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コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月26日(土) メンタルとフィジカルと  -スポーツ - ゴルフ-

j148.jpg  前半はロングでのチョロあり、アプローチ・ミス多発、パットも入らずと散々であった。
 しかしながら昼にメガハイボールで気合いを入れて臨んだ後半11番ショート、前回からの継承で実に五階建て扱いとなった120ヤードを乗せると、下りのミドル・パットを強気で捩じ込みバーディー。
 こうなると一変して連続ボギーから2オンのパーに寄せワンのパーと怒涛の勢いになるのだから、ゴルフとは矢張りメンタルのスポーツに他なるまい。
 流石にそこからは魔法も切れたが後半は46とコンペなら大波賞だったか。実に五輪は+67とレギュラーと化した旧出向組四人芝刈りでは恐らく過去最高記録であろう。

j149.jpg  とは言え肘は尚痛い。そもそも先週は異国の地にて、二日連続の強行軍だったのだから致し方無かるまい。
 周囲にガントリーや巨大客船、建設中のビルを、遠くにはマリーナベイサンズも臨む島内のバブリー・コースは、何しろ本来はメンバーのみなので、距離もコースレイアウトも全く手掛かりが無いのだから、120近く叩いたのもやむを得まい。
 そもそも深夜便で到着即ラウンドだったから、道中睡眠を充足し無事ラウンド出来ただけで御の字であって、にも拘わらず後半アウト7番ロングでは第三打を引っ掛け木に当てて左崖下に落としながら、ほぼ当てずっぽうで林の中の虚空を通過させたらナイスオン。かつロングパットが吸い込まれ奇跡の連発に依るパーという魅せ場があったのだから、凡そこの時点では翌日には期待が持てそうであった。

j150.jpg  しかしながら問屋は卸さず、こちらも名門ながらカートにはパネル完備とあらば幾分はスコアが改善して然るべきであり、現に他の顔触れは改善して来た中で、大量の池に悉く捕まって遂には球が足りなくなる始末。
 後半は手打ちの引っ掛けばかりで体力の限界を痛感させられる苦闘のラウンドであった。かつ疲れ果て、終了後の待機時間に散策に及ぶ気力も湧かず、午睡に依る体力回復に只菅努めるしか無いとは情けない。
 丸十二年振りの海外ラウンドは貴重な経験には他ならなかったけれど。

10月23日(水) 渚にまつわるエトセトラ  -海外情報 - シンガポール-

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 即位例正殿の儀の日にわが国を不在にするとは帝国臣民として不敬の極みだったが、この22日夜半の深夜便にて帰国の途に就いた。
 省みればこの旅はグルメの道程ではなかったか。初日の夜こそ分不相応な日本食を頂戴したが、失礼を承知で吐露すれば昭南ラーメンとも言うべきラクサや、味付け濃厚な焼きそばといった、ひと口で括ればジャンクフードに位置しそうな、ゴルフ場で食した銘柄が寧ろ印象に残った。
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 勿論、シンガポール人の四分の三は中国系であるからベースは中華料理に近く、事実我々も三日目の昼は飲茶であり、独系ホテルらしく上品なそれであった。最終日の夜は四川飯店なので陳麻婆はじめわが国仕様に他ならない。
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ジャンボシーフードのエプロン
 しかしながら強く脳裏に焼き付けられたのは三日目の夜のシーフードに措いて勝るものは無かろう。何しろこれまた濃厚に彩られた巨大な蟹を、最早フィンガーボウルのみでは如何とも賄えず前掛けに透明な手袋をはめ、恰も財前五郎が如く解体手術に挑むのである。その余りに珍妙な光景には蟹料理にも拘わらず逆に無口になるどころではない。 このスリランカ由来の料理はあまつさえ箸ならぬ挟みが止まらぬ勢いで、腹が下りそうになるまで平らげたが、スパイシーな海老もまた白眉であった。

j146.jpg  最終日の昼は、こちらもオーチャードのマンダリンのチャターボックスにて、当店発祥とされる昨今人気のチキンライスだったが、幸い配膳時には鳥と米が分離されており、私に取っては普通の蒸し鶏の辛味噌遭えであった。 タイカレーにはパサパサの米が寧ろ似合う様にこちらもタイ米で、少なくともかの国の一般的な食文化は日本米では無いのだろう。 なお往復とも深夜便の為睡眠を優先して機内ラーメンにあり付けなかったのは残念だったが、出立前ラウンジで頂いたので良しとしよう。 ご馳走さまでした。

