コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

8月15日(火) 誰か素晴らしい人に  -地域情報 - 新潟県-

i45.jpg  結局フル稼働の三日間、晴れ渡る日は訪れ無かったのだが、恐らく新潟県下においても最大の夏のエンターテイメント場たるオーロラ・プールが徒歩圏内にも拘わらず、屋外がメインでは雨には勝てずと難癖を付けて津南まで遠征するとは我ながら酔狂に違いない。
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 距離的には上越とは比べるべくも無いものの、ひと山超える形になるので近隣とは言い難い。ただ無計画な道中に珍しく美しい情景に目を奪われて寄り道すれば清津渓との看板がある。世界三大ギタリストの敬称にご本人達は全く無自覚だろうし、青函トンネルが三大馬鹿査定とは異論も少なくあるまい。或いは永田町には四天王や五奉行は有名でも三羽烏が稀なのはより多くの有力者を競合させるには三者では少ないのかも知れないが、かく"三大"話しもまた戦前の日本三悪人の如くに時の経過、思想の変遷とともに移ろいゆく概念なのだろう。
 長々と鼎立の事例を掲げたのは、恥ずかしながら湯沢から程近くに日本三大渓谷に掲げられる景勝地が存在するとは露知らずだったからである。実際、中山間地の象徴たる棚田のみならず、小雨の霊感あらたかに丁度遥かに霧が掛かって、祐旭曰く「天空の城ラピュタ」の如くに幻想的な絵柄であり、看板に偽りは無かったと言えようか。

さてお目当てのクアハウス津南はネーミングから連想される近代性とは対局にある街の体育館の体裁だったが、プール以上にジャグジーが妙に充実していて侮れない。地球温暖化は回避しても水泳は常に温暖であって欲しいわが家には矢張り海水浴は不向きなのだろう。
i48.jpg  ひと山超えれば文化圏も変わろう、津南は上越市、十日町市とともに中選挙区時代は四区、現六区である。従って年金があり余っていた時代の遺構たるグリーンピアはじめハコ物に恵まれ、湯沢や刈羽村同様に中魚沼郡では唯一単独の町として生き残った秘訣は、田中先生のご遺考よりはコシヒカリの果実たろうか。途上遥か眺める信濃川も含め、豊富な自然や食文化はアグリツーリズムの対象としては紛れも無い利点だが、資源豊かなを津南町にしてなお地域活性化には資しても地域住民を増やす迄には至るまい。白銀に招かれても、町の暮らしは何故か寂しいかと問われれば現実には賛同し難いのが道理である。

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 クアハウスは流石に湯船はシャビーだったので、更に山を登り竜ヶ窪、とはベムラーでも現れそうな響きである。途上発掘した竜神の館は内湯から潜り戸を抜け、瀟洒な露天が拡がる造りからして実に優雅だったが、当然ながら撮影は叶わない。敢えてジャグジーに拘るのは記録性を求める父の性癖にも由来していよう。二匹目を狙ったラーメンは大蒜の選択が狙い過ぎだったが。
 山道をとって返し、夜は義父母の知人宅でこれも定番の流し素麺に始まりバーベキューの御相伴に預かる。ダイショーの焼肉の垂れが美味だったが改めて調べてみると、別に新潟名物ではない。
 ほのぼのとした花火大会を眺めてルーチンと新機軸の混在した三日間は暮れる。

8月14日(月) 釣るや釣らざるや  -地域情報 - 新潟県-

i42.jpg  帝都は未曾有の二週間を超える雨続きなのだから、想い出した様に小雨の舞う雪国の方がまだしもだったのかも知れない。 幾分出立を遅らせ、今日は定番に復してお馴染み中立のショートコース、軽く練習を終える頃には概ね雨足も上がる。ところが左転向後間もない祐旭が全く当たらず早々にギブアップとは、初ラウンドで200を叩いて二度とクラブは握るまいと怒りに震えた父の経験則からも無理強いは出来まい。哀れこのためにわざわざ新規導入した簡易人力カートは出番なく御蔵入りの憂き目を余儀無くされたのであった。

i43.jpg  気を取り直して午後は久方振りに湯沢フィッシングパークへと赴いた。嘗ては掴み取りに一喜一憂していた子供達も立派に竿を借りて釣りに挑むも、敢えて餌をイクラに止めたからでもあるまいが一向に掛からない。
 思い余って改めて不気味なぶどう虫を調達して開始から一時間余り、漸く祐旭が一匹獲物を吊り上げたものの、虫への不可侵度合いは父同様で餌付けを全面的に兄に委任する公資は、これも父に似て無為に時を重ねる「退屈」を心より忌避して只菅待つ姿勢にうんざり顔で、千載一遇の引きに逃げられたところで俄かに見舞われた豪雨に退散を余儀無くされる。
i44.jpg 濡れ鼠で竿を返さんとしたまさにその瞬間に上流では釣り上げられるべく胃腸を空にしているのであろう、魚達の新規放流が始まり、お盆混雑とはいえ釣果の少なさはタイミング故かとトリックが判明したとろこで最早後の祭り。鱒なのか判然としない貴重な一匹も喰わずに見ず知らずの他人に引き渡して退散した。

