年にはYMOのプロデューサーであったかの川添象郎氏と組んで青山テルマ氏を手掛けたりもしていたが、もう少し時を重ね得ていたら細野氏がそうであった様に生演奏の世界に先祖帰りして呉れたのかもと夢想すると返す返すも残念である。
 加えて述べれば懐旧しつつ、老いてなお同時代のシティポップの担い手の座からギリギリ陥落せぬべく新作を発表し続けているユーミン氏の粘り腰には敬服すべきなのだろう。

3月21日(祝) 春風そよそよ  -音楽 - J−POP-

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 レコード・コレクターズで二ヶ月連続で特集が編まれる位だから歌謡曲フリークとしては同慶の至りなのだろうが、ひと口に「シティポップ」と言っても、その意味する処は振幅が大きい。
 恐らくはシティを「都市型の、洗練された」という形容詞として用いているのだろうが、70年代にはジャズの要素が強くサックスが奏でられたりと一歩間違うとムード歌謡擬きから、昨今では演奏こそ複雑なのかも知れないが、妙に抑揚の無い男性歌手の唄い方がカレッジ・フォークかと見紛うものまで、その昔旧来のジャンルに収まらない楽曲が現れる度に"クロスオーバー"に押し込んで仕舞ったのと対比すべきではないのかも知れないが、果てしなくバルンガの様にその包摂される要素が膨らみそうである。
 個人的には自ら操演するからでもあろう、矢張りギターよりも鍵盤のバッキングを主体とする楽曲に惹かれるが、だからと言って70年代末から80年代前半の「テクノ歌謡」の全てがヒットする訳ではない。中では「くちびるヌード」や「ニュアンスしましょ」がとくに琴線に触れたが、これ等が多分に沖縄音階的であるのに対し、昨今復刻された山口美央子氏の三枚のアルバムの四七抜き風の日本的メロディと必ずしもジャストでない拍が心地好く、往々にして書評を信じて過去の作品を漁ると日本何大がっかりに至るケースも少なくないところ、久々に儲けた感があった。

i310.jpg  さて3月21日はナイアガラの日、ご存命中は毎年過去作品の周年記念版がリリースされてきたが、天上に召されてからもベスト版や発掘作が続いている。
 今年はシリア・ポール「夢で逢えたら」の40周年豪華セットとともにソングブック第三弾の扱いで、古今東西の「夢で逢えたら」を集めた四枚組も発売された。
 幾ら名曲であっても、大滝氏ご本人の歌唱や太田裕美氏のライブ版、TV「SONGS」での追悼デュエット等には感涙咽びそうになったとはいえ、流石に60バージョン聞くのはひと仕事である。
 ただアップテンポにしたりそれこそジャズ風だったりと様々なアレンジが試みられてはいるものの、大半が原曲か、口端に登ったという意味で最大のヒットとなった96年のラッツ&スター版をベースにしているということは、逆に言えばラッツ版のソウル系のリズムを強調した編曲が如何に秀逸だったかの証しでもあろう。
 来年、末尾"9"の年は周年リバイスする原本に欠ける年なので、是非手付かずのご本家ライブ盤を新規開拓戴きたい。