10月22日(祝) ハリマオに会いたい  -海外情報 - シンガポール-

j129.jpg  はや最終日はこちらも恒例の日本館テープカットから幕を開けると、各社ブースを高覧巡回する。残念ながら例年以上に体験モノが少なくパネルばかりで、バスやら移動体が据え付けられた海外メーカーに目移りして仕舞う。
 自動運転ブームの中、自動車相互の通信と白線等既存構造物の検地が主流となった現在、路側への大規模構造物の付加思想に端緒を持つ高度道路交通システムたる概念は命脈を保てるのだろうか。
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 セントーサ島はじめ主だった観光スポットは昨年網羅して仕舞ったので、わが国の痕跡を求めて午後は旧フォード工場へとやって来た。元より自動車産業の禄を食む者としての責務ではない。ここはかの山下奉文中将が敵将パーシバルを降伏せしめた場所、謂わばシンガポールの水師営なのである。
 ただ残念ながら往時の机と椅子は隔離展示され、乃木大将宜しくマライの虎を気取るのは叶わなかったし、そもそもラッフルズがかくも崇められている様に、わが国の五年に満たぬ占領期への評価は必ずしも芳しからず、記念館もリニューアルにあたり「昭南ギャラリー」への改名が見送られた経緯がある。
j132.jpg  平地ばかりのシンガポール最高峰、と言っても僅か164mで今や高級住宅地と化した、自転車部隊の行軍したブキティマ山を眺めながら見果てぬ大東亜の夢を想い起こした。
j133.jpg  段々ネタも尽きて来てアーリーチェックインも兼ねて又もや空港へと向かったのだが、本年4月にオープンした新施設ジュエルは見応えがあった。中身自体は複合ショッピングモールに過ぎないが、何しろ地下二階から五階までを貫く屋内世界最大の人工滝の脇を空港内トラムが通り抜ける絵柄である。
 ビルの外装にも植物を這わせるお国柄故でもあろうが、神社仏閣等の歴史と伝統に背景に持たない名所を、トランジットや出国前のインバウンドに提供すべく、かく後天的に自然擬きを編み出す着想は大いに示唆に富んでいよう。
 最上階にはアスレチック等の子供の遊び場とともに天空の渡り廊下が設けられ、通過するだけにも拘わらずしっかり8星弗を費やして仕舞った。
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 最早歩き疲れたので夕食までの間はアラブ、インド、中華の三大街を通過してお茶を濁した。印度人街には昨年も訪れているが、車窓から舐めただけだからも知れないとはいえ、比較してなお何れも著しいエキゾチックさが感じられないのは、人種間の融合=拡散政策に努めた多民族国家秘訣が込められているのだろうか。
j137.jpg  最後の視察地は夕食のホテルに程近い、昨今話題のドンキホーテ。わが国の野菜が飛ぶ様に売れ、農業輸出一兆円への貢献が讃えられているが、農業生産がほぼ皆無に近いシンガポール仕様に特化しているのかと思いきや、ほぼ丸々移植した形でスナックやら弁当やら加工品も全て日本製かその翻案とは、わか国製品への信頼性の高さを裏付けていると満悦すべきか。
 「ドンドンドンキ」ではトートバッグを、更にマンダリン・オーチャードの邦人客目当ての民芸品擬き売り場でマーライオン人形なぞ、更に土産を補充する。なお同ホテル四階男子トイレ個室にはひとつだけウォシュレットが存在したことを付記しておきたい。元よりこれも邦人観光客の多さを反映したものだとしても、わが国は農業輸出以上に温水洗浄便座に依る大東亜肛門浄化戦に邁進すべきではなかろうか。