 定番の卓球を挟み、夜半にはこれもお馴染みの神社の縁日へと夜道を忍ぶが如くに訪れるも、日にちを間違えた様で深黒の中に橋梁下の墓場を拝むのみ、そのまま忍び足で退散した。
 已む無く再び気を取り直し花火に勤しむ。勿論、わが家近隣にて興じるにも支障は無いものの、矢張り花火は旅先が似つかわしい。毒性の強さで危険視される台湾の蚊には過剰な暑さの数少ない恩恵として殆ど巡り会わなかったが、幸福にも今日もまたキンカンのお世話になる羽目にも陥らず、今ひとつ何事も長持ちしない一日は何とか体面を保ったのであった。

8月13日(日) 海を見ていた午後  -地域情報 - 新潟県-

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 これまで十数年に亘り湯沢へは義父の運転に便乗するか、単身新幹線かだったのは、屡々父のみ短縮日程を余儀無くされる故の対応策である。しかしながら今般、公資の夏期講習並びにその予習復習日程を勘案した結果、久々に一家四人同一行程となった為、初めて自力で赴いた。午後出立のお陰で幸い渋滞も少なく三時間弱、東京都湯沢町と揶揄される所以を改めて体感した。

i38.jpg  足が確保出来たので、祐旭の夏休みの宿題のひとつ、石拾いを大義名分に、明けて早速遠征である。
 そもそも古代律令制以来、駅とは街道沿いに設けられた施設に他ならないと言われても、何と無く道路財源の流用先の如く微妙な印象があったが、今や「道の駅」と言えば新たな観光スポットと化しつつある。ここ上越市の「うみてらす名立」も海水を引き込んだ屋外プールとジャグジー付設の屋内が双璧で、海まで繋がっているのかと錯覚させるのは口上のトリックだとしても、水上を組んず解れつ球体内を巡るウォーターバルーンに取り込まれた子供達の姿は、恰もウルトラ作戦第一号に飛来した赤い球を彷彿とさせつつ、望外のはしゃぎっ振りであった。
 勿論、湯沢までの近さは即ち日本海への遥かなる陸路を意味する。しかも関越道を北上してから西征する為、飛ばしても二時間弱の行程だったが、それも北陸道が長岡まで繋がっている恩恵で、羽越新幹線を待っていたら百年可清であったろう。ただ実は湯沢と上越には国鉄予定線から北陸急行となったほくほく線が走っており、新幹線の順延までは急行はくたか経由が関東地方と北陸を結ぶ最短ルートだったのである。長岡駅13/14番ホームは最早幻のままかも知れないが、ここでも道と鉄路の拮抗の歴史が伺われようか。

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 折角上越に来たのだからと「直虎」には文はすれども恐らくは登場しまい上杉謙信でお馴染み春日山城を訪ねるが、広大な空間の隣にポツンとものがたり館が佇むのみで早々に待避し、平成に入ってから天守風の三重櫓が復元された松平家の高田城に臨む。政治評論家を僭称する身の上には格好の研究対象なのかも知れないが、戦国時代には大河ドラマを凌駕する程度の知識にも乏しいので、歴史的な意義は兎も角、再建であろうと城は建っていて欲しいのである。
 寄り道して遅い昼食となり、道すがら偶々入った「てるちゃん」のとんこつラーメンが矢鱈と子供達に絶賛されたのは、単にお腹と背中がくっ付いた状態だったからだげでは無かろう。

i41.jpg  して漸く本旨たる石を探しに、旅の締め括り総括審議は鵜の浜海水浴場と相成った。いきなり人魚の銅像が我々を迎えて呉れ面食らうが、佐渡から渡ってきた人魚に恋をした男の悲劇の伝説があると聞けば、田中先生の三国峠を吹っ飛ばして佐渡と陸続き、ではないが、どうしても"裏日本"と揶揄された日本海側の悲哀を想起せざるを得ない。
 一体如何なる石かは定かで無いものの、首尾よく数個調達していざ海へと思いきや、取り分け公資が足が砂だらけになるからと海水浴を忌避するとは現代っ子らしい行動である。ただ実は父も似た様な嗜好であり、だからこそ道の駅で疑似海水浴を済ませてきたとも言える。
 人魚館でひとっ風呂浴びて帰路に就く。充実した山の日翌日の"海の日"であった。

