コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月9日(日) ふたつのピアノ  -育児 - パパ育児日記。-

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 ウルトラマン前夜祭の会場として名だたる杉並公会堂には小学生時代に訪れている筈だが記憶は無い。元より覚えていたとしても公会堂自体が2006年に建て替えられているから、足を踏み入れるのは初めてである。
 恒例のピアノ発表会は収容千名を超える大ホールではなく地下の小ホールで行われるので寧ろ昨年の四谷区民ホールより小さいが、二年連続で流浪の旅に出たのは手近な座・高円寺の人気が高まっているからだろうか。
h957.jpg  一旦10時にリハーサルに赴き席を確保して引き揚げる。祐旭が中学生になった昨年から兄弟揃って第二部に移管された上に、最早二人とも重鎮の域に近付いているので登壇は17時台になる。
 今般の大きな特色は二人ともマリンバのソロが加わったことで、元より撥を複数抱えた本格派には到底及ばぬ余儀とはいえ、公資の「アメリカンパトロール」とカステラ一番でお馴染み、祐旭の「天国と地獄」は何れも自宅練習が叶わないので、却って聞き慣れていない父母の耳には新鮮だった。
 続いて真打ちのピアノは、公資はグリーグの「ノルウェイの旋律」と「パック」というこの種発表会では定番モノだが、後段一瞬脳裏が真っ白になった様で完全に両手が止まって仕舞ったことを大いに悔やんでいた。マリンバでも二人ともリズムに追い付かなくなったりと小ミスは頻出していたが、わが子に限らず皆一様に明らか顔色が変わるので、たとえ楽曲的には目立たなくても失策が判明して仕舞う。確かに能面クラツーラの如く冷徹であるよりは、若人らしき正直さが垣間見られた方が微笑ましかろうが。
h958.jpg  一方、毎度わが道を行く祐旭は「威風堂々」と聞けばクラシックの王道には違いないが、実はピアノジャック・ヴァージョンのため今年も異彩を放つ自由課題と言えよう。
 しかも太鼓腹の弟、ではなく太鼓の教諭を従えてのこちらも新機軸、股に挟む箱=カフォンとミニ・シンバルに彩られ、激しくリズミカルに演奏が繰り広げられる。わが家での演習では時に公資が膝を叩いて代役を努めていたが、なる程父も客演に臨みたかったと思わせる趣向である。
 二度のグリッサンドを超えてからは身体を左右にスイングさせ、最期の打鍵をしてやったり感満載の表情で締めたのだから、本人としても上出来だったのだろう。
h959.jpg  して毎度の連弾は、恐らくこれが杉並公会堂になった最大の利点であろう、実にグランドピアノが二台配置され、通例の狭いながらも楽しいピアノとばかりに肩寄せあっての演奏から、少なくともメイン奏者は解放されるのである。相互に手元が見えないため休符が多いと"せーの"でタイミングを合わせ難いデメリットこそあれ、わが家も文字通りの三連弾が成立した。
h960.jpg  ただピアノにマリンバで既に足の踏み場も無い教諭のレッスン部屋に、無理矢理電子ピアノを挿入して本番に近似した環境を整えた意気込みには大いに敬服するものの、残念ながら折角の二台利用が文字通り共振していたとは言い難い。
 そもそも日本国憲法並みとの表現は剣呑だが、お題は所与の「展覧会の絵」であり、著名な「プロムナード」から今更改題も出来まい「こびと」までの流れは確かに連弾向きと言えなくはないが、嘗て 「テクノポリス」に興じた様に選曲にも関与出来ればとの一抹の遺憾さは尚更残ったろう。或いは次回は星野源氏宜しくマリンバも加えて「ファイヤークラッカー」なぞと妄想は膨らむものの、練習に費やす負担に鑑みればこれが現実的な選択なのかも知れない。
 「展覧会の絵」は後続部隊が続いたが、何故「ナットロッカー」が現れないのかと壇上で訝しんでいたのはプログレ・ファンでも無いのに思い切り錯覚であった。
 花束を戴き父のお仕着せ記念撮影を経て退散する。さて公資が受験生となる来年もブラザー参画は成立するだろうか。