10月21日(月) 東印度会社から愛を込めて  -海外情報 - シンガポール-

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 旅の必須項目は土産、出張であるならば尚更であろう。自由行動の冒頭には免税店で一同、GODIVAに群がった。マーライオンそのものを型取ったチョコレートは既に廃盤だったが、絵柄にそれがあれば立派にシンガポールの体を為そう。結局旅を通じて紙幣は全く使わなかったが、驚く莫れtポイントが加算されるのである。わが国観光客のシンガポール経済への貢献度が拝察されよう。
 所与をこなしたところで前半戦は初心者コースの市内散策だが、途上車上から改装なった名門・ラッフルズホテルを眺め、昨年初、単身散策した際には全面工事用の柵で覆われていた記憶が甦る。
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桟レベル33より/ホテルの部屋より
 その足でマリーナ沿いのラッフルズ卿像から徒歩行軍が始まるが、十月とはいえ未だ陽射しは強い。征服者に他ならないラッフルズが国父の如く上陸地に讃えられる姿には彼我の差を感じざるを得ない。しかもそのまま湾岸を進めば鄧小平氏やネール氏の胸像が現れ、わが国も「ドクトリン」福田赳夫元総理の顕彰を求めても良いのでははなかろうか。
 旧最高裁前の街路がF1コースとして活用されたとのことだが、舗装強化した様にはとても見受けられない。民主的独裁国家のスピード感、強みと言えばそれ迄か。
 最古の吊り橋カナベ橋を渡り、小公園には丁度魚眼レンズを裏返した様な自らを写す球形の鏡が並べられていたりと、存外に飽きが来ない。ベイサンズからも目立っていた旧郵便局のフュラトン・ホテルの地下から抜けるルートは素人には判りかねよう。ガイド氏の面目躍如であり、地上に出ればマーライオンが我々を待っている。セントーサの展望台仕様第三号は早くも解体閉鎖の憂き目に見舞われた様でリゾート地のリピーター対策の世知辛さが窺われるが、本体には二度邂逅しても然程がっかりしなかった。
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 昼に独資本グッドウッドホテルの中庭プールを眺めながら優雅に飲茶を楽しんだ後は、単身マッサージと洒落込む。ホテルのスパは常に満席で、近隣ショッピング・センターにはQBハウスやセブンイレブンは容易に発見されたもねのエステを除けば有料マッサージ機店しかなく、待望の御対面となった。足裏、肩の一時間で80星弗は決して安くは無いが小綺麗な店で体力の回復に努めた。

j128.jpg  ここから愈々公式行事が始まるが、サンテック・シティの噴水に遭遇して、昨年地下から彷徨い到来した観光ポイントだったことに気付く。導線が変わると人の記憶は役立たないものである。
j165.jpg  米州、欧州、亜細亜持ち回りのITS世界会議開会式は、最早恒例となった前座の民族舞踊の類なくスムーズな開幕だったのは歴史の浅い土地柄故か。替わりに恰も党大会を彷彿とさせるイメージ・ビデオが流れ、オーラスはITSダンス・パフォーマンスだった。国土が極小で地下鉄網も完備かつ更に拡大しており、自動車には台数規制意図で莫大な関税が課され、かつ通行自動課金システムERPか配備されたこの国において、今更に新たな交通体系のデモンストレーションは物理的にも必要性に乏しく、結果として視察先には事欠いたのである。
 余程、夕食のシーフードと、帰路車窓から眺めた飾り窓ならぬ飾りぼんぼり街「ゲーラン」の方が興味深かったが、流石に突撃する勇気も元気も無く大人しく帰還したのであった。そもそも会議の中身より観光都市のアピールが誘致の最大目途であって、よく言えば国家意志が貫徹されていると受け止めるべきか。

10月20日(日) シンガポールは夜蠢く  -海外情報 - シンガポール-

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 三年連続だったデトロイトボルドーメルボルン以来、三年振りになる海外出張はシンガポール再訪であった。
 とはいえ冒頭から土日にも拘わらず自由行動時間は限られ、夜も公式日程だったので任意に動けたのは実質二次会のみとなる。
 定番中の定番、マリーナベイサンズの屋上には昨年も訪れてはいるものの、今般は宿泊客で無いのでバーのみ。満席で縁側立ち飲みになった分、絶景なる夜のシンガポール湾が恒常的に一望に出来たのは、明朝も早かったし寧ろ幸便だったろうか。
 見下ろせば新たな埋立地にはなお空白が目立ち、ベイサンズも四塔目を計画中とは、この光景も早晩改められるのかも知れない。プールもまた斜めに延伸するのだろうか。残念ながらマリーナの光と水の噴水ショーは余りに天空から過ぎて迫力に欠けたが。

