引越を挙行した10月23日時点で、まだ家作りが完了していないのは織り込み済であった。幸いロフトへと通り抜ける「建築確認後の改造」行為こそ無事完了していたが、表札やベランダの屋根、道路提供部分の舗装を含めた外構工事が完了する迄には尚数日を要しなければならなかったのである。
一方家具も食卓のテーブルと椅子が到来したのが10月末、それから子供用の椅子を別途手配したりしたから、更に机を覆うオーダー・ビニールの類迄勢揃いしたのは実に今週の日曜であった。それでも未だ電柱の移設作業が滞っているが、セットバック前の境界上に年間・円程度の賃借料で建立されており道路通行には障害物以外の何物でもなくとも、わが家に取っては幾分離れたまままの方が使い勝手が良いから、敢えて事を荒立てる必要はない。
そこで家作りの完了を待っていた訳ではないのだが、仕事もひと段落したので平日の午前中を費やし、引越の総仕上げとして住所変更に伴う諸手続きに行脚することとした。と言っても住民票や郵便局への転送届出はとうの昔に済んでいるから、残す大物は不動産登記となる。何も難しい話しではなく、紙一枚書いて杉並区今川の法務局出張所へ持ち込むだけなので、何事も経験かと意図的に自ら手続きに赴いてみた。ただ相談窓口で指導・修正されたのはよいが、一度一階に下り印紙を買い、二階に戻り隣の窓口に提出すると、完了証を送付するなら切手をと求められ、同じ法務局にも拘わらず「一階で売っているかも」と曖昧な示唆のもと再び階段を降りると案の定笑顔で否定され、結局環八沿いの郵便局まで80円切手一枚のために行軍する羽目に陥った。皆一様に物腰柔らかで丁重ではあるが典型的な役所仕事である。土地の売買にしろ銀行ローンにしろ、頼んでもいないのに現れる司法書士の手を煩わせれば一人前の報酬を課されるのは、この七面倒臭さの代償であったかと体感出来たのが半日の休暇と代償としておこう。
車庫証明から取り直さなければならない車検証の変更はパスすることに決め、杉並警察で運転免許証に新住所を裏書きされて大団円となった。後は送られて来る郵便物に地道に返送葉書を出し続けよう。

仕事柄議席を失った方々の慰労の席は少なくないが、最期の一太刀に賭ける長老や、喩え四年間浪人しても時間的に挽回の余地の生じ得る若手層は存外に意気軒昂であっても、先の見えない徒労感と先が見えて仕舞った虚脱の相半ばする中堅組の悩みは決して小さくないのではないかと見受けられる。
それは極論すれば政治家は常にバッヂを付けていなければ政治的にも経済的にも生きていけないという社会システムと、それには非常に似つかわしくない、選挙の度に大挙して現職の入れ替わる恐れの大きい―そしてこの二回でそれが極端に実証された―小選挙区制度の同居に、最早職業政治家たる存在そのものへの懐疑さえ惹起されているのではないかとの疑念に由来する。
現政権の「雛型」である英国においてもまた嘗ては七割程の選挙区は勝敗が固定しており、残る三割が左右何方に靡くかで雌雄が決するとされてきたが、取り分け21世紀に入ってからの選挙では振幅が大きくなる傾向にある。ただ少なくとも無名の新人は対立政党優位の選挙区から腕試しを行い、好成績を挙げれば楽勝の選挙区へと昇格していくシステムは、政党組織よりも個人後援会と地元の結び付きに依拠した、これ迄のわが国選挙事情に照らし合わせれば非常な違和感を感ずるだろうが、政党主導たる小選挙制下の選挙戦術としては合理的である。何よりもわが国では一旦厳しい選挙区を選択すれば、事実上生涯苛烈な選挙戦に悩まされ、地元事情に足を引っ張られ続けられざるを得ず、一方で安定した地盤・看板を譲り受けた候補者は新人時代から安泰というのでは有利不利が大き過ぎよう。
それでも長期雇用慣行の中に政治システムをもまた位置付けるならば、ひとつの選択肢は中選挙区制に回帰することにより職業政治家の地位を安定させることとなるが、社会全体の雇用もまた流動化する中で、バッヂの有無だけが政治を担う唯一のメルクマールという現行から「政治に携わる職業」もまた普通の仕事へと導いていく方が、より建設的ではないだろうか。
この中で本日は既に四年も前になる
少子化対策研究会の方々をお招きしたが、俄かに本会議が騒がしくなったおかげで現職の皆様が軒並み欠席とは対決国会の意外なとばっちりである。
民主主義の根底に多数決原理があり、選挙から選挙迄は全部委任を受けたのだから批判があるなら次の総選挙で反対勢力に投票すればよいというのは道理である。ただそれだけでは四年に一度国民投票が実施される直接民主制に過ぎず、代議制を採用しているからには争点の発見と衆知のためのアリーナ機能も発揮される必要がある。それを過度に主張して弱者の脅迫に堕して来たわが国の歴史に鑑みれば、強面に徹するのもひとつの壮大なる実験なのかも知れないが。