8月31日(木) いつも同じ時を  -音楽 - J−POP-

i70.jpg  七月に発表された一十三十一氏のニューアルバム『Ecstasy』はドリアン氏が全曲を手掛けているが、それは2012年の一十三十一氏の実質的な再デビューとも言える『Dive』のプロデュース以来、徐々に比重を落としつつもこれまでの全てのアルバムに複数楽曲を提供してきたクニモンド滝口氏の存在が遂に消え失せたことを意味している。
 俗にシティポップとひと括りにされるジャンルの中で、フォークよりは"ポップ"の要素の代名詞とも言うべき、「流線形」以来のクニモンド氏の不在は、メロディの美しさから休養以前の一十三十一氏の、寧ろ粘り付く様な声を素材に、ボーカルもまた一要素として楽曲全体を構成する方向に、率直に言えば主旋律そのものは些か平板に回帰させたとも言えよう。
 実際、裏声の様にも響く地声と本物の裏声を織り交ぜながらも一音一音が正確な上に倍音が豊かなのか、類稀な声質の一方で、音域は狭く畝々とした起伏豊かでないメロディとの親和性が高い、要は平板でも声で聴かせて仕舞うとはいえ、新作には若干の物足り無さは否めなかったのである。
 「Dive」で幕開けした本日の公演も当然、新作主体なので期待と不安が入り交じって迎えたのだが、いざ蓋を開けてみると打ち込みベースかと思いきやシークエンス以外は純然たるバンド仕様で再現とは、難解なコードが連なる上に更に複雑なギターリフが重なり、ベースは弦と鍵盤の両刀使いとは実に恐れ入った。更にはドリアン氏に加え、同じくこれまで多数作曲兼トラックメーカーを務めているカシーフ氏と、恐らくこの世界では豪華ゲストも登場し、想像以上に魅せる"ライヴ"であった。
 こうして観るとドリアン氏やカシーフ氏の方が、確かにコード感の希薄さはシティポップらしさからは遠退くものの、素材としての一十三十一氏を活かすべく職人に徹しており、自ら編み出した美しいメロディを当て嵌めているという意味では、却ってクニモンド氏の方が過剰関与だったのでないかとの疑問すら湧いてくる。元より後にクニモンド氏が手掛けたUKOやナツ・サマーといった顔触れの楽曲が、多分に情緒的な表現ではあるが一十三十一氏のそれよりも煌びやかさに欠ける感が否めないのは、製作者の唄い手への愛情の差が見受けられる気もするのだが。
 ただ詰まるところ非常に満足感に包まれたのは、一曲一曲が短く約一時間強というコンパクトなステージ故に飽きさせないという構成の妙もいざ知らず、恰もイベントに参画して間近のアイドルに見とれるフアンの如く感覚に陥ったからではないか。
i69.jpg  そもそも東京ミッドタウンはガーデンテラス内という小規模かつ小洒落たコンサート会場からして初体験であり、19時開演にも拘わらず一時間半前の開場と同時に訪れて暇を持て余したものの、替わりにほぼ中央最前列を確保して極めて間近にご尊顔を拝し得たのである。
 恐らくその容姿は声ほどに元の素材は類希なる訳では無かろうが、楽曲ともども洗練されたのか、痩せて色気を増したのか、或いはそもそも所謂"下膨れ"が私の嗜好性に共鳴したか、見れば見る程美しいのである。
 翻ればレストラン兼であり、食事を採りながら音楽も愉しむ構成の為、テーブルから90度腰を捻って頭付きにならざるを得ず大いに腰に痛みを生じだのだが、趣旨からすればカップルでの参加が多数見受けられて然るべきところ、私同様に男性ひとりの所帯だらけだったのは、80年代歌謡曲に範を求め得るシティポップの主たるターゲットが五十内外の層であり、彼等が熱を上げる対象として一十三十一氏の様な存在は、贔屓筋たり得るのに丁度良い妙齢ということだろうか。要は単に齢を重ねて、若い歌手には楽曲にも当人にも関心が薄れ、熱を上げる対象もまた高年齢化したという帰結か。
 アンコールを挟んでのオーラスはアルバム『Dive』からドリアン氏作の「恋は思いのまま」。最初と最後が五年前の作品であるのは、未だにこれを超える作品を産み出し得ていない証佐でもあろうが、過去のライヴ映像を見る限り会場全般にコケティッシュな振りが伝播していたところ、如何せん立ち上がるのも憚られ、座したまま手だけ振っても盆踊りチックである。勿論、バンド形態でなくラップトップ主体のクラブ仕様の公演もあるのだろうが、かく一面だけ取れば矢張り支持層のよく言えば成熟、その実老練化は確実に寄与しており、ステージの短さも当を得ている。
 とはいえ演者には引き続き若作りでいて戴きたい。