j119.jpg  西側のビル群を眼に収めれば、この不夜城を逆から眺めたくなるのは人情であろう。翌二日目の夜の会食は意図せずパスするに至り、ホテル一階のTV前に陣取りラグビー日本戦観戦に至ったのは僥倖だったものの、今W杯初の御対面が精根尽き果てかの如く惨敗とは抜け出して楽をした報いだったか。
 最早名誉白人と謂えども手加減されなくなったことを成長の証しと受け止めるべきなのかも知れない。これでNHK国際放送で中継されている日本シリーズにも漸く陽が当たるであろう。
 階上の本席が暫く継続する見込みだったので、寸暇を惜しみ居住者の知恵も借りてレベル33へと急行し、ホテルでは無いので入口を発見するのに手間取ったものの、無事シンガポール・スリングを賞味しつつ、やや斜度の付いたベイサンズの偉容を満喫したのである。 
j120.jpg  ナイトライフと言ってもラスベガスの様にカジノやテーマパークがホテル毎に溢れている訳ではないから、観覧車にしろ植物園にしろ、この夜景そのものも埋立地たる湾岸に依居しており、水という生殺与奪をマレーシアから奪還すべく海水の浄化に勤しんでいるとあらば、須くこの一角がシンガポールを体現していると述べても過言ではなかるまい。
 昨年は予約車ばかりの印象が強かったタクシーも目出度く流しが拾えたのも、中心街故か。蜻蛉返りして三次会に合流し、更に後発合流する御仁を空港までお出迎えして二日間をフル回転したのであった。

 今般の宿泊は随行のため会議場に隣接したコンラッドである。地震が無く奇抜なビルの林立するシンガポールにおいては比較的オーソドックスで、壁面に描かれた「13」は風水に因んだものらしい。
 四階にはリゾート・モードのプールが鎮座しているが、水着を纏うには時間的にも体力的にも余裕を欠く。一階には熊のぬいぐるみが誂えられ、部屋のベッドに鎮座していた小型のレプリカは持ち帰り自由だったらしい 。その部屋からもマーライオンはじめマリーナが一望出来たことも付記しておきたい。

10月14日(祝) 伝えられたらいいな  -音楽 - J−POP-

j112.jpg  バンド歴は実に小学五年来と長きに亘るものの、部/サークルへの参画は大学一年のほんの初期だけなので、所謂「軽音」における部員相互の寄合バンド活動の経験則には、父は乏しい。
 2月には合唱コンクールの番外編として有志バンドにて登壇した祐旭は高校に入って排球と並行して軽音楽部にも所属し、生憎の台風で順延され、二日二回公演が一日に短縮されはしたものの、今般「学院祭」がその初御披露目となった。
 大学ならばいざ知らず高校の部活動とあらば初心者も少なくなく、その大半は弦か太鼓になるから鍵盤経験者の祐旭は貴重な戦力として二バンドに名を連ね、従って先ず冒頭から登場する。
 ただ張り切って9時過には到来したものの入場自体が10時からとあらば、舞台に到着する時分には既に一曲名の途中である。当初○○バンドとリーダー格のじをの名を冠していたた仮名集団は第二外国語に因み「Spät」と命名されており、日々自転車で定刻ギリギリに滑り込む祐旭に相応しいネーミングなのかも知れないが、体を現して観衆が遅刻に追い込まれているのは如何なものだろうか。
 Mrs.GREEN APPLE、Official髭男dism、RADWIMPSというラインナップは昨今の歌謡曲に疎い父には新鮮に響いたものの、中でも髭男「Pritender」では歌手兼ギタリストが別個存在するにも拘わらず高音を買われてボーカル兼務の弾き語り状態で、前夜まで鍛練に余念が無かっただけに父にも聴き馴染みのあるものになっていた。
 尤も風邪気味で、一部一オクターブ落として唄わざるを得なくなったのを当人は相当に悔やんでいたが、初心者集団の演奏としては先ず先ず合格点だったのではないか。

 午後は曇天、KANA-BOON、buck nuberからのセットリストだが、祐旭のセッティングにボーカル・マイクが存在しない代わりに、驚くべきことに二曲目からはギターを抱えているではないか。
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わが家にて(前日)
 確かに楽器経験者たる一日の長に鑑みればマルチ・プレイヤー化しても不思議ではないものの、エレピでバッキングしつつ曲の途中でギタリストに早変わりとは、ストーンズにも勧誘されたというかのドクター・シーゲル・成毛滋氏も草場の陰で仰天しておられるよう。
 そもそもこちら「CresCent」には助っ人として馳せ参じ、専任ギタリストが二人も居るにも拘わらずギターソロまで委ねられ、あまつさえ自らのそれのみならず他のギタリスト分まであくせく採譜に及んでいたというのだから、最早一端のアレンジャーの域に達していよう。
j115.jpg  ヘルプさんながらメンバー紹介では「バンドの核」とアナウンスされ、人気者であった。次回は是非コーラスも加えて三刀流が見たいものである。

