コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月21日(火) おとなは秘密を守る  -テレビ・ラジオ - テレビドラマ-

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こちらは南軽井沢(02年)
 TVドラマを毎週心待ちにするのは何時以来だったろうか。確かに昨年の大河ドラマ真田丸は久々に完遂し、その勢いは直虎に継承されているものの、男顔の柴崎コウ氏を女城主に見立てる配役の妙こそあれ、残念ながら実年齢の割には容貌に老獪さが滲み出ていて、もう少し若い時分に演じていればとの落胆も打ち消し難い。またそもそも一年付き合う大河とワンクールのそれとでは瞬間的な濃密さには自ずと差異も生じよう。
 或いは竹内まりや氏の主題歌「カモフラージュ」が筋書きと共鳴して時代のヒット曲として後代に色濃く印象を残している様に、もしかしたら20年近く前の「眠れぬ森」が、最期だったかも知れない。元より往時は余程のマニアで無ければVHSに録画して鑑賞する様な行動パターンは稀で放映に合わせて帰宅しなければならなかったから、現在は非フリークの視聴者にも住み易い世の中であり、寧ろその層をターゲットとすることが可能になったからこそ『カルテット』の隆盛が斎らされ得たのかも知れない。
 四年前の『最高の離婚』もそれなりに真面目に見ていたから、坂元裕二氏という脚本家を認識していなかったのは失態ではあったが、ドラマとはたとえ小津映画の様に日常を題材としてもなお非日常を描くものであり、巡回する恋愛模様と昨今流行りのサスペンス要素を同居させた造りは現代的である。
 そして特徴的なのは随所に非日常の中の日常の細部を笑いとともに挿入している点で、例えば「唐揚げにレモン」のエピソードが再三登場したのはこの構成が視聴者にも受け入れられたことを示していよう。
 ただどうしても台詞回しが芝居掛からざるを得ず一歩外すと気恥ずかしさが先だって仕舞うが、それを補っているのが役者の表現力である。同時に弦楽四重奏による椎名林檎氏の主題曲と相俟って、テーマそのものたる音楽との親和性が花を添えていよう。
 更に言えば柴門ふみ氏由来との表現が正しいかはさておき、男女四人の人間模様を組み立てるに当たって、嘗てのトレンディ・ドラマが社会人の癖に遊んでばかりと揶揄された失策を糧に、敢えて閉ざされた空間を設定した舞台配置の妙も挙げられよう。 こうした脚本と演出、俳優、音楽家のアンサンブルこそが勝因であり、最終回は平板だったものの敢えて奇を衒わずハッピーエンドに纏めたのは、幾分の喰いたり無さこそ残っても後味は良かったのではないか。
h860.jpg  暫く火曜の夜はカルテット・ロス症候群になりそうである。

 嘗て阿佐ヶ谷の風呂で長らくアイスボックスに眠っていたのかすっかり凍り付いたそれを発掘して狂喜乱舞した、ガリガリ君のコーラ味が久々にコンビニに並んだ。
 長年の課題たる赤城乳業の工場見学は未だ実現していないが、秘蔵してあったガリガリ君パズルを解きながら賞味する。
 こちらにはとくに秘密はない。