園田直という政治家の名を知覚したのは小学生の時分に見た週刊朝日連載の合本「山藤章二のブラックアングル」で、暗殺されたイスラエルのベギン首相の葬儀に外相として参列し、「ソノダ(その他)大勢の扱いだった」と嘆いている戯画であった。その後、"ソノチョク"と称される氏が若き日には国会議員同士の「白亜の恋」の主人公であり、河野一郎氏亡き後に一派をも率いた大政治家であることを知ったが、驚いたのは糖尿病で逝去された後の86年ダブル選挙に際し、前妻の子息である博之氏のみならず、白亜の恋のもうひとりの主人公であり博之氏の義母にあたる天光光氏も凡そ三十年振りに名乗りを挙げ、中選挙区時代の熊本二区が一躍「骨肉の争い」の繰り広げられる注目区となったことだった。
結果的には天光光氏に大差を付け初当選を飾った博之氏は93年にはさきがけ結党の一翼を担い、細川連立内閣の官房副長官を務めるが、多くが民主党へと合流するなかさきがけの解党を見届け自民党へ復党、以後は"出戻り"の汚名を晴らすが如くに仕事師に専心し、取り分け郵政民営化の党内取り纏めに奔走したことで株を上げたのは記憶に新しい。
その園田博之氏の講演を久々に拝聴したが、政策に明るく仲間内での勢いはあっても他者の言を受け入れられず上世代からも下世代からも受け入れられ難い中堅と若手の中間域と、情に篤く利にも敏いボス層とに二分されがちな自由民主党において、政策も語りながら調整能力を発揮し落とし所を拵える腹も座った園田氏のあり様は、古き良き日本の政治家とはこうした存在ではなかったかと古を彷彿とさせるものがある。
例えば「単に引き摺り下ろすでなく、民主党の政策をよくしていくのも、与党であった自民党の野党としての役目」といった発言は、弱小政党に転落したさきがけでの野党経験からも導き出されたのかも知れないが、兎角エキセントリックな民主党の粗探しか、魂を失った様に民主党の更にお株を奪う社会民主主義への転向を図る、野党慣れしていない野党議員が目立つ中で、非常に立ち位置を弁えた発言である。勿論、紋切り型でなくAであればBであれば、或いはなかりせばと仮定やエクスキューズの多い物言いは氏の頭の良さの現れに他ならない反面、評論家的に響き、まとめ役として右に出る者はいなくとも政治的信念は何なのかとの批判的な見解が生ずる遠因ともなっている。
漸く喪が明けた様に政調会長代理から幹事長代理と日の当たるポジションを歩みつつあるが、器用貧乏から更に一歩脱皮して自由民主党の顔のひとりになれるかの正念場に違いない。園田指揮官のコントロール下に河野太郎氏の如き尖兵が突撃する、対案を出す野党・自由民主党の姿が早く見たい。
田英夫元社民連代表逝去。政界再編が一段落した後の95年参院選に際し、「DENと大書してあるからDemocratic某という新党でも出来たかと思ったら"でん"だった」と友人が語っていたのが想い出される。御冥福を祈念致します。