 ステージが終演すれば今度はクラス出展、時宜に合ったと言うべきだろう、数多く居並ぶカジノのひとつだが、接客はメイドに扮して行われる。風邪気味なのか或いは意図的なのか口元をマスクで隠していた生徒が妙に女性らしく嵌まっていて些か奇怪怪怪だったが、祐旭もバンドマンから一変、女中さんモードでディーラー擬きを健気に努めている。幸か不幸か、新宿二丁目風にも至らず全く似合っていない。
 興風祭同様、こちらもリクルートの意図は込められてはいるものの、中学校舎も流用して高校のみのお祭りだから他校女子高生の顔もそれなりに見受けられ、大学エスカレーター校らしく華やかだったが、是非今般の延長線上に更なる飛躍を期待したい。勿論、メイドではなく、音楽家として。

10月13日(日) 指の間は切らないけれど  -映画 - 映画-

 10月10日が体育の日であったのは、元より昭和39年東京五輪開会日を記念したものに他ならないが、その日が選定されたのは最も快晴の確率が高いとの統計に基づいていた。
 翻って今日、わが国が未曾有の台風に見舞われようとは歴史の皮肉であろうか。当然外出もままならず昼間は独り久々に「超ウルトラ8兄弟」を観賞して又もや感涙に咽びそうになったのだが、夜は一家でAmazon Primeに肖った。何しろスティック一本挿すだけでわが家にレンタルビデオ店がやって来た様なものだから、不謹慎だが凡ゆるTVが特番体制になった大喪の礼の際にこの機能があったらさぞや繁盛しただろう。
 カウチポテト族が最早死語の域に位置していようとも、オットマンを従えてお誂え向きに新しいソファも鎮座在しているので、一家で「Kingsman」を観賞した。背広の語源となった英国はサヴィル・ローの高級テーラーが実はスパイ組織だったという痛快アクションで、初~中期007の笑いの要素をより拡大した造りである。
i110.jpg  物語が激しさを増すに連れわが家もまた暴風雨に晒され、恰も4Dシアターの如しと悦に入っている場合ではなく、幸い神田川も善福寺川にも距離があるので実害の恐れは皆無とはいえ、最早亜熱帯と化したわが国を痛感せざるを得ない。

 明けて台風一過、実は公資に続きこの二日間が祐旭の文化祭だったのだが、台風順延で14日一日に短縮されて仕舞う。おかげでこの日は総員完オフ、一家で映画館となった。尤も電車は間引き運転なので豊島園ユナイテッドシネマズである。
j111.jpg  四人とも大なり小なりピアノ歴はあるので、ピアニスト四人の映画「蜜蜂と雷鳴」は相応しかろう。演奏をしていると身震いする様なランナーズハイならぬトランス状態が訪れる経験はままあり、不思議なことにそうなった方が観衆もよく眼に入ってくるのは自らの経験に照らしてもよく判る。
 だから鍵盤を追うが如く正確性に拘泥するよりは自由闊達にとの主旨が導き出されよう。勿論卓越した技量が鍛練に裏打ちされたものであるのは論を待たない。爪の間から血を出して接着剤で固めるシーンには、小指に血豆を作ってる私は矢張り指を立てるピアニストの弾き方になっていないのだと痛感させられた。
 ただ当然、文字で表現するより映像の方が訴求力が高そうに思ったが、原作を読んだ祐旭に依れば、「若者の型破りの演奏」はイメージとして脳内で膨らませられても、いざビジュアルになると破天荒振りが伝わり難いと言う。
 鳴る程鋭い指摘である。雷だけに。

