コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月8日(金) 俺、参上  -ゲーム - 将棋-

i178.jpg  小学校低学年の頃、初めて将棋に触れたのはひみつシリーズの「将棋のひみつ」だったろう。巻末の棋士一覧には大山、升田の両巨頭は元より塚田正夫元名人らお歴々が健在であり、既に時代は中原名人の絶頂期を迎えてはいたものの、升田幸三氏の名人・九段・王将の三冠や大山康晴氏の五冠が棋界の歴史的業績として掲げられていたものである。
 時代は下り羽生善治の全タイトル制覇が話題となったのは95年である。この七冠独占だけでも未曾有の偉業に他ならないのに、この度遂に永世七冠に到達した。各タイトルとも永世位は概ね連続5期か通算10期が必要であり、要は年がら年中タイトル戦を闘い、その大半に勝利を収めなければ為し得ない。
 現在は九段→十段戦を発展解消した竜王が賞金額から最高峰とされているが、その歴史と伝統からしても名人位は別格であり、 永世位も名人だけは終身世だった江戸期から数えて代数で現されている。だからこそ昨今は煩雑な交替が見られるものの、木村義雄→大山→中原→谷川浩司→羽生善治と一時代を築いた棋士により長期に亘り継承されて来たのは、順位戦という堅固な枠組みの賜物でもあろうが、第一人者が名人位防衛に懸けるエネルギーの現れに違いない。
 逆に言えば他の棋戦へのパワー配分は小さくならざるを得ないから、大山氏の旧十段含め永世五冠、同じくは中原氏の四冠は別格で、永世名人戴冠では羽生氏を逆転した森内俊之氏も、先代の谷川氏も他棋戦ではひとつも永世位を獲得していない。
 にも拘わらず七冠独占から二十年余を経ての偉業とは、要はこの間最高峰に位置し続けたのだから空恐ろしい。大山十五世が69歳で亡くなるまで現役A級を続け、"ひふみん"加藤一二三元名人の53歳復帰、62歳までA級を維持した時代とは世代交代のスピード感が大きく異なっている。
 確かに40歳限界説すら唱えられた一時前に比べればA級に40代が七人並ぶ現在は過渡期なのか、或いは羽生世代こそが将棋という競技そのものを切り替えた節目であったのかも知れないが、ライバルとされた森内十八世は既にフリークラスに転出して一線を退いているのだから、矢張り羽生氏が化け物なのだろう。
 ところでこの報道で実は永世七冠が全タイトル制覇でなく八冠目、「叡王」が誕生していたことに気付いたのだから、とても将棋評論家は名乗れまい。
i177.jpg  話題になった電王戦の後継とはいえ、肝心のAIとの頂上決戦は事実上帰趨が見えたため、新聞主宰ばかりだったタイトル戦にネット動画という新たなスポンサーが現れた点は棋界として喜ばしいものの、何故いま新タイトル戦かという意義自体には乏しく、羽生氏に新たなモチベーションを与える人参の如く展開になったのは皮肉である。早速、叡王の永世位条件はと問うのは気が早過ぎるし、実際まだ決まっていないのだが。

 体力に著しく乏しい訳でもないのだが、可能な限り週に五日を会食で埋めるのは回避している。ところが今週は珍しく全日当選で、しかもそれなりに名のある方ばかり続いたので気が重かったが、却って自ら酒量をセーブするからか存外に宿酔いも僅かに乗り切れた。
 流石に土曜は喰っちゃ寝でしたが。