8月16日(水) Back In Uguisudani  -音楽 - シンセサイザー-

i51.jpg  YMOのコピー遍歴としては94年に「似非YMO」名義で内輪の集まりにて披露したのが実質的な発端となるが、その延長線上に98年01年の二度に亘り自身とメンバーの結婚式の二次会で演奏した「ニセYMO」が第一の山であったろう。
 折しも本家は長いー往時の感覚としては恐らく半永久的なー休息にあり、パロディ・アルバムまで出して仕舞ったYセツ王はじめコピー・バンドの秘かなブームを背景に、MIDI+演者三人だった前回と異なり、完全手弾きをコンセプトに掲げたのが「中国男 l'homme chinois」で、04年から都合五回も公演に臨んでいるのだから第二の山場にしてピークに他ならない。
 ただ詰まるところ手弾きでそれらしく再現するにはどうしても機械的なシークエンスや効果音的なフレーズに人力で対応せざるを得ず、個人的にはコード弾きを基盤とした自由なバッキングは寧ろ望む処であっても、録音を聞き直しては足りない音の埋め草に汲々とする繰り返しが、レパートリー初期から中後期以降に波及させるに連れ増殖し疲れて仕舞ったというのが休眠の本音だろう。
 だが同時にスケッチ・ショウ以降の復活劇に、拙いカヴァーに手づから勤しむよりも現物を聴く、易きに流れた側面もまた否めまい。その結果として数多のコピーバンドもまた極めて本格的な一部を除き停滞期に入ったのも事実である。

i58.jpg  その文脈に則れば、今般鶯谷の東京キネマ倶楽部なる文字通り劇場型の空間で、79年ツアーの再現トリビュート公演が行われたのは、ご本尊が坂本龍一氏の療養から休息に入ったのと期を一にしている様にも見えるが、実際には三年前のYMO楽器展がその発端らしい。
 確かに巨大なMOOG、所謂タンスを前に滔々と語っておられた松武秀樹氏が実演に参加するのは大きなアピール・ポイントに他ならないが、失礼ながらそれだけではYMOの遺産を活用している感が強く映り食指が湧かないところ、 夢の島から葛西に移ったWorld Happinessを二年連続パスしてなおこちらに駆け付けさせたのは、渡辺香津美氏の登壇に他ならない。

 79年ライブを初めて耳にしたのは当然アルバム『Public Pressure』になるが、契約関係から渡辺氏のギターが全て坂本氏のキーボードに代替されているのは有名である。だからこそ却って"テクノポップ"らしさが強調され、後にギターありのボトムライン公演がFMで放送され、更に唐突にアルバム『Fakerholic』が世に出たものの、逆に違和感が残ったのは否めない。
 ただ実際に渡辺氏の演奏が、元よりスペシャル・ゲストであるから本公演以上にそのプレイがフューチャーされている上に、明らかにこれまで親しんだ、今やYouTubeにも多数アップロードされている海賊版を含めた79年公演のそれよりもギターのミックスが大きく繰り広げられると、改めて初期YMOが極めて実演力に富んだフュージョン・バンドであったことが強く想起される。取り分け「在広東少年」や「東風」、「The End of Asia」といった楽曲は本日の方が断然格好良く、然るにこれらは須くYMOと言うより寧ろ坂本・渡辺両氏に依るKYLYNの流れを酌んでいるのだ。
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YMO楽器展(2014/11)の松武氏(右
 往々にしてニューウェイブに傾斜した80年ライブにおける大村憲司氏がYMOギタリストの代名詞として扱われることが多く、実際松武氏も「後ろもYMO(矢野顕子・松武・大村)」と口を滑らせ慌て訂正していたが、動的なパフォーマンスも含め当時のインタビューで細野氏が「リーダーはギタリストか」と再三指摘されたと述懐しているのも、フロントの三人が敢えて無表情な東洋人を装おっているからこそ余計にとはいえ、渡辺氏のライブにおける存在を改めて彷彿とさせるものがあった。
 逆に往時はシーケンサー MC-4を完全手弾き曲の演奏中に一曲毎にテープからロードするという綱渡り的な労苦を強いられていた松武氏は、今ではその手弾き曲の間は正直暇そうで、後年LOGICというプロジェクトで一定の商業的成功を収めたとはいえ、作編曲と独立したマニピュレーターなる存在が、機材の進歩とともに成立しなくなった様を如実に現していた。
 ただ翻れば、とくに79年ライブにおいては概ね一曲置きにはシークエンスや効果音を操作していた訳であり、詰まるところ人力と自動との絶妙なバランスが初期YMO公演のまさにライブ感を醸し出し、年を重ねる毎に後者の比重が増えて極論すればカラオケに音を乗せるが如くに至って、ライブ・バンドとしてのYMOは過去の一頁と化していったのだろう。
i52.jpg  勿論、83年散開ツアー以降、再生からWorld Happinessに至るまで、YMOの公演は優れて旧曲のリアレンジに感嘆するものであって、エンターテイメント性に富みかつお三方のプレイそのものを堪能出来る他に比類の無い公演に他ならないが、ハプニング性を同居させるという意味でのライブという表現が正鵠を得ているとは最早言い難い。換言すればYMOを全て手弾きで演奏するというコンセプト事態、何れ手詰まりに陥るのは避け難く、わが中国男がフュージョン色の強い初期作と同時代のソロ曲から敷衍するに連れ、選択肢が狭まっていったのも宜なるかなだろうか。