10月10日(木) bon voyage co.  -音楽 - J−POP-

j104.jpg  悪党は何故に「金さん」とさん付け呼称に拘るのかとの指摘があったが、細野晴臣氏を須く「細野さん」と呼ぶのは、勿論YMOのご両名をはじめはっぴいえんど以来のバンド面子が悉く二~三歳年下なので必然的に敬称を施される環境にあったとはいえ、知人でなくとも呼び捨てが憚られる風格を漂わせる天性の親玉振りの為せる業とも言えよう。
 その細野さんのデビュー50周年を祝う展覧会「細野観光 1969-2019」を訪れる。六本木ヒルズという場所柄もあろう、外国人の顔も多数見受けられるが、確かに音楽家個人の展示としてはパネルも多彩に誂われ、手が込んでいることは理解出来る。
 ただ事前に3500円もするオフィシャル・カタログで予習と言うか復習して赴いたので、再々生YMO初期はバイオリン・ベースだったかとか、NHK「YOU」にも登場したEmulatorはフロッピーが壊れてもう稼働しないんだなといった感慨を齋す実物にお目に掛かる価値こそあれ、正気懐かしさを超えるものではない。
 翻って細野さんの足跡は日本語ロックの草分け、スタジオ・ミュージシャン集団、チャンキー/トロピカル、テクノ(YMO)~テクノ歌謡、弩テクノと目紛ぐるしい推移を遂げてきた。寧ろ聴き手が従来の細野さんをまだ希求している間に、ご本人は次のフィールドに移行している位のスピード感だったろう。
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 ただその後、アンビエント~ミニマルの世界に入ってからは多分に浮世離れと言っては失礼だが、聴き手を置き去りにした感があり、この時期は私も細野さんの音楽から遠ざかっているし、それを裏打ちする様にカタログでも1984年からの20年がひと括りにされている。
 実際には21世紀に入ってSketch Showが始まっているので区分はもう少し早くても良いのだが、ルーツ探しとも言うべきカントリーから「HOCHONO HOUSE」に至る流れを正規ルートとして、再々生YMOをファン・サービス主体の別枠と規定するか、キャリアのリニューアルとしてカントリーと同じ文脈と捉えるか、解釈の相違であろう。
 ただ表現は兎も角、教授の様に"音響"の世界に耽溺して才能の枯渇を疑われたり、或いは幸宏氏が何時までもユキヒロ節と思ったら矢張り「サラヴァ」に回帰するのねと揶揄されたりと、音楽家が床の間の大御所のポジションに座らず晩年を迎えるのは難しい。52階スカイギャラリーから下界に降りると、館内にはヒルズのテーマが漂っていたが、現時点では教授の商業性の高い音楽の最末期のそれであるとは皮肉な巡り合わせであろう。
 この中で自らの過去とオールディーズに分類される楽曲群を一緒くたにカントリーの範疇に再構成し、星野源氏はじめ大衆性の高い若手と協同しつつ新曲も編み出して更なる称賛を得るとは、元より細野さんの尋常たり得ない振幅あってこそ単なる回帰・縮小再生産と看做されないとはいえ、古希を迎えてなお幸福な音楽人生ではないか。

 改めてベスト・アルバムも発売されているが、私も細野さん名曲集を列挙したい。
 小学生時代のYMOとの邂逅から中後期はリアルタイムで、それ以前は遡り、耳にタコが出来る程聴き漁った時代に集約されるのは致し方無かろう。順ほぼ不同である。
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World Hapiness(2011)の細野さん
  ・Mad Pierrot(YMO)
  ・Cosmic Surfin'(YMO)
  ・はらいそ(「はらいそ」)
  ・Exotica Lullaby(「泰安洋行」)
  ・アヤのバラード(Tin Pan Alley)
  ・ろっかばいまいべいびい(「HOSONO HOUSE 」)
  ・Blue Colour Worker(高橋ユキヒロ)
  ・風を集めて(はっぴいえんど)
  ・天国のキッス(松田聖子)
  ・Body Snatchers《日本語版》
  ・しらけちまうぜ(小坂忠)
  ・三國志ラヴ・テーマ(小池珠代)
  ・ピエトロ・ジェルミ(「Coincidental Music」)
  ・スーパー・ゼビウス【編曲】
  ・私自身(いしだあゆみ)
  ・東京ラッシュ(森高千里版)
  ・Close to you【編曲】(va「All Kinds of People」)

10月7日(月) さらば名球会  -スポーツ - プロ野球-

j102.jpg  訃報に際しての「金田さんも人間だった」との原監督のコメントは、聞き様によっては失礼にも響きかねないとはいえ、実に的を射たものではなかったか。
 勿論、金田正一氏の400勝、298敗、365完投、4490奪三振、14年連続20勝といった記録は、投手としての36本塁打(他に代打2本)含め空前絶後に他ならない。