7月8日(土) 鏡の中の七月  -スポーツ - ゴルフ-

h953.jpg  昨年はホールインワン・チャレンジを決めながら伸び悩む祐旭のゴルフ、本人の意向を踏まえて遂に左打ちのクラブを導入することとした。
 そもそも一塁に近い打撃の優位性と、ポジションの限られる守備のマイナスの両面を有する野球が例外であって、多くの競技は利き腕に著しく左右されることは無い。
 これに対しゴルフにおけるサウスポーは嘗ては道具自体が稀少性で、野球は左の王貞治氏や本来は左利きの岡本綾子プロが右でプレイしていることは有名である。この点は些か緩和されたとしても、練習場でひとり逆向きになり隣人と対面して仕舞うか、端の打席に限定される不利益は不変だし、コースそのものが左ドッグレッグの多さなど右打ちを前提に構成されている。
 ただ実際左に転向させてみると、空振り・チョロも頻出してはいるものの、右腕が棒の如くに降れるとの弁は明らかに旧来との相違を示しているし、これまで何等拘りの無かった二階打席に前に飛んで行きそうで怖いとの反応が見られたは、体重移動が出来ている証しであろう。
 試しに父も左で打ってみたがとてもでは無いが当てるのが精一杯で、確かにこれを強いていたとすれば爽快感に欠けるのも道理である。さてひと皮向けますか。

h954.jpg  わが家におけるウルトラシリーズはサーガに辿り着いたところまでで抹消されているが、実際円谷プロがパチンコ企業傘下になって以降は、過去作の焼直しか、ゲームと連動した歴代ウルトラマンの客演乃至は使い回しが太宗を占めていた感がある。
 今般は久々の本格派到来かとジード第一回を拝察したところ、相変わらずの歴代総動員のうえ血の配合によるファミリー化が更に進んではいるものの、悪役べリアルの子息のため外見が偽ウルトラマンに酷似するひと捻りがあり、子供達にも「近年のウルトラに比べれば」との留保付きとはいえ一定の評価があった。
 ただマーチャンダイズに依存せざるを得ないのだろう、仮面ライダーの二番煎じ宜しき変身要具に加え、恐らく着包みベースの古式床しい特撮は維持しながらも随所に現代風のCGを駆使しているのか、些かウルトラマンらしくないとの指摘である。
 確かに敢えて重量感を醸し出す為にスロー再生を多用する特撮に対し、人間離れしたスピード感を可能にするCGの方が、ハリウッド型の映画に慣れた若人の眼には逆に人間らしく映り、即ちウルトラマンらしくないとの帰結が導き出されるのだろう。伝統と革新の調和はなるほど難しい。