 幾らお盆最中とはいえ平日の18時開演にも拘わらずスーツ姿のサラリーマン色が皆無なのは、YMOフリークは既に時間管理から逸脱した自由度の高い世代に占められている証佐かも知れないが、かく言う私も朝方湯沢から自走帰着しての休日仕様、Tシャツ・短パン姿だったが、80年ロス公演の如く絢爛煌びやかな観客席よりも、創世記の79年に寧ろ相応しかったと言うのは自己正当化に過ぎようが、さて明年のYMO結成40周年には何かが起きるのか、或いは起こすべきか。

6月2日(金) アウフファーレン  -音楽 - 音楽-

h929.jpg  クラフトワークの8枚組アルバム再現ライブ・ボックスを購入してみた。ヒトは継続しなくとも音はブラッシュアップされつつ変わらないのだから継続は力なりであろう。
 考えてみればラップトップで音と映像を操る構図は極めて現代的なのだが、敢えてCDだけを選択したところ、代表曲がリニューアルされたアルバム「ザ・ミックス」があり、こちらも再現に含まれているにも拘わらず、旧アルバムも処々微妙に「ザ・ミックス」よりにアレンジが改められているので、間違い探しの如く愉しみも見出だされた。
 日本編集版でも無いのに「電卓」には矢張り日本語の歌詞が含まれているが、新たに賦与されたのが「日本でも放射能」である。 今となっては非原発大国・独逸らしく当然の如くに受け止められてはいるものの、考えてみればアウトバーン、TEE、コンピューターと独逸乃至は西欧の誇る最新鋭技術をテーマに掲げ続けてきたクラフトワークの歴史に鑑みれば、Radio-Activityが「ラジオ活動」とのダブル・ミーニングである以上に、「放射能」そのものまたこの文脈の中に位置付けられるべきものであった筈である。 ところが21世紀に至り「ツール・ド・フランス」で急速に自然派に舵を切り、今や全く逆の観点から捉え直された「放射能」は反原発の象徴宜しく新たな意味付けが与えられようとは、この点もまた極めて現代的ではなかろうか。
 YMOしかり電子文化の粋を極めた音楽家が自然エネルギーを掲げて技術に背を向ける傾向は民族を問わないのかも知れないが、敢えて独逸に拘り続けるのならばわが国とともに世界経済を牽引する機関車たる役回りを再び高らかに謳い上げ、昇り続けるのが筋であろう。
 折しも「アウトバーン」の歌詞にある"白い縞"は自動運転技術のひとつのキーワードに他ならない。ドイツ政府におかれては、ハンドルから手を離してアウトバーンを滑走するヒュッター氏をイメージ・キャラクターにお薦めしたい。来日公演の折りにはきっと「トーメイ」「ガイカン」なぞ織り込んで呉れるだろう。「中央フリーウェイ」では一寸対向出来ないけれど。