 しかしながら金田氏の怪異さはその活動が野球選手たるフィールドに留まらなかったことだろう。73年にロッテ監督に復帰すると、不入り極まりないパ・リーグにおいて、唯一スポーツ各社がロッテ番を設けたという人気の秘訣は、元より引退後のタレント「カネやん」の名声や、コーチ・ボックスにおけるカネやんダンス、太平洋との遺恨試合をはじめとする乱闘パフォーマンスに依る所は小さくないものの、現に就任二年目には日本一を為し遂げ、だからこそ「永久監督」とも称されたのである。梶原一騎原作のスポ根漫画「おれとカネやん」も連載されるなど、オリオンズは一躍パ・リーグ随一の人気球団となっていた。
 ただ厳密に言えば「永久監督」の含意はそれだけに由来するものでは無い。野球殿堂の資格はユニフォームを脱いでから五年経過後となっているが、嘗ては監督・コーチは勿論、背広組=球団役員等として個別球団に関与している間も留保されており、三原脩氏の殿堂入りが逝去直前の1983年まで遅れたのは前年に日ハム代表から相談役に退くのを待ったが故だった。
 一方、金田氏の殿堂入りは88年になるが、当時もロッテ球団取締役であったが非常勤のため、現職規定には当たらないと注釈されていた。それ自体は妥当な判断に他ならないが、疑問を感じたのは第一次政権末期にはラフィーバーや八木沢をシーズン中に強引に引退させたり、解任直後には実弟の金田留、渡辺秀、山崎といった金田派主力選手が一層されるという球団との角逐を経てなお、役員として名を連ね続けているという事実であった。
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川崎球場(88年)
 韓国という出自故かとも思われたが、実はロッテ球団の歴史を紐解いてみると、永田雅一氏の大映の経営が傾き、ネーミングライツで参画したロッテが肩代わりしたというのが正史になるが、更にその前は大映スターズ~ユニオンズと毎日オリオンズの合併球団であり、後に毎日新聞が撤退して大映の単独経営となっている。
 球団会社は須く上場されていないので必ずしも株主構成を詳らかにされないが、大映が最低50%を所有していたのは間違いないから、大映傘下であるのは事実である。しかしながら毎日所有の株式は全て大映に譲渡は為されず、驚くべきことにその多くがカネダ企画の手に渡っていたのである。
 詰まり金田正一氏はロッテ球団の事実上の個人筆頭株主たる権利に基づき取締役の任にあり、だからこそ永久監督と喧伝され、監督退任後も当然取締役を継続したのである。実際、金田氏は90年に再び重役監督となるが、ボーク判定に怒りマウンドに登って審判を殴って30日の出場停止、外国人を蹴る等、些か時代とのズレを感じさせ二年で退任を余儀なくされる。そして川崎末期の前政権時は打って変わっての悪評の中、小池投手のドラフト一位抽選で「選択権確定 ロッテ」のアナウンスに、記者会見場を埋め尽くす亜大学生から「え~」のブーイングが湧き上がったのも懐かしいが、千葉移転後も実に2017年までロッテ球団取締役であり続けたのだ。

 或いは第一次政権退任直前の78年には名球会を立ち上げた。わざわざ昭和名球会を名打ったのは、野手の2000本安打は唯一の大正生まれで名誉会員に据えた川上哲治、一歳年長の山内一弘を除けば有資格者が全員年少であるのに対し、投手の200勝は先達が沢山居た為に、自らがトップたるべく昭和生まれに限定したと言われる。
 名球会誕生前には飯田徳治1978本、毒島章一1977本という記録が残り、逆にロッテの福浦が2000本丁度で引退した様に、嘗ては特段のメルクマールと捉えられなかった2000本安打が金科玉条と化したのは、良くも悪くも名球会の成果であろう。
 名球会は2003年に250セーブ、日米通算が入会資格に追加されたが、高校野球ですら「週500球」制限が取り沙汰される現在、平成生まれの2000本安打者は何れ生まれようが、200勝投手は空前絶後かも知れない。
j103.jpg  金田氏自体が2009年に"私物化"を問われ名球会代表を退くとともに退会しているが、氏の逝去を以て名実ともに「昭和」名球会は終わりを告げたことになろう。
 下ネタ満載の週刊ポスト「カネやんの美女対談 秘球くいこみインタビュー」はコンプライアンス天国の現在では夢のまた夢に他ならない。
 さらばカネやん、お疲れさまでした。