2月14日(火) 相棒がいっぱい  -テレビ・ラジオ - 相棒-

h832.jpg  TV放映を連々眺めていると、「相棒」は警察ドラマにありがちな内幕もの、中央と現場の対立の構造を採り入れながらも、昨今で言えば四代目・反町隆史氏の親元たる法務省はじめ、関係先とのパイプを捜査の便法として些か安易に活用して、平たく言えばご都合主義的な謎解きに陥っている感は否めない。
 逆に言えばだからこそ妻よりも寧ろ祐旭が、過去シーズンの再放送も隈無く漁るが迄に相棒漬けになる道理も理解出来よう。即ち中学生に「殺す気は無かった系多くない?」と看過される程の解り易さが若年層にも訴求する大衆性の証しであり、従ってわが家も一家を挙げて公開3日目にゴジラ聳える新宿東宝へと赴いたのである。
 ただ一方で、脚本家に左右される要素も大きかろうが妙に複雑な推理が口頭の解説で賄われているパターンもあり、水谷豊氏の抑揚を抑え、芝居掛かった独特の台詞回しがドラマとして単調に陥いるのを防いでいる。そしてこの要素から、今度は中高年の視聴にも適しているとの結論が導き出せるのかも知れない。
 結果として今作が前者、明快さ主体であったのは家族連れには望ましかったし、水谷豊氏のバンパイア以来の華麗なる身体表現も彩りを添えていただろう。
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「相棒のテーマ」を奏でる祐旭
 勿論、朝日系らしい本筋以外の舞台設定での左翼臭は鼻に付くし、庇護者としては石坂浩二氏より岸部一徳氏の方がよりひと癖あって適任だったろう。そもそも圧倒的に女性の少ない中で、個人的な嗜好だとしても、薬用大麻解禁を訴えて大方の予想通り自ら服用していた前任者より遥かに現在のヒロインは似つかわしくない。何よりも失礼ながら悪役に少しも大物感が漂わないのは、北九州市を挙げての大型ロケとのスケール感が合っていない。
 それでも最早かく細部をあげつらう以前に、マニアならずとも映画の前振りたるTV版の前後編も抑え二代目・及川光博氏の登場を、結果的にはチョイ役で拍子抜けではあったものの、歓迎して仕舞う程に独自の世界観を確立したのが勝因であろう。
 何れ初代・寺脇康文氏の復権が為される日まで、この隆盛は続くのだろうか。

9月22日(祝) 遠きスポッチャ  -映画 - 映画レビュー-

h673.jpg  遠出の無かった銀週間の数少ないイベントとしてはとバスによる東京巡り、御上りさん体験を企画したが、天井の無い二階建てバスのため当然の如く運行取り止め、一日遅れのSeptemberに雲は追い払えないどころか、すっかり亜熱帯と化して護岸やら対策の整った古式ゆかしい沖縄から九州にかけての台風を、些かの語弊こそあれ懐かしく感じて仕舞う今日この頃である。
 替わりに友人に誘われたスポッチャに送ってと祐旭の依頼を安請け合いすると板橋にあらず入間とは幾ら帝都下北西部の中学同級生の寄合とはいえ遠過ぎや仕舞いか。いっそそのまま居座ってもと逡巡したが、保護者付きも鬱陶しかろうと棄権しても詰まるところ蜻蛉返りも甚だしい。
 しかも二度目の帰路、午前中の経験則から渋滞を避け迂回した積もりがアウトレットと大型スーパーに面した道路が排出される駐車車両のおかげでウンともスンとも動かないではないか。一本道のまま大量の商業施設を拵えれば当然予想された結果であり、まさに列島改造論で示された公権力による介入の欠如、都市政策の貧困の典型例だろう。
 命辛々圏央道に滑り込んだものの妻と公資は自力救済に委ね直接としまえんに赴かざるを得ないとはとんだ秋季皇霊祭であった。

h674.jpg  しかし新宿からユナイテッドシネマズにシフトしたおかげで何とか間に合ったのだからまだ運気は尽きていまい。
 このところ映画尽いているが、「真田十勇士」は勘九郎氏の巧みな演技こそが「嘘が誠」なるテーマ設定をまさに体現しているにも拘わらず旨過ぎるが故に却って説明過剰に映るし、幾ら演技力があっても大竹しのぶ氏の淀君は些か薹が立っていよう。大河ドラマとのタイミングは相乗効果もあろうが、藤井隆氏と同一人物との邪念に襲われると混乱するデメリットもある。
 翻って単純明快なストーリーと相俟って勘三郎氏が真剣になればなる程、果たして昨今流行りの漫画原作由来の若年層向け作品だったかと錯覚しそうになったが、舞台由来と聞けば確かにキメの場面が要所に散りばめられており得心出来る。
 わざわざ映画化したのは堤幸彦監督が合戦を撮ってみたかったのが本音かも知れないが、残念ながら初日にも拘わらず些か寂しい客入りも寧ろ家族連れには解り易く楽しめ、今からでも遡及対象を緩やかにシフトすべきではなかろうか。