4月8日(土) SN比が良くても  -音楽 - 音楽-

h877.jpg  「怒り」の声が小林教授なら「怒り」の音楽は坂本教授というのは些か汎用性に欠ける対比だが、実際病を得ての活動休止中にもグラミー賞候補となった様に、反原発活動のみならず映画音楽には勢力的だった。
 その坂本龍一氏が実に八年振りにニューアルバムを発表するとあらば、その延長線上に環境音楽的であるか、或いは大病をすれば人生観が変わるとばかりに全く異なる"ソロ"を意図したものになるか注目してきたが、結論は矢張り前者であった。
 しかも嘗ての『戦場のメリークリスマス』を少しは彷彿とさせる様な楽曲も含まれているという意味ではまさに映画音楽的だが、大半はメロディはおろか音階すら明確でない現代音楽スタイルで、正直単体で拝聴するには相当な忍耐力を要求される。
h878.jpg  もしかしたら映像とともに賞味すれば違った感慨も得られようかと本日、ワタリウム美術館にも闖入してみたものの、勿論思想性が強くても逆に閉口しようが、美しく捉えればBGV擬きの断片的な映像のコラージュばかりと一緒に見せられても、成る程これが「設置音楽」という新たな形態か、とは朧気にイメージ出来ても残念ながら音楽そのものへの理解には到底結び付くものではなかった。
 とは言え入場料に加え会場限定、のポップの付された坂本発言集も購入しているのだから、文句を言いながらもYMOフリーク気質は全く治っていない。寧ろ同時発売されたアーカイヴ集『Year Book』に第三弾にして漸く、B-2 Unitsをはじめ"ポップ"であった頃の坂本氏が現れたことに代償を求めているのだから世話は無かろう。
 要は過去と現在とで現代音楽と現代の音楽が丁度入れ子になっている構造だが、人は変化を求めるからこそ螺旋階段を幾周も昇り変わった末に、詰まるところは原点に回帰するということか。或いは音楽を極め過ぎると「音」そのものの真贋に耳が傾むくのか。愛好者にとっては拡大再生産であっても、慣れ親しんだあの頃を求めて仕舞うのだが。

h879.jpg  先月御茶ノ水のジャニスを訪れるといきなり店舗が無くなっている。何等の告知なく看板はそのままなので、すわ時代の波には逆らえず閉店に追い込まれたかと早合点しそうになったが、この度漸く嘗ての近隣に再移転が完了して安堵した。
 今どきレンタルでCDを、しかも店舗で借りる輩なぞ希少かも知れないが、意図的にTSUTAYAに供給していないと見られる実演家なりレコード会社のそれを調達するには未だ実用的で、一階に復して中古販売の二号店隣接となったことからも混雑しており、老舗の看板は健在である。
 検索くんが更新されておらずヴィクトリア階上時代の棚を想起しつつ脳裡から現状に置き換えなければならないの少々手間が掛かるが、こちらも原点回帰。