 今日は鱶鰭、美味しゅうございました。

10月6日(日) お腹ぷりぷり モンデミン  -ヘルス・ダイエット - アロマ・リラクゼーション-

j99.jpg  土用の丑でも無いのに昨日は鰻、一致団結箱弁当を凌駕する結束を示す為に鰻重を用意した平成研のひそみに倣った訳ではない。以前は中野阿佐ヶ谷まで遠征したこともあったが、ガード下にかく瀟洒な鰻店が存在したとは高円寺もまだ捨てたものではなかろう。
 蒲焼のみだと胃袋を満たし切れないので、鰻串やら付随の品を頼んで仕舞い、お代が張るのが難儀だが。

 その帰路、北口ロータリーに新しいマッサージ店を発見する。
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台湾にて(2017/7)
 嘗ては空気圧に依る袋詰め脚部揉み機も調達してはみたものの、結局マッサージ・チェアとともに廃却の憂き目に至ったのは、少々コストを費やしたとしても、人の腕に勝る療治は無いという現実の為せる業たろう。
 若かりし時分には、国内は高額なのでマッサージはバンコクはじめ亜細亜諸国にてという観念もあったが、寄る齢波には逆らえず、2010年代に入る時分からは、丁度わが家と駅との中間店辺りに誕生した店に屡々足を運び始めた。
 整骨院を兼ね法的には微妙な混合診療だったが、やがて駅前に進出拡大し、美目麗しき女性指圧師の方が退職されてからは、駅周辺のマッサージ店の開拓に勤しむ羽目に陥った。とは言えリラクゼーションを名打つ中高級店は、姿勢の矯正指導であるとか懇切丁寧と言えばその通りだが些か過剰関与であり、結局は大陸系激安店に行き着いて仕舞った。
 しかしながらこの60分税込2980円が何時の間にか業界下限標準として定着し、本邦チェーン店が瞬く間に拡大したのだから、わが国のコスト削減力は侮れない。今では「ほぐしの達人」通いが常態化している。
 惜しむらくはマンション時代の住み処からは至近の南口に構えており、わが家からは幾分距離を感じることだろう。だからこそ吸い寄せられるが如くに新店に誘われたのだが、総じて安価なマッサージは多分にエキゾチックな楽曲が奏でられ、狭く幾分照明を落とした店内にベッドが犇めき合う、阿片窟とは些か誇張表現であっても何と無く風営法の対象になりそうな雰囲気を鴨し出しているケースが多い。
 元より新規開業らしく小綺麗には違い無いのだが、「達人」が開放的で広い平面に陣取っているのに比べれば、矢張り心理的バリアが働こう。価格と技量に弾力性が無ければ他の要素が顧客獲得の鍵になるのは致し方無い。

j100.jpg  さて本日は公資の要望を踏まえ豚骨ラーメンとなった。背景には兄弟揃ってダイエットに勤しみ、祐旭に至っては消化器を活性化させると満腹中枢が悲鳴を挙げるのだろう、食後に「腹減った」を連発するに及んでいる。
j101.jpg  生涯で最も美味な豚骨ラーメンを賞味したのは、補欠選挙で博多に三泊四日した際だった。勿論それはポスター貼りの合間に空腹を満たしかつ疲労を癒したが故に余計に胃に染み渡ったのかも知れないが、本来豚骨ラーメンは替え玉の存在からも明らかな様に、汁は濃厚でも麺はあっさりだから、少なくともラーメンの中では減量と親和性があるとの解釈は強ち誤りではない。
 ところがわざわざ南口を遥かに下ったルック商店街まで進駐し、オウム真理教の事務所こそ跡形無くとも、駅に近いPALに比べて店舗の回転率が低いことは確認出来たものの、球を回転させそうな「じゃぐら」は豚骨ながら思い切りこってりで面食らった。
 元より豚骨イメージに合致しなかっただけで充分に堪能出来たのだが、残ったスープに粉を注いでカレーとして味合うシステムには、流石に濃厚派の父にしてなお些か消化器に厳しく受け止められたのだった。
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