7月4日(火) 大きいことはいいことだ  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h951.jpg  確かに過去にも派閥の合併には、角福戦争における福田支持の各集団を統合した、現在の清和会の前身たる八日会や、山崎派の独立した旧中曽根派と清和会から別れた亀井グループが対等合併した志師会という実例がある。
 だから新・麻生派「志公会」も元号選定の如くに過去例と文字の重複を避けるという観点からは些か意外な命名ではあったし、八個師団の派閥第一世代から継承されてきた旧三木派の終焉という点に注目が集まってはいるものの、前例が何れも総裁選を契機としていることに鑑みれば、今回もまた単に数の論理を追う為の拡大と片付けることは出来ないだろう。
 元より都議選後たる日程は勘案したろうが、大敗を織り込んでいた訳では無かるまくとも、このタイミングではどうしても「次」を意識した策動に映らざるを得まい。
 だからこそ麻生氏の復辟が否定される訳では無いが、明確な総裁候補を抱える陣営としてはより慎重な対応が求められる局面に、「宏池会60周年シンポジウム」とは余りに時宜を得た企画であったろう。
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有隣会(6/16)
 経済成長と格差の是正、競争と協調は二律背反とは言い過ぎだとしても競合する概念には他ならない。現政権の嗜好が前者が比較優位にあるとすれば、小説吉田学校史観における保守本流たる宏池会は中道、リベラルに近いとされ、自由民主党が長年政権を維持してきた生活の智恵、疑似政権交替を可能にするチェンジ・オブ・ペースのもうひとつの雄としては最適との連想は容易に想起されよう。
 そこまで生臭く思考を巡らせずとも、少なくともシンポジウムでも語られた様に常に代替の選択肢を提起する意義は誰しも否定し得ないし、それを大平元総理の「楕円の哲学」を以て表象するのは実に巧みである。即ち同じく大平氏の掲げた「田園都市構想」の先達としての渋沢栄一氏の末裔と、多様性の一類型たる「女性の品格」をパネリストに並べる絵柄もまた秀逸であろう。
 そして時を同じくして、もうひとつの保守本流たる平成研究会の30周年が、敢えて「経世会」を看板に掲げて行われたのも符号するが如くに見えてくる。
 一部が志公会に合流した、宏池会の正当な系譜のひとつたる有隣会と近未来研究会の連衡も囁かれる中、良くも悪くも来年に向けて一挙に物事が動き出した観がある。政治の安定は言う迄も無く肝要に他ならないが、このダイナミズムもまた政権政党の強味ではないか。

7月2日(日)  艾がでかすぎれば火葬になる  -政治・経済 - 政治・地方自治・選挙-

h950.jpg  都議選最終日、秋葉原の遊説は総理登壇前から反安倍のシュプレヒコールが囂かった。反原発から集団的自衛権、テロ法へと繋がる一連の示意行動も、少なくとも識者の間では、職業左翼の生活の糧と若気の至りの捌け口としての御祭り騒ぎに過ぎぬと、寧ろ憐憫の情以上を斎すものでは無かったにも拘わらず、2006年の総裁選において麻生現副総理の「オタクの皆さん」発言以来、自由民主党の選挙戦術の一環に位置付けられてきた秋葉原という扇情的な舞台装置が却って、実際には少数でしかない勢力を恰も民意であるかの如くに際立たせて仕舞ったとも言える。
 元よりマスメディアの後押しが果たした役割は小さくないが、世相に受け入れ易い報道に傾斜する客商売としてのマスコミが挙って取り上げたのは、逆説的に民意の先行指標たる側面もまた否定出来まい。だからこそその場に居合わせてなお、雨模様の中に急速にスター達が輝きを喪失していく様な想いに囚われたのだろう。
 結論から言えばファーストのみならず共産や民進までもが批判票の受け皿たり得た誤算という意味では、確かに国政側の失策が左右したのも事実だろうが、後付けの論理であることを顧みず述べれば、 少なくとも昨年の知事選からの一年の間に、都知事と何等かの手打ちを果たすべきだったのではないか。
 現に敢えて日和見批判を招いても知事与党の選択を甘受した公明の勝利を観る限り、戦術としては負ける戦いには挑まないという現実路線が「失敗の本質」からの教訓であり、自由民主党が総力を挙げて挑めば逆風を反転せしめ得るとの希望的観測の下に本土決戦に突入したとすれば、少なからずその部分は驕りであったろう。
 如何な良政であろうとも長期に亘る権力には、たとえ非合理的な理屈であろうとも批判勢力が、日常的に声を挙げ難いからこそ余計に、僅かな契機を以て燎原の火の如くに立ち上るのは避け得ない通過儀礼である。
 是非は別として現代風の"透明性"に満たない要素が、それが石原都政の残照乃至は反対給付だったとしても、都議会に存在したのだとすれば必ずしも国政の被害者とばかり捉えるのは当事者意識に欠けており、政府としては御灸を据えられたのが国政選挙でなく、言わば都議選がバッファの役目を果たして呉れたと割り切る他は無かろう。
 勿論、寛容と忍耐の精神で地を低くする姿勢は必要たろうが、窮地であるからこそ「初心」である筈の憲法改正を貫く姿勢を持ち続けて欲しい。寧ろそこに党内の様々なエネルギーを凝結させる位の度量を示しても、長期政権の駆動力は持続するのでなかろうか。