9月19日(祝)  忘却とは忘れ去ることなり  -アニメ・コミック - アニメ-

h669.jpg  まだ五歳の祐旭を連れて亀有を訪れたのは八年前、即ちこの時点ではまだ熱心なこち亀の読者であったことが裏付けられる。
 初期のスラップスティック劇からマニアネタの見本市を経て、恰も映画版ドラえもんがドラえもんの世界観を借りた冒険活劇であるのと同様に、下町の寿司店や大阪府警といった全く異なる舞台にキャラクターを当て嵌めた複数ステージの輪番に落ち着いたのは、ネタ切れと言うよりは作者自身の厭きを回避する為の措置だったのでは無かろうか。
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園児時代の祐旭と(08/11)
 結果としてそれは長期連載記録を更新し続ける延命には寄与したが、こち亀の最大の魅力であった過去の膨大な軌跡に立脚した仮想空間に現実味を与える裏付けが希薄化し、螺旋階段を登るのでなく堂々巡りしているが如く映ったのが個人的には関心の薄れた要因だったと分析出来る。
 恐らく作者自身が最もその惰性に気付いており、取り分け昨今は神格化され幾ら羽目を外しても却って賞賛されるだけという環境に居心地が悪くなっていたのでは無いか。
 記録の為にスタメン出場して早々にベンチに消える、痛々しい最終年の衣笠選手でなく、自ら欠場してなお三年の命脈を保ったリプケン選手の如く、秋本治氏には山止たつひこ時代を思い出してとは申すまいが、普通の漫画のポジションに戻ったこち亀の緩やかな晩年を是非改めて描いて戴きたい。

h670.jpg  一家揃っての「君の名は。」。若者向けの恋愛ドラマの舞台設定に自然に用いられる程にSF推理・謎解きの要素が市民権を得ているということか。
 声からしてBUMP OF CHICKENの紛い物の様な楽曲、評すると最近の若者はと嘆く年寄り風情だが、ミュージカル宜しく矢鱈と流れる演出は余り好みではない。とはいえジブリの如く真知子巻きならぬ左巻きの思想も見当たらず、深刻になりそうなシーンも笑いで中和するところも現代風である。
 言葉遊びをフックにしているのも野田秀機というよりは、非都市部の民間伝承を装う処がジブリ擬きではあるが、商魂逞しく元ネタ探しでもうひと儲けを企む技術は見習わないで欲しいところである。
 流石にゴジラを上回る興行収入は必ずしも納得出来ないものの楽しめたのは間違いない。恐らく主たる視聴層には「転校生」の翻案と言っても通じないし、オマージュには違いないがラストの邂逅もよくみれば数寄屋橋、更に耳を凝らせば僅かに赤尾敏氏の演説が谺している、ことは無かったと付言しておこう。

8月7日(日) ゴジラと息子  -映画 - シン・ゴジラ-

h632.jpg  特撮に目覚めたのは70年代末のウルトラ・シリーズの早朝再放送からなので、娯楽作品と化した後の初期ゴジラにも間に合っていないし、復活後は既に怪獣から離れる時期だった。
 従って後のハリウッド版を含めて関心は薄く、今般も祐旭が所望しなければわざわざ映画館に足を運ぶには至らなかったろうが、折角ならばとTOHOシネマズ新宿に赴いてまず歌舞伎町の変容に面喰らうところから始まった。
 500円を積みましてIMAXを選択したものの前日の予約で既に空いているのは最前列のみと人気の高さに直面してなお、この時点では特段の期待は抱いてなかったのである。
 しかしながらその目算は大いに裏切られる。
h633.jpg  第一作がゴジラの襲撃を未だ記憶に鮮明な大東亜戦争の東京大空襲に準えていることはつとに指摘されいる通りであり、同様に今作の前半が東日本大震災における津波災害を念頭に置いていることは容易に連想されよう。
 ただ震災被害と原発の事故が等閑視されている現実に鑑みれば、次いでゴジラが暴走した原子力の象徴として扱われるであろう展開が安直に浮かぶところ、事態は必ずしもそれを主眼として進まない。勿論、ゴジラを抹殺することは叶わずその動作を停止させるに留まる結末は原発に対する警鐘をも意味していようが、恐らくは初代が直前の第五福竜丸による被爆の象徴であったことを所余の前提として、敢えて原子力のメタファたるを説明過剰にせず過度の思想性を背景としない描写を選択したのではなかったか。
 だからこそ物語の本筋は寧ろ集団的自衛権の発動を巡る攻防になるが、そこには絶対的平和主義の観念論は跋扈せず、政府を戯画的に描いてもそれは民主主義の些か過大なコストの象徴として、幾分のユーモアを漂わせている。
h634.jpg  更に言えば、大空襲と福竜丸という人災をゴジラたる天災を以て代替した初代に、宇宙戦艦ヤマトほどにあからさまではなくとも仮想敵国の意図的なすり替え願望が託されていたのに対し、今般は震災という文字通りの天災の立地をそのまま首都に置き換えるのみで仮想敵国に触れない替わりに、日米同盟に集団安保と集団的自衛権の異同を仮託させることで、現実の仮想敵国が透けて見える構図になっている。
 元より時おり挿入されるわが国の経済危機への懸念が、多様な意思の忖度という民主主義コストの一態様に留まらず、例えば金融市場で濡れ手に粟を企む亜細亜系マフィアの跳梁にでも絡めていればよりストレートに企画意図を明示出来たのかも知れないが、そこはわが国がアプリオリに讚美してきた国連=安保理を敵役に配する構図を以て一定の解釈が類推されよう。
 元よりその分、日系人を米国代表に仕立てることにより性善説に基づいて同盟国を讚美し過ぎたきらいは否めないが、少なくとも昭和29年に直面した現実を現代に移植する、即ちゴジラが再生しなければならなかった意義は充分語られていよう。
 銀河英雄伝説が民主主義の基礎テキストであるならば、こちらは現下のわが国のそれを体現する秀作ではないか。