12月4日(月) 坂の下の門

i173.jpg  天皇陛下のご退位は平成31年4月30日に決着した。年末や年度末を避けたのは皇室行事や統一地方選をはじめとする諸日程への配慮だろうが、敢えてひと月しかない新年度を平成31年度と称するのは二度手間であっても、改元当日に全て切り替わりでは予算書の印刷ひとつも支障を来たしそうだから寧ろ現実的であろう。
 この平成31年のカレンダーを見ると4月30日、5月1日、2日は平日で丁度黄金週間の狭間になる。ただ平成最初の日であった平成元年1月8日は偶然にも日曜日であり、前日に昭和天皇陛下が崩御されての改元であるから過去例には当たらないとはいえ、新元号の初日は祭日扱いになることが予想される。即ち前後と併せて十連休の黄金週間と祝祭に相応しくなるがが、海外旅行が増えて新しい時代の幕開けをわが国において迎える国民が減って仕舞いそうなのは痛し痒しかも知れない。
i174.jpg  元よりかく措置が図られても一年限りの特例に他ならないが、早速取り沙汰されているのは天長節の取り扱いである。皇太子殿下の2月23日が新たに祝日となるのは自明だが、これは翌年からである。問題は今上陛下の12月23日で、畏れ多い話しだが平成への移行にあたっても4月29日が祝日でなくなれば黄金週間に穴が空くといった指摘があったが、12月23日が祝日になった最も大きな国家的な影響は、昭和の時代は早くてもクリスマス、下手をすれば年末まで大臣折衝が続いた予算編成が確実に22日までに決着する運びになったことではないか。
 勿論、その効用を無に帰さない為にもと言うのは不敬の極みだが、慣習法的に定着していることからも何等かの形では祭日となろう。とはいえみどりの日を経て昭和の日となった前例に倣い、ストレートに平成の日とすれば、はてその前はと連想が及ぶのは当然である。
 カレンダーを確定させる為には祝日法を来年改正しなければならない。文化の日の名の元に戦前の明治節は健在であり、奇しくも来年は明治維新150年であることに鑑みれば、思い切って「明治の日」への復辟、文化勲章授与はじめ既に"文化"も定着していると言うならば「文化の日(明治の日)」でもいい。
i175.jpg  そして酷暑を避けて敢えて二ヶ月遅れの10月31日とされていた大正天皇陛下の天長節だが、実は大正期は当日の8月31日も祝日扱いだったから、こちらも「大正の日」とすれば夏休み最終日が一家揃ってお休みとは素敵なプレゼントではないか。

 と勝手な妄想を繰り広げているところで、政府首脳のお話しで皇居乾通りの一般公開が行われていることに気付く。仕事柄宮内庁に赴いた経験はあるものの、丁度このタイミングで訪日した外国人には絶好の機会に他ならなかろう。ただセキュリティ上当然とはいえ宮城は遠く眺めるのみで、これが室町以来の江戸城の大元かと感慨深く道灌堀を眺めても、元より色弱のため紅葉の美しさを常人程に味わい難いハンデも否めないとはいえ、正直なところ「皇居」の文脈には些か遠い。
 中途から二ルートに分かれるので右折してみたが、東御苑は通常でも公開されており、天守台に登ってもこの上に建物があれば曾ては江戸湊まで見渡せたのだろう、と想像を逞しくする以上のものではない。そもそも東御苑に入ってからは順路も明確でないのですぐそこに下界が拡がっているのに幽冥境にする門に辿り着けず迷って仕舞い些か焦りはしたが、迎賓館も貸しホールとして開放するなど、国民が広く皇室を身近に感ずるひとつの手立てとしてはよい試みではないだろうか。平日は存外に空いてました。