7月25日(火) みんながあなたのことを  -海外情報 - 台湾-

i3.jpg  そもそもサピックス夏期講習の合間を縫うので父よりもプレ受験生の日程優先だが、ハワイなら海と真珠湾、パラオは潜水、ケアンズならコアラにカンガルーと複数の目玉商品に対し、三泊四日の駆け足でも概ね堪能可能との観点から台湾に落ち着いたとも言える。
i4.jpg  して早くも最終日、遠乗りは諦め忠烈祠に、嘗てわが国統治期の護国神社であり、即ち今もなお台湾の靖国神社である。予備知識無く伺い門下に立哨する衛兵を眺めていると自然に前庭に招き入れられ、程無く更に七人の兵隊さんが行進入場してくる。
 規律正しく中央を闊歩するに連れ、観衆の喫水線も潮が満ちる様に繰り上がっていくのが面白い。愈々本堂まで到達すると儀仗銃を捧げつつ交換しつつ、こちらにも二人を残して五人で引き返す。バッキンガム宮殿の如く楽隊の無い分却って静謐であるし、朝一番は冒頭国歌も流れる豪華版であった。残念ながらわが国皇宮護衛官の交替儀式は警察組織でもあり仰々しくは行われないが、陸海空に共通した制服エリートへの登竜門たろうし、国民が軍の存在感や規律に親しむという意味でも有用だろう。
 流石に朝方は炎天下の鑑賞も然程苦にはならなかったが、交替した衛兵が門番に着任する時分には既にお馴染みの熱気に襲われる。スコールも御目見えし今や亜熱帯と化したと揶揄されるわが国を遥かに凌駕しているが、台風シーズンにも拘わらず全行程快晴続きだったのは暑くても幸甚と受け止めるべきなのだろう。

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 わが国なら家電の爆買いや医療ツーリズムであれば、台湾も飲食に留まらず昨今はシャンプーが新たな名物に浮上するとは、観光立国もサービス産業が死命を制するということか。
 残り少なくなった島紀行だが避暑も兼ねホテル近隣の美容室を目指し、観光ガイドに掲載されている割りに外観はおんぼろで一瞬怯んだものの、一転して店内は華やいでおり安堵する。
i7.jpg  頭皮マッサージを兼ねる実理性とともに座したまま泡立て、とくに女性はララーシュタインの如くに髪を逆立てるパフォーマンスが人気の秘訣であり、当然著しいコストも技術も擁しないからコロンブスの卵である。
 ロングタームの妻はそのまま残し、幾分サラサラ頭に変貌した子供達と総統府の外観のみ眺めてとんぼ返り。祐旭が東京駅に酷似していると看破した様に旧台湾総督府だが、結局わが国統治期来の遺構は旧台湾神社の圓山大飯店とともに痕跡を残せぬままに終わった。

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右は高雄のMRT
  至る処に専用レーンを仕立てたBRTも走っていたが、結局台北と高雄で試験的に一度ずつ地下鉄を利用した以外全てタクシー移動だったのは、都市の領域が狭く未だバイクも多くて渋滞が無いのに加え、どうやらわが国同様の距離と時間の併用制ながら、圧倒的にタクシーが安いからに他ならない。
i10.jpg  ドアこそ自動ではないものの一様に黄色に一括された姿は、羽田にて丁度黒や紺ばかり並んだタクシー乗り場に「一台もいないかと思ったよ」と二人して宣ったわが子の述懐を待つ迄も無く、五輪に向けユニバーサル・タクシーの仕様統一も遡上に登るわが国にとっても、示唆に富むものがあったろう。
i11.jpg  最後の昼餐はわが国でもお馴染みの天香回味とし、本場もまた舌にカレー風味を曲解させる香辛料は普遍であった。寧ろ醤油ベースの垂れだった一昨日の方が"台湾じゃトラディショナル"なのかは、小籠包六回に火鍋二回で結局純然たる台湾料理を賞味していないので判らない。

 帰路、こちらもわが国統治期の遺構と言えよう松山空港は同年に供用された板付飛行場同様に、極端に市街地から近い利便性が売りだが、手狭かつ騒音問題等から移転が遡上に登っているとは勿体無い。 「ここは松山~」とこぶしを回す公資の唄声とともに充実した旅は終わった。

7月24日(月) 小籠包に包まれたい  -海外情報 - 台湾-

h986.jpg  朝から蟒蛇の如くに腹に収めていく子供達には朝食バイキング付きは幸便だったが、父は茹で卵にスクランブルエッグ、残念ながらこれも名物の牛肉麺はどうにも出汁としてエキスを収奪された後の、出涸らしの草鞋を口に運んでいる様で、初日限りにて断念した。