3月2日(木) Far East Man  -音楽 - 音楽-

h843.jpg  電子音楽の方法論を用いながらも取り分けライブにおいてはフュージョン色の濃かったYMOは、81年のアルバム『BGM』以降テクノポップからミニマルに近い、現在の感覚におけるテクノへと変貌していくが、その過程においてはニューウェイブとも言うべき一時期がある。最大の要素はギターの有無であり、ニューウェイブ期の『増殖』は全編が大村憲司氏によって彩られている。
 逆に同時期の大村氏のアルバム『春がいっぱい』はテクノポップたるYMOの影響を多分に受けており、数多YMO周辺のアルバムの中でも今も私のお薦め十選の地位を降りることは無い。
 ただ先月発売された「大村憲司のギターが聴こえる」を読みながら、改めて『Kenji Shock』を筆頭に発掘された後年のライブや幻のバンド・カミーノはじめ演奏を通聴してみると、ジャズやブルースが基盤であって寧ろ『春がいっぱい』のポップ性が氏のキャリアの中では異質であったことが伺える。
h844.jpg  そもそも自らがコード弾きしか出来ないが故と相俟ってギターという楽器自体に愛着が少ない上に、平たく言えばギタリスト・大村憲司が個人的に好みの範疇にある訳では必ずしも無いのだが、 World Hapinessをはじめとする一連の再々生YMOにおける小山田圭吾氏の、効果音に徹しながら処々不協和音を醸し出しているプレイを耳にしているだに、大村氏の音程すら超越した装飾音のメロディとバッキング双方のキーボードへの埋もれ加減の巧みさが、今更ながらに思い起こされるのである。49歳での急逝から来年ははや20年になる。

 こちらは天寿を全うとした域のかまやつひろし氏。主なGSメンバーよりは半世代ほど上にあたるが、スパイダースの「No No Boy」は今で言うシティポップの趨りと位置付けられて然るべきである。
 惜しむらくは年を追う毎に安易にフォークに流れて仕舞い「僕は待ってる」世界の秀作は奏でられなくなったことか。合掌。

11月30日(水) 雪割り桜にはまだ早い  -音楽 - J−POP-

h758.jpg  多くの音楽実演家は、ある時は他者との協同作業の齊す意外性に惹かれてバンドを指向しながら、一方で協調の煩雑さと個々人の嗜好性と技量の差異に煩悶してソロ活動に回避するという、両岸の間を行きつ戻りつするのだろうか。
 音楽活動40周年を迎えた矢野顕子氏の、箱入り写真集付きの御大層なベスト盤『矢野山脈』を通聴して、基本的には20年前のベスト盤『ひとつだけ』の延長線上に位置するものの、後半に及ぶに連れ出前コンサートに代表される弾き語りと、伝統的なバンド形態ながら多分に即興性にも依拠し得る手練れの音楽家逹との合作の混在がより色濃く伺えよう。
 その中でYMOとの活動期にあたる80年前後が、氏の長いキャリアの中ではピアニストらしさが隠し味となっており、個人的にも多様な音楽に触れ始めた小学生末期の感受性にもマッチしたのだろう、未だに最も聴き馴染んでいるが、敢えてそこに"テクノ"たる範疇を冠するならば、近年の矢野氏のアルバムに再びそのテクノ風味がまま現出しているのは、恰も螺旋階段を廻るが如くで非常に興味深い。
 勿論、同じ階層を巡回はせず曾ての所謂テクノポップに対して現在はピアノとテクノの融合たる趣に他ならない。その象徴が三度目のリニューアルとなった『矢野山脈』収録の「春咲小紅」であり、丁度20年前の再録「ひとつだけ」が後のピアノ弾き語りバージョンの原型となったのとまさに好対象であろう。
h759.jpg  ただ野心的な試みであるピアノとテクノの融合だが、坂本教授久々のバンド・ツアーと名打たれた公演がカラオケに無理矢理生演奏を被せた様な惨憺たる結果に終わったのと同列視しては失礼かも知れないが、些か木に竹を接ぐが如く響いているのは、趣味の領域を勘案してなお残念である。
 寧ろ電子音主体の伊勢丹のテーマソングの方が企画モノであるだけに綺羅びやかで80年代の面持ちを醸し出している。元より実演家に過去の再生産を求めるのはフリークの悪い癖だが、50周年に向け華やかでキッチュな矢野氏に再び出会いたい。企画展YANOTANの行われた、伊勢丹が、80年代の西武の様に玩具箱をひっくり返した様な百貨店の輝きを取り戻せるかはまた別の話しだが。