 一日遅れで妻の誕生日を祝い、ゴジラの公開が3月でなく8月であることに改めて気付く。

7月21日(木) すぎちょびれ  -テレビ・ラジオ - TV-

h579.jpg  選挙中は音沙汰の無かった朝食会に赴いたのは主役への関心も去ることながら、恐らくはリニューアル後この手の会合では初の御目見えになる東京ステーションホテル見物もまた興味深いものだった。
 嘗て上階部に存在した宴会場は如何に変貌したかと思いきや、矢張り小規模なものが数部屋であり、駅直結の立地を活かして宿泊に特化して差別化を図ったのだろう。
h580.jpg  その足で会館に向かい、届け物だったりご挨拶なり用途は様々だが、時節柄知事選に話題が及ぶのは必定だろう。帰路には隼町を経由するが、偶発的な訪問が重鎮との邂逅に結び付くと引きの強さに我ながらひと仕事こなしたが如く感慨を覚える。
 来客を経て再び出立し、今選挙で引退の御仁の新事務所開きに細やかだが嵩のある贈物、更に高島屋でも遭遇した近隣の社長訪問と続く。結果はともあれこの機に人事を尽くせば、次なるに実を結ぶ効用も見込めよう。
 再度帰還して社内の報告、夕刻にはまた出て四ッ谷にて鮨を戴く。とはいえカウンターとは恐縮で摘まみ主体と我が儘も申し上げたところ、穴子までシャリが無かったのには少し心残りだったがこれ以上贅沢は言えまい。些か日本酒を煽り過ぎたが、朝から晩まで盛り沢山の一日だった。

h581.jpg  公資に聴く限り昨日のTVはこの話題ばかりだった様だが、トップ当選の参院議員職を半年で投げ出した時点で公人としての存在意義を喪ったばかりか、隠遁生活で芸能界においても過去の人となった 大橋巨泉氏が、ブラウン管の扱いだけが未だ健在であることに驚きを隠せなかった。
 ただ相前後して鬼籍に入った永六輔氏とともに半年近く前に出演した「徹子の部屋」の再放送は、記録としては貴重であっても愉快に茶の間で眺めるには余り相応しい映像とは言い難かったのではないか。
 失礼を顧みず述べるならば、はっぱふみふみやゲバゲバ90分のみならず、クイズダービーやハウマッチですら歴史と化した今、巨泉氏の過大なプレイアップはTV黄金時代へのTV局自身の憧憬の産物に過ぎなかったのではないか。

