引越の際、驚いたのはアート引越軍団のおひとりからいきなり「打ち込みやられてるんですか」と尋ねられたことだろう。それは勿論、新居に大枚叩き過ぎたからキーパンチャーの内職をしているのかとの意ではなく、引越荷物に並ぶ鍵盤楽器を見初めての発言である。
いや昔は打ち込んでましたがここ数年はYMOのカバーでと説明しても世代差から当方の意図するニュアンスでの"YMO"は理解されまいと詳述は避けたが、引越を機に他の家電同様音楽機器も8年振りに乗り替えてもと思案しどころだっただけに、的を射るメッセージではあった。
それに触発された訳でもないのだが、これも久々に新宿のイシバシ楽器を訪れてみたが、正直なところ所謂"シンセサイザー"の顔触れに著しい変容は見られない。90年代初期に全盛を迎えたオールインワン型から、シーケンサー機能はPCに切り出し、嘗ての名機ローランドのJUNOやVPをリバイスしながら比較的安価かつ軽量なステージ・キーボードが溢れているか思いきや、寧ろ音源ソフトは花盛りでも実際に鍵盤の付設された"ハード・キーボード"は固定客、一部の好事家向きに市場自体が縮小されているのだろう。本箱を増設したため楽器設置スペースが狭く、出来ればひと周り小さなメイン・キーボードを所望していたのだが、結局これといったものには巡り合わず現行のKORG-Tritonの継続に落ち着いた。万一再びステージに上る機会があらば、その際に検討すべしとのお達しか。
初音ミクによるYMOのカバー、「初音ミク・オーケストラ/HMO」の評判を伺い聞いてみた。音声合成システムによるキャラクターという出自からして如何にもYMOとは親和性が高そうだが、確かによく出来ている。
勿論、相当に原曲を忠実になぞっているから心地好いだけで、単に高質な打ち込みによるコピーの、唄だけを差し替えた盤に過ぎないと言われればそれ迄である。コピーだと割り切れば詰まるところは原曲を聞いた方が早いし、それはそれで今度は原曲との微妙なコードの相違が耳に付く。
わが方中国男はYMOの手弾きでの代替をコンセプトとしたため「YMOカバー・バンド」を標榜していたが、再現性からの逸脱による発展と裏腹の固定客の喪失を如何に整合させるかは、音楽に限らずフォロワーの永遠の課題なのだろう。

郊外の別荘地として整然と開発された荻窪や、戦後に田畑を切り開いた練馬区に対し、自然に任せてスプロール化の進んだ阿佐ヶ谷・高円寺は複雑怪奇な土地区画ばかりで、ある種迷路的な趣きは住人にとって基本的には歓迎すべきだが、唯一自動車利用には負の作用を及ぼしている。
わが家の周辺も、引越の応援に到来した義父の軽自動車を借り旧家から自力運搬を試みたところ、一箇所工事で道を塞がれただけで、裏側から周り込もうとして到底角を曲がれず、商店街にぶち当たり豆腐店の篭を薙ぎ倒しながら命辛々抜け出したように、「自動車は通り抜け出来ません」と記された看板の散見される細道小道の嵐である。
だからこそわが地表も「道路の拡幅により通行の自由を拡大し、土地自身の価値を高める」との大義名分のもとに、道路に面する合わせて4坪ものセットバックを甘受させられたのだが、いざ提供部分の埋め立て工事が行われてみると、改めて掛け替えの無い体の一部を捥ぎ取られる様な寂寥感に襲われる。
しかも如何とも間尺に合わないのはわが方が退いたところで現実には自動車の往来に少しも寄与しないことだろう。飽く迄建て替え時の規制に過ぎないから区画内の全ての家屋が一巡して漸く拡幅が成立するとは百年河清を待つが如しだし、寧ろ法の網を潜り既存の規模を確保するために敢えてビフォーアフターばりの大リフォームに走るならば、住宅の長期利用という点では望ましいかも知れないが、一方道路は何時迄も凸凹である。これでは著しい不満こそ生じなくとも、削られた側からすれば不公平感は拭えないし、寧ろ凸凹のままの方が例えば駐車する自動車や自転車が自らの提供した路面上にはみ出していても差し支えないだけに、利便性が高いという帰結になりかねない。
恐らくかの大陸国であれば一夜の内に線引きして有無を言わせず召し上げるのだろうが、それはまた両極端過ぎて何方に軍配を上げるべきか悩ましい。ただひとりでも反対があればの美濃部方式の亜流から、少なくとも幹線道沿いは公共の利益を優先すべく、人口減少時代の都市計画たる転換を図るべき時期ではないのだろうか。
NHKの「永田町・権力の興亡」第一回を見る。既にあの八党派連立にも懐かしさが募るが、細川護煕氏、村山富市氏、武村正義氏と皆それ相応に年老いておられる中、ひとり野中弘務氏だけが異様に若い。寧ろ年齢は上の方だし、現役を離れたという意味では立場は同じ筈なのにである。
古色の象徴であるかの野中氏の如きキャラクターが今の野党自民党には必要ではないかと思わせて仕舞うのは、自由民主党の病理の深さを物語っているのだが。