6月27日(火) 若さゆえ  -趣味・実用 - 将棋-

h947.jpg  将棋に最も打ち込んだ小学生時代、棋界の巨星は三十路を越えたばかりの中原名人やその少し上の世代にあたる米永、内藤、加藤一二三といった面々だったが、病気休場がちとはいえ升田元名人や大山十五世といった還暦近くの御歴々もA級に健在であり、現に大山氏は69歳で亡くなるまでその地位を保っていたものである。
 翻って現在のA級最年長は47歳の佐藤元名人であり、B級1組まで拡げても50代は谷川十七世のみ、46歳の森内十八世がフリークラスに転出するまでに、ベテランの生き難い世界になっている。
 元より「連勝」自体は、各棋戦に予選から参画するが故に対局間隔が短く、かつ対戦相手に大物の少ない若手に有利なのは疑い無く、現に前記録保持者の神谷現八段、その前の塚田現八段も20代で樹立している。
 ただその両者が特定の新戦法を糧に文字通り破竹の勢いで成し遂げ、結果的にその対応策が編み出されてからは必ずしも第一級の戦績を残しているとは言い難いのに対し、今般藤井四段は棋風も定まらない内に勝ち進んでいるのだから、まさにプロ初勝利の相手となった加藤一二三氏宜しく「岩戸以来の大天才」と化す伸び代は大いに秘めていよう。
 とくに藤井氏は大局観の鋭さが指摘されているが、本来ならそれは対局を重ねた経験則から導かれるものであり、だからこそ少なくとも嘗ては寧ろ終盤乱戦に持ち込んでからが腕の魅せ処たる、ベテラン優位な領域が存在した筈である。今やチェスに続き人間との優劣がほぼ決着したAIも、ベースがディープ・ラーニングである限り本来は同じ構図であろう。
 にも拘わらず経験則に欠ける、若しくは恰も勘が鈍るからと議論を好まなかった小泉元総理の様に、蓄積が無いからこそ天啓の如くに湧き出る大局観なるものが存立し得るということか。だとすればその構造の解明こそがAI開発のひとつの道標なのかも知れない。
 泉下の灘九段に伺ってみたいところである。れんしょうだけに。

11月27日(日) 帰ってきたカップ  -スポーツ - ゴルフ-

h756.jpg  出向時代には要人の名を冠して「○○カップ」と称するゴルフコンペは複数存在したが、何れも主たる面子が卒業して企業人に回帰すると自然消滅するのが習い相場だった。その中で我々もまた先人から引き継いだひとつだけが命脈を保っていたのは、囲まれる主賓たる御仁故たろうか。
 残念ながらここ数年は休眠状態だったところ、期せずしてとんとん拍子で今般復活の運びとなり、三組にて執り行われたのは幸便の極みであろう。
 折角だから出来る限り要人との同伴の機会を増やすべく前後半入れ換えを試み、スルーのため三組から一組への早変わりは物理的に不可能との制約に、事前に組み合わせに頭を悩ませてなお幾分忙しい小休止だったが、無事終焉後の宴会でも日本酒を煽り、元同僚氏のご相伴で爆睡して帰還したのだから大団円であったろう。
h757.jpg  新調した小振りのカップは参加者の中で最も先任かつ圧倒的に技量の高い要人氏が予想通りベスグロとともに獲得され、空気を読んで戴いたのかは定かで無いが、三人参加戴いたうちの現役おひと方が見事ブービーにて次回幹事とは、まさに謀った様な美しい結果に他ならない。
 残念ながら個人的には漸くドライバーが安定復調した替わりに、とくに後半は存外にと言うべきかゴルフ場としては本来あるべき姿なのだろうが長目のラフに悩まされ、取り分け得意の筈のウッドが奮わなかったのが敗因であった。
 オーラスでボギーを期して執念でボギーを拾い百獣の王は回避したものの、結果から見れば10月末の96から華麗にスタートし、二度の祝日を挟んだとはいえ実に11月は4ラウンドを数えた怒濤のひと月は、少しずつ成績を落とす不可解な顛末であった。
 少なくともアプローチは小慣れて目分量に長けても良さそうだが、年間30ラウンドの壁を過剰に意識した試みは体力的な綻びを齊すのみならず、次回が至近だからこそ雑になりかねない弊害を呼んだとも言えよう。
 当分選挙も無さそうだし、来年は安定的に月二ラウンド程度を目指そうか。

3月16日(水) 民進くん  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 賃上げがかく注目を集めるのはデフレ続きだった21世紀のわが国経済においては経営側にとっても面映ゆい悲鳴には違いなかろうが、登場するアクターとして経済団体・業界団体が形を潜めたのはバランスよりも業種・個社の実績に応じた個別対応が定着したからであり、必然的に総資本対総労働という文脈におけるカウンターパートたる連合の存在感もまた希薄になっている。
 寧ろ政府が成長の果実の分配に依る好循環の音頭を取り、企業間の替わりに企業グループ内、平たく言えば"系列"におけるベアの横並びならぬ縦並びが推奨されるに至っては、些か修正資本主義の香りが濃厚に過ぎるものの愈々日本型コーポラティズムも成熟の域を超えつつあるとも謂えよう。
 元より春闘を政治闘争に援用した総評政治部としての社会党が労働者を代表する政党のあるべき姿だったとは思い難いが、少なくとも社会党を源流の一部とする社会的なニュアンスにおける"リベラル"の党の影が一向に浮かび上がらない往時との好対象もまた、二大政党制に突き付けられた国民からの疑問符と平仄の合ったものなのだろうか。