 「以徳報怨」蒋介石総統閣下が今は亡き蘇連邦とは対照的に敗走する帝国臣民を解放したのは、勿論国共内線に向けた対応の一環ではあったろう。ただ現実に大陸を中華人民共和国に席巻され、反抗が叶わなかった結果として、東西冷戦の最先端に位置することになったわが国が早期の独立と、国防を駐留米軍に委ね経済復興に特化し得たとすれば、たとえ片想いであったとしても中華民国にそこはかとなき共感を抱くのは道理である。そして中国四千年の歴史の一部が、遠く重慶を経て搬送展示されているのがここ国立故宮博物院、三日目に至り極めて正攻法に回帰し、流石にこちらは要入館料である。
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 早朝から訪れたので目玉商品の翡翠の白菜には並ばず御目に掛かれたものの、豚の角煮が嘉義の別館に出張中とは残念だった。何と無く歴史展示が物足りなく感じられたのはそもそも書や焼き物の類に興味が無いからだろう。しかも自慢の庭も月曜休館とは御縁が薄かったか。
 更にドバイに続きスカイツリーにも抜かれて世界第四位に後退した台北101へと連日のタワー詣でとなった。
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 五稜郭にしろ、横浜にしろ、タワーと名の付くものには喜び勇んで登ってきたが、いざ高速エレベーターで89階に進んで摩天楼から地表を眺めても今ひとつ感慨が湧いて来ない。寧ろ91階の屋外展望台は柵だらけで到底展望には不向きだったものの、あと10階分のタワー先端を仰ぎ見たのが余程得難い体験であった。
 要は眼下に拡がる街道であれ建物であれ、或いは遠く臨む海山近隣の諸都市であれ、例えばあれが嘗てわが国最高峰であった新高山なぞと故事来歴あるアイテムを実見した事実に意義を見出だすのであって、単に美しいスペクタクルには重きを肯じ得ない性癖ということか。
h992.jpg  ダッコちゃんにも似たサンリオ作のゆるキャラ、ダンパーベイビーは色合いによっては「ちびくろサンボ」的な懸念を生じさせそうではあったが、帰路88階の下りエレベーターへの通路には辺り一面に宝石商が拡がり、高く昇れば舞い上がり財布の紐が緩まる訳でも無かるまい、些かサンシャイン60の亜流の様な、洗練とは必ずしも相容れない様相であった。

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ピサの斜塔でもタージマハールでも御馴染みの図
微妙にズレました
   さて小籠包も有名店にと永楽街に繰り出してはみたものの、わが国にも支店を有するそれは長蛇の列で、散歩がてら練り歩く気力・体力は熱気に奪われ、近隣で妥協したところ椎茸の味が強く道中ほぼ唯一の失策だったか。
 しかし転んでは只では起きず都市変遷評論家の顔に変じて地下鉄をひと駅試乗、JTBから与えられた台北版SUICAを活用する。中正記念堂はわが国統治期の歩兵第一連隊駐屯跡地らしく余りに広大で、照り返しの厳しさに遠く蒋介石閣下のお姿を仰ぐのみで早々に退散した。
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こちらにも101はしっかり写り込んでいる
 ここでホテルに戻り今般唯一のリゾート・モードは屋上のプール、妻はお買い物である。ホテルからも101はランドマークたる役割を立派に果たしているが、タクシー移動ばかりなので一向に土地勘は備わらない。

 夕刻は士林市場へと繰り出した。地下へ降りればケアンズの夜市を遥かに凌駕するキッチュさ、旧き良き亜細亜らしいと言うべきか、お洒落・小綺麗と言った賞賛とは正反対にある食堂街だが、確かに小籠包は安くて美味い。
 一階は常設化された的屋業の集合体の如しで、海老釣り、風船割り、射的にコリント型のパチンコと出店が並ぶ。麻雀牌を用いたビンゴが実に中華仕様であったが、収穫物はメザシの縫い包みとはこちらもシュールだった。
 到底耐震基準を満たしている様には見えないが、老朽化に伴い一旦仮店舗に移転した後、旧来の趣きを維持しつつ再び市場として賑橋を取り戻したらしい。畢竟、築地もまた本当に再開発されるならば、仲買売買施設としての狭義の市場性に留まらず、こういた夜市的なエンターテインメントや猥雑さをも包含する、「おんな城主 直虎」における気賀の如く市場擬きを目指すことになるのだろうか。
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 実は御出掛け前に揉まれて仕舞ったのだが、妻が散策中に発見したマッサージ店で揃って再び揉まれ、実に六店目となる小龍包に有り付く。思うにわが国のそれは比較的皮が厚くて寧ろ肉まんの領域に近いのに対し、本家は餃子との親和性が高いのが個人的な勝因だったろうか。