五年振りに
友人宅のバーベキュー・パーティーに戸塚を訪れる。
ハロウィン当日だけに仮装を要請されれば、老いたりといえども友人達の二次会を次々と賑やかした
舞踏隊隊長の地位を占めた者として、たとえ些かばかりであったとしても形作りに努めなければならない。そこで子供達には
トイザらスであぶく銭を使ったついでにウルトラ系統の装束を新調するとともに、父もまた
嘗て六本木を闊歩した着包みの久々の披露の機会と相いなった。
仮装の巧拙はさておき、男児五名中、年少側のワンツーを占める祐旭・公資も始めこそ幾分の気後れも見られたものの、終盤は年長者達に依る野球教室に大いに興味を示しており、良き近隣世代との触れ合いになったのではなかろうか。

さて長駆戸塚に向かうべくわが家を後にしたのが10時、相変わらずの東京西部の南北移動の渋滞に悩まされ開会予定には到底間に合わなかったが、実は父はそれ迄に片付けるべくひと仕事があったのである。
旧家ではPCのある部屋と居間とはドアひとつ隔てただけで、例えば当コラムの執筆作業の傍ら背中越しにTVを見たり家族と会話を繰り広げることが可能であった。これに対し転居後はひと度書斎に入れば接触が遮断されかねない。従って居間のマッサージ機に身を委ねながらPCも操るという贅沢な構想を練っていたのである。
そのプラン自体は引越の喧騒もひと段落したらと先送りして、
電化製品一括購入の際にもノートPCは見送ったのだが、先週再びビックカメラを訪れたところ、場違いな音楽が辺りを席巻していようとは意外な展開であった。曰く「セブン、セブン、セブン、セブン」と。

Windows95から数えて七代目にあたるWindows 7の誕生は丁度年末に
映画の公開と新ヒーローとしてセブンの実子であるウルトラマンゼロの降臨を迎える円谷プロにとっても渡りに船だったろう、イベントにもちゃっかり親子で出演していたらしいが、私にとってはウルトラ・フリークとしての親近感とは全くの別次元で、新しもの好きの血に火が付いたのだ。
ひと度欲しくなれはもう止まらない。よく比較検証もせぬままに東芝のDynabookに手が伸びたのは、我ながらノートPCがまだ高値の花であった時代への憧憬、ブランド・イメージの訴求力故か。考えてみればつい先日バックアップ用に新たにハードディスクを追加したばかりなのに更にLAN対応ハードディスクを増設し、ネットブックまで導入とは消費に貢献し過ぎだろう。
この上初の家庭内LAN環境が構築出来なければとんだ散財と、いざ作業をはじめてから不安にかられたが、幸い悪戦苦闘の末、無事マッサージ機上の人となりつつ、書斎に鎮座したHDDを操る"現代人"に昇華したのであった。結局、VISTAに比べ立ち上がり等が迅速とされるWindows 7の威力は判然としないままなのだが。