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昨年のWorld Hapinessより
 YMO後のテクノたる文脈では、"Over The Top"を掲げた細野氏の32ビートが嚆矢だが、ポップから歌謡曲路線に至ったユキヒロ氏が久々にテクノに回帰し細野氏が共鳴したスケッチ・ショウが実質的なYMOの再々結成に結実している。
 逆に細野氏は更に先祖帰りしてカントリーに安息の地を求めているが、ユキヒロ氏は教授の休場と相俟って再び形を潜めたYMOに替わりメタファイブとしてテクノを追求し続けており、装いはテクノ風味だがメロディの明確なテクノポップに再会した感があったのは頼もしかった。
 しかしながらこれも曾てのユキヒロ氏がテクノから英国由来のニューウェーブ色に被れた時系列と同一歩調の展開が、メタファイブのセカンド・アルバムに明瞭なのは個人的に心配である。
 何よりもレオ今井氏の起伏の少ない旋律のみならず、取り分け声質が生理的に受け入れられないのは致命的であろう。逆説的に言えば改めてユキヒロ氏のボーカルもまたYMOが人口に膾炙した要因のひとつだったということか。

10月29日(土) 風に吹かれて  -音楽 - 音楽-

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 日ハムが四連勝で日本一を決めたこの日、改めて祐旭の13歳を祝う。先週は焼肉、一昨日当日には仮ケーキ、本日は寿司とホールの本ケーキと振る舞いが続く。
 程無く祐旭は父の身長を、御相伴に預かる公資は流石に父の体重を、と言えば後者は誇張が過ぎようが、二人とも立派に増殖したものである。誕生日毎に父がビデオカメラ越しに求める"抱負"には、いい加減飽きがきたか少しも新奇性は無かったが。

h729.jpg  「傲慢なところが彼らしい」等と妙な評価があったボブ・ディラン氏も大人しくノーベル賞を受章するらしい。
 十年ぐらい上の世代であれば全く異なる感慨もあろうが、私が洋楽を嗜み始めたころ既にディラン氏は歴史上の人物に近く、かの「We are the World」における氏の浪曲の様な唸りを物真似の持ちネタにしていた時期もあるが、即ちそれは1985年の段階で様式化された古典、些か悪意を以て述べればパロディと紙一重の領域に到達していた証しでもあろう。
 起伏の無い旋律だからこそ著しいディフォルメが可能であり、それがディラン氏の個性であるのは疑い無いが、逆に言えばメロディよりも寧ろ歌詞の中身、主張の重視と同意に他ならない。
 元より旋律あってこその音楽との立場からは「詞に拘るなら詩吟に勤しめ」と豪語した友人程極端では無いものの、飽く迄歌詞は旋律を彩る添加物のひとつを超えるものではない。
 従ってディラン氏の「文学」賞受章には、文学者の怨嗟の声が巻き起こるのは当然としても、同時に氏の楽曲は歌詞にこそ価値があり旋律こそが付随物たる御墨付きを与えたという意味で、多くの叙情フォーク作者をも貶めていると、諧謔的ではあるが咀嚼出来よう。













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 個人的にその解釈には決して肯じ得ない訳では無いのだが、選考サイドに文学を音楽より上位とする無自覚な優位性があるとするならば、ダイナマイトを発明した償いとして遺産を提供したという逸話は、幼き頃にノーベル氏の伝記を読んで以来些か美談過ぎる感は未だ否めないものの、ノーベル賞自体の権威すら貶めかねない危険性を有している。
 日本人受賞者が稀少であるのはベースとなる言語の相違たるハンディからして致し方なかろうが、二人目の受章者からして言わば一時代を体現し終えた"左翼"のイコンとして博物館へと展示された色合いが濃いとするならば、ディラン氏もまたノスタルジーの中に祭り上げられたと捉えるべきなのかも知れない。
 片隅で聞いている位が良い案配なのではないか。
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