7月23日(日)-2 走れバイシクル  -海外情報 - 台湾-

h976.jpg 鄙びた街並みや明媚な風光よりは判り易いギミックを好む性向からすれば、航路拡大の為に敢えて半島を旗津島として切り出し、その結果観光地化したと言われても必ずしも食指の動く響きではない。
 港からフェリーにて約10分、沖合いに小振りとはいえ駆逐艦らしきが停泊しているのは、行政区画としての旗津区が南沙諸島をも管轄していると聞けば合点がいくが、船着き場に降り立てば辺り一面に並べられたレンタサイクルに自然と足が向かう構造になっている。
h977.jpg 電導自転車と言ってもわが家も長年愛用し、屡々盗難にも見舞われて来た足漕ぎのアシストにあらず、ハンドルのスターターを回せば滑走する四輪車だから明らかにわが国法規に照らせば所謂原付に他ならない。事実、貸与時には運転免許証を預け入れるが、旧宗主国条項が働く訳でも無かろうから合法であるかは問うてはなるまい。
 ただ風力発電も設置される風の流れの良さの中、車道を滑走すれば猛暑も吹き飛ぶ快適さと同時にこれ自体が立派なエンターテインメントである。幾ら貝好きであっても貝殻博物館を繁々と眺める趣味は無いが、海沿いに配置された魁偉な貝殻のモニュメントはキッチュでこれ又絶好の絵柄では無いか。
h978.jpg ところが好事魔多し、調子に乗って風車まで足を伸ばしたのが運の尽き、俄かにスピードが衰えて来る。慌てて踵を返したものの復路迷って漸く商店街に辿り着いた頃には風前の灯火になって来た。充電が切れれば単なる重い箱、EVの悲劇を遠く台湾で体感する羽目に陥るとは露も想像しなかったが、一家四人総出で交替しつつ人力で漕ぎ尽くし命辛々船着き場に帰還出来たとは、子供達も成長を遂げた証しであろう。

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 東京タワーにしろスカイツリーにしろ、古来より虚空に聳えるタワーは人間の飽く無き上昇志向の象徴であるとともに、都市の位置関係を把握する為のランドマークでもある。
 事実、フェリーからも高雄85スカイタワーの偉容は際立っていたが、タクシーから拝察する限り途上には実用性に乏しそうなオブジェばかり至る処工事の嵐である。しかしながらいざ東京タワーとほぼ同標高の展望台にセットされた、眺めるべく光景を模した図番には、須く完成形が恰も現在であるかの如くに掲げられているではないか。
 地表には試験的に導入された路面電車がHOゲージの如くに蠢き始めてはいるものの、どうやらタワー自体も空き家が少なくなく、都市の活性化に向けた成長余力と見るか、単にバブル崩壊宜しく工期遅延による夢の残砂と受け止めるべきかは微妙であろう。
h981.jpg  近隣のデパートの2フロアを占めるフードコートにて又もや小籠包、目の前には大戸屋が鎮座しているのは日本映画同様に日本食への人気を物語っていようか。わざわざ午後の日射しが益々照り付けるなか徒歩移動を選択したのは、三多商圏駅に直結しているからに他ならない。
 ここからは敢えて地下鉄(左写真車内)に乗ってみた。切符の替わりにプラスチックの丸コインを投入する手法は印度も同じだったから亜細亜では一般的なのかも知れない。

 左営駅に帰ってきた。再びバーコードを翳すも改札に弾かれる。どうやら指定特急券は凡ゆる自由特急券の権能を内包するわが国と仕様が異なるのは、矢張りハイブリッド種故か。止む無くみどりの窓口に並ぶも指定は既に満席、では終点だからと自由への振り替えを求めると、あろうことか差額を返金して呉れるではないか。しかもご丁寧に一本早い次のひかりの時刻まで教授され、良心的かつ親切である。
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 いざホームに登り或いは大陸ならば血で血を争う席の争奪戦が繰り広げられようかと身構えたものの、皆整然と列を為し全くの杞憂であった。途中駅からは自由席の通路にも乗客が並び、日曜の夜とはいえ経営危機も憂えられながら先ずは順調な需要振りである。
 振り返れば確かに解説が無いので小ネタを仕込むには不都合だったが、何よりもコスト面から、また縛られず自由気儘な行脚という意味でも非ツアーは正解だったのではないか。