h419.jpg  勿論、全く影響力を発揮し得なかったとは言い過ぎだろうが、新党問題が変転を余儀無くされただけに本業がお留守になったが如く世評受け止められたのは得策では無かった筈である。
 そもそも民主の看板に拘るのは20年の歴史への敬意のみならず来るべき参院選に向けた現実的な要請であり、自由民主党もまた公募による決定だったと被合併側からの助け船に乗りつつ「民主」に準拠した落とし処を探るべくところ、蓋を空けてみると支持者からも「民主党は嫌い」と広告通りの烙印を押されて仕舞ったのでは立つ瀬が無かろう。
 結果として耳馴染みのある様な無い様なネーミングに落ち着いたが、新進党が新党ブームの集大成としての「新・新党」からの語呂合わせと揶揄された以上に、「進」は一体何処から現れたのかは判然としない。
 "国民とともに進む"という尤もな解説こそ施されてはいるものの、中華民国のそれも新進党の当初案も英訳にはなProgressiveを充てており、即ち一般代名詞を超える意味合いは求め難かろう。ただだからこそ敢えてInnovation=革新といったイデオロギーに拘泥しない構えを政府・与党へのアンチテーゼと捉え、野党結集の旗頭に徹する短期決戦の構えを明瞭に出来るとすれば瓢箪から駒と捉えることも出来よう。
 民主主義を守りたいと大上段に構える前に、先ずは議会制民主主義における代替の受け皿に徹する気概を、民進党には求めたい。

10月5日(月) サンテミリオンには手摺がある  -旅行 - ヨーロッパ旅行記-

h210.jpg  二日連続同じコース、同じ顔触れでラウンドとあらば最早サラリーマンの出張ではなくゴルファーの遠征であり、寧ろ予選落ちしたので序でに国際会議にも出ましたというノリになるところだったが、幸か不幸かこの日は別動隊に潜り込み水月会ならぬ日月会参画は回避された。
 リゾートには違いないがゴルフ場に宿泊している様なものでは海外出張恒例の朝の散策も成立せず、水ひとつ買えないのは不如意極まりなくとも身体には優しい9時発となる。
h211.jpg  ローマ帝国以来の葡萄の産地であるサンテミリオン地域は中世の街並みを色濃く残す、ボルドーと同じく世界遺産に登録された聖地である。到着して早速街の名の由来となった聖エミリオの幽閉された洞窟脇に佇む、石灰岩の一枚岩と木材のみで編まれた教会を拝む。その裏から眼下に街並みを眺めるのが定番(左写真)だが、グランドキャニオンに柵が無いのと同様に、サンテミリオンには階段が無く石灰岩つるつるの石畳の坂道はわが国ならば道路局に苦情が殺到するであろう。
 本来ならば街並みを堪能すべきところ小市民の浅はかさ、高尚な醸造元過ぎて到底小売りは叶わず昨日逃したお土産ワインの物色に早速黒猫の看板が頼もしい店舗へと飛び込み、既に毎日飲んでる上に気前よく大人買いである。30ユーロ前後二種類の赤を三本ずつ、同行者の仰せのままに財布を紐解くと、大蔵省と勘違いされたかおまけにと手に取ったゴムの注ぎ口は計16ユーロながらロハで宜しきとは頼もしい丼勘定ではないか。
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 昨日からの肌寒さもゴルフ組は中断を余儀無くされたと聞く唐突な俄か雨が上がれば寧ろ暖かさに転じ、予報では終始悪天だったにも拘わらず遂ぞ旅程を通じて雨の被害が最小限だったのも幸運極まりなかったろう。
 ボルドー以上に葡萄の成る位置が低く、幾ら土壌の都合とはいえ極東のさる自動車会社なら工程改善の号令が響き亘りそうだが、実際腰の負担に労賃はお安くないらしい。鱈腹食べて鱈腹飲んで、13時過ぎには完了と念押しして巻きに巻いてもラテン系気質なのだろう、幾ら雄大な食文化でも分刻みのわが国三次産業的感覚には則さない。ただ迂闊にパスタを頼んだりすると味が薄くてげんなりするし、昼から二時間掛けてフルコースを味合う様な優雅さが無ければこの国は堪能出来ないのだろうが、わが方は足早にバスに乗り込まなければならない。街中は信号機の連動も芳しくないのか渋滞を勘案する早めの行動が大和魂である。
h214.jpg  中世の街並みとワイン精製に特化し、ワインと観光で潤う街が旧英国領という出自に由来するとは皮肉ではあるものの、地続きの欧州らしいとも言える聖地であった。