6月28日(水) 父の死

h948.jpg  その一週間と少し前に意識を失って病院に緊急搬送され、小康状態を保ってはいたものの23日に至って血圧が下がり続け、父は力尽きた。
 想えば一月に齡85を迎えるまでは自ら運転してゴルフに興じていたのだから、二月に腸閉塞を患ってから足腰が俄かに衰え、頭はしっかりしたまま急坂を下る様に末期を迎えたのも、父らしい最期だったろう。
 結局病院には間に合わず葬儀場に父を迎えたのだが、早速湯灌の儀式が採り行われる。真光教宜しく手を翳して洗い、髭を剃り、足はアロママッサージと映画『おくりびと』と覚しき光景が眼前に広がった。30年程前に胃の大半を切除しているとはいえ、薄化粧を施してなお仙人の如く痩身と化している。矢張り人は食べられなくなると著しく生命力を消耗するのだろう。
 厳粛な時の流れの中にも、残された側は休む暇も無く葬儀の段取りを詰めなければならない。父は次男だが墓守り役だったので菩提寺は確定しており、一報を受けた住職が枕経に飛んで来る。戒名には院号が称されようとの漠とした理解はあったが、実際交渉の局面が訪れると高額に一瞬怯むものの、金に糸目を付けている場合ではない。葬儀社との細々とした打ち合わせが完了する頃には23時を迎えようとしていた。
 奇しくもこの日は、一部上場企業の専務取締役まで勤めた父の古巣の株主総会が行われており、虫が報せた訳でも無いのだが、丁度息子に週末のゴルフも翌週の宴席も無い金曜の夕刻まで頑張って、リスケに右往左往させることも無く逝ったのも、企業人らしい締め括りだったと言えようか。

 着のみ着のままの訪名だったため翌日一旦帰宅して週明けに再度訪れ、遺影を確認する。火曜が友引なので日月で済ませることも可能だったが、父の縁の方々への連絡に鑑み火水とした為、小休止を挟んだ形になる。
 ただ米寿も視野に入った大往生なので友人自体が限られ、供花・香典辞退とあらば葬儀社との協議も沙汰止みである。従って結局父の戻って来れなかったマンションや主を喪った小別荘兼菜園の土地を巡り、替わりに別れを告げるとともに日常生活の痕跡が残るままの空間を、何から手を付けたらと途方に暮れるままに整理を始める。
 残念ながら分別に無駄に煩雑な愛知県では迂闊に塵も棄てられず、一向に進まない。

h949.jpg  火曜の午後になって妻は再び、子供達は亡骸になってから初めて体面し、早晩通夜に至った。会葬者の焼香を喪主が立って迎えるのは珍しい光景だが、確かに理に叶っていよう。
 父の弟妹諸兄や従兄弟にお会いするのも数十年振り、飽く迄父の葬儀であり私の関係者への連絡は極力控えたとはいえ、同僚に足を運んで貰い恐懼する。
 葬儀社と葬儀場が一体であるのは冠婚葬祭に派手な、と言えば角が立つならば儀式を重んずる愛知県らしいが、確かに利便性は高い。とはいえ当然辺りは閑散としており、止むを得ずジャスコで食糧を調達して、線香を絶やさぬ様に控室で一家四人床に就いた。著しく体を酷使している訳では無くとも疲労は嵩んでいるのだろう、程無く睡魔に取り込まれる。