 台北に戻りその足で火鍋を鱈鰒喰らい、丁度隣のタピオカも賞味する。「世界発 現場でタピオカ作り」なる日本語のコピーも鮮やかだが、杏仁豆腐にしろ周囲の液体の甘さに相違して本体の味が稀薄な食物は苦手で、折角の台湾名物を哀れ残して仕舞った。いい加減便秘続きの胃腸が許容の限界を迎えていたのかも知れないが。

7月23日(日)-1 地底超特急 南へ  -海外情報 - 台湾-

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 台北駅は国技館にも似た佇まいの堅牢洪大な総合駅舎である。昨日ホテルに草鞋を脱ぎ、ケアンズではレストランの予約迄もおんぶに抱っこだったJTBツアーデスクを真っ先に訪れたものの、あろうことか土日は人手が足りずチケット手配が叶わないとはとんだ喰わせものである。止む無く見る限りセブンイレブン2対ファミリーマート1の割合で点在しているコンビニの画面案内に従い、半信半疑で印刷したバーコードを改札に照らせば案ずるより産むがスムースに構内に滑り込み、見渡せば空港の如く近代的な造詣に対面する。
 折角なのでと大枚叩いた「商用」即ちビジネス=グリーンに居を据えると、程無く車窓にはわが国かと見紛うが如き辺り一面の水田が拡がり、僅かに彩る木々だけが南国モードを物語っている。
h984.jpg ただ都市部に一直線に線路を引いたからだろうカーブすら希少で、かの中国リニアの様に加速するに連れ増大する揺れに身に迫る些かの恐怖感も皆無であり、元よりわが国技術の高さの証明には他ならなくとも、とくに前半戦は隧道ばかりで観光路線としては物足り無さは否めない。
h975.jpg 何よりも路盤や制御システムは欧州仕様で出発し、上物だけJR東海が鳴り物要りで逆転受注した混血児にも拘わらず、グリーンにはパーサーがお絞りを運び、前席の背中には"台湾のウェッジ"と囁かれているかは定かで無いが雑誌が据え付けられる、グリーン車のサービスまで完全に瓜二つで、視察対象としては物珍しさに乏しかったと言うのは無いものねだりだったか。

 台湾第二の都市、高雄が先住民族の地名の音にわが国統治期に宛字で高雄の字を誂えたエピソードは有名であろう。
 しかし観光バスが我々を待ち受けてはいないので、逡巡もせず行き当たりばったり向かったのは蓮池潭であった。いきなりジグザグの廻廊を亘り龍の胎内を潜り抜け、五重の双搭の片割れに登り文字通り蓮だらけの湖面を睥睨すれば、吹き去る風が快適である。今度は虎を通って元に戻るのだが、龍虎だけに「おいしいですね」と呟いてみても最早わが国でも通用しない呆けだろう。況んや高雄においておや。
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 東洋人ですら異国情緒を掻き立てられる絶好の撮影スポットであり、絵に描いた様なエキゾチズムは貴重な観光資源に他ならず、少し歩けば今度は横たわる龍が我々を待ち受け、幾分小振りな双搭に観音様までトッピングされた春秋閣が現れる。遥か向正面には得体の知れない巨大な神様も鎮座しているのが伺えるが、惜しむらくは日照りが強過ぎて到底徒歩行軍に及ぶ気力は湧いて来ない。
 しかしこの広大な空間は何等かの宗教性を帯びているとしか思い難いものの、かの関羽雲長を祀る廟こそあれストレートな神社仏閣の類は誂えられていない。或いは土着信仰とはかく形而上のアイテムに囚われない仕立てなのかも知れない。

7月22日(土) 神は隠さず  -海外情報 - 台湾-

h965.jpg  朝8時にわが家を出立し、現地時間13時には台北に降り立っているのだから、凡そ半世紀に亘るわが国統治という事実を措いてなお台湾は掛け値なしに近しい国である。
 想えば2011年のグアムを皮切りに、バリ島沖縄ハワイ北海道パラオ、そしてケアンズと、祐旭が受験生だった2015年を除いて外地や海外に赴いてきたが、実に非リゾート地は初めての選択であった。
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 辺りを見渡せば多少なりとも郊外なのだろうか、亜細亜風と言うよりは疎開の如く、蘇洲夜曲の奏でが似合いそうとの感想は明らかに年代的にそぐわないものの、スクリーンに映し出された様な光景が散見される。しかしながら程無く中心街に至れば絵に描いた様な先進国が現れた。