 スーツとネクタイに召し換えて今日もここから公式行事の中の公式日程、ITS世界会議 in ボルドーの開会式がやって来た。とはいえ冒頭、謎の登り棒マッスルマンのパフォーマンス以外はただでさえ話の長い仏人の、高度交通システムの専門的な解説を通訳無しの仏語で拝聴するとなれば退屈を通り越して苦行に近い。それでも昨日の副市長様自らVIP席にと二階へと誘われたとあれば無碍に退席もままならず、抜け出して開場周辺の散策をとの目論見はおじゃんである。
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左はフォアグラ、右はメインの肉、今日は大人し目
 夜も珍しく重鎮相互の会食に本席末席に闖入したため市内の「月の港」と賞賛される美しい夜景も、肝心のブルス広場を内側店舗から臨むに留まりゴシックの建造物は帰路のタクシーで一瞬拝むだけだった。
 又もやフルコース、又もや長の宴、端から食文化にもワインにも執着が無い身の上には些か酷な風景の素通り続きで今日も漆黒の闇にひとり聳えるリゾートへと帰還する。早くもボルドーの夜はオーラス、わが国から持参したおかきと茶の土産の余剰を大量に抱えたまま、パッキングに勤しみ床に就く。眠りに落ちるまでに日本の朝は来ないからメールに悩まされないのは幸いだったろう。

10月4日(日) ワインボトルを抱きしめて  -旅行 - ヨーロッパ旅行記-

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 前夜、フロントにモーニングコールを告げると「5時?」と反復される。10月後半までサマータイムのフランスの夜明けは遅い。漆黒のなか7時に朝食を摂り、まだ夜も明け切らぬ8時前にスタートホールへと歩を進めた。
 そもそも外遊は昨年を以て卒業予定だったところ随行者の必用条件として時差調整の大義名分を以て真っ先に棒振りが掲げられてお鉢が回ってきたのだから重大な職責には違いないが、芝刈り歴十五年余にして初の海外遠征とは有り難い役得である。
 とはいえ欧州らしくセントアンドリュースの様なリンクス風情と言えば美しいが、わが国の感覚では河川敷に近い代物に他ならない。元よりわが国におけるゴルフ競技が必用以上に金満化しているのかも知れないが、辺り一面の手引きカートの中に当方の二人乗り電導二台が寧ろ異様であり、36ホールが入り乱れているにも拘わらずの放置プレイで次ホールを探索するのもひと苦労である。
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 確かに平坦極まりないもののその分池とバンカーがふんだんに配備され、距離標示は135一本のみでは目分量も甚だしい。しかもメートル法とは英国ヤードに対峙するフランスの矜持たろうが、僅かにワインボトルがボルドーの特質を醸し出しているとはいえ混乱を来たそう。
 グリーンも傾斜以外の要素が介入していそうだが芝目は富士山に向かってと解説して呉れるキャディーも居らず、整備状況はそれなりのフェアウェイの為せる業か、果た又貸しクラブが使い慣れたそれに比べて重いからなのか、ヘッドが返らずとくにアイアンがシャンク続きで、長めの距離よりもアプローチが悪いとスコアにならないという前回の成果を逆張りに立証した形で、体力的には難儀ながら貴重な経験たる午前中を乗り越えたのであった。些か寒さが身に染みたとはいえ、スループレイのおかげで18番でポツリポツリと来たものの午後は断続的ながら雨足が止まらなかったのだから、日頃の行いの賜物と受け止めておきたい。