 明けて葬儀である。禅宗の葬式が賑やかしいのはこの地域の特色ではなく、木魚のみならず鼓や鉢を駆使したガムランの如く調べに載って、南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも無く、南無喝  那   夜耶(なむからたんの とらやーやー) 、僧侶も総勢四名の豪華版で読経が繰り広げられる。
 そう言えば父の父の際もそうだったと36年前の記憶が甦り、中途にはいきなりメインの住職が渇を入れたりと、本会議もこの位起伏に富んでいれば睡魔も襲うまいと余計な思惑も脳裏を巡る。流れ解散で無いので参列するにも気合いが求められようなどと鎮座しながら客席を慮っても何も伝えられず、結局喪主の挨拶も昨日と同内容に終始した。会葬者ひとり一人を見送ることも叶わず、喪主とは不如意なポジションである。
 霊柩車と言っても神輿を担いだ様な仰々しいスタイルでなく黒塗りのリムジン擬きで八事の火葬場へと向かう。流石に父子禄を食んだブランドの車で外車ではない。個室で待機すること90分、順番待ちではないから時間を掛けて焼いた方が骨が残り易いという配慮だろうが、正直少なからず退屈である。
 やがて放送に導かれ、肉体を喪った父に再会し、文字通り骨を拾う。骨壺に納まり切らなかった分は廃棄されるらしい。葬儀場に取って返して住職に骨を預け、長い様で気付いたら過ぎていた五日半も幕を閉じようとしている。
 長い間ありがとうございました。お疲れ様。

6月27日(火) 若さゆえ  -趣味・実用 - 将棋-

h947.jpg  将棋に最も打ち込んだ小学生時代、棋界の巨星は三十路を越えたばかりの中原名人やその少し上の世代にあたる米永、内藤、加藤一二三といった面々だったが、病気休場がちとはいえ升田元名人や大山十五世といった還暦近くの御歴々もA級に健在であり、現に大山氏は69歳で亡くなるまでその地位を保っていたものである。
 翻って現在のA級最年長は47歳の佐藤元名人であり、B級1組まで拡げても50代は谷川十七世のみ、46歳の森内十八世がフリークラスに転出するまでに、ベテランの生き難い世界になっている。
 元より「連勝」自体は、各棋戦に予選から参画するが故に対局間隔が短く、かつ対戦相手に大物の少ない若手に有利なのは疑い無く、現に前記録保持者の神谷現八段、その前の塚田現八段も20代で樹立している。
 ただその両者が特定の新戦法を糧に文字通り破竹の勢いで成し遂げ、結果的にその対応策が編み出されてからは必ずしも第一級の戦績を残しているとは言い難いのに対し、今般藤井四段は棋風も定まらない内に勝ち進んでいるのだから、まさにプロ初勝利の相手となった加藤一二三氏宜しく「岩戸以来の大天才」と化す伸び代は大いに秘めていよう。
 とくに藤井氏は大局観の鋭さが指摘されているが、本来ならそれは対局を重ねた経験則から導かれるものであり、だからこそ少なくとも嘗ては寧ろ終盤乱戦に持ち込んでからが腕の魅せ処たる、ベテラン優位な領域が存在した筈である。今やチェスに続き人間との優劣がほぼ決着したAIも、ベースがディープ・ラーニングである限り本来は同じ構図であろう。
 にも拘わらず経験則に欠ける、若しくは恰も勘が鈍るからと議論を好まなかった小泉元総理の様に、蓄積が無いからこそ天啓の如くに湧き出る大局観なるものが存立し得るということか。だとすればその構造の解明こそがAI開発のひとつの道標なのかも知れない。
 泉下の灘九段に伺ってみたいところである。れんしょうだけに。