7月17日(日) ウルトラマン誕生  -テレビ・ラジオ - ウルトラシリーズ-

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前列は米国、後列は鬼っ子の泰王国産
 ウルトラマン50周年が杉並公会堂にて挙行されたのはウルトラQ最終回「あけてくれ」の放送予定を差し替えてまで放映された「ウルトラマン前夜祭」の再現たる趣旨であり、投票日で無かったら勇躍駆け付けたいところだった。
 幸い中継を録画して拝察したが、メインエベントが50年前の再放送上映とは些か安直とはいえ、その前座たる出演者座談会では面影の欠片も無い禿頭のホシノ元少年以上に、イデ隊員の二瓶正也氏の異様な肥り方に目を奪われた。
 ただ更に驚いたのは歴代ウルトラマンの紹介の中に「リブット」という初耳の御仁が含まれていたことである。
 若かりし時分に特撮フリークだった私のウルトラの知識は実質的に80までで止まっていたところ、子供達の成長に比類して平成三部作以降も後追いした形だが、ソフビ漁りの賜物で不遇のマイナー期もひと亘りは抑えている筈である。
 にも拘わらずXやオーブといった新参者にあらず、何故にパワードの次席に唐突に浮上したのかと検索を掛けるとマレーシアからの渡来人であった。
h578.jpg  アニメのUSAや豪州のグレートなど外地育ちの一族は他にも存在するものの、恐らくはタイのチャイヨー・プロのウルトラマン・ミレニアムへの対抗上、公認の亜細亜系として敢えて見せしめの如くに一族入りを促したのであろうが、結局円谷家の関与を曖昧にしたまま袂を分かったチャイヨー問題が旧コンテンツの海外展開にも陰を落としている現実を裏から炙り出している様に見えなくもない。
 思えば登壇した関係者に一人として円谷姓は見受けられず、50年前のフィルムに颯爽と輝く英二氏の姿と対比するまでも無く、新作の宣伝に努めれば努める程余計に、遺産を食い潰す円谷プロとウルトラの凋落振りがクローズアップされざるを得ない。 既に世田谷とも縁の切れたウルトラの星が杉並に輝いている場合では無いのだが、今日ウルトラマンは放送開始から50周年を迎える。

 戦国時代が大宗を占める大河ドラマにおいては同一人物を複数キャストが演じるばかりか、逆に同じ俳優が同時代の武将を亘り歩いて視聴者の記憶に混乱を来すことも少なくない中で、松本幸四郎氏による38年振りの呂宋助左衛門は、三谷幸喜氏らしい遊び心だったろう。
 元より「黄金の日々」と言えば鋸で首を引かれる川谷拓三氏ばかりが印象深いが、同一キャラクターが複数作品で別の役を演ずる手塚治虫氏ばりのスターシステムの援用、との解説は解り辛いか。

5月6日(金) 職にあぶれる六代目  -映画 - 映画感想-

 TVと映画のメディアミックスと言えば衰えたりと謂えどもフジテレビの十八番だが、服部隆之氏の印象的なテーマを友人の御成婚二次会の冒頭入場曲に流用した時系列に鑑みる迄も無く、既に15年の命脈を保つ「HERO」は矢張り名作だったのだろう。
 先のTVシリーズはヒロインの世代交替で若年層への浸透を期していたが、松たか子氏の復帰した今作を見て改めて、複数の男女が付かず離れず織り成すトレンディドラマの基本構造に準拠していたことが伺われた。
h502.jpg  ただ基軸が恋愛にありかつ木村拓哉氏のキャラクターへの高依存度に鑑みれば、今回もまた余韻を残した大団円とはいえそろそろ引き際の美学というところか。

 同じ連作とはいえ異なる俳優が同一ヒーローを継承出来るのは、万世一系の元首を戴かない欧米若しくは大陸的感覚に起因していると言えば大袈裟だろうか。
 寧ろ俳優独自の個性の投影が肯定的に受け止められているのは、ダニエル・クレイグ氏を迎えて以来の007が、冷戦の崩壊や大英帝国の汎欧州化によるヒューミント活動の意義の低下たる現実と相俟って、矢鱈と諜報員の悲哀ばかりクローズアップされる深刻さを、新機軸に掲げていることからも伺えよう。
h503.jpg  ただ組織内の対立よりは個性豊かな脇役陣との掛け合いの妙が007の魅惑であって、何よりも笑いの要素が著しく喪われた反省乃至は反動からか、最大の敵役たる「スペクター」の名を戴いた近作は半ばセルフパロディの如く味わいも散見された。その分単純に楽しめる替わりにシリーズものの呪縛もまた明らかになった形だが、偉大なるマンネリであっても末長く"殺しのナンバー"に従事して戴きたいものである。
 [追記:結局、クレイグ氏は降板しまた新たな007の個性が模索されることとなった]