h207.jpg  わが国ならここで当然ひとっ風呂浴びるところだが部屋には湯槽すらなく、小さな温水プールとミストサウナのSPAに寒さを煽りながらも身体を浄め、暫しの待機に漸く排便してひと息付くと愈々公式行事の開幕、ボルドーらしく開栓と言うべきだろう。
 実に八年前からITS世界会議の誘致活動に勤しんだという見目麗しき女性副市長氏が、かの東京大会のTシャツを纏い歓迎モード満載の御子息とともに御迎え戴くのは夫君の経営するワイナリーである。
h208.jpg  地元の名士なのだろう、ルイ王朝時代からの海軍居留地跡に陣取り、崖下を繰り抜く石切場を転用した洞窟をワインセラーに見立てた酒蔵の奥深く、居並ぶ樽から吸い出した瓶詰め前の若きワインを試飲する。単身訪れたならば些か黒部の太陽の如く背筋に脂汗も流れよう壮大な会場もみんなで渡れば怖くない、優雅な一刻そのままに洞窟の中の会員限定レストランにてITS議員連盟とITSーJAPAN常任理事会懇談会に雪崩れ込む。
h209.jpg  幸い事務方は廊下を挟んだ別席で五つ並んだワイングラスを飲み比べ、お子ちゃまの舌でどれが何やら皆目不明でも、カメラマン役と文字通り鞄持ちを務めたお土産のタイミングだけ忘れなければへべれけになっても構うまい。ポール星人に太陽光を遮られたウルトラセブン宜しく洞窟を抜け出せば、かのエッフェル設計の陸橋とともに美しい夕陽が映えるのを臨んだのは事務方だけに与えられた眼の保養であった。
h251.jpg  ここでホテルへと帰還する一行から離脱して市内に戻る本隊のバスに闖入すると丸一日振りに役所の御仁と再会して二次会とは、慣れない大量のワインに多分に酩酊気味だったが、揺り起こされてなお惰眠を貪り続けるバス移動を回復に充て、我ながら体力が持続するものである。
 ただトンネルを越えカナダに亘ってカジノに繰り出した昨年の様なハプニングこそ勿れ、棒振りを優先してリゾートホテルに居を構えたのと引き換えに、漸く夜半にして市内に御目見え出来たのは幸便だったろう。帰りのタクシーを事前に確保して日が替わる前に郊外へと辿り着く。ここはフランス、チケットが使えないだけで無く日曜はサービス業も軒並み開店休業の中、ポテトや揚げ物という居酒屋風情のジャンクフードにあり付けただけでも良しとしよう。

8月30日(日) 見る阿呆  -地域情報 - 東京23区-

h166.jpg  嘗て日にちありきで前夜祭含め三日間だった時代には雨天中止も珍しくなかったが、夏休み最後の土日に固定されてからはまさに商店街の書入れ時故か、余程の豪雨で無い限り極力決行される高円寺阿波踊りである。
 ただ地元居住者からすれば悪天は当然集客に響き過度な喧騒から回避されるのは却って好都合であるし、加えて勉学の合間を縫って楽隊として太鼓を抱える友人の勇姿に接するべく祐旭が観戦出陣するとあらば、笠を開き得るスペース確保のためにも場所取りが必要となる。
h167.jpg  メインストリートとなる南口高南通り側は車道脇へのシート貼付は開演一時間前と運用も厳格で、朝から予備抽選の如く手前の歩道に陣取って号砲と同時に車道へと猛進する輩が耐えないが、幸か不幸かお目当ての、嘗て祐旭自身も参画した拘束の緩いすぎの子連は北口のみの回遊である。それを見越して純情商店街に妻の安置したブルーシートは残り一時間を切っても雨に打たれながら立派に命を永らえており、一本東側の道に友人と腰を据えた公資とは別枠で観戦する。
 勿論天候不順もあろうが、高円寺に到着した観衆は一方通行で南口に誘導されるのでそもそも北口までは人の流れが及び難い上に、公資の佇む脇道よりも道幅自体は広いにも拘わらず通路としての人の行き来の少ない純情商店街が、まさに地元民に与えられた観戦の穴場であることを在住通算26年目にして漸く体得し得た。
 焼きそばやらたこ焼やら頬張りつつ祐旭の友人とも無事邂逅し、一時間強で退散する。夏の終わりの見る阿呆。