6月21日(水) なが~く愛して  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h946.jpg  コール元独逸首相が亡くなった。氏とミッテラン仏大統領の巨体と鉄の女サッチャー氏は初期サミットの代名詞であり、わが国と伊太利亜ばかりが煩雑に交替して形見の狭い想いをしていたのも今や昔、翻れば安倍総理が二番手とは隔世の感があろう。
 ただ先任首脳は矢張り独逸のメルケル氏であり、そこにはワイマールの教訓から長期政権を担保する制度設計の知恵が秘められているのだろうか。確かに後継首班を明示した上での建設的内閣信任案の否決が無い限り下院の解散権は制約されている。
 勿論、嘗てわが国においても戦後間も無く、解散権は内閣不信任案の可決に依る所謂69条解散のみ是認されるとの憲法解釈に基づき、敢えて不信任を成立させた吉田内閣の話し合い解散の例同様に、独逸においてもかく便法を用いて任期満了前に総選挙を実施した事例はあるが、英国においても等しく解散権を大幅に制約する法改正が為され、にも拘わらずメイ首相による任期半ばの総選挙が予想に反して与党の敗北に終わった事例は記憶に新しかろう。
 だからわが国も来年末任期満了に憲法改正の国民投票と同時に総選挙を設定すべきと結び付けたくなるが、実際にはそれは戯れ言に過ぎない。と言うのも戦後わが国において総選挙の結果を受けた総理の退陣は三木、宮澤、麻生、野田の四例に留まり、他方参院選の敗北に起因するケースも宇野、橋本、第一次安倍の三例を数えている。
 これに匹敵する党総裁任期の満了乃至は再選出馬の断念(中曽根・小泉、鈴木・海部)が、任期の二年から三年への延長と三選解禁によって著しく蓋然性が低くなった今、詰まるところ長期安定政権の樹立は、参議院選挙を政権選択に用いないというコンセンサスに懸かっていると結論付けるべきではないのか。
 それを与野党の意識改革という慣習法に委ねるのか、或いは憲法改正をも視野に入れた参院の権能の新たな制度設計を企図するかはさておき、畢竟、 歴史を学ぶとはそこから仮説を導き出し、現実を以て検証するのが保守の羊蹄であると、綺麗に纏めてみました。

6月19日(月) 三ヶ月待てば

h945.jpg  パーティで立礼する本人と握手するのは政治担当者の日常活動だが、逆に団体の総会の類ではお迎えする側になる。だからと言って団体の構成企業員ではあっても団体職員そのものではないので、受付の列の近場に陣取って自然に挨拶する場所取りが肝要である。人は余程ウマが合わない組み合わせで無い限り、親密度は例え短くとも邂逅の回数に比例するとの原理の応用であり、一網打尽が叶うという意味では派閥パーティ並の高効率である。
 ただITSのそれは関わりが深い分、端から人組としてカウントされ、仰々しくトランシーバーまで抱えてひとり車寄せ待機とは、一体何年同じことを繰り返しているのかと思いやられるが、玄関で立礼している様なものと見做せば、顔見世興行の趣旨には叶っているか。
 会場から駄目出しを喰らったらしく恒例のくす玉割りが割愛されていたが、却って華美過ぎず妥当だったのではなかろうか。

 同僚が今週から暑い夏の研修に旅立った。従って私もひとり立ち、山の中に正ジャが潜んでいて肩を落とすナポレオンの面持ちである。
 このところは永田町への訪問も多分に委ねていたから先祖帰りして外出に充当する時間も倍増するが、何よりも改めて事務作業というパンドラの箱を空けてみれば、よくぞパズルの如く複雑怪奇な、システムが構築されている様で中核はアナログな仕組みを駆使していたものと頭が下がる。
 48の手習いで画面に向かっていると、労苦を分かち合う話し相手の不在に無口になって仕舞うが、二年待ったこともあるのだから三ヶ月ぐらいは首を長くして待ちましょう。

6月18日(日) カツにカレーに寿司に味噌  -グルメ - ご当地名物-

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 記念日が盛り沢山の六月は、公資の生誕11年に続き、今週は成婚19年、語呂の悪いジルコン婚式に父の日とあらば、遠乗りには至らずとも少しばかり華やいで高円寺飯巡りである。
 北口高円寺銀座改メ純情商店街の、嘗てスイミング・スクールのFITが存在した建屋のとんかつ とんきを愛用していたが、残念ながら建替とともに去り、現ビル地下に佇むステーキ&豚カツ店に久々に赴いたものの、ビフテキを賞味すべきところ付け合わせのもやしのサンプル絵柄に気圧され敢えてカツを選択したのは捻り過ぎだったかも知れない。
h942.jpg  他方、中通りに御目見えした泰&羅宇料理のサバイディーは、ラオスうどんこそ大越のフォーに近い薄味だったものの、カレーがココナツ臭少ないのは仏印の名残りか、何よりも味付け濃厚な焼鳥が父と公資に好評であった。
 して本日は高架下の立地故に耐震も兼ね改修、昨年11月にリニューアルされた桃太郎寿司である。高円寺に寿司店は数限り無いものの、わが家にとっては父と祐旭のそれぞれ同級生の実家であり、数店舗の点在する老舗の幸寿司、少しアダルティ=飲み屋を兼ねた様な七福神、回転寿司としては高レベルの定番、京樽グループの三崎港が三巨頭として君臨している。
h939.jpg  コスト的には幸寿司と七福神の中間に位置するのは流石に帝都北西部に名だたる桃太郎だが、揚げ物焼き物一品料理が豊富なところもわが家向き、珍しくグルメ・モードになりました。