 連休の狭間の本社出張、品川発6時ののぞみに乗れば、9時の打ち合わせに滑り込めることが確認された。しかしながら駅から走らなければならない。辛い。

2月21日(日) 真田丸!  -テレビ・ラジオ - テレビドラマ-

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荒砥城跡(02/9)
 三谷幸喜氏の連続ドラマは当たらないという風評に傾いたのは最早12年前になる大河ドラマ「新撰組!」が契機であったろう。それ以降も映画ではヒットを続けていたものの、「清洲会議」が「羅生門」的な藪の中シチュエーションの妙と笑いとの二兎を追い切れず、時代劇における不作というダブルパンチを負って仕舞った感がある。
 だからこそ今般の大河ドラマ「真田丸」は名誉挽回の好機到来であったが、三谷系の脇役を大挙投入してなお伝統的なオーソドックス路線を歩んでいる。勿論、大河のメインストリームたる戦国時代を舞台に与えられたという幸運もまた否めないが、信長・秀吉・家康以外は必ず後半生は先細りになるだけに如何に天下取りの一角に関与するために知略謀略を巡らせるかの争いになるという基本路線に忠実な一方で、草笛光子氏や草刈政雄氏、或いは徳川方の近藤正臣氏、藤岡武、氏といったベテランに笑いを委ねるバランスの妙を配備していると言えよう。
h402.jpg  或いは本日の堺雅人氏を挟んで双方の武士が互いに相手方の顔を知らないことから生ずる掛け合い、といったシチュエーションは三谷氏の得意とするところであり、新撰組の際には些かはしゃぎ過ぎにも映りかねなかった笑いの要素を旨く時代劇に調和させているのは過去の反省を踏まえ経験則の醸し出した業だろうか。
 元よりPC98ベースのチープな時代から光栄の三國志に馴れている世代には国盗りマップに違和感は少ないが、合戦シーンのカタルシスに欠けるのは昨今の大河に共通であり、ラブコメの様な男女のやり取りもアイドル的な集客力には及ばないのか、残念ながら視聴率ではイッテQの後塵を拝し、現にわが家も先出しのBSを録画している。
 とは言え久々に今のところ初回からフル試聴、天下の趨勢と並行して兄弟の角逐が如何に描かれるのか、現在のベテラン陣が去った後、誰が笑いを担うのか、注目して暫く眺めたい。

2月10日(水) お客様の笑顔  -アイドル・芸能 - 芸能ネタ-

h379.jpg  所謂タレント候補と言えば藤原あき氏やバレーの大松監督を嚆矢とするが、大量生産されたのは金権選挙の異名を持つ74年参院選である。全国区でトップ当選した宮田輝氏が比例代表制が導入された12年後には当選圏外の22位に据えられ使い捨てと揶揄された様に客寄せパンダの域を超えない事例は散見されるものの、32歳で初当選した山東昭子氏は実に参院七期の最長不倒で副議長にまで登り詰めている。
 その山東氏が出馬を要請したとの下りは恰も黛ジュン氏がゴールデンカップスを発掘したというエピソード同様の匂いも感じられなくは無いが、今井絵理子氏の出馬が意外性に満ちたものであったのは疑い無い。
h380.jpg  元より知名度を活かして議席を得てから改めて政治活動に臨む順序を否定する謂れは無いものの、18歳投票を睨んだ措置としては世代差が大きいし、福祉票ならば他の団体候補者とバッティングしよう。沖縄選挙区の島尻大臣との相乗効果を狙うには中央主導色が濃過ぎるきらいがある。
 嘗て喜納生吉氏の選挙運動にあたっては、本来対価を求めるべく職業歌手の歌唱の無償提供は買収に値するとして二曲までの制限が課せられたと聴くが、党大会で一曲奏でる様なベタな演出が想像されて少し寒い。

h381.jpg  貸切バス界では全国有数の東京バス・グループの再編御披露目パーティにお招き戴いた。
 社長の幅広い交遊を反映して、政財各界からの決まり文句以上に角界あり学会あり芸能界ありの豪奢な顔触れに圧倒される中、恐らく着包みの構造上視野が狭いのだろう、バスガイド氏に手を引かれて場内を回游するゆるキャラのバスゴリ君も嬉しそうである。
 流石に相当に旬を過ぎたテツandトモのお二人は腹を抱えるには程遠く、残念ながら二曲披露戴いたバクステ外神田一丁目も、大食いのもえあず氏に全く予備知識が無かったので感慨を齋さなかったが、つんく氏作詩作曲の新社歌はアレンジが氏自身で無い為か社歌らしい作りではあれ、多様性に満ちたこの宴の締め括りには相応しいアトラクションであったろう。
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