1月3日(祝) 奇異な結末  -ニュース - 社会ニュース-

 嘗てまだ20代の頃、今では公共放送の大幹部となった往時の上官から、毎朝禅問答の如く問い掛けに預かっていたことを思い出すが、その中で最も鮮明に記憶に残っているのが、オウムの林被告の無期懲役は戒心の情を示すことで得た高等戦術の為せる業ではないかというものだった。
 勿論、公安情報に精通している筈もなく、通り一辺の感想しか述べられなかったが、あの時分のオウムは、信者が大量出馬した90年選挙を「しょーこー、しょーこー」のメロディの吹き荒れた東京4区に投票した私ならずとも、日常的な会話に頻出する存在だったことを端的に示している。
 平田容疑者が林被告がそうであったと疑念を呈されたのと同様に、例えば松本被告の裁判遅延を目途に自首したのかは判らない。ただ自身否認している國松元警察庁長官狙撃事件の時効のみを以てして出頭に及んだ行為の外形から判断する限りは、策略性には乏しく感ずる。
 警視庁の初動対応も含め、オウムも遠くなりにけりを実感させられたひと幕。

会期末のそれに留まらず、年末の風物詩も今年もしっかり現れた。ただひと言添えるならば彼等の功績は、助成金の対象となる政党の設立は、元旦にその痕跡さえあれば確定は1月にズレ込んでも構わないという実定法の摂理を明らかにしたことだろうか。
 「きずな」を「きづな」に改めるドタバタ劇も、バッジまで作ってキャッチ・フレーズにしてきた谷垣自民党総裁にしてみれば、嘗て自由党分裂に際し、年来温めていた「保守党」の名称を当の喧嘩別れした政党に奪われた小沢一郎氏以上に、迷惑千万だろう。
 民主党の終わりの始まりか、単に選挙区の無い集団の最後の足掻きに留まるかは定かでないが、政局の風雲急と闇の深さを示すひと幕。

11月30日(水) 政治とカネ  -政治・経済 - 政治・時事問題-

f422.jpg 嘗てはマスコミの話題を浚った政治資金収支報告も、昨今は受け取る政治の側は相変わらず着目されても、支出する企業・団体側への関心が著しく薄まっているのは、ひとつには公表基準が強化され、九月末から師走のこの時期に移動して紙面に余裕が無くなったからかも知れないが、全体額そのものの減少にも由来するのだろうか。
 思えばまだ二十代前半の頃、財界担当という職務柄と生来の政治への高い関心の両面から、駆け出しの広報部員として当該案件の広報対応QAを作成した記憶が甦る。
 時来、部局を異動し、側面から当該案件に関わり続け、17年を経て雛形もそのままの当該QAをチェックする側に回ろうとは歴史の積み重ねを感ずる。
 と一人感慨に耽り、段取りも心得たもので経済団体がまとめの資料を作るだろうと踏んでそこに当たりを付け、待ち構えていても広報からは何の音沙汰も無い。業を煮やしてアプローチすると皆出払ってそれどころではと連れない返事である。
 幾らイベントの重要時期だといえ、或いは問い合わせが殆ど見込まれないのがここ数年の常だとはいえ、企業と政治との関わりという重要な経営マターに関する報道対応を一顧だにしないとは、これもまた隔世の感がある。
 結果旧版をベースに文言だけ修正し、数字を入れた表を作成することもなく、意気込んだ割に逆の立場でQA作成に携わる長年の感慨、は吹き飛んだのであった。

 夜は企業の秘書役の集会だが、秘書は秘書でも所謂明快な秘書業に携わっていないから、名刺を出しても「○○の秘書でございます」と注釈を付けられないのは辛いものがある。
 結果、壁の花に。
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