 昨日は父母の見舞いに名古屋へ赴き、途上昼食はきしめんの店に入るも、詰まるところは味噌煮込みを注文して仕舞った。名古屋が味噌文化なのは事実だが、休み時に祖父母宅に滞在した小学生の時分、味噌煮込みは山本屋の専売特許で圧倒的多数派のきしめんは関西由来の薄味と明確に住み分けが為されていた印象が強い。
 聊か「味噌」の呪縛に自家撞着に陥っている感もあるが、一億三千万総チェーン店化よりは地方創生に資するのかも知れない。

6月14日(水) 朝まで生国会  -スポーツ - プロ野球-

h938.jpg  大幅延長から小幅と揺れた通常国会は、未明の不信任採決から明け方の参院本会議テロ法成立を経て、急転直下の会期中閉会に回帰した。
 元より延長したところで所詮"強行"による決着を余儀無くされるのであれば都議選への影響を最小限に留めたいとの思惑故たろうし、参院側が竹下元総理以来の野党に配慮した、経世型の丁寧な運営を行ってきたからこそ、最終局面での強引な決着が可能になったとの逆説的な帰着でもあろう。
 ただ本来は議員内閣制でありながら、大統領制下において党議拘束とは無縁である筈の委員会中心主義が米国主導にて移入されたが為に、数の論理に基づく粛々たる採決が恰も与党の横暴の如くに喧伝される曲解が、"和"を重んずるわが国国民性と相俟って跋扈した帰結であるとするならば、委員会採決を合法的に割愛した今般決着は些か示唆的でもあった。
 野党側も不毛な議論であることは承知でなお攻め倦ねているのだろうが、儀式の如く採算の無い不信任案に委ねる替わりに、本当にテロ法に賛同しないなら、議席の少ない無力を詫びて粛々と反対票を投じ、次期総選挙において数という力を与えて欲しいとオーソドックスに訴えれば、却って新鮮に映るのではなかろうか。

h937.jpg  継投無安打無得点とは完投投手が絶滅危惧種と化した極めて現代的な記録だが、それが反転攻勢の契機となるかは、そもそも打てない打線が連敗の主因であるから判然としない。
 戦後間も無くには近鉄・芥田、大洋・森といった指導者が球団経営に転じた例は散見され、その最たるは三原脩日ハム社長だったが、残念ながら西武・ダイエー両球団の実質的な創業者たる根本陸夫氏を除いては成功を治めたとは言い難い。
 ゼネラル・マネジャーたる職責も、副会長兼務の王氏は別格として中村勝広氏、高田繁氏といった監督出身GMは存在感に欠け、寧ろ米国型のビジネスマン上がりの方がスポーツ紙を賑わす場面は少なくとも定着していよう。
 何と無く本邦初のGMと喧伝された廣岡達郎氏によるバレンタイン監督解任による軋轢が、GMたる役職そのものへの懐疑を斎したままの感がある。皮肉にも今般の唐突なGM交替は高橋監督の身代りに他ならず、必然的に鹿取大明神に人事権は備わっていないのだとすれば、些か中途半端だとしても、純粋にプロアマ問わず選手の編制のみ総括するわが国らしいユニフォームから背広への新しい着替え方を示唆することになるのかも知れない。
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