様々な分野で「評論家・堀内一三」を僭称しているが、ジャンル内において専門分野を謳えるのはプロ野球のhttp://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/7549/「トレード・移籍」と、日本政治における「派閥」に他ならない。派閥にも移籍や離合集散の実例は多く、合理性よりは極めて属人的な要素が強いという点で両者は近似しており、他の興味領域である大相撲の一門と理事選、部屋の変遷や、芸能界の親族関係、将棋における名人の系譜等も基本的に同じ匂いの漂う世界であろう。ただその中でも派閥ほど公式には必要悪として継子扱いされながらその実政治権力の源泉であった、鵺の様な存在は珍しい。
確かに、創世期の派閥は領袖を総理・総裁たらしめるための自然発生的な集団に過ぎず、その分構成員は流動的である一方で、中核メンバーの帰属意識には強固なものがあった。だからこそ派閥のボスが退けば必然的に分裂なり消滅に至るべき存在だったのが、やがて派閥自体が固定化し、寧ろ利益集団の右代表として会長ポストが継承される様になった。同時に嘗ては政権により、或いは同一政権においても時期に依って主流・反主流が派閥毎に明確になり、だからこそ甲政権が倒れれば反主流であった乙が取って替わる―より具体的に言えば佐藤官僚政権から今大閣田中角榮であり、田中金脈政変の後のグリーン三木の如く―ことにより疑似的な政権交替を為し遂げてきた、派閥連合政権としての特色も弱まっていく。即ち、80年代以降の総主流派体制の中で派閥は政策の対抗軸を失い、人事や選挙支援、カネといった党内資源の配分経路の側面を強めることとなった。従って小選挙区制導入によりそれら資源に対する党本部の権限が飛躍的に高まると、派閥はその存在意義を著しく失わせしめることとなったのである。
それでも歴史的経緯からも命脈を保っていた派閥は、自由民主党が政権を失うことにより最終的な鉄槌を喰らわせられたのだろうか。そもそも小泉政権下において派閥のポスト配分機能は事実上副大臣以下と大幅に縮小されたが、野党になれば公職は国会の委員長程度に縮小される。であるから野党における派閥は利益配分よりはメンバーの出自の相違を反映した、古式ゆかしい"ムラ"集団の側面が強く、典型的なのが戦前の分党時代の色分けをそのまま継承した日本社会党の派閥であろう。社会党の場合、これにイデオロギー論争と親ソ・親中の利害関係が絡むことで派閥間闘争のエネルギーは内へ内へと向かい、党を分裂させる要素にしかならなかったが、野党時代の民主党も基本的にはこれに近く、二大政党制の中で第三党の存立が難しいがために瓦解に至らなかったのは幸いだったろう。
その民主党は今や半数以上が小沢派とも揶揄される状況ではあるが、それこそが好むと好まざると「派閥」そのものが歴史的使命を終えたと規定すべき証左なのかも知れない。今般の
中川秀直氏のケースも清和会のこれまでの歴史に照らしても少なくとも小分裂を起こして可笑しくなかったにも拘わらずたったひとりの脱派に収斂したのは、派閥にそこ迄のエネルギーが注がれなくなった、証しと看做すことも出来よう。
民主党政権は大臣・副大臣・政務官の「政務三役」の主宰する政策会議とは別個に、国会質問のための"勉強"を目途とした「政策研究会」を設けることとした様である。
それ自体は予想以上に英国型議会制民主主義への制度変更が進んだ余波、揺り戻しなのか、或いは国会の委員会という、政府側からすれば準公的機関を単位としている点に明らかな様に、更なる純化の一環と見るべきか、判断の分かれるところだが、「政策研究会」と聞いて嘗ての河本派「新政策研究会」(現・番町政策研究所)を想起した向きは通である。
しかし全く同一のネーミングが過去に存在したことに思い及んだ方がおられれば相当な派閥マニアであろう。「政策研究会」とは嘗ての日本社会党における和田―勝間田派の名称に他ならない。専門調査員として政府に乗り込んだ民主党職員諸兄には旧社会党出身者も少なくないと聞くから、嘗ての所属派閥への郷愁から襲名披露した、というのは流石に深読みのし過ぎだろうが。

遥か本年初から始まった家作り狂想曲も遂に締め括り総括質疑、
マンション売却代金の収受と引き渡しの日がやって来た。
思えば端からターゲットを高円寺に絞り、近隣の出物を幾つか見る内に早々に土地買い付けに至ったアバウトかつせっかちなわが家は、不動産代理業―三井のリハウス―にすれば上客だったろう。往々にして土地を見聞すればする程に独身貴族よろしく目が肥え、毎週末に物件を尋ねながら一年以上も結論に至らないケースも多く、こうした相当なコストを払った顧客も労少なくして益あるわが家も手数料マージンは同率に他ならないのである。
それに比べればマンション売却の方は荷物を妻の実家に運んで身綺麗にした上で週末毎に空気の如く気配で潜在的な顧客を迎える生活は決して愉快な日々ではなかったが、不動産という大きな買い物に当たって購入側が良く言えば慎重、場合によって試行錯誤を繰り返すのもやむを得なかるまい。従って売買ともに著しい労苦を負うことなく、概ね是認出来る結末を迎えられたわが家は幸運だったと規定されるべきなのだろう、と一時的に御大尽となった通帳を眺めながら今にして想う。

某先生を囲む恒例のおでん・新橋お多幸の会。変わったのは残念ながら主賓の胸からバッジが外れたこと、再開発によりお多幸がレンガ通りに移設されたことでだが、いきなり妻の実家から徒歩二分程度の立地で驚きの東大もと暗しである。
因みに前店舗は新橋と銀座の境"銀座九丁目"辺りだったが、八丁目に現存するお多幸と、銀座から日本橋に移転したお多幸とも相互に別系統である。五店舗を構える"大"お多幸のHPには「他にお多幸の商標を正規に使用する店舗がありますが、サービス内容・価格等など異なりますので、ご了承下さい」とあるので君島ブランドや、バッグのキタムラの如く骨肉ではないらしい。
時は流れ立場は違えども、お多幸の味は変わっていませんでした。
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