 従って極めてオーソドックスな家族旅行宜しく名所旧跡からスタートする。孔子廟は公資の命名の由来のひとつ、と言えばルーツを探る道程の如く美しかったが、実態は全く無関係である。とは言え大陸の菅原道真として太宰府の替わりに受験生が詣でるには相応しかろう、何故か客引きに極めて積極的なお札の即売ならぬ即書コーナーにて公資は当然「学業精進」、祐旭は「夢想成真」と若干叙情フォークの如しだが認めて貰う。
 続いて定番中の定番の龍山寺は、東南亜細亜の上座部ほどではなくとも、仏教ながら多分にアミニズムが移入された様な混淆振りには面喰らうものの、寧ろわが国の佗び寂びを極め華美とは対極に位置する寺院の方が世界的には奇異なのかも知れない。 丁度夕刻の日行のタイミングだったのか参拝者が須く南無阿弥陀仏を、読経と言うよりは賛美歌の如く吟い続けており、祭り宜しくハレの空間を形成するのもまた日常に同化した宗教の有り様なのだろうと得心しておいた。

h968.jpg  夕刻からは早速バスに揺られて約一時間の小遠征である。わが国統治時代の金山跡が由来であり炭鉱の街同様に思い切り寂れた後に、急傾斜故の段差豊かな斜面地建造物群がレトロな風景として映画のロケ地として注目を集め、結果的に観光地として一斉を風靡することになった波瀾万丈の地、九份である。
h969.jpg  加えて映画「千と千尋の神隠し」の舞台とのまことしやかな風説が流布され、スタジオ・ジブリからは公式に否定されているものの現地では敢えて噂が拡がるままにしているのだろう、今やわが国の台北観光最大のメッカとなっている。
 亜熱帯気候故に油分豊かな調理が好まれ、それを中和する為の居並ぶ茶店もまた台湾のアピールポイントのひとつだが、「泣かないで~」と館ひろし氏を気取りながら中国茶を啜る嗜好は無いものの、多くは中華料理店もまた兼ねているから混まない内に小籠包にあり付く。焼売は崎陽軒を至上に仰ぐ一方で、餃子はみんみんも正嗣も拘りなく平らげる私も小籠包には疎遠であったが、明らかに本邦より美味に感じられるのは本場たる先入観の為せる業だろうか。
h970.jpg 勿論、湯婆婆の館のモデルとされている阿妹茶酒館やその向かい合わせで絶好の撮影ポイント、海悦楼茶坊は混雑の極みなので別の店舗だったが、幸便に四階窓際の席に案内され、台湾麦酒が薄くて夫婦共々恐ろしく口に合わなかったのを除けば、夕暮れの海を臨む絶景に早速祐旭も携帯の待ち受け画面に採用しており、常日頃の如く満腹中枢を惑わせるが如く過剰な注文に散財するのであった。 ただ何れも煌びやかな、有り体に言えば派手な仏閣二者に対して、確かに日本人が好みそうな情緒性に富んだ趣きには違いないが、逆に言えば必ずしも中華イズムらしからぬ風情であり、これが台北最大の観光資源とは間釈が合わない感無きにしもあらずではあった。

 ツアーの起終点がマッサージ店なのはJTBの策略だろうが、見事に乗せられて揉まれて帰る。元より観光客向けだから台湾式を称しても過剰な痛みは伴わないが、泰王国の様な安価には程遠い。観光客料金と言えばそれ迄だが、総じて物価は高く、逆に観光スポットが何れもロハだったのは産業としての観光立国に未だ潜在成長域を残していると読むべきなのだろうか。
 ただ振り替えれば結局この初日の夕刻が最初にして唯一のツアーとなったのは意外な展開だった。

5月1日(月) 中乗りさんは何処  -地域情報 - 名古屋・愛知-

h900.jpg  名古屋に在住したのは小学六年からなので祖父母に連れられた下呂温泉を除けば、愛知近隣の観光地は殆ど訪れたことが無い。従って年末の長島然り、今般犬山も新鮮である。
h901.jpg  昨夜に引き続きてんこ盛りの朝食にはカレーきしめんも戴き、一路犬山城へと登城する。城フリークではないので見聞に乏しいが、思いの他狭く感じたのは大阪やら名古屋やらを見慣れた為で、江戸以前から残る国宝の天守閣はこうした規模が当然なのかも知れない。
 最上部の外回廊の周回は小学生期に訪れたピサの斜塔ほどの恐怖感は無かったが、ケアンズのアスレチックを彷彿とさせ、安全規準に煩いわが国らしからぬ仕掛けだったか。