市ヶ谷台地と言えば三島由紀夫氏の割腹の舞台ともなった自衛隊市ヶ谷駐屯地、現防衛省が容易に連想されるが、改めて周辺を歩いてみると、あちらこちらに建屋の点在するまさに大日本印刷王国振りとともに、政府機関や外郭団体の金城湯地であることに気付く。
その一角、国立印刷局市谷センターを訪れたのはわが家秘宝の二百円札の価値を確かめにお札と切手の博物館を覗きに来たからではなく、仕事柄話題の「事業仕分け」を一度はこの目で見ておきたいとの好奇心の賜物であった。
たとえ説明から資料からシナリオ通りに仕切る大蔵の傀儡と揶揄されようと、長年民主党寄りと虐げられてきた構想日本の意趣返しであろうと、果た又国会議員を勝手に政府職務に従事させることへの疑議が持ち上がろうと、一般論としては政府事業を細かく洗い出し、ひとつひとつその是非を検分することは真っ当な作業である。素人に何が解るかという反発にしても、敢えて専門家でないからしがらみに捕われないというのもひとつの論理であろう。

考えてみれば
2006年の自民党財政改革研究会も、或いはつい最近の無駄撲滅にしろ、事業仕分けという形態でこそなかったが、予算項目からどの部分を削減出来るか洗い出すという意味では行動原理に大きな違いはない。ただひとつ異なる点は投網を掛けるが如く広範囲にも拘わらず良く言えば俊敏に、悪く言えば拙速に、しかも衆人監視の下に結論を出していく手法だろう。ただでさえ「攻める仕分け人対守る各省官僚」という構図が描かれれば、余程自制心の強い人間であっても訊問口調になりがちなところ、そこにカメラ迄入れば糾弾・詰問に靡くのが人間の心根である。
確かに旧来の如く"内輪"に近い形では厳しさに欠けるとの指摘があろう反面、比較的冷静な議論を行い得る利点もあった筈である。それでもなお「公開性」を重視し、実際の仕分けの中身よりも"議員が真剣に取り組む姿"に支持が集まっているのだから、何もそこ迄嫌みな、堪に障る物言いをしなくてもと眉を顰める有権者よりも拍手喝采を送る層が多いのが実情なのだろう。
「公開処刑」という比喩の是非は兎に角、高級官僚というだけで一緒くたに国民の不信感が如何に強いかを物語っているという意味では残念だが、"お上意識"と裏腹な支配者層への反発と集団心理の恐ろしさの為せる業だとすれば、如何にも戦後日本らしき光景に一抹の不安を禁じ得ない。
手作り感を演出するために選ばれたのであろう、会場の体育館も最後にバッサリ廃止と切り捨てられる位に突き詰めれば、それはそれでひとつの"public"の在り方かも知れないが。

ゴルフの際、何時に家を出るかは思案のしどころである。取り分けスタートが遅い時は、ゆったりすれば渋滞に捲き込まれかねないからと余裕を見れば、確実に現地で暇を持て余す。幸便に空きが出て繰り上げられればそれに越したことはないが、今日の様なゴルフ・シーズンかつ温暖なゴルフ日和とあれば、到底ままならない。おかげでお茶を飲み、練習に精を出し、入念にパッティングを調整してなお手持ち無沙汰な上にスタートが遅れ、しかもほぼ毎ホール待ちが生じていれば、ハーフ終了時で既に13時半を刻んでいても不思議ではない。加えて天然の立地を活かしたのだろうが、ティーグラウンドから一度下って登る構造で統一されているので、乗用ならば屁の河童かも知れないが、クラブのみカートのオール徒歩では脹ら脛の地獄絵図に他ならない。
これでは幾ら昼食が30分に短縮されても間に合う筈もなく、
東京よみうり以来二年振り二度目のナイターに突入、ラスト2ホールは俄かにフォア・キャディーが大量に現れ、急かされ急かされのクイック・プレーを強要された。明らかに詰め込み過ぎだが、17時を回りなお混み混みの風呂における常連らしき人々の会話を聞く限り、誰も文句を言う素振りも無いばかりか「何ホール迄回れたか」を確認し合う始末で、想像するだにここ高根CCでは半ば定番の事態なのだろう。
スコア自体は脇を締めてのアプローチが正解だったのと後半はパットに救われたか、同伴の御仁の甘言に乗せられ、パー3をバックからドライバーで打ってトリプルの事態こそあれ、総じてティーショットが当たらないなか何時も通りに収斂したのは安定感が増して来たということか。
帰着も遅れたが、最強レベルでマッサージ機に何度か身を委ね回復、明日からも素振りに精を出したい。