 実は犬山には昨年も一瞬闖入し明治村は賞味済みなので、続くターゲットはモンキーパークと相成った。開場前に到着し、係員氏の「昔は県道まで車が溢れて臨時の職員が交通整理に出向いたものだが」との遠くを見詰める様な述懐にも触れたが、確かに平日の旅とはいえ黄金週間とは思い難いひっそりかん、1962年開業の最寄り駅からの足となっていたモノレールも既に駅舎跡のみの巨大なオブジェと化している。
h902.jpg  しかも俄かに雨足が及び、ずぶ濡れの中に臭気著しい猿と戯れるのは、何故か動物好きの子供達に存外に悪評はないものの、父にとっては苦痛極まり無い。ただ旭山動物園の成功以来、動物を本来の生態のままに来場者と触れ合わせる常套手段はここにも波及しており、連れ立ち雨宿りするワオキツネ猿を一網打尽に撮影出来たのだから何が幸いするかは分かるまい。
h903.jpg  元より猿とその仲間達だけでは幾ら世界各国から集っていても早々に飽きが来て、昼前には切り上げてかの一見さんお断りで名高い名門・蓬来軒の暖簾分けたるひつまぶしの店に急行、父は当然蒲焼き御飯だが、妻子には好評で大枚叩いて消費拡大に貢献したのである。


 犬山探訪はまだ尽きないとは流石に名古屋五摂家・名鉄グループの築いた一大観光地だけあるが、何と無く東武ワールドスクエアの亜流を想像していたら、いきなり猿人・原人・新人の進化の過程を見せられ、成る程モンキーの延長線上かと妙に納得したのがリトルワールドである。
h905.jpg 屋外には諸外国の建物が移築されているという点では寧ろ明治村の同巧異曲なのだが、ペルーやインドの代表的な家屋を並べられても兼高かおる気分には到底及び難く、海外旅行が高嶺の花だった時分の万国博を想起させるものの、今となっては些か子供騙しの域を超えていない。
h904.jpg これだけでは撮影スポットにも乏しいので、気の進まない公資をすっぱいチュウで釣ってアフリカ人に扮してみたが、お着替えおひとり様300円は確かにお手頃とはいえ、もっと思い切りマイナーな新興国家を追加するなりひと捻り欲しいところではあった。
 戦国の世から猿の軍団を経て世界まで、駆け足の時間旅行でした。

4月30日(日) 摩天楼ブルース  -地域情報 - 名古屋・愛知-

h895.jpg  さて明けてこの日はスーツに着替えて豊田市へと向かう。雑魚寝した父母の家から地下鉄に万博のレガシィたる新交通システム・リニモ、更には旧国鉄予定線改メ第三セクター路線と、公共交通機関不毛の地において果たして自動車を用いない移動が如何に大仕事かを実証してみたが、流石に早過ぎて二時間近く前に到着して仕舞った。
 して目的地の豊田スタジアムまでてくてく歩き始めたところ、背後に街宣の音がスピーカーから奏でられる。黄金週間にも拘わらず大義なことと聞き流そうかと思いきや、響き亘る声には聞き覚えがあるではないか。
 実に本日会合の主宰者の御仁がいきなり駅頭に現れたとあらば足を留める他は無いが、幾ら眼を凝らしても辺りに人はいない。やむを得ずそのまま俄か聴衆と化したが、都市部なら定番の駅頭演説もかく宛も無い労苦のひと駒に過ぎないのかと、自動車社会における政治活動の難しさに期せずして直面したのであった。
h897.jpg  ただ程無く旧知の秘書氏も現れ、スタジアムまで事務所車に便乗し、かつ車寄せからの導線確認まで同行して見事随員の本分を果たし得たのだから、行き掛けの駄賃には終わらず早行きはまさに三文の得であったろう。
 お目当ての豊田スタジアムでは華やかにガーデニング・フェスタが挙行されているが、元より園芸振興対策議連の寄り合いにもあらず、上官の会食のアテンダントに他ならない。それでもグラウンド・レベルから天然芝にも触れ、貴賓室から見下ろす眺望と古の大阪球場もかくあらん天外魔境の絶壁擬きの客席も賞味するプチ視察にあり付いたのだから、半日強の休日出勤も役得だったか。迷路の如くスタジアムの内部もまた都市変遷評論家・野球評論家には興味深いものだった。二年後の闘球W杯会場としては、駅までの微妙な距離感が大量の搬送において若干ながら懸念はされるものの。

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 病院にとって返して一家と合流しここからは再び黄金週間モード、犬山市へと向かった。
 敢えて名鉄の牙城にも拘わらず木曽川を超えた対岸の岐阜県側に宿を定めたのは「家族風呂」に牽かれたからであったが、その予約を巡りひと悶着あったのは温泉街としての凋落振りを体現するホスピタリティーの減退故だったのかも知れない。
 ただそれを除けば山の幸のみならず中部地方らしいと言うべきか味噌料理に海老フライと夕食も盛り沢山だったし、谷間の休前日外とはいえ合理的なお値段設定だったろう。温泉宿らしい卓球台こそ存在しなかったものの、カラオケにも興じ、夜半の露天風呂から遠く眺めるライトアップされた犬山城も乙なものだったのではないか。
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